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2017年2月の16件の記事

2017年2月26日 (日)

波長の「上下の幅」は、声域のように「備わっている」もの。

目に見えないエネルギーの性質などをあらわす表現として、「波長」または「波動」という言葉が使われることがあります。

 *波長について説明した過去記事*

 ・波長というのは、その人のもつ「質」としての振動数
 ・スピリチュアルな意味での「波長」とは、エネルギーの振動
 ・自分のエネルギーが振動できる幅によって、引きあうものが決まる

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波長というのは、その人や物が備えているエネルギーの質をあらわす振動です。振動の範囲は広く、上下の幅があります。

波長の幅を、他のことにたとえるならば、声域のようなものです

声域とは、その人が出すことができる「声の高さや低さの幅」のことですよね。

2オクターブの声域をもつ人が、常にその幅いっぱいの声を使っていることはなく、あるときは、備わっている範囲での高い声、また別のときは、備わっている範囲での低めの声、という使われ方になります。

波長も、備わっている幅のうち、そのときの条件により、高い領域の振動になることもあれば、低めの振動になることもあります。

その人の、振動できる領域においての「あらわれ方」として、上がったり下がったりすることはありますが、備えている幅自体が、もっと上になったり下になったりという変化の仕方にはなりません。

波長も、声域も「備わっている性質は、そうは変わらない」ものです。

人の声域がどのくらいあるかは、生まれもった声帯の構造などで大部分が決まってしまうのではないでしょうか(この分野はあまり知識をもっていませんが、おそらく)。

人の波長も、どのくらいの幅があるかは、生まれもって備えている「たましいの個性」で大部分が決まっています。

その中で「どの領域の波長(振動)を、あらわして過ごしていくか」は、一定することはなく、変化し続けていきます。人というのは、固定されていない不安定な存在であることと、この世には時間というしくみがある以上、必ず、そうした変化が起こります。

自分自身の心掛けや姿勢でも変わりますし、外側の環境や、そのとき関わりがある他者の影響などでも変わります。

しかし、備えている本質としての波長の領域そのもの(の幅)は、そう簡単には変わりません。こちらを変えるとしたら、一生を通じて、または、何度も生まれ変わりを重ねてという、壮大なとりくみとなります。

私たちが、この人生において、自発的に波長を高くしていこうと意識するとしたら、「備わっている幅の中で、なるべく高いところで振動できる自分でいられるように」、という部分になりますね。そのことすらも、とても難しく、どこまでもおわりがないものです。

備わっていて、使われていないところや、気づいていないことは、どの時点でも必ず存在しますから、人は学び続けていき、変化し続けていくことになります(^_^)。

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2017年2月25日 (土)

物語や漫画の中にも、スピリチュアルなしくみがあらわされている。

人は皆、「肉体という物質を伴っている、霊的な存在」なので、誰もが霊感を備えています。

肉体の物質の形や強さは、人により違いがあるように、備わっている霊感の強さはあらわれ方も、それぞれ違いがあります。

霊の姿が見えたり、声が聞こえたりしなくても、別の形で、とても強い霊感を備えている人もたくさん存在しています。芸術活動をしている方や、それらを好む方は、霊感が強いことが多いです。

過去記事でも書いていることですが、芸術的センスと霊感は、ほとんど同じといってもいいくらいの近い位置にあるセンスなのです。

霊感というのは、「霊的な存在やしくみをとらえる感性」でもあり、「自分が備えている、霊としての感性をいかすセンス」でもあります。

いわゆる霊能者と呼ばれる人は、前者の比率が高い人が多く、芸術センスが高いとか、勘が鋭い人とかは(別に、霊が見えたりとかしなくても)後者のような発揮をしている比率が高いということでしょうね。

しかし2種類あるということではなく、どちらも繋がっているグラデーションですけれど(^_^)。

そのため作家さんとしては、おそらくは、ごく普通にストーリーを考えているつもりでも、ストーリーを構成している要素の一分部に、または作品全体の世界観として、とてもスピリチュアルな要素が反映されているケースはたくさんあります。

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先日、たまたま見た少女漫画の中で、メインのストーリーとは無関係のエピソードのひとつとして、このようなものがありました。

主人公の少女と、関わったり話したりすると、周囲の人が、調子が悪いところがなおったりして元気になることがあり、「あなたといると、元気になる」と喜ばれるが、本人としては、その現象がおこったときには、エネルギーをすってしまって首がいたくなる、と。

たまたまそのページが目に留まって、面白いなーと思いました。こちらの記事で書いたとおり、エネルギーの入口となりやすい場所ですから。

そのエピソードは、メインのストーリーとほとんど関係がない、主人公の人物描写としての一コマという感じでしたが、こういうことをさらっと思いついてしまうのが、芸術センスとしての霊的センス、なのだと思います。

しくみを知らなくても、「なんとなく思いついて(本人は創作のつもりで)実際のしくみに近いことが書けてしまう」ことや、

または、知識があるとしても、普段はそこまで意識していないはずのことを、「必要な場面で思い出して、結びつけて組み込んでいくことができる」こと、

こうしたことも含めて、「霊としての感性がいかされている」という形の、(広い意味で)霊感、なんですよね(^_^)。

スピリチュアルというのは、日常と離れたところにある不思議なものを指す言葉ではありません。私たちは、誰もがスピリチュアルな存在なので、「日常のあらゆるできごとの中に、スピリチュアルなしくみや事柄が含まれている」ものです。

