カテゴリー「06.波長の法則」の10件の記事

2017年2月26日 (日)

波長の「上下の幅」は、声域のように「備わっている」もの。

目に見えないエネルギーの性質などをあらわす表現として、「波長」または「波動」という言葉が使われることがあります。

 *波長について説明した過去記事*

 ・波長というのは、その人のもつ「質」としての振動数
 ・スピリチュアルな意味での「波長」とは、エネルギーの振動
 ・自分のエネルギーが振動できる幅によって、引きあうものが決まる

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波長というのは、その人や物が備えているエネルギーの質をあらわす振動です。振動の範囲は広く、上下の幅があります。

波長の幅を、他のことにたとえるならば、声域のようなものです

声域とは、その人が出すことができる「声の高さや低さの幅」のことですよね。

2オクターブの声域をもつ人が、常にその幅いっぱいの声を使っていることはなく、あるときは、備わっている範囲での高い声、また別のときは、備わっている範囲での低めの声、という使われ方になります。

波長も、備わっている幅のうち、そのときの条件により、高い領域の振動になることもあれば、低めの振動になることもあります。

その人の、振動できる領域においての「あらわれ方」として、上がったり下がったりすることはありますが、備えている幅自体が、もっと上になったり下になったりという変化の仕方にはなりません。

波長も、声域も「備わっている性質は、そうは変わらない」ものです。

人の声域がどのくらいあるかは、生まれもった声帯の構造などで大部分が決まってしまうのではないでしょうか(この分野はあまり知識をもっていませんが、おそらく)。

人の波長も、どのくらいの幅があるかは、生まれもって備えている「たましいの個性」で大部分が決まっています。

その中で「どの領域の波長(振動)を、あらわして過ごしていくか」は、一定することはなく、変化し続けていきます。人というのは、固定されていない不安定な存在であることと、この世には時間というしくみがある以上、必ず、そうした変化が起こります。

自分自身の心掛けや姿勢でも変わりますし、外側の環境や、そのとき関わりがある他者の影響などでも変わります。

しかし、備えている本質としての波長の領域そのもの(の幅)は、そう簡単には変わりません。こちらを変えるとしたら、一生を通じて、または、何度も生まれ変わりを重ねてという、壮大なとりくみとなります。

私たちが、この人生において、自発的に波長を高くしていこうと意識するとしたら、「備わっている幅の中で、なるべく高いところで振動できる自分でいられるように」、という部分になりますね。そのことすらも、とても難しく、どこまでもおわりがないものです。

備わっていて、使われていないところや、気づいていないことは、どの時点でも必ず存在しますから、人は学び続けていき、変化し続けていくことになります(^_^)。

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2016年12月28日 (水)

怒りでいっぱいのときほど、さらに怒りを刺激することがおこるのは。

自分に関わるものごとは、同じ要素がある事柄が引きあうしくみである、「波長の法則」によって展開していきます。

自分にはまったく要因のない理不尽な事柄が降りかかったように思えることでも、何かしらの共通点があって、それに気づかされる学びであることが多いです。

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|怒りでいっぱいのときは、さらに怒りが引き寄せられる(^_^;)。

多くの人が、経験したことがあると思うのですが、怒りでいっぱいになっているときに限って、・・・その怒りに油を注ぐような出来事に遭遇するものですよね(^_^;)。

不愉快な感情を持ったままでいると、その思いのエネルギーが外へ放たれますので、同じ要素をもつものが引きあって、ますます、不愉快になってしまう状態におかれることがあるものです。

それは、同じ要素を持った人同士が出会うことで、反応してしまうためです。反応があれば、何かしらの事柄が展開します。


|自分に余裕があるときには、怒りが刺激されない。

自分がとても充実して満たされた気分になっているときには、他人が多少のミスをしたり、迷惑となる行動をしたところで、怒りの感情はわきません。愉快ではないとしても、怒りにまではなりにくいものではないでしょうか。

または、相手に許しの気持ちを持てる人も、怒りはわきません。お互い様だと思えば、許すこともできます。

ある目的に向かって、集中して打ち込んでいるときなども、他人に意識がむかないので、多少のことはどうでもよくなります(許しているわけではないが、そのことを重視しなくなる)。

