カテゴリー「11.家族、恋愛、人間関係」の247件の記事

2017年7月 2日 (日)

自分と相手の、「時間」に対する認識の差を考える。

40代以降の方からの、ときどきあるご相談に、急に友だちとの関係が疎遠になってしまった、というものがあります。

今までは、問題なく付き合いが続いていて、得に最近になって変わったこともないのに、ここにきて距離を置かれてしまった気がする。

雰囲気からして、どうやら相手側の事情というわけではなく、自分に対して何か思うところがあって、距離をとろうとしているようなのだけれど、その理由がわからない。

何も以前と変わっていないのに何故・・・という相談は、ほとんどが以下の理由となっています。

そうしたケースは、相談者さんが、「話が長いので、会うと時間が掛かる」「話に建設的な内容が少なくて、愚痴が多い」ことが、相手を疲れされていることが多いです。

嫌われているのではないけれども、付き合う距離を変えようとされていて、以前のような親しさや頻度でのやりとりが行われないのです。

「でも、以前も同じ付き合い形で、問題なく楽しんで会話をしてきたのに」と、思われるかもしれませんね。

けれど、40代くらいになると、人生における時間の貴重さが、それ以前の年齢よりもよくわかるようになり、建設的なこと、役立つことに時間を使いたいという気持ちが増えるのです。

楽しみを得ることなども含めて、実りのあることをするなら意義があるけれども、愚痴を言うという行為が、ただ時間を消費するだけに思えて、そういう目的で時間を使いたくないという気持ちがでてくる人もいます。

こうした気持ちの抱き方には個人差がありますから、「愚痴を聞くことに時間をつかう気持ちがなくなってきた人」と、「愚痴をふくめて、女性同士の会話を楽しみたい人」との間で、差がついてしまうときに、以前から変わらない付き合い方をしているのに急に距離を置かれるということが起こるのです。

そしてもうひとつ、人は誰もが年齢とともに、若い頃と同じようにいかない部分がでてきます。40代くらいになると、自分では気がつかなくても耐性がなくなったり、周囲のことを配慮する度合いが減ってきたりするものなのです。

そのため、相手の話を聞くことが本来あまり好きではない人は、よりせっかちになって、聞くという姿勢を保つことが面倒になり(^_^;)、

自分が話すことが好きな人は、相手に聞かせている時間は相手を拘束しているという感覚が薄れてしまい、話が長くなりがちで(^_^;)、

お互いに、「昔のように長く聞いていられなくなる」⇔「昔より、話が長くてくどくなる」ということから、なおのこと、聞き役となる側の人が、態度を変えてしまうことが起こり得るということです。

ですので、こうしたケースに遭遇した場合は、時間を何に使うかということを、より深く考える時期にお互いが入ってきていることに、気づくための機会だととらえて、改めて、自分の人付き合いの姿勢や、時間の使い方などを考えてみるといいと思います。

そうして、改めるところは改めていけば、元から気があってはいたのですから、何かのきっかけでまた、楽しく付き合える関係に戻っていくこともできるでしょう(^_^)。

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2017年6月20日 (火)

家族は、別のたましいの領域から「集まっている」関係です。

まずは前提の知識として。

ブログでもよくとりあげる話題ですが、先祖霊と守護霊はカテゴリーが別の存在となります。

【過去記事】:先祖霊は血縁の繋がり。守護霊はたましいの繋がり

たとえば、今回の人生で、田中家に生まれたとしたら、先祖霊は「田中家の家系」という繋がりの関係ですよね。

田中家のお祖父さんやお祖母さんが、自分の先祖霊ということになります。

守護霊というのは、たましいの繋がりですので、フランス人やアメリカ人が守護霊であるケースもあります。日本人とは限りません。

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ここでタイトルの話題に戻します。

自分の親や兄弟、自分の子どもという「家族」も、血縁の繋がりの関係ですね

つまり、先祖霊と同じカテゴリーの、「たましいの領域は、共通していない」存在となります。

今回の人生では、同じ「田中家」という家族として生まれた仲間同士でも、学びの要素もそれぞれ、備えている個性もそれぞうという、たましいは共通していない関係なのです。

自分と守護霊は、性質その他がとてもよく似ていることが多いけれど、

家族については、「それぞれの場所からきている」存在ですから、容姿や体質という、肉体的なところは共通点が見られるとしても、性質などは、まったく違っていることがあっても、この構図からすると不思議ではないのです。

