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2013年2月の15件の記事

2013年2月28日 (木)

仕返しや、復讐をしたい気持ちになったとき、「カルマの法則」を思い出してください。

と大きな怒りを伴う仕打ちを、誰かにされたとして、自分がやられたから、相手にもやりかえしてしまっては、そこでまた、悪しきカルマを「自分が」つくってしまうことになります。

自分がしたことは、良くも悪くも、必ず自分に返る、という「カルマの法則」がありますから、自分が仕返しをしてしまっては、「仕返しをした」ことが、やはり、自分に返ってきてしまうのです。

酷い仕打ちをした相手には、自分がわざわざ仕返しをしなくても、カルマの法則により、いつか、ふさわしいタイミングで、気づかされて、学ばされる出来事が起こっていきます。

その仕組みを信じて、そして、相手がしたことと、自分の感情とを、なるべく切り離して、自分のために、前を向いていくことも大切だと思います。

しかし、それは、「絶対に、仕返しをしてはいけない」というルールが存在するわけではないので、何をするのも、自己責任においての選択の自由はあるといえます。ですので、どうしても仕返しをしたい、というのならば、それも、自分が決めることが出来ます。

ただし、自分がしたことは自分に返る以上、仕返しをする、という行為が引き起こした結果は、自分が引き受けることになりますが・・・。

どちらが正しいとか、このように行動すべき、という「正解」が存在するわけではありません。やり返したら、やり返したという行為に基づく種が蒔かれ、やり返さずに収めたならば、やり返さずに収めた、という種が蒔かれ、その種が、いつか何かの形で、自分の行く道に実る、という、真理の仕組みが働くだけです。

怒りでいっぱいになったときでも、その真理の仕組みを思い出せば、感情を切り離して、いくらかは冷静になることもできるでしょう。その上でなお、仕返しをするのがふさわしいのか、そして必要なのか、よく考えることが大切です。

そうでもしないと、悔しさと怒りが収まらないくらいの、状況に置かれたとしても、しかし、現実に、仕返しだとか、復讐だとかを実行してしまうというのは、冷静に考えてみれば、恐ろしい行為だと思うのです。

そうして、相手を苦しめて、思い知らせてやろう、としても、自分のしたことは自分に返るというカルマの法則がある以上、自分に苦しめられるのは、自分自身、という結果にも繋がります。

今の自分を、怒りの渦中に置き続け、未来の自分に、今の自分がつくった原因の結果となる出来事を、わざわざ、与えることになるからです。

やり返したら、もっと、苦しくならないか、本当に、やり返す事で、気持ちが晴れていくのか、冷静になって、考えることが大切です。

誤解のないように、書き添えますが、「相手の言いなりになっていないで、必要な主張を、ふさわしい形で行っていく」という反応をすることは、ときに必要であり、そのほうが望ましい場合も、もちろんあるでしょう。そういうことと、仕返しや復讐をすること、やられたからやり返すというような、感情に基づく、攻撃性にあることとは、同じではありません。

前者と後者の、境目となるのは、行う言動の攻撃性の度合いと、そして、自分の感情や動機が冷静さを持っているか、という点になるでしょう。

頭にきたから、相手に嫌みのひとつも、ちくりと言ってやった、というのと、感情に飲まれて相手を陥れるような復讐をした、というのとでは、攻撃性の度合いがまったく違いますよね。前者には、まだ冷静さがあり、後者にはそれがありません。

出来るならば、感情をなるべく切り離して、嫌み程度で留めておく冷静さをもっていけたら、そのほうがいいですね。・・・といっても、嫌みならばOKで、それを超えたらアウト、ということではありませんよ、もちろん、嫌みをいったという行為をしたならば、それもまた、自分に返ってはくるでしょう(^^;)。しかし、延々と、やった、やり返したと、繰り返して、カルマの渦から抜け出せないよりは、幾らかましのように思います。

どんな出来事も、それぞれ、各自にしたことが返っていき、相手もまた、学ばされていきます。その仕組みを分かっていれば、冷静になって、自分が自分の人生を、わざわざ混乱させるような、仕返しや復讐の思いにとらわれてしまうことから、抜けだしていけるのではないかと思います。

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2013年2月27日 (水)

他者からの影響を、「引き受けてしまう自分」という考え方。

人との交流というのは、見えない領域での交流も含みます。人と人が関わるところでは、オーラも重なり合って、影響しあっていくからです。

そのため、特に、理由がなくて、何か失礼な言動をされたとかではなくても、「何故か、あの人といると、不愉快な気持ちになる」とか、「一緒にいると、疲れる気がする」というような、直接の行動と関連しない印象を受けることもあるわけです。

このような見えない領域での、影響の度合いというのは、お互いの「状態」の掛け合わせによって、決まっていきます。

自分の(日々、波があって、上下するものである)コンディションが下がっているときは、不快な影響をうけやすくなります。低いものと、低いものが、波長の法則で引き合ってしまい、「相手が、影響を与えてくる」というよりは、「それを、引き取ってしまう自分がいる」と言えるのです。

コンディションが、整っているときほど、不快なほうの影響は、受けにくくなります。仮に、受けたとしても、短時間でそれは自然に除かれていき、長く引きずることにはなりません。同じ波長のものが引き合いますから、引き受けたものは、馴染まなければ、自然に抜けていくようになっています。

