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2015年11月の16件の記事

2015年11月27日 (金)

霊感を、意図的に行使する場合の再現性。

霊的なセンスが平均よりも高く、直感的に何かが分かることがあるとか、相手の状態を把握できることがある方が、「そのセンスをいかして、鑑定業などの仕事をすることができるか」という点について。

仕事としてやっていくには、「一定の再現性があること」が必要になると思います。

たとえば、ラーメン屋さんやカレー屋さんがお店として成り立つためには、ほぼ毎回同じ味を作ることが必要ですよね。お店にいくたびに味が違って、できあがりの差が大きいとなったらお客さんの支持は得られません(^^;)。

そうした形のある「物」をつかって再現するスキルと、形のないものを媒介するセンスは同じにはいきませんが・・・、どうしても後者のほうが、一定にさせにくく、どうしてもばらつきはありますし、お客さんとの相性なども大きく関わるけれども、

完全はないというのは誰もが同じで、その中で、一定以上の再現性があることが、最低限の基準じゃないでしょうかね。

こうなれば可能とか、こうなれば不可能という明確な基準はないので、最終的には自分の判断となります。私自身も、自分の判断と自分の責任でこの仕事を続けています。・・・気づけば、あっという間に7年くらいも経ってしまいました(^^;)。




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2015年11月26日 (木)

使わずに内に留めると、「重さ」が生じて否定的になる。

感情のエネルギーというのは、大元は同じエネルギーです。

内容が「怒り」であっても、「不満」であっても、「喜び」であっても、「高揚感」であっても、エネルギーとしては隔たりのないひとつのものです。

エネルギーには、作用を起こす力があります。それがうまく働かずに、使われないまま留まると「重さ」が生じます。

たとえば水洗いをするとき、水をためてあらうより、流水で洗うほうが、水は清さが保たれますよね。動きがあるほうが、常に入れ替わりがあるのでフレッシュさが保たれます。

使われずに留まる「感情」にも、同じ仕組みによって特有の重さが生じます。そうなると、感情が使われる際に、「重い発揮のされ方」となって、否定的になってしまうのです。破壊的になったり悲観的になったりします。

日ごろから適度に感情エネルギーが使われていれば(動きがついていることになり、留まっている重さが生じにくいので)、否定的にばかりなることはなく、肯定的な発揮もされやすくなります。

怒りや不満という否定的なエネルギーが心の中にたまっているときに、それを、「不満を爆発させる」とか「怒りを(覚える対象者に)ぶつける」ことでしか、たまっているものが解消されない、と思いこんでいる方がいます(^^;)。

ですが、もとは「ひとつのエネルギー」です。「感情というエネルギーを常にうごかしておかないから、重くなって、そうなる」のであり、「動かしていれば、重さは生じず、そうはならない」のです。

明るくて肯定的な性格の人は、否定的な言動をとらないのは、「否定的な感情を抱かないから」・・・ではなく、「感情というエネルギーを、日頃から発揮して動かしているので、内側で留まることによる重さが生じにくく、否定的な発揮にならない(肯定的にエネルギーを使える)」ということです。

不満な感情があるとして、それを解消するための方法は「不満な感情を抱かないこと」ではなく、「感情というエネルギーを使わないまま内に留めている」状態に気づき、日頃から使っていくことなのです。

不満は、最初から不満というエネルギーだったのではないんですね。感情という共通エネルギーを、不満に「してしまっている」のは、使わずにとどめている自分自身です。

喜怒哀楽の「もと」は同じなのです。ならば、ほどよく、いろんな方向につかって動かしていけばいいんですよね。




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2015年11月25日 (水)

スピリチュアル的に、美容整形は「あり」か「なし」かという質問。

「スピリチュアル的に、美容整形はやってもいいことなのか」という質問を、いただいたことがあります。

(一般論としての質問で、個人的な相談ではないです。ここでの回答もまた、一般論としての全体的なものをさします)

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すべてに言えますが、こうしてはいけない、こうすべきという○×はないし、霊が人間のことにあれこれ口出しをすることがスピリチュアルではないので(^^;)、美容整形についても同じで、スピリチュアル的な解釈としてはこうです、というような一律の見解や定義はありません。

それぞれのご相談者さまの守護霊さんが、個別に(その人だけに当てはまることとして)何かの見解を伝えてくることはあるかもしれませんが、そういうことと、この質問への回答とは別となります。

