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2013年1月の12件の記事

2013年1月31日 (木)

相手と自分の、距離感と関係性にふさわしい言動を。

誰とでも、気さくに馴れ馴れしく振る舞うことが望ましい、それが出来る人は、社交的でうらやましい、と、解釈する人が少なくありません。

しかし、その場にふさわしい態度、相手との立場や関係性、というものがあり、それに合わせた距離感をはかっていかないと、信頼を得ることはできません。表面の馴れ馴れしさと、信頼の深さは、直結しません。

それぞれの「関係性」においての、ちょうどよい距離感というものがあります。

とても親しい友人ならば、お互いに気を許し合って、好きなことを言って、好きなようにふるまうことができ、きっとお互いに、そのほうが気楽だと感じること思います。

しかし、顔を知っている程度の、それほど親しくない相手に対しては、くだけた態度を取りすぎると、不快に思われることもあるかもしれません。

フレンドリーさを好ましく思う人もいれば、一定の距離を保った状態を好ましく思う人もいます。相手のことをよく知らないうちから、誰もが同じように、気安い言動をかわし合う関係を望んでいるはず、と、思いこまないほうがいいでしょう。

時と場合を考慮して、「相手との関係性に、ふさわしい態度」で臨むことが、「人付き合いをうまく行う」ということです。

さまざまに存在する、「ふさわしい態度」のパターンの一つに、「フレンドリーな対応」が存在し、相手との関係を深めるために、その方法が有効となることは少なくないですが、だからといって、すべてのケースが当てはまるわけではありません。状況によりますし、相手にもよります。そして、自分の個性との兼ね合いもあります。

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2013年1月29日 (火)

先祖霊も、魔法使いではない。

守護霊について、何度も、「守護霊は、私たちの導き役であり、願いを叶えてくれる、便利な魔法使いではない」と、書いてきました。

先祖霊も同様で、子孫の願いを聞きいれて、叶えてくれるための魔法使いではありませんので、先祖を供養しても、それだけで、願いが叶ったり、悩みごとが解決したりすることはありません。

先祖とは、縁あって同じ家系に生まれて、たましいの学びをしてきた、「同じ家系の、先輩」です。そこには、身内ならではの情もありますから、先祖は、子孫を心配していることもありますし、見守っていて、ときには、何かのヒントを与えてくれたり、助けを与えてくれたりすることも、あることは事実です。

けれど、何でもかんでも、子孫の望むままに、悩みを解消するようなことはしません。魔法使いではないので、そんなことは、頼まれてもできないのです。

先祖を敬う気持ちを持つことは、大事です。その尊い思いが、自分と先祖(をはじめとする、霊界と)の繋がりを深めていくこともあります。けれど、先祖を敬う供養と、先祖にお願い事をすることは、同じではありませんよね。

自分が助かりたいから、自分が楽になりたいから、と、形だけ行う供養には、純粋なエネルギーが乗りません。それは、先祖のためにしているのではなく、自分のためにしていることになります。   

「先祖供養をしているのに、願いが叶わないのはなぜでしょうか」とか、「供養を続けても、悩みが解決しません」と、聞かれることが、たまにあります。

先祖が祟っているとか、浮かばれていないとかで、子孫に不具合が出ている、というのなら、「供養をして、その影響を除く」という考え方になることは、まだ理解はできます。

けれど、そうではない状況で、願いを叶えようとか、自分の心配ごとが解決するように、と、先祖にお願いをするのは、過剰な期待をし過ぎだと思います。

自分が先祖を思う気持や行為が、少しでも先祖への力になってくれれば、とか、家系の縁をいただいて、自分が生かされていることへの感謝とか、近しい身内への懐かしさとか、そういう思いを、あちらの世界へ届けていきたい、という思いが乗った行為が、本来の先祖供養ですよね。

そこに、自分の願望達成のため、とか、心配ごとを解消してほしい、という我欲が入っても、それは、話が別ではないでしょうか。

供養しなくていいとか、供養に意味がない、とかではなく、そもそも、供養の目的は、先祖のためであって、自分の目的を叶えるためではないのですから、そこを混ぜてしまわないことが大切です。