しかし、日常のことは、あまりに自分と距離が近すぎて客観視ができず、そうした解釈をあてはめるのが難しいです。

そういうときには、映画や小説やときには漫画という形で、「ちょっと距離をとった位置にある、自分と関わりがないこと」を見たり聞いたりすることが、ちょうどいい学びの教材になってくれることもあります。

スピリチュアルは何も特別なことではなくて、本当に、この世にある事柄の「すべて」に含まれています。

それにどくらい「気づいていけるか」というのが、内的に作用するセンスであり、

どのくらい、どのような形で、それを「あらわしていけるか」というが、創造する、作り出していくという外的に作用させるセンス、ということなのでしょう。

そういう意識で見てみると、いろんな作品に示唆があることに気づきますね。学びの題材はどこにでもあるなあ、と(^_^)。

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2017年2月24日 (金)

前世と同じシチュエーションでも、たましいは別というケースもある。

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とっても大きく感情が乱される相手がいて、「その人と自分は、前世で何か揉め事があって、今世にも引きずっているために、こうした対立が起こるのではないか」と思ってしまう経験を、スピリチュアルな知識をお持ちの方なら、ひとつやふたつ、お持ちでいらっしゃるかもしれません(^_^)。

ほかの人とは、いくら性格が合わないとしても、ここまでにはならない、その人と自分との間でだけ難しいもいのがでてくるとなれば、

「その人と自分との間に、前世で解決できなかった何かがあるため、今回も対立になってしまうのではないか」・・・というのは、なんとなく、筋が通るっぽい解釈ですが、そういうケースもありますし、そうでないケースもあります。


|同じ状況でも、前世をそのまま引き継いでいるとは限らない。

たとえば、2人兄弟でまったく気があわない。何をどうやっても対立になる。2人とも単体ではいい人なのに、兄弟の間柄だけが悪いとなったら、たとえば「前世のアメリカの人生も、この兄弟は出会っていて対立していた」的なストーリーが、そのままあてはまりそうではありますね(^_^;)。

しかし、「学びは引き継いでいても、相手のたましいは別」という場合もあります。

「展開する出来事」は、(課題として)前世を引き継いでいても、対象となる相手は入れ替わっていることもあります。

仮に、200年前のアメリカで、ブラウン家の兄弟がとても仲が悪かったとします。

そして、100年前の日本では、田中家の兄弟がとても仲が悪かったとします。

今の自分は、ブラウン(兄)の生まれ変わりだとします。やはり今回の人生でも、弟と仲が悪いとしても、弟のたましいは前世のブラウン(弟)とは限らず、まったく別の家族だった、田中(弟)かもしれないのです。

実際、こういうケースは結構あります。

感情や関係がこじれる理由は、お互いに「前世の学びの続き」であるのはそのとおり、しかし、同じような学びをもっているたましい同士がひきあっただけで、前世の相手ではない別のたましいが、今世での相手になる(お互いに)こともあります。

こうした結びつきのしくみは、本当にいろいろです。

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2017年2月23日 (木)

他人から、いろいろ「言われやすい」人の、オーラ、エネルギー的考察。

趣味の仲間内、ママ友関係内、会社の同僚など、同じ立場の人が複数いるのに、なぜか、その人だけが、「他の人から、あれこれ言われやすい」、「口を出されやすい」という状況になることがあります。

言われている本人も、そういう状況になっていることを自覚していて、不可解な思いでいることが多いようです。そうしたご相談をときどきいただきます。

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同じ立場の人がたくさんいる中で、なぜ自分だけが??と、原因を考えてみても、思い当たることがない。

自分はその集団の中では、他人と距離をとっているほうなので、無意識に「やらかしてしまう」とか「余計なことを言ってしまう」可能性は低い。

それなのに、悪口や批判とまではいかないけれど、何かと口を出されたり、あなたってこうだよねーと決めつけをされたりする。

言われる事実がないことを言われる、他の人も同様なのに自分だけ言われる、わざわざ言葉にださなくてもいいようなことも言われる、・・・と、悪口ではないのだけれども、なぜか「言われる役割になってしまう」人がいるものなのです(^_^;)。

オーラ、エネルギーの観点から、このような役割になりやすい方には、2つの特徴がみられます。


(1)周囲を映し出すような性質のオーラである。

透明感があって、相手のことを、自分の中に鏡のように映し出してあらわしてしまう性質をもつ人がいます。その件については、過去記事で書きました。

(過去記事:他人を、鏡のように「映し出してしまう」人がいます

こういう性質の人に、相手がその人自身を投影してくるため、「実際と違うことを、言われてしまう」場合があります。または、映し出す性質ゆえの影響されやすさで、自分が影響されて、周囲の人と同じようなことを「あらわしてしまっている」ために、言われるということもあります。影響されている自覚はないので、「言われている内容が、自分と違う!」と思うのだけれども、実際のところ、そう「なってしまっている」というケースも意外と多いです(^_^;)。


(2)エネルギーを「受ける」「受信する」タイプである。

これまで何度も書いたように、エネルギーの動きとして、自分が外へ放つ作用が大きくあらわれる性質をもつ人と、逆に、自分が外から受ける作用が大きくあらわれる性質をもつ人がいます。

このとき、受ける性質が強い人は、「言われやすい」という特徴がみられます。なぜなら、受ける作用とは、外からひっぱる作用なので、相手の中にあるものを、外に引き出してしまうことがあるからです。

