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2012年10月の14件の記事

2012年10月31日 (水)

「悩める状況」の、ありがたさを感じた話。

ある方から、こんな話を聞きました。

その方は、お坊さんなのですが、お仕事の関係で、東北の被災地を視察にいく機会があったそうです。

福島にも行ったそうですが、その感想は、「気の毒なんて、もんじゃない。どんな言葉でも表しきれない、あまりに気の毒な現状だった」と。

農家は、出荷するわけでもない、自分達が食べるわけでもない、でも野菜をつくっている人がたくさんいて、「使うことも、食べることもできなくても、でも、何もしないわけにはいかないから」と、農作業をしていた、と。

牛を飼っている人は、牛はもう、処分することが決まっているけれども、一度に処分ができないので、順番待ちをしていて、その間、牛に餌を与え続けている、と。

その様子は、気の毒とか、かわいそうという表現では軽すぎる、どんな言葉をもってしても、それを表現することはできないものだった、と。

このように、書いているだけでも、私も辛くなってきます。その話を聞いたときも、本当に苦しくて、辛い気持ちになりました。

震災から一年半が経ち、多くの人は、そのショックから少しずつ立ち直ってきましたが・・・、現地では、まだまだ、いろんな問題がたくさんあって、それでも頑張って生きていらっしゃる、けれども、あまりに過酷な状況があるのだ、ということを、改めて思い知らされた気がしました。

この一年半で、岩手、宮城、福島などの、被害の大きかった地域から、リーディングのご依頼をいただいたのは、本当に、数えるほどしかないような気がします。統計はないので、私の感覚で、ですが、二桁もないくらい、かもしれません。

この数字は、意外に思えるでしょうか。しかし、人は、本当に大変なとき、本当に困って苦しいときは、悩むとか、相談するとか、そういう余裕すらないものです。

おそらく現地の人達は、「生きるとは?」「人生とは、何ぞや」を悩んでいるどころではない、現実の中でのあらゆる出来事(を、通した学び)を、もう、これでもかというくらいに、体験していらっしゃるでしょう。

その状況を想像して比較すれば、いろんな悩みや苦しみがそれぞれあるとしても、大部分の日本人の現状は、平和であり、満たされていて、ありがたい状況にある、といえるのではないでしょうか。

そんな中でも、心の中に作られてしまう、日常の小さい不満や、もっと得たいという欲求は、本当に大事なことなのか、自分の毎日の生活のありがたさを、本当にわかっているか、私たちは、よくよく、見つめ直していかなければいけないと思います。

悩みが大きいから正当、小さいからくだらないとか、そんなことを言うつもりはありません。どんな悩みも、「その人にとっては苦しさがある」のであって、他人と比較できるものではないからです。

でも、「悩むという、経験をさせてもらえること」も、ありがたいことではないでしょうか。その余裕すらない人は、たくさんいると思います。

どんなことも、「自分が出来ることの範囲」の中で、精一杯、尽くして生きていくことが大切だと、改めて、考えることができる機会を、そのお話からいただいたと思いました。

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2012年10月26日 (金)

行動していけば、何かの結果が生まれる。

どんなことでも、行動をしていけば、その行動から派生する何らかの結果が生まれます。

そしてその結果が、また、新たな何かに繋がり、広がりが作られていきます。

スタートは小さいことでも、そこから大きな可能性に繋げていくことも出来ますし、同じことの繰り返しが、いつの間にか、自分を高い位置へと押し上げてくれることもあります。

私自身も、過去を振り返ってみると、「意識して行動したわけではないけれども、小さいことが広がりを生んだ。きっかけは、まず、行動してみたこと、だった」という物は、数え切れないくらいたくさんあります。

でも、それは自発的な行動ばかりではなく、運動しないと・・・と、思いながらも何年もそれを実行することを先送りしていたら、なんと、重傷の骨折をして、(回復のために)運動をする機会を強制的に与えられた?ようなケースもありました( ̄_ ̄;)。

そのような、半強制っぽいきっかけ?でも、同じことの繰り返し、積み重ねをしていくことで、私自身が、運動という経験から得たものは大きかったと思いますし、そして、大怪我の経験からも学びはありました。

きっかけはどうあれ;、行動していくことは、その先の何かを生み出し、可能性の範囲を広げることになると思います。

私自身の経験からいえば、最初のきっかけは小さいことで、スタート時点で手がけたことも、それほど大きな規模のものではなくて、けれど、いつの間にかそれが次に繋がり、先に繋がり・・・となっていった先に、相応の「成果」と呼べるようなものにたどり着くことは、少なくないと思います。

必ずしも、自分の目指したとおりに進んだわけではない、導かれて自然にそちらに進んできたのだな、と思うような一連の出来事も、自分が何らかの「行動」をしたことから始まっている、と、振り返ってみれば、そう「なっている」と感じます。

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2012年10月24日 (水)

悩むポイントは、どこか。

ご相談をいただく中で、「悩みポイントを、取り違えている」と思うことがしばしばあります。

人間関係の悩みで、相手が主張していることと、自分が主張していることがかみ合わなくて悩んでしまうのですが、「かみ合わない点を、どう解決するか」の、考え方が適切でないために、いつまでも解決に至らない、または、適切ではない対処をした結果、ますます状況が混乱してしまうこともあります。

