カテゴリー「10.考え方、感情」の504件の記事

2017年5月29日 (月)

シンプルが、わかりやすい。

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自分の思っていることを、相手に伝えるときに、

「自分の思いをあらわす言葉を探そう」とすると、難しいのです。

どんな言葉も、自分の言いたいことの全部をあらわしていない、あれも微妙に違う、これも何かが当てはまらない、何を選んでもピッタリにならない、と、なかなか適切な言葉が見つかりません。

そこで、「相手に伝わりやすい言葉を探そう」という考え方に変えてみると、格段に、ふさわしい言葉が見つかりやすくなります。

前者は複雑なものを探すことになり、 後者は、簡単なものを探すことになります。

簡単なものが見つかりやすいのは、当然ですね。

「わかりやすさ」を優先すれば、実は、ものごとは簡単になります。

言い換えると「シンプル」になるということです。

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2017年5月24日 (水)

ものごとが複雑に絡み合ってしまった場合の考え方。

自分に関わるものごとは、すべて何かしらの「繋がり」があります。

同じ要素のあるもの同士が引きあうという「波長の法則」や、自分が種をまいたことが自分の行く道に実るという「カルマの法則」で、ものごとが展開していくしくみです。

こうしたしくみがあるからこそ、このことが起こっている理由は何か、という視点をもつことができ、過去を振り返ったり、今やるべきことを再認識したり、未来の計画をつくろうとしたり、「自分の人生に意識的になる」ことができます。

(何の繋がりもなく、無作為にものごとが起こるなら、規則性や理由を考えることもできず、結果をつくる準備も意味がなくなってしまいます。繋がりがあるからこそ、「一連の動き」というとらえ方ができるのです)

しかし、ときに、それらが複雑な繋がりとなりすぎて、固まって解きほぐすことができなかったり、停滞してなかなかスムーズに流れなかったり・・・、どうしたものかと戸惑うケースもでてくるものです。

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そういうときに、この状況を何とかしなければ!と、強い力を掛けて押し切ろうとしたり、動きの多さでこじれをカバーしようと負荷を掛けすぎても、・・・ますますこじれて身動きがとれなくなることもありますから、

「絡まっているところを何とかしよう」とするよりも、そこから意識をはなして、「それ以外のことする」という切り換えをしてみましょう

他で動きをつけられるところがあれば、そちらを先にやってしまうことで、自分が抱えている「やらなければいけないことリストを、少しでも減らす」という考え方です。

ちょっと絡み合ってスムーズでなくなっている程度なら、対処は早いほうがいいですよね。しかし、どうしようもなく複雑になっているときは、少し遠回りになるかもしれないけれど、

「効果的な解決の糸口を見つけるために、周囲をシンプルにしてみる」というとり組みが役立ちます。

そうすると、絡んでいるところが、いろんな角度から見えやすくなります。

他の行動の刺激によって、絡んでいる箇所に、緩みがでてきて、ほぐしやすくなったりすることもあります(^_^)。

焦って、わーっとやってしまうと、こじれているところが、ますますこじれることもあり得ます。というか、だいたいそうなります(^_^;)笑。

全体を眺めて、絡まっていないところに動きをつけてみてください

これは、問題を先送りにすることとは違います。

また、すべての問題に当てはまる方法ではありません。とり組みをしようとしても、こじれすぎていて、どうしたらいいかわからない状況(^_^;)になってしまっている場合の、ひとつの考え方です。

あとは、第三者の手を借りると、意外とすんなり解決することもあります

記事内の画像は、猫さんの爪でなんとかしようとすると、ますますひっかかるでしょうけれども、外から人間が手をいれれば、簡単にとれますよね。糸のからまりは残りますが、少なくとも猫さんは、脱出できます。

そういう方向性での解決は、外からの働きかけのほうが、効果がでるということもあります(^_^)。

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2017年5月22日 (月)

