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2012年9月の19件の記事

2012年9月29日 (土)

素敵な絵本を読みました。タイトルは忘れました(^^;)。

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先日、皮膚科での待合室で、診察待ちの間に、雑誌や本をみていたら、そこに、とても素敵な絵本がありました。

その本をブログで紹介しようと、タイトルを覚えていて、家に到着するまでは覚えていたはずなのに、いざ書こうとすると、そのタイトルが出てきません(^^;)。

・・・ってことは、本を紹介する、というよりも、その中身について書いたほうがいいのかな、とおもったので、すでに薄れゆく記憶をたどりながら?書いてみたいと思います。

それは、人づきあいをせずに、孤独を愛している女の子と、クマの物語でした。

詳細はちょっと違うところもあるかもしれないのですが、おおよそ、以下のような感じです。

あるところにいる女の子は、ひとりでいるのが大好きで、他人と関わることが嫌いでした。

でも、自分は、それで満足していて、何も問題はないはず、と、そう思っていました。

そこに、大きな宅配便の荷物が到着して、包みを開けてみると、大きなクマが、入っていました。

クマが「どうか、ここに置いてください」といいます。

しかし、女の子は、「私は、ひとりでいるのが好きだから、置いてあげられません」と断ります。

クマは泣き出し、「どうかお願いします。なるべく迷惑を掛けないようにしますし、ご飯もあまり食べないようにしますから」と。

しょうがなく、女の子は、クマの滞在を許可し、二人は一緒に暮らします。

たくさん遊んだり、会話をしたり、釣りに出掛けたりして、楽しく、幸せに過ごします。

ところが、しばらく経って、クマが「自分は、帰られなければならなくなった」と、言い出します。

女の子は、「そんなこといわないで。もっと、ご飯もたくさん食べられるようになんとかするから、いかないで」と、クマを引き留めますが、

ある朝、目が覚めると、クマの姿はありませんでした。

女の子は、とても嘆き悲しみます。「だから、嫌だったのに!仲良くなって、人と関わると、こうして、離れるときに苦しむことになる。この気持ちを味わいたくないから、ひとりでいたかったのに!」と。

女の子は、いつもクマと出掛けていた釣りのできる池に、ひとりで出掛けてみました。

すると、知らない男性が話しかけてきます。

「あなたは、いつも大きなクマと釣りをしていましたね。自分はそれをいつも見ていて、楽しそうだな、と、思っていました。よかったら、自分と友達になりませんか?」と、

そう話しかけられる場面で、素敵な期待感と余韻を残し、物語は終わりとなっていました。

現実に人間関係を遠ざけたいと思っている人の、少なくない比率で、この絵本の女の子のように、好きになって信頼して、しかし関係を持続させられなくなったときに辛いから、という、防御の気持ちで遠ざけているというパターンはあると思います。

そして、自分では、その理由を認めたくないので、「自分は、ひとりが好きだから」という理由にしてしまいたくなりますし、実際に、思い込んでいることが多いかもしれません。

けれど、この世というのは、学びの場所だから、その思い込みに気づけるような機会が、必然で与えられて、気づかされていくようになっているのだろうと思います。その象徴が、突然送られてくる、梱包されているクマ(^^;)、なのでしょう。

そして、また突然の急展開で、クマは目の前から去っていき、自分がひとりが好き、と思っていた気持ちは、人づきあいの悲しみを避けたいためであることを、認めざるを得なくなります。

でも、人生という物語は、そこではおわらないのですね。その様子を見ていた、男性が、友達になろうと話しかけてくるのです。

自分が苦手としていること、避けたいことに取り組んで、乗り越えていこうとすると、その勇気ある行動が、新しい出来事を呼び込む「呼び水」となっていくことはあるものです。思いや行動というのは、エネルギーとして作用しますから、新しい関係を、また引き寄せるきっかけを、作ってくれたりするのですね。

そして、物語の最後は、今度はクマではない、人との関係が始まっていく、

そこからが、本当の意味での、女の子の学びと成長がはじまっていくのだろうな・・・と、思わせる、とても素敵な終わり方をしたお話で、人間関係を避けたいと思っている人に読んでほしいな、と思ったのですが、突然、タイトルを忘れてしまいまして、文章で説明をすることにしました(^^;)。

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2012年9月27日 (木)

「発散系」の行動が、ストレス解消に繋がる方もいれば、そうではない方もいる。

大勢で集まってワイワイ騒ぐとか、大声を出す(絶叫系マシーン等のアトラクション、スポーツ観戦&応援)などの行動をとって、内にたまっているものを発散すると、気分がすっきりすることがあります。

一般に、「ストレス解消」という言葉からイメージされるのは、そういう行動だと思われます。

しかし、中には、発散系の行動をとると、逆にストレスに繋がる方もいます。もともとクールで、孤独を好み、特定の物事に熱くならないタイプの方は、自分の向上につながることなら楽しみを得られやすいのですが、時間と労力を消費して、これといって何も残らず、成長にもつながらない行動をしても、楽しく感じられないのです。

発散することが「緩み」に繋がらず、むしろ苦痛になります;。

それなら、多少の苦労があってもいいから、習い事をするとか、勉強をすることで、「日常から意識を切り離す」方向で取り組むか、または、マッサージやエステなど、他人の手にかかるというか、手入れをしてもらうことでリラックスしていく方が向いていると思われます。

こちらのタイプの方は、「発散」するより、「満たす」方が、ストレス解消につながりやすいです。

あくまで、おおよその傾向に過ぎませんが、「発散系」のストレス解消法で、スッキリするのは、赤系オーラの方が多いです。外に向かう行動や思考を好むので、「外に出せない」ことがストレスになります。たまったものを、発散すると、楽しくてスッキリすると感じます。

そして、青系オーラの方は、「外に出せない」ことよりも、「満たされない」ストレスのほうが大きいタイプなので、知識を得るとか、勉強するとか、人の手に掛かって、自分を整えてもらいエネルギーを充填するとか、何らかの「満たす」要素のあることが、安心できるので、緩みに繋がり、すっきりするのです。

上記は、とても単純に2つに分けた場合のたとえであって、(単色のオーラの人はいませんし)どちらか一方だけにズバリ当てはまる人は、まずいません。ほとんどの方は、両方が当てはまる混合タイプで、その時々の比率の問題で、発散系に傾いたり、充填系に傾いたりするのだと思います。