たとえば、ご主人から、奥さまに、「君の金銭感覚は、普通じゃない。改めなさい」と言われたとします。

そのとき、「私の感覚は、普通じゃないの?」と、そのこと「だけ」を延々と悩んでしまったり、または、本当にそれが普通ではないのか、それとも普通なのか、という○か×かの答えを出そうとしても、それでは、なかなか、解決には至りません;。

考え方として、大切なポイントは二つです。

まずひとつは、昨日のブログに書いたことですが、相手の発言の前後を考えてみないと、相手の主張にどのくらいの正当性があるかは、分析できません。この場合でいえば、「金銭感覚が普通じゃない」という発言があって、「私は、普通ではないのだろうか?」という部分「だけ」抜き出しても、ご主人の発言の正当性は計れません。

発言の前後を合わせて考えて、その発言は「どんな状況のときに、なされたものか」、1000円の物を買った時に言われたのか、10万円のものを買ったときに言われたのか、高額の買い物をして事後承諾のときに言われたのか、それとも、奥さまが個人的な趣味の物を買うときにいつもそういう発言をするのか、というような、「状況」とセットにして考えないと、相手のことも、自分のことも見えてはこないものです。

そしてもうひとつ、こちらがより大切なポイントといえますが、「実際に、それが普通か、どうかが、問題の中心ではない」という点です。

このような発言をされたときに、「私の感覚は、本当に普通ではないのだろうか、自分では普通だと思うけれど・・・」と考え続けたり、または、友達に聞いたりして、客観的にそれが普通の範囲か否かを、検証したりしても、それでは、解決にはならないことが多いでしょう。

こういう場合、女性は、「皆に聞いてみたら、ほとんどの人が、自分と同じ意見だった」「だから、私の言動は正しいはず」と、自分の意見を正当化したがります。女性は、横の繋がりの共感から、物事をとらえていくところがあるからです。

しかし、その意見が、仮に世の中の99%が賛成するものだったとしても、ご主人の意見のほうが少数派で、一般には認めがたい言いがかりのようなものだとしても、解決のために「悩むポイントは、そこではない」はずです。

この場合、ご主人が「普通」という言葉を持ちだしているから、紛らわしいけれども(^^;)、世間一般の考えが、統計上どうなのか、という話で揉めているのではないですよね。

「奥さまの、金銭感覚」について、「ご主人の、意見」として、発言した内容について、どうなのか、となっているのですから、

それが、客観的に、世間一般に、「普通であるか、否か」の数字を出したところで、夫婦間の意見の統一や、関係の改善には、ほとんど寄与しない話なのです。

たとえ、ご主人の意見が、少数派で、一般的に奥様のしたことが、悪くはないとしても、「少なくとも、ご主人は」そう思っているのなら、「そう思っている、ご主人と、どう接していくか」という点が大事であって、

つまり、悩んでいることのポイント、悩みを解決する目的というのは、「夫婦の仲違いや、価値観の違いからくる意見の相違を、解決していき、よい関係を作っていく」ことであり、「どちらが普通か、証明する」ことではないはずなのです。

もしも、客観的に、ご主人の意見が言いがかりに近いもので、奥様の趣味のためにかった500円の品物を無駄だ、というような、細かい人だったとしても、ご主人とうまくやっていこうと思うなら、それが正しいかどうか、普通かどうか、という点よりも、「うちの主人は、このくらいの金額でも、生活必需品以外にお金を使うのが嫌な人なのだな、では、そういう人とうまくやっていくために、どうすればいいだろうか。こういうタイプの人に、出費を認めてもらうには、どんな形をとるのがいいか」と考えるのが、うまくやっていくための解決への前進、ではないでしょうか。

ここで、指摘されたことが気が済まない、自分の意見が正しいのだから、認めるべき、主人が認識を改めて、私に詫びないと感情が収まらない、と、やってしまうと、それは、「解決」ではなく、ご主人との「勝負」になってしまうと思います。

仮に勝負に勝っても、それで、夫婦仲が円満になるかどうかは、別問題ですよね。そこが本当に、悩むポイントなのでしょうか、勝負に勝てばそれでいいのか、そういうことを考えていかないと、人間関係の解決や改善というのは、難しいものだと思うのです。

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2012年10月23日 (火)

その言動の「前後」を含めて考えてみる。

相手の言動について、何か釈然としないものを感じたり、または、正しくないのではないか、そのことに従うべきなのか、自分はどのようにそれを受けとめ、行動していったらよいのか、と考えることがあると思います。

そのように考えて、そして時間が経っても、自分なりの答えが出せない人の多くは、「その、相手の言動だけ」を、単独でとらえて、前後を含めて考えていないから、ということが多いです。

たとえば、「子どもが悪いことをして、その注意のために親が叩いた」という行動について、正しいのか、正しくないのか、これは暴力なのか、しつけの範疇なのか、というのは、「この一文だけ」では、判断できないと思います。

