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2017年3月の6件の記事

2017年3月31日 (金)

スピリチュアルなエネルギーが、電化製品に干渉してしまうことがあります。

人が放つオーラや、霊が放つエネルギー(たとえば守護霊からの働きかけなど)、テレパシーや、ヒーリングのエネルギーなどの「スピリチュアルなエネルギー」は、「電気」や「磁気」ととても近い性質をもっています。

霊感が強い人は、そうしたエネルギーを放つ力が平均よりも大きく、それらのエネルギーは電気と似ていて馴染みやすいため、ときどき、「電化製品を不調にしてしまう」ことがあります(^_^;)。

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もちろん、「そういうことが、あり得る」という話であって、霊感の強い人が必ずそうなる、ということではないですし、電化製品が壊れる理由が霊感によるという意味でもないですけれど、

こうした現象は、それほどめずらしくはない、よくあることです。

エネルギーを発するか、受けとるか

どのようなしくみで、干渉が起こるかというのは、「その人のエネルギーの動きが、発するほうが得意か、受けるほうが得意か」によってだいたい決まってきます。

エネルギーを発するタイプであれば、「その人自身が発するエネルギー」が、電化製品に向かうことからの作用です。

エネルギーを受けとるタイプであれば「その人が引き寄せるエネルギー」が、(その人が放っているものではなくても)自然と、周囲の電化製品と馴染んでしまって、作用が起こります。

自分のコンディションが、大きく関連している。

しかし、無条件にこうした現象が起こるわけではありません。

こういう現象が起こるときは、スピリチュアルなエネルギーそれ自体に原因があるのではなく、何らかの「不調和」が、エネルギを発したり受けたりしている「自分自身にある」ことを示しています。

怒りや不満の感情がいっぱいだったり、焦りや不安で気持ちが安定していないとか、疲れすぎて本来の調子が整わないことなどが、過剰な状態になっているときに、発するエネルギーもそれを反映して荒っぽいものになったり、引き寄せるエネルギーが、「同じようなものが引きあう波長の法則」によって、同じように不安定なものになったりしがちで、

「そのときのコンディションが反映したエネルギー」が、電化製品にも影響を与えてしまうことがあるのです。

ある意味、自分の状態をはかるバロメーターにもなりますから、周囲でそうした現象が一度に幾つも起こるときには、抱えすぎていたり、頑張り過ぎていたり、期待し過ぎてていたりで、コンディションが下がっていないかという点を、見つめ直してみるといいと思います。

そうして、ここがそうだなと思える点があれば、可能な範囲でそれを調整したり、減らしたり、代わりに何かを加えたりしながら、自分がよい状態でいられるような工夫をとりいれていくといいですね(^_^)。

何にでも、作用するわけでもない。

こうした現象は、不安定であれば必ず起こるということでは勿論ないし、また、霊感が強ければどこまでも広い範囲の大きな現象が起こるということでもありませんので、その点は誤解のないようお願いします。

家にあるような電化製品という規模が小さいのに対しては、こういうことも、ときに起こり得る、という一例であり、もっと大きなものや、精密度の高いものにも、同じような影響が及ぶということではないので。

私が以前、企業で働いていた頃に、かなりの精密機器を扱う部署にいたこともありまして、上司たちは理系のエンジニアばかり、そういう人たちは皆、とても勘が鋭くてスピリチュアルなセンスも高そうな方ばかりでしたが、しかし、そうした方たちが大勢関わっても、規模の大きい精密機器が不調になったりはしませんでした。

人の、エネルギー的な影響の受けやすさが、備わっている性質による個人差があるように、こうした機器も、そのもの「作り」の簡易さとか、動作の安定度の幅だとか、そういうことの差がでてくるということでもあるのでしょうね(^_^)。

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2017年3月21日 (火)

オーラが「くすんでいる」のは、どんな条件のときに起こるか。

先日、あるセッションで、以下のことが話題になりました。

◎オーラは明るいほうがよく、くすんでいるのはその逆である、というのはわかります。改善するほうがいいこともわかります。しかし、何がくすみに繋がるのかがよくわかりません。具体的にはどのような場合に、くすんでしまうのでしょう?

