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2017年5月の13件の記事

2017年5月31日 (水)

守護霊のメッセージは、自分の思考や感情を通して伝えられる。

すべての人に、人生を大局的な観点から眺めた「導き役」となる、「守護霊」という存在がいます。

このことは、スピリチュアルに関心がある方にとっては、オーラや前世と並んで、よく知られている知識だと思います(^_^)。

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守護、という文字の雰囲気から誤解されやすいのですが、守護霊というのは、困難から自分を救い出してくれる存在ではありません。

自分がこの人生を、しっかりと進んでいくために、必要に応じて、旗振り役、案内役をしてくれる、「優れた知恵を備える、もう一人の自分がいる」というような位置付けとなります。

守護霊は、あちらの世界から、こちらの側のすべてを把握していて、必要なときに、必要な導きを与えてくれるけれども、

この人生を進んでいくのは、自分自身なのです。

そのために、必要なことを考え、ふさわしい行動をとるのも、自分自身です。

そうした根幹の部分に、守護霊が干渉してくることはありません。

日々の生活情の出来事について、たとえば、こちらの選択肢がふさわしいだろうかとか、このことを止めたほうがいいだろうかという、ひとつひとつについて、守護霊が、ああしろ、こうすべきと、伝えてくることは少ないです。

守護霊が伝えてくることがあるとしたら、もっと広く大局的なこと、全体的なことです。または、いろいろ迷ったり考えたりしていることがあるなら、それらを整理して、前に進ませるための「少しのヒント」です。

ずばりの答えを伝えてくれることは、ほとんどないですね。そういうことは、自分で決める自由があり、責任があり、それらを含めた経験のすべてが人生の学びだからでしょう(^_^)。

学びを手伝うことはあっても、学びを代わってしまっては、身につかないからですね(^_^;)。

守護霊が、何かを伝えようとする際には、「思考」を通して行われることが多いようです。自分だけで考えているつもりの、さまざまな思考の中に、守護霊からのヒントが含まれて伝わっていることがあります。

または、日常のあらゆる出来事に対して、自分が抱く印象や感情の中に、それが含まれている場合もあります。

守護霊と自分自身は、たましいという内的な繋がりをもつ関係ですから、そうした「内的な繋がり」をいかした伝え方が、自然な形なのでしょう。

思考、感情、印象などの、自分の心の動きや、意識の動きというエネルギーを通して伝えられてくるのは、その内的な部分で、お互いが繋がっている、ということでもあります(^_^)。

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2017年5月27日 (土)

違いが大きいほど、気づきも大きくなる。

この世の学びとして、人間関係ほど、苦労させられるものはありません(^_^;)。

本当にまあ、次から次へと、いろんな課題がやってくるなぁ、という感じで、おわりなく「いろいろ」が起こるものですよね。

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それぞれ独自の個性をもっている人が、集まっている場所が「この世」です。

同じものが引き寄せ合う、「波長の法則」というスピリチュアルなしくみは、何もかもが共通しているという意味ではありません。小さい比率でも、引きあうものがあれば関係が作られることもあります。

ですから、表向きはまったく違っていて、共通点などあるとは思えないような相手とも、何かが引きあって、関わりがつくられてしまうこともあります。

似ている点が小さく、違いが大きい相手との関係は、負担を感じやすいですね。

しかし、違いが大きい相手からは、気づかされることもまた大きいという、メリットもあります。

この世では、「あれ」と「これ」を比較することで、違いから「わかる」という気づきが生まれます。この感覚には、時間というしくみが関連していることは、これまで何度もお伝えしたとおりです。

この世に生きる私たちにとって、比較をして、違いから把握するという気づき方は、もっとも認識しやすい手法なのです。

この世で、気づきを与えてくれる対象は、人以外にもたくさんあります。たとえば、理想と現実が違うことだったり、自分の中にある、内的な思いが変化していくことだったり、そうした「違い」も、いろんなことを気づかせてくれて学ばせてくれます。

それらは、自分がそのことに意識を向けない限り、あまり気にしないでいられるので、自分が気づくタイミングで気づいて、学びにしていくという、どちらかというと「静の気づき」ですね。

ところが、人間関係は、相手の意思がありますから、自分の都合は無関係に、いきなり動きがついたり、思わぬ働きかけを思わぬタイミングでされたりという、「動の気づき」が与えられます。