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2013年1月26日 (土)

真面目さの、ちょうどいバランスのために。

人から好感を持ってもらうには、「愛嬌」がある、というのは大切な要素のひとつだと思います。「好き」とまではいかなくても、「何か、憎めない」という気持ちをもたれると、それだけで、許容される入り口が緩くなります。

しかし、真面目な人ほど、このような愛嬌の部分を、「望ましくないもの」「自分には必要のないもいの」と見なし、遠ざけようとする傾向があります。真面目さが長所だから、その部分だけで、掛け値なしに勝負したい、そこで評価されたい、と考えてしまうのが、「真面目さ」だから、でしょう。

人同士の交流というのは、オーラ同士の、エネルギーレベルでの交流でもあります。お互いのオーラが重なり合い、自然と影響を与え合っています。

特に、相手に何かを働き掛けている(たとえば、話しかける、説得している、等)のではなくても、一緒にいたり、関わりを持ったりしているだけで、お互いへの影響があり、共有する何かが作られたりするものです。

そのような仕組みがありますから、真面目さ、という要素も、相手に伝わります。

真面目さのみが大きくて、愛嬌などの緩い部分が少ない人は、ときに、相手に、不要な緊張感を強いてしまうことがあります。自分ではそのつもりはなくても、相手に落ち着かない何かを与えてしまうことがあるのです。

過剰な緊張は、親しみの感覚を遠ざけます。自分が逆の立場になった場合を考えてみれば、わかると思います。緊張しているときは、親しみを覚える余裕が作られませんよね。

真面目さは、人から信頼されるための大切な要素ですが、それだけが強くなりすぎても、思わぬ印象に繋がり、損をしてしまうこともあるのです。どんなことにも言えますが、過剰になると、バランスがうまくとられていきません。

せっかくの長所を、誤解されてしまうのは、残念なことです。きちんと伝えるために、プラスアルファとして、「愛嬌」を加えていくことを、意識してみてください。

そうすると、お汁粉にいれる少々の塩が、甘さを引き立たせるように、「愛嬌が、真面目さという長所をより、際立たせて印象づける」効果にもつながります。

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2013年1月23日 (水)

光る粉?が出現する、「金粉現象」。

江原さんの書籍によると、物理的な要因が何もないのに、金粉のような小さい粒が、手のひらなどに浮き出るものを、「金粉現象」と呼ぶそうです。

この件について触れているのは、ほんの数行でしかないので、書籍は紹介しませんが、そこに書かれている内容をまとめると、

「「金粉現象」は、自然霊の働きでおこる。ただし、高級な自然霊とは、限らない。現象が起きた土地に起因していることもよくある。特に、良い意味も、悪い意味もないので、深追いする必要はない。ただ、その現象が出るのは、本人の念力が高まっているため、というのは言える」

と、だいたいそのようなことが書いてあります。

良い意味も、悪い意味もない、というのは、おそらく「その現象には、特に、メッセージ性は含まれていない」という意味だと思われます。なので、あまりこだわることでもない、ということかと。

起きた土地に起因している、というのは、「ある範囲の、決まった土地で起こりやすい、よく見られる現象」という意味なのかな?、と思いました。

以前に、「UFOを見たことがある人が、特定の県に偏っている」という内容の記事を書いたことがあります。これは、あくまで、私のご相談者様の統計でしかないので、一般の平均とは違うかもしれませんが、金粉現象も、特定の県で起こりやすい、とか、そんな特徴がみられるのかもしれないです。

私は、金粉現象のご相談を頂いた件数が少ないので、こちらについては、現時点では、傾向を把握できませんが、もし、その現象を体験したことがある、という方は、今後、セッションのときにでも、こっそり教えていただければと思います。特定の地域に偏るか、という点に、ちょっと興味があります(笑)。

金粉現象が起こった人の話を総合すると、だいたい、「顔の近く」「首筋から鎖骨までの付近」「手のひらや、手の甲」「お腹の周辺」に、起こることが多いようです。(これは、私の知る限りの、統計上の話で、江原さんの書籍には、上記のまとめ以外のことは、書かれていません)。

