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2013年3月の15件の記事

2013年3月28日 (木)

自己肯定感の低さと、極端な思考の結びつき。

自分を認める、自分を信じるというような、「自分の存在や価値についての肯定感」が低い人がいます。

そういう人は、白か黒か、100かゼロか、○か×か、のような、両極端の二択の思考をする傾向が強くみられます。

ほんの少しでも、自分の意見と違うことを言われたとか、改善点を指摘されたなどの、いくらかの否定的な要素に接すると、「攻撃をされた」という極端な受け止め方をするので、人間関係がうまくつくれません。

100か、ゼロか、という受け止め方なので、ほんの少し、ごく一部の、そこだけを否定されたにすぎないのに、「全否定された」ととらえ、→「攻撃をされた」→ 「自分は価値がないので、嫌われている」と、いう受け止め方になります。

逆に、ほんの少し、ごく一部を、褒められたり、認められたりした場合も同様で、「全肯定をされた」と受けとめ、過剰にその人を盲信して、依存的になります。

しかし、一部を認められるのと、全肯定されるのとは違いますので、付き合いをしていくうちに、「それは、違うよ」と、言われてしまう場面も、いずれは出てきますよね、そうすると、「信じていたのに、裏切られた」、という、これまた極端な認識になったりします。

自己肯定感の低さと、100かゼロかの、両極端な思考との結びつきは、以下のようになっています。

たとえばある程度の自信があって、自分を認めることができる人は、仮に、他人から、多少の否定をされたとしても、それが全てとは受けとめません。

自分という全体で考えたときに、多少の「マイナス評価」を外から投げかけられたとしても、受けとめて中和するだけの「プラス評価」が、自分の中に存在しているからです。

けれど、肯定感が低い人は、もとより自分へのプラス評価が少ないので、外からマイナス評価を投げかけられたら、受けとめるクッションがありませんから、少しのことも、酷い攻撃をされた、というような解釈になってしまいます。

この世で起こることって、完璧はないので、「ゼロ」のことはあっても、「100」のことって、なかなか、ないですよね。「80」や「90」などの、その中間にあることを、認めていくことで、肯定感が培われていきますが、両極端なとらえ方しか出来ない人にとっては、この世という不完全な場所は、否定だらけ、攻撃だらけの、生きづらい場所、に思えてしまうでしょう。

自己肯定感の低さと、100かゼロかの極端な思考は、多くの場合で、結びついています。

このようなタイプの人の、生きづらさを解消するには、肯定感を高めていけるための、働き掛けとして、その人の感情によりそい、肯定感を高めていく方法が有効です。

(仕組みを理性で理解することも、大切なのですが、いきなり理性を前面に出して納得させようとすると、それを攻撃であるかのように、とらえてしまう場合があります。)

自己肯定感というのは、簡単に、外から持ってきて、増やすようなわけにはいきません。その人の中にあるものを、育てていく必要があります。

糸口は、必ず、その人の「中」にあるので、外から何かをたすのではなく、中にあるものを見つめていくことが大事ですね。

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2013年3月25日 (月)

すぐに結果がでることで得られる、達成感。

新しいことに取り掛かる前に、必要な用具を一式揃えてしまわないと気が済まない、道具や形式にとてもこだわってしまう人がいます。

それで、その後も順調に進んでいくなら問題はありませんが、中には、「いろいろ購入した、その時はやる気になるのに、長続きしなくて、投げ出してしまう」人も、少なくありません。

そういう人は、きっと、周囲の人達から、「ならば、最初に一式揃えてしまうのを、やめたら?続いてから、買いたしていけばいいじゃない」とか、「どうして、道具を揃えたのに、続けないの?」とか、「買う前に、よく考えたら?」とか、いろいろ、責められることでしょう(^^;)。

そして、本人としても、自分はどうしていつもこうなるのか、という思いはありながらも、それでも、最初に道具を揃えないと動けない、そうしないと気が済まない、と、同じような行動を繰り返していたりします。

そういう人の、思考や感情の動きと、価値基準について、書いてみたいと思います。なぜそうなるか、というメカニズムがわかると、対処の方法が見えてきやすいので、そこを意識しているのと、していないのとでは、違いが出てきます。

「先に、道具をあれこれ揃えてしまう」のと、「そのときは、やる気になる」のと、「長続きしない」のは、同じ要素を表している、といえます。

それは、「すぐ目に見える、すぐ結果がでることが、その人の達成感に繋がる」という点です。

たとえば、スノーボードを新しく始めるとします。ウエアを買ったり、ボードを買ったりすることは、すぐに目に見える結果がありますよね。それが、その人の達成感に繋がるので、達成感を得たいので、すぐに行動できます。というか、しないと気が済まなくなります。

その時は、やる気になっているのも事実で、嘘ではありません。達成感が、高揚感になり、やる気に繋がっているからです。

しかし、実際にとり掛かると、長続きはしない、スノーボードを続けることはうまくはいかず、途中で投げ出してしまうのは、「上達はすぐにはできない、簡単には結果がでないので、達成感に繋がらない」からです。

地道な積み重ねによる向上には、意識が向きにくく、「すぐに結果がでるような、達成感や高揚感」を、このタイプの人は、求めていることが多いのです。

なので、中長期的な計画を立てて、じっくりと行動を積み重ねていくようなことが、とても苦手です。どのように計画をたてて、どんな意識でそれを実行していったらいいのか、よくわからない、と感じる人も少なくないでしょう。