ところが、怒りでいっぱいのときには、他人の些細なミスが許せなくなり、ますます、怒りがわいてきます。

そういうときは、怒りが誘発されるできごとが引き寄せられてくる・・・というよりは、自分が(本来、気にするまでもないことに対しても)怒りの反応を示してしまう、というほうが適切な表現かもしれません。

自分が怒りの感情を持っていると、他人の怒りを刺激することにもなり、そうした相手の反応が、自分に降りかかってきたり、自分の中にある怒りを刺激するというループになります。


|自分の中にあるそれを、見つめてみること。

そのような構図を考えてみれば、相手の態度が悪いからでてくる怒りのようであっても、自分の中にも、それに反応する何かがあるかもしれず、一方的に相手のせいにはできないとわかります。

だからといって、相手に責任がないという意味ではないですよ。

「ものごとが展開する、スピリチュアルなしくみの話」と、「現実として、その事柄が起こった責任はどこにあるかという話」は、主旨が違ってきますから、事実としての責任は、相手にある場合も多いでしょう。

そういうこととは別口で、自分の内側を見つめていくことや、しくみをしることで、以降に役立つこともあるでしょうから、そういう活かし方をしたいものですね。

 

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2014年7月20日 (日)

人間関係の変化に、不安や寂しさを感じるときには(波長の法則)。

人との縁、関わりや出会いは、同じ要素を持つもの同士が引き合うという「波長の法則」によって展開していきます。

恋愛などの親しい関係だけに留まらず、仕事上の関係や日常生活での一時的な関係もふくめてすべてはその仕組みが関連していきます。

同じ要素を持つもの同士が引き合う、・・・ということは、言い換えると、同じ要素を持たないもの同士は引き合わない、ということです。

以前には共通要素があっても、時間とともにお互いが変化していき、共通要素は薄れていくことがあります。

以前は頻繁な関わりがあったのに最近は疎遠になったな、と感じたり、以前は意気投合していたのに、最近は話が合わないな、と思う場合は、自分か相手、または両方の変化によって引き合う共通要素が薄れたためかもしれません。

特にトラブルや問題がなくても、波長が合わなくなるときは、自然と関係性が薄れていくものです。

以前の親しい関係からすれば、寂しさを感じるかもしれませんが、自分も含めて人は皆、成長していきます。成長とは変化です。同じところに留まり続けることはできませんので、変化を受け入れていくことも必要です。

それに、人の縁とは不思議なもので、過去に大いにこじれてしまった関係も、「時間」という偉大な仕組みが自然にそれを癒してくれて、再びの繋がりが作られることもあり得ます。

大いにこじれた関係でも、そうなのですから、特に揉め事もなく自然に疎遠になっただけならなおのこと、きっかけさえあれば、より自然に再びの繋がりが作られていくこともあるでしょう。

そうなるか、そうはならないかは、自分のコントロールを離れた領域での「いろいろ」があります(^^)。そこは、お任せをして委ねていきましょう。

未来に期待しつつ、しかしこだわり過ぎず、今の自分やこれからの自分に合った、たくさんの人間関係をとおして学ぼうという意欲をもち、明るく過ごしていくと、執着や寂しさから抜けだし、新たな未来への意欲がわいてくると思います。

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2013年3月14日 (木)

波長の法則をもとに、人間関係を分析するために必要なこと。

人間関係も、「波長の法則」です。同じ要素をもった人同士が引き合う、という仕組みによって、関係が作られていきます。まったく何も引き合うものがなければ、そもそも、そういう人とは出会わないし、関係も作られません。

何らかの、同じ要素をもった人同士が、その共通要素により引き寄せ合うので、当然のことながら、何もかもが同じにはなりません。大部分は考え方が合わない、気が合わない、というケースも、普通にあり得ます。

自分とあまりに考え方が合わない、気が合わない人が、目の前に現れたときに、「この(ようなタイプの)人と、自分とは、いったいどこが引き合うというのだろう」と、思ってしまいますよね(^^;)。

