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2013年3月の5件の記事

2013年3月24日 (日)

浅い眠りの状態が、霊を感じやすい?

先日、寝ているときに、久しぶりに、ありありと、霊の気配?を感じて、飛び起きてしまいました。気配のリアルさに反応して、起きてしまいましたが・・・、でも、別に霊がいたからどう、ということでもないので、ふつーに、スルーして(^^;)、すぐに寝てしまいます。

浅い眠りのとき、寝入りばな、起き掛けに、霊的な雰囲気や気配を感じるとか、不思議な体験をした経験を持つ人は多いものです。

深い眠りのときには、そういう現象が起こっていることを、自覚しませんよね、何しろぐっすり寝ていますから。先日の私の経験も、気配を感じて飛び起きている、というのは、眠りが浅いからこそ、だと思います。

一般的に、霊が出るのは夜、というイメージを持つことは多いと思いますが、霊は、いつでも、どこにでも居ますので、霊的な現象が起こるのは、夜に限った話ではありません。

しかし、私たち人間の感覚からすると、「夜のほうが、感じ取りやすい」傾向がある、とは言えるでしょう。実際に、寝ているときに、気配を感じたとか、声がしたような気がした、などの経験を持つ人はたくさんいます。

睡眠中、私たちの意識は、肉体という物質を抜けて、あちらの世界に里帰りをしている、といわれています。このときは、24時間の中で、もっとも、私たちの意識が、「霊的な方向へ開いている」状態です。

そのときこそ、一番、霊を感じやすいように思えますが、実際には、深い眠りで、霊的な方向に意識が開いているときには、霊に関する体感や知覚は、それほど敏感になりません。

なぜなら、そのときの状態とは、「最も霊(的なもの)に、馴染んでいる状態」だからです。馴染んでいるものは、その状態における普通ですので、インパクトを伴った体感や知覚に繋がらず、記憶にも残りにくいのです。

逆に、起きているときは、物質的な世界のほうに意識が広がっている状態なので、霊的なものとは、落差がありすぎて、違う意味で、体感や知覚に繋がりにくい、といえます。

つまり、どちらにしても、深い眠りのときも、起きているときも、体感や知覚はしにくい状態です。差がないことも、差がありすぎることも、「違い」を把握することが難しいからです。

そして、そのどちらでもない、寝入りばな、起き掛け、眠りの浅いときには、上記の条件が、微妙に重なり合って、馴染みきってもいなくて、落差もつきすぎていないという、「感じ取りやすい状態」が作られます。

先日、私が飛び起きてしまったのも、落差がついていることの、インパクトに、びっくりして起きてしまった、のだと思います。それが怖いとかではなく、違和感の印象が強くて、思わず何かが反応してしまった、というか。

なので、気配を感じ取ったとして、その時にちょうど、霊が近くにきたから、とは限らず(もちろん、中には、そういうケースもあるでしょうけれども)、霊はいつでもどこにでもいて、自分の感覚が、感じやすい状態が作られているから感じた、というケースもあるのです。

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2013年3月16日 (土)

波長や波動を、「意図的に、高める」ことは、できるのか。

その人が備えている、霊的なエネルギーの質について、その人の「波長」とか「波動」といった言葉で表現をすることがあります。

あの人は、波長が高い、と(スピリチュアルな意味合いにおいて)表現するとしたら、備えているエネルギーが、何らかの意味において、高い、と、解釈をすることができます。

表現の仕方はいろいろで、波長といったり、波動といったり・・・、もっと別の言い方もあるかもしれませんし、言葉の持つ意味は幅広いので、唯一無二の定義は難しいですが、私は、そういう領域について表現をするとしたら、「波長」という表現を使うようにしています。

(江原さんが書籍でそのような表現を使われていて、そのまま一般的に広まっていると思いますので、揃えて使わせていただいています。)

この「霊的なエネルギーとしての、波長(波動、ときには、もっと別の表現もあるかも)」は、大きくわけると、二通りの解釈で使われます。

ひとつは、本質的に備わっているエネルギーを表す場合です。別の言葉でいえば、霊性そのもの、と表現することもできるでしょう。霊的なエネルギーが本質的に高い、霊性が成熟している人、という意味で「波長の高い人」と、表現することがあります。

もうひとつは、状態の高低を表す場合です。そのときの霊的なコンディションが高いか、低いか、という意味で、「波長が高まっている」、とか、「波長が下がっている」、という表現を用いることがあります。

前者の、その人が本質として備えているエネルギーという意味での波長は、当然のことながら、そう簡単には高めることはできません。

(そういう意味で使う場合の)波長とは、霊性であり、霊性が向上するためのお手軽な方法は、存在しない、という理解は難しくないと思います。長い時間と、たくさんの経験から、霊として、人として、成長していくことが、本質の向上に繋がる唯一の道、といえるでしょう。