どんなことにもいえますが、特定の問題を解決するためには、「その問題にふさわしいアプローチ」が必要です。

一口にストレス解消といっても、発散したいのか、満たされたいのかで、解決方法も違ってきます。

まず、自分が、(おそらく、どちらの場合もあるでしょうけれど、どちらかといえば)発散することでストレス解消になるタイプか否かを、分析して、ふさわしい改善法、対処法を見つけておくと、いざというときに、切り換えがしやすくなりますね。

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2012年9月25日 (火)

また、おかしな怪我?をして、考えてみたこと(いろいろ変更します)。

去年の暮れに、雪道で骨折し手術をするという大怪我をしました。詳しくは、過去記事に載っていますが、太ももの一番太い骨、もっとも折れにくい骨が折れて、普通は、骨自体が弱くなってくる高齢者しか折れない箇所だそうで、リハビリの先生が、「高齢者以外でここが骨折した患者さんは、僕が担当したのは数年前に一人」と言われたくらい、あまり折れない場所だったそうです(^^;)。

この怪我からのリハビリその他は、本当に大変で・・・、そして今もその過程にいるわけですが;、しかし、その辛さの分だけ、学びもあったと思います。

人はひとりで生きているわけではない、いろんな人との関わり合いから学び合っているのだと再認識することができましたし、家族のありがたさや、救急体勢の整った日本という国に暮らしているという恵まれた環境や、当たり前と思っていることはすべて感謝すべきことで、当たり前ではないということに、気づかされました。

そして、私にとって、大きな意味をもったことのひとつに、「運動の大切さ」を理解することができた、という点があります。これは、この怪我という経験を通して授かったギフトだと思っています。この経験がなければ、私は、日常に運動を取り入れることはなかったでしょう。

苦しい経験にも、必ず学びはあって、自分次第で得られるものはある、受け止め方しだいでプラスに変えていけることが存在するものだと実感します。

私が、この仕事に踏み切ったときも、これも過去記事に書いてあると思いますが、ある病気が分かり、お腹に穴を開けて(開腹せずに)行う、腹腔鏡という形式の手術をして入院したことがきっかけでした。このときの、病気の発見のされ方も、とても不思議でした。

そのように、何か病気なり怪我なりがあって、それが節目となって、たりないことに気づかされるような、そんな意味を持つことが、多いと感じます。

今回の怪我は、・・・唐突に、ヘソの内側が化膿する、というものでした;。

数日前から、お腹がちょっと痛いと思っていました。でも、少しだったので、常時気になるほどではないのです。そして、数日たって、ふと、「あれ?これは、お腹ではなくて、ヘソが痛いのか?でも、そんな症状はありうるだろうか?」と、脈絡なく思い浮かび、ヘソを鏡でみてみると、小さいかさぶたが複数できていました。

腹腔手術をするときは、女性の場合は、傷跡を外に残さないために、ヘソの内側から穴を開けるものだそうで、手術後は、その傷のために、ヘソの内側の皮膚がつれた感じでくっついている部分がありました。そういうふうに傷口が治ってしまった、というか。

その、つれたようになっていた皮膚の部分が、なんと4年以上も経過した今になって、何かの拍子にその部分にテンションが掛かったのでしょうか、プチっと切れて(そこは、想像するしかないのですが、おそらく)、そして、気づかずに数日経過したためなのか、化膿してしまいました。

なぜ、今になって・・・?というのが、まったくわからないのですが・・・、そして、病院でも薬局でも、「なぜ、今になって切れた?」と不思議がられましたが;、その物理的な原因はともかく、この出来事を通して「今の自分の状態を、見つめなさい」と、言われているのかも、と、思えてきました。

今の自分を見つめてみると、ひと言で表現するならば、「忙しすぎ」です。朝から晩までPCに向かって仕事をしていて、休日もなく、今はジムにいっているので、その分「仕事から離れる時間」は増えていますが、「フリーの時間」は、ほとんどありません。

自営業というのは、そういうものですから、気持ちの上での不満はないけれども、体力も気力も消耗していることは確かです。

この状況を、改善していこうと、そう思いました。私は、完璧主義なところがありますし、自分に負荷を掛けてしまいがちで、バランスの悪さを感じてはいました。

この、何故今更?というsweat02、不思議な傷?の出来事を、見つめ直す機会とさせていただき、今後の仕事について、いろいろ、変更させていただく箇所を検討中です。

まず、「オーラレポート」ですが、9/27を持ちまして、または、予定数に達した場合はその前に、受付を終了させていただき、定番メニューから外します。

次に、通常の「メールリーディング」ですが、正直、このメニューが、一番、価格と労力のバランスがとれていません。非情に時間がかかり1回のお申し込みで、フォローアップも含めると、3時間~5時間かかります。何もなくても、3時間は最低でも掛かります。

1回につき、3000文字で、となっていますが、現実には、その2倍~4倍の文章量となっていますので、朝から晩まで休みなくPCに向かう状態になってしまっています。

これは、値上げをするか、または内容を変更するかで迷ったのですが・・・、今考えているのは、価格はそのままで、1回のご相談件数を減らすことにしようかと思っています。現状は、4件まで、としていますが、変更後は、2件、または、3件とさせていただきます(どちらにするかは、今後検討します)。

今のままの、4件を承る形で、ご相談のご希望がある方は、お早めにお申込ください。どうぞ宜しくお願いいたします。

スカイプによるリーディングは、今のところ、どのようにするかは、検討していません。いずれ変更をすることもあるかもしれませんが、当面は今のままとなります。

今のところ、上記のように考えています。そしてさらに、いろんなことを、少しずつ変更していくことになるかもしれません。変更点がありましたら、その都度、ご案内させていただきます。

ご不明な点がありましたら、コメントかメールでお問い合わせください。

ちなみに、皮膚科からの帰り道、出番まちをしていた、NHKの登坂アナを見かけました。これは、気分が高揚した出来事でした(^^;)。

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2012年9月22日 (土)

さまざまな出来事を、スピリチュアルな視点で解釈するための要点。

日常に起こる、いろんな出来事について、それは悩みや心配事なども含めて、またはそこまでいかなくても、気になることや、そのことが展開する原因は何で、これからどうするのが望ましいのか、と、考える機会は多いものです。

この世というのは、私たち人間が、たましいを成長させるための、学びの場所ですから、それはそれは、日々、学ばされるための出来事が、山盛りに用意されていくようになっていますね(^^;)。

