« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月の1件の記事

2014年8月29日 (金)

先祖の因縁が、自分に降りかかることはあるのか。

自分の先祖が起こした出来事が、「因縁」となって自分に降りかっているために、自分はいらぬ苦労しているのではないか、というご質問をいただくことがあります。

そういうケースは、「ないわけではない」のですが・・・、曲解になりやすいので、正しい理解が大切です。

先祖は、家系を同じくする「仲間」ですから、ある意味、皆で連帯責任となるような部分はあるといえます。

子孫の側からすれば、既に終わったことである先祖が引き起こしたことは、今の自分にはどうにもできない事柄ですから、先祖のせいで自分が割りを食ったような気持ちになることもあるでしょう。

けれど、そうした時系列的な時間の並びというのは、この世特有のものであり、あちらの世界には、こちらの世界のような時間という概念はありません。先の人が起こした勝手なことが、無関係の後の人に一方的に降りかかるようなことにはなりません。

この世に生まれる際には、自分の学びにあう状況や環境を「自分が選んで」生まれてきています。

先祖がしたことが、無関係な自分に一方的に降りかかっているように思えても、それはこの世の表面的な出来事のみで判断しているからそう思えるだけであり、スピリチュアルな領域を含めた解釈をすれば、「自分のたましいのカリキュラムにも、同様の学びの必要性があるからこそ、そのお宅を選んで生まれてきた」ことになります。

つまり、いろいろ問題のあるお宅に生まれてきたということは、自分のたましいの学びの中に、何かしらの引き合うものがあるからで、だからこそ家系というご縁がつくられている、ということなのです。

しかし、(いくら、自分の学びでもある、とはいえ)一般的な感覚と解釈で、現実を眺めたならば、自分の責任ではないことが理不尽に自分に降りかかって苦労を経験させられることになりますよね。

そのとき、自分が選んできたのだから、家系という場所をお借りする連帯責任なのだから、自分のカルマでもあるのだから、・・・と、降りかかる出来事のすべてを我慢して耐え続けなければならないのか、といったら、そんなことはありません。

そうした出来事をなんとかして乗り越えたり、変えたりすることが学びになっている場合もありますし、家系内で延々と続く負のループを変えるための救世主のような役割を担って、そのお宅に生まれてくる場合もあります。

我慢して耐えるだけが、学びの引き受け方ではありません。

そして、自分を被害者にしてしまっても、物事は解決や改善に向かいません。

その問題に見合った、乗り越え方、対処の仕方というものがあります。

こうした、今生の自分自身とは直接の関係がない(ように見える)事柄の場合、「マイナスとプラスをつり合わせるような対処をする」ことが、ひとつの方法です。

先祖の因縁がどうしても気になる方は、そうした方向からのアプローチをしつつ、けれど必要以上にとらわれずに、今の人生をしっかりと自分が主導権をもって過ごしていくことが大事ですね。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★リーディング申込みは、こちら→(メール回答スカイプ通話固定電話

★ブログランキングに参加しています。1日1クリック、お願いします♪

   ↓ ↓ ↓

 

| | コメント (4)

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »