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2012年10月の5件の記事

2012年10月22日 (月)

未来の「時期」「時間」の特定の感覚。

以前にも何度か書いていることですが、リーディングで、未来について把握する中で、特に、その時期について特定することは、本当に難しいものです。

その理由は、あちらの世界は、こちらの世界のような感覚による「時間」という概念が薄くて読み取りにくいからです。直近の未来においては、おおよその検討をつけることも、内容によっては出来ることもありますが、それでも、とても把握しにくいものです。

あちらの世界に時間の概念がないから、未来の時期を特定することが難しい、このことが分かりやすい例えを見つけました。

先日、たまたまテレビをみていて、宇宙飛行士の方が、「宇宙からの、地球の見え方」についてお話をなさっていました。

実際に宇宙に行く前のイメージとしては、「おそらく、飛行機で上から街を見下ろすような感覚で、地球を見ることになるのだろう。雲を超えて、大気圏を超えて、どんどん上昇して・・・、ずーっと下に、地球を見ることができるのだろう」と、思っていたそうです。

しかし、実際には、「上から、見下ろす」ことは無かったそうです。なぜなら、「宇宙には上も下もないので、「上から」見下ろすという、構図が存在しない」状態で、自分が下にいて地球を見上げているような、不思議な感覚だった、と。

地球では、重力があるから、私たちにとって「下」という感覚はありますが、無重力の状態になったら、どこが下なのか、って、わかりにくいですよね、きっと。

「宇宙には、上も下もない」、という感覚のお話は、「あちらの世界には、こちらの世界でいうところの時間、という概念がない」感覚と、ちょっと似ていると思いました。

あちらの世界の情報の中で、未来の時期を特定する、というのは、重力のないところで、上下を付けるのと、似たようなやりにくさなのではないか、と。

そのような中で、未来についての時期を特定していくのは、現時点の「今」を、とりあえずゼロとして考える、今この時期を基点とするとしたら、という、暫定の目盛りを当てはめるならば・・・、というような読み方をしていきますね、私の場合。

でも、私は、未来予測のようなご相談は、基本、あまり承っていません。そういうことは、スピリチュアリズムや、自身の成長・向上と直接関係しないから、という理由でもありますが、実際のところ、未来については、難しすぎて把握できないため(^^;)、でもあります;。

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2012年10月19日 (金)

他人のことなど、そう簡単に分かるものではない。

他人のことが分かる、ような気持ちになっても、それはほとんどの場合、自分の思い込みが入っていて、他人のことがそのまま把握できているわけではありません。

そして、他人のことが分かる自分は特別だ、と思いたい気持ちにもなるかもしれませんが、誰もが少しくらいは他人のことが分かるのであり、自分だけが特別ではありません。まったく何もわからない、他人のことを把握する力がゼロ、という人はいないものです。

平均以上に、他人のことが分かるセンスを持っている人も、存在します。けれど、そういう人たちは、「自分は、他人のことが分かる」などとあまり意識しませんし、ましては、それを得意気に触れ回るようなこともありません。

なぜなら、そういう鋭さを持った人達は、「他人のことが分かるといっても、それは全体のごく一部に過ぎず、すべてなど把握できるはずもない」ことを、誰から教えられなくても、自然に「知っている」からです。平均以上に鋭い人は、そういうことを把握する感性も備えているものです。

ですから、本当に鋭い人は、殊更に、自分は他人のことが分かる、などと意識もしていないし、発言したりもしないものなのです。

自分は他人のことが分かる、と、得意気に言う人は、そういう仕組みを理解していなくて、自分だけが分かっていて、周囲の人達は何もわかっていない、という、自分中心の思い込みをもっていることが多いです。

なぜ、そう思うか、というと、実際に、自分自身が、周囲から理解されないから、です。それを、周囲の人は、他人(自分)を理解する感覚がないからだろう、と、受け取るわけです。実際には、そういう思い込みが、周囲から浮いているとも言えるのですが・・・、なかなか、自分のことって気づくことが難しいものです。

「他人ことが、平均よりもよく分かる人」と、「平均的に分かる人」と、「平均以下しか、把握できない人」がいるとしたら、そういう人は、平均的な把握の人達からは、(その人の言動が原因となって)浮いてしまい、そして、平均よりも分かる人達からは、やれやれ・・・と距離を置かれてしまい、結果、平均以下しか把握できないタイプの人を見下したり、攻撃したりして、人間関係を作ることになりがちで、そこが、気をつけなければいけないポイントです。

平均以下しか分からない人は、だいたい、社会性が薄くて、自信もないので、そういうふうな「私は分かるのよ、あなたは○○すべき」とか、「あなたは分かっていない」などという人がいると、もう、パニックになって、圧倒されて、そのまま言うことを聞いてしまったりもします。この組み合わせは、いわゆる「モラハラ」を生あるかもしれません。

人は誰もが皆、他人のことを把握するセンスを少しは備えているもので、自分だけが特別ということはない、常に、「人間とは、この世でたましいの向上のために学び続けている霊的な存在である」、という謙虚な姿勢をもって、人との関わりをとらえていくことが大切だと思います。

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2012年10月17日 (水)

未浄化霊が見えるのは、自分の波長が低いから。

自分は霊が見える、と、自慢げに話す人が結構いるものです。自分は、特別な感覚をもっていて、皆と違うということを、アピールしたいのかもしれません。

そして、スピリチュアリズムに興味を持っている人達は、そういう人をうらやましがって、もてはやすようなところがあります。

けれど、霊を頻繁に見てしまうというのは、自慢できるようなことではありません。

未浄化な霊を見てしまう、ということは、自分の波長が未浄化霊と同じだ、ということです。霊感が強いからこそ、霊が見えるというのは、確かですが、しかし、霊感の強い人が皆、未浄化霊を頻繁に見ているわけではないですし、ましてや、自慢げに触れ回る人ばかりではありません。

霊が見えることを自慢げに話す、というのは、霊が見える自分は特別であり、そして格が高いから、とでも思っているためでしょう。

けれど、未浄化な霊が見えてしまうのは、自分の波長が下がっている時であることが多く、自分が前向きさで満たされていて、こだわりを抜けて、愛をもって過ごしている時には、未浄化な霊とは波長が合わないので、見えたりすることはほとんどないものです。

ですから、霊が見えないことは、普通であり、必要のないものを見ないように守られているから見えないわけで、霊が見えることを、殊更にうらやましがることもないのです。

自分は霊が見える、と、得意げに触れ回っている状態というのは、言い換えれば、「私は、波長が低いのです」と、わざわざアピールをしているようなもの。

それに気づかない状態が、得意になれるようなことかどうか、霊が見えることをうらやましいと思ってしまう人がいるなら、冷静に考えてみてほしいと思います。

守護霊だとかの、親和性のある高い波長の霊は、そう簡単に見えるものではありません。肉眼で見えてしまう霊は、未浄化な霊であることがほとんどです。

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2012年10月13日 (土)

聖地にも、当然ながら、いろんな霊がいる。

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以前に、こちらの記事で、聖地や神社仏閣めぐりを、すればするほどいい、というものではない、巡るという行為が自分を幸せにしてくれることはなく、結局は、自分自身で行動することが大切である、という内容を書きました。

それは、行けば行くほど効果があるとか、回数をこなせば良い、などというものではない、という主旨でしたが、今回の記事は、そういう場所に行きすぎて、不都合が生じることもある、というケースについて書きます。

参拝をすればいい、するほどいい、という訳ではないのは、ご理解いただけるものとして、しかし、「願いが叶うとはいわなくても、行くほどに(行かないよりは)少しは効果があるはず」という思いを、お持ちの方も、少なくないと思います。

その解釈のすべてが間違いだとはいいません。行くことで、穢れを祓ったり、高いエネルギーに触れて、気持ちが引き締まり、やる気になれたりすることはあり得ますから。

けれど、大事なのは「動機」を含めた思考や行動全般であって、参拝という表面の行動だけをなぞれば、何でもいいというわけではないのです。

中には、あちこちと、神社仏閣を巡りすぎて、おかしな心霊現象を引き寄せてしまうこともあります。神社仏閣は、いろんな霊が集まりやすい場所、でもあるためです。

そういうケースは、だいたい、動機の部分に、誰かに何とかしてほしいという強い依存心や、物質的価値観からくる願望、自分の願いだけ叶えば良いという我欲などが存在します。

そのような思いを強く持った状態で、あちらこちらと、「霊的エネルギーの行き交う場所」に出入りしていることで、未浄化な霊を引き寄せてしまい、連れ帰ってしまうことは、しばしばあるのです。