しかし、この仕組みは、すべてに作用していきますので、自覚していない「何か」が、引き合っていることは確かです。

その何かとは、具体的にどのようなことで、この関係が自分にどんな学びとなるのか、という分析とともに、深くとらえていくのは、「応用編」の、「第二段階」です。

最初から、そのように冷静に受けとめて、自分を高めていけたら望ましいけれど、なかなか、簡単にはそうは考えられないし、分析も難しいです。

多くの人は、ここでうまく分析も進まず、納得もいかず、という状態になり、なんとなく曖昧に、悩み続けてしまうのではないでしょうか。

深い分析の前に、まずは、「波長の法則という、仕組みについて理解し、仕組みが存在することを受け入れる」という、第一段階が必要です。

つまり、こんなにも考え方が合わなくて、気も合わなくて、苦しい、嫌だ、と考えてしまうような人でも、お互いに、「何か」が引き合って、今の状況が作られているのだろうな、(その、何かが、具体的にどんなことか、というのは、ともかくとして)、と、まずは、その点を、納得するというか、「自分に言い聞かせること」です。

そのくらいなら、感情的な拒否感も大きくはないでしょうから、半分開き直り的にでも(笑)、意識的に考えていくことは可能だと思います。

この第一段階が、何故必要かというと、まずは、その仕組みを納得させていけば、「その前提で、そういう目で」物事を眺めるようになる、その人との関係性を考えるようになる、という、姿勢が、だんだんと、つくられていくからです。

その姿勢があると、第二段階の分析が簡単になります。

たとえて言うならば、この問題は足し算が有効だろうな、と、見当をつけて、数字を眺めていくことができるのと同じように、いくらかは問題を解きやすくなるのです。

いきなり第二段階にいっても、この問題は、本当に足し算でいいのか?と、疑いながら問題に挑むようなもので、そうなると、導き出された解答に不信感が出てしまい、納得に繋げていきにくくなります。

そうすると、「頭ではわかるのだけど・・・、理屈は分かるけれど・・・」と、そこでとまってしまい、感情の抵抗がでてきます。

どんなことでもそうですが、いきなり難しいことはできません。

まずは、仕組みが作用していることを、受け入れていき、その上で、具体的に分析をする、そういう順番のほうが、ひと手間多く掛かるように思えても、結局は近道なのですね。

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2013年3月11日 (月)

新しいものと、引き合うタイミング。

自然に、新しい情報が、目につくようになる、耳に入ってくるようになる、手元に巡ってくるようになる、そのような機会が重なる時期というものがあります。

すべての出来事は、自分と同じレベルのものが引き合う、という、「波長の法則」によって作られていますので、それらの機会も、自分自身と何らかの関連はあるといえるでしょう。

その情報そのものが、自分に必要だから、引き寄せられてくる場合があります。たとえば、ヨガ教室のパンフレットが入ってきた、知人がヨガを始めたらしいと聞いた、雑誌をみたら、ヨガの特集が載っていた、という場合に、その人にとって、体を動かすことが必要だから、起こっている、というケースです。

しかし、別のケースもあります。新しい情報があれこれと、もたらされるのは、その情報の、個別の中身(上記の例なら、ヨガについて)そのものが必要な要素ではなく、特に対象を限定しない、「新しい要素や情報」と引き合っている場合があります。

引き合っているのは、特定の要素ではなく、その情報が含んでいる、その人にとっての「新しさ」が大事、というケースもあるのです。

視野を広げていくことや、今までとは違う要素に目を向けていくことが必要な時期に、「新しさ、という要素がもたらされる」という引き合い方で、いろんな出来事が起こっていき、ヒントを与えられることは、わりとよくあるようです。

そういう時期にあることに気づいて、何か工夫をしてみる、という受け止め方をしていくとよいと思います。そういう心掛けが、今、自分に向かってやってきている波を、うまくつかんでいくことに、繋がっていきますね。

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2012年6月22日 (金)

人を受け入れられる度量が大きくなるほど、自分に有益な人も集まりやすい(波長の法則)

