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2012年12月の8件の記事

2012年12月22日 (土)

あるはずのものが忽然と消える、「物品移動現象」。

江原さんの書籍によると、そこにあるはずの「物」が消えてしまう、または逆に、そこになかったはずの「物」が突然、現れるという、スピリチュアルな現象のことを、「物品移動現象」と呼ぶそうです。

自分の物忘れのせいでもなく、他の誰かが隠したり、持ってきたりしたわけではない、自分を含めて、人の肉体をつかった行動としての「力」は加わっていないはずなのに、「物」が移動をしている、という現象です。

多くの場合、そこには、「自然霊」とよばれる、霊が関与しているそうです。

自然霊とは、この世に姿を持ったことがない霊のことです。人の霊ではない、霊、とでもいいますか、私たちが、お稲荷さんとか、龍神さんとか、フェアリーだとかの名称で呼んでいるものも、自然霊の一種です。

そのような現象が起きるのは、(そのような現象を、自然霊が起こすのは、といったほうがいいのでしょうか)、さまざまな理由があり、一概に悪い現象とはいえず、何かのメッセージ性が含まれているものもあるようです。

江原さんの経験では、自分が乗っている車が、別の車に衝突したことがあり、江原さんは無傷だったけれども、常に身につけていた水晶が、忽然と消えていて、あれは、持ち主である自分の身代わりになってくれたのではないかと思っている、と書かれています。

私が、この現象で、思い浮かぶのは、作家の佐藤愛子さんの経験です。北海道のある場所に別荘を購入したことで、さまざまな心霊現象に見舞われ、その過程で、若き日の江原さんとも知り合っていくのですが、かなり凄い、物品移動現象が起こっていることが、本を読むとわかります(^^;)。

たとえば、別荘から出掛けて、数時間で戻ってきたら、台所の換気扇が外されて、床の上に置いてあったsweat01とか、書類がたくさんはいった重たい段ボールが、家から外に移動していたとか、普通では考えられないような現象がいろいろ起こっていきます。

そのときの話は、書籍が出ていますので、興味のある方はご覧になってください。

または、こちらの、佐藤さんと江原さんの対談形式の本、「あの世の話」にも、出ています。4章の、「大変な霊体験に、なぜ出合ったのか」に少し書かれていますね。

佐藤さんの話は、物品移動がテーマではなくて、もっと深いいろんな展開があります。かなり興味深いです。

ここで取り上げたのは、派手な心霊現象がでてきて、わかりやすいと思ったからで、スピリチュアリズムに興味がある方には、学びのある話だと思いますので、私は、お勧めです。

で、ここから、話は、戻ります。

このような現象は、物品を移動させることで、何かを知らせたり、思い出させたり、意識させたり、という目的を持っている場合もあるけれども、どちらかといえば、低いレベルの自然霊が、人をからかうために引き起こしている、いたずらのような場合もあるそうです。

なので、あまり意識し過ぎて、こじつけで意味を見出そうとはしなくていいと思いますが、知識として、そういう現象がある、と、知っておくと何かに役立つことも、もしかしたら、あるかもしれません。

私の場合は、・・・どうなんでしょう、きっと、そういう現象が実際に起こっていたとしても、「あら?あったはずなのに?まあ、いいか」と、それで済ませて、気づいていないかもしれないですね(^^;)。なくなったら、なくしたんだろうな、と、それ以上を追究しない、あきらめが早いところがあるので。

物品移動現象に気づくのは、常にきちんと整理整頓がなされていて、管理が行き届いているタイプの人、かもしれませんね。私のような、大雑把なタイプは、起こっても、気づけないかもしれません。気づいたとしても、いいか別に、と、済ませてしまうと、現象を起こしたかいもないですからね(^^;)。

このブログには、私が実際に体験したことも、いろいろ書いていますが、記事を書いている最中に、「そういえば、私も、こんな経験があったな」と、ふと、思い浮かぶのです。それは、自分が思い出している、ところもあるでしょうけれど、わかりやすく書くために、霊界が仕向けてくれているから思い出す、というのも、あるような気がしています。

・・・ここまで書いていても、物品移動に関連する自分の経験が、さっぱりと思い浮かばないのは、やはり、経験していないか、経験していても、まったく気づいていないのか・・・、私は、この現象には、部外者のようです(笑)。

