カテゴリー「11.家族、恋愛、人間関係」の189件の記事

2017年7月 2日 (日)

自分と相手の、「時間」に対する認識の差を考える。

40代以降の方からの、ときどきあるご相談に、急に友だちとの関係が疎遠になってしまった、というものがあります。

今までは、問題なく付き合いが続いていて、得に最近になって変わったこともないのに、ここにきて距離を置かれてしまった気がする。

雰囲気からして、どうやら相手側の事情というわけではなく、自分に対して何か思うところがあって、距離をとろうとしているようなのだけれど、その理由がわからない。

何も以前と変わっていないのに何故・・・という相談は、ほとんどが以下の理由となっています。

そうしたケースは、相談者さんが、「話が長いので、会うと時間が掛かる」「話に建設的な内容が少なくて、愚痴が多い」ことが、相手を疲れされていることが多いです。

嫌われているのではないけれども、付き合う距離を変えようとされていて、以前のような親しさや頻度でのやりとりが行われないのです。

「でも、以前も同じ付き合い形で、問題なく楽しんで会話をしてきたのに」と、思われるかもしれませんね。

けれど、40代くらいになると、人生における時間の貴重さが、それ以前の年齢よりもよくわかるようになり、建設的なこと、役立つことに時間を使いたいという気持ちが増えるのです。

楽しみを得ることなども含めて、実りのあることをするなら意義があるけれども、愚痴を言うという行為が、ただ時間を消費するだけに思えて、そういう目的で時間を使いたくないという気持ちがでてくる人もいます。

こうした気持ちの抱き方には個人差がありますから、「愚痴を聞くことに時間をつかう気持ちがなくなってきた人」と、「愚痴をふくめて、女性同士の会話を楽しみたい人」との間で、差がついてしまうときに、以前から変わらない付き合い方をしているのに急に距離を置かれるということが起こるのです。

そしてもうひとつ、人は誰もが年齢とともに、若い頃と同じようにいかない部分がでてきます。40代くらいになると、自分では気がつかなくても耐性がなくなったり、周囲のことを配慮する度合いが減ってきたりするものなのです。

そのため、相手の話を聞くことが本来あまり好きではない人は、よりせっかちになって、聞くという姿勢を保つことが面倒になり(^_^;)、

自分が話すことが好きな人は、相手に聞かせている時間は相手を拘束しているという感覚が薄れてしまい、話が長くなりがちで(^_^;)、

お互いに、「昔のように長く聞いていられなくなる」⇔「昔より、話が長くてくどくなる」ということから、なおのこと、聞き役となる側の人が、態度を変えてしまうことが起こり得るということです。

ですので、こうしたケースに遭遇した場合は、時間を何に使うかということを、より深く考える時期にお互いが入ってきていることに、気づくための機会だととらえて、改めて、自分の人付き合いの姿勢や、時間の使い方などを考えてみるといいと思います。

そうして、改めるところは改めていけば、元から気があってはいたのですから、何かのきっかけでまた、楽しく付き合える関係に戻っていくこともできるでしょう(^_^)。

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2017年6月20日 (火)

家族は、別のたましいの領域から「集まっている」関係です。

まずは前提の知識として。

ブログでもよくとりあげる話題ですが、先祖霊と守護霊はカテゴリーが別の存在となります。

【過去記事】:先祖霊は血縁の繋がり。守護霊はたましいの繋がり

たとえば、今回の人生で、田中家に生まれたとしたら、先祖霊は「田中家の家系」という繋がりの関係ですよね。

田中家のお祖父さんやお祖母さんが、自分の先祖霊ということになります。

守護霊というのは、たましいの繋がりですので、フランス人やアメリカ人が守護霊であるケースもあります。日本人とは限りません。

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ここでタイトルの話題に戻します。

自分の親や兄弟、自分の子どもという「家族」も、血縁の繋がりの関係ですね

つまり、先祖霊と同じカテゴリーの、「たましいの領域は、共通していない」存在となります。

今回の人生では、同じ「田中家」という家族として生まれた仲間同士でも、学びの要素もそれぞれ、備えている個性もそれぞうという、たましいは共通していない関係なのです。

自分と守護霊は、性質その他がとてもよく似ていることが多いけれど、

家族については、「それぞれの場所からきている」存在ですから、容姿や体質という、肉体的なところは共通点が見られるとしても、性質などは、まったく違っていることがあっても、この構図からすると不思議ではないのです。

