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2013年4月の6件の記事

2013年4月23日 (火)

オーラの層の見え方。

オーラとは、体の周りを取り巻いているように放たれているエネルギーで、その人自身の性質や個性などが表れています。

オーラの大きさや構成は、「どこまでの範囲を、その人のオーラと捉えるか」により、表現は変わってくると思われます。

一般に、人のオーラは、(体の近いところから外に向かって)7つの層になっている、といわれています。その7層を「その人のオーラ」と捉えた場合、(オーラに関する書籍等のイラストなどにあるように)、だいたい、体の際から外へ向かって、数十センチのところに、7層目の際がある、と考えてよいと思います。

しかし、オーラは、7層のすべてが、どれも同じような構造になっているわけではないので、その全てを詳細に把握できるとなったら、相当に優れた透視力を持った人であり、一般的には、内側の層になるほど把握しやすく、外に向かうほど把握しにくくなります。

オーラ透視が出来る人であっても、誰もが、「光の手」の著者である、バーバラ・ブレナンさんのように、バッチリ見えるわけではありません。そうでないが大多数だと思います(例えば私とか(^^;)・・・)。

3層目くらいまでの内側の層が、勢いが強く放たれていて分かりやすいので、人によっては、オーラの大きさを、(一般に言われている7層よりも)もっと内側にあるとして、とらえる人もいるかもしれません。

どちらも、(または、それ以外でも)間違いではないですね、どこをとらえているかによる違いがある、というだけです。

内側の層になるほど、肉体の沿っていて、外に向かうほどに、円状に近くなっていきます。つまりそれは、「内側の層ほど、肉体との関連が深い」ことをしめしています。(外に向かうほどに、肉体の形に沿っていない、ということは、外に向かうほどに肉体と関連しない要素が増えていくことを示している、とも言えるでしょう)。

よく聞かれる質問として、「少し離れた場所にいる人を見ている時に、ときどき、人の形をした、残像のような光が視界に入ることがあるけれど、あれはオーラを見ているのか?」というものがあります。

ケースバイケースですので、絶対とは言えませんが、おそらくそれは、「3層くらいまでの、オーラ」を見ている可能性はありますね。

残像、という可能性もありますけれども、「残像的なとらえ方で、オーラの一部を見ている」ことも、あると思います。

至近距離よりも、少し離れたところにいる人のほうが、オーラに焦点を合わせやすいので、ときどき見える、ということが起こるのでしょう。

そして、視覚にとらえやすい3層までを見ているので、「人の形」としてとらえているのだと思います。

このような経験は、皆さんにも、あるのではないでしょうか。 私も、今にして思えば、小学校の頃などに、よく見えていたような気がします。

一般には、内側の3層のほうが、(肉体という現実に近い要素を反映しているので)見えやすい傾向がありますが、しかし、人により、共鳴しやすい要素は違うので、逆に外側のほうのオーラのほうがよく見える、という人も、いるかもしれません。

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2013年4月19日 (金)

相手のためなのか、自分のためなのか。

表面的には、相手のためを思っての言葉であっても、その裏側には、自分を正当化したい、自分の正しさを、認めさせたい、という思いが、とても強く存在する場合があります。

相手自身のために、必要な反省を促すための言動は、相応に聞き入れられることもあるかもしれませんし、仮に聞き入れてもらえなくても、その時点で自分に出来る精一杯の行動を相手のためにとったのだから、それでいい、と、納得することはできます。

しかし、「相手のため、といいながら、本当のところは、相手に罪悪感を持たせて、やり込めるため」の言動は、相手に聞き入れられることはほとんどなく、・・・その上、そういう行動をとった自分自身に対して、すっきりしない思いになることが、ほとんどではないでしょうか。

相手が、一時的に落ち込むような指摘でも、長い目でみてその人のためになるとか、気づきを促すための、きっかけとして、インパクトを与えるために、あえてその態度をとることが、必要な場合や、有効な場合はあると思います。

しかし、そういう行為の根底にあるのが、自分の主張がいかに正しくて、他の人が間違っているかを認めさせるため、とい態度は、相手に通じにくいだけでなく、そうして相手をコントロールしようとしたり、支配しようとしたりすることが、「自分のしたことが、自分に返る」という「カルマの法則」によって、結局、自分に返ってきて、学ばされてしまうものだと思います。

「相手の気づきを促し、反省をしてもらうために、一時的に、相手が罪悪感を覚えるような形に持っていくことになる(場合もある)」のと、「相手に罪悪感を抱かせようとする」のとでは、こうして文字で見ると比較は容易で、その差は明らかなのですが、実際の人と人との関係において、その言動を計ることは、本当に難しいものです。

