カテゴリー「11.家族、恋愛、人間関係」の114件の記事

2017年7月 2日 (日)

自分と相手の、「時間」に対する認識の差を考える。

40代以降の方からの、ときどきあるご相談に、急に友だちとの関係が疎遠になってしまった、というものがあります。

今までは、問題なく付き合いが続いていて、得に最近になって変わったこともないのに、ここにきて距離を置かれてしまった気がする。

雰囲気からして、どうやら相手側の事情というわけではなく、自分に対して何か思うところがあって、距離をとろうとしているようなのだけれど、その理由がわからない。

何も以前と変わっていないのに何故・・・という相談は、ほとんどが以下の理由となっています。

そうしたケースは、相談者さんが、「話が長いので、会うと時間が掛かる」「話に建設的な内容が少なくて、愚痴が多い」ことが、相手を疲れされていることが多いです。

嫌われているのではないけれども、付き合う距離を変えようとされていて、以前のような親しさや頻度でのやりとりが行われないのです。

「でも、以前も同じ付き合い形で、問題なく楽しんで会話をしてきたのに」と、思われるかもしれませんね。

けれど、40代くらいになると、人生における時間の貴重さが、それ以前の年齢よりもよくわかるようになり、建設的なこと、役立つことに時間を使いたいという気持ちが増えるのです。

楽しみを得ることなども含めて、実りのあることをするなら意義があるけれども、愚痴を言うという行為が、ただ時間を消費するだけに思えて、そういう目的で時間を使いたくないという気持ちがでてくる人もいます。

こうした気持ちの抱き方には個人差がありますから、「愚痴を聞くことに時間をつかう気持ちがなくなってきた人」と、「愚痴をふくめて、女性同士の会話を楽しみたい人」との間で、差がついてしまうときに、以前から変わらない付き合い方をしているのに急に距離を置かれるということが起こるのです。

そしてもうひとつ、人は誰もが年齢とともに、若い頃と同じようにいかない部分がでてきます。40代くらいになると、自分では気がつかなくても耐性がなくなったり、周囲のことを配慮する度合いが減ってきたりするものなのです。

そのため、相手の話を聞くことが本来あまり好きではない人は、よりせっかちになって、聞くという姿勢を保つことが面倒になり(^_^;)、

自分が話すことが好きな人は、相手に聞かせている時間は相手を拘束しているという感覚が薄れてしまい、話が長くなりがちで(^_^;)、

お互いに、「昔のように長く聞いていられなくなる」⇔「昔より、話が長くてくどくなる」ということから、なおのこと、聞き役となる側の人が、態度を変えてしまうことが起こり得るということです。

ですので、こうしたケースに遭遇した場合は、時間を何に使うかということを、より深く考える時期にお互いが入ってきていることに、気づくための機会だととらえて、改めて、自分の人付き合いの姿勢や、時間の使い方などを考えてみるといいと思います。

そうして、改めるところは改めていけば、元から気があってはいたのですから、何かのきっかけでまた、楽しく付き合える関係に戻っていくこともできるでしょう(^_^)。

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2017年6月20日 (火)

家族は、別のたましいの領域から「集まっている」関係です。

まずは前提の知識として。

ブログでもよくとりあげる話題ですが、先祖霊と守護霊はカテゴリーが別の存在となります。

【過去記事】:先祖霊は血縁の繋がり。守護霊はたましいの繋がり

たとえば、今回の人生で、田中家に生まれたとしたら、先祖霊は「田中家の家系」という繋がりの関係ですよね。

田中家のお祖父さんやお祖母さんが、自分の先祖霊ということになります。

守護霊というのは、たましいの繋がりですので、フランス人やアメリカ人が守護霊であるケースもあります。日本人とは限りません。

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ここでタイトルの話題に戻します。

自分の親や兄弟、自分の子どもという「家族」も、血縁の繋がりの関係ですね

つまり、先祖霊と同じカテゴリーの、「たましいの領域は、共通していない」存在となります。

今回の人生では、同じ「田中家」という家族として生まれた仲間同士でも、学びの要素もそれぞれ、備えている個性もそれぞうという、たましいは共通していない関係なのです。

自分と守護霊は、性質その他がとてもよく似ていることが多いけれど、

家族については、「それぞれの場所からきている」存在ですから、容姿や体質という、肉体的なところは共通点が見られるとしても、性質などは、まったく違っていることがあっても、この構図からすると不思議ではないのです。