この件について、シェアさせていただきます。

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オーラがあらわすことは多岐にわたります。

厳密にいえばどこまでも細分化されますが、わかりやすく、とても大きな区分で2つにわけるとしたら、「変化しにくい、本質的なこと」と、「その時々で変化していく、状態のあらわれ」です。

本質というのは、そんなに大きくは変化しません。

状態は、そのときどきで変化します。

ということは、オーラが明るくなったり⇔くすんだり、という変化は「状態」のあらわれであることがわかるかと思います(^_^)。

本質的なことというのは、備わっている性質や才能などです。

状態とは、そのとき一時的なものが反映される、思考や感情や体調などですね。調子の「上がり下がりがあること」が該当します。

今は怒っているけれども1時間後には怒っていない、今は緊張していても、5分後には解消されている、寝不足で頭がぼーっとするが、明日になればそれもなおるだろう、というようなことが「状態」です。

こうした「状態」に関連することが、自分の中でうまく連携していなかったり、負担になるほど大きかったり、バランスがとられていないなどの、何らかの不調和があるときに、それがくすみとなってあらわれます。

ある要素が活性化しているときには明るさとなりますし、逆に、滞ってしまうとくすみになります。しかし、あまりに活性化が過剰になってしまっても、自分にとって負荷が大きくなって、それもくすみになることもあります。

どんなよいことでも、過ぎたるは及ばざるが如しで、器をはみ出してしまえば、バランスがとられなくなるからです。

ある要素が、「うまくつかわれずに、停滞しているとき」や、または「過剰になりすぎているとき」にくすみがでやすいです

不安で行動ができない(停滞)ときは、動きが少なすぎて停滞になってくすむ、ということもありますし、または、行動をたくさんしないと落ち着かないとばかりに、行動しすぎてしまうと(過剰)、その疲弊が体調としてのくすみになる、ということもあります。

一例として。

「これから、自分はこんな活動をしたい!」と、とても意欲的になっているとき、やる気というエネルギーに満たされていて、思いが活性化していますから、オーラは明るくなります。

しかし、その事柄が、あまりに自分の才能とかけ離れているとしたら、達成のための行動をしてもしても、なかなか結果にあらわれなくなりますよね。

そうすると、どこまでやってもおわりがないので、行動を「しても、しても」が過剰になって疲弊すればくすみます。結果がでないことに、どうしてだろうと悩んでしまうと、やる気が停滞してしまいますから、くすみがでてしまうこともあります。

これは、わかりやすさのため、実際よりも極端に書いていますので、その点は割り引いてとらえてくださいね。

基本的には、やる気になることも、行動することも、オーラが明るくなります(^_^)。

自分という存在を、今回の人生のさまざまな条件の中で、いかにしていかしていくかが、たましいの学びでもあるので、そちらに沿った姿勢はどれも、「順行」ですので、明るくなります。

しかし、そうした姿勢をとっていく中で、ときどき、一部分が「過剰」となったり、停滞したりしてしまうこともありますよね。

人生の「さまざまな条件」には、他人との関連も含まれますし、そうなると自分のペースでは進みませんし(^_^;)。

ですから、この世という場所で、自分以外とも関わりをもつ以上は、明るくなったり、くすんだりという、変化がつくのは当然のことです。

くすみは、そのときの「一時的な状態をあらわしている」にすぎません。

自分次第で、いくらでも、意図的にも変えられますし(^_^)、

また、時間の経過によって(つまり自分以外のいろんな条件が動いていくことによって)、受動的に変わることもあります。


【まとめ】

 ☑オーラのくすみは、状態のあらわれ

 ☑状態は常に変化するので、明るさ⇔くすみも変化する

 ☑停滞するエネルギーはくすむ(本来、エネルギーは動きがあるものなので)

 ☑過剰になっても、負荷が掛かるという意味でくすむことも

 ☑くすみは、一時的な「状態」なので、変化していくし、変化させることもできる

 

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2017年3月18日 (土)