人と関わって、影響されて、自分の調子が悪くなった(と、思った)とき、「あの人のせいで、自分が迷惑を被った」と、相手を悪くとって、自分を正当化して被害者のようにとらえてしまいがちですが、すべてを相手だけのせいにせず、自分の状態はどうだったのか、ということを、省みることも大切だと思います。

人間は、感情や体調など、常に変化し、上下していく要素をたくさん持っていて、完璧な人はいませんので、ときに、相手の状態に引きずられて、ときに、望ましくない影響を一時的に被ってしまうことは、誰にでもあり得ます。

けれど、普段から、状態がある程度整っていれば、それほど極端な影響にはならず、立て直していくことはできるものです。

相手が与えてきた影響というのは、きっかけのようなもので、「それを、引き受けてしまう自分の状態」のほうにも、原因はあるわけで、そこを見つめていくことが大切だと思います。

相手に責任がゼロだ、相手は悪くない、というつもりはありません。けれど、基本、どれほど自分の言い分が正論であったとしても、他人を変えることは簡単にはできません。変えられるのは、自分のことだけです。

つまり、「相手が、不快な影響を与えてくるような、状態である」ことへ、直接の働きかけをすることは難しいけれど、「影響を、引き受けてしまう自分自身の状態」については、心掛けて改善させていくことは可能です。

人と人との関係においてつくられる反応の、原因となる半分は自分ですので、望ましくない影響を、引き受けてしまったときでも、「それは、自分のことに目を向けて、さらに成長していくための、気づきの機会だった」ととらえていけば、相手への怒りの感情は薄れ、その分のエネルギーを、自分の成長のために、活用していくことができると思います。

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2013年2月26日 (火)

自分と他人の人生を比較して、不公平感が出てしまうときの考え方。

私たちが過ごしている、この世という場所は、「あれ、と、それ」、「自分、と、他人」のように、区別をすることが容易な世界です。

そのため、私たちは、さまざまなことを比較して認識することができ、この世ならではの経験を重ねて、成長していくことができます。

しかし、それゆえに、どうしても、自分と他人を比較して、「なぜ、自分の人生は、あの人のようにはいかないのか」とか、「不公平だ」などと、思ってしまうこともあるでしょう。比較という感覚は、大いに学びになるかわりに、不満も生まれやすいと言えます。

誰もが、何度も生まれ変わって、学びを続ける、たましいの存在であることは同じですが、その学び方には、それぞれの特徴や差があり、一度の人生の、一部分のみを抜き出して比較し、優劣を付けることはできません。

その仕組みを、簡易な図にしてみます。

たとえば、たましいが、何度も生まれ変わって、学びを得る要素が、仮に5つ、あるとします。

Image228


「今回は、おおよそ、このくらいの範囲を学んでいこう」、という予定をして、それに見合った国や地域、家族構成やその他の環境を選んで生まれてきます。

その、「今回の学びの範囲」として、いろんな区切り方があるわけです。その区切りを、点線で図に示してみます。

以下のように、「一部の要素の比重が高い範囲」を決めてくるたましいも、あるでしょう。このパターンだと、得意なことと苦手なことの差が大きかったり、または、この道ひとすじ、のような専門的な生き方を選んだり、何か特定のことに関わったり、打ち込んだりすることの多い人生になることが予想されます。

Image226


また、別のケースでは、以下のように、「複数の要素を少しずつ含んだ範囲」を想定して、学ぼうとしてくるたましいも、あるでしょう。いろんなことが幅広く備わっているかわりに、特徴が少ない、とも言えますし、いくつもの要素を備えたマルチなタイプ、とも言えますし、特定の事柄にとらわれず、幅広くいろんなことに興味をもったり、関わったりする生き方になることもあるでしょう。

Image230



いくつもの、生まれ変わった人生を包括して考えれば、どれも最終的には、同じようなもの、ともいえますし、それぞれの一回の人生を抜き出せば、違うのは当たり前、とも言えます。

全体を考えずに、今回の限られた人生の、それもごくごく一部の要素のみを抜き出して、あの人はずるいとか、自分が損だとか、そういう考え方をしてもはじまりません。違うのが当たり前であり、違うからこそ、お互いに(比較から)学び合えるのです。

同じでないから、違いがあるから、不公平だ、という考え方になりがちですが、しかし、「わざわざ、違いをもって、生まれてきている」のですね、お互いの学びのために、です。

Image229


この二つの図形の、どちらが素晴らしいか、どちらが得か、と、優劣を付けるなんてむりですよねsweat02

どちらも、「隣の芝生は青い」というやつで、相手のことが良く見えてしまうものですが・・・「それぞれの、持ち味」がある、それぞれの人生です。

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2013年2月25日 (月)

離婚という経験も、学びのうち。

自分が離婚をしてしまった、という事実が、心に重くのしかかり、立ち直って、次の恋愛や結婚へ意識を向けられるまで、しばらく掛かることは多いようです。

既に出来上がったものを解消する、壊す、というのは、とてもエネルギーのいることですので、むしろ、結婚よりもずっと大変な思いをする、という話はよく聞きます。

離婚にエネルギーを使ってしまい、また、そうなるに至るまでの苦しみや辛さから、再び恋愛や結婚という関係を作っていくことが億劫になったり、恐怖になったりして、自分がその気になれないこともあるでしょう。

または、自分ではまた、新しい恋愛や結婚を考えたい気持ちはあるのだけれども、周囲の目が気になって、そういう行動を取ることに躊躇がある、というパターンもあると思います。

