カテゴリー「07.前世・守護霊」の12件の記事

2017年7月22日 (土)

今世の要素を、自分が決めてきているという範囲について。

自分が選んで、この人生(今世)を決めているのだと、スピリチュアルな解釈においてよく使われる表現です。

自分が、この国や時代や、家族構成、性別や、身体的な特徴などのいろんなことを、決めたり選んだりしてこの世にやってきています。

ですが、その選び方というのは、何でも自由に、白い紙に好きなように描いていけるということではないです。決められる枠組みは、ある程度、存在します。

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何も制限のないところから、今回は女性で、金髪の容姿で、ヨーロッパで、こんな経歴の生勉強や生活をして、物やお金はたくさん得て・・・というふうに、何から何まで、「好きなように、決められるわけではない」のです。

そうして決める際の範囲や条件は、ある程度存在していて、それまで積み重ねてきた「前世での経験」なども、関連してきます。

たとえば、前世でAという行いをしたので、今回はAの続きをするとか、Aを活かすような生き方にするとか、または、Aは経験済みなので今回はBを経験するとか、そうした関連性で決める(というか、決まるとも言える)部分は大きいようです。

これまでに、カルマというものについて何度も書いてきました。

http://spiritual-teaching.com/archives/57

カルマというのは、「行い」の総称です。積み重ねてきたすべてが、広い意味でいえば、カルマに該当します。

いくつもの転生(前世)で培ってきた行いをベースにして、今回の人生の構成要素を決めるというしくみは、いわば、「それまでのカルマがベースになっている」と言い換えられます。

カルマという言葉のイメージが誤解されがちですけれども、行いの全部の総称、ととらえていけば、この意味が理解できるかと思います。

人は、たましいの存在で、何度も生まれ変わってあらゆる経験を重ねていて、それらのすべてがカルマとして、たましいのデータベースに蓄積されていき、その蓄積をもとにして、今回の人生のいろいろな要素を、選んで、決めてきています。

ですから、自由に好きなように、「よーし、次の人生は王様だ!」というふうに、決められるとは限らないのです(^_^;)。自分のカルマという蓄積の中に、それに繋がるものがあるか、ということですね。

カルマというのは、悪い意味のほうではなくて、行いの全部という意味のほうです。それらがあらゆる形で複雑に関連していて、この人生の宿命(決まっている、変えられない要素)にも、関連している、ということなのです。


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2015年7月 8日 (水)

指導霊に、自然霊が含まれていることもある。

どたなにも、指導霊という、「その人の才能や仕事・趣味などを司る役割の霊」がいて、この世の学びを導いていらっしゃいます。

その多くは、過去に「この世を生きた経験をもつ人の霊」です。たとえば武士だったり、学者だったり、修行層だったり、いろんな職業があり、いろんな国の方達が、皆さんの学びを見守り導いているのです。

しかしごくまれに、その中に自然霊と呼ばれる「肉体をもったことのない霊(人として生きたことのある霊とは、ちょっと違う)」が含まれている方がいます。分かりやすい例えでいえば、龍などですね。

広い意味での守護霊としてとらえるならば、誰にも、たましいの繋がりとして何かしらの自然霊との縁は持っていますが、通常はそうした存在はずっと奥のほうに控えていて、表だって関与をしてくることは(役割が違うので)なく、そちらは指導霊が担っていきます。

しかし、中には「自然霊との繋がりが密」な方がいて、「指導霊としての構成に自然霊が含まれている」方もいらっしゃるのです。

とても豊かな感性を持っているけれど、・・・同時にちょっと変わっている雰囲気も感じさせたりしますね。

・雰囲気に、「生活感」があまり感じられない。

・見た目が年齢不詳(若いのかそうでないのか、よくわからないものを感じさせる)

・どこか浮き世離れしている。

といった印象を与えやすい場合があります。もちろんすべてのケースがそうではありませんが。

自然霊が、人としての感覚や感情とは別の次元の意識体なので、そちらからの関与が大きいと、この世の日常的なことや時間的な感覚と、しっくりいかない部分が出てきてしまうのだと思います。

それは決して、悪いという意味じゃなく、かといって良いというばかりでもなく、どちらにしても「その人の生き方や在り方にあっている」存在が導いているということであり、それ以上でもそれ以下でもないです。

そういうケースもあるんだ、という知識として理解しておいていただければと思い、書いてみました(^^)。

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2012年8月31日 (金)

守護霊の人数は、多いほうがいいのか?