江原さんの説明の「現象が起こるのは、念力がたかまっているとき」、という点をもとに、私の知っている知識と絡めて、解釈したのが以下のとおりです。

頭や顔のまわりは、エネルギーが集まっているオーラになっています。その部分のオーラには、心の状態など、内面が表れていくので、動きや勢い、変化も大きい部分です。これは、過去の記事でも何度も書いていますので、おなじみかと思います。

手も、エネルギーが集まっています。よく使う部位なので、活性化しているため、でもあると思いますし、ハンドヒーリングという行為があることが示しているように、手というのは、エネルギーを伝えやすい場所でもあるのでしょう。

そして、お腹の周辺は、丹田という、肉体とオーラの繋ぎ目があります。

このように、あくまで私の知っている範囲ではありますが、現象が見られる部位は、何かしら、エネルギーの強いところだったり、要となっているところだったり、という共通性があるように思えます。

人のオーラというのは、平面的に均一ではなく、集まりやすい部分というのは、上記のとおり、あるわけですが、金粉現象が出やすいところが重なっているのは、興味深いですよね。

もともと、(誰にとっても)エネルギーが強い場所に、(その人比で)念力が高まっているときに、掛け合わせの結果として、決まった部位に、出やすいものかな、と。

しかし、念力の強い人の全員が、金粉現象を経験するわけではないですね。

私が経験した現象を、総合的に考えてみると・・・、たとえば、ラップ音のような、形のある物質を伴わない現象は、枚挙にいとまがないのですがsweat02、しかし、金粉現象は経験がありません。以前に記事にした、物品移動現象も、おそらく、起こった記憶がないので・・・、私は、物質を伴う形の霊的現象とは、あまり引き合うものがないのでしょう。

ということで、金粉現象について、江原さんの書籍の説明をもとに、私の知っている範囲で、私なりに解釈をしてみました。

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2013年1月22日 (火)

愛を持って、厳しいことを言ってくれる人。

自分に、言って欲しいことを、望み通りに言ってくれる人が、自分にとって「良い人」であるとは限りません。

相手が喜びそうなことを、いとも簡単に、しかも無責任に、口にしてしまうような人がたくさんいます。それは、良い人、ではなく、「軽い人」です。

言われたいことを言ってくれる、褒めて、認めて、持ち上げてくれる人に、好感を抱いてしまうことは、誰にもあることかもしれませんが、しかし、そういう軽い人の意見を、そのまま真に受けたり、または、それが世間一般の感覚だと解釈してしまうと、その人との人間関係だけは、うまくいっても、それ以外の関係から、浮いてしまうことになりかねません。

たとえ、耳に痛い内容でも、厳しい意見でも、自分にとって大切なことを、あえて口にしてくれる人こそが、本当に大切にすべき人で、たましいの観点からみれば、「良い人」ではないでしょうか。

もちろん、そこには、相手の勝手な解釈に基づいた、偏った意見ではない、常識的な見方や、厳しさの中にも愛があることや、自分を大切に思ってくれている気持ちがあることが前提です。

知らない人や、関わりがない人に対して、辛口な意見を言うことも、常識的な見方、客観視をすることも、とても簡単で誰にでもできます。

しかし、親しい人や、よく知っている人に対して、あえて厳しいことを言うのは、その発言者にとっても、簡単ではありません。愛があるからこそ、それでも、言ってくれる、のだと思います。信頼が無いと、言えません。または、嫌われても仕方が無い、という覚悟がないと、言えません。

良い人、と、判断する基準は、自分に心地よいことを言ってくれる、とか、優しいことばかり言ってくれる、というような、感情だけではダメなのです。それは、自分で自分を甘やかしているだけです。

そういう人と、付き合うな、と言っているのではありません。分かった上で、付き合えばいいです。分からないまま、そういう人ばかりを集めて、居心地の良さに浸っていると、本当に大切なものがわからなくなり、見るべきものが見えなくなり、自分を正当化してしまうことが問題なのです。