どちらにしても、必要以上に、深刻にならず、前を向いていくことは大事です。

離婚とは、「結婚を解消した」のであって、「結婚を失敗した」のではありません。何が成功で、何が失敗か、というのは、そう簡単に、定義を付けられるものではありません。

結婚を継続していても、失敗したと思っている人だっているかもしれませんし(^^;)、離婚をしても、その先の人生が充実して、成功した、と思う人も、いるかもしれません。数多くある要素のたったひとつ、長い人生を考えればごく一部にすぎない、という、考え方の切り換えも大事だと思います。

現実として、離婚した人に対して、「結婚に失敗した人」と、殊更に色眼鏡で見る人が、世の中には少なくないのは、確かだと思います。

けれど、自分の人生を、成功させていくのは自分自身の姿勢であって、事情をしらない他人が、決められるものではありません。

そういう世の中や、他人の目に、負けないでください。

どんな経験もすべて、広い意味では学びですから、その経験からも、学びを得ていき、次に活かせばよいだけです。

この世には、「時間」という、偉大で素晴らしい仕組みがあります。

時間が経っていけば、恐れの気持ちも、他人の好奇心も、不要なものは風化していき、そして、再び、恋愛や結婚をしていきたいという、思いが心の中にあるならば、それを必要なものとして、後押しをしてくれるのではないかと思います。

もちろん、次に恋愛や結婚を誰もが必ずすべき、という話ではないので、この記事は、「そうしたい人」に向けた内容です(^^)。

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2013年2月21日 (木)

相手の話の結論を、自分が話してしまうことの、受け取られ方。

相手が何を言いたいのか、先周りして、察していくことで、気が利いた行動が取れることはしばしばあります。

けれど、それも「ふさわしい程度」が大事で、「やりすぎ」な行動をしてしまうと、相手との関係がおかしくなってしまうこともあります。

たとえば、相手が話しているところを遮って、「その話はつまり、こういうことね」と、自分が結論を言ってしまうようなことです。

頭の回転が早くて、気が利くタイプは、相手が何を言おうとしているのか、一を聞いた段階で、十が分かってしまうので、結論に至るまでの説明を聞くのがまどろっこしくなっていまい、以降の話を自分が先に話してしまう人がいます。

自分としては、気を利かせてそうしているつもり、そのほうが相手にとっても、説明の手間が省けて助かるはず、と思っていても、そういうコミュニケーションが、必ずしも、相手に好意的に受け取られるとは限りません。

特に、相手が女性の場合は、気を付けるほうがいいでしょう。女性の会話というのは、内容を伝達することだけが目的とはならず、「話すこと自体が、楽しい」と思っている人が少なくないからです。

そういう人の話を、途中で自分が引き取り、結論を纏めてしまうと、相手は、私が言いたいことを遮られた、取られた、という意識になって、話そうとしていたことは伝わった、という目的は達せられていても、不愉快な印象を持ってしまう事も、ときには、あるかもしれません。

相手が男性の場合は、またちょっと別です。男性は、会話の目的は、解決思考に基づいていて、女性のように、おしゃべり自体が楽しいとかの感覚はそれほど強くはないので、伝えようとおもっていた内容が、相手に伝わったら、それでよし、であって、それ以上はあまり気にしない、という人もいます。

たとえば、男性の上司が、「前回の、話の続きだけど・・・」と、話し始めた段階で、「ああ、あの件ですね、日時は決定しました」と、遮って結論を言っても、確認するという目的が達せられれば、それでOK、となるケースも、(相手が女性の場合と比較すれば)多いかもしれません。

女性同士の場合だと、遮って結論を引き取って話してしまうことが、スムーズに通用するのは、よほど気心が知れている身内などか、もしくは、本当にその会話の意味が、伝達だけ、確認だけ、というような、まったく感情が伴わない場合のみ、と思っておいがほうが、無難のように思います。

気を利かせて、先周りしてくことで、自分にも相手にも、助けになることもたくさんありますが、相手がそれをどう受けとめるかという感情を考慮しないまま、行動だけを前似進めてしまっても、「やりすぎ」になって、上手くいかないことは、しばしばでてくるものです。

一歩先をいく、三歩先をいく、くらいなら、ちょうどよい気の利いた言動がとれますが、勢い余って、二十歩も先を行ってしまっても、相手は、「置いていかれた」感覚になって、そこから、不調和が生じてしまうことにもなりかねません。

ちょどよい度合いを、使い分けることが大切ですね。

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2013年2月20日 (水)

同じ要素の、裏表。

先日テレビで、歌舞伎役者の海老蔵さんの、お若いころのインタビューとして、このようなことが紹介されていました。

歌舞伎役者の家に生まれて、良かったことは、「将来が、決まっていること」。そして、悪かったことは、「将来が、決まっていること」、と。

なるほど、深い言葉だな、と思いました。歌舞伎役者さんのお宅に、男性として生まれてきたら、その瞬間にほぼ、職業決定、となりますので、将来どの方向に進むかと、と悩まなくていいかわりに、進む道が定まっていて、それ以外はない、ということですよね。

この日本において、生まれながらに将来の方向性が定められている人は、ごく一部の方達ですので、それ以外のほとんどの人は、将来どの方向に進むかは、決められていません。

それについて、同じ表現をするならば、良いところは、「将来が、決まっていないこと(自由に選べること)」であり、悪いところは、「将来が、決まっていないこと(自分で決めなければならないこと)」、という感じでしょうか。

