カテゴリー「11.家族、恋愛、人間関係」の248件の記事

2017年5月27日 (土)

違いが大きいほど、気づきも大きくなる。

この世の学びとして、人間関係ほど、苦労させられるものはありません(^_^;)。

本当にまあ、次から次へと、いろんな課題がやってくるなぁ、という感じで、おわりなく「いろいろ」が起こるものですよね。

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それぞれ独自の個性をもっている人が、集まっている場所が「この世」です。

同じものが引き寄せ合う、「波長の法則」というスピリチュアルなしくみは、何もかもが共通しているという意味ではありません。小さい比率でも、引きあうものがあれば関係が作られることもあります。

ですから、表向きはまったく違っていて、共通点などあるとは思えないような相手とも、何かが引きあって、関わりがつくられてしまうこともあります。

似ている点が小さく、違いが大きい相手との関係は、負担を感じやすいですね。

しかし、違いが大きい相手からは、気づかされることもまた大きいという、メリットもあります。

この世では、「あれ」と「これ」を比較することで、違いから「わかる」という気づきが生まれます。この感覚には、時間というしくみが関連していることは、これまで何度もお伝えしたとおりです。

この世に生きる私たちにとって、比較をして、違いから把握するという気づき方は、もっとも認識しやすい手法なのです。

この世で、気づきを与えてくれる対象は、人以外にもたくさんあります。たとえば、理想と現実が違うことだったり、自分の中にある、内的な思いが変化していくことだったり、そうした「違い」も、いろんなことを気づかせてくれて学ばせてくれます。

それらは、自分がそのことに意識を向けない限り、あまり気にしないでいられるので、自分が気づくタイミングで気づいて、学びにしていくという、どちらかというと「静の気づき」ですね。

ところが、人間関係は、相手の意思がありますから、自分の都合は無関係に、いきなり動きがついたり、思わぬ働きかけを思わぬタイミングでされたりという、「動の気づき」が与えられます。

動の気づきには、動きの大きさに比例して、反応も大きくなります。ときにそれが、対立になったり、感情が乱されてカチンとくることもあったり、気づくけれども、それを受けとめる負担もでてきます。

動きが大きいものが、与える振動は大きい、ということです。

良くも、悪くも。

大きい振動は、印象も刺激も大きく、学びになり、気づきになり、役立つ面が多分にあるけれども、やはり、大きい分だけ、受けとめる負担というものが、発生してくるということなのです。

違いが大きいほど、違う振動(=波長)に、揺り動かされることになりますから、

得られるけれども、負担もでる、ということです。

そして、得たことを実感するまでには、ある程度の時間が掛かります。このことに気づくには、また別の「何かとの比較」が必要になるからです。「ああ、あのとき、こんなふうに経験値となって得られていたんだなぁ」と思える何かが起こったときに、「わかる」ので(^_^)。

しかし、負担のほうは、すぐに「わかり」ますよね(^_^;)笑。それまでの平穏さとの比較をすれば、こちらは違いが顕著なので、こちらのほうが、いとも簡単に認識されやすいため、

人間関係の違いによる負担で苦労させられている点だけが、自分の中で、クローズアップされているだけで、苦労の分だけ実は、得られてもいるということなのです。

・・・なかなか、気づきにくいですが(^_^;)。

人間関係で、相手との違いで苦労させられているときは、「きっと、何か得られているんだろう。気づくタイミングは今ではないけれど、またいつか何かの出来事がそれを教えてkるれるだろう」と、未来を楽しみにしましょう(^_^)。

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2017年5月12日 (金)

大人になるほど、難しくなる人間関係。

人間関係というのは、若いうちのほうが簡単で、年齢が重なっていくほどに難しくなるものです。

なぜなら、若いうちの人間関係は「シンプルな、ひとつの立ち位置」で、大人になるほど、「相対的な立ち位置のバリエーション」を、考慮しなければならなくなるからです。

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相対とは、「他との関係で、成立していること」です。他との比較から、関係性と、自分の立ち位置がきまるようなことですね。