違いから「個別」を知り、さらには「ひとつであること」を知る。

この世という場所は、比較して認識ができる世界です。

それは、この世には時間の経過があって、「時間の経過の感覚」が、私たちに(時間による変化から)比較や違いという認識をあたえてくれているからです。

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人は皆、それぞれの個性をもって存在していて、他人と自分は「別個である」感覚になれたり、「自分の個性は○○だが、相手の個性は××だ」というように、比較から違いを認識することが、ごく自然にできますよね。

これは、この世が、そうした認識ができやすい条件が整っている、気づきと学びのための場所だからです。

本来、たましいの領域は、個別の定義ができにくいものです。


「それと、これとは、別である(違い)」とか、

「それは、Aというものである(個別の定義)」とか、

「AよりBが大きい(比較)」とかの、

区分けをした理解は、この世特有のものとなります。


私たちが、「自分と相手は、別の存在である」とか、「この個性は、外向的と表現される」とか、「田中さんの声は、自分よりも大きい」という区分けを理解できることも、この世だからこその経験です。

こうした区分けで、他人との比較から自分がわかり、自分以外の他人のことも自分との比較からわかります。

たましいの領域にある、いろんな要素の中から、そのときの学びにあった性質を選んで備えてきているのが、「今回の人生における、性質や性格」となります。

区分けのない中から、「あえて」区分けをして備えてきたものを、時間を掛けた経験によって知っていくという、ある意味とても遠回りな学び(^_^;)を行っているのが私たちです。

これが、この世という場所にあったわかり方であり、学び方だからです。

人生のいろんな経験が増えると、それだけ比較対象が多くなり、「自分がわかる」ことと、「自分以外がわかる」ことは、連動していますから、わかることがどんどん増えてきます。

そして、よくよく考えてみれば、そうした「違いからわかる」という形すらも、連動して「繋がっている」しくみだと気づいて、

すべては繋がっていてひとつであることが、腑に落ちていくようになります。

違いから個別を学び、ひいては、違いからひとつであることをも学ぶようになっています。

自分を知り、自分をいかすことは、「個別」にフォーカスすることです。その行いは自然と、自分以外を知ることに繋がっていき、わかる範囲が広くなっていきます。


そうなると、

自分という個別の存在も、

この世という個別の場所も、

もっと広い、たましいの領域の一部分であり、繋がっていてひとつだという感覚が、

深く、実感を伴って、「わかっていく」ようになるでしょう。

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2017年3月14日 (火)

守護霊の存在を、「感じる」センサーの位置。

守護霊さんや、ご先祖霊さんたちは、いつも、見守ってくれていて、必要なときにはヒントを与えてくれたり、機会を作ってくれたりするという助けもしてくれることがあります。

自分と守護霊 = たましいの繋がり

自分と先祖霊 = 血縁の繋がり

という関係があり、目的をひとつにしていたり、思いを共有していたりして、あちらの世界と、こちらの世界で繋がりをもっています。

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|守護霊がいる場所は、あちらの世界。

そうした関係性の深い存在が、自分をいつも見守っていてくれて、ときに助けてくれていることは、スピリチュアリズムに関心がある方なら知識としてご存じでしょうし、実際の日々の中で、そのことを実感することもあると思います。

困っているときや迷っているときに、驚くようなタイミングで有利な展開がもたらされたり、思わぬ形でヒントが与えられたりという形の、過去の経験が思い当たる方も少なくないことでしょう。

そういうことがあると、守護霊は、常に「自分の側」に居て、自分を見ていて、ものごとの動きを、仕切ったり捌いたりしているようなイメージをもってしまうものです。常に、彼らが自分に「同行」していて、移動していたり、ついて動いているような様子のほうが、わかりやすいですからね。

しかし、実際には、守護霊がいる場所は、「あちらの世界」でなのです。こちらの世界にいる私たちとは、「別の次元」に存在しています。



|守護霊が映って見える場所は、その人のオーラ。

霊能者が守護霊について伝えるときに、守護霊のことを「後ろの人」と言ったり、「こういう守護霊が、後ろにいらっしゃいますよ」などと表現することがあります。

そのことから、守護霊が自分の後ろのほうに位置していることがイメージされると思います。

しかし、これは、守護霊というエネルギーが、物理的にそこに「居る」というよりは、「その方のオーラをスクリーンとして、映っているかのように存在している」ことを言い表しているものと思います。