誰にも、その人と親和性の深い、たましいの繋がりである、守護霊という存在がいて、その人の生き方を、見守って、導いています。

霊は品物ではないので、ひとつ、ふたつ、ひとり、ふたり、と、本来は数を数えられるようなものではないのですが(コップの中の水が、何滴入っているか、と、数えられないように)・・・、個別の霊の姿として表れている状態を、人の数のようにカウントするならば、多い人もいますし、少ない人もいますし、バリエーションがいろいろです。

守護霊は、その人の導きにふさわしい存在が、前面に出くる仕組みですので、必ず、その人と霊との間には、共通性や学びの意味があって、「自分と合わない守護霊がついている」だとか「人数が少ないから、導きが弱い、守りが弱い」などという解釈は、あり得ません。

人数にしても、多い人には、多い理由があり、少ない人には少ない理由があります。

それぞれ理由があってそうなっているのであり、一律に、多いほどいい、少ないとダメ、というような、「品物のような」区分けは付けられません。

全員に当てはまるわけではありませんが・・・、一般には、その人が、多趣味だったり、活動の範囲が広かったり、いろんなことに意識と労力をつかっているようなタイプの人は、守護霊も、それらと比例するかのように、たくさんの霊がいらっしゃる場合が多いようです。

逆に、この道ひとすじ、のような、力を注ぐ範囲が狭い人は、守護霊の人数も、前面に出て来る人は多くはなく(もっと深いところまで遡れば、無限の叡智が必ずありますが)、霊の個性も、狭い範囲での共通性が見られたりすることが多いようです。

たとえば、多趣味な人のクローゼットは、シンプルな洋服もあれば、派手な服もあれば、運動用ウェアもあれば、ダンス用の衣装もあれば・・・と、バリエーションがありますよね。

この道ひとすじ、のような人は、たとえば、茶道の講師で、日頃から日本の古い生活様式を大事にしている人ならば、クローゼットの中は、着物が多くなるでしょう。そして、着物は高価ですから、洋服のように何十枚も所持とはいかず、数は少なくなると思います。

その二つを比較して、どちらが素晴らしいか、と、決めることは出来ませんよね。それぞれの、ライフスタイルや、考え方や捉え方の、個人差がある、というだけですから。

それと同じで、守護霊の数も、多いほうがいいとか、少ないとダメ、とか、たくさん居るから得だ、などのように、物質的価値観で、判断することは出来ません。

守護霊の中には、その人の仕事や趣味などの才能をつかさどる役割の指導霊という存在がいますので、多趣味で活動範囲が広いタイプの人は、それぞれを導くために、職業や才能にマッチした複数の指導霊がついている場合もあるので、人数は多くなることがほとんどでしょう。

また、その時期、精力的に活動していて、何かを成し遂げようとしている最中で、しかも、何か手応えのありそうな、追い風がふいていそうな、いわゆる「波に乗っている」状態のときには、守護霊もたくさんの霊が前面に出てきて関わっていて、その人を、実際に後押ししていることが多いようです。

ちょっと話は変わりますが、先日、ごメールでの指導霊のリーディングをうけていただいた方から、面白いお話をお聞きしました。

「チベットやタイなどの、日本以外の国の僧侶だと思われる男性が、鳥をつれて出てきている」様子があって、鳥をつれている姿であることを含めておつたえしたのですが、

その方は、「今年のはじめから、家で簡単な体操をしようと思い、チベット体操をしている。そして、鳥のインテリアが気になって、鳥柄のカーテンと、鳥のガラスの置物を飾っているので、読んでいて、その繋がりに思わず吹いた」と。

共通要素のある霊が、導いている、ってことなんですよね。

そういう霊が後にいるから、影響をうけて、チベット体操をやりたくなったり、鳥の置物を飾りたくなってしまう・・・という場合もあれば、逆に、その人が、鳥の置物を飾っているのを守護霊は知っているから、「いつも見ています」と伝えようとして、その人にだけ分かるように、鳥をつれて出てくる、という解釈も考えられます。

多分、どちらも当てはまる、両方の意味を含んでいると思います。

話を戻しますが、守護霊と私たち人間は、親和性のある霊の繋がりがありますので、何らかの意味があるからこそ、その霊との関係が在り、人数が多ければ多いなりの、少ない場合にもそうなる意味が必ずあります。

物質的価値観による、数が多ければ多いほどよい、というような、基準だけでは計ることはできないのが、霊的価値観でとらえていく、霊や霊性の領域です。

それぞれの繋がりの意味があって、そして、守護霊はいつでも、私たちを見守ってくれていていますので、私たち人間は、安心して、日々を大切に充実させて生きていくことが大事です。

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2012年7月 6日 (金)

