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2016年12月の5件の記事

2016年12月28日 (水)

怒りでいっぱいのときほど、さらに怒りを刺激することがおこるのは。

自分に関わるものごとは、同じ要素がある事柄が引きあうしくみである、「波長の法則」によって展開していきます。

自分にはまったく要因のない理不尽な事柄が降りかかったように思えることでも、何かしらの共通点があって、それに気づかされる学びであることが多いです。

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|怒りでいっぱいのときは、さらに怒りが引き寄せられる(^_^;)。

多くの人が、経験したことがあると思うのですが、怒りでいっぱいになっているときに限って、・・・その怒りに油を注ぐような出来事に遭遇するものですよね(^_^;)。

不愉快な感情を持ったままでいると、その思いのエネルギーが外へ放たれますので、同じ要素をもつものが引きあって、ますます、不愉快になってしまう状態におかれることがあるものです。

それは、同じ要素を持った人同士が出会うことで、反応してしまうためです。反応があれば、何かしらの事柄が展開します。


|自分に余裕があるときには、怒りが刺激されない。

自分がとても充実して満たされた気分になっているときには、他人が多少のミスをしたり、迷惑となる行動をしたところで、怒りの感情はわきません。愉快ではないとしても、怒りにまではなりにくいものではないでしょうか。

または、相手に許しの気持ちを持てる人も、怒りはわきません。お互い様だと思えば、許すこともできます。

ある目的に向かって、集中して打ち込んでいるときなども、他人に意識がむかないので、多少のことはどうでもよくなります(許しているわけではないが、そのことを重視しなくなる)。

ところが、怒りでいっぱいのときには、他人の些細なミスが許せなくなり、ますます、怒りがわいてきます。

そういうときは、怒りが誘発されるできごとが引き寄せられてくる・・・というよりは、自分が(本来、気にするまでもないことに対しても)怒りの反応を示してしまう、というほうが適切な表現かもしれません。

自分が怒りの感情を持っていると、他人の怒りを刺激することにもなり、そうした相手の反応が、自分に降りかかってきたり、自分の中にある怒りを刺激するというループになります。


|自分の中にあるそれを、見つめてみること。

そのような構図を考えてみれば、相手の態度が悪いからでてくる怒りのようであっても、自分の中にも、それに反応する何かがあるかもしれず、一方的に相手のせいにはできないとわかります。

だからといって、相手に責任がないという意味ではないですよ。

「ものごとが展開する、スピリチュアルなしくみの話」と、「現実として、その事柄が起こった責任はどこにあるかという話」は、主旨が違ってきますから、事実としての責任は、相手にある場合も多いでしょう。

そういうこととは別口で、自分の内側を見つめていくことや、しくみをしることで、以降に役立つこともあるでしょうから、そういう活かし方をしたいものですね。

 

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2016年12月23日 (金)

エネルギーの振動を、体感でキャッチすることの負担。

人は皆、肉体をともなった霊的存在なので、すべての人に霊感が備わっています。

そのあらわれ方は、人により違いがあり、代表的なあらわれとして、「見える」「聞こえる」「感じる」「わかる」などがあります。

そのうちのひとつ「感じる」が優れている方は、何らかの身体感覚を伴って、把握したり受けとめたりすることが得意です。

その一例として、地震などの自然現象を少し前に予感するケースなどがあります。

(こちらの記事にも、くわしく書いています http://spiritual-teaching.com/archives/866

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そのできごとがもつ振動を、前もってキャッチするのですが、これは、エネルギーの振動に酔うようなもので、気分がわるくなる方が多いようです。身体も疲れるけれど、気分的な負担も大きいはずです。

物理的な刺激がないのに、振動だけが自分の内部で起こっているようなものなので、何だかよくわからないのに、ゆれ動いている負担だけが蓄積するからです。

こういうセンスが高い方が、私のクライアントさんにもいらっしゃって、すごく気持ち悪いので辛いとおっしゃいますね。

私自身は、身体感覚での把握は苦手なので(^_^;)、自然現象などについては、そういうわかり方になることはあまりないのですが、ですが、それがどのような感覚で負担になるかはだいたいわかります。

私の場合でいえば、憑依されたときの状態に近いだろうな、と(^_^;)。自分の内部で、自分とは違う波長の振動が起こっていて、それに揺り動かされる負担といったら・・・もう、言葉にできないですから。

実際の地震とか、車に乗っている場合は、物理的な振動で身体ごと揺れますが、そういう刺激がなく、内部のセンサーだけが揺り動かされる違和感というのは、辛いものです。

こうした性質は、生まれ持った要素が大きいので、ゼロにすることはできません。振動をキャッチしてしまうこと自体は変えられず、

どちらかといえば、年齢とともに、体力や気力が下がりますから、揺れに弱くなってしまうものなのです。

改善するとしたら、肉体ベースでの体力を落とさないようにするとか、コンディションを下げないようにして、ストレスを減らす工夫をするとか、安心できる環境を少しでも整えるとか(気持ちの余裕が、クッションになって、それらの揺れを吸収してくれます)、そうした現実的な対処が、効果を出していくようです。

 