実際、居る次元が、ぞれぞれ違いますから(^_^)。

http://spiritual-teaching.com/archives/1106
(こちらの過去記事でも、そのことに少し触れています)



|守護霊の存在を、「自分が、感じやすい場所」は。

それでも、守護霊や先祖霊が、自分の側や、とても近いところにいることが、体感として伝わってきた経験を持つ方もたくさんいると思います。

エネルギーとしての「気配」や「存在感」などが、そこにある気がしたとか、体感として「暖かさ」などが伝わってきて、励まされたような気持ちになったり、勇気がわいてきたり。

そういうことを感じる「場所」「位置」は、「手のひらの近く」か、「肩から上の、頭のまわり」であることが多いです。ほぼこの2つに集中していて、それ以外の場所、たとえば「自分がいる場所から3m先の、ドアの後ろあたりに気配を感じた」などというケースは・・・あまり聞かないですね(^_^;)。

理由は、この二つの位置は、誰にとっても感じやすい場所だからです。

どちらも、オーラ的に、エネルギーがたくさん集まっていて、「その位置自体が、感度の高いセンサー」なのです。

(身体をとりまくオーラの密度は、全体が均一ではないということです)



|わかりやすい位置へ、働きかけをしてきている。

オーラが、背後のスクリーンのようになって、その位置に映し出されますので、肩のところや頭の近くにエネルギーの動きがあるために、そこで感じているとも言えますが、

肩や頭の近く、または手のひらの近くが、「感度が高いセンサー」であるため、その位置でセンサーの反応が起こっている、とも言えます。

あちらの世界の方たちは、そうしたしくみもわかっていますので、感度の高いところへ意図的に働きかけを行ってきている、というのもあるでしょうね(^_^)。

存在を伝えたければ、そのようにしてくるのではないでしょうか。

「自分の感度が高い場所」であること、「(そのことをふまえて)伝えるための働きかけをしてくる」こと、この両方の理由で、感じる部位に共通性が見られるのだと思います。

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2017年3月 9日 (木)

相手のエネルギーを、「寝ているときの夢」に反映させてしまうことがあります。

その日にあった人のことが、いつまでも頭を離れない、特に、寝ようとすると、「その人の音声で、思考が構築される」かのように、思考がとまらなくなってしまう人がいるという件について、過去記事に書いたことがあります。

※過去記事:「眠ろうとすると、「その日にあった相手の音声」で思考がとまらなくなる?」

内容としては、相手のエネルギーが、自分の中にとりこまれ、なかなか抜けていかないときに、相手のエネルギーの動きで自分の思考が動かされてしまうため、相手の声を思い出すかのような思考が作り上げられるのです。

眠りに入る直前は、スピリチュアルな現象に感化しやすい意識状態になるため、起きているときには起こらない現象が、眠ろうとするタイミングで起こるということです。

そうした、「相手のエネルギーを取り込んだことによる、自分へのあらわれ」の、バリエーション?として、「寝ている間にみる夢に、反映がでてしまう」ケースもあります。

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現象が起こるしくみとしては、過去記事内に書いたとおり、「寝ているときの意識とは、スピリチュアルな領域と大きく重なっている」ことが関連しています。普段の意識とはかなり違う領域になります。

完全に眠ってしまえば、そのときの意識内でのことは、普段の意識との落差がとても大きいため、記憶に残して覚えていられないようになっています。

(そこまでの差がつかない、微妙な重なり具合となっている、寝入りばなと起きる直前がちょうど、「スピリチュアルなことが認識されやすく、覚えていられる」意識の状態が作られることが、「寝ようとすると、相手の声での思考が・・・」となるわけです)

しかし、霊感が強い人は、寝ているときの意識と、普段との意識の落差が、そこまで大きくなりません。普段の状態で、一般的な人が寝ている状態で経験するような領域に、意識が広がっているのが霊感の強さ(感化する領域が広い)ということだからです。