この世においては、血縁という繋がりが、もっとも根本的な近い関係となりますので、ここが繋がっているのだから、似ているはずだと、つい思い込みを持ってしまいますが

たましいの大元は別ですので、違う個性をもった人同士の集まりとなることも、場合によってはあり得るということです(^_^)。

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2017年6月 6日 (火)

いろいろな人がいるこの場所で、学びをしている。

この世で展開するすべての出来事には、同じ要素をもつもの同士が引きあう「波長の法則というしくみが関連しています。

人間関係についてもこのしくみが当てはまり、何かの共通点を持つ人同士で、関わりがつくられていくことになります。

しかし、その度合いは、いろいろで、共通点がたくさんある相手もいれば、ほんの少しの相手もいます。

それがこの世の、人間関係の難しさであり、学びでもあります。

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共通点の度合いが違うからこそ、わかることがある。

Aさんとは、心地よいと感じる対象が似ているので気を使わないでいられる、しかしBさんはまったく違っていて、配慮してあげても喜ばれないのでよくわからない、・・・という2つの人間関係があるとして、

Aさんとの共通点から、「ここが同じだな」と自分を知り、

Bさんとの違いからも「ここがまったく違う」と自分を知ることができます。

そして、自分との比較だけでなく、AさんとBさんについて、「あの二人は金銭感覚が似ている、しかし、お金を使いたい対象がまったく違う」などと、他者同士の比較でわかることがでてきたりもします。

共通点が多い人ばかりの集団にいても、違いに気づくことができません。違和感がないと、警戒感もありません。安心していられる分、あまり深く考えません。

共通点が少ない人ばかりの集団にいると、違いが気になるものの、比較して計るという感覚が働きません。違うことの警戒感や不安が先にたち、どこが違うのか、どうすればいいのかという建設的な思考になれないものです。

共通点が多い人も、少ない人も、いろいろいるからこそ、安心したり、警戒したり、いろんな感情を持つことができます。

事実の違いからも、自分の抱く感情や思いの違いからも、たくさんのことを計って、わかることが増えていきます。

もしも、自分をとりまく人間関係が、「共通点が多い人ばかり」だったとしたら・・・、

とても気楽にいられて、緊張することも警戒することも少ない状態で過ごせそうです。

しかしその分、「今の自分がわかっている、いろいろな知識や知恵」は得られず、「これをしてみたい!」「こんなふうに頑張りたい!」という、意欲や向上心も、わいてこないかもしれません。

そう考えてみれば、共通点が多い人も、少ない人も、どちらも必要であるとわかります。

私たちが過ごしているこの世という場所は、必要な要素で構成されている、学びに最適な場所なのでしょうね(^_^)。

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2017年6月 5日 (月)

雑談をする関係は、信頼する関係へのステップとなる。

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特にテーマのない、気楽な会話を「雑談」と言いますね。女性同士が数人集まって、その場でおしゃべりが続くというのは、ほとんどがこうした、その場限りの「雑談」です。

こうした会話が、とても気楽で気分転換になるので楽しいと思う人もいれば、何にも役立つわけでもない、どうでもいい会話をするのは無駄に思えて苦痛だととらえる人もいます。

確かに、ほとんどの「雑談の中身」は、それほど大きな意味も、役立つものもないかもしれません。

けれど、数人が集まって「雑談をすること」には意味があります。

深刻ではない内容だからこそ、お互いに緊張感や警戒感を緩めることができます。

得られる情報や知恵は少ないかもしれないですが、構えなくてすむので気楽でいられますよね。

お互いの、親しさや信頼を作るための「前段階」として、そうした緊張感のない気楽な会話をするという行為を重ねることは、必要なプロセスです

それぞれの生活や人生の参考になるような、意味や意義のある会話ができるようになるのは、「そこから先」の関係においてのことですから。

雑談は、スポーツをする前の、準備運動のようなものですね。

お互いに緊張感と警戒感を緩め、親近感をつくっていくことに繋がり、そこから先の深まりや広がりの可能性を探るという意味で、雑談にはメリットがあります。

その場限りの、どうでもいい話題をしているようでも、お互いに、「どのくらい話が通じる相手だろうか」とか、「自分と価値観は似ているだろうか」と、無意識ながら探り合ったりもしているものです。

