カテゴリー「11.家族、恋愛、人間関係」の251件の記事

2017年9月17日 (日)

スムーズなやりとりや会話には、慣れと準備と、両方が大事。

人とのやりとり、会話の場面で、「あのとき、もっとこんな言い方をすればよかった」とか、「こういう話題で会話をすればよかったなあ」と、後になって思うような、

ふさわしい会話ができなかった経験は、ほとんどの人が、お持ちのことと思います。

とっさに、言いたいことを適した表現で口にするとか、気の利いた話題を選ぶということは、とても難しいものです。

少し時間がたって、冷静になってやっと、「ああ・・・、こう言えばよかった」と、気づくんですよね(^_^;)。

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こういう経験をしたときには、「この経験を糧として、次の機会に備える」のがよいです。

気づいたことをいかしていけば、次にはもっと、うまくいくはずですから(^_^)。

「こう言えばよかった」「この話題をすればよかった」と思うことを、自分の中で、「次に同じような場面になったら使うための、話題」としてストックしておきましょう。

「気が利いたことが言えなくて、いい関係を作ることができなかった」という後悔があるなら、そのときのことを思い出して、「もしもまた、同じような場面になったとしたら、今度はどのように答えたらいいだろう」と考えて、こちらもストックしておきます。

そして、次の機会では、その中から、ふさわしいものを引き出して使っていくようにします。

気の利いた会話ができる人は、意識的であれ、無意識であれ、そういう準備や思考が普段から身についているので、よどみなく、うまい会話ができるものです。

いきなり、何の準備もないところから、楽しい話題が魔法のように次々とでてくる・・・ことはなく、「こういうときは、このような話題をするといいかな」と考えたり、会話が上手な他人のようすを観察して、「そうか、あんなふうに会話をするといいんだな」と、自分にとりいれたりをしているから、いざという場面でスムーズなのです。

会話のうまさというのは、「慣れ」もありますが、「準備」も役立ちます。

特に、慣れという経験が重ねられる前の段階では、前もって考えておくというひと手間が、心の余裕をつくってくれます(^_^)。

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2017年9月 3日 (日)

お互いに、気づきを与えあう人間関係。

自分と相手が、似ていることに対して、「わかりあえるので、楽」と思うこともあれば、「刺激がなさすぎるので、ものたりない」と思うこともあります。

自分と相手の、違いが大きいことに対して、「違いがあることで補いあえるのが、ありがたい」と思うこともあれば、「この違いが、ストレスだ」と思うこともあります。

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そうした「細部の、いろいろ」は、どんな関係にもつきものですが(^_^;)、

しかし、大きなくくりで見ていけば、他人という存在が自分に与えてくれるものは大きいですよね。

自分だけでは、なかなか気づけないことに気づかせてくれたり、知り得ないことを教えてくれたりして、この世での経験を助けてくれる存在です。

相手がいるから、自分との比較ができて、「自分には無いものを知る」ことができますし、「自分に備わっているものを知る」こともできます。

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2017年8月28日 (月)

うまくいかないのは、悪いのではなく「合わないだけ」かもしれません。

この世とは、個性や価値観が違う人たちがあつまって、お互いの違いの中から学びあう場所なので、「合わない人間関係」に、苦労させられることは多いものです。

しかし、「合わない関係」とは、文字通り「合わない」のであって、「悪い」とは限らない、という理解が大事だと思います。

相手が悪いのではなくても、自分も悪くなくても、うまくいかない関係になってしまうことはあり得ます。

価値観が違いすぎて、ただ合わないだけで、お互いを単体でみれば、どちらにも大きな問題や改善すべき要素はみられないこともありえます。

あわなくても、あわないなりに、なんとかやっていくことが求められる関係もありますから(たとえば会社関係、ママ友関係など(^_^;))、

そういうこともありうる、という、割り切りをもっていくことは大事ですね。

うまくいくように何かの対処や工夫をする場合にでも、その点をわかっておくのと、そうでないのとでは、かなり「心の余裕」が変わってきます(^_^)。

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2017年8月14日 (月)