そうなると、「過去記事のような、眠ろうとする前に起こりがちな一時的な現象」が、

寝る前だけにとどまらず、その延長のように、

眠りの意識の中にも、続いてしまうことがあります。


眠っている最中の意識にも、相手のエネルギーが関わってきて、そのことを認識してしまいます。

具体的には、(相手のエネルギーに含まれている)相手に関連することが、自分の見ている夢の展開に重なってきたりします。

私は、頻繁にその状態になります(^_^;)。特に、スカイプや電話でのセッションをした後には多くなりです。

元々、性質として、受けとる装置が大きい上に、セッションをするときは、能動的に相手のエネルギーを受け取りにいっていることになります。勢いをつけて受けとってしまう(^_^;)?ようなもので、大きく作用があらわれてしまいます。エネルギーが自分の中に留まりやすくなるのでしょうね。

たとえば、その方が「従姉妹との関係を気にしている」とします。

すると私は、私自身の従姉妹と会っている夢をみたりします。普段はまったく存在を意識していないくらい付き合いが薄いのに、従姉妹を気にしているというキーワードが、私の記憶上の似たようなことと結びついて、私自身の夢として展開してしまうんですね。

内容だけとらえるなら、見ている側の自分としては、何が何だかわからない夢???、ということになりますよね、私自身は、従姉妹を気にしていませんから。

私は、こうしたエネルギーの作用をわかっていますから、「これも、そういうことなんだろうなー」と深く考えませんが、しくみを知らなければ、なぜこんな夢を?と、混乱すると思います。

私と同じように、他人のエネルギーが自分の夢に重なってみてしまうという現象が起こっていて、しくみを知らないまま心配している方もいるかもしれませんので、参考までに書いてみました(^_^)。

前回の記事とあわせて参考にしてみてください。前回の過去記事のようなことが当てはまる人なら、こちらの夢のようなケースも、あるいは当てはまることもあるかもしれません。前回のようなことが起こっていないなら、今回のケースには当てはまらないと思いますので(こちらのケースだけが、単体で起こることはまずないです)。

そして、こうしたケースの解消法が必要な方がいれば、これからの季節に向いているのは、身体を動かす機会をもつことですね。振動を生み出して、不要なものと引きあっている状態を切り換えるために効果的です。

あらゆる現象は、お互いのもつ、エネルギーの振動によってなされることは、ここ最近の記事の幾つかにまたがって説明してきたとおりです。備えている振動の幅が、その人の波長の幅となります。

本来の自分のエネルギー(の振動)を、活性化させていけば、引きあっている波長が切り替わっていきます。

この世は物質次元なので、身体という物質を伴う動きが、振動を活性化させやすいです。

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2017年3月 6日 (月)

家の中にいても、霊に憑依されることは(その人の性質によって)あり得る。

先日のセッションで、会話の流れで「憑依」の話題になりまして、「外出しないで家の中で過ごしていても、霊に憑依されてしまうことは、起こり得るのか?」というご質問をいただきました。

結論から言うと、可能性としては、どこにいても起こり得ますね。

といっても、どこにいても、無作為に憑依が降りかかる、という意味ではないので(^_^)、そんなに心配する必要はないし、怖いものでもありません。

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|霊的な事柄は、「時間」を超えて展開する。

たとえば、好奇心から廃屋に出掛けていったら、そこから霊を連れ帰ってしまったとか、大昔に戦場となった場所を通りかかったときに、当時の戦でなくなった霊と引きあって憑依されたとかなら、「わかりやすく憑依というイメージがわく、シチュエーション」ですよね。

しかし、ずっと家の中にいて、家族以外の人と関わる機会も少なかったのに、いつのまにか憑依が起こっていたというのは、どのような関連性でそうなったかという「イメージがわきにくいので、・・・わかるような、わからないような?」となりがちです。

