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2013年2月19日 (火)

「区別の認識」「考え分け」が、出来にくい人。

この世という物質界には、「区別」をする、「あれ、と、これ、の違い」というような、認識が存在します。

あれとこれ、自分と他人、昨日と今日、というような区別ができるのは、この世には、「分離」という感覚があるためです。

この、分離感に基づき、区別の認識をすることや、考え分けることは、特に教えられなくても、自然に(それぞれの個人差はあるとはいえ)出来るようになりますし、使い分けて生活をしていますが、中には、この分離という認識が苦手、区別や考え分けが(平均と比較して)出来にくいタイプの人もいます。

たとえば、実際には起こってもいないことを、もしもそうなったら・・・と思い浮かべてしまうと、それだけで過剰に悲観的になってしまう、苦しくて苦しくて、そこから立ち直るまでに相当の時間が掛かる、という人がいます。

誰にでも、そういうことも、少しくらいはありますが、多くの人は、「頭で考えた、現実には起こっていない想像」と、「現実に出来事が展開していること」を、区別するので、どこかで気持ちを立て直していくことができるものだと思います。

けれど、区別や考え分けをすることが出来にくい人は、「現実に起こっていない想像に基づく感情」と、「現実に展開した出来事から起こる、感情」との、受けとめを、分けることが苦手です。なので、その人にとっては、どちらも同じくらいの不安と心理的な負担、として、とらえられてしまいます。

他人の手柄を横取りしても平気な人がいます。そういう人も、この傾向がある、といえるかと思います。意図的に、自分だけが得をして、相手を貶めるように振る舞っている場合は別ですが、そういう周到さはなく、「悪気がまるでないかのように、平気で自然に」そういう態度をとるような、天然?な感じの人っていますよね。

それは、自分がしたことと、他人がしたことの、区別の認識がしっかり為されないので、周囲の人からみると、ちょっとびっくりしてしまうようなことが、その人にとっては、「違和感のないこと」と、認識されてしまうため、だと思われます。

「嘘をついているのに、その自覚がない人」なども、そうかもしれません。事実と、自分が頭で思ったことと、他人が話していた他人の経験が、区別がなされずに、「すべてが、事実」と思ったり、「すべてが、自分の経験上のこと」と認識してしまうので、事実に照らし合わせれば明らかに違っているのだけれども、本人としては、嘘のつもりはまったくない、という、そういうことなどもあるかもしれません。

一時的に、特定の出来事に関してのみ、思い込みなどから、区分けの認識がされていない行動を取ってしまうことは、誰にでも、よくある日常の出来事だと思います。

けれど、常にそういうことが、あらゆる出来事において繰り返されてしまうならは、物事を受けとめる際の、区別の認識が出来にくい性質の人、という可能性もあります。

世の中の全員が、「平均的な感覚」で生きているわけではありません。得意なことと、苦手な事の差は、誰にでもあり、区別の認識という性質においても、平均レベルに出来にくい人もいるわけです。

それらも、広い意味では、個性のひとつであって、「大勢の人の中には、そういう人もいる」と、受けとめていくことも必要だと思います。 誰にでも、平均と比較してプラスの部分もあれば、マイナスの部分もあるのが、独自の個性を持った人間の姿です。

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11.家族、恋愛、人間関係」カテゴリの記事

コメント

リカコさま
いつもブログありがとうございます。

自分自身も現実に起こっていないことを想像して、
あれこれ心理的負担も多い方ですが、考え分けが出来ることもあります。

区別や考え分けが「出来にくい」が突出したり、「出来る」部分も持っているとして、
出来事によっては突出の比率が変わってくるということでしょうか。

例えば、「悪気が無いようなふるまい」や「考え分けが出来ていないような発言」を
されるような人が、突如部分的に自分には関係が無いと、区別の認識をするかのように
立ち振る舞いが出来る人の場合は、こちらの記事でいうところの
「出来にくい人」「出来る人」のどちらが、より突出しているのかな、と思いました。
明らかであればわかりやすいのですが、その人の発言と考え方を組み合わせたときに、
理解に混乱することが多々あります。

「誰にでもある日常の出来事でもある」とのことですので、
複合的な傾向のお話であり、平均的でなくても多面的な要素として捉えて
人を受け止めていく、ということだと思います…が、
今回の記事を読んで、自分の中である程度判断ができたら、
少しは受け止め方も違って、混乱しないかも、と思ってしまいました。。。
その時点で、わたしが区別や考え分けができていないのかもしれないのですね…苦笑
長々と失礼いたしました。

投稿: あさ | 2013年2月20日 (水) 11時57分

*あさ さま

>例えば、「悪気が無いようなふるまい」や
>「考え分けが出来ていないような発言」をされるような人が、
>突如部分的に 自分には関係が無いと、区別の認識をするかのように
>立ち振る舞いが出来る人の場合は、こちらの記事でいうところの
>「出来にくい人」「出来る人」のどちらが、より突出しているのかな、と思いました


この記事で書いているのは、人を構成する無数の要素のうちのひとつ、区別の感覚の強弱についてのみ、焦点を当てて書いたものです。

人の個性の差は、すべてが、区別の強弱によってなされるわけではありません。それは、記事の中で、わざわざ記載はしていませんが、当然、それ「だけ」に限定されるものではありません。

人の個性の差の全てが、区別の強弱によってなされる、という前提であるならば、あなたのような疑問が出てくるのもわかりますが、それ以外の要素がさまざまに複雑に関連してくるのが人間である以上、そして、差がついている出来事も、同じ条件下で起こったものでもない以上、ばらつきがあるのは、当然のことではないでしょうか。

ある人が、一環しない言動をして、あるときは、悪気がないような態度、あるときは分別のある態度をしたとして、その原因が、「区別ができる感覚の強弱」から発生している差だとは限らない以上、そもそもの、論点の提示が、成り立たないと思います。

その点を、何か曲解なさっているか、一部を全部のように、過剰に一般化してとらえていらっしゃるかの、どちらかのように思えます。

投稿: リカコ | 2013年2月20日 (水) 16時32分

リカコさま

ご丁寧にありがとうございます。

>その原因が、「区別ができる感覚の強弱」から発生している差だとは限らない以上、
>そもそもの、論点の提示が、成り立たないと思います。
>何か曲解なさっているか、
>一部を全部のように、過剰に一般化してとらえていらっしゃるか

その通りだと思います。
ある枠の中でおさめることで、自己の安定を図りたかったのだと思います。
あらゆる条件下の場合、そんな枠にはめることは、おかしなことですし、
一部を過剰に抜き出して、一般化するのも無理がありますし、
もちろんそれ「だけ」に限定されないとして、
なんとか相手の言動と行動を理解したい思いから、
ひとつの糸口を過剰に膨らましてしまったのだと思います。
そういう意味では、無理にこじつけて曲解したのだと思います。
今後は気をつけるきっかけとなります。いつもおしえてくださり、感謝しております。
本当にありがとうございました!

投稿: あさ | 2013年2月20日 (水) 17時08分

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