そういうタイプの人にとって、道具を一式揃えてしまう行為とは、「スノボを継続していき、上達するための、スタートであり準備であり、その先に長い道のりがある」という前提によるものではなく、「その時点での、達成感をえるためのもの」に、(意図的ではなくても)結果として、なってしまっている、のです。

だからある意味、買いそろえたことで「達成」していて、実際にスノボにとり掛かると、簡単には達成感を得られないので、そちらは、続かなくなってしまいます。

そのような理由によって、「最初に買い集める」という行為をしている人に対して、「続いてから、買いたしていけば」とか、「どうして、道具を揃えたのに、続けないの?」とか、「買う前に、よく考えたら?」とかの助言は、・・・おそらく、あまり心に響かない(^^;)かもしれません。

対処法として、ですが、人生の中には、どうしても、中長期的な計画をもとに取り組んでいくのが必須な要素と、そうしなくてもいい(どちらでもいい)要素とが、あると思います。

前者については、少しずつでも努力して、しなければいけなくなるでしょうが、後者の、どちらでもいい要素については、最初から、長い計画に基づくような動きを、あえて取り入れない、という方法もあっていいと思います。そのほうがストレスなく、その人らしい生き方ができる場合もあるでしょう。

全てに言えますが、「どんな理由に基づき、その行動があるのか」という全体を考えることが、改善につながっていくきかっけを見つけやすくなります。

理由を考慮せずに、行動のみを直そうとしても、アドバイスや方法の切り口が、状況にマッチしない場合も出てきてしまいますので、「なぜ、そうなるか」という、見方、考え方を、とっていくことは大事ですね。

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2013年3月24日 (日)

浅い眠りの状態が、霊を感じやすい?

先日、寝ているときに、久しぶりに、ありありと、霊の気配?を感じて、飛び起きてしまいました。気配のリアルさに反応して、起きてしまいましたが・・・、でも、別に霊がいたからどう、ということでもないので、ふつーに、スルーして(^^;)、すぐに寝てしまいます。

浅い眠りのとき、寝入りばな、起き掛けに、霊的な雰囲気や気配を感じるとか、不思議な体験をした経験を持つ人は多いものです。

深い眠りのときには、そういう現象が起こっていることを、自覚しませんよね、何しろぐっすり寝ていますから。先日の私の経験も、気配を感じて飛び起きている、というのは、眠りが浅いからこそ、だと思います。

一般的に、霊が出るのは夜、というイメージを持つことは多いと思いますが、霊は、いつでも、どこにでも居ますので、霊的な現象が起こるのは、夜に限った話ではありません。

しかし、私たち人間の感覚からすると、「夜のほうが、感じ取りやすい」傾向がある、とは言えるでしょう。実際に、寝ているときに、気配を感じたとか、声がしたような気がした、などの経験を持つ人はたくさんいます。

睡眠中、私たちの意識は、肉体という物質を抜けて、あちらの世界に里帰りをしている、といわれています。このときは、24時間の中で、もっとも、私たちの意識が、「霊的な方向へ開いている」状態です。

そのときこそ、一番、霊を感じやすいように思えますが、実際には、深い眠りで、霊的な方向に意識が開いているときには、霊に関する体感や知覚は、それほど敏感になりません。

なぜなら、そのときの状態とは、「最も霊(的なもの)に、馴染んでいる状態」だからです。馴染んでいるものは、その状態における普通ですので、インパクトを伴った体感や知覚に繋がらず、記憶にも残りにくいのです。

逆に、起きているときは、物質的な世界のほうに意識が広がっている状態なので、霊的なものとは、落差がありすぎて、違う意味で、体感や知覚に繋がりにくい、といえます。

つまり、どちらにしても、深い眠りのときも、起きているときも、体感や知覚はしにくい状態です。差がないことも、差がありすぎることも、「違い」を把握することが難しいからです。

そして、そのどちらでもない、寝入りばな、起き掛け、眠りの浅いときには、上記の条件が、微妙に重なり合って、馴染みきってもいなくて、落差もつきすぎていないという、「感じ取りやすい状態」が作られます。

先日、私が飛び起きてしまったのも、落差がついていることの、インパクトに、びっくりして起きてしまった、のだと思います。それが怖いとかではなく、違和感の印象が強くて、思わず何かが反応してしまった、というか。

なので、気配を感じ取ったとして、その時にちょうど、霊が近くにきたから、とは限らず(もちろん、中には、そういうケースもあるでしょうけれども)、霊はいつでもどこにでもいて、自分の感覚が、感じやすい状態が作られているから感じた、というケースもあるのです。

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2013年3月23日 (土)

自分がつくる、人生の指南書。

日々のさまざまな出来事を通して、自分なりの規則性とか法則性を見出していったり、価値観を創り上げたりしながら、私たちは生きています。

意図的にそうしているのではないにしても、経験が増えていくごとに、「こういう場合は、さらに工夫が必要だ」とか、「こんなケースでは、焦らないことが一番だ」などのように、どう振る舞うのが適切であるか、過去の出来事を元にした判断をしながら、過ごしていますよね。