守護霊と、自分との間の「隙」をつくらないように。

前回、守護霊は、人間が意図的に、くっつけたり、増やしたりすることはできない、という内容の記事を書きました。

守護霊とは、たましいの親和性を持った存在の中で、進化・向上した霊がその役割を担うのであり、そうすることに意味があるからこその繋がりであって、よそから、ご縁の薄い霊をつれてきて、付け足すようなことは、あり得ません。

しかし、ときに、「自分」と「本来の守護霊」の間に、違う霊が入り込んでしまい、一種、ガイド的な役割を「果たしてしまう」ケースがある、とも、前回の記事の中で書きました。

その件について、今回は書いていきたいと思います。

本来、私たち人間と、その導き役である守護霊は、密接な繋がりを持っていて、二人羽織のように、協力しあって、今回の人生という学びを行っています。

その繋がりが、しっかりとしているときには、上記のような、違う霊がはいりこんで混乱が起きるようなことはありません。

けれど、いつも一定のコンディションでいられる人は誰もいなくて、思い通りにならなくてイライラしたり、起こったり、他人を恨んだり妬んだりして、自分の波長を下げてしまうことは、ありますよね。

ずっと高いままの状態でいるのは難しく、上がったり下がったりを繰り返しているのが人間だからです。

そうして、自分の波長が下がって、その下がりの度合いが大きくなり、守護霊の高い波長と遠くなってしまい、隙ができたときに、別の霊が、その「間」に入り込んで、ガイド的な役割を、(本来の守護霊に変わって)行ってしまうようなケースも、ありうるのです。

ひとつ例をあげてみます。

以前に、江原さんと美輪さんが、「オーラの泉」という番組をなさっていたときに、ある男性のゲストさんに、上記の似たケースがありました。その中では、上記のようなしくみの詳細までは、はっきりとはおっしゃっていなかったので、たぶん、それは、同じようなことであろう、という、私なりの解釈となります。

その方は、前世で、いろんな戦いの人生を歩んでいた、というお話の後に、ナイフだか、刀だか、忘れましたが、「古い時代の武器をコレクションする趣味がありますね」、と、江原さんがおっしゃって、それで、その人が、そういうものに強い関心をもっていて、歴史や戦などにも造形が深い方であるのも手伝って、その想念やコレクションに引き寄せられて、ちょっとあまり程度の高くない霊が、集まってしまっている、と。それは、一種の憑依でもあるのだけれども、しかし一方では、あなたを助けるような働きをしてもいる、と。

そのあとも、あーだ、こーだと、話はあって、できれば、そのコレクションは、手放したほうがいい、と、お勧めになっていたと思います。

思いがつまった品物は、エネルギーが残りやすかったり、媒介する役割を果たしてしまったりすることもあるので、武器のようなコレクションをたくさんしているのは、良くないエネルギーを引き寄せてしまうこともあるから、という意味だと思います。

番組の中で、上記のようなことを、詳細にお話なさっていたわけではありませんので、私なりの解釈を加えて書いていますので、その点はお間違いのないようにお願いします。ガイド的な役割を果たしているとか、守護霊との間に入っているとか、そういう説明は、番組内ではなされてはいなかったと思います。

このようなケースは、ただ、憑依するのと違って、「ある種、助けにもなっている」のが、ポイントです;。

その霊の望み通りの行動をする分には、助けてもくれるのです。でも、本来の守護霊が望んでいるような、本人の成長を願ってのサポートとは別の意味で、ですが。

望み通りにするなら助ける、望み通りにしないなら助けない、というのは、とてもあからさまな感情的行動であり、高い波長の霊の意思ではありません。

そういう霊は、やけに饒舌であり、あれもこれもと、人間のやることに干渉をしてきます。ああしろ、こうしろ、そうすればご褒美をやるとばかりに、自分の思い通りにしようとします。

そういう霊に憑依されると、本人も、その霊にだんだんと感化されていき、崇高さのない感情に支配され、損得勘定で物事を考えることが多くなっていったりします。

普通に、未浄化霊に憑依されるのと、何が違うかというと、未浄化霊のほとんどは、自分が霊である感覚をもっていなくて、とりついている感覚もなく、人間が、感化されて調子を崩していたとしても、意図的にそうしようとしていない、操ろうとしているわけではない、という点です。

操ろうとしていない未浄化霊の憑依よりも、操ろう、利用しようという意思を持っている霊とでは、後者のほうがずっとやっかいだと、分かると思います。

前者の憑依なら、人間側からみて、何もメリットがないから、その状態から抜けたいと思うのですが、後者の場合は、ある種、メリットも与えてくれるわけで、だからこそ、本人が気づくのも、そこから抜けるのも、難しさもあるわけですね・・・。