多くの人は、決まっていない未来を、どうしたらいいのかと、悩み苦しみますが、逆にいえば、だからこそ自由がある、という良い面も同時に与えられていることになります。

良いところ、悪いところ、両方がある裏表の中で、悪いところだけに視点があっていては、付随している良いところを、活用することができなくなってしまうと思います。

たとえば、カルマの法則という、自分がしたことが自分に返ってくる仕組みについて、良いところは、「自分のしたことが返ってきて、学ばされ、自分が向上できること」であり、悪いところは、「自分のしたことbearingが返ってきて、学ばされ、自分が向上できること」であり、

自営業の良いところは、「上司がいないので、何でも自分が好きなようにできること」であり、悪いとことは、「上司がいないので、何でも自分がしなければならないこと」であり、・・・というように、広く、さまざまなことに当てはまりますね。

今、悩んでいること、苦しんでいることがあれば、それを逆側からとらえて、良いことに置き換えらないか、という考え方をしてみると、視点が変わって、新たな何かに気づくこともあるでしょう。そういう見方を、取り入れていくのも、気持ちを切り換えていくために、有効だと思います。

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2013年2月19日 (火)

「区別の認識」「考え分け」が、出来にくい人。

この世という物質界には、「区別」をする、「あれ、と、これ、の違い」というような、認識が存在します。

あれとこれ、自分と他人、昨日と今日、というような区別ができるのは、この世には、「分離」という感覚があるためです。

この、分離感に基づき、区別の認識をすることや、考え分けることは、特に教えられなくても、自然に(それぞれの個人差はあるとはいえ)出来るようになりますし、使い分けて生活をしていますが、中には、この分離という認識が苦手、区別や考え分けが(平均と比較して)出来にくいタイプの人もいます。

たとえば、実際には起こってもいないことを、もしもそうなったら・・・と思い浮かべてしまうと、それだけで過剰に悲観的になってしまう、苦しくて苦しくて、そこから立ち直るまでに相当の時間が掛かる、という人がいます。

誰にでも、そういうことも、少しくらいはありますが、多くの人は、「頭で考えた、現実には起こっていない想像」と、「現実に出来事が展開していること」を、区別するので、どこかで気持ちを立て直していくことができるものだと思います。

けれど、区別や考え分けをすることが出来にくい人は、「現実に起こっていない想像に基づく感情」と、「現実に展開した出来事から起こる、感情」との、受けとめを、分けることが苦手です。なので、その人にとっては、どちらも同じくらいの不安と心理的な負担、として、とらえられてしまいます。

他人の手柄を横取りしても平気な人がいます。そういう人も、この傾向がある、といえるかと思います。意図的に、自分だけが得をして、相手を貶めるように振る舞っている場合は別ですが、そういう周到さはなく、「悪気がまるでないかのように、平気で自然に」そういう態度をとるような、天然?な感じの人っていますよね。

それは、自分がしたことと、他人がしたことの、区別の認識がしっかり為されないので、周囲の人からみると、ちょっとびっくりしてしまうようなことが、その人にとっては、「違和感のないこと」と、認識されてしまうため、だと思われます。

「嘘をついているのに、その自覚がない人」なども、そうかもしれません。事実と、自分が頭で思ったことと、他人が話していた他人の経験が、区別がなされずに、「すべてが、事実」と思ったり、「すべてが、自分の経験上のこと」と認識してしまうので、事実に照らし合わせれば明らかに違っているのだけれども、本人としては、嘘のつもりはまったくない、という、そういうことなどもあるかもしれません。

一時的に、特定の出来事に関してのみ、思い込みなどから、区分けの認識がされていない行動を取ってしまうことは、誰にでも、よくある日常の出来事だと思います。

けれど、常にそういうことが、あらゆる出来事において繰り返されてしまうならは、物事を受けとめる際の、区別の認識が出来にくい性質の人、という可能性もあります。

世の中の全員が、「平均的な感覚」で生きているわけではありません。得意なことと、苦手な事の差は、誰にでもあり、区別の認識という性質においても、平均レベルに出来にくい人もいるわけです。

それらも、広い意味では、個性のひとつであって、「大勢の人の中には、そういう人もいる」と、受けとめていくことも必要だと思います。 誰にでも、平均と比較してプラスの部分もあれば、マイナスの部分もあるのが、独自の個性を持った人間の姿です。

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2013年2月18日 (月)

実りを運んでくれる人を、受け入れられる状態になっているか。

この世は、すべての出来事が、「カルマの法則」と呼ばれる、自分が蒔いた種が、自分に実る、自分がしたことは、良くも悪くも自分に返ってくる、という仕組みの中で、展開していきます。

予想しない、嬉しいことや、得をするような出来事が起こったとしても、それは、自分が過去にした行為が、形を変えて、自分に巡っているわけで、長い目でみれば、労せずに、 棚からぼた餅、というのは、ないわけです。

例えて言えば、自分のたましいが頼んでおいた、出前の予約が、時を経て実行された際に、出前を頼んだ自覚がないか、または忘れていて、びっくりしているようなもの、です(^^;)。

その、予約と、受け取りは、前世から、人生をまたいで届くこともあります。

「カルマの法則」とは、自分がしたことが、良くも悪くも自分に返ってきて、出来事が展開していく仕組みであり、「カルマ」とは、「自分の行い」のことで、自分が放った思い、発言、行動のすべてが、当てはまります。

日々の生活の中で、苦しいことや、努力が必要なことに直面したときには、上記の仕組みを思い出し、「これは、未来で自分が受け取れる、出前の予約をしている行為」と、思ってみてはどうでしょう。