それらの仕組みは、ある意味、人生を過ごすための「自分マニュアル」を、それぞれが作りあげているプロセス、とも言えるのではないでしょうか。

自分という、オンリーワンの素材が、どうすれば最も活用されて輝くのか、過去に経験してきたことと、知識や思考を組み合わせて、ベストの方法を見出すという作業は、他の人にはやりようがない、自分だからこそできること、です。

誰か他人が、自分のための活用法を、作ってくれたり、教えてくれたりすることを待っていては、おそらく、その願いは、満たされることはないので、結果、いつまでも前進できません。

また、他人が作ったマニュアルは、あくまで、その人自身のものであり、「自分に必要なものは、自分が人生を通して、作っていく」という、自覚をもつことが必要だと思います。 先人の知恵が、いくらか参考になるとはいえ、まったくの同じ人間ではない以上、指南書もまた、すべてオンリーワン、なのです。

「このように生きていけば、簡単ですよ」というような、出来上がった指南書を、誰かが提示してくれるのを期待していたら、時間ばかりが過ぎていきます。

どこかに、そのような完璧な「方法」が存在するはずだから、その方法を探せばいい、と誤解してしまうと、自分を、自分の外側に探しに行くという、いわゆる「自分探し」に迷い込んでいくことになります。

迷い、苦しみ、ときに失敗をしながら、それらの経験をも糧として、気付いたこと、分かったこと、そうして作られた知恵の結晶である、自分だけの、自分マニュアルこそが、本当の「価値のあるもの」ではないでしょうか。

自分の人生を充実させることや、輝かせることや、前進させていくことに対して、自主性をもって臨むことが大事です。誰かや、特定の何かに依存していては、うまくはいきません。

そして、完成している自分のためのマニュアルは、どこにも存在しない、という理解も大事です。

マニュアルが完成するのは、いわゆる悟りの境地に至ったとき、でしょう。しかし、この世で学んでいる未熟なたましいである私たちは、「どこまでも、学び続ける」のです。

自分だけの、自分マニュアルは、日々、更新されていき、精度の高いものへと進化し続けますが、この世における(私たち人間の学びとしての)進化に、終わりはありません。

これで完璧、このマニュアルを使っていけば、残りの人生は安泰だ、という瞬間は、生きているかぎり(成長し続けますし、変化し続けますから)、やってこないのです。

その終わりのない状態こそが、この世という不完全な場所における最善の形、といえるでしょう。

誰もが、自分だけの、生き方マニュアルを、人生を過ごしながら作り上げ、作りながら活用していく、という同時進行です。不完全なまま、成長を目指して進んでいく、プロセスのすべてが、人生そのもの、です。

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2013年3月22日 (金)

たまたま見たテレビ番組が、素敵でした(^^)。

先日、珍しく昼間にテレビを見ていましたら、「徹子の部屋」に、作家であり作詞家でもある永六輔さんが出ていらっしゃいました。

その中で、とても印象的だったお話があって、そのことを、書いてみたいと思います。

永さんは、現在、パーキンソン病のために、歩行が困難で、リハビリをなさっているのだそうです。リハビリの担当者は、日本人ではなく、外国人の青年で、日本語を習得なさって、熱心にして下さる良い方だったそうです。

あるとき、その青年が、明るい気分でリハビリをするために、歌を歌いながら歩きましょう、と提案をしてきたそうです。日本の人なら、誰でも知っている歌があるから、それを、一緒にうたいましょう、と。

その彼が提案してきた歌とは、「上を向いて歩こう」でした。

この歌は、永さんが作詞した歌ですが、スタッフの彼は、そのことは知らず、意図した選曲ではなかったようです。

彼は、永さんのことを知らなくても、周囲にいる、おそらく同年代の患者さんなどは、永さんが作詞をした歌であることをご存じでしょうから、自分の歌を歌いながらのリハビリの、照れくささとか、気まずさからなのでしょうか、「私は、その歌を知らない」と、嘘をついて断ったそうです。

しかし、医師に、「(歌を知らない、と)嘘を言っては彼がかわいそうだ」、と諭されて、後に、「実は、知らないといったのは嘘で、私はその歌を知っている。なぜなら、それは、私が作った歌だから」と、スタッフの彼に伝えたら、「また、嘘を言っている!」と、言われたとか、そんな笑い話がいろいろありまして・・・、そして、こう思ったそうです。

その外国人の彼が、「上を向いて歩こう」を歌ってリハビリをしようと勧めてくる、という巡り合わせに、その歌の作曲家である、故人の中村八大さんが、あの世から、自分のリハビリを手伝ってくれているのかもしれない、と。

私は、それを聞いて、ちょっと涙が出そうになりました(^^;)。

「中村さんが、手伝ってくれている」と思った、永さんの感性が、素敵です。

深い信頼関係がなければ、そのような受け止め方って、思い浮かばないですから、お二人の間に、お二人だけが分かる、通じ合うものがあったのだろうな・・・と、想像ができますよね。

そして、何の霊的な働き掛けもないのに、上記のような巡り合わせが、実際に起こるとは、考えにくく・・・、おそらく、そこには、「何らかの、霊的な作用」が、あったのだろうと思います。

霊界からの働き掛けというのは、霊が姿を現すことに限りません。このように、出来事や、人を介して(一見、そうと気付かないような形で)伝えられるケースは多いです。

そして、それらの出来事には、その人には分かる、という要素を何かしら伴っていたりして、「たぶん、あの人かなぁ・・・」と思うことって、結構、当たっていることも多いような気がします。