この世においては、血縁という繋がりが、もっとも根本的な近い関係となりますので、ここが繋がっているのだから、似ているはずだと、つい思い込みを持ってしまいますが

たましいの大元は別ですので、違う個性をもった人同士の集まりとなることも、場合によってはあり得るということです(^_^)。

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2017年5月27日 (土)

違いが大きいほど、気づきも大きくなる。

この世の学びとして、人間関係ほど、苦労させられるものはありません(^_^;)。

本当にまあ、次から次へと、いろんな課題がやってくるなぁ、という感じで、おわりなく「いろいろ」が起こるものですよね。

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それぞれ独自の個性をもっている人が、集まっている場所が「この世」です。

同じものが引き寄せ合う、「波長の法則」というスピリチュアルなしくみは、何もかもが共通しているという意味ではありません。小さい比率でも、引きあうものがあれば関係が作られることもあります。

ですから、表向きはまったく違っていて、共通点などあるとは思えないような相手とも、何かが引きあって、関わりがつくられてしまうこともあります。

似ている点が小さく、違いが大きい相手との関係は、負担を感じやすいですね。

しかし、違いが大きい相手からは、気づかされることもまた大きいという、メリットもあります。

この世では、「あれ」と「これ」を比較することで、違いから「わかる」という気づきが生まれます。この感覚には、時間というしくみが関連していることは、これまで何度もお伝えしたとおりです。

この世に生きる私たちにとって、比較をして、違いから把握するという気づき方は、もっとも認識しやすい手法なのです。

この世で、気づきを与えてくれる対象は、人以外にもたくさんあります。たとえば、理想と現実が違うことだったり、自分の中にある、内的な思いが変化していくことだったり、そうした「違い」も、いろんなことを気づかせてくれて学ばせてくれます。

それらは、自分がそのことに意識を向けない限り、あまり気にしないでいられるので、自分が気づくタイミングで気づいて、学びにしていくという、どちらかというと「静の気づき」ですね。

ところが、人間関係は、相手の意思がありますから、自分の都合は無関係に、いきなり動きがついたり、思わぬ働きかけを思わぬタイミングでされたりという、「動の気づき」が与えられます。

動の気づきには、動きの大きさに比例して、反応も大きくなります。ときにそれが、対立になったり、感情が乱されてカチンとくることもあったり、気づくけれども、それを受けとめる負担もでてきます。

動きが大きいものが、与える振動は大きい、ということです。

良くも、悪くも。

大きい振動は、印象も刺激も大きく、学びになり、気づきになり、役立つ面が多分にあるけれども、やはり、大きい分だけ、受けとめる負担というものが、発生してくるということなのです。

違いが大きいほど、違う振動(=波長)に、揺り動かされることになりますから、

得られるけれども、負担もでる、ということです。

そして、得たことを実感するまでには、ある程度の時間が掛かります。このことに気づくには、また別の「何かとの比較」が必要になるからです。「ああ、あのとき、こんなふうに経験値となって得られていたんだなぁ」と思える何かが起こったときに、「わかる」ので(^_^)。

しかし、負担のほうは、すぐに「わかり」ますよね(^_^;)笑。それまでの平穏さとの比較をすれば、こちらは違いが顕著なので、こちらのほうが、いとも簡単に認識されやすいため、

人間関係の違いによる負担で苦労させられている点だけが、自分の中で、クローズアップされているだけで、苦労の分だけ実は、得られてもいるということなのです。

・・・なかなか、気づきにくいですが(^_^;)。

人間関係で、相手との違いで苦労させられているときは、「きっと、何か得られているんだろう。気づくタイミングは今ではないけれど、またいつか何かの出来事がそれを教えてkるれるだろう」と、未来を楽しみにしましょう(^_^)。

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2017年3月 1日 (水)

共感が苦手な人が、共感力を磨くには?