自分が悪くないのに誰かに迷惑を掛けられている、とか、自分だけが割を食って、他の人よりも損をしている、と思うから、不愉快になるのであり、「自分の未来に受け取れる、準備をしている」、と思えば、他人に対する不満の思いから、抜け出していくこともできるかもしれません。

出前を受け取るためには、そのための、予約となる、種まきの行為を積み重ねることが前提ですが、同時に「自分の、ドアが開いている」ことも、必要です。心を開くこととか、人と関わることの大切さというのは、そういう要素とも、関連してきます。

せっかく、うけとれる出前の権利があっても、ドアが開いていなければ、手にする機会が少なくなります。

この物質社会において、何かを受け取る、ということは、自分に届けてくれる役割の誰かがいるわけで、その人が、自分の領域に出入りできる状態をつくっておくことも必要なのですね。

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2013年2月17日 (日)

原因が存在してこそ、結果がついてくる。

この世の出来事はすべて、スピリチュアリズムの大原則ともいえる「カルマの法則」の元で展開しています。

自分のしたことが、いつか、何かの形で自分に返ってきて、学びを与えられる仕組みが、カルマの法則ですので、私たち人間が、この世で体験する、楽しいことも、苦しいこともすべて、何らかの原因があって、それにつれて結果が引き起こされています。

自分がしたことが、自分に返ってくる、・・・ということは、「自分がしないことは、自分に返ってこない」、ということです。

つまりは、必要なことを何もしない、原因となることをつくらない状態では、「必要なことも、起こらない、という結果を招いてしまう」、ことになります。

もしも、現状の自分が、刺激がないとか、つまらないとか、希望がもてないとか、停滞している、と感じることがあるなら、過去の自分の行いについて、振り返って分析をしてみることです。

「自分のしたことは、いつか、何かの形で、自分に返って」きて、その出来事を通して学びを与えられる仕組みであり、「自分がしないことは、当然ながら、自分に何も返ってこない」という結果から、行動、発言、思いなどの行為の大切さを、私たちに教えてくれるのが、この、カルマの法則という、真理の仕組みです。

過去を振り返って、計画性や、目的意識を曖昧にしたまま、なんとなく過ごしてきてしまい、やりがいや手応えが感じられない現状に至っているとするならば、過去を嘆いているよりも、気持ちを切り換えて、「今から出来ることを、まずは、行動する」ことが、大事だと思います。

過去を嘆いて、何もしない、のでは、そこでまた、行動を起こすチャンスを、自らが放棄していることになります。

過去を振り返り、過去を学びとして、今までを取り返して補うべく、行動を起こしていく姿勢になることが、自分の人生を豊かにしていくことに繋がると思います。

ひとつの考え方として、参考までに、以下を書いておきます。

物事は、足し算の積み重ねもあれば、掛け算の「掛け合わせ」もあります。当然、多くの場合、掛け算のほうが、数字が大きくなりますね。

過去で,、未来につながる「原因となること」を、十分にしてこなかったと思える場合でも、全く何もしない、したことがゼロだ、という人はいないはずです。そこまでの人生が存在している以上、気づいていないこともふくめて、積み重ねてきたこと、経験してきたこと、知識を得てきたことは、あるはずです。

それらを基に、「掛け算」になるようなことを、工夫してみるのも、ひとつの方法だと思います。どんな条件のときに、掛け算の効果が引き起こされるかは、以前の記事内で、何度も取り上げているので、そちらを参考にしていただければ、と思います(^^)。

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2013年2月15日 (金)

シングルマザーの、恋愛と子供のバランス。

離婚の際、よほどの事情がないかぎり、日本では、母親に親権が与えられることが多いようです。

ということはつまり、その後の恋愛や結婚も、子供抜きでは語れない、自分と相手だけの一対一では計れない、さまざまなことを考えなければならなくなります。

結婚、離婚というプロセスを経て、もう、二度と、結婚なんてこりごり、結婚も離婚も大変だった、これからは子供とふたりで人生を頑張っていく、という考え方になっている人は、それはそれで、いいと思います。必ず、こうしなければならない、という正解はなく、何をえらんでいくかは、自由です。

けれど、離婚をしても、子供がいても、「また、恋愛をしたい、結婚もしたい」、という思いになることも、同様に、自由です。夫婦、家族という単位で、この先の人生を見据えていきたい、という思いは悪いことではないし、それもまた一つの選択です。

どちらをえらんでも、それぞれの学びがあります。どちらが望ましい、という優劣はなく、正解もありません。自分と子供の人生を、しっかり考えた上での行動であれば、相応の学びがあるといえるでしょう。

しかし、ひとつ忘れてはいけないのは、離婚して、妻という立場からは解放されても、子供がいる以上は、「親としての立場からは、解放はされない」、という点です。

シングルマザーの恋愛に、世間の目が決して優しいとはいえないのは、もちろん、全員ではありませんが、中には、妻としての立場から解放された勢いで、そのまま「娘」に、戻ってしまう人が、少なからず存在するからではないでしょうか。

何よりも、子供よりも、自分の恋愛が優先、恋人が優先、となって、自分の子供は、実家の親に任せっぱなし、「自分が、子供の親」のはずなのに、「自分自身が、親の娘」に、戻ってしまい、子供の優先順位が低くなってしまうケースがあるようです。