それらの学びの出来事を、スピリチュアリズムの観点から解釈していくための、分かりやすい要点をいくつか上げておきます。

出来事には、その数だけの独自の意味がありますが、基本となるポイントは、それほど多くはありません。

まずひとつは、「私たち人間は、肉体をもった霊的存在である」という前提で、解釈をしていきます。

私たちは、実は、霊でもあるので、霊的な現象に感化されるのもありうることです。

霊としての向上のために学びをしていて、霊である以上霊感が備わっていて、肉体はいつか失われても、たましいとしての、霊の部分は消滅することはなく、霊界からの(守護霊などを通して)働きかけも存在し、他にもさまざまな形で、霊性が活用されならが生きている存在であることが、前提となります。

そして、次に、「カルマの法則」と「波長の法則」です。

自分のしたことはすべて自分に戻ってくることになる、原因があって、結果がつくられる、という、真理の仕組みがカルマの法則です。

自分と同じ要素のあるものが、引き寄せ合って、出来事や人間関係の出会い等のすべてが展開していき、周囲の出来事すべては、自分の波長が引き合ったもの、という解釈の仕方が、波長の法則です。

(こちらは、詳しくは、カテゴリから、過去記事をご覧になってください「カルマの法則」、「波長の法則」)

そして最後に、私たちは、霊界に見守られながら、たましいの学びをしているけれども、「未来は、決まっていなくて、これから作っていくものである」という点です。

決まりきった台本を、そのままなぞるだけの人生ではないので、未来は未知数であり、だからこそ、未来に希望や可能性を見いだせる、そのような創造的な環境を与えられて、私たちは、学んでいるのですね。

私たちは霊的存在であり、学びのためにこの世で経験を積んでいて、日々の出来事に対する思いや、行動や、発言などの、いろんな要素が関わりをもって、原因がつくられ、結果に至り、同じ要素が引き寄せられて、複雑な編み目のように出来事が構築していくのが、この世で起こっている出来事なのです。

なので、脚本は、リアルタイムで作られている、とも言えます。自分自身が、(さまざまな行動が原因となる、という意味での)脚本を作りながら演じている、という同時進行になっている部分もあるのです。

さらに補足をするならば、上記の仕組みは、今回の人生で経験した出来事の蓄積だけでなく、たましいとして、霊としての、長い年月で培った要素を、前世、後世と引き継いでいきますので、データベースとして存在する脚本をもとに、今回の人生用の、オリジナルが書き加えられる、という形で、作られているというほうが、正確かもしれません。

細かい点を言えば、きりがないくらいたくさんあるのですが・・・、基本は、上記のことを前提として、解釈をしていくことになります。

上記であげた要素は、どれも連動しているのが分かると思います(^^)。

スピリチュアルな視点をもって、物事を眺める習慣をつけていくと、自分が自分の人生を導いていて、すべては自分自身の学びである、ということが、より深く理解できるようになるでしょう。

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2012年9月21日 (金)

感情をコントロールする、とは?

感情を、丁度良いバランスに保つために、感情をコントロールするというのは、「感情のみを、優先させない」ということであって、感情を消し去ることではありません。

多くの人が、感情に振り回されることを改善しようとして「感情を麻痺させて、何も感じなくしよう」としたり、「感情を抑え込もう」としたりして、逆に、混乱しています。

人間ですから、誰でも感情は出てきますし、感情が悪いわけではありません。ただ、その感情の、度合い、バランスが大切なのです。

感情のみを基準にして選択や判断をしたり、感情が発生したことで瞬間的に行動をとると、その行動の結果は、不本意なものになることが少なくないでしょう。

そうならないために、感情を、丁度良いバランスに保ち、大きくしすぎないように、コントロールをしていくことが大事で、感情をゼロにしようとしたり、(すでに)発生したものを抑えようとしたりするのは、ちょっと、捉え方が違っているのです。

感情を、丁度よいバランスにするために、何をどのように工夫したらよいのかというと、感情のハンドルを操作するのではなく、「理性のハンドルを操作して、理性の強弱により、感情と理性が釣り合うようにしていく」のが効果的です。

感情そのものを、大きくしたり、小さくしたり、コントロールをするのは無理です。感情というのは、ときに暴走しますから、自分の運転技術を越えた性能の車のハンドルを、こわごわ握るのと同じで、それは、とても不安定な走行になります。

感情のバランスを保つために、握るべきは、「理性のハンドル」です。

理性は、車の性能ではなく、自分の運転技術が作用するところが大きいのです。理性を操作することで、結果として、感情と理性のバランスをとります。大きな感情が出てきたら、その感情を抑えるのではなく、大きな理性を発動させて、対処をしていきます。

つまり、感情をコントロールするためには、理性を磨いて高めていくこと、普段から、理性的な思考や分析を心掛けていくこと、何が原因で結果がつくられたのか、では、自分はどんな対応をするのが一番望ましいのか、この問題の論点はどこにあるのか、というふうに、理性を使った思考をする習慣をつけることが効果的なのです。

たとえば、内臓の機能を活性化させようとしても、私たちは、内臓の動きを、直接コントロールすることはできませんよね;。「さあ、今から、●●の内臓よ、動け!」と、することはできません。「体温を一度上げよう!」と意図しても、思うだけでは上がりません。

しかし、体の筋肉を動かして運動することはできますし、呼吸の深さを意図的に変えることもできます。そうして、運動をして、筋力をUPしたり、血液の巡りをよくすることなどを通じて、内臓の動きや、体温を、間接的に、高めていくことは可能です。

体の機能として、「意図的に動かしやすいところ」と、そうでないところという、差がりますよね。

それと同じで、感情をコントロールするために、理性を磨くというのは、間接的な方法です。しかし、それが、最も「取り組みやすい」方法で、時間は掛かっても、ダイレクトじゃなくても、「効果に繋がる」方法でもあるのです。

「操作しやすいハンドル」は、理性というハンドルです。

理性により、感情のバランスを取ろうと、ハンドルを握る練習をして、心掛けていくうちに、感情そのものの発生も、自然と抑えられてきます。

なぜなら、人の活力というのは、その人なりに一定の量があり、無限ではないですから、二つの器があって、そのうちの一つに、意識が向かうことを習慣にすれば、自ずと、もう一方の器に注がれるエネルギーは、減少していくためです。

理性による思考を、習慣にする取り組みは、即効性はありませんが、確実に効果に繋がる、感情をコントロールするための、方法のひとつ、なのです。

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2012年9月20日 (木)