とてもいいお話で、拝見してよかったと思いました(^^)。

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2013年3月16日 (土)

波長や波動を、「意図的に、高める」ことは、できるのか。

その人が備えている、霊的なエネルギーの質について、その人の「波長」とか「波動」といった言葉で表現をすることがあります。

あの人は、波長が高い、と(スピリチュアルな意味合いにおいて)表現するとしたら、備えているエネルギーが、何らかの意味において、高い、と、解釈をすることができます。

表現の仕方はいろいろで、波長といったり、波動といったり・・・、もっと別の言い方もあるかもしれませんし、言葉の持つ意味は幅広いので、唯一無二の定義は難しいですが、私は、そういう領域について表現をするとしたら、「波長」という表現を使うようにしています。

(江原さんが書籍でそのような表現を使われていて、そのまま一般的に広まっていると思いますので、揃えて使わせていただいています。)

この「霊的なエネルギーとしての、波長(波動、ときには、もっと別の表現もあるかも)」は、大きくわけると、二通りの解釈で使われます。

ひとつは、本質的に備わっているエネルギーを表す場合です。別の言葉でいえば、霊性そのもの、と表現することもできるでしょう。霊的なエネルギーが本質的に高い、霊性が成熟している人、という意味で「波長の高い人」と、表現することがあります。

もうひとつは、状態の高低を表す場合です。そのときの霊的なコンディションが高いか、低いか、という意味で、「波長が高まっている」、とか、「波長が下がっている」、という表現を用いることがあります。

前者の、その人が本質として備えているエネルギーという意味での波長は、当然のことながら、そう簡単には高めることはできません。

(そういう意味で使う場合の)波長とは、霊性であり、霊性が向上するためのお手軽な方法は、存在しない、という理解は難しくないと思います。長い時間と、たくさんの経験から、霊として、人として、成長していくことが、本質の向上に繋がる唯一の道、といえるでしょう。

けれど、後者の、そのときの霊的なコンディションという意味での波長は、「状態」ですから、容易に移り変わります。こちらは、そのときだけでいいのであれば、高くする「方法」はある、と言えるでしょう。少なくとも前者よりは、何かしら工夫することは可能となります。

巷には、「こうすれば波長が高まります」とか、「この儀式をすれば、波動が上がります」などという触れ込みで、実にさまざまな「方法」があふれているようですが、波長や波動といわれる霊的なエネルギーの表現は、上記のとおり、二通りで使われます。

特定の方法を利用して、意図的に高める、などというのは、後者のほうにしか、効果が得られないことがほとんどだと思います。ここを、混同して受けとめやすいので、注意する必要があります。

波長、波動という言葉を、一時の状態ではなく、本質的な霊性そのもの、という定義する場合においては、たくさんの経験を通して、人として成長していくことによりなされるもので、成長の度合いは、その人にとって最善のペースで進むものであり、特定の方法で簡単に効果を出すようなことは望めない、そのことは理解をしておきましょう。

そして、一時的な波長の「状態」を、整えることや、高めることが、無意味ということではないので・・・、そちらを否定しているわけではないので、この点も、誤解のないようにお願いします。

下がった状態を改善したり、ネガティブな影響を除いたりして、本来のあるべき状態に整えていくことは、備えている霊性を発揮していく意味でも、有意義であり大事なことだからです。

つまり、「波長、波動を高めるために、こうすればよい」、という、方法や儀式などについて、判断をするならば、「その、波長、波動という言葉は、どのような範囲の要素を定義している表現なのか」を、まずは、見極めることです。

そして、「その、どちらかの目的に見合った手段として、とらえていく場合に、その方法が、何かしらの作用や効果が見込めるものなのか(目的と手段はあっているのか)」、という、二段階で考えていくこと、ですね。

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2013年3月15日 (金)

どんな経験も、当たり前のものはない、すべて感謝の対象ですね。

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このカードは、若い頃、オーストラリアに数週間の英語のお勉強?に行ったときにお世話になった、スリランカ人のご家族から頂いたものです。

先日、紙類を整理(^^;)していた際に、懐かしくなったので、UPしてみました。

本当に、良い経験をさせていただきましたね。とても優しい方達で、親切で、よい思い出です。

私は、びっくりするほど「筆記体が読めない」人sweat02なので、この手紙は、そんな私のために、丁寧に読みやすく書いてくださっています。

それにしても・・・、英語は、忘れてしまいましたねぇ;。使わないと、忘れますよね、ほんの数週間滞在しただけでも、戻ってきた直後は、とっさに日本語が出てこないくらいだったのに。

でもまあ、この先、そんなに使うことはなさそうなので、経験を財産として(笑)、英語は、単語くらいが分かればそれで,特に日常、困ることもなさそうだし、いいか、と(^^;)。

ホームステイは、もちろん、料金は払っているわけですが、それでも、お金には換えられないくらいの、たくさんの優しさをいただいたと感謝しています。

お金を払っているから、とか、権利だから、とか、そういう主張の仕方をする人が増えてきているように思いますが、「してもらって、当然」なことって、実はないんじゃないか、と。

通常、してくれるのが普通な関係性でも、そこに代金が介在していても、してもらったことって、どんなことでも、「ありがたい、感謝の対象」ですよね。

最近、ふと思い出すのですが、小学生くらいのころ、毎年、従姉妹の家に泊まらせてもらっていて、当時は親戚なのだから、当然だと思っていたけれど、手間と負担を考えたら、よく、受け入れてくれていたと、何十年も前のことに、感謝の気持ちでいっぱいになります。

