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2016年10月22日 (土)

たましいが成熟している人は、苦労が多い?

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スピリチュアルな観点からみて、「たましいの成熟度が高い人」という解釈があります。

人として、霊としての「器」が大きく、格があるとでもいえばいいのでしょうか、なんども生まれ変わって培った、経験に基づいた叡智が備わっているような人ですね。

私たちが生きているこの世とは、「学ぼうとするたましいが、肉体をもった人としての経験をする」ための、たましいの学校のような場所です。

学びの課題は、生まれる前から備えている要素と、生まれてからの実際の経験で起こる(事前には決まっていない)ものとの兼ね合いで、その人のもつ「器」の大きさや深さに見合ったものが与えられます。

与えるといっても、自分以外の誰かが、それを決めたり整えてくれたりするという意味ではありません。

霊的なしくみとして、そうなるように組み込まれていくというか、自分の霊的な部分が、そうするように向かっていくのだけれども、人としての表面的な意識では、私たちはそれを自覚したり感知したりできません。自分からそのように向かっているという意識にはなれませんから、「与えられている」という表現を使ってあらわしています。

(が、実際には、自分以外の誰かが、それを決めたり調整したりしているということではないです。霊的な「しくみ」として、そうなっているし、そうなっていくのです)。

たましいが成熟していると、苦労が多い?

器が大きくなると、学びの難易度があがることが考えられますよね。中学生の教科書が、小学生のそれより難しいのと同じように。

たましいが成熟していくほど、学びの課題がハイレベルになるということもありますし、経験から培った叡智を、「あらわすことで学ぶ」ようになります(自分に培うことではなく)。

そのため、自分のことだけに留まらず、他人のために尽力しなければならない場面に押し出されていき、人を率いる立場になったり、成長を助けるような役割につくことが多くなります。

ものごとは関わる人数が多くなるほど、思い通りにいかなくなりますから、自分以外の誰かのために動くことは、思い通りになりにくい道へと進んでいることでもありますので、苦労は多くなりますよね(^_^;)

そういう意味で、苦労は多くなる・・・とも言えますが、しかし同じものごとに対する、受けとめの度合いは、人によって違います。同じことを大変だと思う人も、そんなに思わない人もいますから、「苦労が多い」という定義をどこでつけるかという点も簡単にはいきません。

人生において、誰もが苦労はするもの

この世で生きるという経験は、誰にとっても大変なことです。

それぞれの器に見合った学びがきますから、器が小さいほど、学びが簡単だから得するということにはなりません。同様に、器が大きいから学びを楽々クリアできるということもありません。器から計算した比率でいえば、大変さはそんなに変わらないものです

違いがあるとしたら、器が大きいひとは「そのこと」をわかっていますね。

だから、自分だけがこんなに苦労して大変だとは思わず、「自分もこんなに大変なのだから、他の人もまた、その人の状況においては大変なことがあるのだろう」という考え方をします。他人や世の中に対しても、否定的なとらえ方をしないので、批判的にもなりません。

しかし、器が小さい人は、「自分だけが、こんなに苦労している」という考え方になりやすいです。そこはやはり、経験値の少なさで、比較対象もまた少ないために、他者からみたらこうだろうという考え方になれないためです。

備えている器の中での理解であり、その中での学びですから、主観的な大変さは、誰もがそんなに変わらなく(皆が大変だということ)、

器の大きさを考慮せずに、抱えている事柄を同列に並べて比較すれば、器の大きいひとほど大変であるとは言えるけれど、・・・そういう比べ方にはあまり意味がないような気もします(^_^;)。

誰もが、与えられた学びに向かうということ。

この世は学びの場所で、皆がそれぞれの「たましいの学び」に挑むようになっています。与えられた、と書いているけれども、ここまでの中で説明したように、それはたましいが求めるしくみになっていて、自分以外の誰かが、それを指示しているようなこととは違います。

自分が、成長のために求めた学びに、それぞれが挑んでいるんですね。

学校の教科書という「同じ題材」ですら、解釈の仕方は人によりバラツキがでるのだから、個別の学びとなれば、それはもう、人の数だけ受け止め方があるので、苦労の度合いも、多いとか少ないとかは、本来は決められないものなのです。

そうやって、受けとめていき、課題をひとつひとつ越えていく、または、越えられないもの(そういう種類のものもある)はそのままにして、「この人生という旅路を進んでいく」ということが一番の学びです。難しくて苦労もあるけれども、楽しみもありますよ、少しは笑。

苦労があるからこそ、(比較することで)楽しみというものが認識されます。この世はそうして比較することで、両方の要素を学ぶ場所だということです。苦労があるということは、楽しみを得られる世界でもあるのだという証拠なんですね。

・・・というふうに受けとめていけば、実はこの世は楽しみがたくさんある世界です。苦労が多いといっても、苦労にばかりフォーカスしなければ、いろんなものが得られるんですよね(*^_^*)。

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09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

リカコ様
とても読み応えがあったので、思わず初めてのコメントです。
ささやかでも楽しいと認識できることがあれば、
そこに意識を向けよう!と思いました。

器の大きさというのは、現在の人生では変わらないのですね。
その大きさでこの人生を終えてから、では次の人生では。
頑張ったからこの前よりもちょっと大きな器で、となるのでしょうか。

今後はもっと、私にとって大変なことに立ち向かえるように、
私にとって楽しいことを楽しみます!

投稿: YO | 2016年10月22日 (土) 14時30分

YOさま

現在の人生も、同時進行ですから影響しますよ。記事内のとおり、生まれる前の先天的なもの(備えてきたもの)と、今回の人生で培う後天的なものとの兼ね合いですので(^_^)。

たましいの成熟度というのは、人としての器、人としての格ですから、それは、今回の人生でも例えば数年前と今とでは、違っているものではないでしょうか。スピリチュアルなこととは、特別なものではなくて、日常と重なっているものですからね☆

投稿: リカコ | 2016年10月23日 (日) 00時19分

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