カテゴリー「08.直感、霊感、霊能力」の76件の記事

2017年10月14日 (土)

スピリチュアル的な、エネルギーを察知するセンサ-の位置。

すべての人に、霊的な感覚、スピリチュアルなセンスが備わっています。

そうしたセンスとは、霊やエネルギーがみえることに限らず、エネルギーの動きを察知するとか、気配を感じるとか、ある情報が伝わってくるとか、

直接の関わりがなくても把握できるという、共感のような働き方だったり、または、予知、予測のようなものだったり、バリエーションはいろいろです。

わりと多くの人に備わっているのは、エネルギーを、体感覚で感じとるセンスです。

8074499_s

目に見えないエネルギーが、自分に伝わってきたときに、「体感覚の反応」をともなって、キャッチされるセンスは、「強い」「弱い」の差はあるとしても、ほとんどの人に備わっていると思います。

それぞれ、反応が起こりやすい「センサーとなる体の部位」があるようで、どこに、どう反応が起こるかは、個人差があります。

たとえば、

髪の毛が静電気のようにチリッとする、肩のあたりにふわっと暖かい空気がくる、手のひらがピリピリする、手のひらに圧力がくるのを感じるなど、バリエーションはいろいろです。

その人の、反応が起こりやすい場所というのは、だいたい決まってくるものです。

得意なところに起こりやすいか、苦手なところに起こりやすいかの、どちらかなので(^_^)。

こういうことは、無意識でいると気づかずにスルーになりますが、意識してみると、自分の決まったパターンがあることが、わかることもあるでしょう。

「どこの部分に反応が起こるか」と、「その反応は、何を意味するか」という2つのうち、まずは、「どこの部分に」という、センサーの位置の把握をしてみるのが、順番としてわかりやすいですね。

★ブログランキングに参加しています。記事が役立ちましたら、バナーをクリックして投票をお願いします

  ↓  ↓  ↓

 

●リーディングセッションについて。

http://r.goope.jp/rikako

セッションの内容、お申込方法については、ミディアムリカコのサイトをご覧ください。スカイプセッションはこちら固定電話はこちらのページのとおりとなります。

セッションについて、サイト内の説明でわかりにくい点や、確認しておきたい不明点などがあれば、お気軽にメールでお問い合せくださいませ。

| | コメント (0)

2017年5月20日 (土)

「感じる」センスには、思い込みが入りやすいという特徴が。

過去記事で、「感じるセンス」と「わかるセンス」との違い、という内容をお伝えしました。

記事内のとおり、こうしたスピリチュアルなセンスとしての感じるとは、「何らかの体感覚を伴う反応」で把握する感覚で、

わかるとは、「根拠がなくても、そうだと確信がわいてくるというわかり方をする」という内的な感覚のことです。

どちらも、内的な感覚なので、この両者の区分けは曖昧になりやすく、また、他人と共有して確認しあったりすることも難しいので、「自分では、そうだと思っている」ところから、なかなか理解も納得も深まりにくいところではあります。

33154526_s

ご相談者さまの、いろいろなお話を総合すると、多くの方は、「感じるという感覚」のほうが、「わかる」よりも、感度のよいセンサーであると思っていて、「わかる」というセンサーを軽視しているケースが結構多いようなんですよね(^_^;)。

「感じるセンサーが、自分に備わっていたらいいのに」と思っている方は、頭の中でそうかもと思うわかり方より、体感覚のビリッとくる等の反応を伴うほうが、確実性があって把握しやすいという思いからなのでしょうけれども、

しかし、実は、感じるという感覚には、客観性が伴った感覚とは限らないという、「判別のしにくさ」もあるのです。

どちらも必ず、間違う可能性はある。

「感じる」ことも、「わかる」ことも、自分の内的な感覚ですから、客観性があるとは言い切れないということは、どちらにも共通することです。

スピリチュアルなセンスの精度は、そんなに高いものではありません。それはすべての人に言えることです。

しかし、どちらかといえば、「わかる」感覚が鋭い人は、自分のわかることへの思い入れが少ないので、冷静でいられるので、思い込みにとらわれにくく、「感じる」感覚が強い人は、体感覚という反応が実際に伴うため、それが「起こった」ことの印象が強くなるので、思い込みになりやすいという特徴があります。