おそらく、少なくない人数の方が、神社仏閣などは、きちんと整備されお祓いもされているから、高い波長の霊的エネルギーだけが存在しているもの、良い影響を得られるとはいわないまでも、悪影響を受けることなどあるはずがない、と、思い込んでいることでしょう。

実際に、儀式を執り行い、常に清浄を保つための配慮はなされているでしょうけれど、しかし、それだけで、低い霊的なエネルギーが完全に排除できるわけではありません。

そもそも、私たち人間も、学びの途中という、完全に悟ってはいない進化途中の霊なわけですから(^^;)、(高いレベルとも限らない)私たち人間が、その空間に出入りできる、ということは、低いエネルギーを排除しているわけではない証拠でもあるでしょう。

低いエネルギーが完全に排除される場所ならば、私たち人間が、まっさきに閉め出されてしまうと思います(笑)。

結局、どこにいようと、自分と同じレベルものが引き寄せ合うという、波長の法則は作用します。

そしてさらに、神社などは、その場の穢れを祓うための工夫は、いろんな形でなされていても、さまざまな我欲や物質的価値観をもった人間が、たくさん参拝にやってきて、あれを与えてくれだの、これを叶えてくれだのと願掛けをしていくわけで、いろんなエネルギーが、幅広く行き交うことは確かなのです。

強い依存心や物質的価値観の願望を持って、あちらこちらと、巡り歩き、そして、自分で努力をしていくという自力を怠れば、その自分の波長に見合った霊が付いてきていまい、むしろ、そういう場所に出入りする以前の状態よりも、コンディションが下がってしまうこともあるのです。

参拝にいくことが悪いわけではありません。ですから、どこの神社に行ったら調子がわるくなったとか、あちらの神社なら大丈夫とか、そういう区分けで計れることでもありません。

結局すべては、自分自身です。自分自身の動機と行動が大事で、その上で、後押しの力をいただく目的や、リフレッシュのために出掛けていくならば、よいエネルギーの影響をうけることもできるでしょう。

写真は、北海道神宮です。

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2012年10月 1日 (月)

人嫌い改善のための、スタート地点。

人と一緒にいるのが嫌だ、人づきあいはしたくない、と、自分だけの世界に閉じこもってしまうのは、改善した方が望ましい、学びの要素である、といえるでしょう。

なぜなら、この世の学びというのは、おおよそ、人を通して与えられるものであり、人を通して気づき、人を通して得られる、という形になっていて、人づきあいを避けていては、生活自体も、たましいの学びも、なかなか、うまくいかないように「なっている」からです。

なぜ、人づきあいを避けてしまうのか、その答えはとてもシンプルです。

そういう人は、「苦しみというのは、人が、自分に与えている」と思っています。

「なぜなら、その苦しみは、人と一緒にいるときだけ起こることであり、自分ひとりのときには起こらない」ので、つまり「苦しみが発生するのは、自分に原因があるのではなく、相手が自分に与えていること」と、認識してしまっているからです。

自分に原因があるなら、自分をなんとかする必要がありますが、相手が悪いのならば、相手を避ければいい、そもそも関わらなければいい、という考え方の結果なのでしょう。

しかし、その認識の仕方は、正しくありません。

苦しみは、自分の学びとして、自分が持っているものであり、それを、人との関わりを通して気づく仕組みになっているために、誰かと接する時に発生するようになっているだけであって、その相手が、もたらしているものではありません。

人づきあいがうまくできない、コミュニケーションが計れない、という要素は、自分の中に存在するのであり、そこを改善して、よりよい状態をつくっていくことが、自分の学びにもなり、生活の質を向上させていくことにも繋がります。

自分が避けたいとか、苦手だと思っているさまざまな要素は、相手が苦しみを自分にあたえているのではなく、自分のたましいが自分に与えた課題であり、相手はそれに気づかせる役割をしてくれているだけ、なのです。

この世は、お互いに、その役割を担い、学び合うという仕組みがあります。

相手は、自分が学ばなければならないこと、苦手としていることを、あぶり出して教えてくれる存在であって、その苦手による苦痛を、相手が作りだしているのではありません。

人づきあいを避けてしまうことを、改善するための、意識のスタートとして、「苦しみとは自分の中にあるもので、自分が取り組んで除くなり、乗り越えていくなりする学びであり、相手との付き合いを避けても、それは改善されない」ことを、認識することが大切です。

そこにまず気づくことが、取り組みのスタートです。

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