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2013年5月11日 (土)

たましいの望む方向へ、軌道修正がなされることがある。

私たちは、それぞれに、「たましい」という領域をもっていて、いろんな個性や特性を発揮したり、課題を経験して学んだりしながら、この人生を過ごしています。

この世に生まれてくる、ということは、「そうする必要がある」ということです。意味なく生まれてくることはありません。誰もが、たましいレベルでは、「望んで」生まれてきているのであり、学びにあった環境や状況を「自ら、選んで」生まれてきています。

望んで来ている、ということは、この世で学ぶべき要素が何かしら存在することを示しています。

一度の人生で学ぶ範囲は、とても大きく・・・、ひと言ふた言では表現できない、人間の知覚力では把握もしきれない、広くて深いものです。は数量では表現できないですが・・・、無数にある、といえるくらいの範囲です。

把握しきれないくらいの、無数ともいえる膨大な領域ではあるけれども、それでも、その領域の中で、一定の方向性というか、たましいがこの人生で学ぼうとしている、一貫した方向性を備えている人、そういうパターンで生まれて来ている人が、少なからずいます。

そういう人がいる、ということは、そうじゃない人もいるのか、という話になりますが、答えは「イエス」です。そこは、それぞれのたましいの求めていることの違いで、バリエーションがあります。特定の分野だけにとらわれず、広く浅くたくさんのことを経験するパターンを決めて来ている人もいますし、そのほかにも、いろんなパターンがあります。

一貫した方向性の学びを決めてきている人で、たましいの望む学びの方向性と、違う方向に進もうとした場合に、自分の意向や感情とは無関係に、その人に最もふさわしい道へと、導かれていくことがあります。ある意味、軌道修正が掛かってしまう、とも言えるでしょう。

この世での経験を、何もかもあらかじめ決めて来ているわけではないので、そのときの展開しだい、自由意思に任される部分もあり、細かい部分は、その都度、リアルタイムで(無数にある学びの中から)必要な学びを選択して、同時に実行していることになります。

ですので、たましいが望む「方向」というのも、それほどタイトなものではなくて、だいたいの方向にあっていればよいわけですが、そこから、あまりに大きく外れる方向へ興味関心が出てくるなどした場合に、本人の意向を超えたところで、何らかの見えない力が働いて、方向転換をさせられるというか、軌道修正が掛かっていくことが、起こる場合があるのです。

(そのような場合の)たましいが望む方向、というのは、それが好きとかの「感情」「気分」などの、揺らぎやすく安定しないものではなく、明確で揺るぎない「課題」や「学び」に基づいたものです。

そのようなケースの多くは、備えてきた才能や個性を、広く世の中に向けて発揮していくことを促されるでしょう。才能や個性は、自分が持っているものではありますが、それは「使うため」に授かったものでもあるので、人のために活用していくことを求められるのですね。

自分の感情や気分のとおり、好きなように振る舞っていけるのが幸せなのか、それとも、自分の才能や個性を(自分のためだけでなく)人のために発揮して役立っていくことが幸せなのか・・・、その答えを出すのは難しいものです。

後者のほうが、理屈の上では理想的だろうなと思うとしても、私たち人間にはそれぞれ感情というものがあります。そして自分の人生をクリエイトしていける自由意思があるのが人間なので、なんだか割に合わないような気持ちになってしまうこともあるかもしれません。

しかし、生まれてくる目的にはさまざまなパターンがあって、中には、「人のために生きよう」と、そういう目的をはっきりと決めてきている場合もある、ということです。

そういう学びを持って来ている人は、違う方向へ行こうとしても、本来の行くべき道に戻されるというか、そうして決めてきたことを、思い出させられるような状況に向き合わされ、気付かされることがあるのです。

そのケースに該当するならば、最初は感情的な抵抗や納得のいかない思いがあっても、時間とともに、これが自分にとってベストだった、この道に向かわされてよかったのだ、と、後になれば、思うようになっていけることがほとんどです。

というより、「後になってしか、気づけない」ものかもしれません。時間がたって、その当時より広い視野をもって全体を見渡し、自分を省みることができるようになったときに、「そういえば、あの時が分岐点だったな」と、納得とともに分かっていくもの、だと思います。

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09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、リカコさん。
ちょうど昨日「自分はたましいの望む方向に逆らっている」のかな?と考えていたところでした。
しかも、色々と調べたりもしていました。(笑)

>ある意味、軌道修正が掛かってしまう
この言葉分かりやすいです(o^-^o)

私に起こった出来事が軌道修正かどうか?はまだまだ
分かりませんが・・・いつか分かる日が来るのを
気長に待ちながら、宇宙の不思議を楽しめる日が
来るといいな、と思います。

投稿: Usae | 2013年5月11日 (土) 16時45分

★Usaeさま

分かるのは、ほとんどの場合、しばらく立って、そのことを俯瞰して見られるようになったとき、なので、いまは分からなくても、それでよいのではないでしょうか(^^)。

投稿: リカコ | 2013年5月11日 (土) 19時24分

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