【わかるタイプ】

頭の中で確信がわくという、「わかる」感覚が鋭い人は、思考との境目があまりないため、その感覚にこだわらないでいられます。

「そうだと思ったけれども、でも、思い込みかもしれないな」とか、「そうだと確信があるが、しかし、これが事実とも正しいとも言い切れないし」というわりきりが簡単にできるので、ひとつひとつの、「わかった」感覚にとらわれないでいられます。

自分の直感的な把握を、軽視してしまうことが多いのですが、しかしその分、冷静にもなれますね。それを信じるという思い入れも小さいので、認識違いもありうるという感覚もまた、受け入れやすいということです。…と書くと、いいような、悪いような、ですけれど(^_^;)、

「自分の感覚を、信じることができにくいけれど、その分、違うこともありうるという点は受け入れやすい」のがこちらのタイプです。

【感じるタイプ】

体感覚を伴う反応で、「感じる」人は、体への印象が強いため、「感じたのだから、そう感じる何かがあるはずだ」という認識もまた強くなるため、そこから意識を離しにくいです。

体感覚の反応が、実際に自分に起こるため、「わかる」タイプよりも楽に、それを信じることができます(^_^)。それ自体はとてもいいことなのだけれども、メリットの裏表として、感じたことから思い込みが生じることも、「わかる」タイプよりも、多くなってしまいます。。。

普通に考えて、「そうかと思ったけれども、違うかも」という思考は自然にできるけれど、「体感覚で反応があったけれども、違うかも」という認識には、あまりなりませんよね。

たとえば、「食べ物を口にいれて、甘いと思ったけれども、でも思い込みで、実際は甘くないかも?」という認識には普通はなりません。

体感を伴う反応は、自分の中での事実として認識されやすい事柄ですから、当然といえば当然です。

「体感という反応がわかりやすいので、感覚を信じること簡単にできるかわりに、しかしそれは、自分の個人的な反応であり、外の何かを感じたあらわれとは限らないという認識を、もちにくい」のが、こちらのタイプです。

どちらも、「得意分野」と「苦手分野」がある。

どちらのセンサーも、完全ではないという理解が大事です。

これまで幾つもの記事で書いてきたように、スピリチュアルなセンスの働き方にも、どんなことがうまくできるかという個人差があります。

「自然現象の変化が当たる」とか、「相手の体調の変化が感じられる」とか、「本質の把握ができる」というような、得意な分野があって、それ以外のことは同じようには把握できません。

わかることも、感じることも、得意分野に対しては、把握できることが多い分だけ、実際以上に大きく反応してしまうこともあります。または、苦手分野の把握には、ノイズが入って間違えることもあるのです。

苦手なことや、できなことは、「無反応で、把握できない」ならば、わかりやすいし簡単なのだけれども、そのようにはならず、できないことでも「何らかの反応や解釈が、自分の内部で結びついて、作られてしまうこともある」ので、こうしたスピリチュアルな感覚のみの把握を、あまりに重視しても、むしろ人生が混乱してしまいます。

そういうセンスも、ひとつ手段としてうまくいかすようにして、それのみにとらわれないバランスが大事ですね(^_^)。

★ブログランキングに参加しています。記事が役立ちましたら、バナーをクリックして投票をお願いします。

 

 

◆セッションのご案内など:https://www.rikako-web.net/

◆スピリチュアルコラム(過去記事):http://spiritual-teaching.com/

| | コメント (0)

2017年4月 7日 (金)

備わっているセンスは、使うことで磨かれていく。

人は、「肉体という物質を伴っている、霊的な存在」であるので、広い意味でいえば、誰もが、霊としての感性、スピリチュアルなセンスを備えているものです。

どんな性質が、どのくらい備わっているかは個人差があり、これはかなりの部分で「生まれもった性質(=本質)」が関連します。

後天的に培われる部分もゼロではないですけれど、大部分は、たましいの領域にある性質がベースになります。

39692628_s

|自分について知っていくほど、自分をいかしやすくなる。

こうしたセンスは、自覚しているかどうかに関わらず、必要な場面があれば自然と発揮されますから、別に自覚しないままでも問題はありません(^_^)。

しかし、わかっておくと、意図的に自分のセンスを発揮できたり、自分という存在をいかしたりできますから、その分だけ、人生を創造的なものにしていくことができるようになると思うのです。