動の気づきには、動きの大きさに比例して、反応も大きくなります。ときにそれが、対立になったり、感情が乱されてカチンとくることもあったり、気づくけれども、それを受けとめる負担もでてきます。

動きが大きいものが、与える振動は大きい、ということです。

良くも、悪くも。

大きい振動は、印象も刺激も大きく、学びになり、気づきになり、役立つ面が多分にあるけれども、やはり、大きい分だけ、受けとめる負担というものが、発生してくるということなのです。

違いが大きいほど、違う振動(=波長)に、揺り動かされることになりますから、

得られるけれども、負担もでる、ということです。

そして、得たことを実感するまでには、ある程度の時間が掛かります。このことに気づくには、また別の「何かとの比較」が必要になるからです。「ああ、あのとき、こんなふうに経験値となって得られていたんだなぁ」と思える何かが起こったときに、「わかる」ので(^_^)。

しかし、負担のほうは、すぐに「わかり」ますよね(^_^;)笑。それまでの平穏さとの比較をすれば、こちらは違いが顕著なので、こちらのほうが、いとも簡単に認識されやすいため、

人間関係の違いによる負担で苦労させられている点だけが、自分の中で、クローズアップされているだけで、苦労の分だけ実は、得られてもいるということなのです。

・・・なかなか、気づきにくいですが(^_^;)。

人間関係で、相手との違いで苦労させられているときは、「きっと、何か得られているんだろう。気づくタイミングは今ではないけれど、またいつか何かの出来事がそれを教えてkるれるだろう」と、未来を楽しみにしましょう(^_^)。

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2017年5月25日 (木)

オーラの色は、どの部分の色かによって示される要素が変わる。

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オーラとは、身体をとりまくように放たれている、スピリチュアルなエネルギーのことです。

オーラを見たり感じたりすることができる人にとっては、オーラを把握することから逆算して、その人の性質や状態などがわかります。

オーラの様子とは、その人自身を反映しています。

オーラの「どの部分を見るか」によって、把握できることが変わってきます。

頭の近くのオーラには、内面があらわれます。

頭の「上」には、性質や性格などの「本質」的な要素があらわれ、

頭の「周囲」には、そのときの思いなどの「状態」があらわれます。

本質は、安定していて変化が小さく、状態は、その時々で容易に変化します。

頭の近くの「オーラの色」は、以下のとおりです。

頭の「上」にあらわれる色は、「本質」をあらわす色です。たとえば、青色であれば、爽やかさや、冷静さが、本質的に備わっていることを示します。

頭の「周囲」にあらわれる色は、そのときの「状態」をあらわす色です。こちらが青色なら、そのときの状態が冷静であることを示します。または、緊張しているときにも、青色になることがあります。

本質的な性格は、そんなに変化はしません。爽やかで冷静な人は、明日も、明後日もそういう性格ですから、明日も、青い色は示されます。

しかし、緊張しているという状態は、そのときの一時的なものとなります。その時点で緊張しているとしても、明日や明後日は、そうではないかもしれません。こちらの色は、そのときどきで大きく変化します。明日には、青以外の、別の色があらわれているかもしれません。

オーラの色は、「どの部分の色か」によって、あらわれている要素が変わってきます。

同じ「青」でも、その部分、位置によって、意味は違ってくるということです。

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2017年5月24日 (水)

ものごとが複雑に絡み合ってしまった場合の考え方。

自分に関わるものごとは、すべて何かしらの「繋がり」があります。

同じ要素のあるもの同士が引きあうという「波長の法則」や、自分が種をまいたことが自分の行く道に実るという「カルマの法則」で、ものごとが展開していくしくみです。

こうしたしくみがあるからこそ、このことが起こっている理由は何か、という視点をもつことができ、過去を振り返ったり、今やるべきことを再認識したり、未来の計画をつくろうとしたり、「自分の人生に意識的になる」ことができます。

(何の繋がりもなく、無作為にものごとが起こるなら、規則性や理由を考えることもできず、結果をつくる準備も意味がなくなってしまいます。繋がりがあるからこそ、「一連の動き」というとらえ方ができるのです)

しかし、ときに、それらが複雑な繋がりとなりすぎて、固まって解きほぐすことができなかったり、停滞してなかなかスムーズに流れなかったり・・・、どうしたものかと戸惑うケースもでてくるものです。