けれど、後者の、そのときの霊的なコンディションという意味での波長は、「状態」ですから、容易に移り変わります。こちらは、そのときだけでいいのであれば、高くする「方法」はある、と言えるでしょう。少なくとも前者よりは、何かしら工夫することは可能となります。

巷には、「こうすれば波長が高まります」とか、「この儀式をすれば、波動が上がります」などという触れ込みで、実にさまざまな「方法」があふれているようですが、波長や波動といわれる霊的なエネルギーの表現は、上記のとおり、二通りで使われます。

特定の方法を利用して、意図的に高める、などというのは、後者のほうにしか、効果が得られないことがほとんどだと思います。ここを、混同して受けとめやすいので、注意する必要があります。

波長、波動という言葉を、一時の状態ではなく、本質的な霊性そのもの、という定義する場合においては、たくさんの経験を通して、人として成長していくことによりなされるもので、成長の度合いは、その人にとって最善のペースで進むものであり、特定の方法で簡単に効果を出すようなことは望めない、そのことは理解をしておきましょう。

そして、一時的な波長の「状態」を、整えることや、高めることが、無意味ということではないので・・・、そちらを否定しているわけではないので、この点も、誤解のないようにお願いします。

下がった状態を改善したり、ネガティブな影響を除いたりして、本来のあるべき状態に整えていくことは、備えている霊性を発揮していく意味でも、有意義であり大事なことだからです。

つまり、「波長、波動を高めるために、こうすればよい」、という、方法や儀式などについて、判断をするならば、「その、波長、波動という言葉は、どのような範囲の要素を定義している表現なのか」を、まずは、見極めることです。

そして、「その、どちらかの目的に見合った手段として、とらえていく場合に、その方法が、何かしらの作用や効果が見込めるものなのか(目的と手段はあっているのか)」、という、二段階で考えていくこと、ですね。

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2013年3月14日 (木)

波長の法則をもとに、人間関係を分析するために必要なこと。

人間関係も、「波長の法則」です。同じ要素をもった人同士が引き合う、という仕組みによって、関係が作られていきます。まったく何も引き合うものがなければ、そもそも、そういう人とは出会わないし、関係も作られません。

何らかの、同じ要素をもった人同士が、その共通要素により引き寄せ合うので、当然のことながら、何もかもが同じにはなりません。大部分は考え方が合わない、気が合わない、というケースも、普通にあり得ます。

自分とあまりに考え方が合わない、気が合わない人が、目の前に現れたときに、「この(ようなタイプの)人と、自分とは、いったいどこが引き合うというのだろう」と、思ってしまいますよね(^^;)。

しかし、この仕組みは、すべてに作用していきますので、自覚していない「何か」が、引き合っていることは確かです。

その何かとは、具体的にどのようなことで、この関係が自分にどんな学びとなるのか、という分析とともに、深くとらえていくのは、「応用編」の、「第二段階」です。

最初から、そのように冷静に受けとめて、自分を高めていけたら望ましいけれど、なかなか、簡単にはそうは考えられないし、分析も難しいです。

多くの人は、ここでうまく分析も進まず、納得もいかず、という状態になり、なんとなく曖昧に、悩み続けてしまうのではないでしょうか。

深い分析の前に、まずは、「波長の法則という、仕組みについて理解し、仕組みが存在することを受け入れる」という、第一段階が必要です。

つまり、こんなにも考え方が合わなくて、気も合わなくて、苦しい、嫌だ、と考えてしまうような人でも、お互いに、「何か」が引き合って、今の状況が作られているのだろうな、(その、何かが、具体的にどんなことか、というのは、ともかくとして)、と、まずは、その点を、納得するというか、「自分に言い聞かせること」です。

そのくらいなら、感情的な拒否感も大きくはないでしょうから、半分開き直り的にでも(笑)、意識的に考えていくことは可能だと思います。

この第一段階が、何故必要かというと、まずは、その仕組みを納得させていけば、「その前提で、そういう目で」物事を眺めるようになる、その人との関係性を考えるようになる、という、姿勢が、だんだんと、つくられていくからです。

その姿勢があると、第二段階の分析が簡単になります。

たとえて言うならば、この問題は足し算が有効だろうな、と、見当をつけて、数字を眺めていくことができるのと同じように、いくらかは問題を解きやすくなるのです。

いきなり第二段階にいっても、この問題は、本当に足し算でいいのか?と、疑いながら問題に挑むようなもので、そうなると、導き出された解答に不信感が出てしまい、納得に繋げていきにくくなります。

