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2017年3月の20件の記事

2017年3月31日 (金)

スピリチュアルなエネルギーが、電化製品に干渉してしまうことがあります。

人が放つオーラや、霊が放つエネルギー(たとえば守護霊からの働きかけなど)、テレパシーや、ヒーリングのエネルギーなどの「スピリチュアルなエネルギー」は、「電気」や「磁気」ととても近い性質をもっています。

霊感が強い人は、そうしたエネルギーを放つ力が平均よりも大きく、それらのエネルギーは電気と似ていて馴染みやすいため、ときどき、「電化製品を不調にしてしまう」ことがあります(^_^;)。

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もちろん、「そういうことが、あり得る」という話であって、霊感の強い人が必ずそうなる、ということではないですし、電化製品が壊れる理由が霊感によるという意味でもないですけれど、

こうした現象は、それほどめずらしくはない、よくあることです。

エネルギーを発するか、受けとるか

どのようなしくみで、干渉が起こるかというのは、「その人のエネルギーの動きが、発するほうが得意か、受けるほうが得意か」によってだいたい決まってきます。

エネルギーを発するタイプであれば、「その人自身が発するエネルギー」が、電化製品に向かうことからの作用です。

エネルギーを受けとるタイプであれば「その人が引き寄せるエネルギー」が、(その人が放っているものではなくても)自然と、周囲の電化製品と馴染んでしまって、作用が起こります。

自分のコンディションが、大きく関連している。

しかし、無条件にこうした現象が起こるわけではありません。

こういう現象が起こるときは、スピリチュアルなエネルギーそれ自体に原因があるのではなく、何らかの「不調和」が、エネルギを発したり受けたりしている「自分自身にある」ことを示しています。

怒りや不満の感情がいっぱいだったり、焦りや不安で気持ちが安定していないとか、疲れすぎて本来の調子が整わないことなどが、過剰な状態になっているときに、発するエネルギーもそれを反映して荒っぽいものになったり、引き寄せるエネルギーが、「同じようなものが引きあう波長の法則」によって、同じように不安定なものになったりしがちで、

「そのときのコンディションが反映したエネルギー」が、電化製品にも影響を与えてしまうことがあるのです。

ある意味、自分の状態をはかるバロメーターにもなりますから、周囲でそうした現象が一度に幾つも起こるときには、抱えすぎていたり、頑張り過ぎていたり、期待し過ぎてていたりで、コンディションが下がっていないかという点を、見つめ直してみるといいと思います。

そうして、ここがそうだなと思える点があれば、可能な範囲でそれを調整したり、減らしたり、代わりに何かを加えたりしながら、自分がよい状態でいられるような工夫をとりいれていくといいですね(^_^)。

何にでも、作用するわけでもない。

こうした現象は、不安定であれば必ず起こるということでは勿論ないし、また、霊感が強ければどこまでも広い範囲の大きな現象が起こるということでもありませんので、その点は誤解のないようお願いします。

家にあるような電化製品という規模が小さいのに対しては、こういうことも、ときに起こり得る、という一例であり、もっと大きなものや、精密度の高いものにも、同じような影響が及ぶということではないので。

私が以前、企業で働いていた頃に、かなりの精密機器を扱う部署にいたこともありまして、上司たちは理系のエンジニアばかり、そういう人たちは皆、とても勘が鋭くてスピリチュアルなセンスも高そうな方ばかりでしたが、しかし、そうした方たちが大勢関わっても、規模の大きい精密機器が不調になったりはしませんでした。

人の、エネルギー的な影響の受けやすさが、備わっている性質による個人差があるように、こうした機器も、そのもの「作り」の簡易さとか、動作の安定度の幅だとか、そういうことの差がでてくるということでもあるのでしょうね(^_^)。

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2017年3月28日 (火)

後天的に培われる性質にも、先天的な性質(本質)が関連する。

人の性格や性質とは、「生まれもって決まっている、先天的なもの」と、「生まれてからの環境で培われていく、後天的なもの」と、両方が関連してつくられています。

生まれもって決まっているというのは、たましいの領域から備えてくる性質のことです。

私たちは、何度も生まれ変わって学びを重ねている存在ですので、そうした前世の経験などから培われた性質が、たましいの領域に存在しています。それらを「備えた状態で、この世に生まれてくる」ので、性格や性質とは、生まれた時点ですでに「ある」ものなのです。

生まれてから、ゼロから積み上げるしくみではないからこそ、同じ親から生まれて、同じ家庭内の環境で育っていても、兄弟や姉妹で性格の違いがみられます。

(過去記事:たましいのデータベースから備えてくる性格や性質があります。)

生まれてからの環境で決まるというのは、「環境が刺激になって、自分の中から引き出される」ことと、「環境が学びとなって、新たに培われること」の、2つの要素の掛け合わせになります。

今回の記事は、「生まれてからの環境で培われる、後天的な部分の作られ方」についてです。

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1、環境が刺激となって、「ある」ものが引き出される

これは「環境が刺激」という点が、後天的です。「引き出される」のは、やはり先天的な生まれもった性質から引き出されるのです。

生まれもっている性質(本質)が変わらなくても、その人生での環境や個別の経験が違ってくれば、引き出される内容にも反映してきます。

たとえば、「複数のことを同時進行で、進めていける性質」を高く備えている人がいるとします。

この人の育った環境が、「日本と外国を、数年おきに行き来する」ものであれば、複数を同時に進めていける、つまり、配分や使い分けがうまいということですので、両方の生活習慣や言語の差に混乱することなく、どちらの学びもしっかり身についていく、という形で、高い性質があらわれていくかもしれません。

もしくは、「手広く商売をしている家」に生まれたならば、複数のことを成立させるには、こんなふうにやればいいんだ、とコツをつかむことが上手ですので、「自分もいつか、こうして複数の事業をやりたい」と思うようになるかもしれません。

こうして「引き出され方」が変わると、前者のケースなら「複数の言語を上手に扱えるセンス」となり、後者は「商売をやるセンスが高い」となって、表面だけみればまったく別のものとなる可能性もあるのだとわかります。

2、環境が学びとなって、「新たに」培われる

こちらは、これまでたましいの経験値の中にないものが、今回の人生の経験で加わっていくことから、作られていく性質のことです。

たとえば、これまでの前世では、一度も日本に生まれていない人が、初めて日本に生まれてきて、この言語と生活習慣から学びを得ていくようなことですね。

そうなると、経験があるという優位性はないかわりに、新たなことを知ったときの、「落差」が大きいために、インパクトのある、「ああ!そうか!」的な理解となって、身につく度合いも大きくなります(^_^)。

この世というのは「比較から学びをえる場所」なので、違いがあるほどに、(違いというのはストレスではなく、学びでもあるのだと気づくことができたならば)、印象深く身につくというメリットもあるんですね(^_^)。

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こうして、生まれた後の環境や経験から培われる部分にも、そのことがあらわれるためのベースとして、または比較対象として、先天的な性質(本質)とは関連がでてきます。

そのため、同じ環境で同じ経験をした複数の人がいる場合でも、そこから何を得られるかは「人それぞれ」になるわけです。

同じものを見て、同じカリキュラムをこなしたとしても、備えている性質が違えば、「自分に響いてくること」は、印象深い箇所がどこかという点も変わりますし、広さも深さも、それぞれですからね。

新しい経験から培われることも、備えている性質(本質)を通した反映の仕方になり、それらを含んだ全体が、自分の性質であり性格である、ということになります

こうした構造を理解しておくと、周囲と自分との違いや、理想の通りそのままにはいかない現実について、そうした比較から必要以上に落ち込んだり考え過ぎたりすることもなく、

むしろ、比較という感覚から自分を把握していくことができれば、より自分らしさをいかしていけるという意欲に繋げていけると思うのです(^_^)。

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2017年3月26日 (日)

「自信がないこと」と、「自分を過小評価していること」の違い。

自分は、どうも 「自信がない」ために人生がうまくいかないとか、「この自信のなさ」を変えるためにはどうしたらいいか、というように、ちょっとした「認識の違い」から、心の中が混乱しているケースがときどきみられます。

今回の記事は、それは本当に「自信がない」という思いなのか、実は「自信はないわけではないが、過小評価から不安になっているだけ」ではないのか、という観点からの解説となります。

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|自信は、主観的な思い。

自信とは、自分を信じる思いです。具体的な事柄について、「この部分には自信がある」という思いのこともあれば、「私は、自分をいつでも信じていられる」というような、要素を特定しない全体的な思いとなることもあります。