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そういうときに、この状況を何とかしなければ!と、強い力を掛けて押し切ろうとしたり、動きの多さでこじれをカバーしようと負荷を掛けすぎても、・・・ますますこじれて身動きがとれなくなることもありますから、

「絡まっているところを何とかしよう」とするよりも、そこから意識をはなして、「それ以外のことする」という切り換えをしてみましょう

他で動きをつけられるところがあれば、そちらを先にやってしまうことで、自分が抱えている「やらなければいけないことリストを、少しでも減らす」という考え方です。

ちょっと絡み合ってスムーズでなくなっている程度なら、対処は早いほうがいいですよね。しかし、どうしようもなく複雑になっているときは、少し遠回りになるかもしれないけれど、

「効果的な解決の糸口を見つけるために、周囲をシンプルにしてみる」というとり組みが役立ちます。

そうすると、絡んでいるところが、いろんな角度から見えやすくなります。

他の行動の刺激によって、絡んでいる箇所に、緩みがでてきて、ほぐしやすくなったりすることもあります(^_^)。

焦って、わーっとやってしまうと、こじれているところが、ますますこじれることもあり得ます。というか、だいたいそうなります(^_^;)笑。

全体を眺めて、絡まっていないところに動きをつけてみてください

これは、問題を先送りにすることとは違います。

また、すべての問題に当てはまる方法ではありません。とり組みをしようとしても、こじれすぎていて、どうしたらいいかわからない状況(^_^;)になってしまっている場合の、ひとつの考え方です。

あとは、第三者の手を借りると、意外とすんなり解決することもあります

記事内の画像は、猫さんの爪でなんとかしようとすると、ますますひっかかるでしょうけれども、外から人間が手をいれれば、簡単にとれますよね。糸のからまりは残りますが、少なくとも猫さんは、脱出できます。

そういう方向性での解決は、外からの働きかけのほうが、効果がでるということもあります(^_^)。

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2017年5月23日 (火)

誰もが、霊的な関与をうけながら、学びを重ねている。

人とは、肉体という器を伴った霊的な存在である、とスピリチュアリズムでは解釈をします。

普通は、人という存在と、霊という存在を、わけてとらえていますけれど、実は私たちは霊であるということで(^_^;)、霊的な事柄やエネルギーに、馴染みやすい性質を持っていることになります。

そのため、誰もが、必要に応じて、霊的な事柄やエネルギーの関与を受けることとなり、そのうちのひとつに、守護霊という導き役の存在のサポートが含まれます。

こちらは、スピリチュアリズムに関心をお持ちの方にとっては、既におなじみの知識ですよね(^_^)。

自分と守護霊との関係性というのは、「この世に生まれる以前からの、たましいの繋がり」です。一般的な人間関係のような、立場や感情に左右される不安定な繋がりとは違い、きりはなされることのない、深く強固な関係です。

ですから、霊的な関与となると、一番の基本となるのは、守護霊などの存在との繋がりがあげられます。

誰もが、そうした存在に見守られながら、この人生という経験から学びを得ていることになります(^_^)。

こちらの関係は、とても自然であり、そして「通例・通常」な繋がりといえますね。

しかし、霊的存在の関与にも、いりいろあって、あまりありがたくない(^_^;)、「変則的かつ一時的」な、未浄化な霊による「憑依」という現象もあります。

こちらは、とても「この世的な現象」です。あちらの世界には、霊である自分が、別の霊に憑依されるなどという現象は存在しません。

この世という物質次元では、肉体と霊というそれぞれが完全に一致しませんから、必ずどこかに不安定さがあるので、そこに霊的な不調和がでてしまうと、イレギュラーな現象が起こってしまうということなのです。

肉体と、霊という、ある意味、相反する要素のあるものを同時に抱えている、私たちは、そうした不安定さの中で、あらゆる経験の「幅」の中で、たましいを鍛える学びをしているということですね(^_^)。

そして、守護霊や、未浄化霊以外にも、「他人という霊的な存在」からの関与もあります。

自分も霊なのですから、自分以外の他人もまた、肉体を伴う霊的な存在だと言えます。

人間関係も、お互いに霊的な作用を与えあっている関係性になります。

ある意味、人間関係が、一番、この世的な、「霊との関わり」の機会なのかもしれません(^_^)。

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2017年5月20日 (土)