この世においては、血縁という繋がりが、もっとも根本的な近い関係となりますので、ここが繋がっているのだから、似ているはずだと、つい思い込みを持ってしまいますが

たましいの大元は別ですので、違う個性をもった人同士の集まりとなることも、場合によってはあり得るということです(^_^)。

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2017年1月25日 (水)

感性が違う人同士の意見のすりあわせは、事実をベースにする。

人は皆、それぞれ別の性質をもっていて、別の目的をもって動いていますから、意見や行動の方向性が揃わずに、摩擦が起こったり対立になったりします。

しかし、中には、「違いはあっても、近い感性の人」もいて、そういう人たちはお互いにちょっとずつ譲り合うことで、方向性を揃えていくことができます。

「今回は、相手の意見をいれて自分はあわせていこう」と一方が思えば、相手も近い感性をもっていますから、特にその件を説明しなくても、「では何か別のときに、この件の借りを返すようにしないと」と考えて、自然と協力しあう形がつくられやすいです。

または、感性が近い人同士は、「この件を相手にゆずって、自分は二番手になったとしても、それはそれで役立つからいい」という考え方もできやすいのです。似ているところがあると、相手のとった言動や反応となる現実の結果は、「自分の場合も、そうなるかもしれない」という参考になるので、自分が譲ったとしても、自分にもメリットがあるからです。

(そういう場合のメリットは、似ている人同士でなくても存在しますが、似ている人同士のほうが、目線が近いために認識しやすいという意味です)

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しかし、根本的にまったく違う感性の人同士は、「仮に、お互いが譲り合ったとしても」・・・多少のことではすり合わないものです(^_^;)。

何しろ、スタート地点が違う上に、目線の高さもあっていないとなれば、お互いに譲ってもなかなか距離が縮まらないからですね。元からの開きが大きすぎるので、たとえば10mも離れている両側で、「これ貸しますよ」と手渡ししようとしても、うまくいかないのと同じです。

こういう間柄で、「譲り合って、すりあわせ」という方法は、難しいものです(^_^;)。

無理をしてなんとかする労力を発生させて、・・・そして大きなストレスとなるなら、「お互いに、それぞれ」の形をとったほうが、労力が分散するとしても、そのほうがいい形となるケースは少なくないようです。

それでも、どうしてもすりあわせる必要があって、それぞれという形にはできない場合には、「事実」をベースにした判断をするのがいいと思います。

誰が、誰の意見を優先して譲る・・・とかのように、人を主語にしてしまうとすり合わないので、「この件の場合は」とか、「この事柄を、年内に達成するためには」というように、事実を主語にするような考え方をして、そこからすりあわせの糸口をみつけると、いくらかはスムーズになると思います。

・・・でも、感性が似ている人同士のスムーズさのようには、いかないですけれどね。そこは、わりきることも大事です(^_^)。

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2015年10月28日 (水)

見ることで理解する人と、聞くことで理解する人。

ひとつ前の記事、「言葉がたりないと、誤解を受けやすい」の、さらに詳しい解説として。

(以下の内容は、本日配信したメルマガの内容を、一部分転記したものです)

ものごとを理解するために、「見ることで理解する人」、「聞くことで理解する人」、「感じて理解する人」、「想像して(推察を働かせて)理解する人」などがいて、皆それぞれに得意な方法を自然に使っています。