いろんなことに興味関心を持つのは、その人の個人的な自由であるとはいえ、あまりに極端な関心を、特定のものに向けていき、バランスが取れなくなると、そのバランスの隙をついて、操ろうという意図をもった霊が入り込んでくることもあります。

でも、もしもそうなったとして、入り込んでくる霊だけが悪いのではありません。もとは、バランスを欠いた自分にも原因はあるわけです。

そういうケースもありますので、霊的世界に、過剰な関心をよせることや、安易な興味でおかしな行動をとるのは、大きな危険を伴うこともあるのです。

ちなみに、上記のゲストさんは、江原さんに、ものすごい霊媒体質だと言われていました。とてもスピリチュアルな人だ、と。だからこそ、そういう人は、もともとが、霊と馴染みやすい体質、回路が備わっていますので、ほんのちょっとしたことがきっかけとなり、霊を集めてしまうようなことにも、なりやすいのです。

自分を助けてくれたら、自分に有利な計らいをしてくれたら、それは高位の霊であり、守護霊である、という解釈は、ときに正しくないこともあります。そういう、魔法のような便利なことばかり望んでいると、その気持ちの隙をついてくる霊も、いることを覚えておくほうがいいと思います。

高位の霊が、本当にその人の成長を助けようと思ったら、過剰な干渉はしてきませんし、自主性を尊重したサポートをしてくれると思います。そういう、さりげない見守りが、愛ではないでしょうか。

大事なのは自力で・・・、そのつもりでしっかりと日々を生きていれば、自分と守護霊の波長に隙はできず、惑わされることもありません。

姿は見えなくても、声は聞こえなくても、いつでも寄り添い、一緒に歩んでいる、切っても切れない深い繋がりをもっているのが、私たち人間と、守護霊との、たましいの繋がり、なのですね。

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2012年6月17日 (日)

この不思議な出来事は、守護霊の働きかけかも?

私たちには、それぞれ、成長を見守り導いてくださる役割の、守護霊と呼ばれる存在がいます。

その方達は、基本、私たち人間の自主性を尊重して、成長を望んでいらっしゃいますので、何でもかんでも、私たちの願望を叶えたり、満たしたりするような手助けはしませんし、私たちに向けて、自分(守護霊)の存在を、ことさらにアピールするようなことも、通常はしないものです。

アピールをするとしたら、それは、「そうする必要性が高いとき」です。それはつまり、守護霊が働きかけをしていることを、自覚してもらうほうが、その人のこれからの成長に有意義になるケースです。

たとえば、危機を回避したときに、たまたま助かった、と思うよりも、これは不思議な巡り合わせで助かったとしか思えない、という認識のほうが、その人が、今後、さまざまなものに感謝して過ごしていけるようになることがあります。そういう場合には、意図的に、守護霊が、何らかの不思議な力が作用した、としか思えない、という状況を作り出すことで、存在をアピールしてくることもあります。

先日、ご相談者さまから、このようなお話をお聞きしました。

過去に、あるメール企画のオマケ?として、過去にペルーに生きていた、という霊からのメッセージを、全員共通のものとして差し上げたことがあります。

この方は、その内容がとても気に入って下さって、「とても役に立ったので、ペルーさんにも、リカコさんのほうから、お礼を伝えてください」というメールをいただだきました。

それに対して私は、「あなたがご自分で、心の中でお礼をいえば、それはきっと伝わると思いますので、ご自分で、お伝えになってみてください」と、そのようなお返事を出したと思います。

実際に、あちらの世界は物理的な距離は関係がないので、心のエネルギーの伝達で伝わっていくものだからです。

それで、その当日に、寝ながら、心の中で、思いを伝える、という行動をとってみたそうです。

そしたら、そのお礼を言い終わった1~2分後に、寝室に、ビョイ~~ン と、ギターの音が鳴り響いたのだそうです\(◎o◎)/。

ベッドのそばには、ご主人のギターが、弦にピックをさしたままで、飾ってあったそうです。

ご主人も、その音で目を覚まし、電気を付けて確認したら、ピックが下に落ちていた、と。

「でも、ピックが下に落ちるという動作で、あんなに綺麗に音が鳴り響くものだろうか?」と、二人で、何度も、ピックを弦に挟んだままの状態から落としてみても、結果は、先ほど耳にしたような音とはほど遠いものだったそうです。