本当の愛を持って、自分を見てくれる人を、大事にしてください。厳しさの中にも、愛がある人の意見を、大切に受けとめていきましょう。

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2013年1月17日 (木)

この世でスピリチュアルを極めていけば、リアリスト(現実主義者)になる。

この世という物質社会において、スピリチュアルな考え方や生き方を突き詰めれば、どこまでも「現実的」になってくはずです。

物やお金や肩書きにこだわるべき、といっているのではありません。この世で経験する、物質の関わる出来事の中にこそ、たましいの成長のための学びや意義があるという事実を、理解して生きていくことです。現実的と、「物質的」は、違います。

現実の毎日の中に、スピリチュアルな(霊的な)要素を、見出していく姿勢が、スピリチュアルな生き方といえます。それを差し置き、奇跡的な現象のみに、過剰に好奇心を抱くのは、本当の意味でのスピリチュアルとは言えません。

そのような浮ついた好奇心は、自分のたましいを、本来のあるべき状態から、遠ざけていくので注意が必要です。

スピリチュアルな生き方を実践している人、スピリチュアリズムに即して物事を解釈し、行動している人を、「スピリチュアリスト」と言います。

現実に即して物事を考え、行動する人を「リアリスト」と言います。

この二つは、相反する言葉ではありません。

この世で、スピリチュアリズムに即した行動を取ろうとしたら、それは現実的にならなければ、成り立ちません。この世で、霊だけ、に浸かって生きることはできないからです。

ですから、スピリチュアリストであり、同時に、リアリストであることは、まったく矛盾しない、当たり前のこと、なのです。

この世という現実で生きていながら、現実をみないスピリチュアリストがいるとするなら、それは、まるで、ピアノを弾かないピアニストのような、実態の無い、言葉だけのもの、になってしまうと思います。

現実の中に、霊的なこと、スピリチュアルなことを見出していくのは、とても難しいです。簡単にはできません。その学びにとり組むから価値があります。

現実を見ることが大事です。

決して少なくない人数の方達が、解釈を間違っていて、現実を放棄すればするほど、現実的な要素を除けば除くほど、スピリチュアルに近づく、と思い込んで、実態のない、おかしな方向に迷い込んでいます。

現実的要素を除いたら、・・・おそらく、そこには、何も残りません。この世においては、そうなります。現実的な要素の中にこそ、霊的要素、スピリチュアルな要素が含まれているからです。

ときに、苦しいとか、逃げ出したいとか思う、現実の中に、実はとても大事なものがあります。その仕組みに気づかせてくれるものが、スピリチュアリズムであり、それに即して生きていく学びにとり組める人が、本当の意味での、スピリチュアリストといえるのではないでしょうか。

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2013年1月16日 (水)

○スカイプでのレッスン受付を再開します。

以前よりお知らせしていたとおり、冬期間のみの予定ですが、以前に行っていた、スカイプによるスピリチュアルレッスンを再開いたします。

詳しくは、左サイドバーのリンクにも設定しましたが、以下のページをご覧ください。

http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/sl.html

すでに、4回までを受講済みの方にむけて、今回より、「5回目」をご用意しました。

5回目は、お時間と料金が変更となります。内容は、「オーラについて」です。簡単なオーラ視を含み、楽しいワークを取り入れ、学んでいきます。

興味のある方は、どうぞご検討ください。宜しくお願いいたします。

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2013年1月14日 (月)

30代後半以降の、目的意識の持ち方。

30代後半から50代前半くらいまでの女性で、この先どんな生き方をしたらいいのかわからない、とか、もっと若いうちにいろいろ頑張っておけばよかったと後悔する気持ちから抜け出すことができない、今から何をしても遅い気がして落ち込んでしまう、というようなご相談をいただくことがしばしばあります。

子供の頃は、世の中を知らないし、自分を計ることも大人のようにはできないので、未来に無限の可能性を抱くことができるものです。

20代や30代になりたての頃は、たぶん、実際にはそのとおりにならないだろうと、半分くらいは分かっていても、いつかの未来に、あれをしたい、こうなりたい、と夢を思い浮かべることで楽しみを得て、その思いを前進のための原動力にすることができます。