自分と相手の間につくられるエネルギーの動きが、「自分 ← 相手」となる(自分が外から受ける)という「向き」になるため、相手が発言しやすく、自分が言われやすいという構図になります。

相手が、エネルギーを外にむけて出すための、きっかけを与えるというか、初動の勢いを与える存在に、自分がなってしまうのです。


|気づく機会が、多くなるというメリットも。

両方の条件が揃っていると、とってもいろいろ言われやすいのですが、しかし悪いことばかりではないです。

自分の側からみれば「言われやすい」けれど、相手にとって「言いやすい人」という親しみを感じさせやすいこともあるでしょうし、相手が自分に向けて発言するという機会が多いことは、それだけ、気づかされる機会も多いと思うのです。

的外れのことも多いとしても、当たっていることもあるでしょうし、どちらでもなくても、注目されて意見が集まってくるという機会は、ありがたいことだというとらえ方もできます。

得られているほうのメリットを考えてみれば、言われてしまう不愉快さが、自分の中で小さいものになっていきます。

こうした作用を、知識としてわかっておくと、言われやすい状況は変えられないとしても、なぜ?と悩まなくて済みますから、知っているだけでかなり気持ち的に違いがあります。わかっておくと、心の余裕がでてきます(^_^)。

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2017年2月22日 (水)

仕事の経験年数が増えることで、飽きたり、迷ったりという、いろいろがでてくる。

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仕事をして、10年くらいかまたはそれ以上の経験が重なると、ちょっと「今までと何かが違ってきてしまう」ことから、停滞感がでてくることがあります。

通常は、経験が多くなるほど、技術がうまくなったり、進めていく際のポイントがわかったりして、優位性がでてくるイメージがありますよね。そういう部分ももちろんあるのだけれど(^_^)、そうでない部分もでてきて・・・、

うまくいかないわけではないが、「何かしっくりこない感覚」、「何かが違っているような感覚」になり、仕事への意欲が薄れてしまったり。

そうなるのは、「自分だけの原因」と、「自分と相手との関係性による原因」とが考えられます。


|自分に関する変化。

自分だけの理由とは、まず単純に「長く続けたことで、飽きてしまう」ことが考えられます。仕事そのものについても、会社についても、世の中の構造についても、知識と経験が増えてくるにしたがって、わかることが増えていき、わからないことが減っていきます。「このように働きかければ、結果はだいたいこんなふうになる」ということが想像できてしまうので、新鮮さがなくなります。

そしてもうひとつ、こちらは女性に多いですが、体力や気力の低下です。昨日と今日の差や、今年と昨年の差は小さいため、日々の連続性の中にいると自分の変化に気づきにくいですが、やはり年齢とともに、疲れやすくなったり、記憶力が下がったりします。そうすると、仕事が嫌なわけでも、会社に不満があるわけでもなくても、仕事そのものに対する緊張感や、自分の思い入れも下がってしまう現象が起こります。


|自分と相手との、関係性の変化。

仕事上の人間関係の構図が変わっていくために、やらなければならないことが変わったり増えたりして、それに自分がはまっていくことに難しさがでてくることがあります。

ご相談をいただく中で、とても多いのが、「上司との年齢差が小さくなることで、昔のようにいかない」というストレスを抱えるケースです。新人の頃には、とても上司に可愛がられた人が多く、なぜ前のようにうまくいかないのだろう?何も自分は変わっていないのに?と、理由がわからなくてご相談をいただくのですが、その理由は年齢差にあります。このケースに当てはまる方は、親子くらいの年齢差がある上司とうまくやっていくことが得意なのです。そのため、上司との年齢が近くなることで、以前の優位性がいかされなくなります。

他にも、中堅の位置になることで、仕事の全体像をつかみにくくなることもあるようです。新人の頃は、上司の補佐的な業務をすることで、上司が担当している内容などから会社の全体像を「知っていく」こともありますよね。中堅になると、任される役割が変わっていき、既にある知識がいかされるかわりに、新しい「今の動き」の情報から遠ざかってしまうことも部署によってはでてきたりもするでしょう。

個人で行う自営業の仕事であれば、経験とともに以前からのお客さんの年齢も上がっていきますから、自分が提供しているサービスと、求められるものが一致しなくなることもあります。お客さんが入れ替わることで、常に新しいお客さんとの信頼を一から作らなければならなくなったり、または、そうした切り替わりの変化がスムーズにいかなくて負担が大きくなるケースもあります。


|経験が増えていくことで、得られているメリットもある

このように、新人の頃には思ってもみない、経験が増えたからこそ気づく問題というのが、常に発生してきます。経験が増えていることの優位性も勿論あるけれど、新たな問題のほうが負担が大きかったりして笑、なかなか楽にならないものですが(^_^;)・・・。

しかし、だからこその学びでもありますので、人生というのは変化の連続で、どの瞬間にも「いろいろ」あるのが当然という、そうした受け止め方も必要なことだと思います。

そして、どんな場合でも、「うまくいかないことは目立ちやすく、わかりやすい」ですから、そちらばかり目立ってしまうだけ、ということもわかっておきましょう。変わらずうまくいっていることや、前よりうまく行くようになったことも、ちゃんと存在してはずですから(^_^)。