友だち付き合いが億劫だった気持ちも、年齢で変化していくことがあります。

友だちと関わることが億劫になり、あまり気が乗らなくなるのは、「体力がいっぱいで、やる気に満ちている若い時期」に多いかもしれません。

友だちが嫌いではなくても、関わりに楽しさがあっても、「自力」が大きいときは、それで自分を満たしていけるので、他力をあまり必要としなくて済むというのがあります。

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だんだんと年齢を重ねてくると、体力が下がっていきますし、いろんな責任やら役割やらが増えてきて、自力だけでは大変になることもでてきて

そこで、他力という力の価値が、よくわかるようになります。

ある程度年齢を重ねていくと、以前は「友だち付き合いなんて煩わしい。ひとりでいるのが好き」という人でも、「友だちとの関係を持ちたい」という気持ちが強くなることはあります。

それはとても自然な変化なので、あまり「なぜ」とか「何の理由が」と考え過ぎなくてもいいと思います。

そういう変化をしていくことはありうる、というとらえ方で、今の思うことを、行動にあらわしていくのがいいですね(^_^)。

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2017年7月 2日 (日)

自分と相手の、「時間」に対する認識の差を考える。

40代以降の方からの、ときどきあるご相談に、急に友だちとの関係が疎遠になってしまった、というものがあります。

今までは、問題なく付き合いが続いていて、得に最近になって変わったこともないのに、ここにきて距離を置かれてしまった気がする。

雰囲気からして、どうやら相手側の事情というわけではなく、自分に対して何か思うところがあって、距離をとろうとしているようなのだけれど、その理由がわからない。

何も以前と変わっていないのに何故・・・という相談は、ほとんどが以下の理由となっています。

そうしたケースは、相談者さんが、「話が長いので、会うと時間が掛かる」「話に建設的な内容が少なくて、愚痴が多い」ことが、相手を疲れされていることが多いです。

嫌われているのではないけれども、付き合う距離を変えようとされていて、以前のような親しさや頻度でのやりとりが行われないのです。

「でも、以前も同じ付き合い形で、問題なく楽しんで会話をしてきたのに」と、思われるかもしれませんね。

けれど、40代くらいになると、人生における時間の貴重さが、それ以前の年齢よりもよくわかるようになり、建設的なこと、役立つことに時間を使いたいという気持ちが増えるのです。

楽しみを得ることなども含めて、実りのあることをするなら意義があるけれども、愚痴を言うという行為が、ただ時間を消費するだけに思えて、そういう目的で時間を使いたくないという気持ちがでてくる人もいます。

こうした気持ちの抱き方には個人差がありますから、「愚痴を聞くことに時間をつかう気持ちがなくなってきた人」と、「愚痴をふくめて、女性同士の会話を楽しみたい人」との間で、差がついてしまうときに、以前から変わらない付き合い方をしているのに急に距離を置かれるということが起こるのです。

そしてもうひとつ、人は誰もが年齢とともに、若い頃と同じようにいかない部分がでてきます。40代くらいになると、自分では気がつかなくても耐性がなくなったり、周囲のことを配慮する度合いが減ってきたりするものなのです。

そのため、相手の話を聞くことが本来あまり好きではない人は、よりせっかちになって、聞くという姿勢を保つことが面倒になり(^_^;)、

自分が話すことが好きな人は、相手に聞かせている時間は相手を拘束しているという感覚が薄れてしまい、話が長くなりがちで(^_^;)、

お互いに、「昔のように長く聞いていられなくなる」⇔「昔より、話が長くてくどくなる」ということから、なおのこと、聞き役となる側の人が、態度を変えてしまうことが起こり得るということです。

ですので、こうしたケースに遭遇した場合は、時間を何に使うかということを、より深く考える時期にお互いが入ってきていることに、気づくための機会だととらえて、改めて、自分の人付き合いの姿勢や、時間の使い方などを考えてみるといいと思います。