「どうしたらいいのか?」と、考えるときは、理性を活用する。

何か、思い通りにいかないような、自分にストレスが掛かるような問題が起こったときそれを目の前にして、「これから、どうしたらいいか?」と、考えるものです。

ただし、この「考え方」が、とても大切で、「どうしたら」の、とらえかたにより、内に向かうか、外に向かうかというくらいの、意識の向け方の差異がでてきます。

大部分の人は、問題を目の前にして、「どうしたらいいのか」と考えるときは、この件について、自分の言動をどう改めたらいいのか、とか、どのような思考の仕方や解釈がふさわしいのか、もっともよい選択肢はどれなのか、とか、 過去の自分を省みるか、または、前進のために少しでも建設的な行動をしようとする姿勢をとります。

けれど、中には、ごく一部、「どうしたらいいのか」とは、「自分の、この不満な感情を、どうしたらいいのか」と、感情を軸にとらえてしまう人がいます。

(その感情を抱いてしまう)自分を省みる姿勢はなく、かといって、その出来事に働きかけるような言動や思考を想定するでもなく、つまり、自分の不満をどうしたらいいのか、と、そちらのみに、意識がむいてしまいます。

問題点の改善のためには、原因を特定して、原因に働きかけることが有効となります。結果だけをなんとかしようとしても、根本的な解決や改善にはなりません。

前者のタイプは、自分の言動を省みて、分析的な思考をしていますから、時間はかかっても、少しずつでも、前に進んでいくことができるでしょう。

しかし、後者のタイプは、自分の感情という、わき上がった結果に対して、それを除こうとしています。 自分がその感情を持っていることが苦しいから、苦しさから逃れるために、感情を除くにはどうしたらいいのか、と、そもそも、なぜその感情がでているのかという点に目を向けていませんので、なかなか改善は見られず、同じことで苦しみ続けてしまうこともあります。

前者の姿勢で取り組んでいるつもりが、知らず知らずのうちに、後者のパターンに入れ替わってきて、自分の不愉快な感情をなくすために、(客観的にみれば)無理な理由をこじつけて、自分を正当化していることも、あるかもしれません。

そのくらい、大きすぎる感情というのは、やっかいで・・・、だからこそ、問題の改善や解決のためには、理性をもっていくことで、バランスを取る必要があります。

人間には、皆、感情があります。そして、感情が悪いという意味ではないです。それは、感情を出すにふさわしい状況と、そうでない状況という差があるでしょうし、出し方の度合いも考慮することは、大人として大切なことだと思います。

問題を目の前にして、「どうしたらいいのか」を考えるときに、自分の思いが、過剰な「感情ベース」になっていないか、意識する習慣をつけていくと、その行動自体が、理性の表れですので、一呼吸おくことができて、冷静になって考えていけると思います。

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2012年9月19日 (水)

芳香(ほうこう)現象。

スピリチュアルなエネルギー、霊的エネルギーの作用によって引き起こされる現象のひとに、芳香現象shineとよばれる、物理的な原因がその場に存在しないのに、香りがただよってくる、匂いが感じられる、というものがあります。

霊的エネルギーで音がなる、ラップ音という現象がありますが、その「香りバージョン」のようなもの、でしょうか。

その場にいる誰もがとらえられるくらいに、はっきりとした香りになることもあれば、霊的な感覚が鋭い人だけに感じられる、微細な香りの場合もあります。いずれにしても、霊的な感覚が開かれている人ほど、感じやすい傾向があることは確かだと思います。

その現象は、霊的なエネルギーの作用によりますので、霊がそばにいたり、または、霊界から何かを伝えたいとか、力を与えているとかのサインとして、起こることもあります。

未浄化霊が居るときには、とてもその場に違和感のある、表現が難しいですが、あまり心地よくない匂いがしてくることもあります。

私は、今は、対面セッションを休止していますが、以前行っていたころは、その人に憑依している霊が出てきたときなど、はっきりそうとわかるような、鼻を押さえたくなるような匂いがすることもありました。

そういうときは、その相談者さんも、平均よりもずっと霊感が強い場合が多かったですね。ラップ音と同じで、その場にないものを作り出すには、その場にいる人のエネルギーを使うことになるため、霊感の強い人が集まっている状態のほうが、起こりやすいのかもしれないです。

逆に、波長の高い霊がいるときや、そのことを(居ることを)伝えたいときに、お香のような、格調の高い香りが、ふっと漂ってくることなどもあります。これは、話に聞いたり、実際に体験したことがある方も、少なくないでしょう。

お香に限らず、よい香りがするものは、波長の高い何かのエネルギーが作用していると思われますが、「お香のようなかおり」のケースがあるのは、ここが日本という土地であり、私たちが日本人であり、文化的に、それらに馴染みや親しみがあるためではないでしょうか。

そういう、文化や習慣を利用して、私たちに、分かりやすく伝えてきているのではないかと、私はそう思っています。

なぜなら、外国の著者の文献などでは、「百合の香り」がしてくる、という芳香現象を書いたものが、少なくないように思うのです。

百合は聖母マリアの象徴といわれているそうで、キリスト教が一般的である地域では、きっと、百合の芳香現象が起こることが多く、東アジア的なお香のような香りでは、あまり起こらないのではないかな、と、個人的に、そう解釈しています(^^)。

こんなケースもありました。ご相談者さまが、私のサロンに向かっていて、建物のある位置のかなり手前から、アロマのような香りがしてきて、「きっと、今日は、この香りをお部屋でつかっているな~」と分かって、そして、室内に入ってきたら、思ったとおり、同じ香りがしていた、と。

芳香現象、 とても不思議ですけれど・・・、なんか、勇気づけられるような、見守られているような、そんな気持ちが、香りとともに、心に満ちてくる現象だと思います。

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2012年9月18日 (火)

何をやっても空回り、何ひとつ上手くいかなくなりがちなパターンとは。

特定のできことが、ひとつ、ふたつ、思い通りにいかないことは、誰にでもあることで、すべてが、思い通りになる生き方というのは、なかなか存在しないものだと思います。

なぜなら、この世というのは、私たちのたましいを成長させるための、学びの場所だからです。

もしも、すべてが思い通りになり、何の苦しみも葛藤もなければ、思考しませんし、工夫しようとも思いませんし、欲が増大することはあっても、精神性が高まることは期待できそうもありません;。

思い通りになることもあれば、そうならないこともある、この世という場所で、与えられた学びに取り組み、さまざまな出来事の中に、楽しみを見出したり、喜びを感じたりもしながら、生きているものです。楽しみや、喜びは、思い通りにならない環境の中でも、得られることもありますよね。

