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2013年6月27日 (木)

「自分という実感が薄い人」の、自分探し。

自分を「実感」すること、つまり自分を「在る」と感じることが、とても苦手で難しく、その感覚がわからない方は、実は少なくないのです。

常に自分の内側が空白のような・・・、ぽっかりと何か満たされない空間があって、自分というものが実感としてつかみにくい、そんな、自我の感覚が弱いタイプの方がいいます。

このような人は、小さい頃は親や先生のいうことや、周囲の大人の言うことをそのままきいて、優等生になることも少なくないですが、大人になって主体性をもってやっていかなければならない場面になると、どうしていいのかわからなくなり、過剰なまでに「自分探し」をしてしまうことがあります。

今まで、周囲の大人が自然に満たしてくれていたから気にならなかった空白が、自分が大人になって庇護から外れたときに、強烈な空虚感として実感されてしまうのですね。

空白をなんとかしてうめなければ、自分の現状がとっても不安定な気がして、手当たりしだいに、あれこれ試したり集めたりという、極端な行動に結びついてしまうのです。

周囲の無関係な人からみると、「あの人は、自分探しにはまってから、急に人が変わったようだ」と思われてしまうのですが、ずっと以前から空白の部分はあったのだけれども、若い頃はそれを意識しないで過ごしてくることができたというだけで、それが表面化しただけ、というケースもあるのです。

自分探しにはまり込む人、というと、一般には、嫌なことから逃げているだとか、現実からズレているだとかの批判的な解釈をされてしまうことが少なくありませんが、そういう人ばかりではありません。

中には、「自分という存在の実感」が平均よりも薄くて、それをなんとかしなければという焦燥感に駆り立てられている人もいる、ということです。

しっかりとした自我の強さと安定をもっていて、「自分」という感覚にまったく疑いをもたずにいられる人からすれば、このようなケースは想像もつかないことでしょう。

けれど、上記のようなケースもあるので、過剰なまでの自分探しをしている人の行動も、一概には否定できないのです。

どちらにしても、外側に自分探しをしても答えはみつからないことは明白で、どちらにしてもそれは遠回りであり、内側は自分の成長によってのみ満たされるのですが、だからといって、外へと求める自分探しが、無意味ということにはなりません。

例えていえば、小さい子供が、絵描きになりたいから絵を頑張りたいと言ったとして、あきらかにプロになるのが無理だとしても、それを止めさせて別のことをさせるほうがいいとは限りませんよね。

そうした経験が別の方面で間接的に役立つこともあるでしょうし、全般的な感性や情緒の向上に繋がることもあるでしょうし、また、人から言われるのではなく自分で無理だと気付くことで学びになることもあるでしょう。

それと同じで、探して見つからないという経験をすることで気付くことがあり、そうして模索した経験が何らかの形で「自分」の実感に繋がることもあるかもしれず・・・、プロセスが役立つことってたくさんあると思います。

自分という感覚がしっかり根付いている人にとっては、自分という感覚が薄い人の空白がある感覚というのは、なかなか想像すらもできにくいものだと思いますが、自分と同じ考え方の人ばかりではないという理解も大切ではないかと思うのです。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

この記事を読み、私がこれに当てはまるかもしれないと思いました。学生時代までは、大人(親や学校の先生)が子供に求めていることがよくわかり、それを抵抗なく優先できたタイプだたったので所謂優等生でしたが、社会に出てから自分の意思で選択し主体的に動くことが苦手な自分に気づき、「言われた通りにやるから命令して欲しい」と思うこともあります。

自分の選択やそれを元にした行動に自信が持てず、
自分という実感も薄いです。
無駄ではないと信じながら、人よりかなり遠回りしながら、
時間をかけて「自分探し」をしていけばいいや、と割りきれました !

投稿: MIO | 2013年6月28日 (金) 07時12分

★MIO 様

言われたとおりに上手くできるから命令してほしい、ちゃんと遂行できるからこうすべきというマニュアルがあったらいいのに、という思いになったりすることが多ければ、もしかしたら、当てはまるところがあるのかもしれないですね。

そういうタイプの方にとっては、いわゆる「自分探し」に走ってしまうのも、あり得ることなので、それを否定したり責めたりすることはできない、というのがこの記事の主旨で、そういうタイプの人は、どんどん外に向かって自分探しをしましょう、ということを推奨しているわけではないです(^^;)。


自分とは、見つけるというより、作っていくものであり、作られていくものであると思います。

何から作られていくかというと、さまざまな経験と、そこから得られる気づきや感動などの喜怒哀楽を通して、その積み重ねによって、です。

その「経験値」の一貫として、いわゆる自分探しも底上げに繋がることもあるかもしれないですが、

自分とは、経験と気づきから作られていくものであり、また、それらの経験をすることで、(最初から、在る自分という要素が)発露していくもの、でもあるので、その点をしっかりおさえた理解が大事だと思います(^^)。

投稿: リカコ | 2013年6月28日 (金) 11時57分

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