「感じる」センスには、思い込みが入りやすいという特徴が。

過去記事で、「感じるセンス」と「わかるセンス」との違い、という内容をお伝えしました。

記事内のとおり、こうしたスピリチュアルなセンスとしての感じるとは、「何らかの体感覚を伴う反応」で把握する感覚で、

わかるとは、「根拠がなくても、そうだと確信がわいてくるというわかり方をする」という内的な感覚のことです。

どちらも、内的な感覚なので、この両者の区分けは曖昧になりやすく、また、他人と共有して確認しあったりすることも難しいので、「自分では、そうだと思っている」ところから、なかなか理解も納得も深まりにくいところではあります。

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ご相談者さまの、いろいろなお話を総合すると、多くの方は、「感じるという感覚」のほうが、「わかる」よりも、感度のよいセンサーであると思っていて、「わかる」というセンサーを軽視しているケースが結構多いようなんですよね(^_^;)。

「感じるセンサーが、自分に備わっていたらいいのに」と思っている方は、頭の中でそうかもと思うわかり方より、体感覚のビリッとくる等の反応を伴うほうが、確実性があって把握しやすいという思いからなのでしょうけれども、

しかし、実は、感じるという感覚には、客観性が伴った感覚とは限らないという、「判別のしにくさ」もあるのです。

どちらも必ず、間違う可能性はある。

「感じる」ことも、「わかる」ことも、自分の内的な感覚ですから、客観性があるとは言い切れないということは、どちらにも共通することです。

スピリチュアルなセンスの精度は、そんなに高いものではありません。それはすべての人に言えることです。

しかし、どちらかといえば、「わかる」感覚が鋭い人は、自分のわかることへの思い入れが少ないので、冷静でいられるので、思い込みにとらわれにくく、「感じる」感覚が強い人は、体感覚という反応が実際に伴うため、それが「起こった」ことの印象が強くなるので、思い込みになりやすいという特徴があります。

【わかるタイプ】

頭の中で確信がわくという、「わかる」感覚が鋭い人は、思考との境目があまりないため、その感覚にこだわらないでいられます。

「そうだと思ったけれども、でも、思い込みかもしれないな」とか、「そうだと確信があるが、しかし、これが事実とも正しいとも言い切れないし」というわりきりが簡単にできるので、ひとつひとつの、「わかった」感覚にとらわれないでいられます。

自分の直感的な把握を、軽視してしまうことが多いのですが、しかしその分、冷静にもなれますね。それを信じるという思い入れも小さいので、認識違いもありうるという感覚もまた、受け入れやすいということです。…と書くと、いいような、悪いような、ですけれど(^_^;)、

「自分の感覚を、信じることができにくいけれど、その分、違うこともありうるという点は受け入れやすい」のがこちらのタイプです。

【感じるタイプ】

体感覚を伴う反応で、「感じる」人は、体への印象が強いため、「感じたのだから、そう感じる何かがあるはずだ」という認識もまた強くなるため、そこから意識を離しにくいです。

体感覚の反応が、実際に自分に起こるため、「わかる」タイプよりも楽に、それを信じることができます(^_^)。それ自体はとてもいいことなのだけれども、メリットの裏表として、感じたことから思い込みが生じることも、「わかる」タイプよりも、多くなってしまいます。。。

普通に考えて、「そうかと思ったけれども、違うかも」という思考は自然にできるけれど、「体感覚で反応があったけれども、違うかも」という認識には、あまりなりませんよね。

たとえば、「食べ物を口にいれて、甘いと思ったけれども、でも思い込みで、実際は甘くないかも?」という認識には普通はなりません。

体感を伴う反応は、自分の中での事実として認識されやすい事柄ですから、当然といえば当然です。

「体感という反応がわかりやすいので、感覚を信じること簡単にできるかわりに、しかしそれは、自分の個人的な反応であり、外の何かを感じたあらわれとは限らないという認識を、もちにくい」のが、こちらのタイプです。

どちらも、「得意分野」と「苦手分野」がある。

どちらのセンサーも、完全ではないという理解が大事です。

これまで幾つもの記事で書いてきたように、スピリチュアルなセンスの働き方にも、どんなことがうまくできるかという個人差があります。

「自然現象の変化が当たる」とか、「相手の体調の変化が感じられる」とか、「本質の把握ができる」というような、得意な分野があって、それ以外のことは同じようには把握できません。

わかることも、感じることも、得意分野に対しては、把握できることが多い分だけ、実際以上に大きく反応してしまうこともあります。または、苦手分野の把握には、ノイズが入って間違えることもあるのです。