しかし、中には、「何をやっても空回り、すべてが思い通りにならず、何ひとつ上手くいかない」と感じる人もいると思います。

同じ状況でも、それを複数の人が体験したとして、「何もうまくいかない」と捉える人もいれば、そこまで深刻にとらえない人もいれば、その中にも学びや喜びを見出そうとする人もいますので、幾分は、その人個人の受け止め方の問題だとは思います。

しかし、そこを割り引いたとしても、すべてが上手くいかない状況に、現実問題「なってしまう」のであれば、そこは改善すべき何かが、存在すると言えるでしょう。

ひとつ、ふたつの出来事ではなく、「すべてが、上手くいかない」人には、ある共通点が見られる傾向にあります。

そういう人は、何をやるにしても、とにかく「自己流」で動いていくことが、状況を混乱させている一因になっています

いろんな方法等を取り入れても結果としてそうなる、というのではなく、方法も含めて「自分がいいと思ったやり方」を、変えません。

誰かが、その状況を改善したほうがいいとか、こうすると効率がいいから、とか、その人のためを思って意見を言ったり、何かを教えたとしても、それに従うことがありません。 自分のやり方を貫きます。

もしくは、そのときは意見に耳を傾けるけれども、そして、そのときは納得しても、現実には、行動も思考の仕方もまったく変えず、他人の意見は(結果として)無視で、同じパターンを続けて、当然のことながら、同じゴールにたどり着いてしまいます。

おそらく「他人の話を、聞きたくない」人もいれば、「他人の話を、聞いて解釈することが苦手」 な人もいるのだと思われます。

つまり、「自分がいいと思うやり方にこだわり、他人の意見や助言を、きちんと受けとめない」人が、すべてが上手くいかない状況に陥りやすい人の、思考と行動のパターンなのです。

その人のためを思って、意見を言ってくれた人も、同じ事を何度も繰り返されたら、気持ちは離れていきます。言っても聞かない、言っても同じ行動を変えない、なのに、現状への不満を口にされたら、「いったい、何がしたいのか」と、面倒で嫌になってくるのではないでしょうか。

そうなると、「思い通りにならない、上手くいかないリスト」の中に、「アドバイスをくれる、友人や知人との関係」も、加わってしまい、ますます悪循環がつくられることもあるのです。

人は誰でも、自分の思うように行動する権利があります。他人の迷惑にならない、ルールの範囲内で、という条件はつきますが、極端なことをしないかぎり、何をどう生きるのも、その人の自由です。

なので、その人が、「自分の思うように行動したい、その結果、すべてが思い通りにならなくても、それは自分の責任で受けとめる」のであれば、何をしてもいいのです。

けれど、「自分の思うように行動した結果、すべてが思い通りにならず、空回りになり、大変に追い詰められて、不満と不安がある」ならば、誰かの意見を参考にするとか、今までの自分の行動を反省して変えようとするとか、そういう視点の向け方も必要ではないでしょうか。

ときに、自分とは全く違う感覚をもっている他人の意見が、自分の意見よりも、有効な場合もあります。とかく、自分のことは、視野が狭くなりがちであることは、意識しておくことも大事だと思います。

自己流にすると、不要な手間が省けて、必要なことだけに力を注げるような気がしてしまいますが、しかし、場合によっては逆に、必要なプロセスを端折ってしまい、不要な遠回りをしてしまうこともあるでしょう。

人は皆、自分は正しいと少なからず思って生きていますから、自己流にこだわってしまうのは、誰にもそうなる可能性はあります。

しかし、自分に降りかかる出来事が、すべてが上手くいかない、という苦しい状況になったならば、出来事という結果から逆算して、自分の方法や手段の認識が本当に望ましいのか、今一度考えてみるという学びを、与えられているのではないか、と、受けとめることも大事だと思います。

他人の意見やアドバイスも、(それが必要な場面では)素直に受けとめられるような、バランスを心掛けて思考や行動をしてみるといいと思います。

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2012年9月17日 (月)

仕事は、ひとりでやるものではない。

会社の中で仕事をしていく、というのは、「組織」として仕事をしていく、ということです。自分の担当業務が、たまたま、個人で行うものだったとしても、ひとりだけで会社を回しているのではない以上、自分は組織の一員であるという認識を持つことは大事です。

この世の物事や出来事というのは、目に見えないエネルギーの作用がさまざまに関わりをもっています。表面だけではない、いろんな兼ね合いがあるわけです。たとえば、同じ要素のあるものが引き合うという、「波長の法則」のように。

組織として仕事を行う以上は、エネルギーレベルで同調したり、感化したりという、作用を「与え合う」「受け合う」わけで、仮に、自分の業務形態が、他の社員との繋がりが薄い形態のものだったとしても、自分ひとりだけの、自己完結というのは、あり得ません。

現実的な関わりはどうあれ、見えない部分も含めてとらえていくなら、仕事とは「そういうもの」だと思って、他の社員たちとの良い関係、風通しのよいコミュニケーションを築くように心掛けるほうが望ましいです。

仕事が上手くいかない、社内での自分の立場が不安定、特定の人との関係に問題がある、という相談のうちの、少なくない比率で、「自分のやるべき仕事はきちんとしているのに、なぜ、このような問題が出てくるのか分からない」と、認識しているケースがあります。

そして多くの場合、「(自分はきちんとしているのだから)相手が悪い。相手に問題がある」と、とらえていることが多いです。

それは、たとえば、提出すべき書類をきちんと出している、与えられた業務を遂行している、とかの、担当業務の達成度だけが「仕事」で、それ以外は仕事には不必要と、思っていることから起こる、認識の違いです。

そして、そういう人の多くは、人間関係を作っていく大切さを重要視していなくて、人間関係に対してクールでドライな点は、自分の個性なのだから、周囲の人達が認めて尊重するべき、などと、思っていたりします。

仕事というのは、「人間」がやることですから、コミュニケーションをとっていくことは大事です。といっても、仕事の関係に、まるでプライベートのような、密な付き合いをすべき、とかの意味ではありません。

そこまでは必要ないにしても、「業務だけやればいいのでしょ」のようなドライすぎる態度をしている人のことを、好意的にとらえてくれたり、尊敬してくれたりする人は、ほとんどいないことを、覚えておくほうがいいでしょう。

その態度が通用するのは、営業成績が桁外れに高くて、その人により会社の利益が左右されるような、大きな影響力を持っている場合だけです。そんな人は、滅多にいませんよね。

仕事そのものは、理性で行うものであり、感情は関係ない、とはいっても、その仕事を遂行する人間には、感情がありますから、それは個人的な好き嫌いという意味ではなくて、最低限の人づきあいを考慮する人としない人がいたら、一般的にどちらに好感を抱くか、という点を考えてみればわかることです。