以前に私の知っている方が、60代になって目の整形をなさいました。多分プチ整形?とかいわれるもので大変化ではないけれども、そのくらいの年齢になって急に目がぱっちりしすぎたら、以前との違いがありすぎて、やはり皆が気づいてしまいます。で、周囲のどなたかが、ご主人に「整形したのか」と聞いたそうです。

ご主人は、「うちのやつは内向的で、外で人付き合いをする楽しみをもてないし、体も強いほうではないから、やりたいということがあれば何でも反対しないでやらせてあげることにしている」とお答えになったそうです。

それは家族の「優しさ」ですよね。本人がやりたくて、ご主人もそれでいいと言っているのならば、家族内では了解事項であって、他人の見解は「その人個人の意見」であって、それが仮にすり合わないとしても、すりあわせる必要のないそれぞれの違いがあること、だと思うのです。

別のケースで、整形とは違うかもしれませんが、50代後半くらいの女性が、全身脱毛をするとのことで、目的は「将来の介護に備える」のだという話を耳にしました。昔からとても体毛が濃くて、このままでは自分が介護される側になったときに、何かとひと手間多く掛けてしまうことになるかもしれないので、今のうちにやっておくのだと。話によれば、体毛の色が薄くなって白髪になると脱毛はやりにくくなる?そうで、今のうちにやっておくのだと。

私は体毛がすごく薄い体質なので(男性ホルモンが少ないので、筋肉もぜんぜんつかなく困っております(^^;))まったく自分的には想像をしたことがない理由でしたが、なるほど、そういうこともあるんだな、と、学ばされた思いがしました。聞けば、同様の目的で全身脱毛をなさる方は少なくないとか。

もっと単純な、完全な美容目的の整形だって、本人には深い悩みかもしれず、やはり一律の「○○べき」は当てはまらないと思うのです。

悩みが深いなら何でもやっていい、ということではないけれど・・・、ケースバイケースであり、答えは「自分」にしか出せないと思います。その本人という意味でも、第三者が解釈する場合でも、その人がその人自身の答えを出すだけですね。

「人の数だけ事情があり、一律の見解はなく、○も×もなく、正しいも間違いもない」中で、自分がいかにして自分の人生の選択を重ねていくかが大事なので、自分なりの答えを出していくことですよね、そしてその答えは、人生を重ねていく成長の中で、変化していくことも当然ありで、一定していなくても「それでいい」と思います。「そういうもの」ですから(^^)。




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2015年11月24日 (火)

感じやすいのは、ポジティブよりもネガティブのほう。

感じる力をつかって把握をする際に、「感じやすい」のは「ネガティブで低いエネルギー」のいほうです。なぜならそれらは「重い」からです。

物理的に、ふわっとした軽いものを持つよりも、ずっしりくる重いものを持つほうが、印象として大きいように、エネルギーをキャッチする身体感覚もまた、重いもののほうが「わかりやすい」のです。

ポジティブで波長の高いエネルギーは振動に「軽さ」があります。密度が詰まっているような「早さ」があるのだけれども、それはとっても「軽さ」のある微細なエネルギーで、その分、この世という重い物質世界においては、とても感じにくいエネルギーです。

この世という場所において、ポジティブなものを感じたり、そちらに目を向けていけたりするのは、実は「すごいこと」で「結構、難しいこと」なのです。

物質世界では、重さのあるもののほうに引きずられやすいですから、その中で、軽い波長のほうをキャッチできたり、そちらに意識的になろうと努力する人は「ポジティブな人」なんだろうな、と思います(^^)。




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2015年11月21日 (土)

感情を悪者にしていませんか。

なぜだか感情はとかく悪者にされがちで・・・、感情を理性で抑えてしまうことが「正しいこと」のような「誤解」がなされているケースが多いようです(^^;)。

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けれど、感情を抑えれば、ものごとが今よりうまくいくか・・・といえば、そうではないと思うのです。

たとえば、人付き合いが好きではなくても、表面的な人付き合いをすることはできます。人付き合いを心底楽しまなければならない、という思い込みから離れれば、そうしてわりきって「行動すること」は可能です。

自信がなくても、行動して成果を出すことは可能です。自信があることと、「成果を上げること」にはそんなに関連性がないからです(自信があっても、成果が上がらないことだってありますよね)。