たとえば、それが、「今の時代」なのか、それとも「昭和40年代くらいに起こったこと」なのか、により、解釈も変わってくるでしょう。昔なら、親が子どもに手を上げるというのは、わりとよくあったことで、だからといって何でもやっていいとはいいませんが、「それが一般的ではない時代に、あえてする場合」と、「それが普通の時代に、普通だと思ってする場合」とは、同列に並べても比較しようがない、という面もあるからです。

また、同じ時代の比較の場合でも、実際に、子どもが何をしたとき、どんな行動や発言をしたときに、叩いたのか、により、解釈も変わってきますよね。とっても危険な行動をしたときに、たとえば、いきなり道路に飛び出したとか、その行動の危険さを強く思い知らせたいときに、叩いて教えるのと、ほんの少しの、いたずらのようなことをしたときに、叩いたのとでは、受け止め方も違ってくると思います。

「子どもが悪いことをして、その注意のために親が叩いた」、これだけで、前後の事情を踏まえないまま考えても、答えはでないものなのです。

人間関係で悩んでしまうとき、「相手が、自分にした、このような言動は、自分に対するいじめか攻撃ではないのか」と、思ってしまうことがあります。

しかし、その言動「だけ」を取り上げても、それが、適切かどうかは、判断できないし、では、自分はそれに対してどう反応すればいいのか、これからどう振る舞うべきか、という答えも出せません。

自分がどんな言動をとったときに、相手がその発言をしたのか、それらを【セット】でとらえていかないと、判断もできないでしょうし、望ましい対応もとりにくくなるでしょう。

状況の前後を含めてとらえていかずに、その言動だけを取り上げると、「とても一方的な相手の都合で、自分が否定された(または攻撃された)」としか、捉えることができなくなります。

「相手が何を言って、何を行動したか」だけでなく、「それはどんな状況のときに」「自分が何をしたことに対して」相手が、反応したことなのか、そのように前後を広げて、セットでとらえていく習慣をつけると、自分の思考の力、分析の力が格段に上がっていき、自分の人間関係構築力がUPするので、そういう言動をされてしまうこと自体が、減っていくようになります。

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2012年10月22日 (月)

未来の「時期」「時間」の特定の感覚。

以前にも何度か書いていることですが、リーディングで、未来について把握する中で、特に、その時期について特定することは、本当に難しいものです。

その理由は、あちらの世界は、こちらの世界のような感覚による「時間」という概念が薄くて読み取りにくいからです。直近の未来においては、おおよその検討をつけることも、内容によっては出来ることもありますが、それでも、とても把握しにくいものです。

あちらの世界に時間の概念がないから、未来の時期を特定することが難しい、このことが分かりやすい例えを見つけました。

先日、たまたまテレビをみていて、宇宙飛行士の方が、「宇宙からの、地球の見え方」についてお話をなさっていました。

実際に宇宙に行く前のイメージとしては、「おそらく、飛行機で上から街を見下ろすような感覚で、地球を見ることになるのだろう。雲を超えて、大気圏を超えて、どんどん上昇して・・・、ずーっと下に、地球を見ることができるのだろう」と、思っていたそうです。

しかし、実際には、「上から、見下ろす」ことは無かったそうです。なぜなら、「宇宙には上も下もないので、「上から」見下ろすという、構図が存在しない」状態で、自分が下にいて地球を見上げているような、不思議な感覚だった、と。

地球では、重力があるから、私たちにとって「下」という感覚はありますが、無重力の状態になったら、どこが下なのか、って、わかりにくいですよね、きっと。

「宇宙には、上も下もない」、という感覚のお話は、「あちらの世界には、こちらの世界でいうところの時間、という概念がない」感覚と、ちょっと似ていると思いました。

あちらの世界の情報の中で、未来の時期を特定する、というのは、重力のないところで、上下を付けるのと、似たようなやりにくさなのではないか、と。

そのような中で、未来についての時期を特定していくのは、現時点の「今」を、とりあえずゼロとして考える、今この時期を基点とするとしたら、という、暫定の目盛りを当てはめるならば・・・、というような読み方をしていきますね、私の場合。

でも、私は、未来予測のようなご相談は、基本、あまり承っていません。そういうことは、スピリチュアリズムや、自身の成長・向上と直接関係しないから、という理由でもありますが、実際のところ、未来については、難しすぎて把握できないため(^^;)、でもあります;。

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2012年10月21日 (日)

リーディングについての変更点のお知らせ。

いつも、ご利用いただいている皆様、ありがとうございます。

さて、数年に渡り、行ってきました、「お申し込みが初回の方に対する、無料サービスとして、オーラの色やその説明を(ご依頼事項になくても)お伝えする」部分について、10/26(金)の受付分を持ちまして、廃止させていただきます。

今後は、オーラについて知りたい場合は、「相談事項の1件」として、ご依頼いただいた場合に、対応させていただくこととします。

現状の無料サービス付きで、リーディングを受けたい方は、10/26までにお申し込みをお願いいたします(^^)。

ご不明な点がありましたら、メールかコメント欄でお知らせください。

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2012年10月19日 (金)