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2016年12月13日 (火)

他人に意見したくなる内容は、自分にも当てはまる場合がある。

他人に「もっとこうすべき」「あなたのここはおかしい」というふうに、相手に「それは違う」と、意見したくなることは、「自分自身にもあてはまる」場合があります。

他人に言いたくなることは、実は、自分自身に言いたいことで・・・、言い換えると「(広い意味で自分である)守護霊が、あなたに言いたいこと」という場合があります。

もっとこうすべき、ああするのはおかしい、という、「それ」を自分がしていないか、見つめ直してみることが大切だと思います。

こういうことは、なかなか受け入れがたいものですが、冷静になって考えてみると、自分のイライラの原因は、ほとんど「自分自身の中にある」ものです。

しかし中には「自分はその事柄を乗り越えているから、自分に当てはまることはない。だからこそ、まだ乗り越えていなくて努力もしていない他人にイライラしてしまう」というケースもあります。

そうしたケースは、「乗り越えた自分を認めてほしい気持ち」が関連していることが多いですね。

認めてほしいのだけれども、プライドもあるので、そうした態度はしたくない、そんなことは微塵も思っていなくて、乗り越えていることが普通ですという態度でいたいという矛盾を抱えるときに、他人へのイライラがでてくることがあります。

そういうものが何もなければ、他人の「理想的でないとか、常識的でないとかの言動」があっても、「特に何というわけではない、誰かの言動のひとつ」として、さらりと心を通過していくだけだと思うのです。

それが、心に引っ掛かるなら、反応しているのは、自分の心だということですね。

周囲の人や目に映る事象(に対して、自分が思うこと)はすべて、自分の心の鏡となっていて、私たちにいろんなことを気づかせてくれます。

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2016年12月12日 (月)

受信タイプの特徴、靴がダメになりやすい、床がよごれやすい。

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エネルギーの動き方の特徴として、「発するのが得意な人」と「受けとるのが得意な人」がいます。

これまでの過去の記事内では「発信タイプ」「受信タイプ」という分け方にして、説明しています。

だれもが、エネルギーを発信も受信も両方をしていて、どちらか一方だけを行っているのではありません。その人の性質として、どちらのエネルギーの動きが(生まれもって)大きいかという特徴を示したものとなります。

受信タイプの人は、ひきうけたエネルギーの影響なのか、「靴が傷みやすい」傾向がみられます。「靴下も、すり減るのが早い」かもしれません。

普通に履いているのに、乱暴な扱いをしていないのに、高価な靴でも、作りがしっかりしている靴でも、長持ちしないので困るという声は、このタイプの方には多いのです(^_^;)。

引き受けたエネルギーの出口というのがいくつかあり、それは、発信タイプも受信タイプも同様ですが、受信タイプは、引き受けるエネルギーの量が多いので、排出する量も多くなり(それは、ここでいう「発する」とはちょっと意味合いの違うものです。発する(放つ)のと、排出するのは、別のものとなります)、

足の裏からでるエネルギーが多いため、こうした現象が起こるようです。

そのエネルギー的な影響のためか、「床が汚れやすい」傾向も見られます。足からでたものを、自分がまた踏みしめることにならないように、床掃除をしっかりしておくといいですね。

排出を促すために、身体を動かすこと(というのは、足を動かすことにもなるので)や、ボディーケアや、整体など、「動かす」「伸ばす」「流す」という動作があるものは、この性質の方が、エネルギーを滞らせないために効果的です。

あとは、「いいエネルギーを取り込んでいく」という取り組みも、受けとる力が高い人には向いています。そうして、不要なものを押し出していくための力にすることができます。活力のある、元気な「人」と関わることも、とてもよい作用があります(^_^)。

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2016年12月 7日 (水)

パワーを与える、パワーをひきだす。

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先日、ある商業施設の売り場をあるいていたら、お米のその場で精米してくれるサービスがあって、希望者には精米後にでる「ぬか」も、お持ち返りいただけますということで、袋詰めをなさっている様子を目にしました。

ぬかの袋からは、今まさに作業をしたてというような、エネルギーの(動きがあった、という)躍動感と、そして、ぬかそのものからでている、ほわっと暖かそうなオーラがでているのがわかりました(^_^)。

「動き」というのは、エネルギーをつくります。

お米は自発的には動けないけれども(^_^;)、人の手によって「動きをつける、動きを与える」ことで、(関わる人の)力を載せていったり、(お米が内包している)力を引き出したりするのだと思われます。

一時的に止まっていたものが、刺激を与えられて、再びエネルギー的な活動をはじめたかのようで、その「ぬか」のオーラに癒されましたね。・・・離れたところから、見ていただけでえすけれどね(^_^;)笑。

動きは、刺激になります。それらはすべて、エネルギーとしての「振動」があり、活気をあたえることになります。

これを人に置き換えると、動きという振動を自分に与えること、つまり行動をすることは、とても大切なことなのだとわかります。

行動や運動は、身体への振動

感動することは、心への振動

それらが作用して、振動そのものがパワーを与えてくれたり、自分に内包しているものを、揺り動かして活気を与えてくれたりするしくみです。

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