あの人より自分のほうが背が高いとか、この中では自分が最も新入りだとか。

田中さんが上司で、自分はその部下である、とか。

組織が存在して、上司がいるからこそ、その下の部下という役割が発生します。何も組織も上下関係もないところに、部下という序列はいきなり存在しません。

若いうちは、こうした立場がシンプルです。ほとんどの場面で、「自分が一番下」になります。

学校にいけば生徒で、家族内では子どもで、会社にいけば部下で、いろいろな場面があるようでいて、しかし「自分が、一番下」という共通点があります。

年齢を重ねて大人になれば、自分も部下を抱えるようになります。自分も子どもを持つかもしれません。当たり前のことだけれども、年齢という単純な序列でも、自分より下の層が増えていきます。

自分とは、実家では「親の子ども」であり、自分の家では「子どもの親」であり、「部長からみれば部下」であり、「新人からみれば上司」であり・・・、というふうに、その場面ごとに、いろんな役をやらなければならなくなります。

自分の親に対しての子どもとしてのふるまいと、自分の子どもに対しての親としてのふるまいはまったく違いますよね。その時々で、上になったり、下になったり・・・、それはもう、使い分けが忙しくなります。

社会との関わりの場面が多くなるほどに、「その場での自分の立ち位置」も、比例して多くなります。

自分が備えている幅ひろい要素のうち、何を前面に出してふるまうかの判断を瞬時に行い、臨機応変に切り換えていかなければならないですから、普通に一日を過ごすだけでもくたくたになりますね(^_^;)。

ですから、大人になるほどに、あらゆる人間関係において、難しさがでてくるのは当然のことで、「そういうもの」です。

立ち位置のバリエーションが増えるほどに、負担は大きくなるけれど、しかし、若い頃に、「下というポジションにいさせてもらった」ことはありがたいことで、そこは「順番」ですので、今度は自分も、上の立場として頑張っていこうという意識をもって(^_^)、いろんな役割にとり組んでいきましょう。

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2017年4月11日 (火)

人との距離感は、すべてにあてはまる正解はない。

コミュニケーションというのは、「こうするのがちょうどよいという、適度」がとてもむずかしいものです。少なすぎたり、多すぎたり、または、内容ではなく、タイミングが早すぎたり、遅すぎたりという、ちょっとしたことで、かみ合わなくなることがあります。

暗黙の了解とか、空気を読んで大人の対応をするのがいい、とされることもあれば、他人なのだから言わないとわからない、という場面もあったりで、たったひとつの正解がないのが、人間関係のやりとりです。

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何が適切であり、どこが適度であるかは、相手によって変わります。相手が変わると、「自分と相手との距離感」が変わるからです。

または、状況によっても変わります。同じ相手に対しても、使い分けが必要になることもありますよね。たとえば、会社の同僚とのやりとりを、「会社で行う場合」と、「休日に私的な事柄で行う場合」とでは、距離感もかわります。

いずれの場合でも、「距離感をはかる」という意識が大事なこととなります。

たくさん経験によって、そうした感覚はつくられていきますので、人と関わることや、物事を見聞きする機会をたくさん増やしていくことです(^_^)。

うまくいったら、こうすればいいとわかり、うまくいかなければ、これではうまくないんだなとわかり、少しずつの理解の積み重なりと、都度の微調整によって、距離感のとり方やはかり方が洗練されたものになっていきます。

経験が増えるほど、比較してわかることがありますし、たくさんの中の共通点も把握できることから、「わかる」が増えるものなんですよね(^_^)。

 

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2017年4月 9日 (日)

大人の人間関係において、「感情」をどう扱い、問題をおさめるか。

生活においても、仕事においても、悩みごとには「人間関係」が関連してくるものです。

すべての人がそうですよね、子どもも、大人も。

子どもの頃は特に、人間関係以外のことが、困りごとにはなりませんね(子どもは、それが「悩み」という認識にはならないとしても)。

そんな中で、大人の人間関係のみに出てくる問題とは、お互いの「利害」が絡んだいろいろがあるという点ではないでしょうか。それぞれの立場が絡んで、スムーズにいかないことがでてきます。

その点を除けば、人間関係の悩みというのは、大人から子どもまで等しく、何かしらの感情が絡み合った問題です。

感情の問題というのは、どの年代においても変わらず発生するものである、ということなのでしょう。

もし人間関係で、何かスムーズにいかない場面がでてきたら、目の前にいる相手の姿が大人でも(お互いに)、悩みとなっている問題を作りだしている部分は、中高生の頃と同じような感情面かもしれない、という前提で眺めてみてください。