他人のことなど、そう簡単に分かるものではない。

他人のことが分かる、ような気持ちになっても、それはほとんどの場合、自分の思い込みが入っていて、他人のことがそのまま把握できているわけではありません。

そして、他人のことが分かる自分は特別だ、と思いたい気持ちにもなるかもしれませんが、誰もが少しくらいは他人のことが分かるのであり、自分だけが特別ではありません。まったく何もわからない、他人のことを把握する力がゼロ、という人はいないものです。

平均以上に、他人のことが分かるセンスを持っている人も、存在します。けれど、そういう人たちは、「自分は、他人のことが分かる」などとあまり意識しませんし、ましては、それを得意気に触れ回るようなこともありません。

なぜなら、そういう鋭さを持った人達は、「他人のことが分かるといっても、それは全体のごく一部に過ぎず、すべてなど把握できるはずもない」ことを、誰から教えられなくても、自然に「知っている」からです。平均以上に鋭い人は、そういうことを把握する感性も備えているものです。

ですから、本当に鋭い人は、殊更に、自分は他人のことが分かる、などと意識もしていないし、発言したりもしないものなのです。

自分は他人のことが分かる、と、得意気に言う人は、そういう仕組みを理解していなくて、自分だけが分かっていて、周囲の人達は何もわかっていない、という、自分中心の思い込みをもっていることが多いです。

なぜ、そう思うか、というと、実際に、自分自身が、周囲から理解されないから、です。それを、周囲の人は、他人(自分)を理解する感覚がないからだろう、と、受け取るわけです。実際には、そういう思い込みが、周囲から浮いているとも言えるのですが・・・、なかなか、自分のことって気づくことが難しいものです。

「他人ことが、平均よりもよく分かる人」と、「平均的に分かる人」と、「平均以下しか、把握できない人」がいるとしたら、そういう人は、平均的な把握の人達からは、(その人の言動が原因となって)浮いてしまい、そして、平均よりも分かる人達からは、やれやれ・・・と距離を置かれてしまい、結果、平均以下しか把握できないタイプの人を見下したり、攻撃したりして、人間関係を作ることになりがちで、そこが、気をつけなければいけないポイントです。

平均以下しか分からない人は、だいたい、社会性が薄くて、自信もないので、そういうふうな「私は分かるのよ、あなたは○○すべき」とか、「あなたは分かっていない」などという人がいると、もう、パニックになって、圧倒されて、そのまま言うことを聞いてしまったりもします。この組み合わせは、いわゆる「モラハラ」を生あるかもしれません。

人は誰もが皆、他人のことを把握するセンスを少しは備えているもので、自分だけが特別ということはない、常に、「人間とは、この世でたましいの向上のために学び続けている霊的な存在である」、という謙虚な姿勢をもって、人との関わりをとらえていくことが大切だと思います。

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2012年10月18日 (木)

「雑念」が多くなりがちな季節。

秋の乾燥する時期は、わりと、雑念が多くなりがちです。そして、プチな憑依などの霊現象も起こりやすい、とも言えます。

なぜ、乾燥が関係しているかというと、静電気が起こりやすいからです。

以前にも何度も書いていますが、霊的なエネルギーというのは、電気と似ている性質なので、電化製品と馴染みやすく、自分が調子を下げていて、自分から放たれるエネルギーが乱れていると、電化製品に干渉して、故障させてしまったりすることもあり得ます。

そのため、霊感が強い人や、想念の力が大きい人は(調子が下がったときに)電化製品を壊しまくってしまう人もいるのです。

先日、ナチュラルな素材の服が着心地がよくて、化学繊維だと、静電気が発生してしまう、ので苦しい感じになってしまう(私の場合(^^;))という記事を書きました。そちらの内容と理屈は同じで、静電気が起こりやすい状況というのは、自分のエネルギーを共振させるので、活力を使われてしまうことになり消耗しやすくなります。そして、エネルギー不足になると、跳ね返す力もよわくなって、プチな憑依現象も起こりやすくなったりします。

雑念が多くなる仕組みとしては、人間の体というのは、電気が流れていますよね。頭を使って、いろいろ考えたりするのも、脳の神経が情報を伝達する仕組みも、電気信号が情報を伝達していきます。「シナプス」という単語を検索すると、仕組みが分かると思います。

この時期、頭の近くで、静電気が必要以上に、ビリビリになっていくと、脳に対して、余計な電気信号が掛かるようなもので、常に、脳が、「動かされて」しまい、動きが休まる暇がないので、疲労が抜けないのですね、常に、なんとなく脳が動いていて、考え事をしている・・内容は特に重要でもない雑念、となりやすいのです。

それでなくても、頭の周囲には、髪の毛という、静電気が起きやすい状態がつくられていますので(^^;)、そんなこんなの、いろんな要因で、雑念が止まらない状態が起こりやすいのが、乾燥している季節の今時期、なのです。

静電気がビリっとなるのは、静電気が発生している、というよりは、正確には、蓄えられたものが「放電」している現象ですよね。その放電に誘発されるというか、本来の私たちの持っている活力も、一緒に消耗してしまいやすくなります。

その活力は、毎日、夜寝て、体を休めていくと、その人なりに一定の量が、自然に充電がされていきますが(そのことからもわかるように、眠るという行為は、とてもスピリチュアルな行為です)、脳が常に動かされている状態だと、眠りも浅くなるので、十分に充電がされずに、活力不足に陥ります。そうすると、低い霊現象にも、同調しやすくなります。

