カテゴリー「10.考え方、感情」の231件の記事

2017年7月11日 (火)

自分の意識と姿勢が変わると、行動による「あらわれ」が変わるもの。

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すべてを自分の思うとおりに動かすことはできないものです。特に、自分以外の誰かが関わること、その人数が多くなるほど、自分の思うとおりにいかなくなります。

そういうこともありうると、自分の思うとおりになることも、ならないこともありうるという理解をして、その上で、「自分がどのような生き方をしていくことが、自分の人生をより豊かにしていくことに繋がるか」という考え方をして、できることを工夫してみるといいのです。

その結果として、でてくるアイデアが、(思うとおりにしようと奮闘していたときのアイデアと)同じものだとしても、それを体現していく「自分の意識と姿勢」が変わっていますから、周囲へのあらわれは、変わっていくものです(^_^)。

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2017年3月 3日 (金)

できないこと、苦手なことが「ある」のは、時間という変化に対応するため。

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「なぜ、自分は、他の人と同じようにできないのだろう」とか、「他のことはちゃんとできるのに、特定のこの事柄だけが、あまりにできないのはどうしてだろう」という、悩みをお持ちの方は少なくないものです。

そのような悩みがでてくるのは、「本来ならば、ちゃんとできることが正しいはず」という前提をもっているからですよね。だからこそ、それなのにできないのはなぜだろうとか、できない自分は劣っているという解釈になって悩みが発生します。

けれど、「できないことがあるのは、普通のこと」です。

むしろ、「できない部分を、意図的に、備えて生まれてきている」ものなのです(^_^)。

この世には、時間という変化のしくみがありますね。すべてのものごとは時間とともに必ず変化していくようになっていて、まったく同じままが留まることはありません。

そうした変化の動きに対応するためには、「不完全さが必要」です。

たとえば、小さい種が大きな木になることや、卵からヒナがかえることも、殻が割れていくという変化が必要です。殻の固さが完全であっては、そうした変化がなされません(^_^;)。

野菜や果物に傷がつくと、そこからいたんできますよね。傷という不完全さが、いたんでいくという変化をつくっているとも言えます。

何らかの不完全さと、変化という動きは、「セット」なのです。

変化とは、成長のことでもあります。

大きな成長のためには、大きな変化が必要で、、、不完全な存在だからこそ変化が可能となります。

つまり、「不完全さがあるからこそ、人は、時間というしくみがある、この世に存在していられる」のであり、「完全では、この世に生まれてくることができない」ので、

誰もが何かしらの「うまくできないこと」や「苦手なこと」を、あえて備えて、この世にやってくるのです。

うまくできないこと、苦手なことこそが、人をこの世に留めてくれる必須要素でもあるのです。

そうしたしくみを理解した上で、できないことや苦手なことについて、どのように取り組んでいくかを考えていくといいですね。

できないことを、少しでもできるようにするという変化もいいでしょうし、

できないことを、少しでもカバーするために、得意なことをもっと伸ばしていく(できないことは、そのままにしておく)という、トータルでの変化が、学びになることもあります。

そこは、現実との兼ね合いで、その都度、判断をしていくといいですね(^_^)。

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2017年2月 1日 (水)

子どもの頃から今までの「過去」に、自分の性質があらわれている。

人の性質というのは、かなりの部分「生まれ持っている先天的なもの」が関連します。

生まれてからの、その後の環境によって作られている部分は、自分が思っているよりずっと小さい比率です。

このしくみから、過去を振り返ることで、自分の性質を客観視して把握することができます。

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|子どもの頃は、同じ条件の比較がしやすい。

後天的な影響が性質の全部を決めているのではないことは、たとえば、同じ親に育てられていても兄弟で性格が違うことや、同じ授業を受けているクラスメイトに得意科目の差がでることなどからわかりますよね。

子どもの頃は、同年代の多くがだいたい同じような環境で、同じような教育を受ける機会がたくさんあります。そういう経験をすることで、自分の個性をつかんでいくことができます。

同じ教育をされて、自分が他のクラスメイトよりも理解が早いなら、「理解が早いことが自分の特徴のひとつ」となるでしょうし、同じ授業をきいているのに、自分は歴史が得意で、友だちは公式の暗記が得意だなれば、そういうところにも、それぞれの差があらわれます。

同じ環境や条件であることが、それぞれの違いを認識しやすくしてくれます。


|大人になると、同じ条件に揃えにくくなる。

しかし、大人になると、同じ条件で生活したり行動したりする機会が少なくなります。同じ会社の同じ部署にいても、担当している仕事が違ったり、得意先が別だったりするので、わかりやすい比較にはなりませんね。