ですので、スピリチュアルに関心をもっている方には、「自分の過去の経験を分析する」ことで、自分のセンスを把握していくことをお勧めします。

一例として、「関わる人を、元気にする力がある」とします。こういうことは、一方的に自覚するのは難しく、周囲の人が教えてくれますね、「あなたと一緒にいると、何だか元気がでてきて助かるわ」と複数の人から言われる、というように(^_^)。

こういうセンスがあるとわかれば、人の輪の中に入っていくこと、人間関係の中に身を置くことを、意識して行っていけば、自分のセンスが自ずと使われていくでしょうし、引き出されていくようになりますよね。

センスは、使うことで、ますます磨かれます

外に向けて発揮することで、センス自体が伸びるということもありますし、使う回数が多くなると、質が高まることや量が増えることもあるでしょう。

また、「どんな場面で、誰に、何をする行為としてあらわすのが効果的となるかが、経験からわかってくる」ことで、ふさわしい使い方ができるようになる、というのもあります。

そうした幾つかの要素が関連して、磨きがかかっていくことに加えて、「守護霊(指導霊)のサポート」も関わってきます(^_^)。

自分という存在や、自分に備わっているセンスや、与えられている環境をいかしていくことは、たましいの成長という観点から望ましいことですから、そうした姿勢は、守護霊の後押しが得られやすいということと、

守護霊と自分は、たましいの繋がりがあり、本質的なものがかなり似ていたり共通していたりしますので、センスのベクトルが揃っていけば、発揮される力は大きくなるというしくみです。


まとめると、

 ①自分のセンスを知ることで、意図的に使いやすくなります。

 ②使う機会が増えると、センスはますます磨かれていきます。

 ③自分をいかす姿勢でいると、守護霊の後押しが得られやすいです。

 

ブログランキングに参加しています。記事が役立ちましたら、バナーをクリックして投票をお願いします。

 

◆リーディングのご案内など:https://www.rikako-web.net/

◆スピリチュアルコラム(過去記事):http://spiritual-teaching.com/

| | コメント (0)

2017年2月14日 (火)

日常の経験が、第六感を磨いていく。

スピリチュアルなセンス、霊能力などのことを、「第六感」という表現であらわすことがありますよね。

「見る」「聞く」などの、外界を感知する手段である「五感」の枠に、収まらないところにあるものという意味で、「六」がつかわれているのでしょう(^_^)。

この第六感は、五感とまったく別のところに位置するものではなく、「五感の延長上に位置して」います。または、重なっています。

逆の言い方をすると、「第六感のベースには、五感がある」とも言えます。

11769788_s_3
一例として、「体感覚で、感じ取ってわかる」センスをもつ人がいます。

(私のクライアントさんは、この分野が秀でている人が大集中しているという、不思議な特徴があります!・・・私は、体感が優れていないのに、なぜでしょう(^_^;)笑)

以前の記事でも書いているとおり、体感覚というのは、「胸のチャクラ」との関連が深いです。

★過去記事★

体感覚で把握するセンスは「胸の位置にあるチャクラ」が関連している

(霊的な身体感覚としての)感じる力を伸ばすには。

上記で記載のとおり、手のひらのチャクラは、胸のチャクラと関連していますから、物理的な意味で手のひらで触って(ざらざらしている、暖かいなど)わかることは、同じ胸のチャクラをつかう体感覚とも無関係ではありません。

たとえば、食べ物売り場で、野菜を手にとると、なんとなくその感覚で美味しそうだとわかるとか、手で触れることで、物の様子を推察したり把握したりが得意な人っていますよね。

そういう人は、「手を通さない形でも、エネルギー的な体感覚そのものが優れているケースが多い」です。

逆の言い方をすると、「エネルギーの体感が優れている人は、手を使った把握も上手」だったり「手をつかって、何かを成すことが上手」だったりします。手を直接ふれて何かをすることや、または道具を使いこなすことなどです。

セッションのご感想や、ブログのコメントなどからもわかるとおり、私のクライアントさんは、カメラや絵をかく趣味をお持ちの方が、とーーーっても多いです。カメラを習っているとか、同人誌に漫画書いているとか、すごい人数なのです。