そうする罪悪感がゼロではないのだけれど、自分の恋愛感情が最優先になって、子供への意識が薄くなってしまうのでしょう。

何も、子供に自分の人生のすべてを捧げるべき、というのでもなければ、新しい恋愛や結婚がダメだというのでもありません。それは、どちらも、十分に味わうことは自由です。恋愛の楽しみも、生きる上での力になっていく、価値のあるものです。

けれど、子供に対する、親としての責任をもつことも大事であり、その経験から学ぶこともまた、素晴らしい価値のあるものです。

身軽な一対一の関係とは、違う難しさがあるのが、子供を持つ人の、新しい恋愛や結婚です。その難しい状況を、どのようにしていくか、考え、行動することが「学び」だと思います。

恋愛も、子供も、どちらも大事に出来ているなら、それは望ましい状態です。

けれど、子供よりも、恋愛のほうに意識が向いてしまう、責任や子供への愛よりも、恋人に対する恋愛感情のほうが優先してしまう、という状態にある人は、今一度、心の中を整理して考えてみましょう。

誰でも、いつまでも娘時代のままの、責任の無い状態ではいられず、大人になるに従い、思い通りにならないこともたくさん出てきますし、いろんな責任も発生してきます。

ただでさえ、そうなるのに、子供がいるとなったらなおのこと、責任もあれば、制限もあるのは当然で、それらも含めて引き受けていくことが、親の役目、ではないかと思います。

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2013年2月14日 (木)

自分が蒔いた種の実りは、自分が得られる。

自分だけが大変な思いをしていて、苦労をしていない他人がずるい、不公平だ、と思ってしまうことは、よくあります。

しかし、自分がしたことはすべて、何らかの形となって、自分に戻ってくるという、「カルマの法則」があります。 その出来事のみを単体で抜き出せば、自分が大変で、他の人が楽をしている、と思うかもしれませんが、結果までも含めて、総合的に考えれば、受け止め方も変わっていくものです。

たとえば、A子さんは、家庭菜園を作ろうと、一生懸命に手入れや作業をしているとします。B子さんは、何もしていません。「作業の多さ」「労力の負担」は、一方的にA子さんだけに掛かっていますので、単純にそれのみを比較すれば、「A子さんは、B子さんより、大変」ということになります。

しかし、収穫の時期になって、実りを得られるのは、菜園を持っているA子さんです。B子さんは、植えていないのですから、無関係です。

A子さんは、「作物の手入れに苦労をして、その結果、収穫の時期を迎えて、たくさんの実りを手にした」状態で、B子さんは、「作物をつくっていないので、実りを手にしていない」状態で、この二つを比較したときに、A子さんが、損をしている、という評価にはなりませんよね。

どんなことも、長い目で、その先までをもとらえていけば、相応の見返りはあるものです。

「自分だけが損をしている」という気持ちがわき上がってきたときには、「この場だけを考えずに、その結果までを含めてとらえていこう」と、自分に言い聞かせて、「結果を想像してみる」ことを、心掛けてみましょう。

上記の例でいえば、作業が大変な自分のことや、何もしないB子さんへの不満がわいてきたときに、「秋になって、たくさんの収穫をしている自分自身の姿」を思い浮かべていけば、不満はいくらか、薄れていくのではないでしょうか。

すべては、自分に返ってくる仕組みがあるのだから、どんな出来事も、長い目でみれば、「自分のために、していること」といえます。そこに、B子さんがずるい、というような、他人を同列にとらえる感情を掛けあわせることで、焦点がずれてしまうと思います。

「すべては、自分のため」「いつか、自分に返ってくる」と思えば、他人への不満や、一時的な不公平感は、それなりに割り切りをもって、自分の未来を見据えて、必要な努力を積み重ねていくことが、できるのではないでしょうか。

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2013年2月13日 (水)

物質社会において、物質のみにとらわれない、生き方を。

この世という物質社会に生きる私たちにとって、物質的観点で物事をとらえるのは、とても簡単で、「普通」と受けとめられます。

逆に、スピリチュアルな観点で、物事をとらえていくことは、簡単にはできず、「普通ではない、特別」に、受けとめられがちです。

どうしても、物質的な観点で、お金がたくさんあれば幸せ、欲しいものが得られないと不幸だ、というような見方をしてしまうもので、そのような意識があまりに強くなってしまうと、スピリチュアルな観点での、霊的な成長からは、遠ざかってしまうこともあります。

しかし、この世で生きていく以上、物質を切り離して考えることはできませんし、物質がないと生きていけませんし、物質を介した経験が、さまざまな学びに繋がっていきますので、物質そのものが、悪いということではないのです。

問題は、物質そのものにあるのではなく、物質に必要以上の価値観を投影したり、それにとらわれたりする、私たち人間の解釈のほう、といえるでしょう。

物質のみにとらわれない生き方は大切ですが、しかし、そうかといって、霊的な観点で、霊のことという、一部分のみをとらえていくのが素晴らしいのではありません。霊的な観点で、この物質社会の仕組みを含んで、私たち人間の成長に関する「全体」をとらえていくことが大事です。

物質的な損得勘定や、打算に、自分がとらわれることなく、逆に、物質社会という環境を利用または活用して、自分が学び成長していくという、意識をもつことです。

同じものにふれ、同じことを経験していても、それに振り回されてしまうか、冷静に学びを得ていけるかは、置かれている状況や全体に対する、仕組みの理解度によって左右されます。