経験がある今だからこそ得られている点を、改めて探してみると、心の中のバランスがとられていくと思います。


|いつかはまた、今の状態からも変化していく。

上記のようなことは、多かれ少なかれ、誰にでも起こることです。この世には時間というしくみがありますから、ずっと同じままにはなりませんからね。

そして、だからこそ、しっくりこない気持ちも、前のようにはスムーズではないという事実も、時間とともに、また別のものへ置き換わっていきます。

人生の先輩達も、自分と同じようにそうしたいろいろを超えて、今に至っていると思えば、それが、今後の希望になり指針にもなるのではないでしょうか。

これまで人生を進めてきた自分を信じて、そして、先輩達の背中を見つめて、できることを重ねていくことで、自分が進むこれからの道を作っていけると思います。

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2017年2月21日 (火)

家系をさかのぼって、共通していること。

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人が、この世に生まれてくるときには、「自分が備えている、たましいの学びに適した環境を選んでうまれてくる」というのが、スピリチュアリズムの見解です。

環境とは、時代、国や地域、家族構成などのことです。

たとえば、「21世紀に、日本という国の関西地方で、4人姉妹の末っ子として、田中さんという家に生まれてくること」は、その人のたましいの学びと、何かが引きあっているからこそ作られている現象となります。

どのような学びがあって、または繋がりがあって、その家系や家族を選んでいるかは、・・・生まれてくる前の自分に尋ねるわけにもいかないので(^_^;)、すべてを把握するのは難しいですが、一部分については「推察」をつけられますね。

「その環境だからこそ得られている恩恵と、その環境だからこそ抱えてしまう負荷」と、両面から見つめていけば、「こういうことを学ぶためかもなあ・・・」という程度でしょうけれども、ほんの少し、自分でわかってくるものです(^_^)。

さらには、「何世代かをさかのぼっても、共通している点を見つける」ことも役立ちます。

曾祖父母から自分までの、3~4世代くらいを眺めて、だいたい共通している要素があれば、「その要素は、自分に関わりの深い事柄」という可能性があります。

なぜなら、その家系を自ら選んで生まれてきているからですね。

上記の例でいえば、田中さんの家系を3~4代さかのぼると、職業に教育関係者が多く、外国と関わりが深くて、留学したり貿易をしたりしている人も多い、外国語の教師である人もいる、しかし最終的には皆、関西に戻ってきているとしたら、

「教育関係、外国、晩年は関西」ということが共通点ですよね。そこに、田中さんが学ぶこととの関わりが一部、含まれているのかもしれないという推察がつけられます。

私の場合でいえば、親戚を見渡しても商売をしている人、自営業の人が多い、親戚はほとんど北海道内にいる、霊感が強い人が多い(^_^;)、・・・ということで、

北海道で自営業をやっている今のスタイルは、私に合っていることなのだろうなあと、思います(^_^)。

しかし、こうした分析でわかることは、全体のうちの一部分で、学びとして備えていることは経験していることのすべてが該当するので、この規則性だけにとらわれないようにしてください。あくまで、一部分を推察するための、方法のひとつということですから。

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2017年2月20日 (月)

オーラの色を、「体感覚」で、「感じ分ける」こともできる。

私たちは日頃、人との関わりの中で、オーラ同士で交流をしていて、いろんな情報を放ったり受けとったりしています。

人が放つオーラにはさまざまな情報が含まれていて、他人について、「なんとなくそう思った」とか、「○○だろうと感じた」という形で、それらを解釈しているケースは多いのです。

そのことを、オーラ、エネルギーの作用であるとは意識することはなくても、実際は、いろんなことを、オーラ同士の交流から把握をしています。

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オーラが視覚で見えていなくても、こうした、「自分のオーラを通して、キャッチする」形での把握もできるし、しているものであることは、スピリチュアルに関心をお持ちの方には、理解は難しくはないでしょうし、既にご存じの知識であるかもしれません。

それでも、「オーラの色」についての判別は、視覚を通して把握しないとできないもの、という認識をしている方が多いのではないでしょうか(^_^)。

実は、オーラの色についても、視覚で見わけるのではなく、「体感覚で感じ分ける」という方法もあります。実際、そういう形で霊能を発揮している方を、私は知っています。

相手のコンディションや感情などの様子や状態を、共鳴するかのように体感するというならともかく、「どうやって、色を、体感覚で把握するのか??」と、不思議に思われるかもしれませんね(^_^;)。

体感覚で、オーラの色を把握する人は、「その色を、体感しているとき特有の感覚」というのがあって、

くどい表現で文章化?するとしたら(^_^;)、「青いオーラを感じるときは、青色を見ているときのような感覚が、呼び起こされる」ようです。

そういう方法が、「その人の得意な方法」だからこそ可能となります。

私は、体感覚での把握は得意でないので、こうした感じてわけることはできませんが、「波長をとらえる」のは得意で、「固有の要素が放つ波長から、把握すること」に、置きかえをすれば、なんとなくですが言わんとしていることがわかります。

体感覚が優れている人なら、「○○を体感しているときのような、特有の感覚で、感じわける」という文章の伝えていることが、おそらくは、私よりももっと身近な感覚として、理解できるのでは、と思います(^_^)。

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2017年2月16日 (木)

今の満たされる思いを、次の種をまく力に。

今、とても満たされているとしたら、それは、過去にまいて育てた種が、今、実っているということです。

過去のいろんな経験が、これまでの自分をつくってきて、すべてが今に繋がっているという実感は、充足感があります。

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望みどおりになったことも、そうでないことも、すべての経験に価値があると理解して、学びの意義を見いだしていれば満たされるのです。ここまで進んできたという自分への納得と、そうした環境が得られていることへの感謝がわいてくるからです。