そのため、大人になってからの日常を通して、自分と他人を比較して把握することは、置き換えたり、推察したりして、すき間をうめるような作業をしながら行うことになります。

この作業が上手にできる人は、自分を知ることも上手です。あまりうまくできない人は、自分を知るという思考の進め方が、理屈はわかってもイマイチ落としこんでいけない、という感じになると思われます。

それもまた、性質が違うことのあらわれですね。どちらが正しいとかではありませから、自分がやりやすい方法をとればいいだけですね(^_^)。


|子どもの頃からの、「過去」にヒントがある。

人の性質は、生まれ持っている部分が大きく、環境によって培われることの作用は思っているほど大きくはないので、そのしくみを元に、「過去からこれまでの自分を振り返る」ことで、自分を知ることができます。

特に、子どもの頃は、条件が同じであることが多いですから比較がしやすいです。当時は、自分が子どもですから(^_^;)、そんなふうな認識はできなくても、大人になった今の目線で当時を眺めれば、自分の個性が当時の様子にあらわれているとわかります。

私自身を振り返ってみても、子どもの頃の性質と、今の性質と、ほとんど同じだなーと思います。

たとえば、私は、身体はまあまあ大きかったのですが体力がないので、体育は得意でなかったです。大人になってみると、どうやら私は男性ホルモンがとても少ないらしく、トレーニングをしても筋肉がなかなかつきません。こういう体質はかわらないからでしょうね。

勉強は、国語がものすごくできました。文字を通して解釈をすることが得意で、読書スピードも、他の人の倍の早さで読めたと思います。これも今でも同じです。

年齢とともにいろんな経験をして、できることやわかることが増えて、広がったり深まったりしても、中心にある自分の性質は同じだということですね。

そういうふうに、自分を確認していくと、わかりやすいです(^_^)。

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2016年12月13日 (火)

他人に意見したくなる内容は、自分にも当てはまる場合がある。

他人に「もっとこうすべき」「あなたのここはおかしい」というふうに、相手に「それは違う」と、意見したくなることは、「自分自身にもあてはまる」場合があります。

他人に言いたくなることは、実は、自分自身に言いたいことで・・・、言い換えると「(広い意味で自分である)守護霊が、あなたに言いたいこと」という場合があります。

もっとこうすべき、ああするのはおかしい、という、「それ」を自分がしていないか、見つめ直してみることが大切だと思います。

こういうことは、なかなか受け入れがたいものですが、冷静になって考えてみると、自分のイライラの原因は、ほとんど「自分自身の中にある」ものです。

しかし中には「自分はその事柄を乗り越えているから、自分に当てはまることはない。だからこそ、まだ乗り越えていなくて努力もしていない他人にイライラしてしまう」というケースもあります。

そうしたケースは、「乗り越えた自分を認めてほしい気持ち」が関連していることが多いですね。

認めてほしいのだけれども、プライドもあるので、そうした態度はしたくない、そんなことは微塵も思っていなくて、乗り越えていることが普通ですという態度でいたいという矛盾を抱えるときに、他人へのイライラがでてくることがあります。

そういうものが何もなければ、他人の「理想的でないとか、常識的でないとかの言動」があっても、「特に何というわけではない、誰かの言動のひとつ」として、さらりと心を通過していくだけだと思うのです。

それが、心に引っ掛かるなら、反応しているのは、自分の心だということですね。

周囲の人や目に映る事象(に対して、自分が思うこと)はすべて、自分の心の鏡となっていて、私たちにいろんなことを気づかせてくれます。

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2016年11月21日 (月)

他人という「鏡」に映っているのは、過去の自分かもしれません。

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周囲の人は、自分を映し出す「鏡」である、という表現があります。

自分と周囲の人には、同じものが引き寄せ合う法則によって、似たような部分がありますから、相手の様子から自分の一部分を知ることができます。

この「他人という鏡」に映る「自分」は、リアルタイムとは限らず、昔の自分という場合もあります

少し前の自分の様子がそこに映っていると、その行為をしている相手がとっても気になってしまうのです。

他人のしていることに対して、「なぜ、そんな簡単なことも理解できないの?」とイライラすることがあるものですが、こうした感情は、過去の「そんな簡単なこと」を、知らずに苦労した自分へのイライラであることが多いです。 その人に対して、あまり好意的に思っていない場合に、そうした感情がでやすいです。

または、他人がうまくできないときに、「なんとかして、自分が助けてあげたい」とか「このようにしたら、もっと楽にやれるよ」と教えたくなることがあります。この場合は、「 過去に、同じようなシチュエーションで困っていた自分」を相手の中にみて、相手を助けることで(当時の)自分を助けたくなるのです。 その人に対して、「いい人だな」とか「親切で優しい人だ」とか、好意的に思っている場合に、この感情がでやすいです。