けれど、30代後半以降になってくると、昔のように、実現できそうもないと分かっていることには、夢を抱きにくくなる人も増えてきます(人によりますので、同じように夢を抱くことが出来る人も、もちろんいます)。

そうなると、現状を維持するパワーも、未来に向かうパワーも、自分の中からわいてこなくなり、過去に対して「若いうちから、もっと○○すればよかった」と悔やみ、今に対しては「これで、いいのだろうか」と迷い、未来に対しては「どこに向かっていけばいいのか」と、道を見失います。

そんな自分の状態をなんとか立て直そうと思う気持ちもあるのだけれど、その一方で、今から何をしても無駄ではないか、という気持ちもあって、ゆれ動いてしまうのでしょう。

若いうちは、その夢が実際に実現するかどうかは無関係に、「夢みること」、そのものを力として、前進していくことが容易です。

けれど、30代後半以降になると、実際にそれが実現する可能性がないことには、夢をいだきにくくなっていき、現実味がないことには、目的意識を持ちにくくなっていきます。ある意味、それが、大人になる、ということでもあるのかもしれません。

この場合の考え方として、以下の、2つの考え方をとってみるとよいと思います。

まずひとつは、「現実的に、出来ること」を考えていく、という方法です。良くない考え方として、「年齢は無関係に、やる気になれば何でもできる」と、自分を誤魔化そうとしたり、気合いで現実を覆い隠そうとすることです。

年齢はさほど意識しなくてもいいこと、年齢が無関係のことも、世の中にたくさん存在します。けれど、中には、若いうちしか、出来ないことも、もちろんありますよね。

たとえば、40代になってから、一からピアノを習って、プロのピアニストとして生計を立てたい、と思っても、それは現実問題、難しいでしょう。けれど、40代になってから、大学に行きたい、というのであれば、努力次第で道は開けていくかもしれません。実現の可能性があることと、そうでないことを区分けして考えてみましょう。

また、ピアノでプロになろうと思ったら、その年から初心者のスタートでは厳しいでしょうけれど、自分の趣味として、習い事を楽しもうとするならば、それはいくらでも実施可能な目的と成り得ます。そのように、取り組めそうな方向を模索していくことも大事だと思います。

「出来る」「達成」の上限をどこに置くかを、考えてみるとよいでしょう。プロレベルと言わなければ、自分が楽しむ目的でいろんなことに挑戦できます。

もうひとつの考え方は、「そういう自分の現状(年齢)と、自分自身の個性や特徴を、受け入れること」です。

「もっと若いうちから、○○をしていれば・・・」と、悔やんでしまう気持ちは、出てきてしまうものですが、しかし、実際に、幼少期からピアノを習っていたとして、自分はプロのピアニストのレベルに達していただろうか、と考えてみれば、おそらく多くの場合、答えは「ノー」になるのではないでしょうか。若いころに、その選択肢を、取らなかった、という事実にも、その時点なりの理由なり意味なりがあるわけで、そんな自分を受け入れることは大事だと思います。

そして、今の年齢だからこそできるもの、または、今の年齢でも出来るもの、どちらも、自分がその気になれば、挑戦できることはたくさんあるはずです。「いかにも、夢のような、夢」をいだくことから、「現実的な目的意識」を持っていくように、だんだんと、移行していく時期に来ていることを、受け入れいれると、心が落ち着いていくと思います。

つまり、まずは現実を見ることを意識していくとよいと思います。若いうちは、現実をみなくても、夢を見ることを力として前進してくことが可能ですが、大人になるにつれて、夢だけでは、なかなか進んでいけなくなります。なにより、自分自身の気持ちが、それについていかなくなり、迷いや不安が出てきてしまいます。

夢と現実への意識の比率を、今よりもう少し、現実寄りに動かしていくことが、目的を見つけていくための効果的な思考の仕方、といえるでしょう。

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2013年1月11日 (金)

お守りやおふだをたくさん集めると、神様が喧嘩する?