こうした思いが強い人は「自信がある人」で、弱い人が「自信がない人」になります。

自信がある、という思いは「とても主観的なもの」であり、どちらかといえば「本質的なもの」です。

何かが上手にできるから自信がでてくる、とは限らないですよね。上手にできていても、自信がない人はいますし、まったく出来ていなくてもなぜか自信満々な人がいる(^_^;)ことからもわかるように、必ずしも事実と思いは連動していません。

自信というのは、特に根拠がなくても、もつことができます。



|自己評価は、客観性による思い。

自分を評価することは、ある事柄についての事実を分析したり、または他者と比較したりすることから「自分とは○○である」というふうに生まれる感覚です。こちらも、部分に対する評価になることもあれば、要素を特定しない全体的な評価になることもあります。

評価が、事実に即していれば「等身大の評価」となり、小さくとらえてしまうことが「過小評価」になります。

自己評価というのは、どちらかといえば「客観視の感覚」からうまれます。自分について他人のような距離をともなう目線でみることや、逆に、自分を他人がみているような距離の取り方で眺めることから評価をつけていくことになります。

自分を評価するのは、「この件がこうなっているから適確だ」というような、判断の根拠があてこそです。



|2つは関連しているけれど、「別の事柄」となる。

「自分を信じる思い」と「自己への評価」は、厳密には分けられません。どちらも「自分という存在を通して繋がっている2つの事柄」であり、重なるところもあるからです。

たとえるなら、人という存在が、「身体という器に入った霊的存在」であるけれど、人の知覚において、その2つを分けることはできず、頭の中での理解にとどまるのと同じようなことです。

密接に関連していることですから、線を引くようなわけかたはできませんが、スピリチュアリズムの知識として、身体が自分ではなく、霊の部分が自分であるという解釈をもっておくと、感情にとらわれることが減ったり、出来事を通して成長しているという解釈がスムーズになり、人生を力強く進んでいくことを助けます。

それと同じで、「自信」と「自己評価」とは、まったくのイコールではないのだとわかっておくと、同様に、感情を整理できたり、出来事から学びを得て成長していくことがスムーズになります。



|本当に自信がないのか?と、改めて考えてみる。

ご相談でよくあるケースが、「自分を信じる気持ちはあるけれど、自己評価が低い人」が、その状態を「自分は自信がないからダメだ」と思い込んでいて、どのようにそのことを改善したらいいのかわからず困っているというものがあります。

しかし、そういう人が醸し出す雰囲気や、放つオーラは、「本当に自信がない人」のそれとは違って、肯定感というエネルギーが含まれていますので、違うことはすぐにわかります。

自信がない、と思っている人の多くは、「自己評価が低い」だけですから(^_^)、

ならば、評価をより事実に基づいたものにするために、自分を客観視して分析してみる、人と関わる機会をもって、比較してみる、人と関わることで人が自分に与えてくれる評価(そのことも自己評価の参考になります)を、まずは行ってみることですね。

そして、自分を信じる気持ちが、強いか、そうでもないかというのは、かなりの部分で「生まれもった性質」の関連があります。ここが強けれは強いほど良い、ということでは必ずしもないし、もっと強くする「べき」というものでもなく、それぞれに、たましいの学びに見合った性質を備えています。

ですから、そのふたつをわけてとらえていき、自己評価のほうにまずはフォーカスしてみてください。つまり、客観性をもって自分を眺めてみることです。自分について知ることもここに関連して役立ちます。

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2017年3月24日 (金)

普通の中から、得意なことを探してみる。

多くの人は、自分のことをよくわかっていないものです。

そのため「自分に備わっている、得意なこと」を、ほんの少ししか自覚していなかったり、得意なことは何もないと思い込んでいたりします。

これはちょっと「もったいない」ことですので、自分の得意をどうやって見つけていくかのヒントを書いてみたいと思います。

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「手慣れていて、うまくできること」は、そんなに達成感などの感慨が伴わないものです。なぜなら、普通にうまくできてしまうからです。

「自分に備わっている、得意なこと」の大部分は、自分にとってあまりに普通で

「私は、これが得意な事柄だなー」と、しみじみ思うような認識にはなりにくいです。

他の人が、相応の労力なり時間なりを掛けてできることを、自分は、「普通に」できてしまうからこそ、人より「うまい」という位置にいられます。

たとえば、旅行者向けの「自然の素材をふんだんに使った地元料理」を、地元の人は「でも、都会の人はこういうのは好まないのではないかしら」と、考えてしまうとかは、・・・わりとありがちではないでしょうか。それで、変にアレンジしすぎてしまったりとか(^_^;)。

しかし実際は、そうした地元ならではの自然のものは、珍しいし、いかにも出掛けてきたという感慨を覚えやすいから、旅行者には好まれるものです。

このことを、備えている性質にあてはめると、「自分にとっての普通という感覚」と、「事実として、他の事柄との兼ね合い」との差によって、過小評価が起こりがちであることがわかると思います。

自分で自覚しやすい得意とは、「いかにもわかりやすい」全体のうちの一部分にすぎません。

それ以外にも、実は得意なことは多数備わっています。

いかにもな得意ばかりを意識すると、それ以外の多数の得意が自覚できないままとなります。わかっていれば、意図してそれを再現できるというメリットがありますが、わかっていないと(自然に普通には発揮されるでしょうけれど)効率的な発揮がなされません。

ですから、是非、「自分では普通と思っていることの中から、実は得意であること」を探してみましょう(^o^)!

・・・と、私はよくお伝えするのですが、

なぜか、この解釈を、違うふうにとらえてしまう方がすごく多くて、「では、私的には「できない」と思っていることの中にも、得意なことがあるかもしれないのですね!」という反応をされてしまうことがあります。

しかし、「できないことの中から」だと、「苦手の中から、得意を探す」ことになってしまいます(^_^;)。

ここを間違えないようにしましょう。

「普通の中から、得意を探す」です。

たとえば、私は、ご相談者さんたちから、このブログで使用している画像が「キレイでとてもいい」と言っていだだけることがよくあります。「○○という意図があって、あの画像をつかったのですか?」と聞かれることもあります。

しかし、私としてはあまり深く考えずに、そのときにいいと思ったものを購入して載せているだけで「○○という意図」も、そんなに深くは考えていないことがほとんどです。そして、自分で撮影した画像ではないため、センスがどうとかあまり考えたこともなかったです。

ですが、複数の人から言われるということは、私が選んでいるものは、キレイな画像という印象を与えるものなのでしょうね。

ということは、これは「そういうものを選ぶことができる」とか「見つけることができる」という、得意なことなのでしょう。

しかし、私にとっては、いたって普通で、得意とも苦手とも何とも意識したことがない、どちらとも思っていなかったことです。

そういうことが「普通の中から、得意を探す」ということ(の、一例)です(^_^)。

得意なことは、自分からかけ離れた遠いところにはありません。

自分に近いところにあって、近すぎて気づかないことが多いのです。

そういうところに意識を向けてみてください。

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2017年3月23日 (木)

「本質」と「状態」と、どちらの把握が得意か。

スピリチュアルなセンスのあらわれとして、「人のことが、よくわかる」性質をもつ人がいます。

しかし、「人のこと」と一口にいっても、人とはとても複雑な存在ですので、わかるのは「人が備えているうちの、どこか一部分」となります。

以前の記事「わかりあえる部分は、バケツ一杯分くらい」で説明したように、お互いの性質の違いがあるからです。

上記記事の内容でたとえるなら、「相手がもっているいろいろな要素のうちの、どの部分を、自分のバケツですくえるか」は、「自分のバケツの性質」と関連します。

把握できる性質について、あまり細かくわけても、「人の数だけ特徴がある、個人差」になってしまって共通性がみられなくなるので、わかりやすさのために大きく二種類にわけると、

「本質がわかる」か、「状態がわかる」か、ということになります。

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どちらが得意であるかは、生まれもった性質(そなわっているバケツ)が関連しています。

なので、「私は、状態のほうをメインでわかりたいの!」というふうに、好きなほうを選んだりはできませんね(^_^;)。備わっている範囲の中での上限まで、磨いたり伸ばしたりすることなら可能ですが、生まれもったバケツの質までは変わらないからです。