改善方法としては、シンプルです。つまりは、乾燥を防ぐ工夫をすることと、静電気をおさえる工夫をすることです。

湿度がある程度保たれるようにすること、過剰に電化製品に囲まれた現代の生活を見直すこと、そして、衣類などの体に近い部分だけでも、化繊の割合を減らしていくことなどもいいと思います。気になる人は、ちょっと工夫をして、この時期を乗り切るとよいかもしれません(^^)。

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2012年10月17日 (水)

未浄化霊が見えるのは、自分の波長が低いから。

自分は霊が見える、と、自慢げに話す人が結構いるものです。自分は、特別な感覚をもっていて、皆と違うということを、アピールしたいのかもしれません。

そして、スピリチュアリズムに興味を持っている人達は、そういう人をうらやましがって、もてはやすようなところがあります。

けれど、霊を頻繁に見てしまうというのは、自慢できるようなことではありません。

未浄化な霊を見てしまう、ということは、自分の波長が未浄化霊と同じだ、ということです。霊感が強いからこそ、霊が見えるというのは、確かですが、しかし、霊感の強い人が皆、未浄化霊を頻繁に見ているわけではないですし、ましてや、自慢げに触れ回る人ばかりではありません。

霊が見えることを自慢げに話す、というのは、霊が見える自分は特別であり、そして格が高いから、とでも思っているためでしょう。

けれど、未浄化な霊が見えてしまうのは、自分の波長が下がっている時であることが多く、自分が前向きさで満たされていて、こだわりを抜けて、愛をもって過ごしている時には、未浄化な霊とは波長が合わないので、見えたりすることはほとんどないものです。

ですから、霊が見えないことは、普通であり、必要のないものを見ないように守られているから見えないわけで、霊が見えることを、殊更にうらやましがることもないのです。

自分は霊が見える、と、得意げに触れ回っている状態というのは、言い換えれば、「私は、波長が低いのです」と、わざわざアピールをしているようなもの。

それに気づかない状態が、得意になれるようなことかどうか、霊が見えることをうらやましいと思ってしまう人がいるなら、冷静に考えてみてほしいと思います。

守護霊だとかの、親和性のある高い波長の霊は、そう簡単に見えるものではありません。肉眼で見えてしまう霊は、未浄化な霊であることがほとんどです。

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2012年10月15日 (月)

新しい恋愛の縁を得たいと思ったら。

新しい出会いを求めるならば、「そのために必要な行動をとる」ことが大切です。

直接、出会いに繋がるような、たとえば、人を介して紹介してもらう場とか、友人知人の集まりに参加するなどの、「そのもの」の行動ではなくてもいいと思います。

とにかく、何か行動をする、どこかに出掛ける、という動きをつけていけば、その先で、必ず誰かと関わりをもち、会話したり、やりとりを行ったりする機会ができます。

その相手が、男性でも、女性でも、恋愛対象者であっても、そうでなくても、そういう経験を重ねていけば、だんだんと、生活や自分自身が変わっていくものではないでしょうか。

何をしたら良いのか分からないから、と、何も動かない人は少なくありません。動くのが怖いという気持ちも、あるのかもしれません。

そういう人は、きっと、「動く」「行動をする」という範囲を、狭く捉えすぎなのだと思います。

直接出会いに関わる行動ではなくても、まずは、とにかく自分の生活に、「動き」をつけていくことが呼び水になることもあります。

初対面の人と接することに耐性をつけていくことが、いつかの未来に起こる、恋愛の出会いの場面で、役立つこともあるかもしれませんよね。経験は、重ねていくほど、自信になっていくと思います。

そして、その上で、より、恋愛に繋がりやすい、可能性のある行動、動きにシフトしてくこともできますし、そうしたいと思えるようになったら、躊躇の気持ちも薄れていき、自信をもって振る舞うこともできるでしょう。そういうときに、よい縁というのは、引き寄せられてくることが多いものです。

あるご相談者さんのケースですが、その方は、出会いのためにお見合いをするつもりだ、とおっしゃっていました。

私は、その方の雰囲気からして、お見合いをしなくても、どこかで出会いは望めるのではないかと思ったのですが(決して、お見合いを否定するわけではないですが)、その方は、「自分には、お見合いの出会い方は、合っていると思うから」とのことでした。

そこから,何度か、ご相談をいただいたと記憶しています。そしてあるとき、「この時期までには、パートナーとなりうる男性と一緒にいる」ことが、とてもはっきりと伝わってきました。

あまりに、強く伝わってくるので、印象に残って今でも覚えています。「この時期には、お付き合いをしている男性がいるか、少なくとも、お付き合いには至っていなくても、あなたが思いを寄せる相手は存在していると思う」とか、そんなことをお伝えしたのではないかと思います。

結果、どうなったかというと、「おそらく、この時期くらいまでには・・・」とお伝えした時期よりもかなり前倒しで、出会いどころか、なんと、結婚なさって、お名前が変わっていました(◎_◎)。