そのときは、意識していなかったのだけれども、後で考えてみると、それは、ペルーの方が、「ちゃんと、届いたよ~」と、合図をしてくれたのではないかと思った、と。

ペルーにも、ギターのような弦楽器で有名なものがあるらしいので、そのアピールをしてくれたのではないかと思った、と、ご連絡をくださいました(^^)。

きっと、ペルーの霊か、または、その方の守護霊かのどちらかが、「あなたの真摯な思いは伝わったよ」、という合図を、してくださったのだと、私もそう思います。

守護霊の方達は、必要のあるときには、そうとわかるようなアピールをしてくださることもあります。しかし、通常は、私たち人間の自主性を尊重してくださっていますので、過剰な働きかけをしてこないことが普通ですし、それが逆に、愛の深さを現しています。

上記のような出来事は、いつでもは起こりません。守護霊やスピリチュアルに依存せず、自立心をもった上で、自分のやるべきことをきちんとやっている、そういうときに、もたらされる、後押しの合図だと思います。

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2011年10月21日 (金)

守護霊の個性は、私たちにどこまで影響するか?

私たち人間には、たましいの縁が深い、見守り役・導き役の霊がいて、その総称として、守護霊、という表現が使われています。

守護、という言葉のイメージから、災難を除いてくれるヒーローのような役割のように思われてしまうかもしれませんが、実際には、私たち人間の自由意思が尊重され、さまざまな出来事から経験を積んで学びを得ていくことをサポートし、導いていく役割を担っています。

守護霊になるのは、私たちそれぞれのたましいと、親和性のある霊なので、私たちと、どこか共通点があり、似ている要素を持っている、といえます。

もともと、縁のあるたましいなので、私たちのほうが、守護霊に似ている部分を(当初から)持っている、とも言えますし、見守り、導かれている経験を重ねていくうちに、だんだんと似ている部分が出てくる、とも言えるでしょう。

そのような、深い繋がりを持っている霊であり、どこか、似ている要素を持っている、とはいえ、守護霊になるような霊は、進化・向上した霊なので、私たち人間が持つような、個人的な感情等は、超越している存在です。

なので、守護霊が、まるで人間のように、感情に左右されて我を忘れたり、怒りでいっぱいになったり、意地になったり、ひねくれたりすることはありません。仮に、そういう態度を見せる霊がいるとしたら、それは守護霊ではなく、未浄化な霊でしょう。

進化・向上していて、感情的にならない、といっても、それは、決して、没個性になるという意味ではありません。

それぞれの、霊として、たましいとしての個性というか、性質の特徴のようなものは、そなえていらっしゃいますし、私たち人間は、それらの性質の特徴に感化されながら(導かれながら)生きている、といえます。

真面目でクールなタイプの守護霊がついている人は、本人も、同じように、真面目でさわやかな性質を持っていることが多いのです。真面目さと、クールさ、という要素の共通点があるからこそ、守護霊としての縁が存在している、ともいえますし、逆に、そういう守護霊に導かれているからこそ、(感化されて)真面目な性格が表面化していく、とも言えるのです。

ただ、ここで注意しておく必要があるのは、私たちの性格や個性のすべてが、守護霊の影響によって表面化しているわけではない、という点です。同じ個性の「表れ方」により、高く表れるか、低く表れるかの違いはあり、それは、私たち人間の成熟度や、そのときの状態により、移り変わっていきます。

基本的に、性質そのものに、良い悪い、どちらが正しいというような、区分けはありません。たとえば、「やさしい」性質に、良いも悪いもないですよね。ただ、その、やさしさの表れ方として、状況に応じた判断を下すことはできます。

やさしすぎてハッキリしないと、優柔不断だ、という評価になることもあるかもしれませんし、また別の場面では、愛の表れとしてのやさしさが、発揮されていくこともあるかもしれません。

そのように、性質そのものに、上下があるわけではなく、その性質の表れ方、ふさわしい発揮の仕方という意味で、相手のためだったり、自分を守るためだったり、恐れの気持ちだったり、という、いろいろな条件や感情が複雑に絡み合い・・・、自分本位になってしまうのが、私たち人間、だと思います。

同じ性質を持っていても、それを、どのレベルで発揮していくのか、自分の性格として表れていくのか、というのは、私たち人間の在り方しだいであって、守護霊からの影響で決まるわけではありません。

守護霊に、「僧兵」がいらっしゃるケースを例として、考えてみます。

僧兵とは、文字通り、僧が武装しているのですが・・・、社会に混乱がある時代に、寺社が自衛のために武力を保持したわけですね。

このような守護霊がついている人は、本人も、とても強い性格だったり、正義感を備えていたり、独自の思想や主張を持っているケースが多いです。それは、守護霊からの影響を受けているため、でもありますし、そのような共通点があるからこそ、守護の縁が作られている、とも言えますし、両方です。