感情はそのままあってよく、別のことと「必要以上に絡めて考え過ぎになっていること」を変えてみてください。そのほうがずっと簡単ではないでしょうか。難しく、複雑にとらえすぎていることに気づいて「そこ」を変えてみましょう。




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2015年11月18日 (水)

思考なのか、霊聴なのか。

思考の際に、頭の中で「音声に起こすようにして思考をする」タイプの方がいます。

つまり頭の中で、他人に聞かせる会話をしているかのように「えっと、まずはAの件を先にやったとして、次の準備があるからBに行けるのはいつになるかなぁー」というような、「会話風?」まはた「独り言風?」の文章化をする思考スタイルです。

ときどき「自分は、他人の考えていることが聞こえる能力がある」「他人の思いがわかる」という方からご相談をいただきますが、・・・それは実際に聞こえている場合もあれば、思い込みもあります(^^;)。

思い込みをしてしまう方のほとんどは、こうした「頭の中で音声に起こす思考をするタイプ」です。「自分が、会話風に思考したこと」を「外から、聞こえたこと」のように認識してしまいやすいからです。

たとえば「苦手な人と接して疲れたときに、頭の中に『あの人が自分のオーラを奪ったからこうなった。オーラを取られた』と聞こえた」として、

「あの人のせいで、自分が疲れて損をした」という思考を、頭の中で音声風に「自分がしている」だけで、外からの誰かのささやきが聞こえたわけではないし、事実が聞こえたわけでもない、というケースも少なくないです。

頭の中で音声に起こす思考は、その文章を「聞いている感覚に近い」ために、こうして認識がすり替わってしまうことがあるんですよね。

もちろん実際に、霊聴として事実が聞こえたり、他人の感情が聞こえたりするケースもありますし、そういうセンスをもった方もいますので「聞こえる人」の全部がそうだということではないですよ。中には上記のようなケースもある、ということです。




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2015年11月17日 (火)

知り合いの方に、オーラの見方を教えたら。

ある方に、月に何度か合う機会が続いていて、ときどきオーラの話をしたり、オーラの見方を軽く教えたりしているうちに、だんだんとコツをつかまれたようで、「植物のオーラ」と「動物のオーラ」が少し見えるようになったそうです。

最初は「まったくわからない」とおっしゃっていましたが、今では「普通に見える」と。

「見えやすい条件下」で「見えやすい対象」についてお伝えしたので、見えるようになったことは私にとって想定内でした。

ただし見えているのは、ほんの少し。物の周囲にある一番わかりやすいオーラの層のみで、それぞれの個別の特徴や違いなどを見分けることは、今のところはできません。今後はわかりませんが・・・。

というより、植物や動物だと、個別の違いが(たとえば人のオーラのようには)顕著ではないので「見分け」はしにくいですね。単純に、どこの層でもいいからまずは見えるように、というならば、違いが大きくない分、視界にとらえやすいのですが。

興味のある方に。見えるためのコツ&ヒントを言うと、最初の最初は、対象が「静止物」のほうが焦点をあわせやすいです。

しかし次の段階、最初の中くらい?になってくると、むしろ少し動いてくれているほうが、他との違いとか動きによるオーラの変化(という差異)をとらえやすいので、そちらのほうが見えやすくなることが多いです。激しい動きをする対象だと・・・もうまったくわかりにくいですね(^^;)、オーラはとても微細なエネルギーですから、焦点の合わせ方が難しくなってしまいます。




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2015年11月16日 (月)

自分の親への(解消していない)感情が、義両親への感情にすり替わることがあります。

ひとつ前の記事の、続きです。

姑さんの発言や行動を、うまく受け流せない人の中には、「自分の親との関係があまりうまくいっていない」ケースが少なからず見られます。

姑さんに抱いた不満の感情(と、自分が思っている)の内訳を見ると、本当は、姑さんに対する思いは半分もなく、大部分は自分の親に対する「過去の自分が抱いた感情」なんですよね。

子どもの頃や思春期の、自分の親に対する不満の思いが解消されないまま心の中に残っていて、姑さんへの怒りや恨みに重なってひとつになってしまい、ちょっとしたことにまで自分の感情が大きく反応してしまうのです。