あまり話が合わないから距離を詰めないという判断も、雑談の段階だからこそ可能であり、直接的な深い話になったら、それも難しくなりますよね。お互いの表面的な関係を壊さないためにも、そうした軽い話の機会を持つことは役立ちます。

特定のテーマをもつ、深い話ばかりでは、やりとりが重くて疲れます。

雑談という軽い話だからこそ、構えずにいられて、それが役立つこともあるということですね。

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2017年5月27日 (土)

違いが大きいほど、気づきも大きくなる。

この世の学びとして、人間関係ほど、苦労させられるものはありません(^_^;)。

本当にまあ、次から次へと、いろんな課題がやってくるなぁ、という感じで、おわりなく「いろいろ」が起こるものですよね。

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それぞれ独自の個性をもっている人が、集まっている場所が「この世」です。

同じものが引き寄せ合う、「波長の法則」というスピリチュアルなしくみは、何もかもが共通しているという意味ではありません。小さい比率でも、引きあうものがあれば関係が作られることもあります。

ですから、表向きはまったく違っていて、共通点などあるとは思えないような相手とも、何かが引きあって、関わりがつくられてしまうこともあります。

似ている点が小さく、違いが大きい相手との関係は、負担を感じやすいですね。

しかし、違いが大きい相手からは、気づかされることもまた大きいという、メリットもあります。

この世では、「あれ」と「これ」を比較することで、違いから「わかる」という気づきが生まれます。この感覚には、時間というしくみが関連していることは、これまで何度もお伝えしたとおりです。

この世に生きる私たちにとって、比較をして、違いから把握するという気づき方は、もっとも認識しやすい手法なのです。

この世で、気づきを与えてくれる対象は、人以外にもたくさんあります。たとえば、理想と現実が違うことだったり、自分の中にある、内的な思いが変化していくことだったり、そうした「違い」も、いろんなことを気づかせてくれて学ばせてくれます。

それらは、自分がそのことに意識を向けない限り、あまり気にしないでいられるので、自分が気づくタイミングで気づいて、学びにしていくという、どちらかというと「静の気づき」ですね。

ところが、人間関係は、相手の意思がありますから、自分の都合は無関係に、いきなり動きがついたり、思わぬ働きかけを思わぬタイミングでされたりという、「動の気づき」が与えられます。

動の気づきには、動きの大きさに比例して、反応も大きくなります。ときにそれが、対立になったり、感情が乱されてカチンとくることもあったり、気づくけれども、それを受けとめる負担もでてきます。

動きが大きいものが、与える振動は大きい、ということです。

良くも、悪くも。

大きい振動は、印象も刺激も大きく、学びになり、気づきになり、役立つ面が多分にあるけれども、やはり、大きい分だけ、受けとめる負担というものが、発生してくるということなのです。

違いが大きいほど、違う振動(=波長)に、揺り動かされることになりますから、

得られるけれども、負担もでる、ということです。

そして、得たことを実感するまでには、ある程度の時間が掛かります。このことに気づくには、また別の「何かとの比較」が必要になるからです。「ああ、あのとき、こんなふうに経験値となって得られていたんだなぁ」と思える何かが起こったときに、「わかる」ので(^_^)。

しかし、負担のほうは、すぐに「わかり」ますよね(^_^;)笑。それまでの平穏さとの比較をすれば、こちらは違いが顕著なので、こちらのほうが、いとも簡単に認識されやすいため、

人間関係の違いによる負担で苦労させられている点だけが、自分の中で、クローズアップされているだけで、苦労の分だけ実は、得られてもいるということなのです。

・・・なかなか、気づきにくいですが(^_^;)。

人間関係で、相手との違いで苦労させられているときは、「きっと、何か得られているんだろう。気づくタイミングは今ではないけれど、またいつか何かの出来事がそれを教えてkるれるだろう」と、未来を楽しみにしましょう(^_^)。

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2017年5月12日 (金)

大人になるほど、難しくなる人間関係。

人間関係というのは、若いうちのほうが簡単で、年齢が重なっていくほどに難しくなるものです。

なぜなら、若いうちの人間関係は「シンプルな、ひとつの立ち位置」で、大人になるほど、「相対的な立ち位置のバリエーション」を、考慮しなければならなくなるからです。

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相対とは、「他との関係で、成立していること」です。他との比較から、関係性と、自分の立ち位置がきまるようなことですね。

あの人より自分のほうが背が高いとか、この中では自分が最も新入りだとか。

田中さんが上司で、自分はその部下である、とか。

組織が存在して、上司がいるからこそ、その下の部下という役割が発生します。何も組織も上下関係もないところに、部下という序列はいきなり存在しません。

若いうちは、こうした立場がシンプルです。ほとんどの場面で、「自分が一番下」になります。

学校にいけば生徒で、家族内では子どもで、会社にいけば部下で、いろいろな場面があるようでいて、しかし「自分が、一番下」という共通点があります。

年齢を重ねて大人になれば、自分も部下を抱えるようになります。自分も子どもを持つかもしれません。当たり前のことだけれども、年齢という単純な序列でも、自分より下の層が増えていきます。

自分とは、実家では「親の子ども」であり、自分の家では「子どもの親」であり、「部長からみれば部下」であり、「新人からみれば上司」であり・・・、というふうに、その場面ごとに、いろんな役をやらなければならなくなります。

自分の親に対しての子どもとしてのふるまいと、自分の子どもに対しての親としてのふるまいはまったく違いますよね。その時々で、上になったり、下になったり・・・、それはもう、使い分けが忙しくなります。

社会との関わりの場面が多くなるほどに、「その場での自分の立ち位置」も、比例して多くなります。

自分が備えている幅ひろい要素のうち、何を前面に出してふるまうかの判断を瞬時に行い、臨機応変に切り換えていかなければならないですから、普通に一日を過ごすだけでもくたくたになりますね(^_^;)。

ですから、大人になるほどに、あらゆる人間関係において、難しさがでてくるのは当然のことで、「そういうもの」です。

立ち位置のバリエーションが増えるほどに、負担は大きくなるけれど、しかし、若い頃に、「下というポジションにいさせてもらった」ことはありがたいことで、そこは「順番」ですので、今度は自分も、上の立場として頑張っていこうという意識をもって(^_^)、いろんな役割にとり組んでいきましょう。

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2017年4月11日 (火)

人との距離感は、すべてにあてはまる正解はない。

コミュニケーションというのは、「こうするのがちょうどよいという、適度」がとてもむずかしいものです。少なすぎたり、多すぎたり、または、内容ではなく、タイミングが早すぎたり、遅すぎたりという、ちょっとしたことで、かみ合わなくなることがあります。

暗黙の了解とか、空気を読んで大人の対応をするのがいい、とされることもあれば、他人なのだから言わないとわからない、という場面もあったりで、たったひとつの正解がないのが、人間関係のやりとりです。

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何が適切であり、どこが適度であるかは、相手によって変わります。相手が変わると、「自分と相手との距離感」が変わるからです。

または、状況によっても変わります。同じ相手に対しても、使い分けが必要になることもありますよね。たとえば、会社の同僚とのやりとりを、「会社で行う場合」と、「休日に私的な事柄で行う場合」とでは、距離感もかわります。

いずれの場合でも、「距離感をはかる」という意識が大事なこととなります。

たくさん経験によって、そうした感覚はつくられていきますので、人と関わることや、物事を見聞きする機会をたくさん増やしていくことです(^_^)。

うまくいったら、こうすればいいとわかり、うまくいかなければ、これではうまくないんだなとわかり、少しずつの理解の積み重なりと、都度の微調整によって、距離感のとり方やはかり方が洗練されたものになっていきます。