この世で作られる人間関係は、同じ要素を持つもの同士が引き寄せ合うという、「波長の法則」によって作られていきます。

・・・のはずなのに、なぜ、気が合わない人や、考え方が違いすぎる人、苦手なタイプと出会ったり、関わりをもったりしていくのか、矛盾しているじゃないか、と思う人がいるかもしれません。

しかし、波長の法則とは、同じ要素が「ほんの少しでも」備わっていれば、引き合う仕組みであり、「全面的に同じである必要はない」のです。それが、苦手な人とも、嫌いなタイプとも、関わりが作られてしまう理由です。

苦手な相手を、好きになる必要はなくても、苦手なままでも、(完全拒否ではなく)できるだけ受け入れていく、という形をとっていくと、人間関係が広がっていきます。

受け入れる、というのは、全許容することではなく、「相手には相手の価値観が在るのだろう(自分とは、違うが)」という点を、尊重することです。大賛成しなくても、別に全否定はしない、というスタンスでも十分です。

そうすると、自分の器が、大きくなっていきます。

苦手な人を排除して、自分を正当化するだけでは、「今の自分」の、器の範囲内で、(自分を正当化することの積み重ねによって)頑固になっていってしまい、外へ向かう広がりの力が働きません。

自分の器が広がらないわけですから、比例して、自分の波長の幅も広がらないことになります。

波長の幅が広がらなければ、新しい人との出会い、今まで関わったことのないような新しいタイプの人とも、出会う機会が少なくなっていきます。

逆に言えば、いろんな経験を通して、価値観の違う相手も、好きになるとはいわないまでも否定はしないという態度で、相手の個性を尊重していくようにすると、自分の人格という器が広がり、それにつれて、波長の幅も広がっていきますので、出会う人、引き合う人も、今までよりも、広がっていく可能性が出てくるのです。

自分にも、個性があり、好みがありますから、自分にとっての、ど真ん中の直球ストレートの位置、というのは、そうは変化しません。

けれど、「ストライクゾーン」というもう少し広い範囲で考えていけば、そのゾーンは、広げることはできると思うのです。それは、自分の受けとめられる度量と、比例していきます。

嫌いな人を受け入れたくないのは、そうすると、自分が我慢という損をして、相手が得をするじゃないか、という思いがあるため、だと思います。相手を受けいれれば、自分の価値観が正当化させず、相手の価値観を認めることになる、という思いもあるかもしれません。

しかし、広く他人を受け入れることで、得をするのは、相手だけではなく、自分も当てはまるのです。自分の波長の幅が広がり、今までとは違うタイプの人と知り合い、刺激を受けるための、器作りの準備だと考えてみてはどうでしょうか。

そして、相手を尊重したからといって、自分が正当化されない、などということはありません。価値観とは、個別のものであり、優劣が付けられるものではないですし、どちらかが正しく、もう一方が間違い、などという区分けはできないものだからです。

「器を一回り大きくする」というイメージを考えるとき、今ある器を、中心を固定したまま、上下左右に、一回り大きくするようなイメージで捉える人は多いと思います。

それはつまり、器を広げるというのは、特定の方向だけに広がるのではなく、全体的に大きくなるイメージですよね。それを、波長に当てはめて考えてみてください。

一部の方向を受け入れれば、例えば左側を今までよりも広くとっていくと、器全体として(左だけでなく)前後左右に、一回りの広がりが出るわけですから、今まで知り合うことがなかったタイプの人とも、知り合える可能性が広がります。

苦手な人を尊重する、受け入れる、というのは、言葉では簡単ですが、実際には感情が絡んでくるので、とてもとても大変です。

その、大変なことに取り組もうとする意欲をもっていき、成し遂げていけば、当然のことながら、自分が成長しますので、成長した分だけのメリットも、必ず与えられることになります。自分が一方的に我慢をするという、デメリットだけの関係はありません。

そういう考え方を持っていくと、苦手な関係にも、取り組んでみようという意欲をもつことができるのではないでしょうか。難しいことですが、少しずつ、自分のために、「広がり」を持たせていくように努力をしてみましょう。

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2011年5月18日 (水)