神社仏閣めぐりをして、お守りやおふだをたくさん集めることを戒めるために、「たくさん持つと、それぞれの神様が喧嘩する」などという表現が使われることがあるようです。

しかし、神様とよばれるエネルギーは、高い波長の崇高なものですので、喧嘩したり、災いを引き起こしたりするような、俗っぽいことをするような存在ではないはずです。

しかし、どちらにしても、お守りやおふだを、たくさん集めすぎるのは、あまり良いことではないと思います。

たくさん持てば持つほど、幸せになれる、とか、自分のパワーが増す、などという考え方は、楽に得をしようとする、またはそれができると思い込む、という、曲解です。

そういう人を、戒めるために、「神様が喧嘩・・・云々」という表現が、便宜上、作られてきたのかもしれません。

数があるほどいい、集めるほど幸せになれるなら、お金と暇がある人だけが、手っ取り早く幸せになれる理屈になってしまいます;。

そのことがおかしいと思い至らない、または、理解しようとしない、浅い捉え方や、依存心を改めることが、幸せを手にするためにのポイントだと思うのです。

つまり、たくさん集めたからとって、実際に、神様が喧嘩する、ということは起こり得ないのですが、喧嘩しないから大丈夫・・・などと思わず(^^;)、集めるという行為に、依存している自分を反省して、とらわれから抜け出すことが大事だと思います。

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2013年1月10日 (木)

小さい喜びを、感じにくいタイプ。

生まれ持ったたましいの傾向として、どちらかといえば、「喜びを感じにくく、苦しみを感じやすい」タイプの人がいます。

いままでのたましいの経験(前世)で、喜びを感じることが危険と直結しているような、緊張にさらされたケースなどに、そういう傾向がみられることがあります。

同じ出来事を共有して、同じような感情(たとえば、達成感など)を抱いたとしても、その感情の大きさがどのくらいか、というのは、一律ではなく、個人差があります。

小さいことにでも、十分な喜びや感謝をもつタイプもいれば、小さいことでは喜びにつながらない、分かりやすい大きなことにしか、喜びを感じない、という人もいます。該当する人は、少なくないです。

しかし、誰もが、自分の感覚を普通としてとらえるものなので、「私は、小さいことには、喜びを感じにくいようだ」という自覚をすることは、難しいでしょう。人から指摘されるか、または、何かトラブルなどがあって、自分を省みる経験でもないかぎり、意識しにくいことです。

些細なことでも、喜びや達成感に繋げていける人は、自分で自分を満たしていくことが上手です。

しかし、大きい喜びしか感じられないタイプの人は、常に不満を抱えがち、自分だけが犠牲になっているとか、巡り合わせや運命が悪いとか、自分だけが損をしている、と考えがちです。

なぜなら、そういうタイプの人にとって、(平均して、多くの人が感じられる程度の)小さい喜びは刺激とならずにスルーされ、明確に誰もが分かるような、大きなことしか、刺激として受けとめられないからです。

「明確な成功といえる状況」や、「自分が望んだとおりの成果」にならないと、嬉しい気持ちにならず、安心も生まれてきません。「少しの成功」や、「少しの成果」では、不満であり、不安でしかなくなります。

性格や性質に、優劣があるわけではないので、それでも、本人が困っていなくて、不都合がないならそれでいいのですが、通常、このタイプの方は、常に不満足、常に不安、強い刺激を求める生き方をして、周囲を振り回したり、自分を消耗させたりしていることが多いようです。

強い刺激、明確に分かりやすい成果を求めるので、落ち着いた恋愛関係を好まず、ジェットコースターのようなアップダウンの関係、穏やかな相手を好まず、危険な陰のある異性を好み、大いに評価され賞賛されることを望み、周囲の人達に過大な要求をしたりします。

それが、「物」なら、お金さえ出せばほとんどは手に入りますが、「人」は「人の思い」の場合は、物を手に入れるようにはいかないので、常にストレスになります。

「喜びを感じにくく、苦しみを感じやすい」ので、思い通りにならないことへのストレスは大きく感じられます。そもそも、要求していることが大きすぎるので、達成もされにくいわけですが、仮に、ほんの少しの成果が出ていても、少しの成果では、喜びとして実感しにくいので、ストレスが減らないのがこのタイプです。

