カテゴリー「03.オーラ」の138件の記事

2017年5月25日 (木)

オーラの色は、どの部分の色かによって示される要素が変わる。

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オーラとは、身体をとりまくように放たれている、スピリチュアルなエネルギーのことです。

オーラを見たり感じたりすることができる人にとっては、オーラを把握することから逆算して、その人の性質や状態などがわかります。

オーラの様子とは、その人自身を反映しています。

オーラの「どの部分を見るか」によって、把握できることが変わってきます。

頭の近くのオーラには、内面があらわれます。

頭の「上」には、性質や性格などの「本質」的な要素があらわれ、

頭の「周囲」には、そのときの思いなどの「状態」があらわれます。

本質は、安定していて変化が小さく、状態は、その時々で容易に変化します。

頭の近くの「オーラの色」は、以下のとおりです。

頭の「上」にあらわれる色は、「本質」をあらわす色です。たとえば、青色であれば、爽やかさや、冷静さが、本質的に備わっていることを示します。

頭の「周囲」にあらわれる色は、そのときの「状態」をあらわす色です。こちらが青色なら、そのときの状態が冷静であることを示します。または、緊張しているときにも、青色になることがあります。

本質的な性格は、そんなに変化はしません。爽やかで冷静な人は、明日も、明後日もそういう性格ですから、明日も、青い色は示されます。

しかし、緊張しているという状態は、そのときの一時的なものとなります。その時点で緊張しているとしても、明日や明後日は、そうではないかもしれません。こちらの色は、そのときどきで大きく変化します。明日には、青以外の、別の色があらわれているかもしれません。

オーラの色は、「どの部分の色か」によって、あらわれている要素が変わってきます。

同じ「青」でも、その部分、位置によって、意味は違ってくるということです。

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2017年5月 7日 (日)

浮き上がったオーラになってしまうとき。

オーラとは、人の体をとりまくように放たれているスピリチュアルな光のことです。

本来の位置は、体を中心にバランスよくエネルギーが存在しているのですが、ときどき、本来のあるべき位置よりも「上のほうに、浮き上がった状態」になってしまうことがあります。

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浮き上がっているオーラを、別の表現で言うなら、「オーラの重心が、本来の位置よりも上にきてしまっている」状態です

オーラの重心とは、肉体とオーラが繋がっている作用点のことで、そちらが本来よりも上にずれていれば、全体が上にずれてしまうのがイメージできると思います。

そうなる理由は幾つかありますが、代表的なのは、頭で考え過ぎていたり、内的なことや精神的なことばかりに意識が向かいすぎているためです。

よく使う部位ほど、エネルギーが集まりますし、活性化もしていきます。

頭の中であれこれ考えることが多くなれば、頭の近くにオーラが集まります。

また、頭や心の中という内的なことは、頭の周囲のオーラにあらわれます。

考えることは大事であり、内的なことも大事であるけれど、やはりバランスというものがあります。

現実的な行動が伴わず、内的なことへの意識が過剰になってしまうと、エネルギーの集まり具合にそれが反映して、浮き上がった状態を作りだしてしまうのです。

オーラの状態とは、自分の状態の反映です

この2つは、繋がっています

繋がっているところが、「オーラの重心」です。

重心の位置とは、丹田(たんでん)といわれる、お腹のあたりです。

現実的なことや、肉体的なことに関する、意識や行動が十分でなくなると、丹田の力も十分でなくなり、つなぎ止める力が弱くなってしまいます。

過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉があるように、

何事も、バランスが大事ですね。

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2017年5月 3日 (水)

オーラの色の、「むらさき色」。

その人の性質や性格をあらわす「オーラの、むらさき色」は、一般的なイメージの紫色、たとえば「クレヨンのむらさき色」とは、少し違っていて、

どちらかというと、それよりもうちょっとあずき色に近いです。

あずき色、と置き換えてしまうとそれも違うのですが(^_^;)、普通の紫よりも、若干、あずき色寄りというか。そんな感じです。

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この記事を、最初に下書きしたと際の文章は、「オーラの緑色という場合は普通に緑で、赤は赤ですが、紫というのは若干、あずき色です」みたいな書き方をしまして、

私は本人だから、読めばわかるけれども、第三者が読んだら、何のこっちゃ?でまったくわからない内容になっていると気づいて、書き直しました(^_^;)笑。

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2017年4月26日 (水)