そうした状態や思いを、しっかり味わうことで、次の種まきをしていく力がわいてきます。

この世は、時間というしくみがあり、常に変化があり、同じところに留まっていることがありません。

今、得られている満たされた感覚も、時間が経つにつれて、(慣れから)薄れてしまったり、状況が変わったり、違うものを求めるようになったりします。

今、満たされているときは、なかなか、その先のことまで意識が向かなくなりますし、味わってひたることも大切なのだけれども(^_^)、

この世には時間という変化のしくみがあり、学びはおわりなく続くことをふまえて、長い目で考えていくことも大切ですね。未来の、自分のために。

種をまくといっても、何も大げさなことではないのです。

日々の中で、未来を想定しながら、動きをつけていくという、小さなことの積み重ねです(^_^)。

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2017年2月14日 (火)

日常の経験が、第六感を磨いていく。

スピリチュアルなセンス、霊能力などのことを、「第六感」という表現であらわすことがありますよね。

「見る」「聞く」などの、外界を感知する手段である「五感」の枠に、収まらないところにあるものという意味で、「六」がつかわれているのでしょう(^_^)。

この第六感は、五感とまったく別のところに位置するものではなく、「五感の延長上に位置して」います。または、重なっています。

逆の言い方をすると、「第六感のベースには、五感がある」とも言えます。

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一例として、「体感覚で、感じ取ってわかる」センスをもつ人がいます。

(私のクライアントさんは、この分野が秀でている人が大集中しているという、不思議な特徴があります!・・・私は、体感が優れていないのに、なぜでしょう(^_^;)笑)

以前の記事でも書いているとおり、体感覚というのは、「胸のチャクラ」との関連が深いです。

★過去記事★

体感覚で把握するセンスは「胸の位置にあるチャクラ」が関連している

(霊的な身体感覚としての)感じる力を伸ばすには。

上記で記載のとおり、手のひらのチャクラは、胸のチャクラと関連していますから、物理的な意味で手のひらで触って(ざらざらしている、暖かいなど)わかることは、同じ胸のチャクラをつかう体感覚とも無関係ではありません。

たとえば、食べ物売り場で、野菜を手にとると、なんとなくその感覚で美味しそうだとわかるとか、手で触れることで、物の様子を推察したり把握したりが得意な人っていますよね。

そういう人は、「手を通さない形でも、エネルギー的な体感覚そのものが優れているケースが多い」です。

逆の言い方をすると、「エネルギーの体感が優れている人は、手を使った把握も上手」だったり「手をつかって、何かを成すことが上手」だったりします。手を直接ふれて何かをすることや、または道具を使いこなすことなどです。

セッションのご感想や、ブログのコメントなどからもわかるとおり、私のクライアントさんは、カメラや絵をかく趣味をお持ちの方が、とーーーっても多いです。カメラを習っているとか、同人誌に漫画書いているとか、すごい人数なのです。

体感覚が優れている人は、手を使ったり道具を使ったりして、何かをしたくなるし、そういうことを好むのでしょうね(^_^)。

第六感的なセンスは、五感と関連している延長上にあります。五感と無関係なところに、いきなりそれが位置しているという構図にはなりません。

つまり、日常の中で、五感を磨いたり使ったりしていけば、自然と(その延長上の)第六感的な感覚も、磨かれていくことになります。

使うことでセンスそのものが鍛えられますし、また、いろんな出来事をたくさん経験してみることで、「自分の得意なことは、どんな条件下で発揮されやすいか」というパターンもわかってきます。

自分の性質に根ざしている、得意なことは「伸びやすい」です(^_^)。

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2017年2月11日 (土)

してもらうのが苦手、してあげるのが苦手。

「他人から、何かをしてもらうことや大事にされることで、自分の存在意義を感じて安心する」タイプの人と、

「自分が他人に、何かをしてあげることで(喜ばれる、役立つなどして)、自分の存在意義を感じて安心する」タイプの人がいます。

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|してもらうことが好き、してあげるのが苦手。

前者は、他人に何かをしてあげることがとっても苦手です。他人に、自分の時間や労力をつかって何かをするということは、自分の存在意義を減らすかのようで、抵抗感がでてきます。

そういうことが嫌だということではないのだけれども、何かしっくりこないものを感じやすく、また、具体的に何をどうしてあげるのがいいのか、普段からそういう思考回路が働いていないので、よくわからないこともあります。


|してあげることが好き、してもらうことが苦手。

後者は、自分が他人から、何かをしてもらうことが苦手です。まず気持ちの上で、「相手に悪い」と負担になります。また、こちらのタイプは、自発的な行動が得意なので、ほとんどのことは自分でできてしまいます。できることなのに(他人にしてもらって、自分が)やらない、という状況に、怠けているようで落ち着かなくなります。

こちらのタイプの人にとっては、他人にしてもらうことは、自分ができるはずのことを邪魔されているような、自分の存在意義を実感する機会を奪われているような気持ちになって、してもらうことを、素直にありがたいと思えなくなることもあります。


|誰もが、存在意義を実感して安心したい。

一般的には、前者が「自己中で他人に配慮しない」と思われてしまうことが多く(^_^;)、後者は「人のためによく頑張っている」と評価されやすいので、後者が理想的であるかのように思えてしまいますが、しかし、どちらも、それぞれ一長一短ありますね。