その方が、実際にお見合いを実行なさったのか、私はお聞きしていないので分かりません。ご主人と、お見合いで出会ったのか、否かも、分かりません。

しかし、どちらにしても、その方が、自分から結婚のために行動しようと、意欲をもって臨んだこと、そのエネルギーが、ご縁を作り上げ、結婚に至った原動力になったと、言えると思います。

意欲をもった行動というのは、本当に大切なのです。思いもエネルギー、行動もエネルギーですから、思いの乗った行動は、掛け合わせのエネルギーで、自分を輝かせていく力となるものだからです。

動機を明確にした行動というのは、本当に大きな力をもって作用していきます。

※恋愛のご縁がつくられる時期というのは、聞きたいからといって、必ず霊界が答えてくれるとは限りません。そういう質問は、ほとんど回答はしてもらえないです。未来は、自分で作っていくものであり、あらかじめ決まった台本が存在するわけではないからです。このケースも、質問されたことに答えたのではないと思います。おそらく、聞かれていなくても、伝わってきたから、お伝えしたのだと思います(^^)。

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2012年10月14日 (日)

私のメールリーディングの進め方。

ある推理作家の方が、自分の小説の書き方として、「誰が犯人なのか、知らないままに書き進めていて、ラスト近くになって、伏線をまとめ上げて解決の様子をかき上げることがある」と説明なさっているのを読んで、びっくりしたことがあります。

推理小説というのは、トリックが重要ですから、書き始める段階で、どんなトリックをつかって、誰が絡んできて、そして最終的にはどう結末に至るのか、という物語の構造を、綿密に決めて書き始めるイメージがありました。

細かい部分は、書いていくうちに、当初の計画と変わっていくことがあっても不思議ではないとしても、誰が犯人なのかも決めないまま、書き進めていって、最終的に辻褄を合わせるのはすごいな、と思いました。

この方は、ドラマの原作にもなっているような、とても有名な方ですが、ひらめきのままに書いていくタイプなのでしょうね。

今回、自分のメールリーディングの進め方について書こうと思ったときに、その件が、ふっと頭に思い浮かんできて、「自分の、メールリーディングの書き方と、ちょっと似ている」と、そう思いました。

私も、そのリーディングの結果というか、話のまとめが、どのようなところに行きつくのか、分からないまま、書き進めていくことがよくあります(^^;)。

いただくご相談は、複雑なものもあれば、シンプルなものもあり、複数いただくご相談が、どれも関連している場合(たとえば、どれも仕事に関するもの、など)もあれば、関連していない場合(恋愛と、仕事と、家族、など)もありますので、いろんなパターンがありますので、全部が該当するわけではないですが。

しかし、割と高い確率で、最終的に、このリーディングでは、この方に何をお伝えすることになるのだろう、というのが、取り掛かった時点では、漠然としか把握できないまま、文章を書き進めていくことがあるのです。

たとえば、先日このようなことがありました。いだたいたご相談は、(1回で複数のご質問をいただくことができるのに)一つだけ、それも、とても抽象的な内容でした。ご依頼者さまのほうも、それを分かった上で、何かヒントになることがあればそれで十分、キーワードになりそうな、単語を伝えてもらうだけでもいいから、ということなので、

「具体的なご質問は、回答も具体的になりやすいですが、とても抽象的なご質問は、回答も抽象的になることが多いですよ」と、ご了承をいただいた上で、取り掛かりました。

そうしましたら、私の手が書いていく文章は、唐突に、その方の前世の話から始まりました。

私も、自分で、何を書いているのか、これは最終的にどこに向かって、どこで結論がまとまるのか、と、ちょっと不安でした(^^;)。

が、不思議なことに、時間とともに、話はまとまっていき、その方が知りたいと書かれていたご相談内容に、沿った回答に「なっていく」のです。

そこまでたどり着いて、ああ、このようにまとまって結論に至るのだな、と、見えてきたら、一安心なのですが(^^;)、それまでの間は、すごく緊張して、張り詰めた状態になります。

思い返してみれば、一度として、途中まで書き進めたのに、上手く結論がまとまらずに、ご破算になったことはなくて、それなりにまとまってはいくのですが・・・、しかし、実際に、自分が結論となるところが「見えて」くるまで、毎回、本当にこの流れで書き進めて大丈夫なのかなぁ、と、思いながら、ピンと糸が張ったような状態で書き進めています。

企画物のリーディングは、そういうことはないのですが。相談に対する回答というのは、結論までのプロットのないまま、小説を書き進めていくような、なかなか、スリリングな?ものがあり、一件終わるごとに、かなりぐったりする作業です(^^;)。

最初に書いた、推理作家さんの感覚は、おそらく、似たようなところがあって、見えない世界からのインスピレーションを受けて、書いているのだろうことが想像できますが、しかし、その方は、それで「連載」もしてしまう、というのですから、すごいです。私には、とても真似できそうにないです(笑)。

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2012年10月13日 (土)

聖地にも、当然ながら、いろんな霊がいる。

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以前に、こちらの記事で、聖地や神社仏閣めぐりを、すればするほどいい、というものではない、巡るという行為が自分を幸せにしてくれることはなく、結局は、自分自身で行動することが大切である、という内容を書きました。