女性同士の人間関係は、横繋がりの「共感」が重要となります。

「私とあなたは、この点が同じだね」とか、「それ、わかるよー」という感覚を通して、親近感がうまれたり、安心感が広がっていきます。

女性同士の人間関係がうまくいかない人は、この「共感」というセンサーが活性化していないことが多いようです。

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|女性は、共感力が高い人が多い。

共感する力の高さは、生まれもった性質、元から備わっている感性が、かなり関連しています。

そのため、何も努力をしなくても共感力が高い人もいますし、努力をしてもうまくできない人もいますし、努力をしようにもどのような感じがそれに該当するのかイマイチわからないという人もいます。

または、共感すること(相手の感情等を把握すること)はできても、その次の行動として、自分はわかったことをどのようにあらわしていいのかがよくわからない、つまり、「共感したことを、相手に向けて示すことが苦手」というパターンもあります。

相手の喜怒哀楽などの感情や思いを共有できることが共感です。そのためには、言葉による明確な説明などが少なくても、そのことを把握してわかるという感性が必要です。

女性は、こうした把握のセンスが男性よりも高いので、女性同士は自然と共感で繋がりますしそういう繋がり方になることを求めることが多くなります。


|感情の動きを、文章から理解する練習を。

しかし、感性の備わり方には個人差がありますから、女性比で、共感力が高めの人もいれば、低めの人もいます。

共感力があまり高くない女性は、理性や理想での繋がりをつくることを好みますし、そうした関係性を築くのが得意です。しかし、人間関係の相手側がそうした関係を好まないタイプであれば、そこに温度差が大きくでてしまい、浮いてしまうという状況が作られます。

そのため、とても真面目で親切な人でも、人間関係がうまくつくられないことがでてきてしまいます。

感情を、そのままキャッチして把握することが得意でない、ということは、逆から言うと、理性で説明されるほうが理解に繋がることが多いです。

他人の感情の動きについて、または、その感情に対して、女性同士として、どのように反応したり対応したりしていくものであるのかが、文章化されて説明してある「見本」があるといいのです。

といっても、普段の人間関係で、「私の、今の感情というのは、ああなって、こうなって・・・。こんなふうに現状に結びついていてね、それで・・・」というような説明はなされませんので(^_^;)、共感力が低い人が、実際の人間関係を眺めることで、それらを把握することは難しいです。

いい教材となってくれるのは、「小説」や「漫画本」です。

映画やテレビドラマは含まれません。人の演技は、動作の中に示唆があって、必ずしも内面の動きがセリフに込められていないからです。

しかし、小説や漫画であれば、登場人物の内面の描写が、わかりやすい言葉に置き換えられて、これでもかというくらいに(^_^;)とても詳しく記載されています。

それらを通して、人の心の動きを「文字で」「文章で」把握してみることで、自分の中に、解釈の経験値が蓄積されていきます。

「このとき、A子は、こう思っていた」、「それをうけてB子は、このように思ったが、口には出さなかった」、そのことが、思いもよらぬ展開に結びつくのであった!。。。的な(^_^;)笑、大げさにわかりやすく書いてあるものは、人物の感情を拾いやすいです。