「本質」とは、そのものを構成している要素で、変化があまりみられないものです。

「状態」とは、その時々で変化するもの、コンディションの上下があるものなどです。


つまり、「あの人の性質として、こういう点があるよねー」というのは本質で、「あの人、今日は、いつもより疲れているようだねー」というのは状態です。

本質をわかることが得意な人にとっては、状態を把握するのは本質ほどには容易でなく、状態をわかることが得意な人にとっては、本質の把握は、状態ほどにはうまくいかないといものです。

(こうした差は、最初から備わっていて「変わらない」ので、つまり、バケツの質自体が「本質」的な事柄と分類されます)

得意分野は、それぞれの性質(本質)であり、性質に優劣はありません。どちらが得意であっても、自分の性質はそうであるという、それ以上でも以下でもありません。


おそらくは、統計的には「状態がわかることが得意な人」のほうが、人数が多いような気がします。

こちらのほうが、どちらかといえば、一般的には「わかりやすい事柄」となるためです。

なぜなら、状態には「変化という動き」があるからですね。

本質には、それがありません。

ブログを長くご覧いただいている方には、既におなじみの知識ですが、「時間」とはこの世特有のしくみであり、あちらの世界には時間はありません。時間があるからこそ、変化がありますから、

「状態という変化」も、この世だからこそ生じる現象であり、わかる事柄である、ということになりますから、「この世という場所では、状態のほうが、よりキャッチしやすい事柄」といえるでしょう。

動きが、きっかけとなって把握しやすいとか、動きの様子を比較という感覚でとらえやすいためだと思います(^_^)。

自分の得意がどちらの範囲であるか、過去をいろいろ当てはめてみると、自分の本質がわかりますね(^_^)。

ちなみに、私は、本質の把握が得意で、状態の把握は苦手分野となります。

得意と苦手の差が、大きい人も、小さい人もいますが、私の場合は、すごく差が大きいです(^_^;)。

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2017年3月21日 (火)

オーラが「くすんでいる」のは、どんな条件のときに起こるか。

先日、あるセッションで、以下のことが話題になりました。

◎オーラは明るいほうがよく、くすんでいるのはその逆である、というのはわかります。改善するほうがいいこともわかります。しかし、何がくすみに繋がるのかがよくわかりません。具体的にはどのような場合に、くすんでしまうのでしょう?

この件について、シェアさせていただきます。

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オーラがあらわすことは多岐にわたります。

厳密にいえばどこまでも細分化されますが、わかりやすく、とても大きな区分で2つにわけるとしたら、「変化しにくい、本質的なこと」と、「その時々で変化していく、状態のあらわれ」です。

本質というのは、そんなに大きくは変化しません。

状態は、そのときどきで変化します。

ということは、オーラが明るくなったり⇔くすんだり、という変化は「状態」のあらわれであることがわかるかと思います(^_^)。

本質的なことというのは、備わっている性質や才能などです。

状態とは、そのとき一時的なものが反映される、思考や感情や体調などですね。調子の「上がり下がりがあること」が該当します。

今は怒っているけれども1時間後には怒っていない、今は緊張していても、5分後には解消されている、寝不足で頭がぼーっとするが、明日になればそれもなおるだろう、というようなことが「状態」です。

こうした「状態」に関連することが、自分の中でうまく連携していなかったり、負担になるほど大きかったり、バランスがとられていないなどの、何らかの不調和があるときに、それがくすみとなってあらわれます。

ある要素が活性化しているときには明るさとなりますし、逆に、滞ってしまうとくすみになります。しかし、あまりに活性化が過剰になってしまっても、自分にとって負荷が大きくなって、それもくすみになることもあります。

どんなよいことでも、過ぎたるは及ばざるが如しで、器をはみ出してしまえば、バランスがとられなくなるからです。

ある要素が、「うまくつかわれずに、停滞しているとき」や、または「過剰になりすぎているとき」にくすみがでやすいです

不安で行動ができない(停滞)ときは、動きが少なすぎて停滞になってくすむ、ということもありますし、または、行動をたくさんしないと落ち着かないとばかりに、行動しすぎてしまうと(過剰)、その疲弊が体調としてのくすみになる、ということもあります。

一例として。

「これから、自分はこんな活動をしたい!」と、とても意欲的になっているとき、やる気というエネルギーに満たされていて、思いが活性化していますから、オーラは明るくなります。

しかし、その事柄が、あまりに自分の才能とかけ離れているとしたら、達成のための行動をしてもしても、なかなか結果にあらわれなくなりますよね。

そうすると、どこまでやってもおわりがないので、行動を「しても、しても」が過剰になって疲弊すればくすみます。結果がでないことに、どうしてだろうと悩んでしまうと、やる気が停滞してしまいますから、くすみがでてしまうこともあります。

これは、わかりやすさのため、実際よりも極端に書いていますので、その点は割り引いてとらえてくださいね。

基本的には、やる気になることも、行動することも、オーラが明るくなります(^_^)。

自分という存在を、今回の人生のさまざまな条件の中で、いかにしていかしていくかが、たましいの学びでもあるので、そちらに沿った姿勢はどれも、「順行」ですので、明るくなります。

しかし、そうした姿勢をとっていく中で、ときどき、一部分が「過剰」となったり、停滞したりしてしまうこともありますよね。

人生の「さまざまな条件」には、他人との関連も含まれますし、そうなると自分のペースでは進みませんし(^_^;)。

ですから、この世という場所で、自分以外とも関わりをもつ以上は、明るくなったり、くすんだりという、変化がつくのは当然のことです。

くすみは、そのときの「一時的な状態をあらわしている」にすぎません。

自分次第で、いくらでも、意図的にも変えられますし(^_^)、

また、時間の経過によって(つまり自分以外のいろんな条件が動いていくことによって)、受動的に変わることもあります。


【まとめ】

 ☑オーラのくすみは、状態のあらわれ

 ☑状態は常に変化するので、明るさ⇔くすみも変化する

 ☑停滞するエネルギーはくすむ(本来、エネルギーは動きがあるものなので)

 ☑過剰になっても、負荷が掛かるという意味でくすむことも

 ☑くすみは、一時的な「状態」なので、変化していくし、変化させることもできる

 

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2017年3月18日 (土)

違いから「個別」を知り、さらには「ひとつであること」を知る。

この世という場所は、比較して認識ができる世界です。

それは、この世には時間の経過があって、「時間の経過の感覚」が、私たちに(時間による変化から)比較や違いという認識をあたえてくれているからです。

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人は皆、それぞれの個性をもって存在していて、他人と自分は「別個である」感覚になれたり、「自分の個性は○○だが、相手の個性は××だ」というように、比較から違いを認識することが、ごく自然にできますよね。

これは、この世が、そうした認識ができやすい条件が整っている、気づきと学びのための場所だからです。

本来、たましいの領域は、個別の定義ができにくいものです。


「それと、これとは、別である(違い)」とか、

「それは、Aというものである(個別の定義)」とか、

「AよりBが大きい(比較)」とかの、

区分けをした理解は、この世特有のものとなります。


私たちが、「自分と相手は、別の存在である」とか、「この個性は、外向的と表現される」とか、「田中さんの声は、自分よりも大きい」という区分けを理解できることも、この世だからこその経験です。

こうした区分けで、他人との比較から自分がわかり、自分以外の他人のことも自分との比較からわかります。

たましいの領域にある、いろんな要素の中から、そのときの学びにあった性質を選んで備えてきているのが、「今回の人生における、性質や性格」となります。

区分けのない中から、「あえて」区分けをして備えてきたものを、時間を掛けた経験によって知っていくという、ある意味とても遠回りな学び(^_^;)を行っているのが私たちです。

これが、この世という場所にあったわかり方であり、学び方だからです。

人生のいろんな経験が増えると、それだけ比較対象が多くなり、「自分がわかる」ことと、「自分以外がわかる」ことは、連動していますから、わかることがどんどん増えてきます。

そして、よくよく考えてみれば、そうした「違いからわかる」という形すらも、連動して「繋がっている」しくみだと気づいて、

すべては繋がっていてひとつであることが、腑に落ちていくようになります。

違いから個別を学び、ひいては、違いからひとつであることをも学ぶようになっています。

自分を知り、自分をいかすことは、「個別」にフォーカスすることです。その行いは自然と、自分以外を知ることに繋がっていき、わかる範囲が広くなっていきます。


そうなると、

自分という個別の存在も、

この世という個別の場所も、

もっと広い、たましいの領域の一部分であり、繋がっていてひとつだという感覚が、

深く、実感を伴って、「わかっていく」ようになるでしょう。

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2017年3月16日 (木)