そうなると、姑さんの言動を必要以上に言動を悪くとって不満になります。

最初から「あと少しであふれそうなくらいに、水がいっぱいのコップ」状態だと、ほんの少しの上乗せがくれば限界を超えますよね。けれど大元の原因は、上乗せ分ではなく、最初からいっぱいになっていたコップだったことに(も)あります。

そのことに気づくのも、認めるのも本当に苦しいけれど、気づかないままコップに水がいっぱいの状態もまた別の意味で苦しいと思います。

子どもの頃や思春期に、自分の親の言動や自分の扱われ方に不満があっても、どう表現したらいいのかわからないものです。比較対象がないし、社会性も十分ではないですからね。(今の大人の感覚で振り返ればわかることも、子どもの頃は客観視ができませんからね)

そして、怒りや不満があっても、嫌いというわけではなく身内としての情はありますから、「親は普通で、自分が至らないからこうなるのだろうか?」と悩んでしまったりして、表現しないままの感情が心の中に蓄積していきます。

大人になって人と触れる機会が増えると、比較対象がでてきて、いろんなことを振り返って理解できるようになります。それを表現できるだけの社会性も身についています。そうなると、以前のように「蓄積したまま」にはならず、それを外に出して解消する(こともできる、という)選択肢が増えます。

自分の親に不満を抱くことには罪悪感があるし、不満があっても嫌いというわけではないので複雑ないろいろがありますが、その点、義理の親なら他人ですから、遠慮なく怒りと不満を抱いて嫌いになることができるので(^^;)、そこで過去の思いが全部、義理の親への不満(と、自分は思っている)という形をとって外にあふれてしまい、実際以上に大きな姑への不満が作られてしまうこともあるんですよね。

すべてが上記に該当するわけではないですが、「こうしたケースもある」ので、自分の心の中にある「コップの水」が影響している「かもしれない」ということを踏まえて、実際に姑さんが過干渉をしてきたとしても(^^;)ちょっと割り引いてとらえていくことも大事なのかな、と思います。




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2015年11月14日 (土)

自信をつけなくても、成果を出すことはできるはず。

「自信」がある、またはないことと、「その事柄の成果を出すこと」を、混同させずに分けた認識をすることは大切です。

なぜなら、その二つは、思っているほどの繋がりをもたないからです。

わかりやすさのために、別の話にたとえますが、好きであること(や、または嫌いであること)と、「その事柄を、こなしていくこと」も別のことになります。

私は、人付き合いがあまり好きでない非社交的な性格ですが(^^;)、人間関係をそれなりにうまくやっていくことは、普通にやれてしまいます。好きか、そうでないかと、その事柄をこなすことは、実はそんなに関連性はないから可能です。

「自信」と「成果」も、構図としては上記のたとえと同じです。自信があるか、ないかと、その事柄の成果を出すことができるかどうかは、あまり関連性がないんですよね。

自信があっても、本人が思うほどの評価にならなかったり、成果に結びつかなかったりすることはたくさんありますし、自信がなくても成果を出すことは可能です。

「今は自信がないけれど、これから努力して自信を持てたら、ものごとがうまくいくようになるよね」という考え方を、意外と多くの方が「してしまっている」ように思います。

自信があれば行動を起こしやすいことは確かですが、自信があれば成果を出しやすいとは、必ずしもならないです。

自信をもつことが不要だというのではないですよ、「何のためにそうするのか」を考えたうえで必要ならばそれを選ぶほうがいいということです。

自分は自信がないと行動できないから自信をつけたい、というのなら「行動のために」それでもいいと思いますが、「成果をだすため」ならば、自信のあるなしではなく「どうやったら成果を出せるか?」という点について、具体性をもった考え方をするほうが有意義だと思います。

「成果を出すために、まずは自信をつけようというプロセスを設けること」は、ときに遠回りになってしまうこともあるので、よく考えてみてください、何のためにそうするのか、ということを。

得たいことは「自信」なのか「成果」なのか、どちらが優先するのか、頭の中を整理してみてください(^^)




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ご感想|2016年のリーディング。

以下は、TKさんからいただいたリーディングのご感想メールから、一部分を抜き出したものとなります。

ご利用いただき、ありがとうございました(^^)。

ありがとうございます! ボリュームたっぷりですね。とても読み応えがありました。

とても不思議なことに、2016年のリーディングなのに、多くの部分が、今、私が経験したり、感じたりしていることでした。まるで今の私へのメッセージのようでした。

リカコさんに最初にリーディングをしていただいてから、もう3年たちますが、アドバイスのおかげで、私は、ずいぶん私自身を発見、認識することができるようになりました。他の人より出来ていることをきちんと把握することで、コミュニケーション力が格段にあがったようです。