そんなつもりはなくても、気合いが入りすぎて、だんだんとエスカレートしてしまうケースもあるかもしれません。

ちょっと冷静になって、自分自身を省みる、そういう視点を取り入れて、「相手のため」のはずが、「自分の正当化の押しつけ」になっていないかを、考えていくことも大事ですよね。

私自身も日々、心掛けていることです。私の活動も、「伝える」という要素が多分に含まれますので、この点の客観性は持っていきたいと思っています(^^)。

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2013年4月18日 (木)

自分が変われば、オーラも変わる。

「緑のオーラになるにはどうしたらいいか」とか、「紫のオーラになる方法はありますか」というように、特定のオーラの色になりたい、という思いからの、ご質問をいただくことがあります。

その色になりたい、というのは、おそらく、「そのオーラの色と関連している性質が、欲しいから」だと思います。たとえば、優しい人でありたいので、緑のオーラになりたい、崇高なものを理解する感性が欲しいので、紫のオーラだったらいいな、というように。

そのお気持ちは、分からないではないですが・・・、しかし、このようなご質問をしてくる方は、オーラとは何か、という仕組みそのものに、少々の誤解があるように思いますsweat02

オーラとは、自分自身の反映です。「その人の性質、性格といったものが、オーラに表れている」のであって、つまり、「平和を愛する優しい人だから、オーラが緑になっている」のであり、「オーラの緑色が、その人を優しくしている」という解釈は、順番が違います。

後者の解釈が、間違っている、とも言い切れませんが・・・、外からの刺激や、後天的な要素も、オーラに反映して、自分に取り込んで影響させていくこともできるので、全面的に間違っているわけではないですが・・・、

基本は、オーラありき、ではなく、自分がまず先にありき、と考えていくほうが、分かりやすいですし、「特定のオーラに、変えていくことも、しやすい」です。

上記のような質問をする方は、「オーラの色が変われば、自分が変わることができる」と思ってのことなのでしょうけれど、「自分が変われば、自分の反映であるオーラも、比例して、変わっていく」のです。

ですから、望むオーラの色と関連する性質が欲しいなら、そうなるように、自分を変えていけばいい、のです。

オーラの色を変えなければ・・・と、難しく考えるから方法が分からないのであって(^^;)、「自分を変えよう」という目的ならば、そのための方法は、何かしら、思い浮かぶのではないでしょうか。

自分自身の成長や変化を伴わずして、オーラだけを、望み通りに変えることはできません。その考え方が、基本です。

ただし、オーラは、さまざまなものをキャッチする、受信器のような役割もありますので、外側からの影響も、うけていきます。(オーラと限定せず、自分自身も、そのときの周囲の状況等に影響をうけることがあるのと同じです)。

その性質を利用して、外からの刺激を取り入れて、オーラに反映させていくことも、出来なくはありませんが・・・、その効果は、自分が能動的に変化していくことと比較すれば、かなり小さいことは、理解しておきましょう。その上で、プラスアルファとして工夫をするという前提で、以下は簡単な方法の提示です。

一つは、人を通して、影響をうけることです。自分が望む性質を持つ人と、何らかの関わりをもっていくなどして(会うとか、会話するとか)、交流が作られれば、お互いのオーラも影響しあうことになります。

もう一つは、洋服などの、身につける色を工夫することです。身につけている色が、幾分、オーラの色に反映していくことは、あり得ます。色もエネルギーですので、その色を身につけている、ということは、その色のエネルギーとしての影響をうけている、とも言えます。  

この2つだけに限りませんが、自分を変えていくことが基本という前提であれば、いろんな工夫をして、効果に繋げることは可能だと思います。

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2013年4月16日 (火)

頭で考え過ぎ、雑念が多すぎな状態を改善するための、一例。

け何でも、頭で考え過ぎになってしまう人や、普段から雑念が多くて気が散りやすい人は、「必要のないことでも、何かと、「頭の中で、延々と実況している」状態になることが多いと思います。

「さて、テレビでも見るか・・・、リモコンはどこかな・・・、あ、リモコンがあった。あ、この時間はドラマが入っているのか・・・、この主役の人は、去年のドラマにも出ていた人だよね、あのときのドラマの主題歌は・・・、私が子供の頃に流行っていた歌で、あの頃友達のA子ちゃんが家にきて、あのときの私の台詞は・・・、」

と、目の前のドラマそっちのけで、他のことに次々と意識が向き、その内容を、頭の中でつぶさに実況しています。

「思い浮かべたことは、「文章化して」実況する」もの、という、思考パターンが、出来上がっているので、無意識でそのように「なってしまう」ことでしょう。

思考は大切だけれども、それが行き過ぎて、常に頭が忙しく動いてしまうのも、バランスが取られませんし、思い浮かんだことのほうを、追いかけて文章化していくことがコントロールできないと、目の前の出来事に集中できずに、気が散ってしまいます。

