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2015年11月の5件の記事

2015年11月27日 (金)

霊感を、意図的に行使する場合の再現性。

霊的なセンスが平均よりも高く、直感的に何かが分かることがあるとか、相手の状態を把握できることがある方が、「そのセンスをいかして、鑑定業などの仕事をすることができるか」という点について。

仕事としてやっていくには、「一定の再現性があること」が必要になると思います。

たとえば、ラーメン屋さんやカレー屋さんがお店として成り立つためには、ほぼ毎回同じ味を作ることが必要ですよね。お店にいくたびに味が違って、できあがりの差が大きいとなったらお客さんの支持は得られません(^^;)。

そうした形のある「物」をつかって再現するスキルと、形のないものを媒介するセンスは同じにはいきませんが・・・、どうしても後者のほうが、一定にさせにくく、どうしてもばらつきはありますし、お客さんとの相性なども大きく関わるけれども、

完全はないというのは誰もが同じで、その中で、一定以上の再現性があることが、最低限の基準じゃないでしょうかね。

こうなれば可能とか、こうなれば不可能という明確な基準はないので、最終的には自分の判断となります。私自身も、自分の判断と自分の責任でこの仕事を続けています。・・・気づけば、あっという間に7年くらいも経ってしまいました(^^;)。




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2015年11月18日 (水)

思考なのか、霊聴なのか。

思考の際に、頭の中で「音声に起こすようにして思考をする」タイプの方がいます。

つまり頭の中で、他人に聞かせる会話をしているかのように「えっと、まずはAの件を先にやったとして、次の準備があるからBに行けるのはいつになるかなぁー」というような、「会話風?」まはた「独り言風?」の文章化をする思考スタイルです。

ときどき「自分は、他人の考えていることが聞こえる能力がある」「他人の思いがわかる」という方からご相談をいただきますが、・・・それは実際に聞こえている場合もあれば、思い込みもあります(^^;)。

思い込みをしてしまう方のほとんどは、こうした「頭の中で音声に起こす思考をするタイプ」です。「自分が、会話風に思考したこと」を「外から、聞こえたこと」のように認識してしまいやすいからです。

たとえば「苦手な人と接して疲れたときに、頭の中に『あの人が自分のオーラを奪ったからこうなった。オーラを取られた』と聞こえた」として、

「あの人のせいで、自分が疲れて損をした」という思考を、頭の中で音声風に「自分がしている」だけで、外からの誰かのささやきが聞こえたわけではないし、事実が聞こえたわけでもない、というケースも少なくないです。

頭の中で音声に起こす思考は、その文章を「聞いている感覚に近い」ために、こうして認識がすり替わってしまうことがあるんですよね。

もちろん実際に、霊聴として事実が聞こえたり、他人の感情が聞こえたりするケースもありますし、そういうセンスをもった方もいますので「聞こえる人」の全部がそうだということではないですよ。中には上記のようなケースもある、ということです。




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2015年11月17日 (火)

知り合いの方に、オーラの見方を教えたら。

ある方に、月に何度か合う機会が続いていて、ときどきオーラの話をしたり、オーラの見方を軽く教えたりしているうちに、だんだんとコツをつかまれたようで、「植物のオーラ」と「動物のオーラ」が少し見えるようになったそうです。

最初は「まったくわからない」とおっしゃっていましたが、今では「普通に見える」と。

「見えやすい条件下」で「見えやすい対象」についてお伝えしたので、見えるようになったことは私にとって想定内でした。

ただし見えているのは、ほんの少し。物の周囲にある一番わかりやすいオーラの層のみで、それぞれの個別の特徴や違いなどを見分けることは、今のところはできません。今後はわかりませんが・・・。

というより、植物や動物だと、個別の違いが(たとえば人のオーラのようには)顕著ではないので「見分け」はしにくいですね。単純に、どこの層でもいいからまずは見えるように、というならば、違いが大きくない分、視界にとらえやすいのですが。

興味のある方に。見えるためのコツ&ヒントを言うと、最初の最初は、対象が「静止物」のほうが焦点をあわせやすいです。

しかし次の段階、最初の中くらい?になってくると、むしろ少し動いてくれているほうが、他との違いとか動きによるオーラの変化(という差異)をとらえやすいので、そちらのほうが見えやすくなることが多いです。激しい動きをする対象だと・・・もうまったくわかりにくいですね(^^;)、オーラはとても微細なエネルギーですから、焦点の合わせ方が難しくなってしまいます。




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2015年11月14日 (土)

ご感想|2016年のリーディング。

以下は、TKさんからいただいたリーディングのご感想メールから、一部分を抜き出したものとなります。

ご利用いただき、ありがとうございました(^^)。

ありがとうございます! ボリュームたっぷりですね。とても読み応えがありました。

とても不思議なことに、2016年のリーディングなのに、多くの部分が、今、私が経験したり、感じたりしていることでした。まるで今の私へのメッセージのようでした。

リカコさんに最初にリーディングをしていただいてから、もう3年たちますが、アドバイスのおかげで、私は、ずいぶん私自身を発見、認識することができるようになりました。他の人より出来ていることをきちんと把握することで、コミュニケーション力が格段にあがったようです。

2016年のリーディングもよく読んで、人生に生かしていきたいと思います。

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2015年11月 4日 (水)