オーラは、手でさわることができます。

人のオーラや、植物のオーラは、手でさわることができます。

さわることができる、というのは、手で「何らかの体感覚を得ることができる」という意味です。熱が出ている感覚だったり、空気感の圧のような実体感だったり、ふわっとした空気感だったり、ビリビリするような振動とか静電気のような感覚だったり。

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この感じ方は、「オーラを放っている相手のエネルギー的な特徴」と、「手でさわっている側の、受け取り方の特徴」との兼ね合いで、かわります。それぞれの性質の掛け算なのでバリエーションがいろいろです。

相手のオーラにふれて、「あ、この位置にエネルギーを感じる」場所(空間のどこか)は、だいたい「オーラの層の際(きわ)」であることが多いです。

これも、その人のわかりやすい層という個人差があって、一概には言えないですが、一般的には「3層目の際」が、さわる感覚としてわかりやすいと思います。

内側の1~3層は、肉体と連動しています。外にいくほど、霊的な要素やたましいの要素との関連が大きくなります。

そうした性質の違いがあるので、3層までのオーラは、その外と比べて、「エネルギーの中でも、物理的な実体感があるっぽい?質感」とでも言えばわかりやすいでしょうか、変な表現ですけれども(^_^;)笑、そういう特徴があるので、さわった感覚として、わかりやすいようです。

やってみると、そんなに難しくなくできるものなのですが、しかし、じゃあ具体的に3層目の際というのはどのあたりなのか?、という把握が難しいのですが(^_^;)。人によって差があるので一概にいえませんが、体から数十センチのあたり、ですかね。

植物のオーラにふれてみるときは、観葉植物がわかりやすいです。自然の中だと、エネルギーがいっぱいで、その植物からなのか、周囲の植物のものなのかという、差異をとらえにくいので、最初は、家の中で観葉植物のそれにふれてみるのがいいでしょう。

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2017年4月18日 (火)

前のめりオーラ。

オーラとは、体をとりまいているように放たれている、スピリチュアルなエネルギーのことです。

本来であれば、体の中心を「軸」として、前後左右に光が(だいたい)放たれているものなのですが、ときどき、全体の形状が「前傾」している状態であるとか、または、「エネルギーの放ち方が、前方ばかり比率が高い」かのような、前のめりオーラになっているケースがみられます。

こうなっているときは、気持ちだけ、意識だけが必要以上に「前」に向かっていて、バランスが乱れています。

これから先のことや、未来のことばかり考えているとか、まだ起こっていないことを心配しすぎているとか、こうなりたい・こうしたいという思いに、行動が追いついていないときなどに、

エネルギーの放ち方が、前方にばかり向かって放たれていったり、先にいこうとしている意識に、現実的な物質である体が追いついていかない(当然、思考するスピードと同じに、行動は伴わない)ので、前傾しているようなオーラになってしまうということです。

体とオーラは繋がっていて、エネルギーを送受信することで、体に活力をめぐらせているという役割もあり、あるべき位置からずれてしまっていては、本来のエネルギーのめぐりとならず、不調和があらわれてしまうこともあります。

内面的に言えば、エネルギーが前に前にといくことで、行動をそれに伴わせないといけないような気持ちが殊更におおきくなり、過剰な焦燥感となったり、備えることにばかり意識が向かったりします。

現実的な体へのあらわれとしては、エネルギーが前傾しているときは、エネルギーの「重さ」によって、実際の姿勢も頭が前方に傾きやすくなって、「首のコリ」などにあらわれることもあるようです。

こうした様子は、そのときの「一時的な状態」ですので、バランスが整っていけば、本来のあるべき状態にもどります(^_^)。

最近のセッションで、こうした状態になっている方が何人かみられました。

焦りも、やる気になったり、備えが役立つ事も勿論あって、それ自体が悪いということではないのです。しかし、必要で素晴らしいことも、やり過ぎてはバランスが乱れるますから、あるべき状態に保っていくこと、「ほどよく」が大事です。

自分のオーラの様子が具体的にどうなっているかは、わからなくても、しかし、自分の今の状態が、焦っているとか、前に前にと思いすぎているかも、というのは、だいたいわかるものではないでしょうか。

「焦っているときは、オーラも前のめり状態」というイメージを頭の中に描くと、イメージをともなった理解というのはわかりやすいので、気持ちが落ち着いたり、整理されていくことが多いようです(^_^)。

 

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2017年4月17日 (月)