苦手なことや、できなことは、「無反応で、把握できない」ならば、わかりやすいし簡単なのだけれども、そのようにはならず、できないことでも「何らかの反応や解釈が、自分の内部で結びついて、作られてしまうこともある」ので、こうしたスピリチュアルな感覚のみの把握を、あまりに重視しても、むしろ人生が混乱してしまいます。

そういうセンスも、ひとつ手段としてうまくいかすようにして、それのみにとらわれないバランスが大事ですね(^_^)。

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2017年5月19日 (金)

守護霊の方が、「手に何かを持っている構図」

セッションの際に、守護霊さんがお出ましになるときに、「手に、何かを持っている」姿であらわれることがあります。

それは、その守護霊さんに関係する道具である場合と、まったく違う何かである場合とがあります。

守護霊さんに関する道具というのは、たとえば「武士の方がもつ刀」とか「縫い物をする職業の方の、布」のようなものですね。

あえてそうした構図ででてこられるときは、「そのことが、お伝えしたいことと関連している場合」で、ご相談者さんに何か意味があることが多いです。

たとえば、武士の方が刀をもっているというのは「そのまま自然な姿」でもあるので、ご相談者さんが、道具を使うことが上手だったり、手を使うことが得意だったり、そういう特徴が示されていることもあります。

しかし、武士の方が「書籍」などを手にしている構図であれば、あまり自然な姿とは言えないので、そこには別の、ちょっとひねった意味があり、ご相談者さんに「情報を集めてください」とか、「書籍などの文字から、役立つ知恵を得てください」というようなメッセージ性がこめられていることもあります。

こういうところからも、お伝えする内容が把握できるように「なっている」ようで、私はあまり霊聴(れいちょう)が得意なほうではないので(^_^;)、おそらくはこうして私がわかりやすい形に合わせてもらっている・・・のだろう、と思っています(^_^)。

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2017年5月15日 (月)

あなたも、相手も、悪くはなくても。|今日のメッセージ。

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人間関係で、うまくかみあわないことがあるとしても、相手も悪くはなく、あなたも悪くはない、「どちらも悪くはない」というケースはいくらでもあります。

かみあわないのは、「悪いこと」とは限らないのです。

あなたは、「きっと、自分が悪くて、こうなったのだろう」と、自分の側に原因があるものと考え過ぎるところがありますが、

あなたが悪いのではなく、誰も悪くはなく、しかしそれでも、うまくかみあわない場面は、発生してしまうものです。

価値観が違い、立場が違う、大勢の人がいるこの世という場所では、そういうことは「起こり得る」ものと受けとめて、今日からまた明るい気持ちで前進してください。

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2017年5月14日 (日)

経験が重ねられて、客観的なとらえ方ができるようになる。

人間関係において、または、ものごとを判断する場面で、自分の側からだけの解釈にとらわれず、広くいろいろな方面からの解釈をすることができれば、対応に「幅」がうまれます。

客観的なとらえ方ができる人ほど、ひとつひとつの出来事から得られる学びが深いものとなります。

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先日、「大人になるほど、難しくなる人間関係」という記事を書きました。

内容としては、子どもの頃は「立場がひとつ」しかないが、年齢が重ねられるほどに、「立場に多様性がでてくる」ので、それぞれに応じた使い分けが必要になってくることをお伝えしたものです。

立場がひとつのうちは、ひとつの側からしか、ものの見方が身につきません。つまりは、自分の側からの「主観」です。

大人になって、いろんな立場に置かれるという経験を重ねていく中で、さまざまな側からの見方が身についてきて、「客観」という感覚が磨かれていくようになります。

一方からのみ眺めるよりも、幾つもの方向から眺めるほうが、「それ」について把握できることが増えますから、解決や改善の方法が見つかりやすくなります。判断が偏らなくなり、柔軟になることができます。

客観というのは、特定の立場からの見方にとらわれず、ものごとをとらえたり解釈したりすることです。

かつて一番下だった自分も、上の立場になったときに、「両方の立場がわかる」ようになりますよね。年齢を重ねて、役割が増えていくに比例して、いろいろな立場からの見方がなされていくことが、客観の感覚を育てていくことになります。

ものごとのとらえ方に、幅がでて、奥行きがつくられていくと、受け止め方がまったく変わり、自分が得られる学びも、深いものとなっていきます。

「大人になってみて、今なら過去のあの件がよくわかる」という感覚は、そうした客観的なとらえ方を、昔よりも、深く広くできるようになったことが関連しているのでしょうね。

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2017年5月10日 (水)

スカイプセッションの後に、眠くなったり、お腹がすいたり?