仕事がとても忙しいとしても、ほんの少しくらいの世間話の時間は取れるだろうし、自分はそういう行動が好みじゃなくても、たまにはランチに付き合って、会話をしたりすることや、笑顔で挨拶をするなどの、親しみやすい雰囲気を演出することなども、とても大切です。

仕事は、自分ひとりでやっているのではないです。仮に、担当業務が、人との関わりがとても薄くて自分だけで行う類のものだとしても、その作業を、会社の利益に繋げる営業をしたり、給与を振り込む手続きをしてくれたりする人は、必ず存在します。

そういう人達への、感謝と、お互い様という思いがあれば、つまり、そういう組織全体を考える視点をもっていけるならば、「自分の業務だけ達成すればいい」という捉え方には、ならないはずです。

ということは、逆に考えれば、「自分の業務だけやればいい、それ以上の人間関係は仕事と無関係」、という態度をしている人は、自分が関わる目の前の事柄のみに視点があっていて、組織全体という考え方をしていない、ことになります。・・・それでは、組織の中で、浮いてしまうこともあるでしょう。

人間関係というのは、とても疲れるし、面倒だし、苦しさがたくさんありますsweat02。しかし、人間関係が、知識を与えてくれることもあれば、やさしさや元気を受け取ることも、感謝や愛の気持ちを体験させてくれたりすることもありますshine

そうして、支え合って、影響を与え合って、組織という仕組みが作られています。

多くの人が関わっていて、見えないエネルギーレベルでも、さまざまな要素が影響しあっている、という理解をしていき、自分の仕事に対する態度や考え方に、偏りはないか、という点を、改めて考えてみましょう。

自分が良い仕事ができるようになることや、学びを得て、さらに成長していくためにも、そういう考え方を習慣にしていくことは有効だと思います。

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2012年9月16日 (日)

同性にも、異性に抱くような好意を抱いてしまう?

同性に対しても、異性と同じように恋愛感情のような好意を抱いてしまうことがあり、自分は、異性愛者なのか、同性愛者なのか、よくわからない、というご相談をいただくことがあります。

実は、このようなご相談は、少なくはありません。同性も、異性も、結局は、人間関係のひとつですから、尊敬出来る要素を持っている相手や、刺激を受けられるとか、安心できるとかの気持ちが揺れ動く相手には、好感を持っていくものだと思いますし、それが、恋愛感情的な思いに結びつくのも、ありうることです。

同性も異性も、性別で分け隔て無く、好きになることがある人は、「人」という存在を区分けなくそのままで捉えていて、性別では判断せずに、相手の良いところを見ていく、というような視点の持ち方を備えている方に多いようです。

そして、そのように、恋愛感情の対象性別があやふやで、同性愛者というわけでもない、異性を好きになることも普通にある、という方は、前世の影響が作用している場合もあります。

たとえば、前世で、片方の性別ばかりをたくさん経験している人が、たとえば女性として生まれることが多くて、そうなると男性が恋愛対象となっている人生を積み重ねていますので、その名残?で、なんとなく、男性を好きな感覚を残していながら、今回は男性にうまれているので、女性を好きな気持ちも持ちながらも、たまに、男性にも(前世の習慣?のように)好意を抱くことが出てきたりもするのです。

または、直前の前世での性別が、今回の人生での性別と違っていて、直前の前世での影響が強烈なときには、やはり、近い前世のほうに影響をうけやすいところもあります。

その感情のパターンを強く持った状態で、今の人生を生きている場合もあり、そうすると、前世で恋愛感情を抱いた相手と共通する何かをもった相手が、今回の人生で、同性であったときにも、恋愛感情を持ちやすくなることがあるようです。

同性に抱いた恋愛感情を、どう扱ったらいいのか分からない、と悩む方は多いのですが、その前に、以下のような点を考えてみていただきたいと思います。

これは、同性も異性も両方好きになることがあり、中でも、どちらかといえば、異性を好きになることが多い方に向けての、「同性を好きになった場合の、自己分析の仕方」のひとつとお考えください。

もしも、その相手が、同性ではなくて、異性ならば、相手に思いを告げるのか、お付き合いを望むのか、という点を考えてみます。たとえば、女性が女性を好きになっていたとして、その相手がもしも男性だったならば、(異性と恋愛をすることに不自然さはないですから)思いを告げたり、または、お付き合いをすることを望んだりするだろうか、と、そこを想像してみてください。

その分析の答えが、「仮に、好きな女性が男性であっても、思いは告げない」となるか、または、「もちろんその女性が男性ならば、お付き合いをしたいと願う」となるか、それにより、感情の扱い方が変わってきます。

前者のほうの答えになる人は、そもそも、恋愛そのものに対する、何かスムーズにいかない思考パターンを抱えている場合が多いです。相手の性別がどう、ということ以前に、異性間であっても、恋愛のやりとりを苦手にする何かが、おそらく存在していて・・・、目を向ける要素は、そちらのほうだと思います。

仮に異性であっても、何も前進しないのならば、問題点は、相手が同性であること、ではないと思われるからです。むしろ、自分の恋愛の苦手意識を、同性を好きになることに転化させていて、「異性であろうと、恋愛そのものが苦手」なのに、「好きになったのが同性だから、どうにも動くことは不可能だ」という状況をつくりあげて、成就しない理由に「してしまっている」こともあるのです。

それは、実は結婚を恐れていて、(結婚を避けるために)不倫を繰り返しては、「不倫だから、結婚できない」ことに「してしまう」人のパターンに似ています。

なので、こちらに当てはまる人は、同性とか異性とかよりも、まず、(相手の性別とは無関係の)恋愛関係という間柄とか、恋愛への苦手意識とか、そちらのほうを、考えてみることが必要になると思います。なぜ、異性であっても、思いを告げないのか、お付き合いを望まないのか、その理由のほうを、考えていくことが大事だと思います。

きっと、いままでに、異性を好きになったことがあっても、そのときの恋愛は思うとおりにいかなかったり、何かしらのトラウマとなるようなものがあったり、「恋愛への苦手意識」が見えてくるのではないかと思います。

そして、後者のほう、「その相手が異性ならば、お付き合いをしたいが、相手が同性だから、という点で、悩みや葛藤がある」、という結論になる人も、いると思います。

本来の、「同性を好きになってしまう」という悩みというのは、後者のタイプだと思います。(前者は、性別以前に、恋愛そのものを苦手にしています)。

なので、後者の人達は、ここから、自分の悩みの内容に向き合っていくことになります。そして、そうなる人は、それほど多くはなく、同性も異性も好きになってしまうことがある、と悩む人は、前者のパターンがずっと多いのです。