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2012年12月21日 (金)

現代人は、「生き方」に迷っている。

日々、いろんなご相談をお受けしていて、考えさせられるのですが、現代の人は、生き方に迷いをもっている人が多いです。

どのように自分の人生を考えたらよいのかわからない、この先の人生のビジョンがつくれない、なぜ、生きていかなければいけないのか、何を目的に生きるのが正しいのか、と、表現こそいろいろですが、多くの人が、「生き方に迷っている」時代です。

なぜ、このようなことが起こっているか、そのひとつは、現代が満たされていることが理由でしょう。よほど極端に他人に迷惑を掛けるようなことさえしなえれば、現代の日本においては、かなりの自由な言動が許され、好きなように生きることができます。

人は、制限されていると、「自由になりたい!」と思うものですが、いざ、自由になってみると、「どうしたらいいのか、わからない」気持ちになってしまうものではないでしょうか。ある意味、制限されているほうが、目的がはっきりしていて、行動しやすい部分もあるものです。

たとえば、「予算が10万で、日程が3日以内で、好きな旅行プランを立てなさい」といえば、その条件の中で、いろいろ考えることができますが、「何でも好きにして、旅行をしてください」といわれても、どこから思考をスタートさせていいのか、意外と難しいものですよね。

独身時代に仕事が辛くて、結婚して専業主婦になって、仕事から抜け出したと思ったら、今度は時間をもてあまして、会社が懐かしく思える、やっぱり仕事をしていきたい気持ちになる、という話なども、よく耳にします。

制限されていることは、苦しさはあるけれども、また別の視点では、制限されているからこその、安定とか、過ごしやすさ、目的意識の持ちやすさ、というものは存在するのですよね。

実際に、自由になってみると、意外と、行動の指針となるものがないことに気づき、どうしたらいいのかが、わからなくなってしまうことがあります。

昔の時代は、学問というのは限られた一部の人達だけのものでしたし、男子たるものこうあらねば、とか、長男は家を継げとか、親の決めた相手と結婚しろとか、いろんな枠組みがある中での生き方をせざるを得ませんでした。

しかし、現代の日本は、ある程度の豊かさがあり、教育も行き届き、そして世界で類をみないほどの治安もあり、その上、人の権利が確立されてきて、制限が少なくなり、生き方に多様性が生まれました。

職業も学問も、自分で選んでいくことができ、最低限の生活が保障され、個人の権利や自由が尊重される世の中となり、昔ながらの、こうあるべき、という生き方の枠組みから抜け出すことができました。

そのように、多様性が認められた反面、人とは、男性とは、女性とは、どのように人生を過ごしたよいのか、という、全員に共通した指針となる教科書はなく、手本となる基準もない、「自分で、自由に」考えざるを得ないのが、現代です。

この位の年代になったら、こうしなければならない、という制限はないかわりに、このくらいの年代になったときに、こうすればいい、という模範解答もありません。すべて自分で決めていける、とも言えるし、自分で決めていかなければならない、とも言えます。

恵まれていて、ありがたい時代であると同時に、指針を自分で作っていかなければならない、という、自主性が強く求められる現代を、どのように生きていくか、それ自体が、今の時代に生きている人に共通した学び、なのでしょう。

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2012年12月19日 (水)

「依存や要求を、何度も平気で繰り返す人」の、心のそこにある思いとは。

誰かに何かをしてもらったら、または、自分の期待に応えてもらったら、「ありがたいな」と思うと同時に、少しは「申し訳ないな」という思いにも、なるものではないでしょうか。

お互いに、そのように相手に気配りをすることになるので、節度をもった大人同士の関係では、(自分がされたらどう思うかを考えるため)過剰な依存にはなりませんし、ときに、かなりお世話を掛けてしまうことがあっても、同じことを何度も繰り返したりはしないものです。

しかし、世の中には、相手に過度な要求を繰り返しても平気、そういう自分の態度に抵抗感も持たず、それが当たり前のような態度をする人もいます。

たまに、自分の気持ちに余裕がないときに、誰かに話しを聞いてもらうとか、相談に乗ってもらうとか、そういうことはお互い様の範疇ですが、何度も同じことを繰り返されて、しかも感謝もなければお詫びもない、という態度になれば、相手になるほうも、疲れてしまいますよね。