たとえば、たましいの学びは永遠であることや、肉体を失ってもたましいが消滅してリセットされるわけではないことを、知っているのとそうでないのとでは、さまざまな判断の基準となるものが変わっていきます。

スピリチュアリズムというのは、私たち人間が、この物質社会において、いかにして霊的に学んでいくかの、指針ですので、この物質社会や、物質を低いものにとらえたり、否定したりして、霊のみをあがめるような捉え方は、正しい理解とはいえません。

物質を過剰に悪く受けとめることなく、そして同時に、物質や物質を基準とした価値観に過剰にとらわれることもなく、「私たち人間は、学びの場として、この物質社会という環境を与えられている」ことを理解して、この環境ならではの、たくさんの経験をして、たくさんの学びを得て、成長していきましょう。

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2013年2月12日 (火)

・箱の中には、何が入っている?(6)

(レッスンの新規受付は、残り若干名となっています。特に、土曜日をご希望の方は、お早めにお申込みなさることをお勧めします。)

現在、スカイプを使用した「スピリチュアルなレッスン」を、メニューに加えて実施しています。(冬の期間のみの予定です。)http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/sl.html

スピリチュアリズムへのさらなる理解を促し、直感力や思考力を磨いていく目的で、瞑想その他、各種指導を行います。

その中で、「簡単な透視の練習」というワークを取り入れていきます。

透視力のみを、抜き出して身につけることは難しく(それは資質によるのあり、特定の技法でなされるものではないので)、能力の獲得を目的とするわけではないのですが、それらの練習を通して、楽しみながら、眠っている感性を活性化させていきます。

当たったからすごいというわけでもなく、当てることが目的ではないですが(^^;)、瞑想等と組み合わせ、題材を選びながら行っていくと、意識が広がっていき、オーラが明るくなっていくので、その点を目的として、取り入れていきます。

今回は、レッスンを検討している方も、そうでない方も、練習?として、軽い気持ちで、以下の写真の、「箱の中に、何が入っているか」を、当ててみてください。

ぱっと瞬間的な印象のほうが当たりやすい方もいますし、じっくり時間をかけたほうが当たりやすい方もいます。また、得意な方法と「関連付け」をしながら、自身のガイドスピリットと、何らかの方法を構築していくケースもありますね。

その辺は、回数を重ねて統計的に把握していくものなので、詳しくはレッスンの中で、必要があれば、指導させていただきます。

では、以下の 水色の箱のなかに、(箱の大きさは、5cm×5cmくらい)、どんなものが入っているかを、当ててみてください。コメント欄に、書いてください。

品物名をズバリ答えてもよいですし、形とか、色とか、どんな雰囲気のものかを当てるのでもかまいません。やわらかいものとか、光っているものだとか、そのような答え方でもいいです。

箱の大きさに見合ったものが入っているとは、限りません。

今回は、複数の品物が入っていますので、いつもよりは、当たりやすいかもしれませんね(^^)。

Image050


「回答例」:銀色の時計、もしくは、輪の状態になっている金属、ブレスレット等。

どんな答え方でもかまいません。軽い気持ちで、挑戦してみてください。正解は、後ほどUPします。

>>では、回答です。

Image051

上記の写真のとおり、右上から時計回りに、「ラピスラズリ天然石」、「雑誌の付録についていた(^^;)、かっさプレート」、「使い捨てのコンタクトレンズ」 でした。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

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2013年2月11日 (月)

もうひとつの、「人から、どう見られているか」。

一般に、「人から、どう見られているかを気にする」という言葉の解釈とは、「自分が、人から、つまり、他人や世間から、どのように見られているか、思われているかが、気になる」という意味ですよね。

人の目が気になるのは、誰にでもある気持ちだけれども、自分を計る基準が、自分以外の誰かの評価だけになってしまうと、自主性が薄くて定まらない生き方になってしまうので、とらわれすぎないように気を付けることは、大切です。

そのような気持ちを、乗り越えられると、かなり、自主性をもった生き方をしていくことができるようになるのですが、実はその先に、「もうひとつの、人から、どう見られているかを、気にする自分」という、課題が待っています。

「自分が、人からどう見られているか」にとらわれることを抜け出しても、「他人が、人からどう見られているか」が気になって、そこから抜け出せないことがあります。

他人が、人から、どう見られているか、というのは、たとえば、隣のA子さんが、周囲の人達から、どう評価されているかが、気になる、ということです。

つまり、他人がどのくらいに評価されているのかを知ることで、その人の評価と自分を比較して、安心したり、共感したりしたいのです。

自分が人からどう見られているかを気にすることも、適度であれば何の問題もないように、他人が人からどう見られているかを計って、自分と比較することも、適度であれば問題はありません。

けれど、過剰なまでに、他人がどう評価されているかを気にしてしまうのは、結局、人の目を気にしていることから抜けだせていないわけで、それは、「自分が人からどう見られているか、の、変形バージョン」なのですね。

このことの、何が問題かというと、多くの、「他人が、人からどう思われているかを気にする人」は、自分では、人の目を過剰に意識することから、抜け出せている、と、思い込んでいる、という点です。

なので、他人が人からどう評価されているかを気にしすぎて、うまくいかない問題が起こったとしても、不調和の原因が「そこ」にあることに、なかなか気づくことができません。自分の中では、もう、乗り越えたこと、に、なっているからです。

ここで足踏み状態となって、その先に進んでいけないことは、少なくないのです。

そこから、さらにもう一段階、乗り越えて先に進んでいくために必要なのは、「やはり、今でも、自分は、人の目が気になっている」という事実を、受けいれることです。受け入れて、認めてしまうこと、ですね。