「言葉がたりない」形になりやすい人とは、「見ることから情報をえて思考するタイプ」の人に多いです。

自分が「見ること」によって、「ああ、この件ってこうなっているんだね」「この品はこういうつくりなんだね」、と解釈していくので、他の人も同じようにしていると思って「見れば、だいたいのこと がわかるはず」と、言葉の説明を端折ります。

こういう人にとって、言葉の説明とは、「見ればわかることの付け足し」「わかりきったことの念のための確認」くらいに思っているので、説明を重要視していないんですね。結果、相手からすると「必要なことすらも言っていない」状況になってしまいます。

ちなみに、「聞くことで理解するタイプ」の人は、逆に「言葉による説明が過剰で 同じことをなんども言ったりして、話がくどい」です(^^;)。

耳にその言葉をいれることが 相手の理解を促進させると思ってしまうのと、 自分もまた、自分が話している言葉を耳できいて、さらに思考を深めていたりするので、同じような話の繰り返しになります。

目でみてわかるタイプと、耳で聞いてわかるタイプがコミュニケーションをとると・・・ 落差が大きいのでかみあわなくなりやすいです。

お互いに寄り添って、自分の会話スタイルを 相手にあわせるようにしないと、 「説明が少なくて、わかりにくい!」「同じ言葉の繰り返しで、くどい!」と、実際以上に 相手のことを悪く決めつけてしまいます(^^;)

このあたり、コミュニケーションのコツとして おぼえておきましょう。 




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2015年10月 8日 (木)

出会うのは、必要があり、学びがあるから。

とても印象深い相手と出会った場合などに、「この人と自分との出会いは、スピリチュアル的にどんな意味ありますか?」とご質問をいただくことがあります。

ご相談をなさる方は、たとえばの話「前世の関係があり、たましいの約束があって、今世でこういう展開になることを決めていたので出会ったのですよ」というようなわかりやすい理由がもしもあったなら判断に迷わなくて済む、というお気持ちが少しはあるものと思います。

ですが、お互いに「必要があるから出会う」ことは、どんな場合にも言えるのですが、現実的にどういう関係になるか(またはならないか)、進展がどのくらいあるかは、前もって決まっていません。

そのときの状況により変わりますから、ほとんどのケースで不確定要素であり流動的です。

出会うことには何か意味があります。心が動くとか、強い印象を受けることにも意味があります。それについては、何らかの回答ができることが多いと思います。

ですが、その後の展開として、具体的にどんな関係性になるかというのは、可能性ということも含めて決まっていないケースが多いです。

私たちは決まった脚本のとおりそのままに、人生を過ごしていくことはありません。人生は自分が行動することで「作っていく」ものです。

その人とよい関係を作っていきたいと思うなら、そうなるように行動をしていくのみ、ですね!

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2014年5月24日 (土)

家族関係も、人間関係の一種。

血縁の家族関係も、「人間関係」であり、個性や価値観が違う人同士の付き合いですので、難しさがあります。

家族内の人間関係には「ある」けれど、その他の人間関係には「ない」ものは、「甘え=依存」と「情」です。逆に、その他の人間関係には「ある」けれど、家族内の関係には「ない」ものは、相手への「遠慮や配慮」です。

これらの要素の、「ある」と「なし」が、家族内の人間関係をとても複雑で難しいものにしてしまうんですね(^^;)。近すぎる関係の難しさがあります。

家族内の関係がうまくいかない人は、「家族なのに、なぜこうなるのだろう?」と、まるでその状態が普通ではないかのようなとらえ方になってしまいがちですが、しかし「家族とは、距離が近すぎて、難しい人間関係」なのです。

家族だから、血縁だから、無条件で分かり合ってトラブルも対立も起こらない・・・とは、ならないのが普通です。特に家族が皆、若くて血の気が多いときは、揉め事や行き違いはいくらでも起こります。