目的は、ひとつと限らず、複数あっていい。

この世の人生というのは、「この世で、与えられている時間を使うという経験」です。

人生をどのようにしていくかという意識は、「与えられている時間を、どう使うか」という意識でもあります。

時間というのは流れていくものであり、そこに留まっていてくれるものではないので、「いかにして使うかという」意図的なとらえ方をしていくことが大事です。

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そうした点に意識的になると、「時間を有意義に使おう」と考えるようになります。

費やした時間に対する、見合った何かを得て、納得したいという思いがでてくるようになります。

この世という物質次元において、「費やした時間や労力に、見合う何かを」というとらえ方は、とてもわかりやすい基準です。

何かというのは、たとえば評価だったり、お金だったり、楽しさという感情だったり、知識を得ることだったり。

時間を費やしたことが、何かの形で、自分の身になったと思えるならば、それはとても素晴らしいことですよね。

この世の経験はすべて、何らかの学びが含まれているので、無駄になることはないですが、しかし、「どんなことも何らかの学びにはなるから」という受け止め方では、少々、漠然としすぎて、納得や実感に繋がりにくいものです。

時間を有意義に使おうとするなら、何のために、何に対してそうするのかという、目的意識をもつことが有効です。

目的をもつと、意識と行動をそこに集めていくことができます。

判断の基準がうまれますから、無駄も省けますし、効率もよくなります。

そして「目的は、ひとつに限らず複数あっていい」ということも覚えておきましょう。

複数あると分散するように思えるけれど、無理にひとつにまとめようとするほうが難しいケースもあるのです

そのほうが行動しやすい性質の人もいます。

何を選んだらいいかわからないという人は、だいたいそちらのタイプに該当します。

ならば、複数の「それぞれ」にとりくみをするほうが、目的意識をもちやすいですから行動に繋げやすいですよね(^_^)。

費やした時間が、このような価値となって自分のためになったという納得は、充実感と安心感をつくります。そして、次の目的に向かうための力となって、自分をさらに前進させてくれるようになります。

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2017年5月14日 (日)

経験が重ねられて、客観的なとらえ方ができるようになる。

人間関係において、または、ものごとを判断する場面で、自分の側からだけの解釈にとらわれず、広くいろいろな方面からの解釈をすることができれば、対応に「幅」がうまれます。

客観的なとらえ方ができる人ほど、ひとつひとつの出来事から得られる学びが深いものとなります。

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先日、「大人になるほど、難しくなる人間関係」という記事を書きました。

内容としては、子どもの頃は「立場がひとつ」しかないが、年齢が重ねられるほどに、「立場に多様性がでてくる」ので、それぞれに応じた使い分けが必要になってくることをお伝えしたものです。

立場がひとつのうちは、ひとつの側からしか、ものの見方が身につきません。つまりは、自分の側からの「主観」です。

大人になって、いろんな立場に置かれるという経験を重ねていく中で、さまざまな側からの見方が身についてきて、「客観」という感覚が磨かれていくようになります。

一方からのみ眺めるよりも、幾つもの方向から眺めるほうが、「それ」について把握できることが増えますから、解決や改善の方法が見つかりやすくなります。判断が偏らなくなり、柔軟になることができます。

客観というのは、特定の立場からの見方にとらわれず、ものごとをとらえたり解釈したりすることです。

かつて一番下だった自分も、上の立場になったときに、「両方の立場がわかる」ようになりますよね。年齢を重ねて、役割が増えていくに比例して、いろいろな立場からの見方がなされていくことが、客観の感覚を育てていくことになります。

ものごとのとらえ方に、幅がでて、奥行きがつくられていくと、受け止め方がまったく変わり、自分が得られる学びも、深いものとなっていきます。

「大人になってみて、今なら過去のあの件がよくわかる」という感覚は、そうした客観的なとらえ方を、昔よりも、深く広くできるようになったことが関連しているのでしょうね。