2016年のリーディングもよく読んで、人生に生かしていきたいと思います。

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2015年11月13日 (金)

「人のため」を、教わりました。

あるとき知人と話していて「さっきそこの交差点で、車椅子の男性がすごい上半身がマッチョで、絶対に車椅子スポーツとかをやっている人だと思う。専門的な鍛え方をしないとあそこまで体が発達しないというようなすごい体型だった」という会話になりました。

ものすごく鍛えられた体型だったそうで、話をしている知人は興奮気味でした(^^;)。

その話を聞いていると、その男性のことだと思われる情報が少しだけテレパシー的に伝わってきました。

その人は「家族のために、やっている」と。

本人がやりたいとか、生きがいとかだけでなく、頑張っている姿を家族に見せたいとか、自分はこうしてスポーツに打ち込んでいるから大丈夫だよと、安心させるために、そうして頑張っていらっしゃる(面もある)ということかな、と推察しました。

そういうことが少し伝わってきて・・・、私は涙が出そうになりました。

知人がいたのでこらえましたが、ひとりであれば泣いていたかもしれません。

すごいな。ご苦労もたくさんあるだろうに、その人は「家族のため」に身体を鍛えてスポーツをしている。きっと、自分は凹んでいないぞと示して(同じように、ご苦労もたくさんしているであろう)家族を励ましたいとか、感謝を表したいとかの思いがあるんだろうな・・・と。

「人のため」って、「こういうこと」なんだろうなと、深く納得して、そして感動しました。

このことについて、もっと詳しく解説することもできるけれども、しかし、これ以上に何をどう書いても蛇足になりそうなので、ここまでとしておきます。

このことは、少し前の話になります。いつかブログに書きたいと思っていましたが、うまく文章に現すことができないままとなっていました。

が、「うまく文章にしなくてもそのままでいいんだ」という気持ちになぜか今そうなりまして、ここが書くタイミングなのだろうと思い、真夜中に作業をしております(^^;)。




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2015年11月10日 (火)

ご感想|メール回答。

以下は、OSさんからいただいたリーディングのご感想メールから、一部分を抜き出したものとなります。

ご利用いただき、ありがとうございました(^^)。

「いつでも柔軟に自由にうごけるように、 固定されない状態でいたい」という 気持ちが強い。~ これは相談と少し別の部分でも よく考えている事のひとつで 気づいていない部分で驚きました。

過去の行動もそれから来ていたものが 沢山あったとおもいます。 しばられたくないから深入りしない 癖があるのに、何か活動してる人などを見て羨ましかったり 飛び込んでみるのに急に尻込みしたり。ポリシーがないと言われては ちょっと嫌な気分になったりもしたり。

気持ちと矛盾した行動を していたかもしれたせん… でも、 なんだ自由でいたくて、しばられないように 自分からしていただけだったのか(笑)と、 ハッとしました。

4日のブログも読ませていただきました、不安定さはもともとあるもの、として そこに引っ張られないようにしていけると 良いな、と思いました。 ひとつの軸として こうなりたい、と思える人を見つけるのも 大事なことなんですね(^-^:) わかりやすかったです。

ありがとうございました。

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2015年11月 7日 (土)

「何年もの」の種まきと育成が得意ですか。

昨日の続きです。

私は、中長期的な考え方で動いていくのが得意なほうです。そのため、種をまいて育てている作業そのものが習慣化されて(それはいいのだけれども)惰性になりやすく、「収穫することを忘れてしまう」ところがあります(^^;)。

育てる作業が目的になって、その先の収穫というメリットが得られることをつい忘れてしまうんですよね。リンゴを食べようと育てているはずなのに、木が大きく育っていくことやたくさんの実をつけることで満足してしまい、それを収穫して食べることに意識がいかなくなります。

作業ばかり増えて忙しいわりには何も得られていなくて、自分が消耗する一方となりがちです。「それも性分だし。悪くないよねと」心のどこかで実は思ってしまっているので、なおさら、それを正そうという気持ちにならずいつもバタバタ忙しいです。収穫ありきで考えるならば、私がやっていることの大部分は「無駄な動き」かもしれません笑。

皆さんはいかがですか。「何年もの」の育成が得意なタイプですか?