この世の経験はすべて、たましいを鍛えるための学びで、人間関係はその代表的なものであり、家族関係もそのひとつ、ということですね。

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2013年9月27日 (金)

人との関わりの価値を思う。

過去の人間関係を振り返ってみると、人と人とが出会い、関わることにより生まれるすべてが、神秘だと、私はそう感じます。

その人と関わらなければ、決して生まれることがなかった結果や成果、得られることがなかったと思われる知識を考えると、本当に不思議でそしてありがたい、なくてはならないものが、人との関わりだなと、心から実感します。

個性や価値観が違う人同士が、お互いにとって必要なふさわしいタイミングで出会い、掛け合わせの相乗効果がつくられていきます。

効果は、お互いが得ることができます。そのときは分からなくても、時間がたって振り返ってみると、すべての関係性が意味をもつ必然だとわかります。

今、そのように思えない状態にある人も、きっと時間が経つとわかるようになると思います。

私も、すべての出来事に対してそう思えるわけではないですからね(笑)。過ぎ去って、客観視できるくらいの関係においてのみ、そう思うことができるだけです(^^;)。

人との関わりは、楽しいものばかりではないので、苦しさや悔しさの感情が伴う関係の渦中にあるときは、そういうことが分かりません。気付くだけの気持ちの余裕がないからです。

しかし、後になって振り返った時に、あのときの出来事を経験したからこそ今の自分があると、すべて意味があって作られる関わりだったと、納得ができるし、感謝もできるようになります。

時間が、そう思わせてくれます。大事なことに気付くための冷静さと成長を、与えてくれますね。

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2013年6月20日 (木)

人間関係とは、完全ではない、個性の違う人同士の関係。

自分と他人は、違う個性をもった違うたましいをもつ存在なので、人と人が関われば、そこには、少なからず相違や対立等が発生するものであり、つまりは、人と関わることには、ストレスが生じることになります。

そのため、人間関係を、煩わしいこと、遠ざけたいこと、できるなら避けたいこと、というように、否定的にとらえてしまうことがあると思います。

一口に人間関係といっても、実際には幅広いわけで、中には、居心地のよい関係、楽しい関係もあり、人間関係のすべてが嫌だと思っているわけでもないのでしょうが、しかし、嫌なことのほうが、嬉しいことよりも、印象に残りやすいために、人間関係を全否定したくなるような、そんな心境になってしまうのかもしれません。

私たちがこの世に生まれてくるのは、広い意味でいえば「学びのため」です。

その学びには、他人との関わりは避けて通れません。人は、ひとりでいきていくことはできないからです。

たとえば、喜怒哀楽の経験も、ひとりだけでは浅いものにしかなりません。それらの感情を発生させるのは自分自身だから、他人と関わらなくてもできるじゃないか、と思うかもしれませんが、感情をわき起こすためには、何らかの刺激が必要です。

誰かが、自分を喜ばせるようなことをしてくれた、とか、何かの出来事が自分を怒らせた、とか、外の刺激があってこそ、感情が動いていくわけです。

他人という、自分とは違う個性との関わりがあるからこそ、私たちは、この世という場所で、たくさんの広くて深い、経験を積むことができるのです。

この世という場所は、本質が霊(的存在)である私たちが、人として経験を重ねる場所です。人は、ひとりでは、生きられないようになっていて、それぞれが助け合ったり、補い合ったりしながら学ぶために、それぞれが「完全ではない形で」個性を備えて、この世に生まれてきて、与え、受け取るという学びをしています。

嫌だと思う相手を、好きになる必要はありません。そこまでしなくても、感情的には嫌いなままでも、相手の存在意義や個性を認めることはできますよね。認めるとまではいかなくても、少なくとも否定はしない、くらいには、時間を掛けていけば思うこともできるでしょう。

それで十分なのです。そうして、自分以外の人間関係を、少なくとも否定はせず、ときに、必要な場面では助け合い、お互いに与え、受け取るという関わりをもち、人の多様性を経験から学んでいくことが、この世に生きる意味のひとつです。