一般的に、相手の立場になって考えるためには、「もしも、自分が同じ立場になったとしたら、こう受けとめるだろうな」という想像を基本とすることが多いと思います。そのため、相手に配慮する人同士の間では、過剰な依存や要求というのはあまり見られずに、ほどほどの距離感をたもってやっていけます。

その基準を当てはめていくと、もしも、その人が、逆の立場になって、誰かにいろいろ協力してあげる側になっても、特にそれを意識しない、感謝もお礼も期待していないような、こだわらないタイプの人ならば、「あの人は、自分がしてもらう場合も、自分がしてあげる場合も、それに対して相手がどう反応するかを、一切気にしない、さっぱりした人なのだな」と、解釈できます。

ならば、要求ばかりが大きくなっても、(相手がどう思うかを気にしていないから)、しょうがない、そういう性格の人なのだろう、と割り切って付き合えば、それほど、難しいことにはならないでしょう。

そういう人は、出来ないときは、出来ないと断っても、あまり気にしない、根に持たないところもありますし、逆に、自分が何かをお願いする側になるときも、気兼ねなく接していけるというメリットもあり、そういう意味で「お互い様」の関係をつくっていくこともできます。

付き合い方に困ってしまうのは、「自分が、依存や要求を繰り返しても、平気」でありながら、逆に「自分がして上げる立場になったときには、その見返りを相手に要求する気持ちが大きい人」ではないでしょうか。

そういう言動になってしまう人の根底にあるのは、「被害者意識」です。自分は、損をしている立場の、被害者だから、周囲の人達は、そんな自分に何かをしてくれても普通であって、そんな自分は、相手に要求できる権利がある、してもらってやっと釣り合うくらいだ、というような思い込みを持っています。

被害者意識といっても、実際に攻撃をされたとか、いじめられたとかの行動に伴う意識とは限りません。その人の価値観において、「自分は、本来はこんなものではない、もっと世の中に認められるべき素晴らしい人間なのに、それを理解しない世の中が、自分を低く扱うために、こんな思いをさせられる」、という解釈からの不満をもっている場合もあります。

そして、そういうタイプの人が、何かをしてあげる側になったときには、殊更に大きくとらえて、恩に着せるような言動になるのも、「本来、してもらう側の権利がある自分が、して上げたことは、大きく感謝されて当然」と、思ってしまうのでしょう。

「もしも、自分が同じ立場になったとしたら、こう受けとめるだろうな」という想像を働かせるにも、自分と相手は対等ではなく、自分は損をしている前提でとらえてしまうので、温度差がつくられるのですね。自分が要求をすることも、見返りを求めることも、そうしてもらうことで、やっと釣り合いがとれるか、または、それでもまだ、自分が割りをくっている、という思いになってしまうので、「損をしている」という思いが解消されるまで、何度でも、いろんなことを要求してきたりします。

そういうタイプの人と、どう付き合うかは、自分とその人との関係性によって判断することですね。

家族などの近い関係であれば、その人は、「何が、満たされていないのか」、寄り添っていくこともときには必要かもしれません。

それほど近くはない関係の人であれば、踏み込んで寄り添おうとすることで、むしろ、こじれてしまう場合もありますので、距離感によって、自分の接し方を判断するのがよいと思います。

どちらにしても、上記のようなことを、少し、頭に入れておくと、うまく接していくためのヒントにはなるかな、と思います。

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2012年12月18日 (火)

想念が放たれて、そして、戻ってくるという仕組み。

過去にも、想念については、何度も書いてきましたが、今回は、「想念の放たれ方~戻り方」についての考察です。

思考をすると、想念というエネルギーが作られていきます。行動や発言とちがって、頭の中で思ったことは、自分以外に知られていませんし、表れていませんので、なんとなく、それは、「なかったことに、できる」ような気がしてしまいますよね。または、「それほど、意味をもたない」もののような、軽い扱いをしてしまうこともあると思います。

しかし、実際には、見たり聞いたりできなくても、思ったことはすべて、「想念というエネルギーを作りだしていること」になり、行動や発言のように、エネルギーが作用していきます。

前向きな思考をすれば、前向きなエネルギーが自分から発せられ、後向きの思考をすれば、後向きのエネルギーが発せられていくことになるわけです。

私たちは、思考という行為を通して、日々、そしてその都度、想念というエネルギーを膨大に作りだしていることになります。

ある外国のヒーラーが書いた書籍の中に、このような記述がありました。

わかりやすい言葉に置き換えた要約ですが

「想念のエネルギーは、人の眉間から放出されて、それは、1ミリにも満たない小さいもの。作られたエネルギーは、しばらくすると、その人を離れ、似たような波動のエネルギーに引き寄せられていき、大きくなっていく。やがてそれは、似たようなエネルギーを引き連れた状態で、想念を発した人の、首の後側へ戻ってくる」、

というような内容でした。

確かに、念がとんでくるときは、首の後側のほうに、やってくるケースが多いように、私の経験や知識からも、そう思います。

また、想念が放たれるのは、私は、それらを視覚でとらえたことは、おそらくないと思うのですが、しかし、このことは、なんとなく理解ができる気がします。

以前にも書いたと思いますが、念力が強い人の、オーラ上の特徴として、「額や眉間のオーラが放たれる勢いが強い」、というのがあります。これは、眉間から、想念を放つ勢いが強いことと、関連してみられる特徴なのかもしれないです。

(過去記事参考:オーラに念力の強さは、どのように表れるのか

この世の出来事のすべては、「カルマの法則」という、自分のしたことが自分に返る、自分が種を蒔いたものが、良くも悪くも実っていく、という仕組みが関わりますので、自分の放った想念もまた例外ではなく、眉間のあたりから放たれたエネルギーが、めぐりめぐって、自分に戻ってくるようになっているようです。

その際に、同じようなエネルギーを引き連れて戻ってくるらしいので、・・・よからぬエネルギーを一緒につれてきてしまっても、それも、かつての自分が放った想念であり、自分の蒔いた種という側面もあるといえるようです。

もちろん、よい想念を放っていけば、それが自分に戻ってくる、というのも、同様ですねsun。こういうことは、いちいち気にしすぎてもキリがないのですが・・・、知識として仕組みをわかっているほうが、理解が深まることもたくさんあると思いますので、基礎知識として、書いてみました(^^)。

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2012年12月14日 (金)

「認められたい」思いを満たすのは、他人ではなく、自分。

他人に自分を認めてもらいたい、わかってもらいたい、という思いを、とても強く持っているために、人間関係がうまくいかなくなることがあります。

認められたい気持ちは、少しくらいなら、誰もが持っているものですが、その思いが強くなりすぎ、他人にそれを要求することが当然の権利であるかのような思い込みをしてしまい、人間関係の調和がとられなくなることがあります。

「他人から、自分を認めてもらいたい」と強く思っている人とは、「自分で自分を認めることができない」状態であり、なおかつ、「他人に自分を認めてもらいたい」と思っている人です。

自分が自分を認めていけば、自分を内側から満たしていくことができますが、それができないので、自分を外側から持ってくる要素で満たしたいという思いの比重が高くなります。

つまり、「自信のなさを、他人からの評価で満たそうとしている」状態です。

なぜ、自分で自分を認めることができないのか、それはおそらく、「どうすれば、自分を認められるのか、その方法がわからない」からだと思います。

自分を認めることはとても難しいので、どうすればそれができるのかがわからない、という人がいることは不思議ではありません。

しかし、自分を認めることができないと、他人から認められていることが、わかりません。「自分が、自分を認めたときの、感覚」が、わからないと、「他人から、自分を認められたときの、感覚」を、とらえることが難しくなります。

たとえば、「おやつとは、手作りケーキのことである」という思いを持っている人がいて、毎日、美味しい羊羹を与えられているのに、「自分は、おやつ(ケーキ)を与えてもらっていない」という認識になってしまうような、すれ違いが出てしまいます。

相手の人は、相手の人の感覚で、十分に自分を認めてくれているかもしれないのに、たとえば、「あの人は、行動力があるから」と、認めてくれて、自主性を尊重されているのに、「自分はまったく、構ってもらえず、存在価値を認められていない」と思い込んで、「自分が望む形での評価のみ」を求めると、自分と相手の感性が一致しない限り、不満はいつまでも解消されなくなります。