そうすると、難しくこじれている問題に思えることも、感情というシンプルな問題であることがよくわかるはずです。

そういう前提で眺めると、不思議と、相手の感情がわかってくるもので、そこが本音なんだなと気づきます。

しかし、(ここが重要)大人同士の人間関係を解決するときには、「建前上の、理性的っぽい理由」が、円滑な関係のためには必要だったりします(^_^;)。

相手へ意見を述べる場合にも、自分が謙って合わせる場合にも「それらしい表面上の理由」があるほうが、感情を収めやすくなります。

大人にはプライドがあり、それを守ったり、触れないようにしたり(どちらを望むかは、その人の性格による)する配慮という、一工程が、必要になることが多々あるということです。

それって感情の問題だよね、・・・なんて、「本当のこと」を口にしてしまうのは、大人のやることではないですね。何でも言えばいいってもんじゃないので。

スムーズにいかない問題に、何かしらの感情が絡んでいるのは、大人同士も、子ども同士もほとんど変わりません。

しかし、「感情のことが問題だから、感情を解決しよう」とストレートに扱うことが通るのは、子ども同士の関係のみで、

大人同士の場合は、「理性的な建前の理由を用いながら、(実際のところの)感情の問題をうまく収めていくようにする」のが、上手な人間関係の「こなし方」だと思います。

 

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2017年3月20日 (月)

人から好かれる自分であるには。

人間関係の悩みとしてご相談いただく中に、「自分は、人から好かれない」というものがあります。

特に、嫌がられるようなことはしていないし、特定の出来事やきっかけがあったようにも思えないが、好かれていないのは、「自分の性格が悪い」からだろうか、ならばどこを直したらいいのだろう、具体的にどこが悪いのだろう、という悩み方をしているケースの大部分は、

「性格が悪いから」ではなく、「考え方が、受け身過ぎるから」というのが原因です。

あくまで「考え方」ですよ、行動が受け身、ではなく。

仮に、行動をたくさんしていて、人との関わりも多くても、上記のようなことが起こってしまうことはあります。

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|ちゃんとしていれば評価「される」、という感覚。

「考え方が受け身」な人というのは、「相手から○○をしてもらう自分」という立ち位置を基準にしていて、「自分が、相手に○○をしてあげる側になる」という考え方が、あまり馴染まなく、自分がちゃんとしていれば好かれるはずだ、と、思い込んでいたります。

子どもの頃によくある、「優等生的でいれば、評価される」という価値観をそのまま、大人になってももっているかのような感覚です。

そのため、「好かれないのは、ちゃんとしていないからだろうか?」と心配になり、「性格が悪いからだろうか?」という認識に結びつくのだと思いますが、

大人の社会では、「自分が、してもらう」ためには、自分もまた「誰かのために、してあげる」側にもなることが必要です。



|自分の良さを「あらわすこと」が、必要。

好かれないのは、性格が悪いからではありません(こういう悩み方をしている人に、実際に性格が酷いケースはあまり見られません)。

「自分が、相手に何かをしてあげることが、自分への好意の獲得になる」という、「繋がり」の理解が十分でないからです。

そういうことはあからさまで、いかにもなわざとらしいことで、よくないことのように思えて抵抗感がでてくるという人もいるでしょう。

しかし、どんなに素晴らしい性格や性質を内包していても、「自分と他人は、別の感性をもっている、別のたましい」ですから、あらわさなければ伝わりませんからね(^_^)。

あからさまな、わざとらしいことをすべきという意味ではないし(^_^;)、自分を実際以上に良く見せるほうがいいということでもないけれど、

自分のありのまま、そのままの素晴らしさも、「伝えるために、あらわす」ことをしなければ、伝わりにくいし、評価もされにくいということです。



|自分も、「相手に、してあげる側」になること。

たとえば、自分が誰かに「あの人は、性格がいいね」と思うとしたら、その人の受け答えが爽やかだったとか、親切だったとか、譲ってくれたとか、合わせてくれたとか、そうした「性格の良さがあらわれている何か」から受ける印象のはずです。