おそらく、そこは、親がフォローしてくれていただろうし、お互い様の部分もあっただろうけれども、でも、フォローがあるからいい、お互い様だからいい、ということではなくて、やはり、それでも、ありがたいことには変わりありません。

それ以外にも、同様のことは、もっといっぱいあっただろうな・・・、と考えると、いろんなことを分かっていなかった幼い自分に対して、若いってすごいな・・・(いろんな意味でsweat01)と、若干、ビミョウな気持ちになりますねcoldsweats01

でも、子供の頃、若いうちには、分からない、年齢を重ねることで見えてくる領域というのは、実際ありますよね。

そうして、過去の経験を振り返ったり、今の感覚で見つめ直したりする機会も活用しながら、その年齢に見合ったことを、一生を通して、人は、学び続けていくのだろうな、と、そのために、年齢や時間という仕組みが存在しているのかな、と、そんなことを、最近、考えたりしています。

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2013年3月14日 (木)

波長の法則をもとに、人間関係を分析するために必要なこと。

人間関係も、「波長の法則」です。同じ要素をもった人同士が引き合う、という仕組みによって、関係が作られていきます。まったく何も引き合うものがなければ、そもそも、そういう人とは出会わないし、関係も作られません。

何らかの、同じ要素をもった人同士が、その共通要素により引き寄せ合うので、当然のことながら、何もかもが同じにはなりません。大部分は考え方が合わない、気が合わない、というケースも、普通にあり得ます。

自分とあまりに考え方が合わない、気が合わない人が、目の前に現れたときに、「この(ようなタイプの)人と、自分とは、いったいどこが引き合うというのだろう」と、思ってしまいますよね(^^;)。

しかし、この仕組みは、すべてに作用していきますので、自覚していない「何か」が、引き合っていることは確かです。

その何かとは、具体的にどのようなことで、この関係が自分にどんな学びとなるのか、という分析とともに、深くとらえていくのは、「応用編」の、「第二段階」です。

最初から、そのように冷静に受けとめて、自分を高めていけたら望ましいけれど、なかなか、簡単にはそうは考えられないし、分析も難しいです。

多くの人は、ここでうまく分析も進まず、納得もいかず、という状態になり、なんとなく曖昧に、悩み続けてしまうのではないでしょうか。

深い分析の前に、まずは、「波長の法則という、仕組みについて理解し、仕組みが存在することを受け入れる」という、第一段階が必要です。

つまり、こんなにも考え方が合わなくて、気も合わなくて、苦しい、嫌だ、と考えてしまうような人でも、お互いに、「何か」が引き合って、今の状況が作られているのだろうな、(その、何かが、具体的にどんなことか、というのは、ともかくとして)、と、まずは、その点を、納得するというか、「自分に言い聞かせること」です。

そのくらいなら、感情的な拒否感も大きくはないでしょうから、半分開き直り的にでも(笑)、意識的に考えていくことは可能だと思います。

この第一段階が、何故必要かというと、まずは、その仕組みを納得させていけば、「その前提で、そういう目で」物事を眺めるようになる、その人との関係性を考えるようになる、という、姿勢が、だんだんと、つくられていくからです。

その姿勢があると、第二段階の分析が簡単になります。

たとえて言うならば、この問題は足し算が有効だろうな、と、見当をつけて、数字を眺めていくことができるのと同じように、いくらかは問題を解きやすくなるのです。

いきなり第二段階にいっても、この問題は、本当に足し算でいいのか?と、疑いながら問題に挑むようなもので、そうなると、導き出された解答に不信感が出てしまい、納得に繋げていきにくくなります。

そうすると、「頭ではわかるのだけど・・・、理屈は分かるけれど・・・」と、そこでとまってしまい、感情の抵抗がでてきます。

どんなことでもそうですが、いきなり難しいことはできません。

まずは、仕組みが作用していることを、受け入れていき、その上で、具体的に分析をする、そういう順番のほうが、ひと手間多く掛かるように思えても、結局は近道なのですね。

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2013年3月13日 (水)

水に触れていると、ひらめき等が冴えることがあります。

台所で洗い物をしているときなどに、ふと、よい考えが閃いたり、アイデアが降ってくるような、冴えていくような、そんな経験をしたことがある方は、女性ならば、少なくないと思うのですが、いかがでしょうか。

普段は、曖昧にしか考えていないことが、(そうしようと意識しているわけではないのに)具体的に頭の中でまとまっていったり、方法を探していたことが、ふと閃いたり・・・、そういう経験が、不思議ですけど、なぜか、「洗い物中」に起こることが、私も結構ありますし、ご相談者さんからも、同様のお話をお聞きすることがあります。

それは、おそらく、「水」に触れていることが、関連していると思います。

お風呂にはいって、リラックスをしているときに、同様に、良い考えが閃くことがあります。

その仕組みは、「リラックスをしていることが、直感的な感性が活用されるための条件だから」というふうに、解釈されることが多いと思います。

それも、確かにそのとおりですが、リラックスをしていることに加えて、水に触れている作用も、関連している、掛け合わせではないでしょうか。

自然のものは、霊的なエネルギーと親和性が高いので、水もまた、エネルギーと馴染みやすいもののひとつといえます。

過去の記事でも、何度も書いてきたことですが、オーラの様子とか、霊的なエネルギーの性質とかは、なんとなく、電気に似ている感じです。

水と電気って、馴染みますよね。本来、純粋な水は、電気を通さないらしいですが、私たちが、普通の生活上で触れる水は、何らかの成分が含まれたものとなります。電気とよく似ている性質の霊的なエネルギーも、水と馴染みやすいと言えます。

