« 離婚という経験も、学びのうち。 | トップページ | 他者からの影響を、「引き受けてしまう自分」という考え方。 »

2013年2月26日 (火)

自分と他人の人生を比較して、不公平感が出てしまうときの考え方。

私たちが過ごしている、この世という場所は、「あれ、と、それ」、「自分、と、他人」のように、区別をすることが容易な世界です。

そのため、私たちは、さまざまなことを比較して認識することができ、この世ならではの経験を重ねて、成長していくことができます。

しかし、それゆえに、どうしても、自分と他人を比較して、「なぜ、自分の人生は、あの人のようにはいかないのか」とか、「不公平だ」などと、思ってしまうこともあるでしょう。比較という感覚は、大いに学びになるかわりに、不満も生まれやすいと言えます。

誰もが、何度も生まれ変わって、学びを続ける、たましいの存在であることは同じですが、その学び方には、それぞれの特徴や差があり、一度の人生の、一部分のみを抜き出して比較し、優劣を付けることはできません。

その仕組みを、簡易な図にしてみます。

たとえば、たましいが、何度も生まれ変わって、学びを得る要素が、仮に5つ、あるとします。

Image228


「今回は、おおよそ、このくらいの範囲を学んでいこう」、という予定をして、それに見合った国や地域、家族構成やその他の環境を選んで生まれてきます。

その、「今回の学びの範囲」として、いろんな区切り方があるわけです。その区切りを、点線で図に示してみます。

以下のように、「一部の要素の比重が高い範囲」を決めてくるたましいも、あるでしょう。このパターンだと、得意なことと苦手なことの差が大きかったり、または、この道ひとすじ、のような専門的な生き方を選んだり、何か特定のことに関わったり、打ち込んだりすることの多い人生になることが予想されます。

Image226


また、別のケースでは、以下のように、「複数の要素を少しずつ含んだ範囲」を想定して、学ぼうとしてくるたましいも、あるでしょう。いろんなことが幅広く備わっているかわりに、特徴が少ない、とも言えますし、いくつもの要素を備えたマルチなタイプ、とも言えますし、特定の事柄にとらわれず、幅広くいろんなことに興味をもったり、関わったりする生き方になることもあるでしょう。

Image230



いくつもの、生まれ変わった人生を包括して考えれば、どれも最終的には、同じようなもの、ともいえますし、それぞれの一回の人生を抜き出せば、違うのは当たり前、とも言えます。

全体を考えずに、今回の限られた人生の、それもごくごく一部の要素のみを抜き出して、あの人はずるいとか、自分が損だとか、そういう考え方をしてもはじまりません。違うのが当たり前であり、違うからこそ、お互いに(比較から)学び合えるのです。

同じでないから、違いがあるから、不公平だ、という考え方になりがちですが、しかし、「わざわざ、違いをもって、生まれてきている」のですね、お互いの学びのために、です。

Image229


この二つの図形の、どちらが素晴らしいか、どちらが得か、と、優劣を付けるなんてむりですよねsweat02

どちらも、「隣の芝生は青い」というやつで、相手のことが良く見えてしまうものですが・・・「それぞれの、持ち味」がある、それぞれの人生です。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

|

« 離婚という経験も、学びのうち。 | トップページ | 他者からの影響を、「引き受けてしまう自分」という考え方。 »

09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

リカコさん こんにちは。
今日は自分と人を比べてしまい,ちょっとブルーな気分だったので,
とてもタイムリーなお話が聞けて良かったです。ありがとうございます。
自分の人生と人の人生は比べられなくて,優劣も無いのはわかるのですが,
自分の人生が良いものだなぁと思えるためにはどうしたら良いのでしょうか。
良い人生も悪い人生も無いということなのでしょうか。

投稿: Y | 2013年2月26日 (火) 12時23分

*Yさま

「良いもの」とは、具体的にどういうことなのか、何がどうなったら良いことといえるのか、その基準が自分の中につくられていないと、(判断がつけられないので)思えない、分からない、という状況が作られてしまうと思います。

自分の人生が、具体的に何がどうなることが、「良い」のか、それをまず、考えてみてはどうでしょう。

考え方が抽象的になってしまうと、答えも見つかりにくいものではないかと思います(^^)。

投稿: リカコ | 2013年2月26日 (火) 12時40分

おはようございます。
言われてることわかります…何度も言われているしごもっともだと思いますがそれぞれ役割があるとしても自分が望むものではない
(他人の役割が自分が望むものだとしたら)

その時はどんな風に考えたらいいのでしょう

投稿: チー | 2013年2月28日 (木) 08時57分

*チーさま

役割というのは、「あなたは、これです」と、明確に狭い範囲で定められていることはなく、何でもは選べないけれど、そんなに狭い制限があるわけではないと思うのです(個別のケースにもよりますけれど、大多数の人は)。その中で、好きなこと、望むことをしていく自由は、誰にも与えられていると思います。

まったく、自分の備えている資質や、状況と、かけ離れているものを望んでも、成し遂げられにくいのは、それもまた、「大多数の人が、同じ条件」です。

しかし、自分に合ったことをするのも、しないもの、選択の自由が、現代の日本にはあると思います。なので、自分に合っていることをして輝くのも、合っているとはいえないけれども、苦労してもいいから好きなことに関わりたい、という人生を選ぶのも、それぞれの、自由がある、ということではないでしょうか(^^)。

投稿: リカコ | 2013年2月28日 (木) 10時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 離婚という経験も、学びのうち。 | トップページ | 他者からの影響を、「引き受けてしまう自分」という考え方。 »