周囲の人からみれば、なぜ、わざわざ、そんな極端で疲れる生き方をするのか、自分が自分を追い詰める生き方をしている、と、思えてしまうかもしれません。

しかし、本人としては、喜びに対しての、沸点が高いので、(平均からみて)ちょっとくらいのことでは刺激や手応えが感じられないので、それはそれで、一生懸命だと思います。

このような、ある意味情熱的ともいえるけれども、周囲を振り回し、そして自分も消耗していく生き方から抜け出していくためには、意図的に、小さいことにも価値を見出していくことを習慣化する、そのための練習をしていく、という取り組みが効果的です。

自分が当てはまる、と思う方は、「大きくて派手なものばかり、求めていないか」「大きな喜びこそが全て」と、思っているところがないか、と、自分の価値観を見つめ直していくことからスタートですね。

ご家族など、身近にそういうタイプの方がいる場合は、その人が「いつ頃から、そういう特徴的な行動になったか」を考えてみてください。子供の頃からなのか、思春期からなのか、まずは、その分析からはじめていくのがいいと思います。

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2013年1月 9日 (水)

「古くなった価値観」を、なかなか手放せないのは。

価値観、価値基準とは、物事を評価する際に、何が大事で何がそうでないかという判断の基準となるものです。

何を重視するかは、人により相違があり、ある人は「お金が一番大事」と言い、また別の人は「楽しさが基準」というように、それぞれが、自分が思う大事なものに基づいて、さまざまな判断や選別を行っています。

私たちは、常に、成長という名の変化を続けていますので、価値観もまた、成長に比例して、変化していくものです。

過去を振り返ってみれば、数年前にとても気に入っていたものや、手に入れたいと思っていたものに、関心がなくなったり、興味が薄れたりすることは、よくありますよね。それは、「大切」「良い」「必要」と感じるものの対象が、変化したためです。自分は○○に基準を重く置いている、という感覚と、好みとは、ある意味、連動しているとも言えます。

価値観を含めて、この世のものは、有形無形を問わず、少しずつ、無意識のうちに、変化をしていくのが「普通」です。

ところが、この価値観を固定させてしまい、いつまでも過去の古い価値観を手放さないことで、人生に不調和や混乱を引き起こすことがあります。

無意識のうちに、変化していくであろう価値観が、なぜ、固定されてしまうか、というと、「変化しないように、意識をしてしまう」ためです。

つまり、自分自身が、その価値観に、こだわりを持って、手放さないというか、変えずに保ち続けようとしてしまうからです。

なぜ、そういうことが起こるのか、それは、その価値観によるメリットを得た経験の大きさと比例していきます。いわゆる、「成功体験」というのでしょうか、そうすることでうまくいった、という自分の得意パターンを、大事にし過ぎてしまうのです。

たとえば、言いつけをしっかり守って無謀なことをしない、ルールの通りに行動できる優等生タイプは、子供の頃や若いうちは、評価されます。

親からも、手が掛からない真面目な子、と思われ、学校に行っても、はめをはずさない、教科書のとおりのお手本のような子、と、その扱いやすさを認められます。おそらくそれは、社会に出ても同様で、フレッシュマンのうちは、高い評価を受けるかもしれません。

けれど、年月が経って、管理職になる年齢になれば、ルールにそっていくだけでは、仕事が回らなくなります。応用や発展を、誰の指示もなくても、自主的に考えて動いていかなければなりませんし、自分が部下にそれを指示する側の立場へと移行していきます。

「指示やルールに従うことが得意で、今まで、その姿勢を評価されてきた」としても、その間隔が、人生を通して、ずっと通用するとは限りません。ルールに従うことが得意、という個性は変わらないとしても、「それが、対外的に、他者から、評価され続ける」とは、限らないですよね。年齢とともに、役割や期待されることは、変わっていく場合がほとんどです。