水に触れることで、不要なエネルギーが洗い流されて、本来の備えている感性が前面に出てくるのと、水に馴染んでエネルギーが「動く」ことが、霊的な感性を勢いづかせるので、お風呂や洗い物中に、ひらめきが冴えることが、しばしば、起こるのではないかと思います。

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2013年3月12日 (火)

不要な紙類は、定期的に整理をしていく。

油断していると、物はいくらでも増えていきます。明らかに不要なものは買わない、とか、その都度処分をすることは、気持ちの上で難しくないですが、不要とは言えない、いつか使うかも、捨てるまではしなくても、と思うものは、そのまま(使わないのに;)たまってしまいがちですよね。

書籍、書類、切り抜きなどの、「紙」も、増えてしまいがちな物のひとつ、です。それほど場所はとらないのと、後で必要となる情報が載っているかも、とおもってしまうので、整理をするきっかけがつかみにくいので、いつの間にか、増えてしまうものです。

物にも、それぞれ固有のエネルギーがあります。それを作った人や、作る元となった素材、そして持ち主となる人のエネルギーが、構成要素となったり、後から加わったりして、物のエネルギーが作られていきます。

紙に書かれている情報も、一種のエネルギーです。すべては、エネルギーとして、何らかの作用をもつ、と考えれば、文字からの情報も、そのひとつ、といえるでしょう。

書籍や書類が、たくさんためこまれていたら、それは、情報というエネルギーが、ためこまれているのと同じです。 必要な内容が書かれている、必要な書類や書籍ならば、何の問題もありません。しかし、既に不要になったものを、場所をとらないから、と、そのままためこんでいたなら、「不要な紙という物質」だけでなく、「それに含まれる、情報というエネルギー」も、抱え込んでいることになります。

多すぎる情報というのは、自分を混乱させることがありますよね。多すぎる(不要な)紙類も、そのような作用に繋がってしまうこともあります。

不要な紙をためこみすぎると、思考が細切れになって集中しにくい、とか、常に頭忙しく動いて、雑念でいっぱいな状態に、なってしまうケースも、少なくありません。

中身を見なくても、それ自体がエネルギーを持っていますから、弱い影響は起こり得ます。それが、じわじわと続いてしまうと、意外と消耗したり、頭の中が落ち着かない状態になってしまうことも、実はあるようなのです。

必要なもの、大事なものは、そのように整理をする。使うかもしれないものは、必要なときに使えるように整理をして保管する、そして、明らかに使わないものは、何らかの処分をする、というように、ちょっと手を掛けると、それだけで、頭がすっきりすることも、あります(^^)。

文字好き、本好きの方で、雑念がいっぱい、集中ができにくい、という方は、この点を見直してみるとよいかもしれません。

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2013年3月11日 (月)

新しいものと、引き合うタイミング。

自然に、新しい情報が、目につくようになる、耳に入ってくるようになる、手元に巡ってくるようになる、そのような機会が重なる時期というものがあります。

すべての出来事は、自分と同じレベルのものが引き合う、という、「波長の法則」によって作られていますので、それらの機会も、自分自身と何らかの関連はあるといえるでしょう。

その情報そのものが、自分に必要だから、引き寄せられてくる場合があります。たとえば、ヨガ教室のパンフレットが入ってきた、知人がヨガを始めたらしいと聞いた、雑誌をみたら、ヨガの特集が載っていた、という場合に、その人にとって、体を動かすことが必要だから、起こっている、というケースです。

しかし、別のケースもあります。新しい情報があれこれと、もたらされるのは、その情報の、個別の中身(上記の例なら、ヨガについて)そのものが必要な要素ではなく、特に対象を限定しない、「新しい要素や情報」と引き合っている場合があります。

引き合っているのは、特定の要素ではなく、その情報が含んでいる、その人にとっての「新しさ」が大事、というケースもあるのです。

視野を広げていくことや、今までとは違う要素に目を向けていくことが必要な時期に、「新しさ、という要素がもたらされる」という引き合い方で、いろんな出来事が起こっていき、ヒントを与えられることは、わりとよくあるようです。

そういう時期にあることに気づいて、何か工夫をしてみる、という受け止め方をしていくとよいと思います。そういう心掛けが、今、自分に向かってやってきている波を、うまくつかんでいくことに、繋がっていきますね。

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2013年3月10日 (日)

伝えたいとおりには、伝わらないこともある、という割り切り。

自分が言いたいこと、伝えたいことが、そのとおりに伝わらない、違うふうに受け取られてしまうことが、ありますよね。

誤解されること自体が、不愉快だ、という自分の感情的にストレスになることもあれば、誤解されてしまうと、そこから関係する作業や行動等に不具合が出てしまうので、何とかして分かってもらわなければならない、というケースもあるでしょう。