体感覚が優れている人は、手を使ったり道具を使ったりして、何かをしたくなるし、そういうことを好むのでしょうね(^_^)。

第六感的なセンスは、五感と関連している延長上にあります。五感と無関係なところに、いきなりそれが位置しているという構図にはなりません。

つまり、日常の中で、五感を磨いたり使ったりしていけば、自然と(その延長上の)第六感的な感覚も、磨かれていくことになります。

使うことでセンスそのものが鍛えられますし、また、いろんな出来事をたくさん経験してみることで、「自分の得意なことは、どんな条件下で発揮されやすいか」というパターンもわかってきます。

自分の性質に根ざしている、得意なことは「伸びやすい」です(^_^)。

★ブログランキングに参加しています。記事が役立ちましたら、バナーをクリックして投票をお願いします。

★リーディングのご案内など:https://www.rikako-web.net/

★スピリチュアルコラム(過去記事のまとめ):http://spiritual-teaching.com/

| | コメント (0)

2016年11月27日 (日)

霊視・透視の映像がうつる場所。

Image6

この画像は、森のイラストに私が黄色の光をいれた加工をしたものですが、最近よく、こういう「画」が、見えてくるんですよね。

下が黄色か金色に光っていて、上が深い緑色のような。しかし、これが何を意味するかは、よくわからず(^_^;)。

|霊視の映像や画像は、内的な視野でみえたり、普通に見えたりと、いろいろ。

こうした見え方は、「普通に形のあるものを見る場合と同じように、肉眼でみえる」場合と、「内的、霊的な視野に見える」場合とがあります。

私の場合は、肉眼でみるとしたら、相手のオーラをスクリーンにして、そこに映像や画像が投影されているかのように見えます。

中には、普通に形があるものと同じレベルで、形のないものも見える方もいます。私は、あまりそういう見え方は普段はなくて、本当に「ときどき」です。


内的な視野、霊的な視野で見える場合は、頭の中で思い浮かべるように見える、という表現が一番近いと思いますが、しかし、思い出しているのとは明らかに違いますね。そのものが放つ「波長」がやはり違う、というか・・・。表現は難しいのですけれども。

私の場合は、「自分の後頭部の内側?」で見えるような感覚になります。江原さんは、以前にテレビで、頭のてっぺんのほうで見えるとおっしゃっていました。なんとなく、その感覚はわかるような気がします(^_^)。

あとは、「まぶたの裏」に見えることもあります。本当に霊感が強くて、霊視的なセンスが高い方は、この表現が理解できると思います。同様のことをおっしゃる方はわりと多いように思います。私の場合は、「まぶたのフチの裏?」に見えることが多いように思いますけれど・・・、他の方はどうなのでしょう。

霊視している最中に、白目になってしまう霊能者は、実は少なくないのですが、それはまぶたのフチの裏?に見えている映像を、意識の上で追ってしまうと、眼球もそれにつれて上に動いてしまうためではないかなーと、私は個人的には思っていますけれど(^_^)。

これらは代表的な、わかりやすい例をあげたものなので、他にもいろいろあると思います。

 ★ブログランキングに参加しています。1クリックお願いします。

| | コメント (0)

2016年11月23日 (水)

直感力が高いために、結論に意識が向かいすぎることがある。

直感力が高い方のオーラは、頭の周囲のオーラ(身体の周囲の全体的なオーラとは別のところ)が、平均的な形状とくらべて少し「縦長」な形になっています。まるでアンテナが少し上に伸びているかのような、わかりやすい形状だなと思います。

37439576_s
こういう形のオーラの方は、思考力が高く(早く)、勘もいいので、ものごとの「答え」とか「結果」がどうなるかが、瞬間的にひらめくことがよくあります。

たとえていえば、一般的な思考のしかたが、順番に階段を5段上っていくように進んでいくとしたら、直感力が高い方というのは、一段目からいきなり4段目、5段目にいってしまいます。

このように読むと、「直感力が高い人は、得だなー」「便利でいいなー」と思うかもしれません。瞬間的にさっと判断ができて、自分の中での答えが決まるというのは、効率的で役立つことになる場面は、実際に多いと思います。

しかし、そういうタイプの方は、「最終的な答えに行きつく思考は得意」だけれども、その答えに行きつくまでの「プロセス」を考えたり見つけたりすることが、苦手である方が少なくないのです(^_^;)。