そして、どちらも、自分の存在意義を実感したいという動機が根底にあることは共通しています。そのあらわれが違うだけで、安心したのですよね、誰もが。

どちらも、お互いに、お互いのニーズを満たし合っていると考えることもできます。

そのバランスが極端になってしまうと、不満を引き起こすけれども、適度の範囲においては、「自分と違う性質の相手がいるからこそ、自分の存在意義を実感できる」ので、

この世にいるすべての人が、自分の学びをしていると同時に、自分意外の他者の学びにも、役立っているということですね。

表面のイメージ的には、後者のひとばかり忙しくて損をして、前者がワガママと思われがちだけれども(^_^;)、相手がいるからこそ、相手のためにしてあげる機会を設けることができますから、お互いに役立っています。もちろん、適度の範囲において、ということとですけれど。

してもらうことが好きな人も、相手に求めすぎないことが大事、してあげることが好きな人も、やりすぎないことが大事です。その点の意識は、お互いに、学びをさせていただくための配慮であり礼儀と認識しておきましょう。

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2017年2月 8日 (水)

呼吸という動きで、エネルギーも出入りする。

昨日の記事の続きです。

相手のエネルギーを受けてしまう、もらってしまう現象がおこる際の、入口となりやすいのは、首の後ろと、肩甲骨の間のあたりで、そのため、「布で覆いたくなる」人もいる、というのが前回の内容です。

他にも、口や鼻もエネルギーの出入りが大きいところなので、そのときのコンディションが下がっているときなどは(上記の2箇所ほどではありませんが)、そこから干渉されてしまうこともときにはあると思います。

口や鼻から、となる理由は、この位置は、呼吸をしたり会話をしたりすることで、「出る」「入る」という動きが実際にあるからでしょうね。気の動きでルートがつくられて、出入りがスムーズになっていくというか、なってしまうというか。

一例として、山の中で、同じ場所を何人もの人が通ることで、自然と通り道がつくられていくことがありますよね。物理的な動きによって、そのように動くためのルートが作られていきます。

また別の例では、私もこのブログで過去に何度も書いていますし、スピリチュアル系の書籍などでも同様の記載をみることがありますが、霊はなぜか「ドア」や「窓」から入ってきたりあらわれたりすることが少なくないようです。それは、実際の「人の出入り」や、「空気の出入り」によって、エネルギーが動きやすい流れが出来上がっていくためだろうと思います。

それらと同じように、呼吸をしている器官は、エネルギーの通り道になりやすいので、「入りやすい」場所となるのでしょう。

しかし、呼吸や会話という動きは、「出る」「放つ」という方向の動きもありますから、口や鼻から入ったエネルギーが、自分の中に長く留まるようなことは、通常はあまりおこりません。呼吸は吸うだけにならないのと同じで、エネルギーも、不要なものや外に出すべきものは排出もされますので(^_^)、よほどコンディションが下がっているときでないかぎり、そんなに気にしなくても問題ない程度です。

そこが、昨日の2箇所との違いですね。エネルギーの流れも違いますし、器官としての働きや構造も違いますので。

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2017年2月 7日 (火)

エネルギーに敏感な人は、ショールやストールを好むことがあります。

人は日々、いろんなものごとや他者との関わりの中で、目に見えないエネルギーをやりとりしています。自分も外に向けてエネルギーを放ちますし、そして受けとることもあります。

エネルギーが「ふれあう」程度の影響は、お互いのオーラとオーラの交流という形で行われていきますが、もうちょっと深く、エネルギーが干渉しあうこともあります。

広い意味で、エネルギーの出入口となるのは、「チャクラ」といわれる場所ですね。

相手のエネルギーを受けてしまうとか、もらってしまうというケースの入口となりやすいのは、首の後ろと、肩甲骨の間あたりです。

そういう位置関係があるためか、エネルギーに敏感で、影響されやすい方の中には、ショールやストールなどの巻きもので、自分を覆うファッションを好むケース方が、ときどきみられます。

布をまいて、その位置を防御したくなるような、そうした気持ちが自然とでてくるためではないかなと思います(^_^)。

覆うことでエネルギーの干渉をゼロに・・・はなりませんが、物にもエネルギーはありますから、それがあることで、エネルギーの通りをスムーズでなくする効果は、幾らかはあるかと思います。

残念ながら、そうすると防げると言えるほどの大きな効果ではないですけれど。。。

ですが、その人の気持ちの問題で、覆うことからの安心感で満たされた状態が、一番、エネルギーの過干渉に効果はあるので、そうした間接的なところまで含めれば、「覆うことを好む人にとっては、役立っている」のでしょう(^_^)。

逆に、影響されやすい人で、「すごく薄着を好む」人もいます。

巻きものなんてとんでもない、首のあたりをひろくだしているのが好きという人は、その(入口である)場所に、「何か」があるのが干渉されるようで嫌なのです。防御のためとかよりも、そこに何かがあるほうが邪魔で重いと感じて、スッキリさせておくのが落ち着くということでしょう。

厚着をしたときの、熱がこもる感じが「本来のエネルギーが乱される」ようで苦手な人もいれば、覆うことで「本来のエネルギーを守ることができる」と安心して落ち着いていられる人もいるので、こういう逆の反応になることも不思議で面白いものです(^_^)。

ちなみに私は、「薄着のほう」です(^_^;)。

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2017年2月 5日 (日)

