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2012年9月の9件の記事

2012年9月22日 (土)

さまざまな出来事を、スピリチュアルな視点で解釈するための要点。

日常に起こる、いろんな出来事について、それは悩みや心配事なども含めて、またはそこまでいかなくても、気になることや、そのことが展開する原因は何で、これからどうするのが望ましいのか、と、考える機会は多いものです。

この世というのは、私たち人間が、たましいを成長させるための、学びの場所ですから、それはそれは、日々、学ばされるための出来事が、山盛りに用意されていくようになっていますね(^^;)。

それらの学びの出来事を、スピリチュアリズムの観点から解釈していくための、分かりやすい要点をいくつか上げておきます。

出来事には、その数だけの独自の意味がありますが、基本となるポイントは、それほど多くはありません。

まずひとつは、「私たち人間は、肉体をもった霊的存在である」という前提で、解釈をしていきます。

私たちは、実は、霊でもあるので、霊的な現象に感化されるのもありうることです。

霊としての向上のために学びをしていて、霊である以上霊感が備わっていて、肉体はいつか失われても、たましいとしての、霊の部分は消滅することはなく、霊界からの(守護霊などを通して)働きかけも存在し、他にもさまざまな形で、霊性が活用されならが生きている存在であることが、前提となります。

そして、次に、「カルマの法則」と「波長の法則」です。

自分のしたことはすべて自分に戻ってくることになる、原因があって、結果がつくられる、という、真理の仕組みがカルマの法則です。

自分と同じ要素のあるものが、引き寄せ合って、出来事や人間関係の出会い等のすべてが展開していき、周囲の出来事すべては、自分の波長が引き合ったもの、という解釈の仕方が、波長の法則です。

(こちらは、詳しくは、カテゴリから、過去記事をご覧になってください「カルマの法則」、「波長の法則」)

そして最後に、私たちは、霊界に見守られながら、たましいの学びをしているけれども、「未来は、決まっていなくて、これから作っていくものである」という点です。

決まりきった台本を、そのままなぞるだけの人生ではないので、未来は未知数であり、だからこそ、未来に希望や可能性を見いだせる、そのような創造的な環境を与えられて、私たちは、学んでいるのですね。

私たちは霊的存在であり、学びのためにこの世で経験を積んでいて、日々の出来事に対する思いや、行動や、発言などの、いろんな要素が関わりをもって、原因がつくられ、結果に至り、同じ要素が引き寄せられて、複雑な編み目のように出来事が構築していくのが、この世で起こっている出来事なのです。

なので、脚本は、リアルタイムで作られている、とも言えます。自分自身が、(さまざまな行動が原因となる、という意味での)脚本を作りながら演じている、という同時進行になっている部分もあるのです。

さらに補足をするならば、上記の仕組みは、今回の人生で経験した出来事の蓄積だけでなく、たましいとして、霊としての、長い年月で培った要素を、前世、後世と引き継いでいきますので、データベースとして存在する脚本をもとに、今回の人生用の、オリジナルが書き加えられる、という形で、作られているというほうが、正確かもしれません。

細かい点を言えば、きりがないくらいたくさんあるのですが・・・、基本は、上記のことを前提として、解釈をしていくことになります。

上記であげた要素は、どれも連動しているのが分かると思います(^^)。

スピリチュアルな視点をもって、物事を眺める習慣をつけていくと、自分が自分の人生を導いていて、すべては自分自身の学びである、ということが、より深く理解できるようになるでしょう。

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2012年9月18日 (火)

何をやっても空回り、何ひとつ上手くいかなくなりがちなパターンとは。

特定のできことが、ひとつ、ふたつ、思い通りにいかないことは、誰にでもあることで、すべてが、思い通りになる生き方というのは、なかなか存在しないものだと思います。

なぜなら、この世というのは、私たちのたましいを成長させるための、学びの場所だからです。

もしも、すべてが思い通りになり、何の苦しみも葛藤もなければ、思考しませんし、工夫しようとも思いませんし、欲が増大することはあっても、精神性が高まることは期待できそうもありません;。

思い通りになることもあれば、そうならないこともある、この世という場所で、与えられた学びに取り組み、さまざまな出来事の中に、楽しみを見出したり、喜びを感じたりもしながら、生きているものです。楽しみや、喜びは、思い通りにならない環境の中でも、得られることもありますよね。