移り変わりの時期には、馴染んだものとの縁が薄れ、新しい縁が運ばれてくる。

人生には、節目のような、「移り変わりの時期」「新しい何かが始まっていく時期」があります。

そういう流れに差し掛かっているときに起こりやすい現象として、以前から馴染んでいた品物や、親しかった人との縁が、薄くなっていくケースがあります。

人間関係は、「波長の法則」が実感しやすいですし、またそのことはよく言われますので、理解なさっている方も多いと思いますが、縁の作られ方は、「品物」の場合も同じです。

同時期に、もしくは短期間に、いくつもの現象が起こって、縁が切れていくのです。長年愛用していた消耗品や化粧品が、生産終了になって手に入らなくなったり、行きつけのお店が閉店したりして、物理的に関わりを持つことができなくなったりします。

または、自分自身の価値観が変化して、以前には価値を感じていたものに対しての興味がなくなり、自分の意思で、付き合いを絶っていくケースもあるでしょう。

特にこだわりを持っていない日常の消耗品も、次々に買い置きがなくなり、以前同じものっを購入したつもりが、間違って別のメーカーのものを買ってしまっていたり・・・と、とにかく、あらゆる形で、小さな変化が積み重なっていくように、仕向けられていくかのように、移り変わりが起こっていきます。

この世のすべての出来事は、波長の法則で成り立っていますから、波長が切り替わる時期には、新しいいもの、「今の自分の波長にあったもの」との縁がつきやすくなり、そうではないものとは縁が薄れていきます

使い慣れた商品が、生産終了になると、結構ショックで( ̄∀ ̄||)、他のお店を探してでも、在庫を買い置きしたくなったりしますよね(私だけ?)。

でも、そういうときは、流れが切り替わっているタイミングでもありますから、あまり執着せずに、新しい流れに乗っていくほうがいいのです。

ある知人の方からお聞きしたのですが、使い慣れたシャンプーが生産中止になって、他のお店をめぐって、たくさん買い置きしたら、・・・ひとつ目を使い切る前に、香りに飽きてしまった、と(笑)。・・・切り替わりのときって、「そういうもの」なんですよね。変わり時には、「変わっていく選択を、していく」ような生き方のほうが、スムーズに物事が展開していくようです。

現状が停滞していてい、なんだかぱっとしない・・・と思うときにも、美容室を変えてみたり、日用品を変えてみたり・・・、そういう小さな変化を、意識的に起こしていくと、それらが呼び水となって、大きな変化や新たな流れに繋がっていくこともありますので、心がけていくのもよいでしょう。

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2010年6月20日 (日)

成長の過程で、親しかった人と疎遠になることもある。

私たちの人生は、それぞれ独自の、過去の思考や行動の積み重ねによる「カルマ」と呼ばれる領域の中で、「その時の自分の波長に見合った人物や物事が引き寄せられ、出来事が展開していく」仕組みになっています。いわゆる、「波長の法則」ですね。

私たちは、常に、変化という成長を遂げていて、同じに見えることでも、少しずつは変化しています。一週間前の自分と、今日の自分を比較してみれば、ほとんど変化を感じませんが、肉体の年齢としては一週間分成長していますし、まったく変化のないように見える固体の品物でも、経年劣化はあるはずです。

はっきりと目に見えて、境目のわかる変化は意識しやすく、そうでないものは考えてもみないので、何か大きな出来事が起こったときに「予想外の、思わぬ変化」に感じられてしまいますが、実際には、すべてのものが常に移り変わっています。

自分自身の波長も変化しているのですから、「波長の法則」で、引き寄せる出来事が移り変わっていき、ときに大きな転換があるのも、想定される出来事だと言えます。

人間関係も同様で、その時の波長に見合った人同士が、引き寄せられ関係が作られていく仕組みになっていますので、相手か自分のどちらかが、大きく変化していけば、親しかった関係が壊れてしまうこともあり得ます。