自分が自分を認めることができる比重が高くなるほどに、他人が自分を、実はいろんな形で認めてくれていることに、どんどん気づいていけるようになります。

あまりに強すぎて、自分を苦しくしてしまうほどの「他人から、認められたい思い」は、「自分が、自分を認めていくこと」を、抜きにしては、なかなか改善しないのです。

自分を認めるのって、簡単ではありません。とても難しいです。ですが、難しいからといって投げ出さずに、まずは、とり組んでみようという意思を持って下さい。そうすると、得たいと思っていた、他人からの評価もついてくるようになり、他人からの評価が高くなると、自信も底上げされていきます。この二つは連動しています。

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2012年12月10日 (月)

霊的感性が高い人にありがちな、過剰な「運命論」への執着。

霊的な感性が高い人や、スピリチュアリズムに関心が深い人ほど、過剰なまでの、運命論者(宿命論者)となって、こだわりを持ちすぎてしまいがちな点には、注意する必要があると思います。

運命論(宿命論)とは、この世の出来事は、すべて、あらかじめ定められた通りに展開し、それに人々は支配されていて、自分の意思ではそれらを動かすことはできない、というような、人生観のことです。

この世で起こることはすべて意味のある必然であり、意味の無い出来事が無作為に降りかかることはなく、すべては、たましいの学びが含まれた、その人にとって意味のある出来事になっている、というのが、スピリチュアリズムの基本的な捉え方ではあるのですが、しかし、それらに過剰なまでにとらわれて、私たち人間に与えられた、それぞれの自由意思や、選択や判断の責任や、創造の可能性を否定して、変に悲観的にとらえてしまうのは、問題です。

それは、一見、(必然を前提とした)スピリチュアリズムに従った理解のように思えるかもしれませんが、(必然の意味を、拡大解釈して曲解している、という)全体を見渡していない、大いに自己流に偏った解釈になっている、といえるでしょう。

運命論的な捉え方に偏ると、日々の出来事のすべてに、過剰にこじつけ気味な意味をもたせては、「あの数字がなんたらだから、未来がこうなるに違いない」、とか、「この出来事には、あの件の、示唆が含まれているに違いない」、と、何でもかんでも、小さいことにまで、過剰なこだわり、こじつけ、を作りだします。

そして、素直な解釈を遠ざけ、何でも一ひねりした解釈をしないと気が済まなくなり、本来シンプルであるはずのものまで、とても複雑に「してしまう」ことが起こります。

このような考え方は、世界を狭くします。与えられた自由意思や、創造性を活用したり、育てたりすることもなく、何でも決まったとおりにしかならない、努力しても何も変わらない、となれば、「私たちは、何のために、この人生を生きているのか」という、存在意義の根本が不確かになります。

この世という学びの場所で、心豊かに生きて学びを深めていくための指針となるはずの、スピリチュアリズムを、限定された狭い捉え方をしてしまえば、それはむしろ、曲解を増長し、混乱を作り出すことになります。

全ての出来事に、相応の意味があることは事実です。それは否定されるものではありません。けれど、全てに意味がある、といっても、とりわけ重要な意味を持つものと、そうでもないものという、重要度の差はあります。

何でも、こだわれば良い、細かいことにまで意味を見出そうという捉え方は、こじつけを作りだし、本来見るべきものから意識がそれて、重要ではないことにとらわれてしまう、本末転倒な状態を作りだしてしまうのではないでしょうか。

霊的な感性が高い人ほど、世の中のいろんな出来事の関わりの中に、霊的な法則性を見出すことができます。他の人が気づかないことまでも、意識の網にとらえていくことが多くなります。だからこそ、逆に、「気にしすぎ」「こだわりすぎ」になってしまうケースが出てきます。

適度であれば素晴らしいものも、過剰になったらバランスが悪い、それはどんな事柄にも共通して当てはまります。

全ての出来事に、(過剰なまでに)意味を見出そうとして、決まった宿命・運命論にとらわれてしまうならば、動かせない要素にのみ、意識を向けることにあり、本来、誰もが手にしているはずの創造性や可能性を、使わずに、無駄にしているのと同じにならないでしょうか。