そうすると、「頭ではわかるのだけど・・・、理屈は分かるけれど・・・」と、そこでとまってしまい、感情の抵抗がでてきます。

どんなことでもそうですが、いきなり難しいことはできません。

まずは、仕組みが作用していることを、受け入れていき、その上で、具体的に分析をする、そういう順番のほうが、ひと手間多く掛かるように思えても、結局は近道なのですね。

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2013年3月11日 (月)

新しいものと、引き合うタイミング。

自然に、新しい情報が、目につくようになる、耳に入ってくるようになる、手元に巡ってくるようになる、そのような機会が重なる時期というものがあります。

すべての出来事は、自分と同じレベルのものが引き合う、という、「波長の法則」によって作られていますので、それらの機会も、自分自身と何らかの関連はあるといえるでしょう。

その情報そのものが、自分に必要だから、引き寄せられてくる場合があります。たとえば、ヨガ教室のパンフレットが入ってきた、知人がヨガを始めたらしいと聞いた、雑誌をみたら、ヨガの特集が載っていた、という場合に、その人にとって、体を動かすことが必要だから、起こっている、というケースです。

しかし、別のケースもあります。新しい情報があれこれと、もたらされるのは、その情報の、個別の中身(上記の例なら、ヨガについて)そのものが必要な要素ではなく、特に対象を限定しない、「新しい要素や情報」と引き合っている場合があります。

引き合っているのは、特定の要素ではなく、その情報が含んでいる、その人にとっての「新しさ」が大事、というケースもあるのです。

視野を広げていくことや、今までとは違う要素に目を向けていくことが必要な時期に、「新しさ、という要素がもたらされる」という引き合い方で、いろんな出来事が起こっていき、ヒントを与えられることは、わりとよくあるようです。

そういう時期にあることに気づいて、何か工夫をしてみる、という受け止め方をしていくとよいと思います。そういう心掛けが、今、自分に向かってやってきている波を、うまくつかんでいくことに、繋がっていきますね。

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2013年3月 8日 (金)

重厚感のあるオーラ。

長い人生の中で、ときに、大きな苦しみや辛さに直面し、精神的にも肉体的にも負荷が掛かるような出来事に遭遇して、学ばされることがあります。

この世というのは、学びの場所で、私たちは、たましいの成長のために、この世で人として生きるという学びのための経験を与えられています。そのため、喜びや楽しみだけ得るような人生にはならず、いろんな喜怒哀楽を、あらゆる形で経験させられるものです。

苦難に直面し、それを受けとめ、乗り越えていく、という経験をした人のたましいには、「成熟という深み」が、刻み込まれていきます。

その様子は、オーラにも表れます。苦難を乗り越えて、たましいが成長した方のオーラには、独特の「深み」があります。

苦難を越える経験をあまりしていない人は、オーラの構造も、どこか「浅い」部分があり、深みを感じさせません。こだわりが少なく、明るいオーラではあっても、深みが十分でないオーラ、というのもあるのです。

苦難に直面していないために明るくのほほんといられる人と、苦難を経験して成長し、へこたれずに自分を明るく保とうとしている人とでは、同じにはなりませんね。

前者が悪いというわけではないけれども、後者は負荷が掛かった上での努力であり、そこに経験から培ったものが付加されていくのでしょう。

品物に例えると、プロの職人さんが手を掛けて作った食器と、大量生産で作った食器を比較すると、手作りのほうが、どこか「重厚感」を感じさせて、何かこう、どっしりとした、強さのような、落ち着きを感じさせたりすることってありますよね。

時間と手間を掛けた工程が、品物にエネルギーとして載っていき、独特の雰囲気というか、風格のようなものを感じさせるのかと思います。

どんなことも、深みを出すためには、相応の時間や労力がかかり、インスタントにはいかない、ということです。簡単に作品に深みと重厚感を出す方法、というものは存在しないように、簡単にオーラに深みや輝きを与えるような、お手軽な方法、というものもありません。

そのために、必ずしも苦難が必須というわけは、ありません。けれど、私たちは、あえて学びのために自分に負荷を掛けることは苦手で、楽なほうだけ行きたくなり(^^;)、苦難に直面しないと、真剣に考えたり、取り組んだりすることができないので、学びのために、そういう出来事を与えられ、経験させられるケースが多い、とは言えるでしょう。

苦難を乗り越える経験が必須、ではなく、その経験から、何を学び、何を自分のものにできたか、というそちらが大切なのです。(そして、通常、自分のものにする学びの経験は、苦難を感じさせる形になっていることが多い、ということです)

この人生は学びであり、生きていく中で、いろんな出来事に直面していきますから、そうして与えられた学びを、しっかり受けとめて、自分のたましいに刻んでいきましょう。

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