経験が増えるほど、比較してわかることがありますし、たくさんの中の共通点も把握できることから、「わかる」が増えるものなんですよね(^_^)。

 

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2017年4月 9日 (日)

大人の人間関係において、「感情」をどう扱い、問題をおさめるか。

生活においても、仕事においても、悩みごとには「人間関係」が関連してくるものです。

すべての人がそうですよね、子どもも、大人も。

子どもの頃は特に、人間関係以外のことが、困りごとにはなりませんね(子どもは、それが「悩み」という認識にはならないとしても)。

そんな中で、大人の人間関係のみに出てくる問題とは、お互いの「利害」が絡んだいろいろがあるという点ではないでしょうか。それぞれの立場が絡んで、スムーズにいかないことがでてきます。

その点を除けば、人間関係の悩みというのは、大人から子どもまで等しく、何かしらの感情が絡み合った問題です。

感情の問題というのは、どの年代においても変わらず発生するものである、ということなのでしょう。

もし人間関係で、何かスムーズにいかない場面がでてきたら、目の前にいる相手の姿が大人でも(お互いに)、悩みとなっている問題を作りだしている部分は、中高生の頃と同じような感情面かもしれない、という前提で眺めてみてください。

そうすると、難しくこじれている問題に思えることも、感情というシンプルな問題であることがよくわかるはずです。

そういう前提で眺めると、不思議と、相手の感情がわかってくるもので、そこが本音なんだなと気づきます。

しかし、(ここが重要)大人同士の人間関係を解決するときには、「建前上の、理性的っぽい理由」が、円滑な関係のためには必要だったりします(^_^;)。

相手へ意見を述べる場合にも、自分が謙って合わせる場合にも「それらしい表面上の理由」があるほうが、感情を収めやすくなります。

大人にはプライドがあり、それを守ったり、触れないようにしたり(どちらを望むかは、その人の性格による)する配慮という、一工程が、必要になることが多々あるということです。

それって感情の問題だよね、・・・なんて、「本当のこと」を口にしてしまうのは、大人のやることではないですね。何でも言えばいいってもんじゃないので。

スムーズにいかない問題に、何かしらの感情が絡んでいるのは、大人同士も、子ども同士もほとんど変わりません。

しかし、「感情のことが問題だから、感情を解決しよう」とストレートに扱うことが通るのは、子ども同士の関係のみで、

大人同士の場合は、「理性的な建前の理由を用いながら、(実際のところの)感情の問題をうまく収めていくようにする」のが、上手な人間関係の「こなし方」だと思います。

 

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2017年3月20日 (月)

人から好かれる自分であるには。

人間関係の悩みとしてご相談いただく中に、「自分は、人から好かれない」というものがあります。

特に、嫌がられるようなことはしていないし、特定の出来事やきっかけがあったようにも思えないが、好かれていないのは、「自分の性格が悪い」からだろうか、ならばどこを直したらいいのだろう、具体的にどこが悪いのだろう、という悩み方をしているケースの大部分は、

「性格が悪いから」ではなく、「考え方が、受け身過ぎるから」というのが原因です。

あくまで「考え方」ですよ、行動が受け身、ではなく。

仮に、行動をたくさんしていて、人との関わりも多くても、上記のようなことが起こってしまうことはあります。

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|ちゃんとしていれば評価「される」、という感覚。

「考え方が受け身」な人というのは、「相手から○○をしてもらう自分」という立ち位置を基準にしていて、「自分が、相手に○○をしてあげる側になる」という考え方が、あまり馴染まなく、自分がちゃんとしていれば好かれるはずだ、と、思い込んでいたります。

子どもの頃によくある、「優等生的でいれば、評価される」という価値観をそのまま、大人になってももっているかのような感覚です。

そのため、「好かれないのは、ちゃんとしていないからだろうか?」と心配になり、「性格が悪いからだろうか?」という認識に結びつくのだと思いますが、

大人の社会では、「自分が、してもらう」ためには、自分もまた「誰かのために、してあげる」側にもなることが必要です。



|自分の良さを「あらわすこと」が、必要。

好かれないのは、性格が悪いからではありません(こういう悩み方をしている人に、実際に性格が酷いケースはあまり見られません)。

「自分が、相手に何かをしてあげることが、自分への好意の獲得になる」という、「繋がり」の理解が十分でないからです。

そういうことはあからさまで、いかにもなわざとらしいことで、よくないことのように思えて抵抗感がでてくるという人もいるでしょう。

しかし、どんなに素晴らしい性格や性質を内包していても、「自分と他人は、別の感性をもっている、別のたましい」ですから、あらわさなければ伝わりませんからね(^_^)。