この改善のためのとり組み方法として、わかりやすいものをひとつご提案します。

「次々、頭の中で文章化して、実況してしまう」という思考パターンを、変えていくことが効果的なので、「文章化できず、実況できない」状況をあえてくつりだし、その経験を増やしていき、「違うパターン」を、自分の中に作り上げます

一般に、聴覚や視覚から得た情報は、思考に結びつきやすいです。テレビを見ていて、あれこれ考えてしまうのも、画面に映っているものや、聞こえてくる内容が、違う思考を呼び起こしてしまうためです。

なので、聴覚や視覚ではない要素から、刺激を受けることを取り入れます。

そうして、簡単には文章化もできず、実況もできない、状況を作っていき、「そのときの感覚」を、自分に刻み込んでいきます。

とり組みがしやすいひとつに、「味覚」があります。

味覚からの刺激は、聴覚や視覚ほどには、それを言語化して頭の中で説明するような形には比較的なりにくく、味そのものに、感動したり、印象をもったりすることが多いですよね。

味覚は、比較的、本能的な要素が多いため、だと思います。この点を、いかして、理性が働き過ぎない状況を作りだし、実況がとまっている時間を設けて、一時的にでもメリハリを付けることができますし、または、繰り返していくことで、そういう思考の(働き過ぎない、という)パターンを、自分の中につくっていくこともできます。

たとえば、普段あまり食べたことがない、味の想像をつかないものを食べてみる、ポピュラーではない国の料理を食べにいくなどして、「頭の中で、実況をすることができない、刺激を味わう」経験を、作ってみることなども有効です。

ワインを飲んだときに、「濡れた子犬のような、なんたら・・」という、うんちくが出るのは、そのことについて知識を持っているから、ですよね。そうなると、思考が働いてしまいます。

焼き肉を食べにいくとしたら、お店によって味付けの違いはあるとしても、「だいたい、焼き肉とは、こういうものだ」ということは、事前にわかっていますので、やはりそこでも、思考が働いた「感想」を持ちます。

けれど、あまり詳しく知らないことには、事前の予想も付けられないし、食べた瞬間の味わいにも、美味しいか、そうでないか以外の、つぶさな「実況」にはなりにくいので、「今まで使っていない感性で、その味の刺激を受けとめる」経験になり、実況から遠ざかる練習になります。

そのものに、入り込んで集中できるならば、映画(視覚)でも、音楽(聴覚)でも、実況をしないでいられる状態をつくることは可能ですよね。けれど、このタイプの人は、そういうことに、簡単には、「入り込んで集中を保つことが、できにくいタイプ」なので、頭の中の実況を止めるには、味覚のほうが取り組みやすいです。

予測のつかない、新しいことをすれば、余裕がないし、緊張も手伝って、実況が出てきてしまうことがないから、旅行などでも同じで、味覚に限定しなくてもよいのでは・・・、と思う方もいるかと思います。仕組みとしてはそのとおりですが、思考力が強くて雑念が多い人の大部分は、とても慎重ですので、明確な目的に基づくものならともかく、「実況を止めるために」などというような、抽象的な目的で、新しいことに取り組んでいくことが難しい場合も多いです。

「(新しい)味覚の刺激」で、素直にそのものを感じ取って味わっていく、そこに過剰な実況は挟まれない、という状況をつくることは、そのどちらにも当てはまらない中間なので、比較的取り組みやすい、といえるでしょう。

あくまで、「一例」ですので、この方法のみにとらわれず、「(実況をしない、という)仕組みの理解をしていけば、同じような効果の、たくさんの方法を見つけることはできると思います。

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2013年4月 5日 (金)

言葉や会話の「含み」が、伝わりにくいときには。

会話の内容において、表面の言葉のとおりに素直に受け取り、それ以上の含みを想像できない、深く把握することが苦手なタイプの人は、わりとたくさんいるものです。

そして、そういう人と接する側が、「話が通じない」「どうすれば、スムーズなコミュニケーションになるのか」と、困惑してしまうケースも、少なくありません。

上記のような差異は、一方が「含みを理解できにくい人」で、もう一方が「含みを理解できる人」という組み合わせで、起こりますよね。

そのような認識の度合いの差がありながらも、会話をして、仕事なり活動なりをしていく必要があるのならば、理解出来る人のほうが、出来にくい人に寄り添って、合わせていくことが求められると思います。