そして、その得意なやり方で、ちゃんと実りを得られていますか?

そういう観点からも、自分のやり方を見つめ直しましょう。




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2015年11月 6日 (金)

種をまいてから、実りを得られるまで。

種をまいてから、実りを得られるようになるまでの期間が、長いものもあれば短いものもあります。

たとえば、「ゆり根」は、出荷するまでに3年くらいも掛かるそうです。ゆり根の産地はほとんどが北海道ですが、・・・なぜか北海道ではあまり食べない食材で、ほとんど関西に出荷されるそうです。それはさておき、笑。

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種をまいてから収穫までに半年以上掛かるものもあれば、2~3ヶ月のものもあれば、もっと短いものもあります。以前に、スプラウトを育てたことがありますが、1週間くらいであっという間にもじゃもじゃーに成長してくれました(^^)。

種をまいてから実りまでが短い期間ですむものは、成果がわかりやすいのでそちらにばかり目が向くけれども、「短期、中期、長期」を組み合わせていくのが本当は望ましいと思います。

短期ばかりでは、ずっと自転車操業的に余裕がうまれず、やり続けなければ得られないというパターンが創り出されます。手を休めるとその瞬間に実りがとぎれてしまうことになり、気持ちの上でも焦りが生まれます。

自分がまいている種は「何年もの」なのか、短期と中長期的なものの両方を見据えているか、短期ばかりとなって刈り取りにおわれることになっていないか等、ときどき考えてみることも大切ですよね。




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2015年11月 4日 (水)

不安感に押しつぶされそうになったら。受け止め方を変えてみましょう。

不安感を、何らかの方法で「薄れさせる」ことはできても、完全に除くことはできません。

そして「不安を引き起こす原因を解決する」ことも、幾らかの効果はあるけれども、根本な不安感そのものの解決にはなりません。

不安を引き起こす原因(たとえば仕事が心配だとか、人間関係が心配だとかの)と自分が思っていることのほとんどは、単にそれが表面化する「きっかけ」にすぎず、本当の原因はもっと深いところにある根源的なものだからです。

セッションでも、ご相談者さまの(表面的な)不安の原因を特定していき、ひとつひとつ解説して理解していただくというプロセスをとることはあるけれど、それはそのようにしても根源的な恐れはゼロになりませんよという点まで理解をしていただく「前ふり」のようなもので、 表面的な事柄を解決していっても、一時的な不安感のリセットにはなっても、長い目でみれば根本的な解決にはなりません。

(そのようにわかった上で、あえてとっているプロセスということです。解決して除くためではなく)

仕事が心配だから、上司との関係がうまくいかないからというのは、表面的な見せかけの原因であって、本当はもともと「先に不安感が存在している」のです。導火線はきっかけ、実際に燃える物質は別にある(導火線と火薬はイコールでない)のと同じような構図です。

不安感というものが、私たちには先に備わっていて、直面するいろんな出来事によってそれが「反応している」だけなのです。

では不安感とは何かというと、私たちが生まれたときから備わっている、この世で肉体をもって生きることの不安定感です。

この「有限の世界」を生きることは、たましいにとってはストレスの掛かる不安定なことです。時間という限りのある中を過ごしていくのですから、プレッシャーも掛かります。いろんな刺激がときに不安定感をかき立てるのです。

つまりこれは、生きている限りゼロにすることはできません。逆にいえば、こうした感覚をもっていることが「私たちがこの世をリアルタイムで生きている証し」でもあります。

こういう気持ちも含めて、私たちが「この世で経験する学びである」と受けとめて、前に歩いていくことが大事だと、私はそう思っています。

不安感が、自分の存在や意義を脅かすものだととらえれば、とても恐ろしくなりますが、これがあるからこそ、私たちはこうしてこの世を学んでいられるんだと思えば、受け止め方も変わりますよね。

不安感が、自分の外側から(他人に攻撃されることで)降りかかってくると思うから「押しつぶされそう」になるのであり、それは実は「自分の内側に存在している根源的なものだ」とわかれば、受け止め方が少しだけ変わっていくと思うのです。

反応を引き起こす「きっかけ」となるものは確かに外側からくるのだけれども、それに反応しているのは内側にあり、それは完全に除くことはできません。そして、除かなければいけないことでもありません。むしろ、それが内にあることが重さとなって、私たちはこの地上に留まっていられます。

