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2013年10月の2件の記事

2013年10月29日 (火)

半分霊感で、半分知識。

さっぽ先日ですが、北海道新聞に「札幌市内でも、車を持たない高齢者が、いわゆる「買い物難民」と呼ばれる状態におかれている住宅街がある」という記事が載りました。

この内容だけ見ると、「えぇっ?190万都市の札幌で何故?」と思われるでしょうが、札幌市は、全国でも有数の「面積の広い市」なんですよね。なので市内の端のほうは、街の中心とは違う様子があってもおかしくはないですが・・・、それでも、ちょっとびっくりしてしまう内容です。

これは私が直接読んだのではなく、新聞をみた家族から話し掛けられたのです。「札幌でも、買い物難民になっている人がいるって記事がでている。場所は拓北らしい」」と。

私は、そこまで聞いたところで、頭の中に、「その場所は、過去に生協の店舗があったが、閉店してしまったことが影響している」と伝わってきました。聞こえたのとは違います。伝わった、というか、分かった、というか。

「そこ、前に生協があったんじゃないかな?」と言うと、「そうらしい。新聞にも2010年にコープさっぽろが閉店になったと書いてある」と。

これは、「私の霊感によってキャッチしたこと」ですが、同時に、「私がその件について幾らか知識をもっているから、キャッチしたものを解釈できた」とも言えます。

コープさっぽろは、関西の方の感覚にするとコープ神戸と同じくらいの、全国的にもかなり大きい規模です。なので、道内でも、コープさっぽろに何かの動きがあればかなり大きくニュース等でも取り上げられます。

道外の広域のスーパーがどんどん進出してくるので、対抗するために地元のスーパーも店舗を新しくしたり、提携したりしている中、コープの店舗は昔ながらの古いものも多いし、小さいところも多いなぁ、でも会員がいるからそういうことは問題ではないのだろうか?などと、ときどき考えたりもしていました。

それらの知識や思考の習慣という「下地」があるから、今回のような伝わりを得られていると思います。

いくら霊感が強いとしても、たとえば、霊感によって、知らない漢字が読めるようになるわけではないように、「その人が持っている知識の中でしか、受けとめたことの解釈は広がらない」ものです。

世の中のことに広く関心をもって、本や新聞を読んだり、ニュースを見て考えたりすることが、私は10代の頃から習慣になっているので、わりと持っている知識の量が多いと思います。深いことは知らないのですけれどね。広く浅く、ですが(^^;)。

日々を創造的にしてくために、霊的な感性をより高めたい、と思っている方はたくさんいると思います。

そのためには、霊的なことだけに関心を向けるより、現実の知識を増やし、世の中を知ることで「底上げ」をはかっていくほうが、実は近道であり確実といえます。底上げがされると、高いところに手が届きやすくなりますからね。両方の要素があってこそ、現実にいかしていける知恵として、霊的な感性が役立つとも思います。

その実例として、説明しやすい出来事が起こったので、「このことをお伝えするための、出来事だったかも?」という気がしたので、書いてみました(^^)。

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2013年10月 9日 (水)

大人として、過去へ感謝できるか。

現状に不満をもっているときと、自主性を持った生き方をしていないとき、人は批判的になり悲観的になるものです。

他人の存在や過去の経験に感謝をする気持ちが持てず、一方的な自分目線で世の中を見て、あれがおかしい、これが不適切と、批判ばかりするようになります。

世の中は完璧ではないから、指摘できる要素はいろいろあるけれど・・・、それでも他人が与えてくれる親切や機会の価値は、大人になるほどに分かっていくもので実感できるようになるもの、だと私は思うのです。

いろんな人が学び合っているこの世という場所で、何もかもが自分の思い通りにできないことは当たり前だと、大人になるとわかっていくようになります。

その上で自主性をもった生き方をしていれば、自分が不満になるのは世の中や他人が悪いからだ、という考え方にはならないように、思うのです。

少し前になりますが、親戚内の集まりの中で、子供の頃の話が出て「今になって思えば、中学校の部活の先生に感謝の気持ちでいっぱいだ」と言った方がいました。

「当時は、先生はそれが仕事なのだから当たり前だと思っていたけれど、部活に付き合ってくれることはものすごくありがたいことだった」

「中学生の体力についていくのは、先生だってそう簡単なことではないと今になればわかる。先生だって、自分のプライベートとか、時間をつかいたいことはたくさんあるだろうに、部活をしてくれることはなんてありがたいことだったかと、今大人になって考えるようになった」と。

確かに、そのとおりだと私も思いました。

運動があまり得意ではなかった私(^^;)にとっては、自分だけでは、出てこない思考でした。その話をきいて、そう思わせてもらう機会を得たことは本当によかったと思っています。

私は、選挙の投票の際に、会場の小学校に行くのが密かな楽しみです。雰囲気が懐かしくて、ああ自分もこんな頃があったな、とか、手を洗う石けんは今でもネットに入っているのか!とか(笑)、いろんな発見があってちょっと楽しいです。

そのたびに思うのですが、日本の教育制度は、なかなか素晴らしいんじゃないかと(^^)。

ニュースでは、あれこれ学校や先生の不手際が取り上げられるけれども、良いところが取り上げられる機会がないだけで、(良いところは、皆が、当たり前だと思っているってことではないでしょうか)、ちゃんと子供達のためになることを、考えたカリキュラムになっているように、私は思います。

先生だって人間であり、制度を作る人も人間であり、完璧でないのは当たり前です。その中で、求めすぎにならなければ、日本の精度には高い質があると私はそう思います。私は子供がいないから、たまに学校にいくときの感動が大きくてそう思うだけで、実際に子供がいる方の感想はまた違うのかもしれませんが・・・。

自分が子供の頃を思い返すと、子供なりの正義感に燃えて、学校をよくしようとか、学級をよくしようと頑張っていた活動も、全部、大人が学びの環境を与えてくれていたのであって・・・、知らずに一生懸命だった自分が「子供だったなぁ」と思うけれど(笑)、それが当時の必要な経験として、考えられたカリキュラムなのだろうなと、すべてありがたいと感じます。

小学校に掲示してある、目標を大きな紙に書いた一覧や、皆で制作した大きな絵などをみて、そんなことを考えられるので、投票はちょっと楽しみな機会なのです(^^)。

学校制度に限らずですが、過去のすべての経験は、「自分がしてきたもの」であると同時に、「与えられたもの」、ですよね。

してきたことだけにフォーカスすると、思い通りにならないことが目立つけれど、与えてもらっていたと思えば、完璧ではない十分ではない中にも、感謝の対象となることがいくつも見つかっていきますね。

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