相手のために、してあげる側になることが、自然にできていれば、好かれようとしていなくても、自然と好かれるようになります。

誰もが、何かしてもらったらありがたいですから、自然と好印象をいだきますからね。



|「される」から、「する」へ、意識を切り換えていく。

話は戻りますが、冒頭の「考え方が受け身」というのは、「される」ことや、「されていない」ことに焦点がおかれている考え方のことです。

これだと、全面的に「相手任せ」になっていますよね。

自分が、誰かに「する」ことや、「していないこと」に焦点をおいて、どのように「していく」かという考えに基づいた行動をあらわしていくのが、自主性のある考え方で、そうした思考に基づいた行動は、人の関心を集めますし、

誰かに何かをすることが役立っていけば、自然と多くの好意も集まってきます。

この記事のタイトルは、「人から好かれる自分であるには」です。

人から好かれる自分に「なる」には、ではないところに注目です。つまり、今の自分を変えて、もっとこうなるべき、という話ではない、ということです。

自分が内包している、人から好かれるような性質をあらわしていくこと、そうある自分を伝えていくことが、好かれることに繋がります。

ちょっとした意識の転換です。それだけで、自分が変わり、周囲の反応も変わります(^_^)。

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2017年3月19日 (日)

相手を褒めているつもりが、相手の「説明」になってしまうことがある。

とっても冷静に、客観的にものごとをとらえる視点を持っている方が、「相手を褒めよう」とした言動が、意図と違うふうにとられて、誤解されてしまうことがあります。

本人は、褒めようとして、相手の「評価ポイント」についてきちんとわかりやすく語ろうとするあまり、「語りが説明的になってしまう」ことが原因かもしれません。

客観的であることが、相手の受けとる印象を変えてしまうことがあるのです。

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「あなたの、ああなって、こうなって、その結果がこんなふうになって・・・、それが○○に繋がり、××を助けて、結果が以前より3割増しとなって素晴らしい」、という説明は、

とても具体的で、たとえば、その件に無関係の第三者が状況を把握するためにはわかりやすいですが、

当事者にしてみると、自分を褒められている・・・というよりは、むしろ、何かダメだしでもされているような感覚になる(^_^;)ことも、人によってはあり得るのです。

わかりやすく伝えようと、事実のほうを強調しすぎてしまうと、事務的な説明のような印象を与えてしまいます。

感情を排除することで客観的にわかりやすくなることは確かですが、しかし、それがまったくなさすぎても、個人的な思い入れというエネルギーが乗らなくなって、意図が伝わりにくいことがあるのです。

まったく別のケースを例にしてみます。たとえば、失敗したときに、すみませんと詫びをいれずに、「その件は、このような理由の行き違いからタイミングがわるかったようで失敗しました」というふうに、事実だけをのべると、

発言している側は、なぜ失敗したかの理由を「必要事項」として説明しているつもりでも、聞く側からすると、言い訳をしているような印象になることがあります。

褒めることも同じで、事実のみを述べるだけになると、内容が具体的であるほど、まるで「必要事項の伝達」のような印象を与えてしまうことも、場合によってはあるんですよね。。。

真面目な人は、「個人的な感情を除くほうが、丁寧な印象となって、自分が相手を尊重していることが伝わるのでは」とか、複雑に考え過ぎて、幾重にも配慮したことが逆に、上記のように誤解を招くことも結構あるものです。

褒めているはずが、相手に悪くとられてしまうとか、相手が喜んでいないような微妙な反応になってしまうときには、自分の発言が「具体的に伝えようとしすぎて、説明になっている」ことはないか、考えてみてください(^_^)。

もしも、自分の言動が該当しそうならば、「具体的な説明は、それまでの半分くらい」に留めて、そこに個人的な「感想」を加えて褒めるように、比率を変えてみるといいでしょう。

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2017年3月15日 (水)

自分について知っていくと、引きあう人間関係も変わっていく。

自分をいかすためには、自分について知ることが必要です。

どんな場面でも、無意識でも、自分らしさはあらわれていくものですが、自分について認識しているほうが、「意図的に、その要素をあらわすことができる」という、優位性がでてきます。