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2017年5月 8日 (月)

「わかりすぎる」ために、「わかっていない」と思い込んでしまうことがある。

「自分は、まだまだ何もわかっていない」とか、「自分の認識力が低いために、いろんなことがわからなくなっている」と思っている人が、実は、「平均よりもずっと、いろんなことがよくわかっている人である」というケースがあります。

むしろ、「他の人たちよりずっと、わかりすぎている」ために、「わかっていないような気分になってしまう」こともあるのです(^_^;)。

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把握するセンスや、解釈する力が強い人は、多方面からの視点を備えています。

「自分の側からはこのように思うが、相手の立場としてはどうだろうか」、

「無関係な第三者への、影響とはどのようになるだろう」、

「現時点ではそうでも、将来的には変わるかもしれない、そうなったときに・・・」と、

あらゆる方面から、思考を組み立てていくことが「できてしまう」と、把握の幅が広すぎるゆえに、自分はどうしたらいいのかという点を、決めにくくなることがあります。

こうした状態は、「たくさん、わかっている」からこその、迷いですよね。

しかし、本人的には、「私は、ものごとがわかっていないから、ひとつにこうだと決められないし、はっきりしない思考になってしまう」と、自分を過小評価してしまい、

向上心の高い人ほど、改善するためのとりくみをしなければと、もっとわかろうとますます複雑に考えたり、自分を何とかしようと過剰なまでの自分磨きに走ったりして、頑張り過ぎてしまうこともあります。

自分のことよりも、相手のことを気にしすぎたり、配慮しなければという思いが強い人は、

そのように考えることが「できる」という時点で、多方面からの見方ができる幅の広さを備えているというなのだけれども、この思考パターンにはまって、自分を過小評価しているケースが結構多いです。

「わかっていない」のではなく、「わかりすぎて、決めにくい」というケースもあるということです。

そして、その場合の改善策は、もっとわかろうとすること・・・ではなく、「わかっている多数の中から、どのように、どれを、選んだり決めたりするか」の基準を見つけることですね(^_^)。

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2017年5月 5日 (金)

何に対して、時間を使うか。

この世での人生を過ごすというのは、何かに対して「時間を費やす」ということです。

意識的であれ、無意識であれ。

「この世にいる」ということは、「時間という留まらないものの中に、自分を置いている」ことになりますからね。

何に時間をつかうか、「自分では選べない部分」と、「自分で選べる部分」とがあります。

自分の意図とは別の理由から決まってしまうこともありますし、それをやらないとものごとが前に進まないのでやるしかない事柄もあり、これらは「自分では選べない部分」です。

こうしなければならない、これを選ぶしかないという制限がなく、誰にも強制も指示もされない事柄は「自分で選べる部分」です。これは言い換えると、「自分が選ばなければならない部分」です。

自分の人生の時間を有意義に使おうとするなら、まずは、この2つ、「選べないこと」と「選べること(選ばなければならないこと)」の区分けを、考えてみるといいでしょう。

わけてとらえてみると、「何に対して、時間を使うか」という意図は、「選べること」のほうに向けていけばいいとわかります。

自分では選べないことを、意図的に選ぼうとしたり、自分で選ばなければならないことを、誰かが決めてくれるのをまっていたり、逆の認識をしてしまうと、「できないことをやろうとして、できること(しなければならないこと)をやらない」という、本来の目的と違う姿勢をとっていることになります(^_^;)。

有意義に時間をつかうために計画をつくろう!という意欲があっても、対象となる事柄のとらえ方が曖昧であると、うまくかみ合わずに停滞してしまいます。

まずは、「自分が選べること、自分が選ばなければならないこと」、言い換えると、「自分で決められること、自分が決めなければならないこと」に該当するのはどんな事柄があるかと、項目をあげてみてください。意図的に、計画的に取り組みができるのは、こちらのほうだかららです。