このような人は、ときに、言葉や態度が強気になりすぎたり、自分の考えが絶対的に正しい、と思い込んだりして、人間関係がうまくいかなくなることがあります。守護霊が、思想と武力の両方を備えているので、その感性に影響を受ける自分も、正義感ゆえに強情になってしまうことがあるのです。

けれど、それらのトラブルは、すべてが守護霊の影響のせい、というわけではありません。それは、大部分が自分のせいで、引き起こされています。

なぜなら、先にも書いたとおり、性質そのものに、良いも悪いもないからです。正義感は、決して悪いものではありません。発揮の仕方によっては、むしろ、とても素晴らしいものです。

それを、過剰に発揮して不調和を生み出しているのは、「自分の発揮の仕方」に問題があるのであり、その性質が悪いわけではありませんし、発揮の度合いのすべてを、守護霊がコントロールしているわけでもありません。

備わっているもの、守護霊からの影響を受けていく性質も含めて、その発揮のされ方や、度合いは、私たち人間の成熟度と比例します。

私たち人間が、より成長していければ、備わっているものを、より高いレベルで発揮することができるわけです。

備わっている個性は、重なり合っている部分もありますが、それらを望ましい形で発揮していけるか否かは、私たち人間の在り方が決めているのです。

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2011年10月18日 (火)

先祖霊が、指導霊=ガイドスピリットになることは、あるか?

まず、本題に入る前に、「先祖霊」と「指導霊」についての定義を簡単に書かせていただきます。

先祖霊とは、文字通り、私たち人間の先祖、血縁の霊のことです。お祖父さんとか、ひいお祖父さん・・・、という、○○家の、身内の霊のことです。

指導霊とは、仕事や趣味など、才能や資質を発揮することを、指導する役割のスピリットです。(スピリチュアルリーディングで、お伝えをする場合には、こちらの霊に焦点を合わせるのが、一般的だとされています)

一般に、その人と親和性のある霊的存在の見守り役を「守護霊」と表現することが多いです。この表現は、先祖霊を含めた総称として使われることもあれば、先祖霊を省いて使われることもあります。

なかなか、区分が紛らわしいのですが・・・、あえて区分けをするならば、スピリチュアリズムでは、もっとも基本の単位として、たましいの親和性がある「グループソウル」と呼ばれる繋がりを基準としてとらえていきます。その場合は、先祖霊を、区別して考える場合も多いのです。

なぜなら、○○家、という「血縁の繋がり」は、この世ならではのもの、だからです。

といっても、身内には霊的な繋がりがまったくない、というわけでもないので・・・、そこが、説明をする場合も、理解をする場合も、困難を伴うのですが;、一般に、指導霊などの繋がりのほう、グループソウルのほうを、重視していくことが多いです。

さて、タイトルの、「先祖霊は、指導霊になることはあるか?」についてですが、 守護霊の中でも、特に限定的な意味をもつ、「指導霊」についていえば、少なくとも、わりと最近の、たとえば、お祖父さんとか、自分が実際に関わりを持ったことがあるくらいに最近の先祖霊が、その役割を担うことは、まずない、といっていいでしょう。

何代も前の、身内の霊ならば話は別ですが・・・、たとえば、「かわいがってくれたお祖父さんが、そばにいて、(先祖霊として、補助的に)見守ってくれて、ときに助けてくれている」ことならば、あるとしても、「かわいがってくれたお祖父さんが、指導霊となって、才能を導いている」というケースは、ほとんどない、と思います。

(先祖霊を含めない、狭義の意味での)守護霊や、指導霊というのは、進化向上したスピリットがその役割を担いますので、霊的に進化向上するためには、それなりの時間が必要です。

あちらの世界には、こちらの世界のような、時間という概念はありませんが、あちらの世界に帰ってすぐに、人を導いていけるだけの力を持つのは難しいわけです。「肉体を失って、霊という状態になっていること」と、「霊として向上していること」は、イコールではないからです。

仮に、とても人格者な先祖だったとしても、そういう意味での成熟度と、人を霊的に導いていく指導霊としての成熟度というのは違うのでしょう。

先祖霊は、私たちを、補助的に見守っていて、何かにつけて、助けてくれていることはあるとしても、スピリチュアリズムの分類上の指導霊とは、その役割やスタンスが違う、というとらえかたになると思います。

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2011年6月10日 (金)

不思議な現象は、ガイドスピリットからの働きかけ?