しかし、中には、「何をやっても空回り、すべてが思い通りにならず、何ひとつ上手くいかない」と感じる人もいると思います。

同じ状況でも、それを複数の人が体験したとして、「何もうまくいかない」と捉える人もいれば、そこまで深刻にとらえない人もいれば、その中にも学びや喜びを見出そうとする人もいますので、幾分は、その人個人の受け止め方の問題だとは思います。

しかし、そこを割り引いたとしても、すべてが上手くいかない状況に、現実問題「なってしまう」のであれば、そこは改善すべき何かが、存在すると言えるでしょう。

ひとつ、ふたつの出来事ではなく、「すべてが、上手くいかない」人には、ある共通点が見られる傾向にあります。

そういう人は、何をやるにしても、とにかく「自己流」で動いていくことが、状況を混乱させている一因になっています

いろんな方法等を取り入れても結果としてそうなる、というのではなく、方法も含めて「自分がいいと思ったやり方」を、変えません。

誰かが、その状況を改善したほうがいいとか、こうすると効率がいいから、とか、その人のためを思って意見を言ったり、何かを教えたとしても、それに従うことがありません。 自分のやり方を貫きます。

もしくは、そのときは意見に耳を傾けるけれども、そして、そのときは納得しても、現実には、行動も思考の仕方もまったく変えず、他人の意見は(結果として)無視で、同じパターンを続けて、当然のことながら、同じゴールにたどり着いてしまいます。

おそらく「他人の話を、聞きたくない」人もいれば、「他人の話を、聞いて解釈することが苦手」 な人もいるのだと思われます。

つまり、「自分がいいと思うやり方にこだわり、他人の意見や助言を、きちんと受けとめない」人が、すべてが上手くいかない状況に陥りやすい人の、思考と行動のパターンなのです。

その人のためを思って、意見を言ってくれた人も、同じ事を何度も繰り返されたら、気持ちは離れていきます。言っても聞かない、言っても同じ行動を変えない、なのに、現状への不満を口にされたら、「いったい、何がしたいのか」と、面倒で嫌になってくるのではないでしょうか。

そうなると、「思い通りにならない、上手くいかないリスト」の中に、「アドバイスをくれる、友人や知人との関係」も、加わってしまい、ますます悪循環がつくられることもあるのです。

人は誰でも、自分の思うように行動する権利があります。他人の迷惑にならない、ルールの範囲内で、という条件はつきますが、極端なことをしないかぎり、何をどう生きるのも、その人の自由です。

なので、その人が、「自分の思うように行動したい、その結果、すべてが思い通りにならなくても、それは自分の責任で受けとめる」のであれば、何をしてもいいのです。

けれど、「自分の思うように行動した結果、すべてが思い通りにならず、空回りになり、大変に追い詰められて、不満と不安がある」ならば、誰かの意見を参考にするとか、今までの自分の行動を反省して変えようとするとか、そういう視点の向け方も必要ではないでしょうか。

ときに、自分とは全く違う感覚をもっている他人の意見が、自分の意見よりも、有効な場合もあります。とかく、自分のことは、視野が狭くなりがちであることは、意識しておくことも大事だと思います。

自己流にすると、不要な手間が省けて、必要なことだけに力を注げるような気がしてしまいますが、しかし、場合によっては逆に、必要なプロセスを端折ってしまい、不要な遠回りをしてしまうこともあるでしょう。

人は皆、自分は正しいと少なからず思って生きていますから、自己流にこだわってしまうのは、誰にもそうなる可能性はあります。

しかし、自分に降りかかる出来事が、すべてが上手くいかない、という苦しい状況になったならば、出来事という結果から逆算して、自分の方法や手段の認識が本当に望ましいのか、今一度考えてみるという学びを、与えられているのではないか、と、受けとめることも大事だと思います。

他人の意見やアドバイスも、(それが必要な場面では)素直に受けとめられるような、バランスを心掛けて思考や行動をしてみるといいと思います。

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2012年9月13日 (木)

手から出るパワーが大きい人(2)。

前回の続きですが・・・、手のエネルギーが大きくて、扱うものに、自分のパワーを乗せていけるタイプの人がいます。

そういう人達は、手のオーラが活性化していますので、エネルギー透視的にそれらを把握することができます。

それ以外では、守護霊の方達の表れ方で把握をすることもできます。これは、私だけの独自の霊視のされ方、可視化のされ方、なのかもしれません。

「手のエネルギーが大きくて、扱うものに、パワーを乗せていくことができる人」とは、言うなれば、物を扱うこと、道具を扱うことが得意、でもあるので、守護霊の方達も、それを示すかのように、何かの「道具」をもって、出てくることがあります。