少なくとも否定はしない、表面だけでも、そのようにとらえていくように、少しずつでも心掛けると、だんだんと、時間とともに、他人という存在を、肯定的にとらえられるようになっていきます。

この世には、時間という、偉大な仕組みがあります。時間が、その学びを後押ししてくれます。

そもそも、完全ではない人同士の関係なのだから、そして個性が違うのだから、多少は、「いろいろあるのが、当然」なのです。

そのくらいの気持ちでゆとりをもって、そして、成長のために、自分とは違う個性をもった人から学びを得ていく、という意欲をもって、臨んでいきましょう。

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2013年6月17日 (月)

「思い込みが強すぎる人」との、付き合い方。

思い込みの強い人は、「考え分けること」が、苦手です。

たとえば、ただ見ることと、(違いや差などを)見分けることが同じではないように、「考える」ことと、「考え分ける」ことも、同じではありません。

その、考え分けが、苦手な人が、思い込みが強くなってしまいます

一般には、たとえば会話の中で「なるほど、そういうこともあるかもね」とか、「もし、○○だったらどうする?」、「そうなる可能性は、あるよね」、「そのような受けとめ方も、できるよね」などのような、「仮定の話」をしているとします。

そのときに、「・・・かもしれない、という仮定の話」と、「仮定ではない、事実としての認識」を、分けて受けとめるのが一般的ですが、思い込みが強すぎるタイプの人は、その、認識の区分の作業が苦手なのです。

だから、話しているうちに、または、考えているうちに、それが、(事実を確認したわけではない)自分の予想や推測であることや、仮定の話であることを、割り引いて考えられなくなって、区分がされなくなっていきます。

なので、他の人からすると、なぜ、「私は、そう思ったから」、という自分の考えだけを根拠に、そこまで強く思い込めるの?と、驚いてしまうような、認識の偏りが作られてしまうのです。

このようなタイプの人と、共同作業をしていく際には、「その人の言うことの、どこまでが客観的事実で、どこからが独自の解釈(思い込み)なのかが、その人の話からでは分からないので困る(その人は、同一としてとらえている)」という点と、「こちらが言いたいことや、伝えたいことも、その人独自の思い込みでとらえてしまうことがあるので、意図が伝わらなくて困る」という、おおよそ二つの点で、難しさが出てくると思います。

そのようなタイプの人は、自分の思考の中で、いろんなことが一緒になってしまって、多様性という感覚をもって違いをとらえるのが苦手なので、対処法としては、「多様性を、理解してもらうという観点からのアプローチ」を試みるとよいでしょう。

その人の思い込みが入っている言動で、意思の疎通ができなかったとか、思い込みでトラブルになった、という場面になったときに、

「あなたは、そういう考えなのね。でも、他の人は、同じようには受けとめないこともあるものだよ」とか、「あなたがその考えなのは分かるけれども、誰もがあなたと同じ考え方ではないから、あなたの考えだけを当てはめると、他の人は混乱することもあるよ」というようなことを、その都度、説明しながら伝えていくことです。

そうして、少しずつでも、自分と他人の考え方は、違うものである、とか、同じとは限らない、ということに、まずは気付いてもらうこと、そのための機会を増やすことが効果的です。

自分の思ったことと、客観的事実を、分けて考えられるのは、そのうちのどちらに出来事をカテゴライズするかが、スムーズになされる、ということです。それが出来にくい人というのは、二つが分かれていなくて、カテゴリーが一つしかないので、自動的に、その(思ったことと、事実の)区分けがない、一つにカテゴライズ「されてしまう」ということです。