皆さまからいただく、セッション後のご感想に、しばしば載っていることですが、「セッション後に「おわった途端に、急に眠くなった」という方もいれば、「なぜか、お腹がすいた」という方もいらっしゃいます(^_^)。

(眠くなった):http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/2017/04/post-328d-2.html

(お腹がすいた):http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/2017/03/post-328d.html

この記事は、最近いただいた中から探しましたが、過去にも同様の現象が起こった方のご感想はたくさんあります。

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眠くなるのは。

眠くなる件については、こちらの過去記事の説明のとおりで、霊的なエネルギーにふれることの作用です。

セッション中の、まさしく「渦中」のときは、自分もその波長の中に(中が多い(^_^;))いることになるので平気なのですが、おわったところで、普段の波長に戻ることになりますけれども、その差が大きくつくときに、「眠くなる」という現象が起こるのです。

つまり、日常の波長から、持ち上がった度合いが大きかった人ほど(その分、落差も大きくなりますから)眠くなるという現象が起こりやすいのですね。

お腹がすくのは。

お腹がすく件については、2つの理由が考えられます。

ひとつは、上記の同様に、急に普段の波長にもどったことが作用していると考えられます。上記は、落差がついたことで眠くなり、こちらのケースは、落差がついたことにより、普段の現実的な事柄がむしろ際だって、本能的な欲求が大きく感じられている、ということです。

もうひとつは、「私の波長に、同調しているため」です(^_^;)。

基本的には、セッション中は、私の側が、ご相談者さんや、霊的な存在の方たちのほうにチャンネルをあわせるかのように、振動を揃えていきいます。そのため、振動(波長)を、変化させることによる負担というのは、私の側に発生するしくみです。

しかし、エネルギーの動きは、「やりとり」でもあるので、そうした動きの作用は、ご相談者さんの側にもゼロではないですから、お互いの波長の繋がりが生まれて、「私が、お腹がすいていること」が、そのまま伝わってしまう、ということもあると思われます(^_^;)笑。

セッションの際は、私はあまり食事をしっかりとりません。少しお腹がすいているくらいが、自分の波長に「余白」ができて、自分以外の、微細な振動をキャッチしやすいですから、そういう状態を意図的につくりあげていきます。

その、私の状態をキャッチして、同調しているという影響で、お腹がすいた「ような気になる」のではないかな、と。本当にお腹がすいているのではなく。

エネルギーに敏感な方は、そういうことが起こっても、不思議でないですね(^_^)。

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2017年5月 5日 (金)

何に対して、時間を使うか。

この世での人生を過ごすというのは、何かに対して「時間を費やす」ということです。

意識的であれ、無意識であれ。

「この世にいる」ということは、「時間という留まらないものの中に、自分を置いている」ことになりますからね。

何に時間をつかうか、「自分では選べない部分」と、「自分で選べる部分」とがあります。

自分の意図とは別の理由から決まってしまうこともありますし、それをやらないとものごとが前に進まないのでやるしかない事柄もあり、これらは「自分では選べない部分」です。

こうしなければならない、これを選ぶしかないという制限がなく、誰にも強制も指示もされない事柄は「自分で選べる部分」です。これは言い換えると、「自分が選ばなければならない部分」です。

自分の人生の時間を有意義に使おうとするなら、まずは、この2つ、「選べないこと」と「選べること(選ばなければならないこと)」の区分けを、考えてみるといいでしょう。

わけてとらえてみると、「何に対して、時間を使うか」という意図は、「選べること」のほうに向けていけばいいとわかります。

自分では選べないことを、意図的に選ぼうとしたり、自分で選ばなければならないことを、誰かが決めてくれるのをまっていたり、逆の認識をしてしまうと、「できないことをやろうとして、できること(しなければならないこと)をやらない」という、本来の目的と違う姿勢をとっていることになります(^_^;)。

有意義に時間をつかうために計画をつくろう!という意欲があっても、対象となる事柄のとらえ方が曖昧であると、うまくかみ合わずに停滞してしまいます。

まずは、「自分が選べること、自分が選ばなければならないこと」、言い換えると、「自分で決められること、自分が決めなければならないこと」に該当するのはどんな事柄があるかと、項目をあげてみてください。意図的に、計画的に取り組みができるのは、こちらのほうだかららです。

そして、もうひとつ考えておくことは、「選べないこと」と、「選べること」との間には、「どちらともいえない、時間にまかせるしかないこと」も、あるということ。これらについては、考え過ぎないという割り切りも大事です。

考えるということもまた、時間をつかうことですから、時間にまかせるしかない事柄については、少しそこから意識を離して、まずは、その時点での「自分に近いところから」意識を向けていくのがいいでしょう。

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2017年5月 2日 (火)

背中側を意識した呼吸で、前のめりオーラのバランスをとる。

昨日の、「エネルギーを引き受けやすい人の、改善方法」の続きです。・・・「の」が、多いですね(^_^;)。

コンディションが下がっているケースのひとつに、「不安感からの焦り」があります。不安を解消しようと、あれもこれも備えて置かなくてはと頑張り過ぎたり、不安をうめるための「何か」を見つけようとして、気持ちだけが、前に前にと進んでしまう状態です。

そういうときは、オーラのようすも、本来のあるべき位置よりも、前のほうに比重がおかれるようなアンバランスさがみられます。過去記事、「前のめりオーラ」を、あわせてお読みいただくとわかりやすいと思います(^_^)。

こうした、前のほうにエネルギーが集まっている状態を、本来のあるべき位置へと戻すことにも、呼吸を深くすることは有効です。

昨日の記事のとおり、影響をうけてしまうことが多い人は、呼吸が浅いケースが多いです。

そして、焦りの気持ちでいっぱいなときにも、緊張感から、呼吸は浅くなりがちです。

つまり、この2つはとても近い位置にあります。

オーラ的に見ても、だいたい、影響をうけやすい人は、不安が大きくて焦りも大きいので、前のめりオーラになっているか、または、不安から過剰に思考しすぎて、比重が上のほうにきている、浮き上がりオーラになっているかのどちらかです。

昨日の記事のとおり、呼吸は、エネルギーを動かすためのポンプのような役割にもなりますから、深く動きを「つけていく」ことで、エネルギーのバランスをとることができます。

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改善のための呼吸は、「背中側を意識して、そちらに空気を送り込むかのような呼吸」をするといいのです。そうすると、オーラもポンプと連動して動きますので、背中側のほうにもエネルギーが押し出されるように動いていきます。

しかし、背面を意識するというのはなかなか難しいです。やってみると、難しさがわかります(^_^;)。

目や耳が向かっている前面は意識することは簡単なのですが、背面へ意識を向けるとか、エネルギーがそちらに動くようなイメージをといっても、どうもそれが感覚として結びつかない、脳内で思い浮かべることも前面ならできるけれど・・・となりがちです。

この場合は、背中側に、何らかの物理的な「ふれる感覚」があるほうが、呼吸を意識しやすくなるので有効です。

クッションをつかう方法が簡単なので、おすすめです(^_^)。

壁に寄りかかり、背中に(壁と、自分の間に)クッションをおいて、クッションに体重を少し掛けるような形をとります。そして、クッションが触れている感覚のところに、自分の内側から(表面にふれている)クッションを、エネルギーで押すようなイメージで呼吸をします。つまり、吸うときに、背中側へ内側から押すような感覚です。

そうすると、呼吸によって、エネルギーも背面のほうにもめぐりやすくなります。

このとき、位置としては、肩甲骨の間あたりに置くのがいいですね。ここは、スピリチュアルなエネルギーの出入り口でもあるので、両方の意味で効果的です。

座布団を使う場合は、「ふたつに折って」背中の上のほうに置くといいです。広げて全面にあてた状態になると、わかりにくいです。

これまで何度も書いていることですが、この世において「比較」をした理解はとても「わかりやすい」のです。背中にふれる感覚も、全面にそれがあるよりも、一部分のみにふれた形で、「ある」場所と、「ない」場所との差がついているほうが、「ある」の場所を意識しやすいので、「わかる」が際だっていくようになります(^_^)。

他者の協力を得られる場合は、相手の人に、自分の背中に手のひらをあててもらって、同様に、内側から手をエネルギーで押しかえすようなイメージにすることでもいいですね。

クッションのほうが、自分の体の動きを吸収してくれますから、体感としてわかりやすいので、こちらの方法がおすすめです(^_^)。

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2017年5月 1日 (月)