どちらにしても、そこで、伝える側の人は、何かの手をうつなり、フォローをするなりの必要性が出てきます。

そうなったとき、原因は、自分の伝え方にもある、と考えるタイプの人は、その差異を埋めるために、たくさんの労力を掛けて、あらゆる工夫と努力を詰め込んで、誤解が生じないようになんとかしようと、頑張りすぎてしまうことが多いです。

よりよい伝達のために、工夫をすることは必要であり、大事ですが、しかし、それをたくさんすれば、必ず思い通りに伝わるかというと、残念ながら、そうはならないこともたくさんあります。

真面目なタイプの人、気が利くタイプの人は、この点を意識しすぎて、はまり込んでしまうことがあります。

こんなに工夫をしても、まだダメなら、さらにどうすればいいのか、もっと良い方法はあるのか、自分の努力がたりないのか、と、答えのないところに、答えを探そうとしてしまうことが、しばしば起こります。

伝えた相手の大部分が誤解した、というのであれば、伝え方に問題があるかもしれませんが、ごく限られた一部が対象であれば、それは、お互いの感性の差でしかない、伝え方や工夫がたりないことが理由ではない、という場合もあるでしょう。

あらかじめ、人は、自分が受けとめたいように受けとめるものであり、発言者が伝えたいとおりに伝わるとは限らない、そうならないことも、ときにはあり得る、多少の誤解や曲解は出てしまうこともある、と、割り引いてとらえていくほうが、現実にあった対応ができるように思います。

真面目なタイプの人は、頑張りすぎて空回りになり、考え過ぎて消耗してしまうことが少なくないですが、「世の中には、いろんな人がいて、必ずしも自分の思い通りに伝わるものではない、そしてそれは、お互いにそうである」と、受けとめていき、肩の力を抜くことも、大事ですね。

相手の理解に委ねる部分は必要で、また、そうしないと、物事はなかなか前進していかず、こだわりが停滞をつくってしまうこともあると思います。

自分の伝え方を出来る限り工夫をしたら、それでも出てくる誤解や差異については、その都度、相手にあわせて、個別のフォローをするほうが現実的な対処で、元より誤解を生まない伝え方というのは、理想的ではあるけれど、実際には難しいものであることを、伝える側も受けとめていくことが大事だと思います。

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2013年3月 8日 (金)

重厚感のあるオーラ。

長い人生の中で、ときに、大きな苦しみや辛さに直面し、精神的にも肉体的にも負荷が掛かるような出来事に遭遇して、学ばされることがあります。

この世というのは、学びの場所で、私たちは、たましいの成長のために、この世で人として生きるという学びのための経験を与えられています。そのため、喜びや楽しみだけ得るような人生にはならず、いろんな喜怒哀楽を、あらゆる形で経験させられるものです。

苦難に直面し、それを受けとめ、乗り越えていく、という経験をした人のたましいには、「成熟という深み」が、刻み込まれていきます。

その様子は、オーラにも表れます。苦難を乗り越えて、たましいが成長した方のオーラには、独特の「深み」があります。

苦難を越える経験をあまりしていない人は、オーラの構造も、どこか「浅い」部分があり、深みを感じさせません。こだわりが少なく、明るいオーラではあっても、深みが十分でないオーラ、というのもあるのです。

苦難に直面していないために明るくのほほんといられる人と、苦難を経験して成長し、へこたれずに自分を明るく保とうとしている人とでは、同じにはなりませんね。

前者が悪いというわけではないけれども、後者は負荷が掛かった上での努力であり、そこに経験から培ったものが付加されていくのでしょう。

品物に例えると、プロの職人さんが手を掛けて作った食器と、大量生産で作った食器を比較すると、手作りのほうが、どこか「重厚感」を感じさせて、何かこう、どっしりとした、強さのような、落ち着きを感じさせたりすることってありますよね。

時間と手間を掛けた工程が、品物にエネルギーとして載っていき、独特の雰囲気というか、風格のようなものを感じさせるのかと思います。

どんなことも、深みを出すためには、相応の時間や労力がかかり、インスタントにはいかない、ということです。簡単に作品に深みと重厚感を出す方法、というものは存在しないように、簡単にオーラに深みや輝きを与えるような、お手軽な方法、というものもありません。

そのために、必ずしも苦難が必須というわけは、ありません。けれど、私たちは、あえて学びのために自分に負荷を掛けることは苦手で、楽なほうだけ行きたくなり(^^;)、苦難に直面しないと、真剣に考えたり、取り組んだりすることができないので、学びのために、そういう出来事を与えられ、経験させられるケースが多い、とは言えるでしょう。

苦難を乗り越える経験が必須、ではなく、その経験から、何を学び、何を自分のものにできたか、というそちらが大切なのです。(そして、通常、自分のものにする学びの経験は、苦難を感じさせる形になっていることが多い、ということです)

この人生は学びであり、生きていく中で、いろんな出来事に直面していきますから、そうして与えられた学びを、しっかり受けとめて、自分のたましいに刻んでいきましょう。

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2013年3月 7日 (木)

もうすぐ、春・・・のはず。

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写真は、以前に知り合いの方から頂いた、手作りのヘアゴムです。ここ数年、こういうローズ系の色が好きになりました。

***

さて、3月に入り、日差しはかなり春っぽくなりましたし、道路も路面が出ていますが、何しろ今年の冬は、積雪量がものすごかったので、まだ雪景色ですsnow

3月といえば、昨日やっと、「税金を取られるための作業」の、確定申告が終わりました。一般に、この作業は面倒なので、嫌いだという方は多いでしょうけれど、私にとっては、実は、1年に一度の楽しみ、だったりします。