以前はとても大切だったものにも、時間が経てば興味が薄れることもあるように、人間関係も、お互い、もしくはどちらかの成長があれば、親しい人が遠ざかっていくなどして、縁が薄れてしまうこともあるわけです。つまり、仲違いなど、(表面だけみれば)決定的な理由がなくても、お互いの成長度合いが一致しなければ、引き合うもの(重なり合う波長の部分)がなくなって、ときに、好ましく思っていた人と疎遠になってしまうこともあります。

「成長の過程で、今まで親しかった人と、縁が薄れてしまうこともあり得ること」と、仕組みをあらかじめ知っていれば、殊更に原因を深読みしなくて済みます。

けんかしたわけでもないのに、怒らせるようなこともしていないのに・・・、何が悪かったの・・・?と、「具体的で、物理的な理由」を探しても、そういう場合は、これといった原因が見つかりにくいので、いつまでも悩み続けることになってしまいます。

だからといって、仕組みを知って、すぐに割り切れるものではないけれど・・・、何も分からず迷っている状態から比較すれば、少しは納得がいくのではないでしょうか。

私たちは、この世で、たくさんの経験から成長していく「たましいの学び」を、自らの意思で行っています。たましいが成長するための、よりふさわしい道は、私たち人間の個人的な感情や欲求とは、必ずしも一致しないこともあるのです。

成長の過程で、自然に縁が薄れてしまう関係というのは、「それだけの関係に過ぎなかった」とも、言えるのではないでしょうか。本当にお互いを高め合える関係ならば、どちらかが成長すれば、相手から良い影響を受けて、自分も高まっていけるものだと思います。

親しかった人と疎遠になるのは、寂しいけれど・・・、そうやって、周囲の方の顔ぶれが入れ替わることで、また新しい学びや気づきがあり、「本当に大切な縁」を、見つけていくことができるのでしょう。

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2010年1月27日 (水)

他者からの影響も、自分の波長が引き寄せている。

人と関わると、オーラが重なり、お互いに影響しあうものです。明るい雰囲気の方といれば自分も明るい気持ちになったり、悩んでいる方と一緒にいると、なんだか気が重くなってしまったり・・・、そんな経験は、誰にも思い当たることでしょう。

明るい影響は歓迎するけれど、ネガティブな影響は、出来れば避けたいですよね。

影響はその場(物理的に人同士のオーラが重なり合っている時)だけにとどまらず、相手から離れた後も、それほど長い時間ではないにしろ、しばらく続くものです。

けれど、人が集まれば、エネルギーレベルでも影響し合うのは「当たり前」のことであり、お互い様なのだから、あまり気にしすぎることもないと思います。

また、それほど深いかかわりもない相手から、何かの拍子に「もらってしまった」ネガティブなエネルギーは、所詮は他人のものですから、そう簡単には自分にはなじみきらず、短時間で抜けていくケースがほとんどです(ですから、その程度のことを、気にしすぎても意味がないのです)。

そちらを気にするくらいなら、自分が生み出したネガティブなエネルギーのほうを気にしたほうが有意義です。なぜなら、自分が生み出したものは、一分の隙もなく自分にしっくりなじむので(笑)、そちらの方が影響力大、ですから。

・・・まあ、そうはいっても、外からの影響のほうが、気になってしまうのはわかります。しかし、憑依的現象(小さいものまで含めれば、日常いくらでもあることです)にしても、他人の想念を受けてしまうことにしても、すべて「波長の法則」で、自分に同じ要素があるからこそ起こる仕組みになっています。相手がどれほどにネガティブなエネルギーをまとっていようとも、同調する要素がなければ、「もらってしまう」ことは、起こりえません。

また、「それらの影響を、自覚して除けないものか」、とも良く聞かれるのですが、例えば「もとから赤い要素をもっている人が、他人の影響をうけて赤の比率が高まった」り、「レモン色の要素をもっている人が、同じ要素を引き寄せ、色濃く反映されて山吹色になって」も、まったく自分にない要素が付加されたのではないため、違和感は薄く、明確な「区分け」は困難です。