知っているほどに「意図していかすという、使い分けや工夫ができる」ことになります。

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たとえば、「自分は、同性の集まりの中で目立つタイプなので、主導権を得やすいようだ」とわかっておくと、活躍にふさわしい集まりを選んで参加することができますよね。さらには、どんな意見を言って役立てたらいいだろうかと、先を見越した準備などもできます。

「自分のいかしやすさを、知っておく」ことは、「こんな場面で、こうすればいい」というマニュアルを手にしているようなものなので、気持ちの上で余裕ができます。

そうなると普段の姿勢や言動にも、余裕があらわれて、他者に与える印象が柔らかいものとなります。

誰もが、「自分を、否定されたくない」と思っています。固い印象の人と、柔らかい印象の人がいれば、後者のほうに引き寄せられます。他者が自分に対して、好感をいだいたり、好意的に接してくれるようになります。

また、自分の側からしても、余裕をもつと許容範囲が広くなります。

余裕がないときは、相手を警戒してしまいます。

余裕をもつことで、それまで対象外と思っていた人が、対象内の範囲に入ってきたり、理解不能だと思っていた相手が、理解可能になっていったりして、

「自分に引きあう人の幅が、以前よりも広がっていく」ようになります。


自分を知り、自分をいかすことで、余裕がうまれていき、

余裕が許容範囲を広げ、

引きあう人間関係が、変わっていきます。

それまでよりずっと、広く豊かな関係を、安心の上に築きあげることができるようになります。

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2017年3月13日 (月)

わかりあえる部分は、バケツ一杯分くらい。

他人について知ることが難しいのは、自分とは、備わっている性質が違うからです。

自分にまったくないものは、わかるという内的な感覚が、呼び起こされません。

自分の中にも同じようなものがあるからこそ、それが響きあって「わかる」という感覚になることができます。

他人について、たくさんのことがわかっているようでも、実際にわかっているのは、自分にも同様のものがある部分のみ、相手の一部分だけとなります。

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相手について知るということは、「自分の感性の器」で、相手の一部分を、すくいあげることです。

水槽くらいの大きさから、バケツで一杯分すくったとして、わかるのはバケツに入った部分のみとなります。

自分の感性という、バケツのサイズが大きい人ほど、相手についてたくさんのことがわかりますが、それでも、全部にはなりません。

「自分という水槽と、自分がもっているバケツ」は、性質が揃っています。

「相手という水槽と、相手がもっているバケツ」も同様です。

しかし、「相手の水槽から、自分がもっているバケツで、自分のほうへとすくいとる」のは・・・、それぞれの性質の違いがあるため、どれほどに大きいサイズのバケツでも、合わない部分はすくいとれません。


自分と相手との人間関係における、「わかりあえる」こととは、

自分という水槽があって、相手という水槽があって、

お互いの間に、「バケツ一杯分の、わかりあえることがある」、というくらいの

一部分であるというイメージが、ちょうどよいのではと思うのです。

そうすれば、何でもわかってくれているはずと期待しすぎず、何でもわかったつもりになりすぎず、適切な度合いを保っていけるように思います(^_^)。

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2017年3月 1日 (水)

共感が苦手な人が、共感力を磨くには?

女性同士の人間関係は、横繋がりの「共感」が重要となります。

「私とあなたは、この点が同じだね」とか、「それ、わかるよー」という感覚を通して、親近感がうまれたり、安心感が広がっていきます。

女性同士の人間関係がうまくいかない人は、この「共感」というセンサーが活性化していないことが多いようです。

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|女性は、共感力が高い人が多い。

共感する力の高さは、生まれもった性質、元から備わっている感性が、かなり関連しています。

そのため、何も努力をしなくても共感力が高い人もいますし、努力をしてもうまくできない人もいますし、努力をしようにもどのような感じがそれに該当するのかイマイチわからないという人もいます。

または、共感すること(相手の感情等を把握すること)はできても、その次の行動として、自分はわかったことをどのようにあらわしていいのかがよくわからない、つまり、「共感したことを、相手に向けて示すことが苦手」というパターンもあります。

相手の喜怒哀楽などの感情や思いを共有できることが共感です。そのためには、言葉による明確な説明などが少なくても、そのことを把握してわかるという感性が必要です。

女性は、こうした把握のセンスが男性よりも高いので、女性同士は自然と共感で繋がりますしそういう繋がり方になることを求めることが多くなります。


|感情の動きを、文章から理解する練習を。

しかし、感性の備わり方には個人差がありますから、女性比で、共感力が高めの人もいれば、低めの人もいます。

共感力があまり高くない女性は、理性や理想での繋がりをつくることを好みますし、そうした関係性を築くのが得意です。しかし、人間関係の相手側がそうした関係を好まないタイプであれば、そこに温度差が大きくでてしまい、浮いてしまうという状況が作られます。

そのため、とても真面目で親切な人でも、人間関係がうまくつくられないことがでてきてしまいます。

感情を、そのままキャッチして把握することが得意でない、ということは、逆から言うと、理性で説明されるほうが理解に繋がることが多いです。

他人の感情の動きについて、または、その感情に対して、女性同士として、どのように反応したり対応したりしていくものであるのかが、文章化されて説明してある「見本」があるといいのです。

といっても、普段の人間関係で、「私の、今の感情というのは、ああなって、こうなって・・・。こんなふうに現状に結びついていてね、それで・・・」というような説明はなされませんので(^_^;)、共感力が低い人が、実際の人間関係を眺めることで、それらを把握することは難しいです。

いい教材となってくれるのは、「小説」や「漫画本」です。

映画やテレビドラマは含まれません。人の演技は、動作の中に示唆があって、必ずしも内面の動きがセリフに込められていないからです。

しかし、小説や漫画であれば、登場人物の内面の描写が、わかりやすい言葉に置き換えられて、これでもかというくらいに(^_^;)とても詳しく記載されています。

それらを通して、人の心の動きを「文字で」「文章で」把握してみることで、自分の中に、解釈の経験値が蓄積されていきます。

「このとき、A子は、こう思っていた」、「それをうけてB子は、このように思ったが、口には出さなかった」、そのことが、思いもよらぬ展開に結びつくのであった!。。。的な(^_^;)笑、大げさにわかりやすく書いてあるものは、人物の感情を拾いやすいです。

登場人物の、感情の動きを、記載された文章のとおりに追っていくことで、他者の感情に同調していくという感覚が、つかめていく効果が期待できると思います。


|わかるようになるほど、新しい「面白さ」がでてくる。

備わっている感性そのものは、簡単には変えられません。

しかし、備わっている幅のうち、まだ使われていないまま、活性化されてない部分は、鍛えることで強くできます(^_^)。

備わっている感性をいっぱいに使えるように、磨いていくという取り組みです。

共感力があまり高くないことも、個性のひとつであり、それ自体が悪いということではないのです。そのままが自分自身であり、それでいいという考え方もできますけれど(^_^)、しかし、人間関係をうまくやっていくことができないと、日常生活全般がスムーズに進まなくなりますから、そこは改善できるならそのほうがずっと自分が楽になります。

だから、悪いところを直すためとかではなく、自分の人生を豊かにするために「苦手をカバーしていく」という目的と、人の感情の動きというのは、とても興味深くて学びになることがたくさん含まれていますから、その面白さを理解するためや、学びを深くするための取り組みという意味もあわせて、とらえていくといいのではないかなーと思います(^_^)。

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2017年2月18日 (土)

ほどよい距離感は、近すぎず、遠すぎず。

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人間関係について、うまくやるためには「ほどよい距離感で」という表現がよく使われますね。

このような文章を読んだときに、おそらく大部分の人が、「近すぎないように」という解釈をあてはめると思うのです。

いくら親しいといっても、個性の違う他人同士なので、近づきすぎると違いが際だってもめごとになることもあるので、ほどよい距離を保った状態でいるのがいい、というふうに。

確かにそのとおりで、近すぎる関係は、見なくてもいいとこが目につきますし、期待し過ぎたり、言わなくてもわかるだろうと配慮がなくなったりしますから、ある程度の距離を保っておくことも大切です。

しかし、距離が遠すぎても、逆の意味で、不調和がつくられます。遠すぎて見えないことが多くなり、助け合うことも支え合うこともなく、お互いを知ることも理解することも難しくなり、お互いの関心が薄れてしまうこともあります。

よい関係のためには、「近すぎないように」も大事ですが、「遠すぎないように」も大事ですね。

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