ある日のスカイプセッション|世の中を眺めると、ヒントがたくさんある。

ある日の、スカイプセッションの話です。

年単位でお付き合いをいただいている、Sさんです。

Sさんは、今では数少ない?、私に実際に会ったことがあるクライアントさんです(^_^)。それだけ長いご縁をいただいている、ということになりますね。

今回は、ご先祖霊さんがまずは、でていらっしゃいました。

「女性の方で、こういうものを好む方で・・・」と、いくつかの特徴をお伝えしましたが、はっきりとはわからず。。。

そして、「物を片付けるときに袋にいれるとか、袋にいれてから鞄にいれる、というような動作が見える」とお伝えしましたら、そこで、どなたがいらっしゃっているかが、おわかりになったそうです(^_^)。

Sさんへは、「食生活について」など、生活習慣についてのいくつかが伝えられました。

そして次に、守護霊さんからのメッセージで。

「紙に書いたものを、ちゃんと後で読み返してください」とのことでした。

この件を言い終わらないうちに、Sさんは笑いだし、アイデアなど、思いついたことを、いろいろ書くようにはしているものの、書いたことで満足して、そのままになっていることが多い、と(^_^;)。

今後は、心掛けるとのことでした笑。

ご相談のメインは、お仕事の件で。皆と同じことをしているのに、または、Sさんが直接の担当ではないのに、なぜかSさんが指摘される、言われる役になることが多く、なぜそうなってしまうのか、ということでした。

拝見すると、幾つかの要因のうち、一番の理由となっているのは、「相手からすると、気兼ねせずに、言いやすい立場になってしまっていて、それは、現在の部署で、上司との関係性があまり密でないから」というのがありました。

定期的に異動がある組織なのですが、今の上司は、あまり個人的な親しさで部下と付き合うタイプではなく、それまでに親しくしている上司は、ちょうど退職なさっている時期だったり、たまたま今の部署では、以前の上司がいらっしゃらないということもあって、

ある件を、誰かに言わなければならない、言う相手は誰でもいい、というときに、発言者からすると、「他の上司に気兼ねしなくていいので、言いやすい」ため、

本来、そのことを言うべき相手に言わず、言いやすいSさんに言っているケースが見られました。

まだはっきりは決まっていないけれど、時期的にまた、異動がありそうとのことでしたので、もしも、新しいところへ移ることになったら、たとえばそこに以前の上司がいらっしゃるなら、そのご縁を大事にするとか、上下関係の「上」に位置してくれる相手がいると、それは広い意味で、自分の立場をしっかり作ることになったり、守ることになったりもするので、心掛けてみるといいのでは、というようなお話をさせていただきました。

Sさんは、話の理解が早い方なので、「確かに、社内の男性社員をみていると、派閥みたいなものがあるようです」とのことで、それを当てはめてみると、とてもわかるとのことでした。

こういうことって、たとえばテレビの向こうの、政治家さんたちの政党や派閥と同じで、ああなって、こうなって・・・、同じようことがスケールを変えて起こっているだけなので、

世の中のことを眺めると、自分の生活上に当てはめてヒントになることがたくさんあるものですよねーと、というしめくくりで、今回のセッションをおえました(^_^)。

このときのセッションからひと月くらい経っているので、そろそろ、異動があるかどうか決まっている時期かと思います。

もし、異動があるとしたら(Sさん自身も、上記の言われやすい件が理由ではなく、別のことも含めて、異動を希望なさっていたので)、次の部署では、また新たな気持ちで、切り換えて、ご活躍なさっていくことと思います(^_^)。

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2017年3月14日 (火)

守護霊の存在を、「感じる」センサーの位置。

守護霊さんや、ご先祖霊さんたちは、いつも、見守ってくれていて、必要なときにはヒントを与えてくれたり、機会を作ってくれたりするという助けもしてくれることがあります。

自分と守護霊 = たましいの繋がり

自分と先祖霊 = 血縁の繋がり

という関係があり、目的をひとつにしていたり、思いを共有していたりして、あちらの世界と、こちらの世界で繋がりをもっています。

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|守護霊がいる場所は、あちらの世界。

そうした関係性の深い存在が、自分をいつも見守っていてくれて、ときに助けてくれていることは、スピリチュアリズムに関心がある方なら知識としてご存じでしょうし、実際の日々の中で、そのことを実感することもあると思います。

困っているときや迷っているときに、驚くようなタイミングで有利な展開がもたらされたり、思わぬ形でヒントが与えられたりという形の、過去の経験が思い当たる方も少なくないことでしょう。

そういうことがあると、守護霊は、常に「自分の側」に居て、自分を見ていて、ものごとの動きを、仕切ったり捌いたりしているようなイメージをもってしまうものです。常に、彼らが自分に「同行」していて、移動していたり、ついて動いているような様子のほうが、わかりやすいですからね。

しかし、実際には、守護霊がいる場所は、「あちらの世界」でなのです。こちらの世界にいる私たちとは、「別の次元」に存在しています。



|守護霊が映って見える場所は、その人のオーラ。

霊能者が守護霊について伝えるときに、守護霊のことを「後ろの人」と言ったり、「こういう守護霊が、後ろにいらっしゃいますよ」などと表現することがあります。

そのことから、守護霊が自分の後ろのほうに位置していることがイメージされると思います。

しかし、これは、守護霊というエネルギーが、物理的にそこに「居る」というよりは、「その方のオーラをスクリーンとして、映っているかのように存在している」ことを言い表しているものと思います。

実際、居る次元が、ぞれぞれ違いますから(^_^)。

http://spiritual-teaching.com/archives/1106
(こちらの過去記事でも、そのことに少し触れています)



|守護霊の存在を、「自分が、感じやすい場所」は。

それでも、守護霊や先祖霊が、自分の側や、とても近いところにいることが、体感として伝わってきた経験を持つ方もたくさんいると思います。

エネルギーとしての「気配」や「存在感」などが、そこにある気がしたとか、体感として「暖かさ」などが伝わってきて、励まされたような気持ちになったり、勇気がわいてきたり。

そういうことを感じる「場所」「位置」は、「手のひらの近く」か、「肩から上の、頭のまわり」であることが多いです。ほぼこの2つに集中していて、それ以外の場所、たとえば「自分がいる場所から3m先の、ドアの後ろあたりに気配を感じた」などというケースは・・・あまり聞かないですね(^_^;)。

理由は、この二つの位置は、誰にとっても感じやすい場所だからです。

どちらも、オーラ的に、エネルギーがたくさん集まっていて、「その位置自体が、感度の高いセンサー」なのです。

(身体をとりまくオーラの密度は、全体が均一ではないということです)



|わかりやすい位置へ、働きかけをしてきている。

オーラが、背後のスクリーンのようになって、その位置に映し出されますので、肩のところや頭の近くにエネルギーの動きがあるために、そこで感じているとも言えますが、

肩や頭の近く、または手のひらの近くが、「感度が高いセンサー」であるため、その位置でセンサーの反応が起こっている、とも言えます。

あちらの世界の方たちは、そうしたしくみもわかっていますので、感度の高いところへ意図的に働きかけを行ってきている、というのもあるでしょうね(^_^)。

存在を伝えたければ、そのようにしてくるのではないでしょうか。

「自分の感度が高い場所」であること、「(そのことをふまえて)伝えるための働きかけをしてくる」こと、この両方の理由で、感じる部位に共通性が見られるのだと思います。

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2017年3月12日 (日)

あなたの感性に響くすべてが、あなた自身です|メッセージ

あなたが生活している、こちらの世界は、スピリチュアルな観点からすれば、経験を通して学ぶための場所です。

あちらの世界は、いろんなことの区分けがない、ひとつの場所です。

こちらの世界は、いろんなことが区分けされている、分離を経験する場所です。

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分離しているからこそ、人は皆、「自分」という感覚をもって、それぞれに違いのある日々を過ごすことができます。

(分離がなければ、自分と他人が別であるという区分けの感覚も、経験することができません。すべてがひとつ、という感覚になります)