不安感に押しつぶされそうになったら。受け止め方を変えてみましょう。

不安感を、何らかの方法で「薄れさせる」ことはできても、完全に除くことはできません。

そして「不安を引き起こす原因を解決する」ことも、幾らかの効果はあるけれども、根本な不安感そのものの解決にはなりません。

不安を引き起こす原因(たとえば仕事が心配だとか、人間関係が心配だとかの)と自分が思っていることのほとんどは、単にそれが表面化する「きっかけ」にすぎず、本当の原因はもっと深いところにある根源的なものだからです。

セッションでも、ご相談者さまの(表面的な)不安の原因を特定していき、ひとつひとつ解説して理解していただくというプロセスをとることはあるけれど、それはそのようにしても根源的な恐れはゼロになりませんよという点まで理解をしていただく「前ふり」のようなもので、 表面的な事柄を解決していっても、一時的な不安感のリセットにはなっても、長い目でみれば根本的な解決にはなりません。

(そのようにわかった上で、あえてとっているプロセスということです。解決して除くためではなく)

仕事が心配だから、上司との関係がうまくいかないからというのは、表面的な見せかけの原因であって、本当はもともと「先に不安感が存在している」のです。導火線はきっかけ、実際に燃える物質は別にある(導火線と火薬はイコールでない)のと同じような構図です。

不安感というものが、私たちには先に備わっていて、直面するいろんな出来事によってそれが「反応している」だけなのです。

では不安感とは何かというと、私たちが生まれたときから備わっている、この世で肉体をもって生きることの不安定感です。

この「有限の世界」を生きることは、たましいにとってはストレスの掛かる不安定なことです。時間という限りのある中を過ごしていくのですから、プレッシャーも掛かります。いろんな刺激がときに不安定感をかき立てるのです。

つまりこれは、生きている限りゼロにすることはできません。逆にいえば、こうした感覚をもっていることが「私たちがこの世をリアルタイムで生きている証し」でもあります。

こういう気持ちも含めて、私たちが「この世で経験する学びである」と受けとめて、前に歩いていくことが大事だと、私はそう思っています。

不安感が、自分の存在や意義を脅かすものだととらえれば、とても恐ろしくなりますが、これがあるからこそ、私たちはこうしてこの世を学んでいられるんだと思えば、受け止め方も変わりますよね。

不安感が、自分の外側から(他人に攻撃されることで)降りかかってくると思うから「押しつぶされそう」になるのであり、それは実は「自分の内側に存在している根源的なものだ」とわかれば、受け止め方が少しだけ変わっていくと思うのです。

反応を引き起こす「きっかけ」となるものは確かに外側からくるのだけれども、それに反応しているのは内側にあり、それは完全に除くことはできません。そして、除かなければいけないことでもありません。むしろ、それが内にあることが重さとなって、私たちはこの地上に留まっていられます。

けれど、不安定感を感じたくないという思いは自然なことです。できるなら穏やかに過ごしたいのは当然なので、そうした思いをもつこともまた否定する必要はありません。

ゼロにすることはできないという前提の上で、反応の仕方を緩やかにすることや、きっかけの刺激が少ない場所を選ぶことはできますから、そちらに取り組むのは効果的だと思います。

でもまた、何か別のきっかけで、思わぬ形の反応が引きおこされることはあり得ます。ここは、しっかり理解していただきたいです。

そうなったときに多くの人は、「なぜまたこうなったのだろう」「自分は、いつまでも変わってない」と、がっかりしたり自分を責めたり否定したりするけれど、「それは、普通」のことです。自分を責めるようなことではないし、ましてや他人から責められることでもありません。

長い人生のうちで、比較的変化の少ない安定している時期もあれば、変化の振り幅が大きい時期をすごすこともあります。自分の体調や精神面の上下も一定ではありません。そうした要素の兼ね合いで、比較的落ち着いていられるときもあれば、不安感が大きくなるときもあるという差がうまれるけれど、それは「なおった」のではなく「なおったはずなのに、なおってなかった」というものでもない、そうした揺らぎの幅をもつ「そういうもの」なのです。

たとえば、好きな食べ物は何回たべてもおいしくて、刺激になれて普通になることはあまりないですよね(一時的に飽きることはあっても)。ケーキが好きな人は、何回たべてもおいしいと感じるはずです。半年後でも、一年後でも。反応ってそういうものですよね。

私はポテチが大好きで、(あまり食べないようにしているけれど(^^;))きっとこの先、何万回食べてもおいしいと思うはずで、それはおそらく変わりません。

同じように、恐れや不安感が引き起こされること(もある、という可能性)も、ずっと変わらない、自分の反応の仕方であり、私たち人間が生まれもっている仕組みでもあるのです。(度合いは人により違いますが)

ものごとに、「良い」と「悪い」があって、悪いことをなおしつづけて良くなることがゴールで正しいと思ってしまうと、そうした自分や他人を責めまくって「現状を受け入れない状態」を延々と続けることになってしまいます。

ものごとに良いも悪いもない、(それは単なる便宜上の定義にすぎない)、いろんな不安定さも含めて全部が自分であり、世界であり、生きることである、と思っていけば、こうした経験から得られるものが変わってきます。

何を得るかはそれぞれ違うから一概には言えないけれども、少なくとも、現状を受け入れない状態では見えてこないものが見えてくる、とはいえるんじゃないかな、と(^^)。

不安感に対する受け止め方を、少しだけ変えられたら、その繰り返しで、少しずつ楽になれる部分はでてきますよ。それは不安感が無くなるのではなく、解消されるのでもなく、理解することで「必要以上に不安感を悪いものと受けとめなくなって、受け入れられる」という感じでしょうか。

こういうことも含めて、生きるってことなんだな、という考え方ができるようになります。




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