登場人物の、感情の動きを、記載された文章のとおりに追っていくことで、他者の感情に同調していくという感覚が、つかめていく効果が期待できると思います。


|わかるようになるほど、新しい「面白さ」がでてくる。

備わっている感性そのものは、簡単には変えられません。

しかし、備わっている幅のうち、まだ使われていないまま、活性化されてない部分は、鍛えることで強くできます(^_^)。

備わっている感性をいっぱいに使えるように、磨いていくという取り組みです。

共感力があまり高くないことも、個性のひとつであり、それ自体が悪いということではないのです。そのままが自分自身であり、それでいいという考え方もできますけれど(^_^)、しかし、人間関係をうまくやっていくことができないと、日常生活全般がスムーズに進まなくなりますから、そこは改善できるならそのほうがずっと自分が楽になります。

だから、悪いところを直すためとかではなく、自分の人生を豊かにするために「苦手をカバーしていく」という目的と、人の感情の動きというのは、とても興味深くて学びになることがたくさん含まれていますから、その面白さを理解するためや、学びを深くするための取り組みという意味もあわせて、とらえていくといいのではないかなーと思います(^_^)。

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2017年1月25日 (水)

感性が違う人同士の意見のすりあわせは、事実をベースにする。

人は皆、それぞれ別の性質をもっていて、別の目的をもって動いていますから、意見や行動の方向性が揃わずに、摩擦が起こったり対立になったりします。

しかし、中には、「違いはあっても、近い感性の人」もいて、そういう人たちはお互いにちょっとずつ譲り合うことで、方向性を揃えていくことができます。

「今回は、相手の意見をいれて自分はあわせていこう」と一方が思えば、相手も近い感性をもっていますから、特にその件を説明しなくても、「では何か別のときに、この件の借りを返すようにしないと」と考えて、自然と協力しあう形がつくられやすいです。

または、感性が近い人同士は、「この件を相手にゆずって、自分は二番手になったとしても、それはそれで役立つからいい」という考え方もできやすいのです。似ているところがあると、相手のとった言動や反応となる現実の結果は、「自分の場合も、そうなるかもしれない」という参考になるので、自分が譲ったとしても、自分にもメリットがあるからです。

(そういう場合のメリットは、似ている人同士でなくても存在しますが、似ている人同士のほうが、目線が近いために認識しやすいという意味です)

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しかし、根本的にまったく違う感性の人同士は、「仮に、お互いが譲り合ったとしても」・・・多少のことではすり合わないものです(^_^;)。

何しろ、スタート地点が違う上に、目線の高さもあっていないとなれば、お互いに譲ってもなかなか距離が縮まらないからですね。元からの開きが大きすぎるので、たとえば10mも離れている両側で、「これ貸しますよ」と手渡ししようとしても、うまくいかないのと同じです。

こういう間柄で、「譲り合って、すりあわせ」という方法は、難しいものです(^_^;)。

無理をしてなんとかする労力を発生させて、・・・そして大きなストレスとなるなら、「お互いに、それぞれ」の形をとったほうが、労力が分散するとしても、そのほうがいい形となるケースは少なくないようです。

それでも、どうしてもすりあわせる必要があって、それぞれという形にはできない場合には、「事実」をベースにした判断をするのがいいと思います。

誰が、誰の意見を優先して譲る・・・とかのように、人を主語にしてしまうとすり合わないので、「この件の場合は」とか、「この事柄を、年内に達成するためには」というように、事実を主語にするような考え方をして、そこからすりあわせの糸口をみつけると、いくらかはスムーズになると思います。

・・・でも、感性が似ている人同士のスムーズさのようには、いかないですけれどね。そこは、わりきることも大事です(^_^)。

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2016年12月14日 (水)

少しの時間と機会で、自分をしっかり伝えるための姿勢に。

14763928_s過去の人間関係についての、後悔とは違う、とらわれた気持ちを、長く持ち続けてしまうことがあります。

「あのとき、自分の意に反して、あのような結果となってしまったのはどうしてだろう」とか、「もうちょっと自分が○○だったら、違う今になっていたかもしれないのに」と、心がとらわれてしまうことがあるものです。

