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2012年9月 1日 (土)

聖地巡り、有名神社巡りは、必要なのか。

スピリチュアルという言葉が一般的になって久しいですが、それにつれて、神社や聖地を巡ることも、ブームになっている一面があります。

今まで、神社などに関心を持っていなかった方が、そういう方面にも意識を向けるようになり、歴史や成り立ちに関心をもつなどして学びを得たり、気持ちをリフレッシュすることができたりするのはよいことですし、

現代での便利な生活の中では薄れがちな、自然や自然霊を敬う感性を、思い出す事にも繋がっていきますので、清らかなエネルギーに触れたり、自然のパワーを感じたりすることも、相応の効果があることと思います。

けれども、・・・当たり前のことなのですが、神社仏閣にいけば願いが叶うとか、崇高な人間になれるとか、パワースポットにいけばいくほど特殊なパワーがつくとか、そんなこと、あるはずもないです。

そういう考え方は、回数さえ多ければいい、出かけて行くという行事だけやればいい、という、内面を置き去りにした、物質的価値観による捉え方ですよね。

出掛けていくのが悪いという意味ではないです。気持ちはどこでも持てる、とはいえ、神社や聖地にいくという行動をとることで、気持ちにメリハリが生まれて、清らかな意識を持ちやすくなることはあるでしょうし、やはり、そういう場所には、実際、高いエネルギーが流れていることも多いので、高いエネルギーに触れることで感化されて、自分がリフレッシュすることも出来るかもしれません。

しかし、形だけ、表面だけ、出掛けていけばいい、お祈りのポーズをすればいい、回数が多いほど良い、有名な場所ほど良い、というような捉え方では、その場所の高いエネルギーと、同調することはできないでしょうし、

「何のためにそうするのか」という動機が、自分の願望を叶えるという欲のため「だけ」にある場合に、高い波長の霊の世界が、その欲を叶えるために動くことがあるかどうか、スピリチュアルな世界に関心を持つなら、その点をよく考えてみることが必要ではないでしょうか。

江原さんの書籍に、以下のような記載があります。そのまま載せると長くなるので、要約をまとめますが

「苦しいときに、神社仏閣などへお参りにいくことは意味があるのでしょうか」と、聞かれることがある。出向くことによって、自分の邪念をとったり、穢れを払ったりするわけで、意味がないことはない。

けれど、自分自身が思考をしていない人が、お参りに出掛けても、波長は届かない。自分の波長が低ければ、自分の守護霊ともプラグが繋がらない、その状態では、とても霊的世界に祈りは届かない。

ではどうするか、といえば、自分で自分の波長を高く変えていくこと。極端なことを言えば、特別な場所へ出掛けていかなくても、波長が高ければ、十分にあちらの世界に伝えることはできる。つまり、神社仏閣に出向かなくても、自分しだいで、自分の居る場所をすべて、聖域にすることはできる。

祈念が通じるとはどういうことか、といえば、自分がやり抜くこと。

こちらは、苦難の乗り越え方という書籍の、P108あたりに書かれているものです。

江原さんは、神主さんでもありましたし、神社へ出向くことそのものを否定しているのではなく、むしろ、聖地を紹介する趣旨の書籍も出版されています。

しかし、大事なのか、物質的価値観から、そういうところに出掛けるのが良い、出掛けさえすればいい、ということではなくて、その動機が大事であり、結局は、自分の行動がすべてであって、出向くことにも相応の意味や効果は得られるとしても、それは根幹に、自力という自主性があってこそ、という内容を、伝えているのだと思います。

受け止め方はそれぞれでしょうけれども、少なくとも私は、そのように(スピリチュアリストとして)理解をしています。興味のある方は、ご自身で書籍をご覧ください。

私は、あまり聖地巡りには興味がないほうで、伊勢には出掛けていったことがありますがとても素晴らしかったし学びはありましたが、出掛けたからどうだ、とか、効果があった、とか、そういうことは特にないと思っています。また行きたいとか、他も見てみたいとかも、それほど思わないほうです。(それが望ましいとか、正しいという意味ではなく、あくまで私個人の捉え方です)

行事やお祭りをすることで、いろんな人の祈りのパワーが集まってくることも、とても素晴らしく神聖なものであるとも、感じていますが、私は、性格が庶民的なタイプだからなのか(^^;)、有名神社の有名行事よりも、地元を大事にする考え方にも、同じくらいの輝きを感じます(^^)。

小さな町のお祭りで、地元の青年達が,一生懸命に寄付を募ったり準備をしたりして、地元を盛り上げようとしている、そんな様子が、とてもキラキラと輝いて見えます。大事なのは、規模じゃなくて、「込めている思い」なのだと、教えられるような気分になります。たまに、そういう場面が、NKHのニュースや番組などで放映されたりすると、見ているだけで、涙がでてきます。

私は、あえて、有名神社巡りや聖地巡りをする気持ちは強くもっていませんが、動機はさまざまですので、自分の中に、神社仏閣に出かけて行きたい気持ちが強くあるなら、それは、その気持ちにしたがって、出掛けていくのはいいと思います。

行動そのものに正しいとか間違いとかがあるのではなく、大事なのは動機と、その目的と、自分自身の在り方、なので、その点を忘れなければ、どこにいても、どんな形でも、崇高なエネルギーに同調していくことは出来るのです。

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09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

神社仏閣のことに最近傾倒しすぎていたため、どきりとしました。
今の自分の在り方を見直す機会をいただいた記事でした。
「特別な場所へ出掛けていかなくても、波長が高ければ、十分にあちらの世界に伝えることはできる。」
このことは、先日別のかたちで家族からも言われたことであったので
自分にとっては念を押されていることなのだなーと今やっと確信しました…反省です(ーー;)

地に足をつけることを忘れないように情報発信をしてくださるリカコさんのブログ大好きです!

投稿: すみれ | 2012年9月 2日 (日) 00時01分

*すみれさま

スピリチュアリズムに関心を抱く初期のうちは、どうしても、形式的なことに、意識を奪われるものかもしれません。それもまた経験のひとつとして、学びとしていき、今後に繋げていければそれでいいと思いますsun

投稿: リカコ | 2012年9月 2日 (日) 00時41分

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