たとえば、楽器を持って出てくる、などです。

そんな場面になったら、「このことを、伝えたいのだな」と判断することにしています。

その、持ち物ですが、実際に、ご相談者様に関連する道具の場合もあれば、そうでない場合もあります。

前者は、たとえば、絵を描く道具を持っていて、実際に、ご相談者様の仕事や趣味で、絵を描くことがある、などです。

後者は、守護霊の方が、絵を書く道具を持っているのに、ご相談者さまの日常では、絵を描くような行動に関わりがない、という場合です。

後者の場合は、その道具自体を使う、ということでなくて、シンボリックな意味をもっていて、「道具を使うのが得意である、という事実」をおつたえするため、のようです。

この見分けが難しいので、私は、いつも本当に困ってしまいますが(^^;)・・・、そういう性質を持っている方は、いろんな場面で、活用することもできるでしょうし、すでに活用している場合も、知っていると、より自信を持って取り組むこともできますよね。

起こることや関わることはすべて必然ですので、手のパワーが大きい人は、自然に、導かれて、資質を活用していることも多いと思われますので、あえて、仕組みを知らなくても不都合はないのですが、知識としてそういう関連があると分かっていると、意図的に何か活用出来る場面もあるかもしれないので、記事にしてみました(^^)。

手からパワーが出ていて、品物に乗るような『手』というのは、たましいが備えている性質として、この世に生まれたときから、先天的に持っている性質、というケースもあります。

が、後天的に、今回の人生の経験の中で、つまり、生まれた後で、その性質が育つような、活性化していくような行動をしているために、培われた、後天的な影響の場合もあり、通常は、その両方の「掛け合わせ」だと思います。

後天的な要素としては、やはり、使っているほど活性化しやすいですので、道具を扱ったり、物に思いを込めて何か作ったりしている人は、備わっている性質を、より発達させていく、という作用のある行動を、自然に行っていることにもなります。

パワーを込められる「手」になるには、または、その性質をより伸ばしていきたい人は、その「性質」を「使う」という行為の積み重ねが、底上げになってくれますので、楽しみながら、自分自身を育てていく、という取り組みもいいと思います。

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2012年9月12日 (水)

手から出るパワーが大きい人。

オーラは、体の周囲全体を取り巻いていますが、その中で、オーラが集まって居るような場所と、逆に、オーラが薄くなっているところなどの、密度の差のようなものが、存在します。

強くでているところは、その部位がエネルギー的に活性化している、ということで、薄くなっているところは、その逆となります。

手や頭の周囲というのは、誰でも、(全体と比較して)オーラの密度というか、集まり具合のようなものが、強くなっているものなのですが、それは、手や頭は、よく動かす部分であること、よく使う部分であることが関係していると思われます。

そのように、ほぼ全員に、よく使う部位のオーラの集まり具合の差は、存在するのですが、中でも、手のひらに、オーラが集まっていて、エネルギーが強く放たれているような方が、いらっしゃいます。

そういう方は、自分から放たれるパワーを、物に乗せることが上手です。というか、意図しなくても、触れたものが、自然に、その人のエネルギーを帯びていくのですけれど。

なので、そういう「手」を持っている人の作った料理は、その人のパワーが乗っていくので、同じ材料を使っていても、なんか不思議と美味しくなりますし、食べた人が元気になったり、癒されたりすることもあります。

創作系のお仕事や趣味を持っている方だと、その作品にエネルギーが乗っていき、見る人を引きつけたり、強い印象を与えるような、魅力のあるものを作り出すこともできるでしょう。

整体や、カイロプラクティック、アロマトリートメントなどの、ボディーケア、または、美容師さんや、メイクアップなど、手をつかって、相手を整えることにも資質を発揮することもできるでしょう。

その人が手を掛けて育てた植物や作物が、とても良く育つという特徴がでることがあるのも、よいエネルギーを持っていて、それを物に乗せられる手をしているため、という場合もあるでしょう。

有名人に会うと、皆、その人の書いたサインをほしがったり、握手をしたくなったりするのも、その人のエネルギーが帯びている物が欲しい、とか、手に触れることで、自分がその人の発するエネルギーに触れたい、という感覚も、含まれてのことなのかもしれません。