このように、相手という鏡で、過去の自分をみて、いろんな感情がでてくることがあるんですね。

どちらにしても、今の自分は「そこから、さらに進んだところにいる」からこそ、そうした感情がでてきます。成長している証拠です(^_^)。

こうして、相手にみているのは、自分の一部だという理解をすると、「他人は自分の過去を見せてくれるありがた存在だ」というとらえ方になれます。

忘れていたことを思い出させてくれたり、相手を助けることで、自分(の、過去に対する)感情を癒すチャンスを与えてくれたりするのですから。



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2016年9月24日 (土)

思考力が高い人、行動力が高い人。それぞれのメリットをいかす。

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スピリチュアルが好きな人は、見えない領域の形のないものに関心があるということなので、「思考力が高い人」が多いです。

エネルギーというのは、いろんな種類があるわけでなく、すべては「ひとつ」で、それを何に対して使うかということなので、思考力が高い人は、主に思考にエネルギーを費やしています。そのため、行動のほうにエネルギーがむかわなくなりやすいです。

この世で何らかの成果を出そうと思ったら、行動が必要で、思考のみでものごととを成すことはできないけれど、「思考力をいかして、行動を最小限にすること」は可能です。いいアイデアを練って、なるべく短い距離でゴールできるような方法を考えて進むことができます。

「行動力が高い人」は、上記と同様に、エネルギーはひとつであり、それを何に対して使うかということですから、行動にエネルギーが注がれる分、思考にまわるエネルギーが少なくなります。

こちらのタイプの人は、行動の量でカバーするという方法がとれます。無駄な動きも多くなりそうですが笑、しかし、成果を出すためには必ずその前に行動が必要になりますので、行動だけが得意な人のほうが、思考だけが得意な人よりも、成果を出しやすいという特徴があります。

それぞれメリットもあれば、その裏となる(同じ要素が逆に作用する)デメリットもあります。

自分のタイプを見極めていけば、うまく自分をいかすことができ、自分の人生を実り多き方向へと運ぶこともできるでしょう(^_^)。

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2016年8月22日 (月)

不必要な思考が、止まらなくなるときには。

頭の中が忙しく働いて、必要のないことでも考え続けてしまったり、次々にアイデアが浮かんだり(だいたい現実的でないもの、具体性のないものとなる)、過去の出来事が思い出されたりしてしまうことがあります。

そういう「不必要な思考が止まらない」状態になるのは、エネルギーが頭にばかり集まっていて、他のところでスムーズに流れていかないためです。

どこにエネルギーが集まりやすいかというのは、「その人の過剰になりやすいところ」です。過剰になるのは、「得意なこと」です。できすぎてしまうから、多くなるので。苦手なことは、そんなにたくさんできませんからね。

もとから「思考が得意な人」が、頭にエネルギーが集まりすぎてしまって、不必要なことにまでそれが止まらなくなってしまうということです。

ではなぜ、集まりすぎてしまうのかというと、その他のどこかへの「流れ」「動き」が滞っているからです。これは、どこの何が該当するかは個人差がありますね。その人の苦手なところとの兼ね合いになるので、一律にまとめることはできません。

滞っているところを特定して、そこをスムーズにしていくと改善したり軽減したりします。

多いのは、「行動しない」ことで、身体全体のエネルギーの動きが鈍くなっているか、または、「話さない(口を使わない、エネルギーを出さない)」ことで、首から下へエネルギーが巡らずに留まってしまうことなどです。

さらには、身体の機能との繋がりで、首や肩のコリや姿勢が悪いことなどが影響して、頭とその他の部分のエネルギーの連携がうまくいっていないこともあります。こちらだとわかりやすいですね、首が普段と比べて動きやすいか可動域を確認すればだいたいわかると思います。

身体の機能と内面は繋がっていますし、現実のものごとと見えない領域のことも繋がっています。

その状況に合わせて、

「行動する」「身体を動かす」「会話をする」「人と関わる」「身体のケアをする」「運動する」「休む」などから適した対応をとってみて、バランスを取り戻すとよいでしょう。

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2016年7月19日 (火)

思考がとまらなくなるのは、「恐れ」が掛け算になっているため。

それほど重要性の高くないことも含めて、常に思考がおわりなく頭をめぐってしまうことがあります。またはそうなりやすい人がいます。

あれもこれも思いついてしまう、少しでも関連性があると(たとえば単語の響きが似ている、同じ人が関わるなど)他の思考に次々と派生していき、おわりなく何かを考え、おわりなく頭を働かせてしまうような状態です。