こちらの世界では、「自分」を通して、さまざまな環境や機会から、知識と知恵を獲得して、成長していくことができます。

自分という存在自体が、感知器です。

自分について意図的になるほど、気づく範囲が広がります

自分について知ることは、感知器の性能や特徴を知ることだからです

自分という存在は、あまりに距離が近いために客観視しにくく、とてもわかりにくいものです。一番身近であるゆえに、見えてこない部分があります。

それを教えてくれるのは、周囲にいる他人であり、周囲にあるものごとです。それらの中に、自分自身の一部分が映し出されているからです。

正確に言えば、周囲の事柄の中で、「自分が把握できる範囲のことだけが、わかる」ということです。

「自分の波長の範囲で、とらえられることのみ気づく」のですから、「気づいている範囲そのものが、自分の感性の範囲」です。

あなたの感性に響くすべてが、あなた自身の波長です

気づかせてくれる、喜怒哀楽の感情をひきだしてくれる、周囲のあらゆるものが、あなた自身について、教えてくれているのです

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2017年3月10日 (金)

ある日のセッション話の、続き。

昨日の記事、「ある日のスカイプセッション|Cさんのご先祖霊さん」をご覧になって、Cさんからご連絡をいただきました(^_^)。

当日の朝に、私のところに、「起きるように」と男性の声がしたような気がしたけれども忘れていた。今になって思えば、それはおじいさんだったのかも?と書いたところ

朝にそういうことがあったのですね。この記事を読んで、私も忘れていたことを思い出しました。

あの日の朝起きようとした頃、「今日は予定をいれないように」、 と聞こえたような感じがあったのを思い出しました。

夢なのか、何のことなのかわからないので気にしていなかったのですが、 リカコさんの記事を読んで、 私のところにも、おじいちゃんが教えにきてくれたのかな?と思いました。 そういうことってあるんですね^^。

と、私の書いた内容で、Cさんも思い出したとのこと。

このように?、夢だと思ったり、気のせいだと流していることの中に、いろんな不思議で興味深いことが含まれているもので、実は日常の中に、スピリチュアルなことがたくさんあるんですよね。それに気づくことが、難しいのですけれどね(^_^;)。

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2017年3月 9日 (木)

相手のエネルギーを、「寝ているときの夢」に反映させてしまうことがあります。

その日にあった人のことが、いつまでも頭を離れない、特に、寝ようとすると、「その人の音声で、思考が構築される」かのように、思考がとまらなくなってしまう人がいるという件について、過去記事に書いたことがあります。

※過去記事:「眠ろうとすると、「その日にあった相手の音声」で思考がとまらなくなる?」

内容としては、相手のエネルギーが、自分の中にとりこまれ、なかなか抜けていかないときに、相手のエネルギーの動きで自分の思考が動かされてしまうため、相手の声を思い出すかのような思考が作り上げられるのです。

眠りに入る直前は、スピリチュアルな現象に感化しやすい意識状態になるため、起きているときには起こらない現象が、眠ろうとするタイミングで起こるということです。

そうした、「相手のエネルギーを取り込んだことによる、自分へのあらわれ」の、バリエーション?として、「寝ている間にみる夢に、反映がでてしまう」ケースもあります。

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現象が起こるしくみとしては、過去記事内に書いたとおり、「寝ているときの意識とは、スピリチュアルな領域と大きく重なっている」ことが関連しています。普段の意識とはかなり違う領域になります。

完全に眠ってしまえば、そのときの意識内でのことは、普段の意識との落差がとても大きいため、記憶に残して覚えていられないようになっています。

(そこまでの差がつかない、微妙な重なり具合となっている、寝入りばなと起きる直前がちょうど、「スピリチュアルなことが認識されやすく、覚えていられる」意識の状態が作られることが、「寝ようとすると、相手の声での思考が・・・」となるわけです)

しかし、霊感が強い人は、寝ているときの意識と、普段との意識の落差が、そこまで大きくなりません。普段の状態で、一般的な人が寝ている状態で経験するような領域に、意識が広がっているのが霊感の強さ(感化する領域が広い)ということだからです。

そうなると、「過去記事のような、眠ろうとする前に起こりがちな一時的な現象」が、

寝る前だけにとどまらず、その延長のように、

眠りの意識の中にも、続いてしまうことがあります。


眠っている最中の意識にも、相手のエネルギーが関わってきて、そのことを認識してしまいます。

具体的には、(相手のエネルギーに含まれている)相手に関連することが、自分の見ている夢の展開に重なってきたりします。

私は、頻繁にその状態になります(^_^;)。特に、スカイプや電話でのセッションをした後には多くなりです。

元々、性質として、受けとる装置が大きい上に、セッションをするときは、能動的に相手のエネルギーを受け取りにいっていることになります。勢いをつけて受けとってしまう(^_^;)?ようなもので、大きく作用があらわれてしまいます。エネルギーが自分の中に留まりやすくなるのでしょうね。

たとえば、その方が「従姉妹との関係を気にしている」とします。

すると私は、私自身の従姉妹と会っている夢をみたりします。普段はまったく存在を意識していないくらい付き合いが薄いのに、従姉妹を気にしているというキーワードが、私の記憶上の似たようなことと結びついて、私自身の夢として展開してしまうんですね。

内容だけとらえるなら、見ている側の自分としては、何が何だかわからない夢???、ということになりますよね、私自身は、従姉妹を気にしていませんから。

私は、こうしたエネルギーの作用をわかっていますから、「これも、そういうことなんだろうなー」と深く考えませんが、しくみを知らなければ、なぜこんな夢を?と、混乱すると思います。

私と同じように、他人のエネルギーが自分の夢に重なってみてしまうという現象が起こっていて、しくみを知らないまま心配している方もいるかもしれませんので、参考までに書いてみました(^_^)。

前回の記事とあわせて参考にしてみてください。前回の過去記事のようなことが当てはまる人なら、こちらの夢のようなケースも、あるいは当てはまることもあるかもしれません。前回のようなことが起こっていないなら、今回のケースには当てはまらないと思いますので(こちらのケースだけが、単体で起こることはまずないです)。

そして、こうしたケースの解消法が必要な方がいれば、これからの季節に向いているのは、身体を動かす機会をもつことですね。振動を生み出して、不要なものと引きあっている状態を切り換えるために効果的です。

あらゆる現象は、お互いのもつ、エネルギーの振動によってなされることは、ここ最近の記事の幾つかにまたがって説明してきたとおりです。備えている振動の幅が、その人の波長の幅となります。

本来の自分のエネルギー(の振動)を、活性化させていけば、引きあっている波長が切り替わっていきます。

この世は物質次元なので、身体という物質を伴う動きが、振動を活性化させやすいです。

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ある日のスカイプセッション|Cさんのご先祖霊さん。

ある日の、スカイプセッションの話です。

もう年単位のお付き合いとなっている、Cさん。

毎回、だいたい同じ指導霊さんがでてきてお話なさるのですが、今回は(Cさんとのセッションではめずらしく)ご先祖霊の方がいらっしゃいました。

「今回、いらっしゃっているのは、具体的にどなたというのはわかりませんが、母方のご先祖の方で、男性だと思います。おじいさんとかかも?」とお伝えしたところ、「おじいちゃんだと思います。最近ちょうど、なぜか思い出す機会があった」とのこと。

Cさんは、とっても霊感が強いので(ですが、ご本人は自覚なし(^_^;))、そうかもと思うことは直感的・感覚的にあてはまる確率は高いと思うので、きっとおじいさんなのでしょうね、ということで、その方から伝わってくるメッセージをお伝えしました。

で、Cさんが昔の話をふと思い出しまして。

お友達と車に乗っていて、ぶつかりそうになったけれども、うまく避けられて無事だった、ということがあったそうです。そのときもふと、おじいさんことが思い浮かんだそうです。おじいさんが、助けてくれたような気がした、と。

さらに、一緒に乗っていた友だちから、「今、おじいさんが見えたよね?」と言われたそうです。きっと、その友だちも霊感が強かったのでしょうね。自分が思い浮かんだだけなら、「たまたま」かもしれないけれども、友だちも一緒にわかったのなら、きっと、おじいさんが、出てきていらしゃったのでしょう。

過去のその件を、このタイミングで思い出せるというのも、考えてみれば不思議ですよね(^_^)。それは、「思い出している」ことでもあり、「思い出すようにさせられている」ことでもあるのでしょう。

そうしていろんな事柄が、繋がっているというあらわれを、教えられていたり。再確認するための機会を、与えてくださっているのではないかなと、そう思います。

気づいていないことも含めて、思っている以上にいろいろ、助けられたり、支えられたりしているのかもしれないですねーと、そんなことをお話しました。

そして話の流れの中で、先日の記事、「家の中にいても、憑依されることはあり得る」の、この話になりまして、ここに書いているような一般的なことと、Cさんの件に関連しそうなことをあわせてお伝えさせていただきました。

