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2013年8月の3件の記事

2013年8月31日 (土)

着物の女性の、思い残し?

かなり前の出来事ですが、ふと思い出したので書いてみます。

夜中に、頭の近くに気配がして目が覚めました。

「誰か」が、話をしていました(^^;)。私が気付くよりもずっと前からそこにいて、あることについて話をしていたようです。私に訴えたいとかではなく、その人が話そうとしている場所に、たまたま?私がいた、とでもいうような(でも、私の部屋ですが(^^;))状況でした。

なぜなら、その人は、私が気付いているかそうでないか、私が話の内容に注目しているかどうか等は無関係に、一方的に自分の言いたいことを言っている;かのような雰囲気でもあったからです。

着物姿の女性でした。そんなに古い時代の方ではなかったようです。

話しの途中から聞いたので、前後の関係性がよくわかりませんでしたが、その人は、「膝枕をしてもらいたかった」と。誰に、なのかはわかりませんでした。自分がしてほしかったのか、自分の膝を枕にしてほしい相手がいたのか・・・、年齢が若い雰囲気の女性のようでした。

えっ?膝枕?と、その言葉に、私が反応してしまった瞬間、その姿は消えて、私は猛烈な頭痛に襲われ、翌日になっても頭痛のままでした。

私が反応した瞬間に、波長が引き合って、憑依されたと思います。

霊を見たいとか、霊とやりとりをしてみたいと思う方は少なくないけれど、未浄化な霊と引き合ってしまうと憑依されてしまうこともあるので、霊感というのもそんなにいいものでもないですよ;。メリットもあればデメリットもある、それはどんなことでも共通です。

霊の存在を認識して、声が聞こえているという時点で、もしかしたら少しは憑依されかかていたかもしれませんが、向こうは、私に対して何かを訴えているというふうではなかったので、そこでやりすごしていれば問題なかったのではないかと思うのですが、膝枕と聞こえたときに、「えっ?」と、つい意識がそちらに向いてしまいましたsweat02

どんな事情があったのか分かりませんが、その方にとっては気の毒な事情が何かあったのかもしれないけれど、浄化せずにとらわれてしまうときって、その理由のほとんどが「感情」ですね。

それは、私たち人間も、未浄化の霊も、同じだな・・・と思います。

感情のとらわれ、思い残しは、その人をそこに留めて前進させなくしてしまう力となって作用してしまいます。

今、この出来事をふと思い出して、単に、「こんな経験がありましたよ」という事実として書くつもりでした。

が、書いているうちに、感情にとらわれ動けなくなってしまうことは、私たち人間にとっても同じように、前進できない状態をつくりだすわけで、そのことをある意味、教えてくれているというか、気付かせてくれているような気もしてきて、

私は「そのこと」をお伝えするために、この記事を「書かされた」のかな、と、そんなふうにも思いました。

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2013年8月24日 (土)

後頭部の、たましいの眼。

あるとき、江原さんの本を読んでいましたら、「額は、第三の目といわれるところ。後頭部は、霊眼といって、たましいの眼がある場所です。内観の眼といってもいいでしょう。感性の眼ですから・・・(以下省略)」という記載がありました。

この記載を読んで、私はとっても納得がいきました。

霊視や透視というのは、いわゆる第三の目でみるわけですが、物理的に目で見ているように見えるときもあれば、脳内で見る?ような感覚で見ているときもあります。

後者のときの焦点というのは、確かに「後頭部」が関連しているように思います。

(注: 江原さんの本の記載は、この文章で霊視や透視を語っているものではないです。私が、自分の感覚と絡めて、その位置の眼、という表現に納得がいった、ということです。本では、スピリチュアルヒーリングを説明していて、感性の眼が疲れているときには、ここに手を当てていくとよい、ということを説明しています)

たとえば、普段の視点が、以下のように

Image085


目から、普通に見ているとするならば、

霊視や透視の時の、内的なスクリーンに映して見える?ような場合(霊視や透視のすべてが、こうなるわけではないです。そういうふうに見えることもある、ということ)の焦点というのは、もっと「奥行き」があって

Image086_2


このように、後頭部に焦点が存在していて、そこから物理的な目を通して、向こう側をみているために「奥行き」がつくられて、違う次元の何か?が見えてくることが、私の場合は結構あります。(他の方が、どう見えているかは、わかりません)。

たましいの眼、内観の眼というのが使われているんだな、というのがとても納得できました。(そのことを説明した文章では、なかったのですけれど(^^;))

勘のいい人とか、直感的な感覚が冴えている人などは、この部分の眼をおそらく無意識につかっていると思うので、後頭部が疲れたような感覚になることがあるのではないでしょうか。

冒頭の本での説明には、ここが疲れているときには、眼に蓋をするような感じで、そっと手を当てるとよい、と書かれていました。勘のよい人で、感性の眼が使われがちな人は心掛けるとよいかもしれないですね。

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2013年8月 8日 (木)

ご相談者さんを好きになる?

私は、リーディングセッションをしている間、そのご相談者さんのことが、「とっても、好きなような、気持ち」になることがあります。

「好きになる」という表現だと、ちょっと何かが違います。「好きなような、気持ちになる」という、ワンクッション置いた表現がしっくりくる感覚です。

セッションの間は、守護霊の方に焦点をあてていますので、私も、その方を見守る守護霊の感覚にかなり同調しているのだと思われます。それで、好きなような気持ち、が、でてくるのでしょう。

よく、霊能者が書いた本で、「守護霊が抱いている愛はとても大きい」などと、書かれていることがあると思いますが、それは、このような感覚を体感することからそう解釈されているのではないかと思うのです。

セッションが終わって、少し時間が経つと、我に返って「あら?何であんなに、好きなような気持ちになっていたんかいな~」と思うのですが、何度それを繰り返しても、仕組みを理屈で分かっていても、それでもやっぱり、「そうなる」のです(^^;)。

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