お勧めの本などを、聞かれたので。

いつもお世話になっているご相談者さんの、あいちんから、以下のようなご要望?をいただきまして(^_^)。

プライベートなことをお聞きしてすみませんが、最近のブログ内で、りかこさんは国語が得意で、本を読むのも早い子どもだった。。と拝見しました。今も読書されますか?私は最近、読書が好きになって、色んな本を読みたいと思っています。今読んでる本を読み終えたら、次に読む本の参考にさせてもらいたいので、最近でも昔読んだものでも、ジャンルは問いません。良かったら、りかこさんのおすすめや好きな本、心に残った本などありましたら、またお時間ある時にでも教えていただけると嬉しいです

いろいろありますが、頭の中に最初にひらめいた2冊を。

まず1冊は、漫画家の総領冬美さんが書いた漫画の「マリーアントワネット」。ベルサイユ宮殿が監修して、制作に協力した作品だそうです。

マリーアントワネットといえば、とても有名な「ベルサイユのばら」がありますが、そちらで描かれている様子とは、共通点もあり、違う点もありで、とても面白い1冊でしたね。この1巻だけで完結してしまうのがもったいないような。。。続きを読みたくなりましたね(^_^)。

そして、もう一冊。

というか、私が本当に紹介したかったのはこちらです。上記の漫画の制作舞台裏をかいた(こちらは漫画ではありません)、「マリーアントワネットの嘘」という本です。

どんないきさつでこの(漫画のほうの)仕事の話がきたか、どんなふうに検証作業をしながら作品をつくっていくかというひとつひとつが実に面白いのです。

本の最初のほうは、巷でいわれているアントワネットのイメージや、ベルサイユのばらなどで描かれている様子と、実際の史実としてのそれとの違いなどが書かれています。

ある伝記作家の方が、アントワネットについて、実際よりも少々ドラマチック気味に作品にしたものが、その後のいろんな作品の参考資料として使われているため、巷のアントワネット像が極端になっているが、実際にはいわれているほどではないらしいとか、そうした解説からはじまります。

そして、一冊目に紹介した漫画「マリーアントワネット」の制作過程へと話題が移っていくのですが、これが興味深かったです。

なるべく史実に忠実に、創作するところは創作するとしても、史実をまげて人物を動かしたりしないようにと、丹念に資料を集めて、検証しながら進めていくその作業に感銘をうけました。

途中で違う資料がでてきて書き直すとか、時系列がわからなくなって作業が中断するとか、作品を作り上げるということの大変さは、普段は表にはでないところですので、読み手にはわからない部分ですよね。そういうエピソードの数々に、学ばされた思いがしました。

たとえば、アントワネットがフランス側と、森の中で対面する場面の資料に「ベルヌ橋」という名称がでてくるのだそうです。しかし文章だけで、そう書かれていても、森の中なのに橋の近くで対面?ということがイメージがわかない、いろいろフランス語の文献を調べてもわからず、もう躍起になって調べたら、

ベルヌ橋というのは、土地の名称で、「日本橋」みたいな地名だったそうなのです。過去に橋があったところがそのまま地名になっているだけだと。そのように疑問点をつぶしながらの時間が掛かる作業も、漫画のうちではきっと数ページですよね。しかしきちんと検証をしていいものを書いていくという姿勢にとても感動します。

総領さんは、洋裁学校に通っていたことがあるそうで、ドレスのパターンがわかるそうで、手書きで当時のドレスを細部にいたるまで丹念に描いて・・・などの制作エピソードのひとつひとつに、引き込まれます。

こういうことって、不思議と、「そのことが出来る人のところに、役割がまわっていく」ものですよね(^_^)。総領さんは絵が上手い漫画家さんとして知られていますが、そういう経歴があるならドレスの絵が素晴らしいのも納得です。

プロの仕事の裏側には、表には出ない膨大な作業があり、ひとつの作品や製品が作られていくということですね。

まだまだ面白い箇所はたくさんあるのですが、読まれる方の楽しみをうばわないように、このへんにしておきます(^_^;)。

まずは漫画からがお勧めです。

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2017年2月 4日 (土)

負担を与えたくない、迷惑をかけないようにと気にしすぎるのも、好印象を与えにくい。

人と会話をするときの、イエスでもノーでもない返事(あいづち)として、「そうなんですねー」という言い方があります。

「そうなのですか」と比較すると、幾分、肯定的な印象が含まれますので、無難に話をまとめたいときや合わせたいときに、便利な表現ではあります。

しかし、あまりに「そうなんですね」を多用してしまうと、無難すぎて(^_^;)好印象を与えにくくなりますので、度合いには注意が必要です。

この表現が多い人の心を拝見すると、主に二つの思いが見えてきます。

ひとつは、「嫌われない自分であることが、好印象を相手にあたえるはず」という思い、もうひとつは、「負担を与えない(ように配慮している)自分であることが、相手の助けになるだろう」という思いです。

その考え方も「場合によっては」間違っていないのだけれども、やはり「場合によっては」無難すぎて、その人自身の印象を弱めてしまいます。

そうした姿勢は、「役割」としてはありがたいのです。たとえば、上司からすると、従順で仕事がやりやすい部下となります。

しかし、「個人」としての人間関係においては、・・・悪くは受けとられないにしろ、大きな好印象は、(本人が期待しているほどには)与えにくいんですよね。。。

マイナスをつくらなければ、自動的にプラスになるとも限らないわけで、印象に残りにくいという印象になったり、逆に、会話の反応が薄いととられて「この人は他人とかかわりたくない性格なのだろうな」、と誤解されてしまうこともあったり(^_^;)。