すべての事柄に、自分の性質が関連していて、それらに基づく「得意パターン」と「苦手パターン」があって、自分を把握していくということは、つまりは起こりやすいパターンを知ることでもあるので、過去のことをいろいろ思い出して当てはめてみるといいですよーということで、いくつか実際の事例と、当てはめ方をお伝えしまして、あとはご自身で探してみてください、・・・ということで、1時間半のセッションをおえました。

そういえば、Cさんにお伝えしませんでしたが(今まで、私も忘れていたので(^_^;))、その日の朝、起きる前に、誰か男性の気配がして、男性の声が頭に響いてきて、時間だから起きるようにとか、遅くなるから起きるようにだか、そんなことを言われたような・・・?気がしました。その件がなくても、普通に決まった時間には起きるので、特に普段より遅くなっていたわけでもないし・・・、と、気に留めずに流していたので忘れていましたが、

もしかして、その方は、おじいさんだったかもしれません。

こちらのことは、向こうからはすべてお見通しなので、セッションがその日に行われることを見越していて、(受付しているのは当日なので、朝の時点では決まっていなかったのですけれども)、準備のため?に、私のほうにもお越しくださったのではないかな、と(^_^)。

そんな気がします(^_^)。

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2017年3月 7日 (火)

直感が冴えているときに、そうでないときの備えもしておく。

直感力を高めたいと思う人は、「直感力を高めること、そのものが目的」ではなくて、「直感力を高めて、それを活用して、人生をうまく運びたい」ということですよね。

ならば、「人生をうまく運ぶ目的で、直感をどのようにいかすか」という観点から、以下のことをあわせて考えておくといいでしょう。

直感をより高めるという意識よりも、「もうひとつの別の視点」を組み合わせることで、人生がよりよく運ぶようになります。

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|直感が冴えているゆえの、裏表

直感が冴えていると、ひらめきが当たって、「これを選ぶと、うまくいきそうだ」という想定のとおりになるなど、分析や検証を省いて、いきなり答えにたどり着けるというメリットがあります。

そのため、冴えているときは、テンポ良くものごとが進んでいきます。

しかし、直感がずっと冴え続けるということはないもので、直感力が高い人でも、「本人比で」高低の差はありますよね。

実は、直感力が高い人は「冴えが低いときに、そこから再び持ち上がるための動き」が、とっても苦手です(^_^;)。

というか、そういうことの必要性を(普段が、冴えているため)感じにくいので、いざそうなったときに、適した対応がとれずに、深みにはまってしまうんですね(^_^;)。

直感の冴えをいかした動きは、「うまくいっているとき」は、とてもいいのです。

しかし、直感だけに頼りすぎると、うまくいかなくなったときに立て直しが難しくなります。なぜなら、「根拠なく、うまくいった」ことは、後から、同じことを意図的に再現させるのが難しいからです。

たとえば、「たまたま、適当に味付けをしたら美味しくできた」味は、もう一回、同じに作ることが難しいようなものです。

最初の話に戻りますが、「直感を、より高めること」では、こうしたリスクを吸収できません。精度が高くなったとして、その高くなった範囲の中において波があることは、変わらないからです。

そういうときのために、「たまたま」うまくいったときに、「やった!」「うまくいった!」でおわらせずに、理性の分析を加えていくことを習慣づけておくといいのです。



|可能な範囲で、理由をとらえておく。

本当に、たまたまだったのか。たまたまといっても、いい結果になったなら、何かそうなるべくしてなった理由があるのではないか。と、「次の機会にも再現できそうな理由をつかむ」ようにします。

上記の料理の味付けでいえば、適当に味付けをして美味しかったとします。調味料の分量までは覚えていなくても、使った種類くらいはわかりますよね。そういうことを記録しておくか、覚えておくようにします。

それらは、直感が冴えている人の日常では、あまり役立つ資料にはならないれども、

うまくいかない波に乗ってしまっているとき(^_^;)には、そうした「事実としての手順」が、立て直しにとても役立ちます。

うまくいったことの再現をすることで、自分の波のうちの、高いところ(うまくいっている状態)にチャンネルを戻していくことの助けになります。

はっきり言うと、直感力が高い人ほど、普段から全般的に冴えに頼っていて、そしてなんとなくうまくいってしまうため、こうした分析的にパターンをつかむという考え方が、とっても適当でいいかげんなのです(^_^;)。

それで、せっかくの冴えを無駄にしている人が、私からみると本当に多いです。なんかとってももったいないです(^_^;)。



|直感と思考による分析を、バランスよく使う。

備わっている直感を、いかしていくこともとても大切であり素晴らしいことです。

しかし、直感のみで人生をうまく運ばせるというのは、現実的ではありません。

直感が冴えていないときに補完できる方法の備えをしておくことで、バランスがとりやすくなると思います。現実的な分析や判断も、やはり大事なこととなります。

そうした両面でのとらえ方が、直感をいかして、人生をうまく運ばせるためのコツになります。

冴えているときは、それをいかす。そうでないときは、補完する方法をつかって引き上げていくというふうに、状況に応じて、自分をうまく動かしていくことにとりくんでみてください。

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2017年3月 6日 (月)

家の中にいても、霊に憑依されることは(その人の性質によって)あり得る。

先日のセッションで、会話の流れで「憑依」の話題になりまして、「外出しないで家の中で過ごしていても、霊に憑依されてしまうことは、起こり得るのか?」というご質問をいただきました。

結論から言うと、可能性としては、どこにいても起こり得ますね。

といっても、どこにいても、無作為に憑依が降りかかる、という意味ではないので(^_^)、そんなに心配する必要はないし、怖いものでもありません。

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|霊的な事柄は、「時間」を超えて展開する。

たとえば、好奇心から廃屋に出掛けていったら、そこから霊を連れ帰ってしまったとか、大昔に戦場となった場所を通りかかったときに、当時の戦でなくなった霊と引きあって憑依されたとかなら、「わかりやすく憑依というイメージがわく、シチュエーション」ですよね。

しかし、ずっと家の中にいて、家族以外の人と関わる機会も少なかったのに、いつのまにか憑依が起こっていたというのは、どのような関連性でそうなったかという「イメージがわきにくいので、・・・わかるような、わからないような?」となりがちです。

前者について、特に疑問を覚えずに、そういうこともあるだろうと思えるのは、「霊的な事柄は、時間というしくみに限定されない」ことを、理解できているからです。なので、「大昔になくなった霊が、何百年という時間をこえて、今の時代を生きる自分に憑依する」という関連性を、「あり得る」と受けとめられます。

実際、憑依というのは、そうして、時間を超えて起こり得ます。

霊的な世界には、時間というしくみはないからです。

こうした関連を、(言葉でこそ理解していなくても)なんとなくでも感覚として理解しているので、時間を超えた繋がりが作られることを不思議に思わず、そういうこともありうると思える人が多いのでしょう。

この世には時間というしくみがあり、あの世には時間がないということを、人は皆たましいレベルで「わかっている」のかもしれません(^_^)。


|場所や空間を超えて、展開することもある。

ここまで書くと、だいたい話の先が想像できる人もいると思います。霊的な事象は、時間に制限されないように、物理的な場所や空間にも制限されず、展開することは「あり得る」のです。

実際のところ、そうして「家の中にずっといるのに、霊に遭遇しそうな、いかにも何かありそうな場所に出掛けていないのに、憑依されてしまう」ことも、ときには起こります(^_^;)。

しかし、だからといって、何にも制限されず無作為に展開するわけではありませんので、安心?してください(^_^)。

ではどのようなしくみでそれが起こるかというと、「波長の法則」ですね。

同じ要素をもつもの同士が引きあうという、スピリチュアルなしくみです。


|どんな要素と響きあうか=備わっている波長の幅。

人は皆、固有の性質を持っていて、エネルギーとしての振動をしています。その振動がなされる範囲の広さや、高低の差によって、それぞれの個性が生じます。

霊も、そうした波長、振動の幅があります。

自然の動きにも、物理的な事柄にも、それ固有の波長があります。

同じ波長をもつもの同士が、響きあって、引き寄せ合っていくのが波長の法則です。この世は、そうしたしくみで動いています。

それぞれ、備えている波長の「響く幅」という差がありますから、たとえば複数の人が同じ状況に置かれていても、反応する対象が変わってきたり、度合いが違ってきたりします。

廃屋に面白半分にいったりするのはやめたほうがい、というのはそのとおりで、そういうところに出掛けて面白いと思う性格の人は、そういう響き方をする波長を備えているということです。

