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2013年6月28日 (金)

成長に伴うもの。

大人になる、ということは、知識が増えていって、経験も増えていって・・・、それらの増えたものから分かることや理解できることを踏まえて、いろんなことを受けとめ解釈していくことが「できる」ことでもあり、「そうするしか、なくなる」ことでもあると、私は思います。

いろんな知識が付いて、深いこと分かるようになると、中には、「これは、知らないほうが楽だったかも・・・」と、思わされるようなことも出てきたりしますよね;。

でも、今更それを知らないことにはできませんし、知る以前にも戻れないわけで、知った上での解釈や行動が求められるという責任も増えていきます。

他人に対して、「私は、それを知らないの」と、偽ることはできるし、あるいはそうして知らないふりをするほうが丸く収まるケースも中にはあると思います。 しかし、自分に対して自分を偽ることは出来ません。

私の経験で言うと、私は骨折をして救急車で運ばれるという経験をして以降、「救急車の音」を聞くと、苦しくなります。それは、自分のことを思い出すとかではなくて、今その救急車に乗っている人の気持ちを、過剰なまでに考えてしまいます。

「どうか、その人に最善のことが起こりますように」、「どうか(緊急の事態であれは)間に合いますように・・・」と、祈らずにはいられません。

私が住んでいるところは、徒歩でいける距離に医大があり、大きな病院が集まっているので(私もそのうちのひとつに運ばれ、入院していました)、救急車の音は、もう生活音のひとつといっていいくらいに日常茶飯事です。

しかし、骨折以前は、それほど耳に入っていなかったのか、意識することも少なかったのに、今ではとても敏感にその音に気づいて意識が向いてしまいます。とくに夏の窓を開けている時期は落ち着きませんね・・・、どうしても聞こえてくるので。

私が祈ったからといって、直接その人に役立つ作用があるわけではないと頭では分かっていても、それでも祈らずにはいられません。心が、そのように自然に反応するからです。

この状態が、いいのか悪いのかは分からないし、そういうことに明確な答えというものはないと思います。私個人としてはかなり精神的に消耗することは確かですが、だからといって、もう、骨折前の「気にしていない自分」には戻れません。

もっと時間が経って、今の状態を「超えて」その先にいけるようになれば、あるいは、また気にならない時期もやってくるのかもしれません(それが、良いことなのかはわかりませんし、何とも言えませんが)。

けれど、どちらにしても、逆戻りはできなくて、いろんな経験を越えてきた積み重ねによって今の自分が存在していて、経験してきたなりの自分の解釈や理解や責任が、この時点での自分の「在り方」を決めている、そこは変えようのない事実で切り離すことはできません。

大人になるって、「そういうこと」だし、生きることも、きっと、そういうこと

いろんなことが身につくほど、分かるほど、楽になるだけではない、さまざまなことがついてまわるようになっていて、そのすべてが学び、なんですよね。

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