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2012年9月10日 (月)

霊に関する未知ゆえの恐れを、既知の安心へと変えていく、仕組みの理解。

以前のご相談で、「眠るのが怖い、と感じることがある。それは、「誰かが、来るのではないか」と、思ってしまうから。誰も来るわけないと分かっているのに、気になって、怖くて眠れなくなる」というものがありました。

このご質問に対して、「それは、実際に、霊が来ているんですよ」とお答えしたのですが(笑)、これは、怖い話ではありませんcoldsweats01

以前に、「霊的エネルギーを感じやすいのは、目覚める直前と眠りに入った直後」という記事を書いたことがあります。内容は、「眠りについた直後」と、「目覚めの直前」は、気配などを感じたり、不思議な感覚を体感したりしやすい、というものです。

なぜ、そうなるか、という仕組みの説明は、過去の記事のほうに書いてありますので、そちらをご参照いただければと思います。

その仕組みを当てはめると、寝入りばなに意識が広がり、知覚しやすい状態になったときに、何かの事情で霊が近くにいた気配を、おそらく「無意識レベルで」感じたことが何度もあって、しかし、表面の意識では、それをどう解釈してよいのか分からないでしょうから、「寝ると、誰かが来る(のを、感じる)」という「感覚」が刻まれたのだと思われます。

寝る都度、何かが来るわけではないけれども、そして、仮に霊がいるとしても、何かをするわけでもないのだけれども、自分と異質な気配がすることに、警戒する感覚がつくられていて、「寝ると、(誰かが来る、という気がして)怖い」と、感じてしまったのだと思われます。

このご相談に限りませんが、「何が、そう思わせる原因なのか」「なぜ、そう感じるのか」という仕組みを知ると、それだけで、納得がいくので、恐怖心や警戒心が薄れて、だんだんと、リラックスできるようになっていって、平気になることも多いのです。

すべてに言えますが、未知のものは(何が起こるか分からないので)怖い、と感じますよね。知っているものは、安心があります。

何が解決したわけでも、変わったわけでもないけれども、自分のとらえかたが変わっていくと、それは理解が深くなっていくこと同じですので、それだけで、未知の警戒心がなくなり、既知の安心が生まれ、落ち着いてとらえていくことができるようになる、という仕組みです。

このようなケースの場合は、ご本人に、そういう霊的なものを察知する感覚が強く備わっているゆえ、だと思いますので、仕組みを含めて理解をしていき、警戒心や恐怖心を、安心に変えていけると、その察知する感性を、望ましい方向へ、たとえば、クリエイティブな感性とか、ひらめきやアイデアを受けとめる器として、活用することもできるようになるでしょう。

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2012年9月 9日 (日)

過剰な解決思考。

男性と女性の会話が、かみ合わないことがある理由のひとつに、男性の物事の捉え方が、解決思考になっていることがあげられると思います。

女性は会話そのものに目的がないまま話をする(ただ、言いたいから言っていて、意見を求めているわけではない、とか、世間話で時間をつぶすことも楽しくストレス解消になることがある、など)こともあり、

しかし、男性にとっては、会話とは、目的があってするものであり、話しかけられたら、その話題への回答を示さなければならない、かのように思っているなど、基本、解決にむかって意見のすりあわせをして行くのが話し合いの意義である、と、とらえているところがあると思われます。

そのため、女性は、「男性が自分の話を聞いてくれない、気持ちを分かってくれない」、と不満になり、男性のほうは、「女性の愚痴やウワサ話に付き合わされるのがストレス」だ、と受けとめてしまい、すれ違いが起こることもあります。

男性の思考回路は、物事を解決するために行動をする、解決にむかって進んでいく、という前提の、解決思考を(女性よりも)強く持っている、という違いがあります。

記事のタイトルは、「過剰な解決思考」なのですが、これは男性ではなくて、女性の話です。解決思考が、過剰になるのは、男性よりも女性に多いです。

男性はメカニックなことが得意とか、女性は地図が読めない、などのように、男女の性別の差による特徴的な要素はいろいろありますが、しかし、男性でもメカニック系が苦手な人ももちろんいますし、女性でも地図を読むのが得意な人もいますよね。苦手、出来ない、読めない、といっても、それらが全く出来ないという意味ではないですから。

しかし、やはり、性質的にそれを得意としている人と、そもそも、得意としてない人とでは、その要素の扱い方や、自分の消耗度、バランス感覚などに、差が出てきてしまうこともあります。