そして、もうひとつ考えておくことは、「選べないこと」と、「選べること」との間には、「どちらともいえない、時間にまかせるしかないこと」も、あるということ。これらについては、考え過ぎないという割り切りも大事です。

考えるということもまた、時間をつかうことですから、時間にまかせるしかない事柄については、少しそこから意識を離して、まずは、その時点での「自分に近いところから」意識を向けていくのがいいでしょう。

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2017年4月 6日 (木)

「どのくらい先までの未来を考えることが得意か」にも、性質との関連性がある。

この先の未来について、こんなふうにしようとか、こうしたらいいかなと考える際に、「どのくらい先までを考えることができるか」にも、人により「得意な範囲」の個人差があります。

大まかに、「中長期での未来を考える」ことと、「直近の未来を考える」ことに、備えている性質による得意と苦手が存在します。

自分が、どちらがより得意な範囲なのかを知っておくと、「得意をいかす」ことができたり、逆に、「得意なほうを、何に対しても当てはめがちなところを、意識することで使い分け」たりすることができます。

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中長期で考えるのがいいか、直近の未来を考えるのがいいかは、その事柄によっても変わってきますから、必ずしも、自分の得意な考え方を当てはめるのがいいとは限りませんが、

自分の性質の得意なほうをまずは知っておくことで、「得意をいかしやすく」なりますし、「得意なほうと、そうでないほうがある、というしくみを理解した上で、2つを使い分ける」ことも、知っていれば(知らないよりずっと)スムーズになりますよね。

中長期の未来を考えるのが得意な人とは、「目的から逆算して、これからやるべきことを考えていくタイプ」です。つまり、目的やゴールとなることを最初に定めるのが得意ということで、言い換えると、ゴールが決まらないと、プロセスを積み上げていきにくい、ということでもあります。

直近の未来を考えるのが得意な人とは、「現在地(今いる場所)の延長として、これからやるべきことを考えていくタイプ」です。こちらのタイプは、最終目的地がはっきりしなくてもスタートを切ることができます。逆に言うと、現在地から離れたゴールや目標を想定するのが上手でない、ということです。

前者は、まだ達成していないこと基準にして、そこから逆算します。たとえば、知り合いの数を100人にしよう、というような考え方です。今は知り合いは100人いない(達成されていない)が、それを目的とするなら、そのためにどうすればいいか、達成までにどのくらいの期間が掛かるかを考えられます。

後者は、既にあるものを基準にして、そこから積み上げます。たとえば、知り合いの数が、現時点では10人なので、この人数を増やしていこう、というような考え方です。10人というのは、既に存在する事実です。事実に事実を、積み上げていきます。

まだ達成して「いない」ものを基準にするか、既に事実として「ある」ものを基準にするか、どちらが思考がスムーズであるかは、自分の普段の思考スタイルを当てはめるとだいたいわかるはずです。

この点をよく考えてみて、自分の得意なパターンをつかんでおくと役立つと思います。

中長期を考えるのが上手な人は、発想力が豊かで、その分、直近の未来という現実的なことを考えるのがそれはもう苦手でうまくいきません。突飛な思考になったり、思考だけが暴走したりします。

直近の未来を考えるのが上手な人は、とても現実的で着実である分、現時点から離れた、まだ「ない」ものを計画として組み込んだものを、無理に目標に定めても、まったく自分に馴染んだ感覚にならず、合わない洋服を着せられているかのような違和感があります。

この世という場所で、未来について考えていく場合、このどちらの視点もバランスよく使っていくことがやはり望ましいです(^_^)。その際に、「自分の得意なほうを把握しておき、そちらに軸足を置いて、もう一方を意識的に扱う」ことが、一番、スムーズになると思います。

たとえば私であれば、「中長期の、達成していないこと」からの逆算のほうが得意です。ですので、自然の思考に任せてしまうと、まだないものばかりが目的にならび(^_^;)、アイデアだけが進みがちとなりますから、意識的な思考をして、そのために直近で何をするか、とか、まずは、現時点でやることの優先順位は、という切り替えをするようにしています(^_^)。