私たち人間の意思のみでは、動かせない要素は存在します。しかし、動かせる要素もたくさんあります。それらの両方が複雑に関連しあって、出来事を作りだしている学びの場所が、この世という世界です。

スピリチュアリズムに関心を持っている誰もが、ときに、偏った理解になってしまう可能性はあります。この世で霊的な仕組みを理解しながら、現実を生きていくことは、とても難しいものだからです。誰もがそうして、揺れ動きながら、しっかりとした自分の軸を創り上げていく、それもまた、学びの一環といえるでしょう。

もしも、自分が、こだわりすぎていることに気づいたなら、その都度、基本に立ち返り、創造性と可能性を信じていく大切さを思い出し、ちょっと、スピリチュアリズムから、意識を離して、深呼吸をしてみましょう。

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2012年12月 8日 (土)

住んでいる場所と、人の個性は、互いに影響していく。

私たちは、たましいの存在で、何度も生まれ変わって、その時々の人生を経験することで、学び、成長しています。

そのときの学びに見合った環境を、「自ら、選んで」生まれてくるので、家族構成、国、時代、場所、性別その他は、それぞれの学びの要素を反映したものとなります。

たとえば、日本という国がもつエネルギー、日本人に多い特徴や個性というものはたくさんありますが、それらの何かが引き合うたましいが、日本という国を、自ら選んで生まれてくる、という仕組みです。

日本の中でも、いろんな地域があり、それぞれの特徴や個性があります。県民性、という言葉がありますが、北海道はおおらかな人が多い、とよくいわれますし、関西の人は明るい陽気なイメージがありますし、それぞれの地域性を反映した特徴がみられますよね。

これらは、学校に置き換えて理解すると、わかりやすいです。

高校は、義務教育と違って、「自分が、選んで」入りますので、「同じ目的の人が、集まりやすい」といえます。

商業を志す人が、商業高校に、工業を目指す人が、工業高校にいきます。学校のランクもありますので、だいたい、同じような範囲の人達が集まる場所となりえます。そうなれば、集まった人達の中に、ある程度の共通性が見られることは、不思議ではありませんよね。

または、このような考え方もできます。いろんな個性をもった、大勢の人達が、同じ学校にで過ごすうちに、その校風に馴染んでいくことで、共通性が(後天的に)作られていくこともあるでしょう。

それらの仕組みは、住んでいる場所と人の関係にも当てはまり、その地域ごとの特徴や共通性が、少なからず見られるもののようです。

私のかつての師匠がよく言っていたことですが、北海道と沖縄の人に、霊感が強い人が多い、と。私は、沖縄のクライアントさんが、なぜかほとんどいませんので(^^;)、沖縄に関してはよくわかりませんが、北海道の人は、確かにそういう傾向が見られるかも~?とも、思ったりもします。

私の経験上、クライアントさん達の統計上、見られる特徴としては、「神奈川の人は、UFO遭遇率が格段に高い」ように思いますtyphoon。そういう話題を出してくるのは、ほとんど神奈川の人、といっても過言ではないくらいです(当社比)。

神奈川の方からご相談をいただいた時に、私のほうから、「UFO見たことがある人って、神奈川に多いような気がするんですよ~」と、世間話の延長でお話したりしますと、「ああ、私も見たことありますよー」と、普通に、言われたりしますね(^^;)。それがどうかしましたか?的な反応で、そんなに日常なのか、という(笑)。

神奈川に住んでいると、そういうものを見やすいのか、それともUFOに縁のあるたましい(というものが、あるのだとしたら)が、神奈川に住むように集まってくるのか、・・・明確な答えはありませんが、おそらく、どちらも当てはまるのではないかと思います。

私がここでお伝えしたいのは、UFOがどうとかの、好奇心を刺激することではなくて;、そのように、住んでいる場所と、住んでいる人は、お互いに影響を与え合っていて、個性や特徴をつくりあげたり、際立たせたりする意味がある、という点です。

土地や場所のもつエネルギーに人間のほうが影響される、という部分もありますし、逆に、住んでいる人が発するエネルギーが影響して、土地や場所の特徴が作られていく、という、両方なのだと思います。