解決を前提とした思考というのは、多くの男性が、ごく自然に持ち合わせている感覚です。なので、彼らにとって、そういう考え方は容易にできるので、それほど極端に、行き過ぎ、になることも少なく、バランスが取れます。

けれど、女性にとっての解決思考というのは、男性ほどには、馴染んでいるものでも、得意で容易なものでもないので、「やり過ぎ」になる場合が、しばしば起こり得ます。

○○ねばならない、○○であらねば、というような、完璧主義の行き過ぎで、とにかく、今の立ち位置から、解決に向かって進まない状態を認められなく、解決というゴールは決して近くはない状況からでも、力いっぱい前進してしまい、深追いになり、その(ゴールに向かう、という)思考のパターンから抜け出すことができなくなっていくことがあるのです。

なるようになると委ねていくとか、時間を置いて様子を見るとか、その出来事から意識を少し離していくとか、そのような「力を抜いた対応方法」が取れずに、力いっぱい解決というゴールに向かう、それ以外の思考が思い浮かばなくなり、自分を消耗させてしまいます。

男性は、優柔不断な人が多い、などと言われますが、確かに、そういう傾向はあるように思えますがsweat02、ある意味では、だからこそバランスがとれているというか、優柔不断なところがある人が解決思考をしていることで「適度」になっているところもあるかもしれません。

逆に言うと、優柔不断ではないタイプの女性が、解決思考になると、その真面目さや一生懸命さやバイタリティーの高さゆえに、「過剰」がつくられてしまうことがあるのかと思います。

本来、男性ほどには、解決思考が得意ではない女性が、解決思考を併せ持って、物事に臨んでいくのはとても素晴らしいことなのです。が、それも、適度というバランスがあってこそで、どんなことも、過剰になっては、不調和をつくりだしてしまいます。

そうならないように、解決「だけ」の思考にならずに、委ねる気持ちや、保留にするなどの、力を抜いた対処法も、同時に考慮していくとよいと思います。

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2012年9月 7日 (金)

守護霊に感謝すると、得をするか?

「守護霊に、感謝の気持ちを持っているほうが、たくさん守ってくれて幸せになれますか?」とか、逆に、「守護霊にいつも感謝しているのに、まったく効果が表れないのは何故でしょうか」というご質問をいただくことがあります。

そういう質問がくる時点で、「守護霊とは、魔法のように、自分を助けてくれるもの」とか、「感謝すれば、嬉しくなって守ってくれる存在である」という、曲解があります(^^;)。

前者のほうは、「守護霊は、私たち人間が成長するための導き役であって、何でも望みを叶えたり、災難を取り除いたりしてくれるような、便利な魔法使いではない」こと、後者のほうは、「守護霊は、嬉しいからよく働く、感謝されないから力を貸さない、などのような、損得勘定で動いている存在ではない」ことを、仕組みを含めて理解することが大事です。

守護霊になる存在というのは、好き嫌いとかの個人的感情で動くのではなく、その人に必要な導きをおこなっていく、という、霊的真理に基づき(そうする必要があれば)動くのであり、進化向上した存在ですから、人間的な感情のようなものは超越している存在です。

感謝すればするほどよく守ってくれる、とか、感謝がないと力を貸さない、とか、そんなことはあり得ません。

その理屈でいくなら、スピリチュアリズムに関心がなく、守護霊という概念を持たない人は、意図して感謝をすることは、ほぼないでしょうから、何も導きを得られないことになってしまいます(^^;)。

けれど、では感謝することに、全く何の意味もないのか、してもしなくても変わらないのか、というと、そうではありません。

感謝という「思いのエネルギー」は、本来は、純粋で明るいエネルギーであり、そうした思いを抱いている、発している人は、自分の波長が高くなっていきます。その、状態の変化、自分自身の向上によって、いろんなことが、「波長の法則」で、より望ましいものが引き寄せられたり、シンクロがあるなどの作用が起こって、総合的に考えていけば、よい作用が見られるでしょう。

そういう広い解釈でとらえていくなら、感謝の思いをもつのは、(その対象が、守護霊のみに限定されず、誰であっても)よいことですし、自分が発したものは、自分に返ってくる、という「カルマの法則」もありますので、感謝の思いをもつこと、感謝できる自分でいられることは、とても大事であり、望ましい状態でもあります。