あからさまな、わざとらしいことをすべきという意味ではないし(^_^;)、自分を実際以上に良く見せるほうがいいということでもないけれど、

自分のありのまま、そのままの素晴らしさも、「伝えるために、あらわす」ことをしなければ、伝わりにくいし、評価もされにくいということです。



|自分も、「相手に、してあげる側」になること。

たとえば、自分が誰かに「あの人は、性格がいいね」と思うとしたら、その人の受け答えが爽やかだったとか、親切だったとか、譲ってくれたとか、合わせてくれたとか、そうした「性格の良さがあらわれている何か」から受ける印象のはずです。

相手のために、してあげる側になることが、自然にできていれば、好かれようとしていなくても、自然と好かれるようになります。

誰もが、何かしてもらったらありがたいですから、自然と好印象をいだきますからね。



|「される」から、「する」へ、意識を切り換えていく。

話は戻りますが、冒頭の「考え方が受け身」というのは、「される」ことや、「されていない」ことに焦点がおかれている考え方のことです。

これだと、全面的に「相手任せ」になっていますよね。

自分が、誰かに「する」ことや、「していないこと」に焦点をおいて、どのように「していく」かという考えに基づいた行動をあらわしていくのが、自主性のある考え方で、そうした思考に基づいた行動は、人の関心を集めますし、

誰かに何かをすることが役立っていけば、自然と多くの好意も集まってきます。

この記事のタイトルは、「人から好かれる自分であるには」です。

人から好かれる自分に「なる」には、ではないところに注目です。つまり、今の自分を変えて、もっとこうなるべき、という話ではない、ということです。

自分が内包している、人から好かれるような性質をあらわしていくこと、そうある自分を伝えていくことが、好かれることに繋がります。

ちょっとした意識の転換です。それだけで、自分が変わり、周囲の反応も変わります(^_^)。

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2017年3月15日 (水)

自分について知っていくと、引きあう人間関係も変わっていく。

自分をいかすためには、自分について知ることが必要です。

どんな場面でも、無意識でも、自分らしさはあらわれていくものですが、自分について認識しているほうが、「意図的に、その要素をあらわすことができる」という、優位性がでてきます。

知っているほどに「意図していかすという、使い分けや工夫ができる」ことになります。

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たとえば、「自分は、同性の集まりの中で目立つタイプなので、主導権を得やすいようだ」とわかっておくと、活躍にふさわしい集まりを選んで参加することができますよね。さらには、どんな意見を言って役立てたらいいだろうかと、先を見越した準備などもできます。

「自分のいかしやすさを、知っておく」ことは、「こんな場面で、こうすればいい」というマニュアルを手にしているようなものなので、気持ちの上で余裕ができます。

そうなると普段の姿勢や言動にも、余裕があらわれて、他者に与える印象が柔らかいものとなります。

誰もが、「自分を、否定されたくない」と思っています。固い印象の人と、柔らかい印象の人がいれば、後者のほうに引き寄せられます。他者が自分に対して、好感をいだいたり、好意的に接してくれるようになります。

また、自分の側からしても、余裕をもつと許容範囲が広くなります。

余裕がないときは、相手を警戒してしまいます。

余裕をもつことで、それまで対象外と思っていた人が、対象内の範囲に入ってきたり、理解不能だと思っていた相手が、理解可能になっていったりして、

「自分に引きあう人の幅が、以前よりも広がっていく」ようになります。


自分を知り、自分をいかすことで、余裕がうまれていき、

余裕が許容範囲を広げ、

引きあう人間関係が、変わっていきます。

それまでよりずっと、広く豊かな関係を、安心の上に築きあげることができるようになります。

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