一般的には、スピリチュアリズムに関心がある方は、私と同じように「中長期の思考」のほうが得意な方が多いと思われます。

物質として「ある」ものと同じように、エネルギーなどの形の「ない」ものを同列に考えることが普通にできてしまう人が、スピリチュアルに関心をもつはずなので、そういう人は、まだ達成されて「いない」ものを基準にした思考に違和感が少ないはずですから。

当てはまる方は、私と同じところを意識してバランスを取ることが大事ですね(^_^)。

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2017年4月 1日 (土)

これからの人生の目的、という考え方。

10代、20代くらいの、まだ若いうちは、「これからの人生の目的は○○である」という考え方をすることが、いとも簡単にできるものです。

なぜなら、世の中にあるほとんどすべてのことが、選択肢として選べるためです。実際にそれを成すことができるかどうかは別として、自分がそうしようと「思うことができる」のが、若さだからです。

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しかし、年齢を重ねていくほどに、そうした考え方が、しっくりこなくなることがあります(個人差がありますが)。

人生の目的とは、端的に表現できるようなものばかりではない、ということが「わかってきてしまう」ことが、年齢を重ねていくことでもあるので、

そういう考え方が「できなくなる」、とも言えますし、「合わなくなる」とも言えます。

人生に目的を持てない、ということではなくて、目的が不要だと思っているのでもないけれども、そうしたズバリの定義が何かしっくりこなくなってくるんですね。

その曖昧さはときに不安を引き起こすので、しっかり目的を決めて人生を進ませたいという気持ちはむしろ、若い頃より強くなります。しかし、○○が人生の目的、というシンプル過ぎる枠組みには、収まりきらないのではないかという思いもまた、経験から培われ存在しているゆえに、

そういう考え方が、「簡単にはできなくなる」し、「ピッタリは、合わなくなる」のです。

これは年齢だけが影響することではなく、考え方などの性質も関連するため個人差がありますが、

「以前のようには、これからの人生の目的は○○という、わかりやすいものを掲げることができにくくなった」としても、それはきっと「今はちょうど、そういう時期」なのです。

そういう時期もある、とわかってしまうと、そのことが大問題ではなくなります。

ほどよく現実的で、自分にあったものを、時間を掛けて選んでいくのもいいでしょうし、時間とともに決まっていく、定まっていくものを、これが自分の人生の道だと受け入れていくのもいいでしょうし、そこは柔軟でいいと思います。

若いうちは、その○○が、実際に成すことができなくても、現実的ではなかろうと、そうしてとりあえず的にでも定めることが、前進のための力になっていくことが多いのです。「現状」と「未来の目的地」という、2つの比較が、わかりやすいからです。

しかし、大人になると、現実的ではない、成す可能性がとっても低そうな目的では、自分を前に進ませる力になりません。「現状」と「未来の目的地」の他に、「これまでの経験という過去」という、もうひとつの基準があるためです。

つまり、前者と後者で違うところは、「これまでの経験という過去」ですよね。これがあるからこそ、現実的な可能性を計ることができるということです。これは、メリットでもあると思います。

何でも夢いっぱいになれることがメリットと考えるなら、若い人が有利ですが、現実的にと考えるならば、(比較対象として役立てていける)過去の経験があるということも、メリットとなり得ます。

そういう考え方を取り入れてみるといいと思います(^_^)。

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2017年3月28日 (火)

後天的に培われる性質にも、先天的な性質(本質)が関連する。

人の性格や性質とは、「生まれもって決まっている、先天的なもの」と、「生まれてからの環境で培われていく、後天的なもの」と、両方が関連してつくられています。

生まれもって決まっているというのは、たましいの領域から備えてくる性質のことです。

私たちは、何度も生まれ変わって学びを重ねている存在ですので、そうした前世の経験などから培われた性質が、たましいの領域に存在しています。それらを「備えた状態で、この世に生まれてくる」ので、性格や性質とは、生まれた時点ですでに「ある」ものなのです。