不思議な現象や、恐怖を伴う心霊現象が起こって、「これは、ガイドスピリットからのメッセージなのだろうか?だとしたら、何を伝えたいのか?」と、ご質問をいただくことが、しばしばあります。

たしかに、その人にまつわる霊、守護霊や先祖霊などが、メッセージを送るために、たとえば、印象的で意味ありげな夢を見せるとか、現実の出来事の中でシンクロのようなことを起こして、伝えたいことを、そうと分かりやすく印象づけるために、出来事と絡ませて、不思議な経験をさせられることがあります。

けれど、そういう場合は、メッセージを間接的に「伝える」ことが目的であって、私たちを、怖がらせたり、驚かせたりすることが目的ではないので・・・、おかしな心霊現象、金縛りや悪夢などの、恐怖をともなうような現象で、アプローチされることは、まずないものだと思っていいでしょう。

ガイドスピリットは、意味のないことはしないので・・・、必要なときに、必要な働きかけをしてくれます。

怖がらせたり、むやみに驚かせたりするのは、多くの場合、未浄化な霊が起こしている現象です。

そのような現象に頻繁にあうときは、未浄化霊と波長があっているからこそ、現象に遭遇するわけですから、自分のコンディションを省みることが大切です。

霊感が強くても、常時スイッチが入りっぱなしで、霊が見えるわけではありません。おかしな現象が多いときは、やはり、コンディションが下がっていることが多いのです。

そういうときには、「これは、ガイドスピリットの・・・?」と、深読みをしたりせずに、自分自身のあり方を見つめていきましょう。

ガイドスピリットが働きかけてくるときというのは、「伝えるため」ですから、「伝わるように」出来事を展開していきます。深読みの深読みをしないと、わからないような表しはしませんので、思いこみを当てはめすぎないようにしましょう。

また、怖い現象ではないけれど、とくに深い意味はないような、不思議な現象が起こることもありますよね。光ったり、何か愉快な雰囲気の映像が見えたり、だとか。

そういうときは、その場所にいる、自然霊(肉体をもったことのない霊、妖精など)が、起こしている現象であることも多いようです。

それらに、メッセージ性がないわけでもないでしょうけれど・・・、自分に親和性のある、ガイドスピリットが伝えてくるような、深い愛情のこもった導きとは、ちょっと違ったもののようにも思います。

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2010年12月23日 (木)

前世の回数が少ない人も、多い人も、今回の人生における大変さは同じ。

前世の回数が少ない人は、それだけ経験値が少ないわけですから、多い人に比べて、特定の苦手分野が生まれやすいことは確かです。

たましいの成長は、「どれだけ深く学びを得たか」により決まるのであり、回数や時間という、数値の多さで決まるのではありませんから、たましいの成熟度は、生まれ変わりの回数のみでは計れませんが(少ない回数でも、深い学びを得ているケースもあるので)、しかし、全体的な傾向としては、やはり、生まれ変わりの回数が多い人は、少ない人と比較すると、成熟している面はあると言えるでしょう。

けれど、前世が少ない人も、多い人も、今回の人生における、大変さの度合いは、どちらも変わりません。「その人なりに、大変」という意味では、同じになります。

なので、前世が少ない人は、この回の人生が生きにくくて、多い人は余裕があって今回の人生を生きる上で得ができる・・・などということは、ありません。

なぜなら、生まれ変わりが多い人は、その分、身につけていることも多いわけで、「得意分野を、人のために発揮していかなければならない人生を送る」という学びを担っていくからです。それはそれで、別の意味でのプレッシャーはかかるものです。

そのような機会が、ほぼ強制的にめぐってきて、学ばされるようになっていますので、経験が多いからといって、要領よく立ち回って得をするような生き方は、出来ないようになっています。

自分のためだけに何かを行うのと、人に働きかけるのは、背負う責任の重さも違ってきます。培った経験則を、自分のためだけに使えるなら、楽に生きられるかもしれませんが、人のために使うとなったら、やはり、そこで、「過去の経験が活かされない、新しい学びをする」わけですから、別の形で「未知の分野に挑む」ことにもなり、楽をすることはできません。

この世は、制限のある中で、苦労して学んでいくための場所ですから、「その人なりに、誰もが苦労しながら、学ぶ」仕組みになっていて、経験の少ない人は少ないなりに、多い人は多いなりに、苦労を伴って学んでいきます。

誰もが、「自分の感覚で」人のことも考えてしまうものですから、経験が少ない人で、階段の2段目で苦労している人は、2段目を悠々と越えていく人を、「あの人は得をしていて、私は苦労して損をしている」と思ってしまうものです。