何か引き合う要素がある、学びがある、という場所を、私たちは、誰もが選んで生まれてきていて、引っ越す場合でも、無意識のうちに、何かの縁があるところを選んでいることもあるでしょう。

自分が生まれた場所、今住んでいる場所と、自分との関わりやご縁などを、考えてみることも、結構、いろいろに解釈できて、面白いものです。

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2012年12月 5日 (水)

感情と感情の「掛け合わせ」。

感情に振り回されてしまう、感情が優先してしまう、という状態になることがあります。

しかし、そう頻繁に、感情だけが先行することは、普通はないもので、多くの場合は、理性があることでバランスが作られ、ある程度はコントロールがなされているものです。

誰かが、自分に、何か酷い言動をとって、その瞬間に、自分の感情が爆発した、というのは、普通に考えてみれば、ちょっと不自然でもあります。唐突に、酷い言動をされたら、「私が何かしたかしら?」と、単純にびっくりするとか、または、「なぜ?」とショックをうけるとか、そういう反応になることが多いはずで、いきなり、感情の導火線に火がついてしまうのは、よく考えてみれば、ちょっと極端な反応といえるのではないでしょうか。

このような場合、そのとき発生した感情と、既に存在していた別の感情とが、掛け合わせとなり、大きなエネルギーとなって表面化していることが多いです。

たったひとつの出来事から作られた、感情単体では、自分のコントロールがきかなくなるほどの大きさとはならず、二つ以上の感情が、「掛け算」になっているときに、一気に数値が大きくなって、大爆発になっていきます。

「子どもが言うことをきかない」「義両親が勝手だ」「旦那に思いやりがない」」という、感情だけでは、しれた程度ではないでしょうか。

その他に、掛け合わせとなる感情、たとえば、「自分だけが常に損をしている」「私が好きなことをする時間がない」「自分の存在価値が正当に認められていない」という思いがあって、その状態で、何かのきっかけが、新たな感情を発生させたときに、

過去から存在している感情と、新しく発生した感情が掛け合わせとなり、とても大きくなって、「新しく感情を発生させた対象に、そのすべてが向かってしまう」場合が多いです。掛け合わせになっていることに気づかずに、新しい感情の要因が、すべての原因だと認識してしまいます。

たとえば、「以前からずっと、自分は誰からも大事にされていない」、という不満をもっていて、そこに、「旦那が勝手にお金をつかった、という状況が発生」すると、その二つの感情が掛け合わされて、大きな不満となり、その不満のすべてが新しい要因へと向かい、「旦那がお金をつかったことで自分がこんなにも苦しくなっている」と、思ってしまいます。

そして、旦那に向かって、掛け合わせた感情のすべてが、爆発してしまい、トラブルになります。

「二つの掛け合わせで、大きくなった感情」を、「そのうちの一つである、相手」にぶつけてしまえば、相手からみれば、自分が発した以上の大きさでエネルギーが返ってくるわけですから、相手もまた不満を募らせ、関係の継続に影を落とすことになってしまう可能性もあります。

それほど大げさに怒らなくてもいいような状況で、感情が大きく出てしまう人というのは、それ以前に、自分の中に、何かの不満なりの感情が存在しているから、なのですね。

このようなタイプと接する場合、とにかく刺激を与えないようにして、やりすごそう、という対処法を取ることが多いのではないでしょうか。

上辺だけの付き合いならば、それも一つの方法だと思いますが、近い関係で、お互いの信頼をつくっていく必要があるときには、「その人が、常に抱えている不満とは何か」を想像して、そちらを減らすことはできないか、という点からのアプローチが、改善につながることもあるかもしれません。

自分が感情に振り回されてしまうタイプだ、と、自覚がある場合は、上司が悪い、世間が悪い、○○が原因で怒りが出てくる、だから私はこんなにもイライラさせられる、という、「それ以前に、心の中に、何かの不満なり、不安なりが存在していないか」、自分の心を見つめていくことが大切です。

感情に支配されているときに、自分の心を見つめるのは難しいものです。冷静なときに、自分を見つめる時間をとっていくと、過去から抱え続けている何かを、見つけることができるかもしれません。

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