生まれてから、ゼロから積み上げるしくみではないからこそ、同じ親から生まれて、同じ家庭内の環境で育っていても、兄弟や姉妹で性格の違いがみられます。

(過去記事:たましいのデータベースから備えてくる性格や性質があります。)

生まれてからの環境で決まるというのは、「環境が刺激になって、自分の中から引き出される」ことと、「環境が学びとなって、新たに培われること」の、2つの要素の掛け合わせになります。

今回の記事は、「生まれてからの環境で培われる、後天的な部分の作られ方」についてです。

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1、環境が刺激となって、「ある」ものが引き出される

これは「環境が刺激」という点が、後天的です。「引き出される」のは、やはり先天的な生まれもった性質から引き出されるのです。

生まれもっている性質(本質)が変わらなくても、その人生での環境や個別の経験が違ってくれば、引き出される内容にも反映してきます。

たとえば、「複数のことを同時進行で、進めていける性質」を高く備えている人がいるとします。

この人の育った環境が、「日本と外国を、数年おきに行き来する」ものであれば、複数を同時に進めていける、つまり、配分や使い分けがうまいということですので、両方の生活習慣や言語の差に混乱することなく、どちらの学びもしっかり身についていく、という形で、高い性質があらわれていくかもしれません。

もしくは、「手広く商売をしている家」に生まれたならば、複数のことを成立させるには、こんなふうにやればいいんだ、とコツをつかむことが上手ですので、「自分もいつか、こうして複数の事業をやりたい」と思うようになるかもしれません。

こうして「引き出され方」が変わると、前者のケースなら「複数の言語を上手に扱えるセンス」となり、後者は「商売をやるセンスが高い」となって、表面だけみればまったく別のものとなる可能性もあるのだとわかります。

2、環境が学びとなって、「新たに」培われる

こちらは、これまでたましいの経験値の中にないものが、今回の人生の経験で加わっていくことから、作られていく性質のことです。

たとえば、これまでの前世では、一度も日本に生まれていない人が、初めて日本に生まれてきて、この言語と生活習慣から学びを得ていくようなことですね。

そうなると、経験があるという優位性はないかわりに、新たなことを知ったときの、「落差」が大きいために、インパクトのある、「ああ!そうか!」的な理解となって、身につく度合いも大きくなります(^_^)。

この世というのは「比較から学びをえる場所」なので、違いがあるほどに、(違いというのはストレスではなく、学びでもあるのだと気づくことができたならば)、印象深く身につくというメリットもあるんですね(^_^)。

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こうして、生まれた後の環境や経験から培われる部分にも、そのことがあらわれるためのベースとして、または比較対象として、先天的な性質(本質)とは関連がでてきます。

そのため、同じ環境で同じ経験をした複数の人がいる場合でも、そこから何を得られるかは「人それぞれ」になるわけです。

同じものを見て、同じカリキュラムをこなしたとしても、備えている性質が違えば、「自分に響いてくること」は、印象深い箇所がどこかという点も変わりますし、広さも深さも、それぞれですからね。

新しい経験から培われることも、備えている性質(本質)を通した反映の仕方になり、それらを含んだ全体が、自分の性質であり性格である、ということになります

こうした構造を理解しておくと、周囲と自分との違いや、理想の通りそのままにはいかない現実について、そうした比較から必要以上に落ち込んだり考え過ぎたりすることもなく、

むしろ、比較という感覚から自分を把握していくことができれば、より自分らしさをいかしていけるという意欲に繋げていけると思うのです(^_^)。

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2017年3月26日 (日)