オーラの質感が細やかな人が、意識するとよいこと。

オーラの質感が、とても細かい網目をしている方は、性格や性質もとても繊細です。オーラの様子は、その人自身のあらわれだからです。

細やかなオーラの人というのは、ものごと全般に対して、細かい気配りができる人であり、しかしときには、神経質で気にしすぎな人、となってしまうこともあります。

繊細であること、オーラにそれがあらわれていることは、「元から備わっている個性のひとつ」です。これ自体に、良いとか悪いとかはありません。

備わっているものを、「どうあらわしていき、どういかすか」によって、とても良い結果になる場合もあれば、逆になる場合もある(^_^;)、ということです。

配慮をしっかりできる性質を、周囲の人のために使っていけば、とても感謝されたり評価されたりするでしょう。または、相手には気づかれなくても、相手のために「役に立つ」という事実は作られていきます。

自分のために使っていけば、自分が自分を指導していくかのように、自分の成長のために、その性質を役立たせることもできます。

しかし、そうした素晴らしい性質も、逆に作用してしまえば、他人を気にしすぎて自分らしさがだせなかったり、自分の姿勢や言動などの在り方を複雑に考え過ぎて、やはり自分のいいところを出しにくくなったりすることもあります。

自分をしって、うまくいかすための「意識」をすると同時に、「気にしすぎない」というバランスを計ることも大事ですね。

スピリチュアリズムに関心を持つ方は、細かい網目をしている繊細なオーラをしていることが多く、このブログをご覧になっている方の、ほとんどの方に、この記事の件はあてはまると思われますので、

最近の、自分の姿勢や言動を、振り返ってみてください。

そして、自分の性質を、よい形で使っていくようにしましょう(^_^)。

 

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2017年4月 3日 (月)

オーラの内側の層は、コツをつかめば見えるものです。

身体の周囲をとりまくオーラは、7層あるとされています(いろんな分類の仕方があって、3層に見えるという見解もあります)。

オーラの内側の層は、身体という物質的な性質と近い振動のエネルギーですから、とてもとらえやすく、外側にいくほどより霊的になっていくので、微細でとらえにくいエネルギーとなります。

身体に近いほうのオーラであれば、その幾らかを視界にとらえることは、コツをつかめばほぼ誰にでも可能となります。

私はかつて、サロンを開いていたときに、相当数の方に教えましたが、できない方はわずか1人だけでした。その方は「見えない」というよりは、「コツがつかみきれなくて、できなかった」だけだと思っています。

そのくらい、見やすい一部分を視界にとらえること自体は、難しくはないことなのです。

こちらの記事にも、オーラの見方の件を少しかいています。

人のオーラという、個人差、個体差の大きいものよりも、鳥とか木とかのオーラのほうが、一般的には、見るためのコツはつかみやすいかもしれません。中には、個人差があるほうが、比較したときの差があることが、わかりやすいという人もいて、「見えるコツのつかみ方にも、個人差がある」ということですかね(^_^;)。

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2017年3月21日 (火)

オーラが「くすんでいる」のは、どんな条件のときに起こるか。

先日、あるセッションで、以下のことが話題になりました。

◎オーラは明るいほうがよく、くすんでいるのはその逆である、というのはわかります。改善するほうがいいこともわかります。しかし、何がくすみに繋がるのかがよくわかりません。具体的にはどのような場合に、くすんでしまうのでしょう?

この件について、シェアさせていただきます。

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オーラがあらわすことは多岐にわたります。

厳密にいえばどこまでも細分化されますが、わかりやすく、とても大きな区分で2つにわけるとしたら、「変化しにくい、本質的なこと」と、「その時々で変化していく、状態のあらわれ」です。

本質というのは、そんなに大きくは変化しません。

状態は、そのときどきで変化します。

ということは、オーラが明るくなったり⇔くすんだり、という変化は「状態」のあらわれであることがわかるかと思います(^_^)。

本質的なことというのは、備わっている性質や才能などです。

状態とは、そのとき一時的なものが反映される、思考や感情や体調などですね。調子の「上がり下がりがあること」が該当します。

今は怒っているけれども1時間後には怒っていない、今は緊張していても、5分後には解消されている、寝不足で頭がぼーっとするが、明日になればそれもなおるだろう、というようなことが「状態」です。