ちょっと落ち込んでいる状態の自分に、さらに同じ要素のものが付加されて、結構落ち込んだとしても、どこまでが元でどこからが付加なのかは、・・・分けられませんよね;。

また、仮に他人の影響を受けていると自覚できたとしても、自分にも同じ要素があって引き寄せているのですから、影響を追い払うような考え方は・・・、責任転嫁な解釈のような( ̄∀ ̄;)。

すべて自分が引き寄せているのだから、自分の波長を高めて、影響を受けにくくしていくという考え方が大切だと思います。

自覚して除きたい、という気持ちはよくわかるのです。私も、数年前は、そう思っていました(笑)。しかし、そういう原因を自分以外のところに求めるような考え方から抜け出さないことには、自分の波長は持ち上がらないので、影響が減らないのですよね;。

「そのとき」だけ対処する方法はないわけではないけれど・・・、(といっても、ハウツーのように、こうすれば絶対効く、というものではないです;)、しかし、自分の波長という、「受信装置」を変えていかなければ、すぐまた同じ状態になってしまいます。対症療法的な考え方では、ほとんど意味がありません。すべて、自分の波長を高い状態に保っていくことが基本となります。

そうして、ある一定レベルの波長を保てるようになっていければ、少しは技法的な対処の方法も、ないわけではありません。あくまで、サプリメント的な、意味合いでの対処法でしかないですが・・・。

しかし、自分を向上させていこう、という意思なくして、技法的要素のみで防ごうとしても「絶対にムリ( ̄w ̄)」です。それはまるで、お札やパワーストーンで幸せになろうとするようなもの。すべての基本は、エネルギー発信機でもあり、受信機でもある、自分自身のメンテナンスです。

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2009年5月11日 (月)

全部、自分の波長が引き寄せている。

人のご縁も、出来事も、すべては「波長の法則」により、自分の波長に含まれているものと同じレベルの事象が展開していくものです。

人の波長には、「幅」があります。誰もが、高い部分も低い部分も、持ち合わせています。その「幅」の、ほんの一部分が共通すれば、波長の法則が働いてしまう可能性もあります。

ですから、「絶対に、あんなひどい人と、この私が同じ波長だなんてありえない!と思う人とのご縁でも、ほんの少しだけでも、共通する部分が自分の中にあれば、それは、・・・ありえるのですよね;。

波長の法則というのは、何もかも、丸ごと同じ」であるとは限らず、一部分のみでも成り立つためです。必ず何かしら共通する要素があるのです。

ということはつまり、「幸せになれるというフレコミで、高額のツボを買わされた」場合でも、お互い様ということになります。もちろん、騙す人が一番悪いことには変わりありませんが、騙される側にも、同じ波長があったからこそ、ご縁ができてしまったことになります。物を手に入れることで、簡単に幸せになろうとした甘さがあるから、騙されてしまうわけです。

ある場所に出かけていったら、たまたま、担当者がとても感じのよい人だったという場合も、それは、たまたま・・・ではなく、「自分の波長」が高かったから、その人が担当になるというタイミングが巡ってきたと、考えることもできます。

では逆に、ひどく感じの悪い担当者;に当たってしまったときには、自分の波長が低いからなのか?、というと、先にも書きましたように、波長というのは「幅」がありますから、自分の持ち合わせている波長のうちの低い部分が、他人を通して表面化したのだと考えて、自分を顧みるための材料としていけばよいのだと思います。

この法則は、自分を成長させるためのものなのですから、受け取り方、解釈の仕方も、過度にネガティブになりすぎないように、バランスよく考えていくことが大切です。

また、泣きっ面に蜂とか、踏んだり蹴ったりなんて言葉があるように、・・・悪いことって、同時期に重なるものですが、それも波長の法則のなせる技で、波長が下がっているときには、低いものを呼び寄せてしまうため、あれもこれもと一時期に降りかかってくるのでしょう。

けれど、それは決して「罰」ではなく、「今の自分の波長(の低さ)に、気づいてください。そして、立て直してください」という、ありがたい導き、サインだと思うのです。

こうやって、現実の出来事が教えてくれないことには、改めて自分の波長を考えてみる機会は少ないので、自分を高めていくため、たましいの成長のためには、本当にわかりやすく、ありがたいルールです。

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