そうして、改めるところは改めていけば、元から気があってはいたのですから、何かのきっかけでまた、楽しく付き合える関係に戻っていくこともできるでしょう(^_^)。

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2017年6月20日 (火)

家族は、別のたましいの領域から「集まっている」関係です。

まずは前提の知識として。

ブログでもよくとりあげる話題ですが、先祖霊と守護霊はカテゴリーが別の存在となります。

【過去記事】:先祖霊は血縁の繋がり。守護霊はたましいの繋がり

たとえば、今回の人生で、田中家に生まれたとしたら、先祖霊は「田中家の家系」という繋がりの関係ですよね。

田中家のお祖父さんやお祖母さんが、自分の先祖霊ということになります。

守護霊というのは、たましいの繋がりですので、フランス人やアメリカ人が守護霊であるケースもあります。日本人とは限りません。

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ここでタイトルの話題に戻します。

自分の親や兄弟、自分の子どもという「家族」も、血縁の繋がりの関係ですね

つまり、先祖霊と同じカテゴリーの、「たましいの領域は、共通していない」存在となります。

今回の人生では、同じ「田中家」という家族として生まれた仲間同士でも、学びの要素もそれぞれ、備えている個性もそれぞうという、たましいは共通していない関係なのです。

自分と守護霊は、性質その他がとてもよく似ていることが多いけれど、

家族については、「それぞれの場所からきている」存在ですから、容姿や体質という、肉体的なところは共通点が見られるとしても、性質などは、まったく違っていることがあっても、この構図からすると不思議ではないのです。

この世においては、血縁という繋がりが、もっとも根本的な近い関係となりますので、ここが繋がっているのだから、似ているはずだと、つい思い込みを持ってしまいますが

たましいの大元は別ですので、違う個性をもった人同士の集まりとなることも、場合によってはあり得るということです(^_^)。

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2017年6月 6日 (火)

いろいろな人がいるこの場所で、学びをしている。

この世で展開するすべての出来事には、同じ要素をもつもの同士が引きあう「波長の法則というしくみが関連しています。

人間関係についてもこのしくみが当てはまり、何かの共通点を持つ人同士で、関わりがつくられていくことになります。

しかし、その度合いは、いろいろで、共通点がたくさんある相手もいれば、ほんの少しの相手もいます。

それがこの世の、人間関係の難しさであり、学びでもあります。

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共通点の度合いが違うからこそ、わかることがある。

Aさんとは、心地よいと感じる対象が似ているので気を使わないでいられる、しかしBさんはまったく違っていて、配慮してあげても喜ばれないのでよくわからない、・・・という2つの人間関係があるとして、

Aさんとの共通点から、「ここが同じだな」と自分を知り、

Bさんとの違いからも「ここがまったく違う」と自分を知ることができます。

そして、自分との比較だけでなく、AさんとBさんについて、「あの二人は金銭感覚が似ている、しかし、お金を使いたい対象がまったく違う」などと、他者同士の比較でわかることがでてきたりもします。

共通点が多い人ばかりの集団にいても、違いに気づくことができません。違和感がないと、警戒感もありません。安心していられる分、あまり深く考えません。

共通点が少ない人ばかりの集団にいると、違いが気になるものの、比較して計るという感覚が働きません。違うことの警戒感や不安が先にたち、どこが違うのか、どうすればいいのかという建設的な思考になれないものです。

共通点が多い人も、少ない人も、いろいろいるからこそ、安心したり、警戒したり、いろんな感情を持つことができます。

事実の違いからも、自分の抱く感情や思いの違いからも、たくさんのことを計って、わかることが増えていきます。

もしも、自分をとりまく人間関係が、「共通点が多い人ばかり」だったとしたら・・・、

とても気楽にいられて、緊張することも警戒することも少ない状態で過ごせそうです。

しかしその分、「今の自分がわかっている、いろいろな知識や知恵」は得られず、「これをしてみたい!」「こんなふうに頑張りたい!」という、意欲や向上心も、わいてこないかもしれません。