それは、行けば行くほど効果があるとか、回数をこなせば良い、などというものではない、という主旨でしたが、今回の記事は、そういう場所に行きすぎて、不都合が生じることもある、というケースについて書きます。

参拝をすればいい、するほどいい、という訳ではないのは、ご理解いただけるものとして、しかし、「願いが叶うとはいわなくても、行くほどに(行かないよりは)少しは効果があるはず」という思いを、お持ちの方も、少なくないと思います。

その解釈のすべてが間違いだとはいいません。行くことで、穢れを祓ったり、高いエネルギーに触れて、気持ちが引き締まり、やる気になれたりすることはあり得ますから。

けれど、大事なのは「動機」を含めた思考や行動全般であって、参拝という表面の行動だけをなぞれば、何でもいいというわけではないのです。

中には、あちこちと、神社仏閣を巡りすぎて、おかしな心霊現象を引き寄せてしまうこともあります。神社仏閣は、いろんな霊が集まりやすい場所、でもあるためです。

そういうケースは、だいたい、動機の部分に、誰かに何とかしてほしいという強い依存心や、物質的価値観からくる願望、自分の願いだけ叶えば良いという我欲などが存在します。

そのような思いを強く持った状態で、あちらこちらと、「霊的エネルギーの行き交う場所」に出入りしていることで、未浄化な霊を引き寄せてしまい、連れ帰ってしまうことは、しばしばあるのです。

おそらく、少なくない人数の方が、神社仏閣などは、きちんと整備されお祓いもされているから、高い波長の霊的エネルギーだけが存在しているもの、良い影響を得られるとはいわないまでも、悪影響を受けることなどあるはずがない、と、思い込んでいることでしょう。

実際に、儀式を執り行い、常に清浄を保つための配慮はなされているでしょうけれど、しかし、それだけで、低い霊的なエネルギーが完全に排除できるわけではありません。

そもそも、私たち人間も、学びの途中という、完全に悟ってはいない進化途中の霊なわけですから(^^;)、(高いレベルとも限らない)私たち人間が、その空間に出入りできる、ということは、低いエネルギーを排除しているわけではない証拠でもあるでしょう。

低いエネルギーが完全に排除される場所ならば、私たち人間が、まっさきに閉め出されてしまうと思います(笑)。

結局、どこにいようと、自分と同じレベルものが引き寄せ合うという、波長の法則は作用します。

そしてさらに、神社などは、その場の穢れを祓うための工夫は、いろんな形でなされていても、さまざまな我欲や物質的価値観をもった人間が、たくさん参拝にやってきて、あれを与えてくれだの、これを叶えてくれだのと願掛けをしていくわけで、いろんなエネルギーが、幅広く行き交うことは確かなのです。

強い依存心や物質的価値観の願望を持って、あちらこちらと、巡り歩き、そして、自分で努力をしていくという自力を怠れば、その自分の波長に見合った霊が付いてきていまい、むしろ、そういう場所に出入りする以前の状態よりも、コンディションが下がってしまうこともあるのです。

参拝にいくことが悪いわけではありません。ですから、どこの神社に行ったら調子がわるくなったとか、あちらの神社なら大丈夫とか、そういう区分けで計れることでもありません。

結局すべては、自分自身です。自分自身の動機と行動が大事で、その上で、後押しの力をいただく目的や、リフレッシュのために出掛けていくならば、よいエネルギーの影響をうけることもできるでしょう。

写真は、北海道神宮です。

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2012年10月 6日 (土)

男性は、お酒に逃げている「フリ」をすることがある。

精神が弱くて、嫌なことがあったり、苦しいことがあったりすると、お酒を飲むという行為で、精神を麻痺させて、その場だけでも、苦しさから逃れようとすることがあります。

その行為の影響は、本人だけでなく、周囲の人達にもおよび、過剰な飲酒の結果、言動が極端になったり乱暴になったりする様子に、困惑させられたり、なだめるために大変だったり、という状態を作り出します。

しかし、その状態というのは、すべてのケースが、苦しさと弱さから、お酒に逃げているわけではないようです。

中には、本人が、意図的に、「お酒に逃げている「フリ」をしている」ケースがあり、それは、男性に多く見られるようです。

一般に、苦しさからお酒に走るというのは、その人の受容力のキャパシティを超えるくらいの出来事があったときに、(本来は、超えられない苦難が与えられることはないはずなのですが)、耐えられず、苦しみを感じる精神を麻痺させて、一時だけでも忘れようとします。

そのため、精神的に弱くて、現実を直視していない人が、お酒に走るようなイメージを持つと思います。

けれど、一部、そうではないパターンもあり、意図的に、お酒に逃げているように、周囲に見せている、計算の上でそうしている、という場合があります。

プライドの高い男性に多いですが、「自分のせいで、失敗をした」とか「自分が原因で、思わぬ結果を招いた」(と、本人が思っている)ことを、認めたくない、周囲に知られたくない思いから、責任の所在をうやむやにしたいために、わざとお酒に走って、極端な言動を取るという行為のインパクトで、そのすべてを覆ってしまおうとします。