なぜ、自分だけが苦労をしなければいけないのか、原因は自分ではなく相手なのに、と考える人が多いですが、しかし、認識の度合いに差がある以上、どちらかが寄り添っていかないと、すりあわせは難しいわけで、相手にそれが期待できないならば、自分がそうする以外に、現実的な改善が見込めません。

自分に負担が掛かるのがイヤだから、相手とのコミュニケーションを諦めて関係を断つ選択がとれるなら、それも自由ですが、しかし、多くの場合、そうはできない事情があるから、困ってしまうのでしょうし、ならば、何とかするという前提にたって、自分のほうから、歩み寄っていくことが大事です。

相手の許容量や、理解力が、自分よりも小さいとか、平均よりも小さい、という状況が仮にあったとして、そのこと自体を責めても、(責めたことが効果をなして)変わるわけではないでしょうし、相手にとっても、責められることも、責めたことで変われ、と期待されるのも、酷なことだと思います。

相手が変わる(成長する)ためには、時間が掛かり、それまでの間は、理解が出来る人が、なるべく寄り添う姿勢になることが、必要なのではないでしょうか。

含みが受け取れない、言葉のとおりに受け取ってしまう、という特徴を分かっているのならば、その特徴に合わせた言い方を心掛けることです。

そうとわかっているのに、含みが必要な表現や、比喩や遠回しの表現を使うのは、わざわざ通じにくさを作り出すことになりかねません。

たとえば、相手が理解しないときに、「なぜ、そんなことも分からないの!」と言うとします。その台詞は、言い換えれば、「そのくらい、わかってよ!」という主張ですよね、しかし、言葉のとおりにしか理解できない人は、「なぜ」と聞かれたら、わからない理由を尋ねられたと思うかもしれず、そこでまた、混乱が生じたりします。

「もっと、ちゃんとやってよ!」という、「ちゃんと」とは、具体的にどういうことなのか、「普通は、その場面で、その行動はしない」というなら、正しくはどういう行動をとるのがいいのか、含みや遠回しを使わない表現の仕方を、工夫してみるのも、ひとつのよい方法です。

そうして工夫をしていくことは、自分の会話力の向上にも繋がっていきます。相手のために、自分が割りを食って、苦労している、と思うかもしれませんが、間接的に、自分のためにもなっているのですね。

自分には原因がない、自分は悪くない、相手にすべての原因がある、という、自己中な考え方をしているときに、そういうタイプの人と出会って、自分の会話力やコミュニケーション力を見つめ直すことを促される場合があります。

必ず、自分にも学びはあります。より、伝わりやすいシンプルな表現を、今一度、基本に返って学ばされた機会ととらえて、出来る工夫をとっていくと、きっと、少しずつでも、何らかの変化は見られていくのではないでしょうか。

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2013年4月 4日 (木)

夢を通して伝えられる、メッセージ。

睡眠中の「夢」をとおして、必要なメッセージが伝えられることがあります。眠るという行為、夢を見る、という現象は、とてもスピリチュアルな要素なのです。

私たちは、寝ている間に、肉体を抜けて、たましいが、あちらの世界に里帰りをする、といわれています。そして、守護霊と、今後についての、作戦会議?を、しているのだそうです。

しかし、あちらの世界に戻っているときは、意識が、日常とは違う層にあり、霊的な層へとチャンネルがあっているので、起きたときには、その際の記憶が、意識の表面に出ることがありません。

それでも、たましいの深いところでは、作戦会議をした内容が刻まれていて、無意識のうちに、それらが自然に活用されていきます。

ときに、その様子の一部を、夢として、私たちは、記憶していることがあります。

夢のすべてが該当するわけではありませんが、中には、不思議で辻褄のあわない夢は、あちらの世界へ戻ったときの、記憶の断片、という場合も、あるようです。

あなたの受け取る力、理解する力が研ぎ澄まされていて、かつ、霊界が、あなたに伝えたいことがあるとき、意図的に、夢の中に、そのメッセージを含む形で、あなたにそれを「見せる」ことがあります。

何か、心に残るような、いつもと違うような、印象的な夢をみたときには、そこに、霊界からのメッセージが含まれている可能性があります。

夢にかぎりませんが、通常、あちらの世界から、伝えたいことがある場合は、「そうと、分かるように」伝えられてきます。

伝えることが目的であり、迷わせることが目的ではないので、その意味は、紐解けるようになっています。意味が分からないものは、そのまま受け流していくくらいが丁度良いと思います。こだわり過ぎも、よくありません。

印象的な夢、メッセージ性があるような夢をみたときには、心を静かにして、想像力で解釈をしてみましょう。何か、役立つメッセージを、その中に、見出すことができるかもしれません。

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