前者について、特に疑問を覚えずに、そういうこともあるだろうと思えるのは、「霊的な事柄は、時間というしくみに限定されない」ことを、理解できているからです。なので、「大昔になくなった霊が、何百年という時間をこえて、今の時代を生きる自分に憑依する」という関連性を、「あり得る」と受けとめられます。

実際、憑依というのは、そうして、時間を超えて起こり得ます。

霊的な世界には、時間というしくみはないからです。

こうした関連を、(言葉でこそ理解していなくても)なんとなくでも感覚として理解しているので、時間を超えた繋がりが作られることを不思議に思わず、そういうこともありうると思える人が多いのでしょう。

この世には時間というしくみがあり、あの世には時間がないということを、人は皆たましいレベルで「わかっている」のかもしれません(^_^)。


|場所や空間を超えて、展開することもある。

ここまで書くと、だいたい話の先が想像できる人もいると思います。霊的な事象は、時間に制限されないように、物理的な場所や空間にも制限されず、展開することは「あり得る」のです。

実際のところ、そうして「家の中にずっといるのに、霊に遭遇しそうな、いかにも何かありそうな場所に出掛けていないのに、憑依されてしまう」ことも、ときには起こります(^_^;)。

しかし、だからといって、何にも制限されず無作為に展開するわけではありませんので、安心?してください(^_^)。

ではどのようなしくみでそれが起こるかというと、「波長の法則」ですね。

同じ要素をもつもの同士が引きあうという、スピリチュアルなしくみです。


|どんな要素と響きあうか=備わっている波長の幅。

人は皆、固有の性質を持っていて、エネルギーとしての振動をしています。その振動がなされる範囲の広さや、高低の差によって、それぞれの個性が生じます。

霊も、そうした波長、振動の幅があります。

自然の動きにも、物理的な事柄にも、それ固有の波長があります。

同じ波長をもつもの同士が、響きあって、引き寄せ合っていくのが波長の法則です。この世は、そうしたしくみで動いています。

それぞれ、備えている波長の「響く幅」という差がありますから、たとえば複数の人が同じ状況に置かれていても、反応する対象が変わってきたり、度合いが違ってきたりします。

廃屋に面白半分にいったりするのはやめたほうがい、というのはそのとおりで、そういうところに出掛けて面白いと思う性格の人は、そういう響き方をする波長を備えているということです。

しかし、誰もが、廃屋に出掛けたり通りかかったりして、霊を引き寄せるわけでもありません。どのような事柄に響く波長か、というのは、それぞれ違いがあるからです。

人には皆、霊的な感性が備わっていて、備わり方には個人差があることは、スピリチュアルに関心が深い方にはおなじみの知識ですよね。

コンディションが下がってしまうと、未浄化な霊と引きあいやすくはなるのですが、それだけが条件ではないので、他にもいろんな要素の兼ね合いがあります。

その人の性質として、どんな事柄や条件に響く波長かという差もあるのです。

(仮に、コンディションが下がって憑依されやすくなっているとして)、物理的な場所で霊と遭遇しないかぎり、憑依という現象があまり起こらない性質の人もいれば、家の中にずっといても、時間や空間という制限を超えて、憑依されてしまう(こともある)性質の人もいる、ということです。

誰もがそうなるというわけでもないし、

なりやすいからといって、無条件でそうなるということでもなく(^_^)、

そのときの、複数の要素の「兼ね合い」で、起こったり、起こらなかったりが決まります。

長くなりましたが、書きたかったのは、「霊がいる特定の場所」とかには限定されず、憑依は起こり得る、ということです。

しかし、のべつまくなしに起こるわけでもありません。

だからそんなに心配しなくてもいいし、気にしすぎから、行動範囲を狭くしたりせず(家にいるから大丈夫とかではないので(^_^))、いろんな経験をすることも、学びとして大事なことだと思います。

どこにいても、霊的な事柄とは関わりがあるのだから、細かいひとつひとつにとらわれずに、どのような状況であろうと、自分のコンディションを整えて、明るい気持ちで過ごしていけば、

日常の中、霊的に敏感な人ほど、プチな憑依というのは、あることはあるけれど、そうした姿勢で常にいられば、自力で自然に解消されていきますのでね(^_^)。

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