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2012年12月19日 (水)

「依存や要求を、何度も平気で繰り返す人」の、心のそこにある思いとは。

誰かに何かをしてもらったら、または、自分の期待に応えてもらったら、「ありがたいな」と思うと同時に、少しは「申し訳ないな」という思いにも、なるものではないでしょうか。

お互いに、そのように相手に気配りをすることになるので、節度をもった大人同士の関係では、(自分がされたらどう思うかを考えるため)過剰な依存にはなりませんし、ときに、かなりお世話を掛けてしまうことがあっても、同じことを何度も繰り返したりはしないものです。

しかし、世の中には、相手に過度な要求を繰り返しても平気、そういう自分の態度に抵抗感も持たず、それが当たり前のような態度をする人もいます。

たまに、自分の気持ちに余裕がないときに、誰かに話しを聞いてもらうとか、相談に乗ってもらうとか、そういうことはお互い様の範疇ですが、何度も同じことを繰り返されて、しかも感謝もなければお詫びもない、という態度になれば、相手になるほうも、疲れてしまいますよね。

一般的に、相手の立場になって考えるためには、「もしも、自分が同じ立場になったとしたら、こう受けとめるだろうな」という想像を基本とすることが多いと思います。そのため、相手に配慮する人同士の間では、過剰な依存や要求というのはあまり見られずに、ほどほどの距離感をたもってやっていけます。

その基準を当てはめていくと、もしも、その人が、逆の立場になって、誰かにいろいろ協力してあげる側になっても、特にそれを意識しない、感謝もお礼も期待していないような、こだわらないタイプの人ならば、「あの人は、自分がしてもらう場合も、自分がしてあげる場合も、それに対して相手がどう反応するかを、一切気にしない、さっぱりした人なのだな」と、解釈できます。

ならば、要求ばかりが大きくなっても、(相手がどう思うかを気にしていないから)、しょうがない、そういう性格の人なのだろう、と割り切って付き合えば、それほど、難しいことにはならないでしょう。

そういう人は、出来ないときは、出来ないと断っても、あまり気にしない、根に持たないところもありますし、逆に、自分が何かをお願いする側になるときも、気兼ねなく接していけるというメリットもあり、そういう意味で「お互い様」の関係をつくっていくこともできます。

付き合い方に困ってしまうのは、「自分が、依存や要求を繰り返しても、平気」でありながら、逆に「自分がして上げる立場になったときには、その見返りを相手に要求する気持ちが大きい人」ではないでしょうか。

そういう言動になってしまう人の根底にあるのは、「被害者意識」です。自分は、損をしている立場の、被害者だから、周囲の人達は、そんな自分に何かをしてくれても普通であって、そんな自分は、相手に要求できる権利がある、してもらってやっと釣り合うくらいだ、というような思い込みを持っています。

被害者意識といっても、実際に攻撃をされたとか、いじめられたとかの行動に伴う意識とは限りません。その人の価値観において、「自分は、本来はこんなものではない、もっと世の中に認められるべき素晴らしい人間なのに、それを理解しない世の中が、自分を低く扱うために、こんな思いをさせられる」、という解釈からの不満をもっている場合もあります。

そして、そういうタイプの人が、何かをしてあげる側になったときには、殊更に大きくとらえて、恩に着せるような言動になるのも、「本来、してもらう側の権利がある自分が、して上げたことは、大きく感謝されて当然」と、思ってしまうのでしょう。

「もしも、自分が同じ立場になったとしたら、こう受けとめるだろうな」という想像を働かせるにも、自分と相手は対等ではなく、自分は損をしている前提でとらえてしまうので、温度差がつくられるのですね。自分が要求をすることも、見返りを求めることも、そうしてもらうことで、やっと釣り合いがとれるか、または、それでもまだ、自分が割りをくっている、という思いになってしまうので、「損をしている」という思いが解消されるまで、何度でも、いろんなことを要求してきたりします。

そういうタイプの人と、どう付き合うかは、自分とその人との関係性によって判断することですね。

家族などの近い関係であれば、その人は、「何が、満たされていないのか」、寄り添っていくこともときには必要かもしれません。

それほど近くはない関係の人であれば、踏み込んで寄り添おうとすることで、むしろ、こじれてしまう場合もありますので、距離感によって、自分の接し方を判断するのがよいと思います。

どちらにしても、上記のようなことを、少し、頭に入れておくと、うまく接していくためのヒントにはなるかな、と思います。

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11.家族、恋愛、人間関係」カテゴリの記事

コメント

タイムリーな話題です。子供関係で人と関わる事が増えましたが最初はお互いがよくわからないうちは程よく遠慮もあるのですが仲が深くなるにつれお互いの感覚のずれに悩みも出てきます。どちらかと言うと距離をとりたい自分は他人から見て仲良くなりづらい人と思われてるかな…と考えてしまいます。

投稿: nori | 2012年12月22日 (土) 23時41分

*noriさま

たとえば、「冷たい態度」をとりながら、「暖かい人だと、思ってもらう」ことや、「無口な態度」をとりながら、「話が楽しい人と、思ってもらう」ことは、難しいし、矛盾していると思うのです(^^;)。

「距離をとる」という接し方をするならば、「仲良くなりやすい」とは、思ってもらえなくても、しょうがない部分はあるように思います。

お付き合い上、そう思われると、ちょっと・・・という場合は、「距離の取り方」を工夫するとか、または、距離をとる以外のふさわしい対処法はないか、など、視点を変えてみるとよいのではないでしょうか。

投稿: リカコ | 2012年12月23日 (日) 14時06分

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