しかし、感謝という行為を行っているのに、

>「守護霊にいつも感謝しているのに、まったく効果が表れないのは何故でしょうか」

というような状態になるのは、どうしてか、というと、

それは、このようなケースは、純粋に相手に対してお礼の気持ちがわき上がるような感謝ではなく、「感謝すれば、自分にメリットがあるから」という、損得勘定の動機に基づく、表面的な形だけの感謝だから、でしょう。

現実的な人間関係に置き換えると、頂き物をしたときに、「お礼を言っておけば、また次も、何かくれるだろうから、お礼を言うほうが得をする」という損得勘定での、発言のようなものです。それは、純粋で明るい思い、とは、言えないですよね。

損得勘定が悪いということではなくて、この物質社会で生きる以上、そういう考え方が必要な場面も多々ありますが、しかし、その考え方が、何でも当てはまるわけではありません。

霊的真理における考え方としては、あまり極端になっても、たましいの観点からは望ましくない、ということを、「守護霊に感謝しているのに、思い通りにならない」という結果を伴って、教えられている、学びを与えられている、と、受けとめることもできるのではないでしょうか。

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2012年9月 2日 (日)

スズメからの恩返し?

私の親戚の、ある女性の話です。その方は、お家の敷地内で、いつもスズメに餌を与えていたそうです。隣接しているお宅の、大きな木に、スズメがたくさんきて、ヒナをつれている様子を見ていて、いつのまにか、餌をあげるのが習慣になり、スズメも餌があることを期待して、毎日同じくらいの時間に集まってくるようになったとか。

その方はとても優しい性格なので、スズメもそれを分かっているのでしょうか、姿を見かけると、そばに寄ってくるのだそうです。犬や猫のようには慣れたりはしないけれども、動物の本能で、優しい雰囲気とか、攻撃的な雰囲気とかを、見分けていたりもするのかもしれないです。

あるとき、その様子を見ていた近所の方が、「スズメのために、そこまでしてあげたら、きっといつか、スズメから恩返しがくるかもね」と、おっしゃって、「そうねぇ、そうなったらいいけれど」と、お互いに、半分冗談の、その場の世間話としての、気にも留めない程度の会話をしたことがあったそうです。

ところが、翌日、お家の外で飼っている犬の、ご飯の容器の中に、きらっshineと光るものが入っているのに気づき、近づいてみると、そこには、「150円」が、入っていたのだそうです。

スズメから、恩返しがくるかも・・・、そうなったらいいね、というような会話を冗談でしていたタイミングだったので、お金が入っていて、びっくりした、と。

たぶん、その恩返しの?150円(笑)は、天から降ってきたのではなく、カラスなどの大きな鳥が、光ってきれいだからと、加えてきたものを、たまたま器のところで落としたのではないか、とのことでしたが、

しかし、ちょうど、そういう話題をしていたときだったので、びっくりしたやら、可笑しいやら、で、でも本当に、自分がしたことを肯定されているのかな、と思えて、ありがたい気持ちになったそうです。

私もその話を聞いて、なんとなく気持ちが、ほっこりしましたね(^^)。

実際の、スズメのえさ代には、全く足りていないでしょうけれども(^^;)。

すべての出来事は必然で・・・、自分の今の状態を計るための、目安になる出来事が、周囲で起こっていき、さまざまな形で気づかされたり、学ばされたりするのがこの世という場所ですので、

優しさや思いやりをもって行動をしている人には、それを見ていますよ、という返事のようなな、「呼応」が、あちらの世界と通じ合うのだろうな、と、そう思わされました。

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2012年9月 1日 (土)

聖地巡り、有名神社巡りは、必要なのか。

スピリチュアルという言葉が一般的になって久しいですが、それにつれて、神社や聖地を巡ることも、ブームになっている一面があります。

今まで、神社などに関心を持っていなかった方が、そういう方面にも意識を向けるようになり、歴史や成り立ちに関心をもつなどして学びを得たり、気持ちをリフレッシュすることができたりするのはよいことですし、

現代での便利な生活の中では薄れがちな、自然や自然霊を敬う感性を、思い出す事にも繋がっていきますので、清らかなエネルギーに触れたり、自然のパワーを感じたりすることも、相応の効果があることと思います。

けれども、・・・当たり前のことなのですが、神社仏閣にいけば願いが叶うとか、崇高な人間になれるとか、パワースポットにいけばいくほど特殊なパワーがつくとか、そんなこと、あるはずもないです。