けれど、過去の成功パターン、成功法則ともいえる、「自分は、こうすれば認められて上手くいく」という経験を、重ねれば重ねるほど、その法則が、自分が認められるための有力な手段として、根付いてしまいます。

「ルールに従うことが得意であり、そこが自分の長所である」という思いを持っているのは、問題ないと思います。事実、それが活かされることは、人生を通して、存在するでしょう。 けれど、「ルールに従えば、評価される」というのは、自分が目下の立場にあるときは有効でしょうけれど、管理職になるとか、年齢を重ねていけば、自分が誰かを評価する側へと立場が変わっていきますので、立場にあったプラスアルファを加えていかないと、若いころと同じ姿勢では、「同じようには、評価はされない」ことになります。

つまり、古い価値観を、使い続けるのが悪いわけではないのです。継続できるものは、当然、使い続けて問題ありませんし、得意なものは活用し続けていくほうがいいですよね。けれど、「既に、今の自分には合わなくなっている、古い価値観」なのに、「こうすれば、必ず上手くいく、成功パターン」だと思い続けて、いつまでもとらわれてしまうと、人生を混乱させてしまうことがあるので、その点は、気を付けていく必要があります。

「以前と同じなのに、なぜか、以前と同じようには評価されなくなった」と感じることが短期間に続いたら、そのタイミングが、「見直す時期」なのかもしれません。

「今の自分に、よりふさわしい価値観」を、改めて見つけていくのもよいですし、または、意図的に創り上げようとしなくても、今までこだわってきた、合わなくなっているものを手放していけば、自然にそれといれかわるように、自分が備えている違う面が表面化していくこともあります。

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2013年1月 7日 (月)

適応力が高いタイプが、迷ってしまうこと。

未経験のことや、知識がないことでも、時間とともに器用にコツをつかみ、相応にやれてしまう、できてしまう、という適応力の高いタイプの人がいます。

未経験なのに、平均値に達するまでが早いとか、基礎を教えると、自分で発展させて応用することができるなど、その時々の状況に、自分を合わせていくことができる、柔軟性があり、「自分を変化させる力が高い」とも表現できます。

どんな場所でも、どんな役割でも、それなりにうまくこなしてしまうので、周囲からは重宝がられ、頼りにされます。「あの人は、何でもできるので、うらやましい」と思われることもあるかもしれません。

しかし、本人は、その、何でもそれなりにやれてしまうために、「自主的に、何をしたらいいのかが、分からない」という悩みを抱えることがあります。

他人が、何かを、要求してくれて、それに応えていくことは得意だけれど、他人から要求されない場面で、自分から決断したり選択したりしていく場合に、どんな基準で動いていいのか、分からなくなってしまうことがあるのです。

第三者的には「出来ることをやればいいじゃない」とか、「得意なことを選べばいいのに」と、思ってしまうところですが、しかし、何をやっても、それなりにやれてしまうために、得意の範囲が自覚しにくいとか、「求めに応えることが、得意」なので、求められない場面での動き方が難しい、と感じてしまう人もいます。

外からの働きかけがあると、備わっている柔軟性を高く発揮して、適応することができるけれども、ゼロからの働きかけを自らしていくための、基準を見つけにくくなるのが、このタイプの特徴のひとつです。

「行動出来ない」こととは、違います。「行動しても、結果がでない」のでも、ありません。

そのため、何が原因で迷っているのか、スムーズにいかないのは何故なのか、自分自身もよく分かりませんし、周囲の人も、気づきにくいことがあります。「出来るはずなのに、やろうとしない人」と、誤解されることもあるでしょう。

このタイプの人は、枠組みや、ルール、相手からの要求がある状況のほうが、動きやすいので、ゼロから何かをしようとするよりも、求めに応じるとか、指示された中で動く、という形態を選んでいくことも、迷いや混乱を避けるための、ひとつの方法といえるでしょう。

そうして、全般的な経験値を上げていき、枠組みの中で動くことや、指示に従って成果を出すことが、物足りなくなってきたところで、次の段階として、自主性を強く発揮するような行動にシフトしていく、という形をとるのもアリだと思います。

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