エネルギーを、引き受けやすい人の改善方法。

エネルギーの動きとして、放つほうの力が強い人と、受けとるほうの力が強い人がいて、後者のタイプは、他者のエネルギーを「ひきうけてしまう」「もらってしまう」という形で、影響されることがあります。

といっても、受けとる力が強ければ常にそうなる、ということではないです(^_^)。

コンディションが整っていないときとか、相手との関係性の兼ね合いなどで(向こうが上になる上下関係など)、自分の側が、もらってしまいやすい状況や条件がそろうと、放つほうが強い人と比べると、ひきうけてしまうことが起こりやすくなるのがこのタイプの人です。

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影響のあらわれとしては、たとえば、ひきうけたエネルギーが、「相手の感情」だったとします。自分の中に、もとからある「イライラ」の感情が「2」くらいの大きさでしかないのに、ひきうけたものが加わって「6」くらいになってしまうと、普段なら気にならないくらいの小さいことに対しても感情が発生しやすくなったりします。

または、とっても疲れやすくなることもあります。感情のような反応のあらわれにはならなくても、自分と違う波長(振動)のエネルギーがオーラの中に留まっていると、テリトリーの中でいつもと違う動きがでてくることになるので、よくわからないが疲れやすい、という状態になったり。

●呼吸を、深くする習慣をつける。

「コンディションがさがると、もらってしまいやすい」という反応のあらわれは共通でも、それ以外の性質は、人の数だけ違いがありますから、状態を戻すために効果的な方法も、「人それぞれ」となりますし、「ケースバイケース」となります。

しかし、そうしたピンポイントな方法ではないけれど、皆に共通して、ある程度の改善が見込める、長い目でみた取り組みの方法があって、それは「呼吸が浅い習慣を、改善すること」です。

呼吸というのは、エネルギーを動かすポンプのような役割があります。呼吸に伴って動く、エネルギーの、押す(出す)ほうの力を鍛えるようなイメージですね。

といっても、エネルギーの全部が、呼吸と連動しているわけではないし、呼吸によってすべてをコントロールできるという意味でもないですよ。それができる、一部分がある、ということです(^_^)。

●影響されてしまうことを、軽減する。

性質そのものは変えられまんが、影響の実際のあらわれは、自分次第で軽くすることができます。そういう方面からのとりくみです。

「影響されやすい性質であること」と、「実際に影響されてしまうこと」は、ちょっと違いますよね。

後者の、実際に影響されてしまう人は、まず例外なく、呼吸が浅いです。

一方、性質的に、ひきうけやすい、影響されやすいオーラの人でも、たとえば、仕事や活動として、人前で講話をするような役割とか、接客業についている人などは、プロの人特有の呼吸の方法などが身についているからだと思いますが、影響される度合いが違っていますからね。

エネルギーを常に、(その人比で)大きく動かすことができると、動きがあるということは、留まりにくいということなので、影響を最小限にすることができます。

話す機会が多い仕事の人などは、ひきうけてしまっても、それを「留まらせない」という形で、ある程度のコンディションをキープしているのだろうと、そう思います。

これは、そのときだけ何度か深呼吸をするとかの一時的な取り組みではなくて、根本的に、普段からの呼吸を深いものへ習慣づけるほうが望ましいです。

私は、数年前にとんでもない大きな骨折をしてしまいした。しかし、怪我の功名という言葉がありますけれども、その後のリハビリの延長で、トレーニングをするようになり(そうしないと歩けないので(^_^;))、筋肉が少しつくと、呼吸もしやすくなって、これでかなり影響が減ったことを実感しています。以前は、「呼吸が、ものすごく浅い」状態だったものが、「まあまあ浅い」という、下の中になった程度ですけれども(^_^;)、トレーニング前とは格段に(これでも;)変わりました。

運動もいいですし、何らかの呼吸法を行うというのも、いいと思います。今はネット上にいろんな方法やら動画やらありますから、自分に合うものを見つけてとり組んでみてください。

私は、自分の経験から、運動が一番効果があると思います。呼吸も筋肉をつかいますので、年齢とともに女性は筋力が下がっていきますから、呼吸も深くしにくくなってしまうことがあります。その点を、幾らかでも改善できたら、本当にそれだけでもかわってきますので(^_^)。

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