そういう考え方は、回数さえ多ければいい、出かけて行くという行事だけやればいい、という、内面を置き去りにした、物質的価値観による捉え方ですよね。

出掛けていくのが悪いという意味ではないです。気持ちはどこでも持てる、とはいえ、神社や聖地にいくという行動をとることで、気持ちにメリハリが生まれて、清らかな意識を持ちやすくなることはあるでしょうし、やはり、そういう場所には、実際、高いエネルギーが流れていることも多いので、高いエネルギーに触れることで感化されて、自分がリフレッシュすることも出来るかもしれません。

しかし、形だけ、表面だけ、出掛けていけばいい、お祈りのポーズをすればいい、回数が多いほど良い、有名な場所ほど良い、というような捉え方では、その場所の高いエネルギーと、同調することはできないでしょうし、

「何のためにそうするのか」という動機が、自分の願望を叶えるという欲のため「だけ」にある場合に、高い波長の霊の世界が、その欲を叶えるために動くことがあるかどうか、スピリチュアルな世界に関心を持つなら、その点をよく考えてみることが必要ではないでしょうか。

江原さんの書籍に、以下のような記載があります。そのまま載せると長くなるので、要約をまとめますが

「苦しいときに、神社仏閣などへお参りにいくことは意味があるのでしょうか」と、聞かれることがある。出向くことによって、自分の邪念をとったり、穢れを払ったりするわけで、意味がないことはない。

けれど、自分自身が思考をしていない人が、お参りに出掛けても、波長は届かない。自分の波長が低ければ、自分の守護霊ともプラグが繋がらない、その状態では、とても霊的世界に祈りは届かない。

ではどうするか、といえば、自分で自分の波長を高く変えていくこと。極端なことを言えば、特別な場所へ出掛けていかなくても、波長が高ければ、十分にあちらの世界に伝えることはできる。つまり、神社仏閣に出向かなくても、自分しだいで、自分の居る場所をすべて、聖域にすることはできる。

祈念が通じるとはどういうことか、といえば、自分がやり抜くこと。

こちらは、苦難の乗り越え方という書籍の、P108あたりに書かれているものです。

江原さんは、神主さんでもありましたし、神社へ出向くことそのものを否定しているのではなく、むしろ、聖地を紹介する趣旨の書籍も出版されています。

しかし、大事なのか、物質的価値観から、そういうところに出掛けるのが良い、出掛けさえすればいい、ということではなくて、その動機が大事であり、結局は、自分の行動がすべてであって、出向くことにも相応の意味や効果は得られるとしても、それは根幹に、自力という自主性があってこそ、という内容を、伝えているのだと思います。

受け止め方はそれぞれでしょうけれども、少なくとも私は、そのように(スピリチュアリストとして)理解をしています。興味のある方は、ご自身で書籍をご覧ください。

私は、あまり聖地巡りには興味がないほうで、伊勢には出掛けていったことがありますがとても素晴らしかったし学びはありましたが、出掛けたからどうだ、とか、効果があった、とか、そういうことは特にないと思っています。また行きたいとか、他も見てみたいとかも、それほど思わないほうです。(それが望ましいとか、正しいという意味ではなく、あくまで私個人の捉え方です)

行事やお祭りをすることで、いろんな人の祈りのパワーが集まってくることも、とても素晴らしく神聖なものであるとも、感じていますが、私は、性格が庶民的なタイプだからなのか(^^;)、有名神社の有名行事よりも、地元を大事にする考え方にも、同じくらいの輝きを感じます(^^)。

小さな町のお祭りで、地元の青年達が,一生懸命に寄付を募ったり準備をしたりして、地元を盛り上げようとしている、そんな様子が、とてもキラキラと輝いて見えます。大事なのは、規模じゃなくて、「込めている思い」なのだと、教えられるような気分になります。たまに、そういう場面が、NKHのニュースや番組などで放映されたりすると、見ているだけで、涙がでてきます。

私は、あえて、有名神社巡りや聖地巡りをする気持ちは強くもっていませんが、動機はさまざまですので、自分の中に、神社仏閣に出かけて行きたい気持ちが強くあるなら、それは、その気持ちにしたがって、出掛けていくのはいいと思います。

行動そのものに正しいとか間違いとかがあるのではなく、大事なのは動機と、その目的と、自分自身の在り方、なので、その点を忘れなければ、どこにいても、どんな形でも、崇高なエネルギーに同調していくことは出来るのです。

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