「自信がないこと」と、「自分を過小評価していること」の違い。

自分は、どうも 「自信がない」ために人生がうまくいかないとか、「この自信のなさ」を変えるためにはどうしたらいいか、というように、ちょっとした「認識の違い」から、心の中が混乱しているケースがときどきみられます。

今回の記事は、それは本当に「自信がない」という思いなのか、実は「自信はないわけではないが、過小評価から不安になっているだけ」ではないのか、という観点からの解説となります。

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|自信は、主観的な思い。

自信とは、自分を信じる思いです。具体的な事柄について、「この部分には自信がある」という思いのこともあれば、「私は、自分をいつでも信じていられる」というような、要素を特定しない全体的な思いとなることもあります。

こうした思いが強い人は「自信がある人」で、弱い人が「自信がない人」になります。

自信がある、という思いは「とても主観的なもの」であり、どちらかといえば「本質的なもの」です。

何かが上手にできるから自信がでてくる、とは限らないですよね。上手にできていても、自信がない人はいますし、まったく出来ていなくてもなぜか自信満々な人がいる(^_^;)ことからもわかるように、必ずしも事実と思いは連動していません。



|自己評価は、客観性による思い。

自分を評価することは、ある事柄についての事実を分析したり、または他者と比較したりすることから「自分とは○○である」というふうに生まれる感覚です。こちらも、部分に対する評価になることもあれば、要素を特定しない全体的な評価になることもあります。

評価が、事実に即していれば「等身大の評価」となり、小さくとらえてしまうことが「過小評価」になります。

自己評価というのは、どちらかといえば「客観視の感覚」からうまれます。自分について他人のような距離をともなう目線でみることや、逆に、自分を他人がみているような距離の取り方で眺めることから評価をつけていくことになります。



|2つは関連しているけれど、「別の事柄」となる。

「自分を信じる思い」と「自己への評価」は、厳密には分けられません。どちらも「自分という存在を通して繋がっている2つの事柄」であり、重なるところもあるからです。

たとえるなら、人という存在が、「身体という器に入った霊的存在」であるけれど、人の知覚において、その2つを分けることはできず、頭の中での理解にとどまるのと同じようなことです。

密接に関連していることですから、線を引くようなわけかたはできませんが、スピリチュアリズムの知識として、身体が自分ではなく、霊の部分が自分であるという解釈をもっておくと、感情にとらわれることが減ったり、出来事を通して成長しているという解釈がスムーズになり、人生を力強く進んでいくことを助けます。

それと同じで、「自信」と「自己評価」とは、まったくのイコールではないのだとわかっておくと、同様に、感情を整理できたり、出来事から学びを得て成長していくことがスムーズになります。



|本当に自信がないのか?と、改めて考えてみる。

ご相談でよくあるケースが、「自分を信じる気持ちはあるけれど、自己評価が低い人」が、その状態を「自分は自信がないからダメだ」と思い込んでいて、どのようにそのことを改善したらいいのかわからず困っているというものがあります。

しかし、そういう人が醸し出す雰囲気や、放つオーラは、「本当に自信がない人」のそれとは違って、肯定感というエネルギーが含まれていますので、違うことはすぐにわかります。

自信がない、と思っている人の多くは、「自己評価が低い」だけですから(^_^)、

ならば、評価をより事実に基づいたものにするために、自分を客観視して分析してみる、人と関わる機会をもって、比較してみる、人と関わることで人が自分に与えてくれる評価(そのことも自己評価の参考になります)を、まずは行ってみることですね。

そして、自分を信じる気持ちが、強いか、そうでもないかというのは、かなりの部分で「生まれもった性質」の関連があります。ここが強けれは強いほど良い、ということでは必ずしもないし、もっと強くする「べき」というものでもなく、それぞれに、たましいの学びに見合った性質を備えています。

ですから、そのふたつをわけてとらえていき、自己評価のほうにまずはフォーカスしてみてください。つまり、客観性をもって自分を眺めてみることです。自分について知ることもここに関連して役立ちます。

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