他人が人から、どう見られているかを、気にする行為は、別に、改まらなくてもいいのです。その仕組みをしらないまま、自分を高みに置いて、他人を見ている状態と、乗り越えていない自分を認めた上で、他人を見ている状態は、同じではありません。元となる自分の意識が違えば、そこから学び取れるものが、変わっていきます。

これは、上級編?で、自分が人からどう見られているかを、意識し過ぎてしまう人が、乗り越えたと思った先に、かなりの高確率で、遭遇してしまう、「その次の段階の、学び」なのです。

なので、このことに当てはまる人は、おそらく、自覚してショックとかはなくて、「苦笑」という感じになるかもしれません(^^;)。ある程度は乗り越えているからこその、次の段階ですので、そのような俯瞰してみていける余裕も出てくるでしょう。

まず、気づくことが、次に繋がりますね。そんな自分も受け入れて、さらに先を見据えていきましょう!

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2013年2月 1日 (金)

強い主張をし過ぎて、人間関係がうまくいかない場合の、改善とは。

強い主張をし過ぎて、人間関係が壊れたり、自分だけが浮いてしまうなどの失敗を、程度の差はあるにしても、多くの人が経験していると思います。

そのような経験を重ねる中で、自分と相手との受け止め方が同じではないことや、たとえ正論だからといって、何でも言えばいいというものではないことや、やりとりには、「正しさ」だけではない、「感情」が絡んでしまうものであることを、身につけていくようになります。

それは、他人が、「このような場合は、○○なのよ」と、逐一教えてくれることではないので、失敗も含めた自分の経験から、見出して学んでいくべき要素です。

ところが、中には、主張をし過ぎた結果、その後の関係が修復不能になってしまうなどの大きな問題となり、意見を述べることや自分を出すことが怖くなって、「何も、主張をしなければいい。黙っているほうがいい」という、極端な防御の方向に入り込んでしまう人がいます。

主張が「強すぎて」失敗したならば、「弱く」すればいいだけです。または、「適度に」変えていけばそれで済むのに、「何もしない」という、極端な対応策をとってしまい、そのことが逆に、ますますの混乱を作っていることに気づきません。

たとえば、茶碗蒸しをつくっていて、火力が強くて、蒸しすぎて失敗した、となったら、普通は、次の機会には、火力を弱くしてみる、とか、蒸し時間を短くしてみる、とか、ちょうどよい度合いをつかんでいくために、工夫をしていきますよね。そうして、自分のやり方を見つけていくものではないかと思います。

火力が強くて、蒸しすぎて失敗した、(と、失敗の原因が分かっているのに)、だからもう二度と、茶碗蒸しは作りません、という態度は、あまりに極端ではないでしょうか。作らなければ確かに失敗はしませんが・・・、やり方をなおせば済むことです。

茶碗蒸しなら、食べなくても、本人がそれで良ければ問題はないですが、しかし、人間関係は、自分がそうしたいからといって、「一切、関わらない」とは、いかないものですので、主張しない、意見を言わない、黙っている、と徹底して振る舞おうとしても、限度があります。

この世で私たちは、人間関係を通して、さまざまなたましいの学びをしていく仕組みですから、必要な学びに関わるように、どうしても、仕向けられていき、感情的にそれが嫌だから、といって、いつまでも避けて通るわけにはいかず、必要な学びに向き合わされていくように「なっている」からです。

それに、そもそも、強い主張をし過ぎてしまう人というのは、行動力とか、押し出しの強さとか、内から外に向かって放っていく勢いが、備わっている人、です。(そうでなければ、強すぎる主張には、ならないです)。

そういうタイプの人が、自分の個性を押し込めて、主張しない、言わない、黙っている、という態度に徹すると、あっという間に「外に出さないエネルギーで、いっぱいに」になります。その状態に、何かの不満とか、不愉快な出来事でも起ころうものなら、今まで貯めていたものに火がついて、大爆発となります。

周りの人からすれば、そのほうがびっくりです。「いつも何も言わないのに、なぜ、突然に?」となるでしょう。普段と落差がつきすぎるからです。

「何も主張しなければ、トラブルも起こらない」と、思っての姿勢だとしても、「必要な主張をしなければ、それにつれて作られていくはずの人間関係がつくられない」という弊害を生みます。基本的な信頼関係が全く作られていなければ、何かひとつでもイレギュラーなことをすれば大きな誤解にも繋がります。

そのような理由があってのことなのに、我慢の末の大爆発で皆が引いてしまったときに、「ほら、やっぱり、自分が主張しても、聞き入れてもらえないのね」と、本当の理由に気づかずに、やはり、何も言わないほうがいいのだ、と、自分の思い込みを強めてしまうこともあります。

強すぎる主張の仕方を、「適度に」するように、変えていけばよいことを、「言わない、しない」のがいいと思い込み、自分の中にいろんなことを貯めすぎて爆発、という、両極端に、結果としてなっているのが、人間関係が上手くいかない原因なのだと、どこかで気づいていかないと、いつまでも同じことが起こります。

白か黒か、100かゼロか、の、両極端な考え方では、単純に分類できないのが、人間関係です。相手や状況との兼ね合いがあります。その難しさが、学びとなります。

100でも、ゼロでもない領域で、その都度、ふさわしい度合いを見計らって、適切に振る舞っていくのが、人間関係における、大人の態度、ではないでしょうか。

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