しかし、誰もが、廃屋に出掛けたり通りかかったりして、霊を引き寄せるわけでもありません。どのような事柄に響く波長か、というのは、それぞれ違いがあるからです。

人には皆、霊的な感性が備わっていて、備わり方には個人差があることは、スピリチュアルに関心が深い方にはおなじみの知識ですよね。

コンディションが下がってしまうと、未浄化な霊と引きあいやすくはなるのですが、それだけが条件ではないので、他にもいろんな要素の兼ね合いがあります。

その人の性質として、どんな事柄や条件に響く波長かという差もあるのです。

(仮に、コンディションが下がって憑依されやすくなっているとして)、物理的な場所で霊と遭遇しないかぎり、憑依という現象があまり起こらない性質の人もいれば、家の中にずっといても、時間や空間という制限を超えて、憑依されてしまう(こともある)性質の人もいる、ということです。

誰もがそうなるというわけでもないし、

なりやすいからといって、無条件でそうなるということでもなく(^_^)、

そのときの、複数の要素の「兼ね合い」で、起こったり、起こらなかったりが決まります。

長くなりましたが、書きたかったのは、「霊がいる特定の場所」とかには限定されず、憑依は起こり得る、ということです。

しかし、のべつまくなしに起こるわけでもありません。

だからそんなに心配しなくてもいいし、気にしすぎから、行動範囲を狭くしたりせず(家にいるから大丈夫とかではないので(^_^))、いろんな経験をすることも、学びとして大事なことだと思います。

どこにいても、霊的な事柄とは関わりがあるのだから、細かいひとつひとつにとらわれずに、どのような状況であろうと、自分のコンディションを整えて、明るい気持ちで過ごしていけば、

日常の中、霊的に敏感な人ほど、プチな憑依というのは、あることはあるけれど、そうした姿勢で常にいられば、自力で自然に解消されていきますのでね(^_^)。

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2017年3月 5日 (日)

自分の直感が働きやすい、「範囲」を把握しておくこと

直感とは、「直接的」または「瞬間的」な感覚で、ものごとをとらえたり、結論を把握したりすることを言いますね。

唐突にアイデアがひらめくとか、根拠はないけれど「このようにすれば、結果がこうなると確信がある」というふうに、ダイレクトな把握がなされます。

こうした感覚も、広い意味でいえば、霊感の一形態です。

霊の姿が見えたり、声が聞こえたりするだけが霊感ではないので(^_^)。直感も、霊感なんですよね。

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直感というセンスがどのくらい働くかは、「生まれもって備わっているセンス」と、「そのセンスを、どのくらい活用できているか」の兼ね合いとなります。

高いセンスを備えていても、あまり活用せずに眠らせたままになる人もいますし、備わっているセンスの枠内をいっぱいに使って、豊かに発揮する人もいます。

わかりやすく数字で置き換えると、「備わっているセンスが30あるのに、活用しているのが半分の15くらい」の人もいれば、「備わっているセンス20のうち、18くらいまで活用している」人もいる、ということです。

生まれもっているセンス「そのもの」は、基本的には変わりません

しかし、その枠内で、どのくらいの直感力を発揮するかは、自分次第で変わります

たくさん発揮をするためには、「自分に備わっている枠について、知ること」です。

自分の直感力は、どんな分野のどんな領域の事柄をキャッチすることに優れているかを、知っておくといかしやすいです。

直感が、全方面にまんべんなく働くということは、まずありません。それぞれ、発揮されやすい分野と、そうでない分野が必ずあります。

たとえば、運動能力が高い人で、いろんなスポーツが得意だとしても、本人比での得意と苦手はありますよね。球技ならなんでもいけるが、それ以外では球技ほどのパフォーマンスを発揮できない、とか。

直感力も同じで、本人比の得意分野と苦手分野があります。

この事柄についてはひらめきが当たりやすいが、別の事柄だとそうはならないという、「直感が働きやすい枠内」があります。何に対して、自分のセンサーが響きやすいか、ということです。

そうしたしくみをわかっておくことが、うまく活用するためのコツです。

直感力が高くなればなるほど、すべての事柄に対して、まんべんなく把握できるようになるハズという思い込みをしてしまうと、・・・むしろ、せっかく備わっているセンスをうまく発揮できなくなります(^_^;)。

どういうことが得意なのかを、これまでの過去の事例から把握して、自分のパターンをつかむことが、直感をいかすための近道となります

ヒントはすべて、過去の中にありますから、この機会に考えてみてください(^_^)。

たとえば、翌日の天気がひらめくことが多いなら、その人の得意分野のひとつは「天気」となります。天気がわかるからといって、翌日の株価の変動が同じように当たるわけではないし(^_^;)、直感力を磨いて高めたからといって、株価の動きが把握できるようになるということでもなく、

発揮されやすい得意な分野と、それ以外の差は、うまれるものです。

他人の感情が直感的にわかる場合も、「女性のほうがわかりやすい」とか「知り合いのことは把握しやすいが、初対面の人はわからない」とか、直感が働きやすい、得意な範囲やそのための条件があって、その特徴を把握するほど、活用しやすくなります。

こういう条件下ではつかえる、そうでなければ同じようにはいかないというふうに、意図して使い分けができるからですね。

何にでも直感を当てはめようとしないことが、精度を高くします

野球でいえば、「ストライクゾーンにこない球は、打とうとしないで見逃す」という使い分けで、ストライクに絞っていけば打率が上がる、のようなことですかね(^_^)。

そして、直感というのは、優れたセンサーではあるけれど、魔法のように何でもあたるものではないですから、

現実的な基準や、事実としての根拠も含めた、総合的な判断の精度を少しでも上げるために、直感という感覚での把握を「プラスする」くらいの位置付けで、いかしていくのがいいと思います。

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2017年3月 4日 (土)

お互いの「違い」が、調和を作っている|メッセージ

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同じ事柄について思うこと、受けとることは、人の数だけ違いがあります。

そうした違いは、それぞれの認識と解釈の差です。どちらも間違いではありません。

まったく同じでないからこそ、お互いのたりないところを支え合うことができます。「それぞれに違う解釈があるものだ」という気づきが、視野を広げてくれます。

違いがあることで、「相手との比較から、自分を知ること」ができます。そして、「自分との比較から、他人を計ること」もできます。違いとは、比較から知るために役立つ判断基準になります。

違いがあることは、必ずしも、不調和ではなく、

同じであることが、調和とも限りません。

他の人と同じでないからこそ、あなたという独自の性質を持った存在の意義が際だっていきます。そして、同じでないからこそ、相手の存在が(違いを通して)あなたに気づきを与えてくれます。

違いによって、支え合い、気づきや学びを与え合っている状態が

お互いの備えている性質をいかした調和、という形になることもあります。

多くの人は、違っている状態を不調和だと思ってしまいますが、

違いに価値を見いだしていけば、「そこにある調和に、すぐにでも気づくことができる」のです。

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2017年3月 3日 (金)

できないこと、苦手なことが「ある」のは、時間という変化に対応するため。

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「なぜ、自分は、他の人と同じようにできないのだろう」とか、「他のことはちゃんとできるのに、特定のこの事柄だけが、あまりにできないのはどうしてだろう」という、悩みをお持ちの方は少なくないものです。

そのような悩みがでてくるのは、「本来ならば、ちゃんとできることが正しいはず」という前提をもっているからですよね。だからこそ、それなのにできないのはなぜだろうとか、できない自分は劣っているという解釈になって悩みが発生します。

けれど、「できないことがあるのは、普通のこと」です。

むしろ、「できない部分を、意図的に、備えて生まれてきている」ものなのです(^_^)。

この世には、時間という変化のしくみがありますね。すべてのものごとは時間とともに必ず変化していくようになっていて、まったく同じままが留まることはありません。

そうした変化の動きに対応するためには、「不完全さが必要」です。

たとえば、小さい種が大きな木になることや、卵からヒナがかえることも、殻が割れていくという変化が必要です。殻の固さが完全であっては、そうした変化がなされません(^_^;)。