こうした「状態」に関連することが、自分の中でうまく連携していなかったり、負担になるほど大きかったり、バランスがとられていないなどの、何らかの不調和があるときに、それがくすみとなってあらわれます。

ある要素が活性化しているときには明るさとなりますし、逆に、滞ってしまうとくすみになります。しかし、あまりに活性化が過剰になってしまっても、自分にとって負荷が大きくなって、それもくすみになることもあります。

どんなよいことでも、過ぎたるは及ばざるが如しで、器をはみ出してしまえば、バランスがとられなくなるからです。

ある要素が、「うまくつかわれずに、停滞しているとき」や、または「過剰になりすぎているとき」にくすみがでやすいです

不安で行動ができない(停滞)ときは、動きが少なすぎて停滞になってくすむ、ということもありますし、または、行動をたくさんしないと落ち着かないとばかりに、行動しすぎてしまうと(過剰)、その疲弊が体調としてのくすみになる、ということもあります。

一例として。

「これから、自分はこんな活動をしたい!」と、とても意欲的になっているとき、やる気というエネルギーに満たされていて、思いが活性化していますから、オーラは明るくなります。

しかし、その事柄が、あまりに自分の才能とかけ離れているとしたら、達成のための行動をしてもしても、なかなか結果にあらわれなくなりますよね。

そうすると、どこまでやってもおわりがないので、行動を「しても、しても」が過剰になって疲弊すればくすみます。結果がでないことに、どうしてだろうと悩んでしまうと、やる気が停滞してしまいますから、くすみがでてしまうこともあります。

これは、わかりやすさのため、実際よりも極端に書いていますので、その点は割り引いてとらえてくださいね。

基本的には、やる気になることも、行動することも、オーラが明るくなります(^_^)。

自分という存在を、今回の人生のさまざまな条件の中で、いかにしていかしていくかが、たましいの学びでもあるので、そちらに沿った姿勢はどれも、「順行」ですので、明るくなります。

しかし、そうした姿勢をとっていく中で、ときどき、一部分が「過剰」となったり、停滞したりしてしまうこともありますよね。

人生の「さまざまな条件」には、他人との関連も含まれますし、そうなると自分のペースでは進みませんし(^_^;)。

ですから、この世という場所で、自分以外とも関わりをもつ以上は、明るくなったり、くすんだりという、変化がつくのは当然のことです。

くすみは、そのときの「一時的な状態をあらわしている」にすぎません。

自分次第で、いくらでも、意図的にも変えられますし(^_^)、

また、時間の経過によって(つまり自分以外のいろんな条件が動いていくことによって)、受動的に変わることもあります。


【まとめ】

 ☑オーラのくすみは、状態のあらわれ

 ☑状態は常に変化するので、明るさ⇔くすみも変化する

 ☑停滞するエネルギーはくすむ(本来、エネルギーは動きがあるものなので)

 ☑過剰になっても、負荷が掛かるという意味でくすむことも

 ☑くすみは、一時的な「状態」なので、変化していくし、変化させることもできる

 

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2017年2月23日 (木)

他人から、いろいろ「言われやすい」人の、オーラ、エネルギー的考察。

趣味の仲間内、ママ友関係内、会社の同僚など、同じ立場の人が複数いるのに、なぜか、その人だけが、「他の人から、あれこれ言われやすい」、「口を出されやすい」という状況になることがあります。

言われている本人も、そういう状況になっていることを自覚していて、不可解な思いでいることが多いようです。そうしたご相談をときどきいただきます。

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同じ立場の人がたくさんいる中で、なぜ自分だけが??と、原因を考えてみても、思い当たることがない。

自分はその集団の中では、他人と距離をとっているほうなので、無意識に「やらかしてしまう」とか「余計なことを言ってしまう」可能性は低い。

それなのに、悪口や批判とまではいかないけれど、何かと口を出されたり、あなたってこうだよねーと決めつけをされたりする。

言われる事実がないことを言われる、他の人も同様なのに自分だけ言われる、わざわざ言葉にださなくてもいいようなことも言われる、・・・と、悪口ではないのだけれども、なぜか「言われる役割になってしまう」人がいるものなのです(^_^;)。