今の自分の生活に、そのことが直結するわけではないのに、なぜかそのことが心から離れずに、もし違う行動をとっていたら・・・と、いろんな想定を考えてしまうのは、

「その件において、自分は、まだ十分な実力を発揮していない」という思い残しがあるためかもしれません。

まだ、力を出しきっていない途中の段階で、相手が評価を下して結果がでてしまったこと、自分の力量が伝わらないうちに、過小評価をされた状態であるということが、納得のいかないもやもやとなって、残ってしまっているのです。

「あのとき、もうちょっと時間や機会が与えられて、自分の全部をみてもらっていたら、違う結果になったかも」、という思いがあると、なかなか割りきれないものなんですよね・・・。

相手の過小評価や誤解を、受け入れて認めてしまうかのようで、抵抗感がでるので、頭では割り切ろうとしても、「心が、割り切りきれない」のです(^_^;)。

しかし、現実的に考えてみれば、人が人をみるときに、対象者の全部は・・・把握できないものです。少しだけの判断材料で、その時点での評価を出してしまうことは、普通によくあることではないでしょうか。

採用試験でも、ほんの10分かそこらの会話や印象で判断されますし、日常の関わりで、「この人はこういう性格なんだな」と思う場合も、そのときの会話や姿勢から判断しますよね。

情報や把握が十分ではない中での、その時点での暫定の判断をしているのは「お互いさま」なのです。自分もそうして、相手を判断して生活していますから、気づいてみれば「そういうもの」だし、「それは、あり得ること」なんですよね。

とはいっても、そういう状況の中でも、誤解はされたくはないのは当然であり、自分のよいところが伝わったほうがいいし、きちんと認めて評価してもらうことが望ましいのは確かです。

そのためには、「自分のよいところが、短時間でも効果的につたわるようなふるまい」を、自分が意識して行うことではないでしょうか(^_^)。

自分がどんな良いところがあって、相手からはどうみられることが多くて、何をどう表現したら、それが一番よく伝わるを把握して、自分の行いの中にそれをあらわしていくという努力が役立つと思います。

どんなふうに伝えるのがよいかというのは、毎回、同じような記事内容になってしまうのだけれども笑、「自分らしいこと」「自分に合っていること」なんですよ。それが一番、与える印象が深くなり、認められやすいこと、なんですよね(^_^)。そのためにも、自分を知るという作業が必要で大切ですね。

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2016年6月 8日 (水)

他人を、自分の思い通りに動かそうとしなくても。

自分に自分の意思があるように、 他人にも、その人自身の意思があるので、自分の思うように動かすことはできません。

他人が、自分の期待するような反応をしない、自分がしてほしい言動をとってくれないときに、怒りや不満の感情が引き起こされます。

人間関係における不満とは、だいたい「そこ」に原因があります。


○○をするために、自分はこんなにがんばっているのに!という気持ちがでてくるけれど、しかし、「自分の頑張り」と、「相手を自分の思うように動かすこと」は連動しませんので、それは別の要素であると理解することが大事です。


少々話は変わりますが、このブログでよく題材としてとりあげることだけれど、「自信のあるなし」と、「ものごとがうまくいくかどうか」は、実は思っているほどの関連性がなく、それぞれ別の要素となります。

なので、「自信がないから、うまくいかない」というのは思い込みかこじつけであり、自信をつけたらうまくいく・・・なんてことはないし(自信の効果がゼロという意味ではないけれど、自信だけつけてうまくいく、などということもない)、

どうしたら自信がつきますか(うまくいかせるために)という考え方も、取り組みと解決のベクトルがあっていません。

それと同じ仕組みで、「自分が頑張ることや、我慢すること」と、「相手が自分の思い通りに動いてくれるようになること」も、思っているほどの関連性はなく、

もっと頑張っても、我慢の仕方に工夫をこらしても、効果がゼロとはいわないけれど、あまりうまくいかず、自分は消耗するだけになり、相手に強要してしまったり、何も言わないことが無言の圧力になることもあります(^^;)。