けれど、不安定感を感じたくないという思いは自然なことです。できるなら穏やかに過ごしたいのは当然なので、そうした思いをもつこともまた否定する必要はありません。

ゼロにすることはできないという前提の上で、反応の仕方を緩やかにすることや、きっかけの刺激が少ない場所を選ぶことはできますから、そちらに取り組むのは効果的だと思います。

でもまた、何か別のきっかけで、思わぬ形の反応が引きおこされることはあり得ます。ここは、しっかり理解していただきたいです。

そうなったときに多くの人は、「なぜまたこうなったのだろう」「自分は、いつまでも変わってない」と、がっかりしたり自分を責めたり否定したりするけれど、「それは、普通」のことです。自分を責めるようなことではないし、ましてや他人から責められることでもありません。

長い人生のうちで、比較的変化の少ない安定している時期もあれば、変化の振り幅が大きい時期をすごすこともあります。自分の体調や精神面の上下も一定ではありません。そうした要素の兼ね合いで、比較的落ち着いていられるときもあれば、不安感が大きくなるときもあるという差がうまれるけれど、それは「なおった」のではなく「なおったはずなのに、なおってなかった」というものでもない、そうした揺らぎの幅をもつ「そういうもの」なのです。

たとえば、好きな食べ物は何回たべてもおいしくて、刺激になれて普通になることはあまりないですよね(一時的に飽きることはあっても)。ケーキが好きな人は、何回たべてもおいしいと感じるはずです。半年後でも、一年後でも。反応ってそういうものですよね。

私はポテチが大好きで、(あまり食べないようにしているけれど(^^;))きっとこの先、何万回食べてもおいしいと思うはずで、それはおそらく変わりません。

同じように、恐れや不安感が引き起こされること(もある、という可能性)も、ずっと変わらない、自分の反応の仕方であり、私たち人間が生まれもっている仕組みでもあるのです。(度合いは人により違いますが)

ものごとに、「良い」と「悪い」があって、悪いことをなおしつづけて良くなることがゴールで正しいと思ってしまうと、そうした自分や他人を責めまくって「現状を受け入れない状態」を延々と続けることになってしまいます。

ものごとに良いも悪いもない、(それは単なる便宜上の定義にすぎない)、いろんな不安定さも含めて全部が自分であり、世界であり、生きることである、と思っていけば、こうした経験から得られるものが変わってきます。

何を得るかはそれぞれ違うから一概には言えないけれども、少なくとも、現状を受け入れない状態では見えてこないものが見えてくる、とはいえるんじゃないかな、と(^^)。

不安感に対する受け止め方を、少しだけ変えられたら、その繰り返しで、少しずつ楽になれる部分はでてきますよ。それは不安感が無くなるのではなく、解消されるのでもなく、理解することで「必要以上に不安感を悪いものと受けとめなくなって、受け入れられる」という感じでしょうか。

こういうことも含めて、生きるってことなんだな、という考え方ができるようになります。




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2015年11月 3日 (火)

うまく結果を出している人を観察する。

他人がとってもうまく結果を出しているときに、「コツを教えてほしい」とたずねても「特に何もしていないよ」と言われてしまうことがありますよね。

その回答には主に3つのケースがあります。

(1)コツを教えたくないから、そう回答することで逃れている。

(2)方法を説明すると、「私はこんなに頑張っているからできているの」と頑張りアピールをすることになってしまいそうなので、誤解を避けるためにあえて言わないようにしている。

(3)本当に特別なことはしていない(と、本人は思っている)

実際、何もしていないのに自然にうまくいくことはレアケースで、何かをしているから結果がでているのですが、その人にとって普通で自然なことは「何かをしている自覚がない」ので聞かれても説明ができません。

そのため、意外と(3)の理由から「何もしていない」という回答がくるケースは多いです。

岡目八目という言葉がありますね。「当事者より第三者のほうが、冷静に判断できるので、八手先までも読める」という囲碁からのことわざです。

そういうふうな意識で見ていく(この人の何が作用してこの結果に結びついているのだろう、という視点で眺めてみる)と、本人よりもその構図がよくわかる場合もあるものです。

相手の様子を観察して、自分なりの分析をしてみることもよい方法です。




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