そうすると、周囲の人達は、新しい出来事のほうが印象に残りやすいので、「あの人は、お酒のせいで、こうなってしまった」と、その飲酒以前の行為よりも、飲酒後、または飲酒時の行為のほうに、意識が向いていきます。

そのように認識してもらって、それ以前の行動を指摘されたり、批判されたりすることを避けたいという狙いがあって、飲酒に走ってしまう人は、実は少なくないようです。

ご家族などの、近い関係の知り合いに、飲酒に逃げている人がいる場合、なんとかして飲酒をやめさせよう、その行為さえなければ、問題はないはずと、飲むことを止めさせようと、考えてしまうと思いますが、その人が、「どのような思いと理由から」過剰な飲酒に走っているのか、その点を見極めていくことも、大事だと思います。

本当に逃げている場合と、高いプライドからうやむやにしたくて飲酒という隠れ蓑を使っている場合とでは、働きかける方法、掛ける言葉も変わってくることもあるでしょう。

どちらも、過剰な飲酒という行為をすること自体が、いくらかの心の弱さを示しているとは言えるかと思いますが、しかし、そこに男性特有のプライドが関わってくるならば、相手のプライドを立てつつ、接していくことが効果的となる場合があります。

「単純に、お酒に逃げたい」のと、「(いろんな不具合や失敗などを、自分のせいではなく)お酒のせいにしたい」のとでは、動機が違うので、そのふさわしい対処法も、少し工夫の余地があると思います。

後者の場合は、本人に冷静さがあるとも言えますが、それは初期のうちのみで、長期間に及んでその行為が続けば、だんだんと、お酒に自分自身が飲まれてしまうようになり、当初のようなコントロールの意識はなくなり、「過剰な飲酒」という結果だけがそこに残る、といった状態に、なることもあります。

お酒も、適度なら問題ないですし、ときに、ほんの一時期、お酒に逃げるようなことも、長い人生の中にはあるかもしれないけれど、しかし、少しのはずが、だんだんと過剰になって抜け出せなくなってしまうこともあるのが、常習性のある要素の、難しいところ、といえるでしょう。

女性からすると、ほんの少しのプライドくらい・・・と、思うようなことも、男性にとっては、自分そのもの、といえるくらいに、プライドが大事、という場合もあります。そのような高いプライドを持っていることが正しいとか、良いとか悪いとか、そういうことではなくて、「男とは、そういう部分がある生き物」なんですね。

男性本人としては、自分がしたことは、自分が引き受けなければならない、という基本のところを見つめていくことが大事だと思いますし、そのパートナーとなる女性は、男性とはプライドを折られることが、とっても堪えてしまう性質がある、と、そのように理解をしていくことで、お酒に逃げるという行為が、少しでも減っていけばよいなぁ、と、そう思います(^^)。

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2012年10月 1日 (月)

人嫌い改善のための、スタート地点。

人と一緒にいるのが嫌だ、人づきあいはしたくない、と、自分だけの世界に閉じこもってしまうのは、改善した方が望ましい、学びの要素である、といえるでしょう。

なぜなら、この世の学びというのは、おおよそ、人を通して与えられるものであり、人を通して気づき、人を通して得られる、という形になっていて、人づきあいを避けていては、生活自体も、たましいの学びも、なかなか、うまくいかないように「なっている」からです。

なぜ、人づきあいを避けてしまうのか、その答えはとてもシンプルです。

そういう人は、「苦しみというのは、人が、自分に与えている」と思っています。

「なぜなら、その苦しみは、人と一緒にいるときだけ起こることであり、自分ひとりのときには起こらない」ので、つまり「苦しみが発生するのは、自分に原因があるのではなく、相手が自分に与えていること」と、認識してしまっているからです。

自分に原因があるなら、自分をなんとかする必要がありますが、相手が悪いのならば、相手を避ければいい、そもそも関わらなければいい、という考え方の結果なのでしょう。

しかし、その認識の仕方は、正しくありません。

苦しみは、自分の学びとして、自分が持っているものであり、それを、人との関わりを通して気づく仕組みになっているために、誰かと接する時に発生するようになっているだけであって、その相手が、もたらしているものではありません。

人づきあいがうまくできない、コミュニケーションが計れない、という要素は、自分の中に存在するのであり、そこを改善して、よりよい状態をつくっていくことが、自分の学びにもなり、生活の質を向上させていくことにも繋がります。

自分が避けたいとか、苦手だと思っているさまざまな要素は、相手が苦しみを自分にあたえているのではなく、自分のたましいが自分に与えた課題であり、相手はそれに気づかせる役割をしてくれているだけ、なのです。

この世は、お互いに、その役割を担い、学び合うという仕組みがあります。

相手は、自分が学ばなければならないこと、苦手としていることを、あぶり出して教えてくれる存在であって、その苦手による苦痛を、相手が作りだしているのではありません。

人づきあいを避けてしまうことを、改善するための、意識のスタートとして、「苦しみとは自分の中にあるもので、自分が取り組んで除くなり、乗り越えていくなりする学びであり、相手との付き合いを避けても、それは改善されない」ことを、認識することが大切です。

そこにまず気づくことが、取り組みのスタートです。

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