なぜ、他人を自分の思い通りにしたくなるか。

その動機となるのは「うまくいかせたいから」だと思うのです。

お互いの関係をうまくいかせたいとか、または、自分の人生をうまくいかせたい(そのために他人にこのようにしてもらえたらいい、という意味で)、さらには、協力して仕事などの作業を成し遂げたいという目的の場合もあるでしょう。

しかし、「相手を思い通りにすること」と、「うまくいかせること」も、実は思っているほどの関連性はない、別の要素なんですよね。

私たちは、なんとまあ、いろんなことを、こうもこじつけて解釈してしまっているのか・・・。こうして改めて考えると驚かされます(^^;)。

相手を思い通りにしたとしても、うまくいくとは限らず、そして、相手を思い通りにしなくても、うまくいくことも、いくらでもあります。


そう、相手を思い通りにする必要はないんですよね。

うまくいかせるために、それは必須条件ではないのです

うまくいかせるためには、「うまくいかせるための働きかけや、工夫」をすればよく、必ずしも相手に思い通りに動いてもわらなくても可能なことですから。

別の方法はいくらでもあります。そういう考え方が、自分を楽にしますね(^_^)。相手へのイライラからも、自分へのプレッシャーからも解放されて、別の方法を考えてみましょう。



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2016年5月28日 (土)

夫婦としてやっていくのが難しくなる、40代。

いろんなご相談のケースをとおして思うのは、結婚してから15~20年くらい経過した、40代半ばくらいの時期は、夫婦としてやっていくのが難しくなる年代なのだなということです。

特にこれといった問題はなくても、かみ合わなくなることが表面化してきて、これから先の関係性について迷いがでてきます。

特定の問題点があって、どうしても耐えられないとかではないので、こうなりたい、こうしたいという具体的なビジョンはない、しかし今のままがいいとも思えず焦りの気持ちがとても大きくなります。


年代的に、「自分の人生の、持ち時間」について考えるようになる時期でもあるので、いろんな種類の感情がからみあってくるのですが、

ひとまとめにすると「自分の人生は、このままでいいのか」という気持ちでしょうね。

こういう感情になったときは、「少し、そのまま待ってみる」こともいいと思います。何か今を変えようとするのではなく、時間をやりすごしていくという方法です。

「今は人生において、そういう時期である」のだ、と。「誰もが、多かれ少なかれ、こうした思いになりやすい時期というものがあるんだ」と、自分に言いきかせます。それだけでも少し落ち着くはずです。


そうすると、その「待ってみる」間に、いろんなことに気づくものです。

時間というのは、偉大な仕組みですね。



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2016年3月24日 (木)

「一方が尽くしすぎる」関係に対する、不満がでてしまうとき。

一方だけが相手に尽くしすぎる関係は、尽くす側に大きな負担と不満がうまれますね。そうなってしまうのは、「してあげる、してもらう、ということに対する自分と相手との考え方の差」によるものです。

普通は、一方だけが負担が大きくなってあれこれ尽くす形になったら、相手の立場としては「そのお返しをしよう」とか、「その分こちらも何かのときにお礼しないと」とか、釣り合いを取ろうとします。

ですから、適度なところで相手からもリアクションがあるはずで、一方的に尽くし過ぎるような関係性には「ならない」ものではないでしょうか。

つまり、そうならないということは、相手はあまり「同じだけお返しをしないと」とか「してもらったから、こちらも」という考え方をしないタイプだということになります(^^;)。

相手のために尽くすことが「良いことで、必要だ」と思う人と、相手のために尽くすことを「あまり考えないか、そんなに重要視はしていない」人との間で、落差が大きくなったときに、一方的という構図になってしまうのですよね。良いことで必要だ、と思う人同士ならば、一方的にはなりませんから。