オーラ、エネルギーの観点から、このような役割になりやすい方には、2つの特徴がみられます。


(1)周囲を映し出すような性質のオーラである。

透明感があって、相手のことを、自分の中に鏡のように映し出してあらわしてしまう性質をもつ人がいます。その件については、過去記事で書きました。

(過去記事:他人を、鏡のように「映し出してしまう」人がいます

こういう性質の人に、相手がその人自身を投影してくるため、「実際と違うことを、言われてしまう」場合があります。または、映し出す性質ゆえの影響されやすさで、自分が影響されて、周囲の人と同じようなことを「あらわしてしまっている」ために、言われるということもあります。影響されている自覚はないので、「言われている内容が、自分と違う!」と思うのだけれども、実際のところ、そう「なってしまっている」というケースも意外と多いです(^_^;)。


(2)エネルギーを「受ける」「受信する」タイプである。

これまで何度も書いたように、エネルギーの動きとして、自分が外へ放つ作用が大きくあらわれる性質をもつ人と、逆に、自分が外から受ける作用が大きくあらわれる性質をもつ人がいます。

このとき、受ける性質が強い人は、「言われやすい」という特徴がみられます。なぜなら、受ける作用とは、外からひっぱる作用なので、相手の中にあるものを、外に引き出してしまうことがあるからです。

自分と相手の間につくられるエネルギーの動きが、「自分 ← 相手」となる(自分が外から受ける)という「向き」になるため、相手が発言しやすく、自分が言われやすいという構図になります。

相手が、エネルギーを外にむけて出すための、きっかけを与えるというか、初動の勢いを与える存在に、自分がなってしまうのです。


|気づく機会が、多くなるというメリットも。

両方の条件が揃っていると、とってもいろいろ言われやすいのですが、しかし悪いことばかりではないです。

自分の側からみれば「言われやすい」けれど、相手にとって「言いやすい人」という親しみを感じさせやすいこともあるでしょうし、相手が自分に向けて発言するという機会が多いことは、それだけ、気づかされる機会も多いと思うのです。

的外れのことも多いとしても、当たっていることもあるでしょうし、どちらでもなくても、注目されて意見が集まってくるという機会は、ありがたいことだというとらえ方もできます。

得られているほうのメリットを考えてみれば、言われてしまう不愉快さが、自分の中で小さいものになっていきます。

こうした作用を、知識としてわかっておくと、言われやすい状況は変えられないとしても、なぜ?と悩まなくて済みますから、知っているだけでかなり気持ち的に違いがあります。わかっておくと、心の余裕がでてきます(^_^)。

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2017年2月20日 (月)

オーラの色を、「体感覚」で、「感じ分ける」こともできる。

私たちは日頃、人との関わりの中で、オーラ同士で交流をしていて、いろんな情報を放ったり受けとったりしています。

人が放つオーラにはさまざまな情報が含まれていて、他人について、「なんとなくそう思った」とか、「○○だろうと感じた」という形で、それらを解釈しているケースは多いのです。

そのことを、オーラ、エネルギーの作用であるとは意識することはなくても、実際は、いろんなことを、オーラ同士の交流から把握をしています。

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オーラが視覚で見えていなくても、こうした、「自分のオーラを通して、キャッチする」形での把握もできるし、しているものであることは、スピリチュアルに関心をお持ちの方には、理解は難しくはないでしょうし、既にご存じの知識であるかもしれません。

それでも、「オーラの色」についての判別は、視覚を通して把握しないとできないもの、という認識をしている方が多いのではないでしょうか(^_^)。

実は、オーラの色についても、視覚で見わけるのではなく、「体感覚で感じ分ける」という方法もあります。実際、そういう形で霊能を発揮している方を、私は知っています。

相手のコンディションや感情などの様子や状態を、共鳴するかのように体感するというならともかく、「どうやって、色を、体感覚で把握するのか??」と、不思議に思われるかもしれませんね(^_^;)。

体感覚で、オーラの色を把握する人は、「その色を、体感しているとき特有の感覚」というのがあって、

くどい表現で文章化?するとしたら(^_^;)、「青いオーラを感じるときは、青色を見ているときのような感覚が、呼び起こされる」ようです。

そういう方法が、「その人の得意な方法」だからこそ可能となります。

私は、体感覚での把握は得意でないので、こうした感じてわけることはできませんが、「波長をとらえる」のは得意で、「固有の要素が放つ波長から、把握すること」に、置きかえをすれば、なんとなくですが言わんとしていることがわかります。

体感覚が優れている人なら、「○○を体感しているときのような、特有の感覚で、感じわける」という文章の伝えていることが、おそらくは、私よりももっと身近な感覚として、理解できるのでは、と思います(^_^)。

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