悩んでいる方は、ここに書いたことについて、まず、分析することからスタートしてみてください。そして、そもそもの悩みの根源はどこなのか、という点を把握して、そこから、何をどうしたらいいのか、という順番での思考がスムーズだと思います。

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2012年9月13日 (木)

手から出るパワーが大きい人(2)。

前回の続きですが・・・、手のエネルギーが大きくて、扱うものに、自分のパワーを乗せていけるタイプの人がいます。

そういう人達は、手のオーラが活性化していますので、エネルギー透視的にそれらを把握することができます。

それ以外では、守護霊の方達の表れ方で把握をすることもできます。これは、私だけの独自の霊視のされ方、可視化のされ方、なのかもしれません。

「手のエネルギーが大きくて、扱うものに、パワーを乗せていくことができる人」とは、言うなれば、物を扱うこと、道具を扱うことが得意、でもあるので、守護霊の方達も、それを示すかのように、何かの「道具」をもって、出てくることがあります。

たとえば、楽器を持って出てくる、などです。

そんな場面になったら、「このことを、伝えたいのだな」と判断することにしています。

その、持ち物ですが、実際に、ご相談者様に関連する道具の場合もあれば、そうでない場合もあります。

前者は、たとえば、絵を描く道具を持っていて、実際に、ご相談者様の仕事や趣味で、絵を描くことがある、などです。

後者は、守護霊の方が、絵を書く道具を持っているのに、ご相談者さまの日常では、絵を描くような行動に関わりがない、という場合です。

後者の場合は、その道具自体を使う、ということでなくて、シンボリックな意味をもっていて、「道具を使うのが得意である、という事実」をおつたえするため、のようです。

この見分けが難しいので、私は、いつも本当に困ってしまいますが(^^;)・・・、そういう性質を持っている方は、いろんな場面で、活用することもできるでしょうし、すでに活用している場合も、知っていると、より自信を持って取り組むこともできますよね。

起こることや関わることはすべて必然ですので、手のパワーが大きい人は、自然に、導かれて、資質を活用していることも多いと思われますので、あえて、仕組みを知らなくても不都合はないのですが、知識としてそういう関連があると分かっていると、意図的に何か活用出来る場面もあるかもしれないので、記事にしてみました(^^)。

手からパワーが出ていて、品物に乗るような『手』というのは、たましいが備えている性質として、この世に生まれたときから、先天的に持っている性質、というケースもあります。

が、後天的に、今回の人生の経験の中で、つまり、生まれた後で、その性質が育つような、活性化していくような行動をしているために、培われた、後天的な影響の場合もあり、通常は、その両方の「掛け合わせ」だと思います。

後天的な要素としては、やはり、使っているほど活性化しやすいですので、道具を扱ったり、物に思いを込めて何か作ったりしている人は、備わっている性質を、より発達させていく、という作用のある行動を、自然に行っていることにもなります。

パワーを込められる「手」になるには、または、その性質をより伸ばしていきたい人は、その「性質」を「使う」という行為の積み重ねが、底上げになってくれますので、楽しみながら、自分自身を育てていく、という取り組みもいいと思います。

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2012年9月12日 (水)

手から出るパワーが大きい人。

オーラは、体の周囲全体を取り巻いていますが、その中で、オーラが集まって居るような場所と、逆に、オーラが薄くなっているところなどの、密度の差のようなものが、存在します。

強くでているところは、その部位がエネルギー的に活性化している、ということで、薄くなっているところは、その逆となります。

手や頭の周囲というのは、誰でも、(全体と比較して)オーラの密度というか、集まり具合のようなものが、強くなっているものなのですが、それは、手や頭は、よく動かす部分であること、よく使う部分であることが関係していると思われます。

そのように、ほぼ全員に、よく使う部位のオーラの集まり具合の差は、存在するのですが、中でも、手のひらに、オーラが集まっていて、エネルギーが強く放たれているような方が、いらっしゃいます。

そういう方は、自分から放たれるパワーを、物に乗せることが上手です。というか、意図しなくても、触れたものが、自然に、その人のエネルギーを帯びていくのですけれど。

なので、そういう「手」を持っている人の作った料理は、その人のパワーが乗っていくので、同じ材料を使っていても、なんか不思議と美味しくなりますし、食べた人が元気になったり、癒されたりすることもあります。

創作系のお仕事や趣味を持っている方だと、その作品にエネルギーが乗っていき、見る人を引きつけたり、強い印象を与えるような、魅力のあるものを作り出すこともできるでしょう。

整体や、カイロプラクティック、アロマトリートメントなどの、ボディーケア、または、美容師さんや、メイクアップなど、手をつかって、相手を整えることにも資質を発揮することもできるでしょう。

その人が手を掛けて育てた植物や作物が、とても良く育つという特徴がでることがあるのも、よいエネルギーを持っていて、それを物に乗せられる手をしているため、という場合もあるでしょう。

有名人に会うと、皆、その人の書いたサインをほしがったり、握手をしたくなったりするのも、その人のエネルギーが帯びている物が欲しい、とか、手に触れることで、自分がその人の発するエネルギーに触れたい、という感覚も、含まれてのことなのかもしれません。

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2012年9月10日 (月)

霊に関する未知ゆえの恐れを、既知の安心へと変えていく、仕組みの理解。

以前のご相談で、「眠るのが怖い、と感じることがある。それは、「誰かが、来るのではないか」と、思ってしまうから。誰も来るわけないと分かっているのに、気になって、怖くて眠れなくなる」というものがありました。

このご質問に対して、「それは、実際に、霊が来ているんですよ」とお答えしたのですが(笑)、これは、怖い話ではありませんcoldsweats01

以前に、「霊的エネルギーを感じやすいのは、目覚める直前と眠りに入った直後」という記事を書いたことがあります。内容は、「眠りについた直後」と、「目覚めの直前」は、気配などを感じたり、不思議な感覚を体感したりしやすい、というものです。

なぜ、そうなるか、という仕組みの説明は、過去の記事のほうに書いてありますので、そちらをご参照いただければと思います。

その仕組みを当てはめると、寝入りばなに意識が広がり、知覚しやすい状態になったときに、何かの事情で霊が近くにいた気配を、おそらく「無意識レベルで」感じたことが何度もあって、しかし、表面の意識では、それをどう解釈してよいのか分からないでしょうから、「寝ると、誰かが来る(のを、感じる)」という「感覚」が刻まれたのだと思われます。