階段の2段目、3段目になる思考を経由しないで、その先の答えに思考がさっといきついてしまうので、「プロセスを考えることに慣れていない」ためです。

「こうしたらいいだろう」という答えを見つけるための思考は上手です。ひらめきで一瞬にして、その領域に到達することができる方もいます。しかし、「具体的に、何をどう行動したら、そうすることができるのか」という、手段とかプロセスの部分を考えることが(慣れていないので)うまく思考をめぐらせることができない場合があります。

自分的に、できない理由がなぜかがわからないし(ああなって、こうなって、だからそうなるという思考の仕方にならないタイプなので(^_^))、そういうプロセスの部分(現実的な手段、方法など)の行動が必要であるということが、いまひとつ現実感を伴った理解とならず、目的に向かって「自分を運ばせる」ということがよくわからなかったりします。

また、そういう人は、イライラすることが多いです。いきなり結論に思考をもっていけるけれど、当然のことながら、現実が動くスピードは同じではないので、そのタイムラグが「遅い!」と感じたり、行動を伴わせていくことが、まどろっこしくなってしまうためです。

他の人よりも、結論にいたるまでのプロセスが少なくてすむゆえに、メリットとデメリットがあり、自分の得意なことは「自分にとって普通」なので、メリットに気づかずに、デメリットばかりが強調されて感じられてしまい、出口のないところへ自分を追い込んでしまうこともあります。

しかしそれは、「なぜ、そうなるかが、わかっていない」ゆえであり、わかってしまえば、こういう方は、結論にいくスピードがなにしろ速いですから(^_^)、「そうか!」という理解もはやいですね。

で、プロセスをとばしてしまう部分をどうすればいいかという点は、こういう方は、「○○をするには、こうすればいい」というハウツーのような方法を、とりあえず採用して動き出すことがいいでしょう。それが、プロセスを意識するための練習にもなりますので(^_^)。

また、苦手なところを何とかしようとするよりも、得意なことをいかすほうがいいので、「苦手であるプロセス探しは、他の人にしてもらう(という観点から、ハウツー的なものを採用する)」ほうが、自分を運ばせやすいことが多いようです。

ものごとを成すためには、無駄なプロセスは遠回りになりますから省きたいところです。しかし、必要なプロセスは当然のことながら省いてしまえばゴールに到達できません。その理解の上で、「必要なプロセスを見つける」ことが大事ですね(^_^)。


★ブログランキングに参加しています。1クリックお願いします。

| | コメント (0)

2016年9月11日 (日)

霊感的に、「不必要な思考がとまらない」状態になる人もいる。

その時点での重要性はまったく高くない、「今、考えなくてもいいこと」が頭の中を占めてしまう、常に「必要のない何か」を考え続けて止まらなくなってしまう人がいます。

一時的な状態としてそうなるケースもありますし、「常に、そうなってしまう人」もいます。後者の中には、霊感的な感性の高さが関連して、その状態がつくりだされていることがあります。

42410385_s


霊感は誰にでもあるもので、あらわれ方もさまざまですが、大きくわけると、「見える」「聞こえる」「感じる」「わかる」、などがあります。

4種類のうちの、「わかる」センスのみが、飛び抜けて他より高い方は、頭にばかり意識が向かい、ということは「気のエネルギー」が集まってしまい、頭が働いてしまうことになります。

日常生活で、身体を動かして作業をしたり、仕事をしたりしているときは、適度にエネルギーが分散していくのでバランスがとられますが、「何もしていないとき」や「寝ているとき(で、しっかり眠りに入れていないとき)」には、エネルギーが一箇所の得意なことに過剰に集まって、回路に刺激を与えつづけてしまいます。

霊感的なセンスとは無関係に、思考力が高く備わっている方も、同様のことが起こりますが、前者の場合は、度合いが大きくなりやすいのです。

理由は、エネルギーに感化する領域が広くなるからです。こちらの世界のことだけでなく、あちらの世界の領域のエネルギーにも周波帯が及んでしまうので、脈絡のない半分ファンタジーみたいな、よくわからない思考が止まらない、という状態に置かれてしまうことがあります。

自分が備えている感性の幅が、キャッチできる周波数の幅(帯)なので、広く備えていると、受けとめるものも広がってしまう、というしくみです。

生まれ持った性質ですので、これを直すとか除くというのはできませんし、その必要もないですが(良い面もありますのでね(^_^))、過剰になることは改善したほうがいいので、その方法は、思考力が高いためにそうなる場合と、だいたい同じです。これまでの過去記事をご覧いただくと、参考になることはたくさんあると思います。