そう考えてみれば、共通点が多い人も、少ない人も、どちらも必要であるとわかります。

私たちが過ごしているこの世という場所は、必要な要素で構成されている、学びに最適な場所なのでしょうね(^_^)。

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2017年6月 5日 (月)

雑談をする関係は、信頼する関係へのステップとなる。

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特にテーマのない、気楽な会話を「雑談」と言いますね。女性同士が数人集まって、その場でおしゃべりが続くというのは、ほとんどがこうした、その場限りの「雑談」です。

こうした会話が、とても気楽で気分転換になるので楽しいと思う人もいれば、何にも役立つわけでもない、どうでもいい会話をするのは無駄に思えて苦痛だととらえる人もいます。

確かに、ほとんどの「雑談の中身」は、それほど大きな意味も、役立つものもないかもしれません。

けれど、数人が集まって「雑談をすること」には意味があります。

深刻ではない内容だからこそ、お互いに緊張感や警戒感を緩めることができます。

得られる情報や知恵は少ないかもしれないですが、構えなくてすむので気楽でいられますよね。

お互いの、親しさや信頼を作るための「前段階」として、そうした緊張感のない気楽な会話をするという行為を重ねることは、必要なプロセスです

それぞれの生活や人生の参考になるような、意味や意義のある会話ができるようになるのは、「そこから先」の関係においてのことですから。

雑談は、スポーツをする前の、準備運動のようなものですね。

お互いに緊張感と警戒感を緩め、親近感をつくっていくことに繋がり、そこから先の深まりや広がりの可能性を探るという意味で、雑談にはメリットがあります。

その場限りの、どうでもいい話題をしているようでも、お互いに、「どのくらい話が通じる相手だろうか」とか、「自分と価値観は似ているだろうか」と、無意識ながら探り合ったりもしているものです。

あまり話が合わないから距離を詰めないという判断も、雑談の段階だからこそ可能であり、直接的な深い話になったら、それも難しくなりますよね。お互いの表面的な関係を壊さないためにも、そうした軽い話の機会を持つことは役立ちます。

特定のテーマをもつ、深い話ばかりでは、やりとりが重くて疲れます。

雑談という軽い話だからこそ、構えずにいられて、それが役立つこともあるということですね。

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2017年5月27日 (土)

違いが大きいほど、気づきも大きくなる。

この世の学びとして、人間関係ほど、苦労させられるものはありません(^_^;)。

本当にまあ、次から次へと、いろんな課題がやってくるなぁ、という感じで、おわりなく「いろいろ」が起こるものですよね。

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それぞれ独自の個性をもっている人が、集まっている場所が「この世」です。

同じものが引き寄せ合う、「波長の法則」というスピリチュアルなしくみは、何もかもが共通しているという意味ではありません。小さい比率でも、引きあうものがあれば関係が作られることもあります。

ですから、表向きはまったく違っていて、共通点などあるとは思えないような相手とも、何かが引きあって、関わりがつくられてしまうこともあります。

似ている点が小さく、違いが大きい相手との関係は、負担を感じやすいですね。

しかし、違いが大きい相手からは、気づかされることもまた大きいという、メリットもあります。

この世では、「あれ」と「これ」を比較することで、違いから「わかる」という気づきが生まれます。この感覚には、時間というしくみが関連していることは、これまで何度もお伝えしたとおりです。

この世に生きる私たちにとって、比較をして、違いから把握するという気づき方は、もっとも認識しやすい手法なのです。

この世で、気づきを与えてくれる対象は、人以外にもたくさんあります。たとえば、理想と現実が違うことだったり、自分の中にある、内的な思いが変化していくことだったり、そうした「違い」も、いろんなことを気づかせてくれて学ばせてくれます。

それらは、自分がそのことに意識を向けない限り、あまり気にしないでいられるので、自分が気づくタイミングで気づいて、学びにしていくという、どちらかというと「静の気づき」ですね。

ところが、人間関係は、相手の意思がありますから、自分の都合は無関係に、いきなり動きがついたり、思わぬ働きかけを思わぬタイミングでされたりという、「動の気づき」が与えられます。