野菜や果物に傷がつくと、そこからいたんできますよね。傷という不完全さが、いたんでいくという変化をつくっているとも言えます。

何らかの不完全さと、変化という動きは、「セット」なのです。

変化とは、成長のことでもあります。

大きな成長のためには、大きな変化が必要で、、、不完全な存在だからこそ変化が可能となります。

つまり、「不完全さがあるからこそ、人は、時間というしくみがある、この世に存在していられる」のであり、「完全では、この世に生まれてくることができない」ので、

誰もが何かしらの「うまくできないこと」や「苦手なこと」を、あえて備えて、この世にやってくるのです。

うまくできないこと、苦手なことこそが、人をこの世に留めてくれる必須要素でもあるのです。

そうしたしくみを理解した上で、できないことや苦手なことについて、どのように取り組んでいくかを考えていくといいですね。

できないことを、少しでもできるようにするという変化もいいでしょうし、

できないことを、少しでもカバーするために、得意なことをもっと伸ばしていく(できないことは、そのままにしておく)という、トータルでの変化が、学びになることもあります。

そこは、現実との兼ね合いで、その都度、判断をしていくといいですね(^_^)。

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2017年3月 2日 (木)

生まれる前から、職業を決めてきた人、そうでない人。

職業についてのご相談で、「自分にぴったりの、これだ!と言えるような職業に就きたい思いがあるが、どんなことが該当するかが見つけられずに困っている」、というものがあります。

そういう悩みをもつ方は、「生まれてくる前に、たましいが、今回の人生でこれをしよう!と決めてきたものがあるはずなのに、自分はまだそれを発見できていないのがもどかしい」と思っていたり、

または、「まだ、そのことに気づく時期ではないため見つけられず、もっと先の時期になったら見つかるのだろうか?ならば、気づく時期に向かって、今のうちにやっておけることを知っておきたい」という思いだったり。

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自分が決めてきたものや、自分合っているものに早く気づいて、その道へ進んでいきたいという意欲的な思いからのご相談なのですが、

しかし、「これだ!というひとつを決めて生まれてきた人」と、「ひとつに限定しないという決め方で生まれてきた人」がいるのです(^_^)。


(1)とても狭い範囲で、この職業につくと決めてきたケース。

(2)だいたいの方向性のみ決めてきたケース。

(3)広い範囲の可能性をもち、ひとつに限定していないケース。


大きくわけると、上記のようになります。

もちろん、くっきりと3つにわかれるのではなく、(1)と(2)の間、(2)と(3)の間にはグラデーションがあります。

(1)に該当する人は、あまり迷いなくその道に進みます。しかし、必ずしも、自分が心からやりたいと感情面で思える道ではないかもしれません。たましいが望んでいることと、表面的な自分の感情は別だからです。しかしいずれにしても、そちらの道へと決めて生まれたのであれば、自発的にその道に進むか、または、その道へと自然に向かわされていくようになるでしょう。

ということは、「何がいいのか迷う」「どれが該当するのかわからない」という状況になっている時点で、その人は(1)パターンの人ではないということ、つまり「明確にこれ!という決め方をしてきていない」ということです。

つまり、冒頭に書いたような迷いになっている、という時点で、「ひとつに限定しない決め方を選んできた人」なのです(^_^)。

こうした差には優劣はありません。

それぞれに、ふさわしい形式を選んできているだけなのです。

ひとつに限定することが学びにふさわしい人はそうしているし、限定しない形式が今回の人生にふさわしい人はそうして生まれてきている、ということです。

広い可能性をもった人が、「ひとつに決まっている人と、同じような形で、自分にも決まったものが存在しているはず」と思い込んでしまうと、迷路にはまり込みます(^_^;)。自分に合わない迷路の中で、自分に合うものを探していることになってしまいますね。

コレ!とひとつに決まっていないということは、確かに迷いを生みます。

しかし、「決まっていないから、自分が決められる」、「可能性という範囲の中で、選んだり、また変えたりと柔軟に動いていける」というメリットもあります(^_^)。

自分が選んで決めていくという、プロセスも含めての学びだということです。

コレというものがあるはず、というとらわれから抜けて、「自分が選んで、作り上げていくことで、決まっていく」のだという意識に、切り換えてみてください。

そして、「何かがあるはず探し」に時間を費やしてしまったことは心配しなくて大丈夫です。なぜなら、そうしたプロセスも、自分を知って、選んで、作っていくことに、繋がって役立っていくからです(^_^)。

過去の経験をすべていかして、自分が、自分の進む道を選んでいくこと、作っていくことが学びだという意識の切り換えをしてみてください。

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2017年3月 1日 (水)

共感が苦手な人が、共感力を磨くには?

女性同士の人間関係は、横繋がりの「共感」が重要となります。

「私とあなたは、この点が同じだね」とか、「それ、わかるよー」という感覚を通して、親近感がうまれたり、安心感が広がっていきます。

女性同士の人間関係がうまくいかない人は、この「共感」というセンサーが活性化していないことが多いようです。

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|女性は、共感力が高い人が多い。

共感する力の高さは、生まれもった性質、元から備わっている感性が、かなり関連しています。

そのため、何も努力をしなくても共感力が高い人もいますし、努力をしてもうまくできない人もいますし、努力をしようにもどのような感じがそれに該当するのかイマイチわからないという人もいます。

または、共感すること(相手の感情等を把握すること)はできても、その次の行動として、自分はわかったことをどのようにあらわしていいのかがよくわからない、つまり、「共感したことを、相手に向けて示すことが苦手」というパターンもあります。

相手の喜怒哀楽などの感情や思いを共有できることが共感です。そのためには、言葉による明確な説明などが少なくても、そのことを把握してわかるという感性が必要です。

女性は、こうした把握のセンスが男性よりも高いので、女性同士は自然と共感で繋がりますしそういう繋がり方になることを求めることが多くなります。


|感情の動きを、文章から理解する練習を。

しかし、感性の備わり方には個人差がありますから、女性比で、共感力が高めの人もいれば、低めの人もいます。

共感力があまり高くない女性は、理性や理想での繋がりをつくることを好みますし、そうした関係性を築くのが得意です。しかし、人間関係の相手側がそうした関係を好まないタイプであれば、そこに温度差が大きくでてしまい、浮いてしまうという状況が作られます。

そのため、とても真面目で親切な人でも、人間関係がうまくつくられないことがでてきてしまいます。

感情を、そのままキャッチして把握することが得意でない、ということは、逆から言うと、理性で説明されるほうが理解に繋がることが多いです。

他人の感情の動きについて、または、その感情に対して、女性同士として、どのように反応したり対応したりしていくものであるのかが、文章化されて説明してある「見本」があるといいのです。

といっても、普段の人間関係で、「私の、今の感情というのは、ああなって、こうなって・・・。こんなふうに現状に結びついていてね、それで・・・」というような説明はなされませんので(^_^;)、共感力が低い人が、実際の人間関係を眺めることで、それらを把握することは難しいです。

いい教材となってくれるのは、「小説」や「漫画本」です。

映画やテレビドラマは含まれません。人の演技は、動作の中に示唆があって、必ずしも内面の動きがセリフに込められていないからです。

しかし、小説や漫画であれば、登場人物の内面の描写が、わかりやすい言葉に置き換えられて、これでもかというくらいに(^_^;)とても詳しく記載されています。

それらを通して、人の心の動きを「文字で」「文章で」把握してみることで、自分の中に、解釈の経験値が蓄積されていきます。

「このとき、A子は、こう思っていた」、「それをうけてB子は、このように思ったが、口には出さなかった」、そのことが、思いもよらぬ展開に結びつくのであった!。。。的な(^_^;)笑、大げさにわかりやすく書いてあるものは、人物の感情を拾いやすいです。

登場人物の、感情の動きを、記載された文章のとおりに追っていくことで、他者の感情に同調していくという感覚が、つかめていく効果が期待できると思います。


|わかるようになるほど、新しい「面白さ」がでてくる。

備わっている感性そのものは、簡単には変えられません。

しかし、備わっている幅のうち、まだ使われていないまま、活性化されてない部分は、鍛えることで強くできます(^_^)。

備わっている感性をいっぱいに使えるように、磨いていくという取り組みです。

共感力があまり高くないことも、個性のひとつであり、それ自体が悪いということではないのです。そのままが自分自身であり、それでいいという考え方もできますけれど(^_^)、しかし、人間関係をうまくやっていくことができないと、日常生活全般がスムーズに進まなくなりますから、そこは改善できるならそのほうがずっと自分が楽になります。

だから、悪いところを直すためとかではなく、自分の人生を豊かにするために「苦手をカバーしていく」という目的と、人の感情の動きというのは、とても興味深くて学びになることがたくさん含まれていますから、その面白さを理解するためや、学びを深くするための取り組みという意味もあわせて、とらえていくといいのではないかなーと思います(^_^)。

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