そして、せっかく備わっているセンスは、良い方向に使うといいですよね。そうして、使っていくと、余剰なエネルギーがあふれることがなくなるので、ちょうどい状態で器におさまっていきますから、それが一石二鳥の?一番良い方法かもしれませんね(^_^)。

 ★ブログランキングに参加しています。1クリックお願いします。

| | コメント (0)

2016年8月 8日 (月)

「直感が、当たらないこともある」のは。

ときどきセッションで、「直感が当たらないのは、どうしてなのか」と、おたずねいただくことがあります。

「自分は直感が高いほうだと思うのですが、直感があたらないことがあります。なぜでしょう?」とか、「リカコさんから、オーラが直感的な人だと言われたけれども、しかし外れることもあるのはどうしてでしょう?」と。

まず、基本的なこととして、ひらめきの全部が当たることはないです。当たらないこともあるのが普通ですから、そういうものとして受けとめてください。理由は以下のとおりです。


|「霊的な直感」と、「感情などの反応」の境目はわかりにくい

直感は、霊的なセンスの一形態であり、直感が優れていれば、平均よりずっと「わかる」センスが高いともいえます(昨日のブログ参照)が、しかし、霊感も直感も魔法ではありませんから、全部があたることは、ありません。

昨日のブログに書いたとおり、ひらめきの中には、自分のこれまでの経験や抱きやすい感情などが関連している「瞬間的な反応」も含まれてしまいます。

そして、人間の感覚としては、そうした「霊的センサーで察知して、わかったこと」と「自分の個人的な反応として思ったこと」を、完全にわけることはできません。ここの境目はグラデーションです。

むしろ、そうした曖昧さがあるからこそ、個人的な反応として思うことの延長としてセンスが発揮されやすく、直感が高く働きやすいともいえます。

余談ですが、直感が優れている人のほうが、そうした境目が曖昧になっていて……、そのため、「直感が優れている人ほど、自分でその自覚がない」ケースが多いのです。

話を戻して。「なぜ、直感力が高くても、直感のすべてが当たらないのか?」という問いへの答えとしては、大きくわけると3つ、さらにプラス1で、4つです。

(1)まずは、「人間の霊感は、100%全開にならない」ということですね。重たい肉体をまとっている状態での発揮ですから、受信にバイアスが掛かることも多々あります。

(2)そして、「ひらめき」のすべてが、霊的なセンサーで察知した直感ではない、ということです。思考や感情の反応として思い浮かぶこともあり、個人の思いの癖などがそこに絡んでいるものも含まれてしまいますから、そういうものは当たらないこともあるでしょう。

(3)人により、直感の働きやすい得意分野があります。すべてに満遍なく冴える人はまずいません。自分に関することが得意とか、他人に関することが得意とか、知人には確率が高まるが、初対面の人には働きにくいとか、過去がわかりやすい人もいれば、未来に焦点が合いやすい人もいます。自分の「当たりやすい、得意パターン」があります。逆にいえば、その範囲から離れるほど、当たりにくくなるといえます。

(4) さらにもうひとつ。当たったかどうか、という定義がそもそも難しいです。あるひらめきがあったとして、今は当たらなくても、3年後や5年後には、あるいは、そうなっているかもしれません。「これは、今のことに当てはまるに違いない」と思ってしまったのは、自分がそう結びつけただけですから、本当はもっと先のことを察知した可能性もあり、そうなると、当たったかどうかはその時点では判断ができません。霊的なことは、時間を超越しますから、ずっと先のことをとらえてしまうこともありえます。



直感や霊感というのは、こうした「曖昧さ」を多分に含んだものである、という理解をしておくことが大事だと思います。そういう前提で、備わっているものをいかすという姿勢が理想的かな、と(^_^)。

直感に助けられるとか、後押しになることは多々あるとしても、それが行動の代わりになって得をするということにはならないので、自力での動きは必要です。

当たるか、当たらないかに過度にとらわれてしまうと、自分を狭い枠に押し込んでしまいます。答えがわかるまで動けなかったり、気にしすぎて疲弊したりと、得られるメリット以上のものを、消費してしまえば、プラマイゼロになってしまいますよね(^_^;)。