動の気づきには、動きの大きさに比例して、反応も大きくなります。ときにそれが、対立になったり、感情が乱されてカチンとくることもあったり、気づくけれども、それを受けとめる負担もでてきます。

動きが大きいものが、与える振動は大きい、ということです。

良くも、悪くも。

大きい振動は、印象も刺激も大きく、学びになり、気づきになり、役立つ面が多分にあるけれども、やはり、大きい分だけ、受けとめる負担というものが、発生してくるということなのです。

違いが大きいほど、違う振動(=波長)に、揺り動かされることになりますから、

得られるけれども、負担もでる、ということです。

そして、得たことを実感するまでには、ある程度の時間が掛かります。このことに気づくには、また別の「何かとの比較」が必要になるからです。「ああ、あのとき、こんなふうに経験値となって得られていたんだなぁ」と思える何かが起こったときに、「わかる」ので(^_^)。

しかし、負担のほうは、すぐに「わかり」ますよね(^_^;)笑。それまでの平穏さとの比較をすれば、こちらは違いが顕著なので、こちらのほうが、いとも簡単に認識されやすいため、

人間関係の違いによる負担で苦労させられている点だけが、自分の中で、クローズアップされているだけで、苦労の分だけ実は、得られてもいるということなのです。

・・・なかなか、気づきにくいですが(^_^;)。

人間関係で、相手との違いで苦労させられているときは、「きっと、何か得られているんだろう。気づくタイミングは今ではないけれど、またいつか何かの出来事がそれを教えてkるれるだろう」と、未来を楽しみにしましょう(^_^)。

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2017年5月12日 (金)

大人になるほど、難しくなる人間関係。

人間関係というのは、若いうちのほうが簡単で、年齢が重なっていくほどに難しくなるものです。

なぜなら、若いうちの人間関係は「シンプルな、ひとつの立ち位置」で、大人になるほど、「相対的な立ち位置のバリエーション」を、考慮しなければならなくなるからです。

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相対とは、「他との関係で、成立していること」です。他との比較から、関係性と、自分の立ち位置がきまるようなことですね。

あの人より自分のほうが背が高いとか、この中では自分が最も新入りだとか。

田中さんが上司で、自分はその部下である、とか。

組織が存在して、上司がいるからこそ、その下の部下という役割が発生します。何も組織も上下関係もないところに、部下という序列はいきなり存在しません。

若いうちは、こうした立場がシンプルです。ほとんどの場面で、「自分が一番下」になります。

学校にいけば生徒で、家族内では子どもで、会社にいけば部下で、いろいろな場面があるようでいて、しかし「自分が、一番下」という共通点があります。

年齢を重ねて大人になれば、自分も部下を抱えるようになります。自分も子どもを持つかもしれません。当たり前のことだけれども、年齢という単純な序列でも、自分より下の層が増えていきます。

自分とは、実家では「親の子ども」であり、自分の家では「子どもの親」であり、「部長からみれば部下」であり、「新人からみれば上司」であり・・・、というふうに、その場面ごとに、いろんな役をやらなければならなくなります。

自分の親に対しての子どもとしてのふるまいと、自分の子どもに対しての親としてのふるまいはまったく違いますよね。その時々で、上になったり、下になったり・・・、それはもう、使い分けが忙しくなります。

社会との関わりの場面が多くなるほどに、「その場での自分の立ち位置」も、比例して多くなります。

自分が備えている幅ひろい要素のうち、何を前面に出してふるまうかの判断を瞬時に行い、臨機応変に切り換えていかなければならないですから、普通に一日を過ごすだけでもくたくたになりますね(^_^;)。

ですから、大人になるほどに、あらゆる人間関係において、難しさがでてくるのは当然のことで、「そういうもの」です。

立ち位置のバリエーションが増えるほどに、負担は大きくなるけれど、しかし、若い頃に、「下というポジションにいさせてもらった」ことはありがたいことで、そこは「順番」ですので、今度は自分も、上の立場として頑張っていこうという意識をもって(^_^)、いろんな役割にとり組んでいきましょう。

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