それを、二つ(か、それ以上)に、認識を広げていくことが必要なのですね、多様性を理解するというのは、そういうことです。

カテゴリーが一つしかない人は、自分と他人の区分けもとても曖昧になりがちで・・・、自分と他人は別の受け止め方をする、別の個性をもった存在である、という認識も曖昧になるので、相手も自分と同じように思っているはず、という前提での言動によって、なんらかのトラブルや停滞を引き起こすことが少なくないはずです。

そのときに、まずは、比較的分かりやすい、「自分と他人は、別の存在であるので、同じ考えにはならない」ことから認識を重ね、「考え分け」についての、理解の糸口を見つけていくのが、有効な方法のひとつだと思います。

ただし、これらは、「そうする必要がある場合」に限っての取り組み方法のひとつであり、誰にでもそうすべき、ということではありません。

特別に親しいとか、家族だとか、仕事仲間だとかの関係があって、共同作業的な関わりをもつ機会があるため、それを改善していく必要が、相手だけでなく、自分にもある場合の、考え方や、とり組み方の一例です。  

そんなに関係も深くもなく、その人に干渉する大きな理由があるわけでもないのに、「自分が、相手を正さねば」などと正義感?を出して、いらないことに首をつっこんでしまうと、わざわざ状況や関係をこじらせてしまうこともあると思います;。

どんなことにも言えますが、「自分は、その問題の当事者なのか」という点は、考える必要があると思います。

たとえ、善意であっても、その人のその時点での価値観を、ある意味において否定するようなことにも、形式上は、なってしまうわけで、何でも言えばいいというものではないので、そこはきちんと、自分の立場というものも、理解しながら、というのが大事ですね。

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2013年6月 4日 (火)

望ましい人間関係が、どんどん広がっていく時期。

新たに出会う人が、とても良い人だったり、楽しくて刺激を与えてくれる人だったり、または、「このようなタイプの人と出会いたい」「このような分野に関わっている人と知り合いたい」と以前から思っていたような出会いが実際に作られていくなど、自分にとって望ましい人間関係が、勢いよく広がっていく時期があります。

そのような状況になるときは、「自分が成長したとき」であり、そして「霊界からの強いバックアップがあるとき」です。両方の要素が重なったときに、人間関係が(今までと比較して)大きく広がりを見せていきます。

なぜなら、この世におけるほとんど学び、「必要な経験」、「挑む課題」というものは、人を通して与えられ、学んでいくものなので、自分の器が大きくなったとき、そして、そしてそれに見合った学びを与えていこう、という状況が作られたときには、まずは、「人」に関することにその反映があることが多いのです。

霊界が、私たちを見守っているのは、特定の理由がある時だけでなく、常にそうであって、繋がりが切れることはないのですが、そのような中でも、とりわけ、バックアップが大きくなることがあります。

広い意味で、何らかの、たましいの成長が見られたときに、上記のような現象はつくられていきますが、特に、「今までよりも、深く、そして前向きに、自分の人生について考え出したとき」や、「自分という存在について、探求をし出したとき」や、「(自分以外の)外に向かいすぎていた意識を、自分の中心も向けていくようになり、あるべき状態を取り戻したとき」などに、そのような現象が起こることは多いです。

成長に伴って、必要な学びの要素は、与えられていきます。学びといっても、苦難にみちた忍耐を伴うことばかりではないので、楽しみも、喜びも含めた、たくさんの感動に繋がるものも含まれます。

それらのほとんどは、「人」を介して与えられるものなので、それを受けとめるための必要な器として、人間関係の広がりが作られる、とも言えますし、受けとめる器となる人間関係が容易されているから、それに比例して、たくさんのものが与えられる、とも言えますし、それは、両方が当てはまるのでしょう。

自分の成長というのは、なかなか自覚しにくいものです。自分が自分を見る、というのは、距離がないので、他人を見るようには意識がしにくいもの、ですよね。

しかし、それらは、自分の周囲の様子に反映していくので、周囲をみれば自分がわかります。広がりを見せ、豊かになっていく人間関係から、自分の成長がわかるのです。

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