こういうことは、その人にとっての、ある一定の条件下において「そうなる」ともいえますし、その人自身が「そうしている」ともいえます。

ほとんどのケースでは、「自分の恐れに気づかないように」頭や意識を忙しく「させている」ことが多いようです。

とぎれなくいろんなことを考えることで、「恐れに繋がる、それ」に気づかないよう、意識が向かわないようにして、自分の安定をはかっているという「防御」なんですね。

そういうふうに、いくらでも思考がでてくるということは、思考力の高さだったり、ひらめきのよさ、直感力の高さ、アイデアの豊富さなどの優れたところがいくつか備わっているからです。

けれど、それのみでは、雑念がとまらなくなることはなく、「恐れ」が掛け合わされて、そうした現象がつくられることになります。

本人的には、「あれもこれも、今考えなければ!」ならないこと、なのでしょうけれども、客観的にひとつひとつみていけば、そんなに慌てることもない、どうしてもやらなければならないことでもない、その程度のことも含まれているものです。

ですが、それらを差し迫ったものに感じさせるのは、恐れによる作用なんですよね。

その状況を改善したいと思うなら、恐れが、掛け算になって大きくなっているというしくみを、まずは理解することが大事なことです。

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2016年2月 8日 (月)

思い込みの激しい人。

思い込みの激しい人の中には、たった一度のできごと(に関連する、要素と要素の結びつきなど)を、まるですべてに当てはまる普遍の規則性であるかのように、受け取ってしまう人がいます。

たまたま「そのとき、その人にとっては、そうだった」過去のできごとを、以降もずっと当てはまるかのように大げさにとらえて、とっても極端な認識の仕方をしてしまいます。たとえば、たった一度、人から冷たくされたり雑に扱われたりしたときに、「どうせすべての人は、自分を大事にしないのだろう」と思い込んでしまうことです。

そうした経験が恐れとなって、「もしかして、次の機会も、他の人からも、同様の扱いをされてしまうのではないか?」と不安がでてくる、というのならまだわかります。それは多くの人に当てはまりますよね、過去の出来事からこうなるかもと推察をするのは普通にあることです。

ですが、思い込みの激しい人とは、「誰に対しても、どんな機会もすべて、必ずそうなるようになっている」かのごとく、規則性を「見いだしてしまう」んですね。たった一度のことでも、です。

いや、まてよ、他はそうじゃないかもしれないよね、というブレーキが働かずに、思ったことがそのとおりと思考が突っ走ってしまい、自分の世界(観)をとても狭いものにしてしまいます。

誰もが、その人自身の、認識のクセというか偏りをもっていますから、皆がそれぞれ(度合いはともかく)思い込んで生きている、とも言えるのですが、あまりにそれが大きくなると、自分の人生を混乱させてしまいます。

平均がよいということではないし、認識の仕方に正解があるわけでもないけれど、「自分だけの規則性」を、世の中の常識のように思ってしまっていないかということを、ときどき、冷静に見つめなおす作業も必要だと思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

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2015年11月18日 (水)

思考なのか、霊聴なのか。

思考の際に、頭の中で「音声に起こすようにして思考をする」タイプの方がいます。

つまり頭の中で、他人に聞かせる会話をしているかのように「えっと、まずはAの件を先にやったとして、次の準備があるからBに行けるのはいつになるかなぁー」というような、「会話風?」まはた「独り言風?」の文章化をする思考スタイルです。

ときどき「自分は、他人の考えていることが聞こえる能力がある」「他人の思いがわかる」という方からご相談をいただきますが、・・・それは実際に聞こえている場合もあれば、思い込みもあります(^^;)。

思い込みをしてしまう方のほとんどは、こうした「頭の中で音声に起こす思考をするタイプ」です。「自分が、会話風に思考したこと」を「外から、聞こえたこと」のように認識してしまいやすいからです。

たとえば「苦手な人と接して疲れたときに、頭の中に『あの人が自分のオーラを奪ったからこうなった。オーラを取られた』と聞こえた」として、

「あの人のせいで、自分が疲れて損をした」という思考を、頭の中で音声風に「自分がしている」だけで、外からの誰かのささやきが聞こえたわけではないし、事実が聞こえたわけでもない、というケースも少なくないです。

頭の中で音声に起こす思考は、その文章を「聞いている感覚に近い」ために、こうして認識がすり替わってしまうことがあるんですよね。

もちろん実際に、霊聴として事実が聞こえたり、他人の感情が聞こえたりするケースもありますし、そういうセンスをもった方もいますので「聞こえる人」の全部がそうだということではないですよ。中には上記のようなケースもある、ということです。




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