人は皆、霊的なセンスをもっているから、ときにそれに助けられることもあり、いろんな形で作用しているんだなという仕組みを理解していき、あとはこだわらずに委ねていくことでしょうか(^_^)。

 ★ブログランキングに参加しています。1クリックお願いします。

| | コメント (0)

2016年8月 7日 (日)

直感も、霊感の一種。

霊感というのは、「霊という存在を感知する力」のことだと思ってしまうと、偏った理解になり、実際のところからかけ離れてしまいます。それは、幅広いうちの、一種類を抜き出して、それが全部であるかのような(^_^;)とらえ方です。

多くの方は、霊が見えるとか、霊の気配を感じるとか、守護霊と通信できるとか、「存在のあるもの」を対象としたあらわれ方を、霊感と思っていらっしゃるかもしれませんね。しかし、霊感という性質のあらわれ方や、使われ方はさまざまです。

たとえば「直感」も、霊感の一種です。しかし直感には、霊という存在はあまり関連してきませんよね。しかし、霊的な感性が使われている、特徴的なあらわれだといえます。


|直感とは、内的なセンサーでわかること。

こういう説明をする際には、「この言葉を、こういう意味合いで使います」という前提を揃えておくことは大切です。

言葉というのはいかようにでも解釈されるものだから、どういう意味で、または、どこまでの範囲に、その単語を当てはめているかが揃っていないやりとりは、どちらも間違っていなくても、かみ合わないこともありますからね。

この場合の直感というのは、内的(霊的)な「センサー」によって何かを察知したり、わかったりしていることです。

いゆわる、ひらめきや勘も含まれますが、ひらめきのすべてを含めません。

(なぜなら、ひらめき全般の中には、その人のもつ恐れなどの感情が瞬間的な「反応」をみせているだけ、というケースもあるからです。「あっ!○○かも」とか「○○のほうにしよう!」と、根拠なく思い浮かんだすべてが、霊的センサーでキャッチした直感とは限らないということです)

霊感を大きくわけて、「見える」「聞こえる」「感じる」「わかる」と4種類にあてはまるならば、直感というのは、「わかる」に分類されます。

わかるというのは、「最終的な答えがわかる」とか、「答えにいきつくのが早い」とか、「答えに至るまでの本来ならばめぐるべきプロセスを、とらなくてすむ」というようなことですね。いきなり結論にいける、というようなことが「わかる」です。


|直感力が優れている人のオーラ

直感が優れている人のオーラは、頭の周囲のオーラが、平均的な人と比較した場合、「縦に伸びている」形状をしていることが、よくみられますね。

それはまるで、受信するための「アンテナ」が、高いところに設置されているかのようで、物質としてのアンテナの形状や用途と、近いものがあるのが不思議ですね(^_^)。

 ★ブログランキングに参加しています。1クリックお願いします。

| | コメント (0)

2016年2月28日 (日)

霊視は、どこで見えるか。

の姿が見えるとき、「どこ」で「どのように」見えるかは人により違いますが、いくつかのパターンがあるように思います。

私の知る限りでは、

(1)普通に「目で物が見える」のと同じように見える。霊の姿がその場に「ある」ように見える。

(2)頭の中で、霊の姿が画像化されるように見える(たとえば、過去の何かを思い出す際に脳裏にイメージが描かれる?ようなものとちょっと近いかも)。後頭部で見えたり、頭頂部で見えたり?する。

(3)ある人に関連する霊(守護霊など)が見える場合は、その人のオーラをスクリーンのようにして見える。

(4)まぶたの裏側?に映って見える。

という4パターンが多いのではないかと(^_^)。

(4)は、どういうことかイメージがわきにくいかもしれませんが、まぶたの縁の裏?みたいなところに映ることがあるのです。

以前は「自分だけがそうなのかな?」と思っていましたが、しかしいろんな書籍だとかブログなどで複数の方がおっしゃっていることで、霊感が強いクライアントさまの中にも、似たような見え方をするケースが過去にいくつもありまして、わりと多い見え方らしいと私も学ばせていただきました(^_^)。

 

 ★リーディングのお申込みは、ミディアムリカコのサイトでご確認ください。

 ★ブログランキングに参加しています。1クリックお願いします。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