けれど2段目は軽々越えても、3段目に挑む機会がやってくるわけで、決して楽ではありません。しかし、2段目で苦しみに直面している人は、(経験していないことは、分からないものなので)その先の3段目があることに、想像力が及ばないケースが多く、自分だけが大変、と思ってしまいます。

一方で、逆に、3段目に挑んでいる、経験の多い人は、(自分が経験済のことは、よく見えるものなので)自分が3段目にいて、相手が2段目にいることは、把握できます。

しかし、2段目にいる人が、楽をしているように見えてしまって、自分のほうが大変で、相手が楽をしているかのように思えて、「あの人は、2段目という簡単な学びをしていて、私は、3段目の学びをしているのは不公平」と、思ってしまいがちなのです。

苦労の度合も、そして、自分が苦しくて、他の人が楽をしているように思えてしまう、という誤解の部分も含めて、「その人なりの基準」という意味では、どちらも同じであり、公平です。

前世を踏まえて考えるならば、そのような仕組みを知ることが大切です。

それらを正しく理解していくことができれば、前世が多い人も、少ない人も、世の中に対する不公平感が薄れていき、自分も楽になり、他者への理解も深まっていきます。

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2010年12月12日 (日)

前世の影響が、幼少期の思考にあらわれていた事例。

私たちは、「たましいの存在」であり、何度も生まれ変わって、さまざまなシチュエーションで、自分のたましいの学びを経験しています。

この世に産まれてきたときには、表面的には、前世の記憶をもっていませんが、「たましい」の中には、備わっています。私たちは無意識ながら、前世で培ったものを活用したり、習慣を引き継いでいたりするものです。

子供の頃は、先入観がないので、ごく自然に、前世に関連した要素が、性格や行動に表れることもあります。しかし、本人は、まだ小さいのでよくわからないでしょうし、親御さんも意識するとは限らないので、特に気付かずに、出来事が過ぎ去っていくことが多いでしょう。

逆に、大人になってから、スピリチュアリズムを理解するようになってから、「もしかして、この習慣って、○○かな」という、想像力で、解釈できることは多いでしょう。また、「今の大人の感覚で、子供のころを思い返す」と、思い当たることもあるかもしれません。

私たちは、この世という、「相対(比較)の世界」で、何かと比較することで、自分を理解していく仕組みになっています。

誰にも当てはまるような、「この習慣があれば、前世は芸術家」などのような、定義はありえませんが;、しかし、「○○さんの、この習慣は、前世が芸術家だったことが影響している面がある」と、モデルケースを知ると、「じゃあ、自分も同じところがあるけれど、そういう関連なのかな」と、比較をすることで、想像ができます。そういう意味では、「オーラの泉」は、貴重な学びの機会だったな、と、改めて思います。

前世が、何者であったか、なんて、まったく重要ではないのだけれど、今の自分に対する気付きになることもありますし、また、自分の身近なところで、「スピリチュアルな関連性」を見出していくことで、スピリチュアリズム全般への理解が、とてもスムーズになることもよくあります。そういう意味では、重要ではないと思うけれども、まったくの無意味とも思いません。

私の知っているケースで、以下のようなことがありました。

あるセッションで、「直前の前世は、たぶん、男性だったと思う」というような内容をお伝えしました。そのときは、そこまでの話で終わったのですが、「セッションの後で思いだしたけれど、すごく小さい頃に、自分のてのひらをじぃーっとみて、「なぜ、この中(女性の肉体)に、入っているのだろう?」と、頻繁に考えていた時期があった」、とのことでした。

前世での、男性の記憶や感覚の影響が、強かったのだと思います。ずっと考えているわけではなく、ふとした瞬間に、記憶がかぶってきたときに、考えていたのかもしれません。

私は、このお話を聞いて、不思議で面白いものだな、と思ったのは、「そのことを、覚えていて、思い出せた」という点です。

子供のころに、前世の習慣などが、本能的に外に出てしまうことは、ありうるけれど、大人になっても、その時の感覚や違和感などの記憶を、持ち続けているのは難しいことです。

しかし、その方は、記憶の底に持ち続けていて・・・、この話をお伝えしたタイミングで、思い出すことができた、という事実が、とても神秘に思えるのですよね、私は。それもまた、「必然」なのだろうな、と感じます。

「今の、大人の感覚」で、スピリチュアルな知識をあてはめつつ解釈してみると、自分の子供のころに、前世を彷彿とさせる、神秘が見いだせるかもしれません。

ちなみに、私は、子供のころに、「大きくなったらバビル2世になろう」と、思っていたらしいのですが(笑)、・・・それは、私の前世が、男性で、そして行者で霊媒だったため、かもしれません( ̄w ̄*)。

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