誰もが「自分の考えが一般的で普通」と思っているので、尽くす側からすると(相手もまた自分と同じような尺度でものごとを計っているという前提で)、「反応が返ってこないということは、自分がしていることはたりないのだろうか。相手に通じていないのだろうか」と深刻に考え込んで、問題を複雑にしてしまうことがあるのですが、

実際のところは、それをどのくらいの度合いで受けとめているかという差があるだけで、別にたりないのでもなく通じていないのでもない、ただ、している側が期待するほどの度合いで相手はとらえていない、というケースは多いです。

つまり尽くす側の人も、「尽くすというやり方で、すべての関係がうまくいくとは限らない(相手による)」ことを理解することも大事だと思うのです。

尽くしてもそうでなくてもあまり変わらない相手というのも、ある意味、気楽でいられる関係として貴重なものという考え方もできます(^_^)。

人間関係とは、人と人との「間」に作られるものだから、自分の良いと思うやり方で必ずしもうまくいくとは限らず、何にしても「一方的」になるという時点でちょっと見直さなければならない何かあるということで、それは通常は自分の側にあり、「ちょうどよい度合い」を見つけることも学びなのでしょう。

 

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2015年11月16日 (月)

自分の親への(解消していない)感情が、義両親への感情にすり替わることがあります。

ひとつ前の記事の、続きです。

姑さんの発言や行動を、うまく受け流せない人の中には、「自分の親との関係があまりうまくいっていない」ケースが少なからず見られます。

姑さんに抱いた不満の感情(と、自分が思っている)の内訳を見ると、本当は、姑さんに対する思いは半分もなく、大部分は自分の親に対する「過去の自分が抱いた感情」なんですよね。

子どもの頃や思春期の、自分の親に対する不満の思いが解消されないまま心の中に残っていて、姑さんへの怒りや恨みに重なってひとつになってしまい、ちょっとしたことにまで自分の感情が大きく反応してしまうのです。

そうなると、姑さんの言動を必要以上に言動を悪くとって不満になります。

最初から「あと少しであふれそうなくらいに、水がいっぱいのコップ」状態だと、ほんの少しの上乗せがくれば限界を超えますよね。けれど大元の原因は、上乗せ分ではなく、最初からいっぱいになっていたコップだったことに(も)あります。

そのことに気づくのも、認めるのも本当に苦しいけれど、気づかないままコップに水がいっぱいの状態もまた別の意味で苦しいと思います。

子どもの頃や思春期に、自分の親の言動や自分の扱われ方に不満があっても、どう表現したらいいのかわからないものです。比較対象がないし、社会性も十分ではないですからね。(今の大人の感覚で振り返ればわかることも、子どもの頃は客観視ができませんからね)

そして、怒りや不満があっても、嫌いというわけではなく身内としての情はありますから、「親は普通で、自分が至らないからこうなるのだろうか?」と悩んでしまったりして、表現しないままの感情が心の中に蓄積していきます。

大人になって人と触れる機会が増えると、比較対象がでてきて、いろんなことを振り返って理解できるようになります。それを表現できるだけの社会性も身についています。そうなると、以前のように「蓄積したまま」にはならず、それを外に出して解消する(こともできる、という)選択肢が増えます。

自分の親に不満を抱くことには罪悪感があるし、不満があっても嫌いというわけではないので複雑ないろいろがありますが、その点、義理の親なら他人ですから、遠慮なく怒りと不満を抱いて嫌いになることができるので(^^;)、そこで過去の思いが全部、義理の親への不満(と、自分は思っている)という形をとって外にあふれてしまい、実際以上に大きな姑への不満が作られてしまうこともあるんですよね。

すべてが上記に該当するわけではないですが、「こうしたケースもある」ので、自分の心の中にある「コップの水」が影響している「かもしれない」ということを踏まえて、実際に姑さんが過干渉をしてきたとしても(^^;)ちょっと割り引いてとらえていくことも大事なのかな、と思います。




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