自営業になってからというもの、それまで培った「事務作業スキル」を使う機会がほとんどありません。

一般の企業なら普通にある、たとえば旅費精算とか、稟議書を起こすとかの、文書管理作業から遠ざかってしまうのが、ちょっと寂しいので、確定申告は、私にとって「会社っぽい作業」で、ちょっと懐かしいような、楽しい気持ちがあります(^^)。

毎年、この作業をしながら思うのですが、私は、無駄な動きが多いな、と(^^;)。

計算して書類を作成する作業を、もっとも簡単で少ない労力で出来るのは、経理の知識が高い、プロの人達でしょう。

その次に、簡単に出来るのは、「経理の知識が少ない、詳しくない人達」のように思います。あまり深く考えずに、作成ソフトの指示どおりに、売上げを計上し、経費を計上し、と、機械的にやっていくことは可能だと思います。

そして、私のように、「中途半端に知識がある人」が、単純にやれる作業なのに、必要以上に複雑に考え過ぎて、最も時間と手間が掛かるきがします。

作成ソフトは、簡易に入力が出来るようになっているので、貸借の相手科目などを意識しなくても、どんどん数字を入力していけば、自動的に計算してくれるのに、私は、「この仕訳は、どういうふうに関連付いていくのかな・・・」とか「ああ、あれとこれが、こうなって・・・、なるほど、そういう仕組みなのか」と、いちいち気にして、ものすごーーーーく、無駄な時間がかかります(笑)。

今回も、作業に掛けた総時間の半分くらいは、そんな感じでしたが・・・sweat01、でもまあ、それも、楽しかったな、と。

面倒だけれども、ちょっと楽しい、確定申告が終わって・・・、なんか、今、「燃え尽きた」感じです。「無駄な動き」のせいで、消耗しているだけなんですけれど(^^;)。

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2013年3月 4日 (月)

たましいに性別はない。

私たちは、たましいの存在で、何度も生まれ変わって、その時々で、男性になったり、女性になったりを繰り替えしながら、たくさんの経験を積み重ねて学んでいきます。

この物質界で人間として過ごしていく間は、肉体という物質をまとい、男性、女性、という、性別の差がつくられていきます。

しかし、たましいそのものには、性別という差はありません。たましいは、どちらの性質も含んでいます。

そのときの人生の学びに見合った性質が、そのときの肉体や性別を通して、一部、表れていく仕組みです。

私たちは、赤ちゃんの肉体を伴って、あちらの世界から、この世にやってきて・・・、成長してたくさんの経験を重ね、やがて、歳を重ねて、あちらの世界へと戻っていきます。

赤ちゃんは、ぱっと見た瞬間、大人のようには、男性/女性の差が、外見上、わかりませんよね。それは、あちらの世界から、やってきたばかりの方達なので、「たましいに、性別はない」状態が、色濃く残されているため、とも言えるのではないでしょうか。

年齢を重ねていき、90歳、100歳くらいになると、赤ちゃんと同様に、ぱっと見た目の男性/女性の差は、小さくなっていきますよね。それも、まもなく、この世での学びをおえて、あちらの世界に戻っていかれる仕組みの表れなのかな、などと、思うこともあります。

たましいそのものに、性別の差はなく、しかし、この人生を生きている間は、男性として、女性としての個性のようなものが、表れていくのは、「たましい」と「肉体(性別)」の、「掛け合わせ」により起こります。

性別が一定であっても、(たとえば、男性、という同じ性別であっても)、そこに掛け合わせとなる、「たましい」が一定ではないので、今回の人生における、個人の差、性質の差というのは、振り幅は大きく作られ、お互いに、違いや比較から、学び合うことができます。

逆の言い方をすれば、たましいが一定ではないので、掛け合わせの数値は同じにならず、そこに、個性の差がいろんな形で表れていきますが、一応、この世においての、便宜上の「男性」というカテゴライズはなされているわけで、掛け合わせをした数値に、それなりの特徴や傾向は表れていき、「男性というのは、一般的に、○○が優先される」というような、性別の特徴というものも、つくられていくのですね。

男性/女性という、性別自体は、今回の人生だけの、「仮のもの」、であり、「借りもの」、でもあります。

しかし、その性別の人生で、経験した学びは、私たちの、たましいそのものに、刻み込まれる、「永遠のもの」、となります。

たとえば、男性として人生を過ごし、男性特有の性質を発揮し、男性ならではの経験をたくさん重ねたことからの、学びは、その人のたましいに刻み込まれていき、「深み」となって身についていきます。

その男性という性別ならではの人生は、一時期の仮であり、借りですから、たましいの存在にもどれば、そこに性別はありません。そして、次の人生では、女性を選ぶこともあるでしょう。

けれど、その性別での経験そのものは、永遠のものとして、たましいに含まれていきますから、「男性の経験を存分にした、たましい」と、「女性という性別」の、掛け合わせとなった次の人生では、女性でありながら、どこか、男性的な感性をもった性質、として発揮されていくことは、不思議ではありません。

そうして、いろんな形の経験をしていき、深みを備え、全てを含んだ「全体性」に近づいていくために、私たちは、この世という場所で、人生を経験するという学びをしています。

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