せっかく配慮して労力をかけているのに、そうした誤解になってしまっては、残念すぎますよね。ちゃんと、配慮が伝わるような、本当の意味での肯定的な姿勢になることが大事ではないでしょうか。

といっても、無理に押しを強くすべきということではないですよ(^_^;)、

「××を、しないのが良いことだ」が、たとえ事実そのとおりだとしても、場合によるし、度合いにもよるということですね。

「いかに、××をしないか」という形での配慮ばかりになると、対比するものがないので良さが目立ちにくいのです。そもそも、「しない」という形のあらわれは、相手に伝わりにくいですからね(^_^;)。

何事もバランスが大事なので、「しないという形の配慮」を、うまくいかしていくためにも、「する」という言動でのあらわし方を、意図的にとりいれてみるといいと思います。

砂糖の味を引き立てるために、あえて塩をいれるように、対比として「する」という形を少しいれるだけで、目立たない形で配慮しているいろいろが、ぐっと引き立っていくものですから。

配慮している目的が、自分を認めてもらいたいという気持ちからではないとしても、誤解される必要はないわけで(*^_^*)、ちゃんと相手に伝わっていくほうが、お互いのために望ましいですよね。

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2017年2月 3日 (金)

守護霊の波長と、そうでない霊(^_^;)の波長は別。

先日、あるセッションで、このようなご質問をいただきました。「霊が見える人が、守護霊と憑依霊を間違うことはないのか」と。

つまり、「武士の守護霊がいる人に、『武士の未浄化霊に憑依されている』と認識してしまう」とか、逆に、「武士の霊が憑依している状態の人に、『あなたの守護霊は武士です』と認識してしまう」ようなことですね。

このときにお伝えした回答をそのまま使うなら、この二つを間違うということは、スーパーで買い物をする際に、セロリとスイカを間違えるようなもので(^_^;)、職業として霊視をしているレベルの人であれば、それは「考えにくい」ですね。

見え方とか、そういう細かいこと以前に、この両者が放つ波長(それぞれがもつ、固有の振動数のこと)が、まったく違います

それぞれの波長が違うと、伝わる振動の「響き」も違いますので、同列の認識にはならないので、そこは大丈夫ですね(^_^)。

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2017年2月 1日 (水)

子どもの頃から今までの「過去」に、自分の性質があらわれている。

人の性質というのは、かなりの部分「生まれ持っている先天的なもの」が関連します。

生まれてからの、その後の環境によって作られている部分は、自分が思っているよりずっと小さい比率です。

このしくみから、過去を振り返ることで、自分の性質を客観視して把握することができます。

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|子どもの頃は、同じ条件の比較がしやすい。

後天的な影響が性質の全部を決めているのではないことは、たとえば、同じ親に育てられていても兄弟で性格が違うことや、同じ授業を受けているクラスメイトに得意科目の差がでることなどからわかりますよね。

子どもの頃は、同年代の多くがだいたい同じような環境で、同じような教育を受ける機会がたくさんあります。そういう経験をすることで、自分の個性をつかんでいくことができます。

同じ教育をされて、自分が他のクラスメイトよりも理解が早いなら、「理解が早いことが自分の特徴のひとつ」となるでしょうし、同じ授業をきいているのに、自分は歴史が得意で、友だちは公式の暗記が得意だなれば、そういうところにも、それぞれの差があらわれます。

同じ環境や条件であることが、それぞれの違いを認識しやすくしてくれます。


|大人になると、同じ条件に揃えにくくなる。

しかし、大人になると、同じ条件で生活したり行動したりする機会が少なくなります。同じ会社の同じ部署にいても、担当している仕事が違ったり、得意先が別だったりするので、わかりやすい比較にはなりませんね。

そのため、大人になってからの日常を通して、自分と他人を比較して把握することは、置き換えたり、推察したりして、すき間をうめるような作業をしながら行うことになります。

この作業が上手にできる人は、自分を知ることも上手です。あまりうまくできない人は、自分を知るという思考の進め方が、理屈はわかってもイマイチ落としこんでいけない、という感じになると思われます。

それもまた、性質が違うことのあらわれですね。どちらが正しいとかではありませから、自分がやりやすい方法をとればいいだけですね(^_^)。


|子どもの頃からの、「過去」にヒントがある。

人の性質は、生まれ持っている部分が大きく、環境によって培われることの作用は思っているほど大きくはないので、そのしくみを元に、「過去からこれまでの自分を振り返る」ことで、自分を知ることができます。

特に、子どもの頃は、条件が同じであることが多いですから比較がしやすいです。当時は、自分が子どもですから(^_^;)、そんなふうな認識はできなくても、大人になった今の目線で当時を眺めれば、自分の個性が当時の様子にあらわれているとわかります。

私自身を振り返ってみても、子どもの頃の性質と、今の性質と、ほとんど同じだなーと思います。

たとえば、私は、身体はまあまあ大きかったのですが体力がないので、体育は得意でなかったです。大人になってみると、どうやら私は男性ホルモンがとても少ないらしく、トレーニングをしても筋肉がなかなかつきません。こういう体質はかわらないからでしょうね。

勉強は、国語がものすごくできました。文字を通して解釈をすることが得意で、読書スピードも、他の人の倍の早さで読めたと思います。これも今でも同じです。

年齢とともにいろんな経験をして、できることやわかることが増えて、広がったり深まったりしても、中心にある自分の性質は同じだということですね。

そういうふうに、自分を確認していくと、わかりやすいです(^_^)。

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