寝る都度、何かが来るわけではないけれども、そして、仮に霊がいるとしても、何かをするわけでもないのだけれども、自分と異質な気配がすることに、警戒する感覚がつくられていて、「寝ると、(誰かが来る、という気がして)怖い」と、感じてしまったのだと思われます。

このご相談に限りませんが、「何が、そう思わせる原因なのか」「なぜ、そう感じるのか」という仕組みを知ると、それだけで、納得がいくので、恐怖心や警戒心が薄れて、だんだんと、リラックスできるようになっていって、平気になることも多いのです。

すべてに言えますが、未知のものは(何が起こるか分からないので)怖い、と感じますよね。知っているものは、安心があります。

何が解決したわけでも、変わったわけでもないけれども、自分のとらえかたが変わっていくと、それは理解が深くなっていくこと同じですので、それだけで、未知の警戒心がなくなり、既知の安心が生まれ、落ち着いてとらえていくことができるようになる、という仕組みです。

このようなケースの場合は、ご本人に、そういう霊的なものを察知する感覚が強く備わっているゆえ、だと思いますので、仕組みを含めて理解をしていき、警戒心や恐怖心を、安心に変えていけると、その察知する感性を、望ましい方向へ、たとえば、クリエイティブな感性とか、ひらめきやアイデアを受けとめる器として、活用することもできるようになるでしょう。

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2012年9月 9日 (日)

過剰な解決思考。

男性と女性の会話が、かみ合わないことがある理由のひとつに、男性の物事の捉え方が、解決思考になっていることがあげられると思います。

女性は会話そのものに目的がないまま話をする(ただ、言いたいから言っていて、意見を求めているわけではない、とか、世間話で時間をつぶすことも楽しくストレス解消になることがある、など)こともあり、

しかし、男性にとっては、会話とは、目的があってするものであり、話しかけられたら、その話題への回答を示さなければならない、かのように思っているなど、基本、解決にむかって意見のすりあわせをして行くのが話し合いの意義である、と、とらえているところがあると思われます。

そのため、女性は、「男性が自分の話を聞いてくれない、気持ちを分かってくれない」、と不満になり、男性のほうは、「女性の愚痴やウワサ話に付き合わされるのがストレス」だ、と受けとめてしまい、すれ違いが起こることもあります。

男性の思考回路は、物事を解決するために行動をする、解決にむかって進んでいく、という前提の、解決思考を(女性よりも)強く持っている、という違いがあります。

記事のタイトルは、「過剰な解決思考」なのですが、これは男性ではなくて、女性の話です。解決思考が、過剰になるのは、男性よりも女性に多いです。

男性はメカニックなことが得意とか、女性は地図が読めない、などのように、男女の性別の差による特徴的な要素はいろいろありますが、しかし、男性でもメカニック系が苦手な人ももちろんいますし、女性でも地図を読むのが得意な人もいますよね。苦手、出来ない、読めない、といっても、それらが全く出来ないという意味ではないですから。

しかし、やはり、性質的にそれを得意としている人と、そもそも、得意としてない人とでは、その要素の扱い方や、自分の消耗度、バランス感覚などに、差が出てきてしまうこともあります。

解決を前提とした思考というのは、多くの男性が、ごく自然に持ち合わせている感覚です。なので、彼らにとって、そういう考え方は容易にできるので、それほど極端に、行き過ぎ、になることも少なく、バランスが取れます。

けれど、女性にとっての解決思考というのは、男性ほどには、馴染んでいるものでも、得意で容易なものでもないので、「やり過ぎ」になる場合が、しばしば起こり得ます。

○○ねばならない、○○であらねば、というような、完璧主義の行き過ぎで、とにかく、今の立ち位置から、解決に向かって進まない状態を認められなく、解決というゴールは決して近くはない状況からでも、力いっぱい前進してしまい、深追いになり、その(ゴールに向かう、という)思考のパターンから抜け出すことができなくなっていくことがあるのです。

なるようになると委ねていくとか、時間を置いて様子を見るとか、その出来事から意識を少し離していくとか、そのような「力を抜いた対応方法」が取れずに、力いっぱい解決というゴールに向かう、それ以外の思考が思い浮かばなくなり、自分を消耗させてしまいます。

男性は、優柔不断な人が多い、などと言われますが、確かに、そういう傾向はあるように思えますがsweat02、ある意味では、だからこそバランスがとれているというか、優柔不断なところがある人が解決思考をしていることで「適度」になっているところもあるかもしれません。

逆に言うと、優柔不断ではないタイプの女性が、解決思考になると、その真面目さや一生懸命さやバイタリティーの高さゆえに、「過剰」がつくられてしまうことがあるのかと思います。

本来、男性ほどには、解決思考が得意ではない女性が、解決思考を併せ持って、物事に臨んでいくのはとても素晴らしいことなのです。が、それも、適度というバランスがあってこそで、どんなことも、過剰になっては、不調和をつくりだしてしまいます。

そうならないように、解決「だけ」の思考にならずに、委ねる気持ちや、保留にするなどの、力を抜いた対処法も、同時に考慮していくとよいと思います。

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2012年9月 8日 (土)

「広がりすぎ」なオーラ。

オーラには、その人のさまざまな特徴や個性などが反映していきますので、オーラの様子から逆算すれば、その人の今の状態を、ある程度把握することが可能となり、改善点を示すことなども可能となります。

オーラが大きいと、影響力を発揮できたり、さまざまなものを引き寄せたりすることもできる力が増していきますので、「一般的には」小さいよりは、大きいほうが、より能動的で創造的な生き方ができる、といえます。

けれども、大きければ何でもいい、大きいほどに素晴らしい、とはならず、「オーラ全体のコンディションを総合的にとらえて、その人に見合った範囲での大きなオーラ」となっていることが大事なのです。 その人の備えている器の範囲において、大きく広がっている状態が望ましく、本来の範囲を超えて、変に広がっている状態は、「広がりすぎて、整っていないオーラ」になります。

その人の人格が成長した反映として、オーラがより成長して大きくなっているのならいいのですが、成長のないまま、オーラだけが広がっていくと、オーラの状態は整わず、サイズは大きいけれども、隙だらけで、密度の濃淡のある、バランスの悪いオーラになってしまいます。

たとえば、うどんを手作りするときに、仮に100gの粉から、1メートル四方の生地に延ばすのが普通の状態だとします。

それを、2メートル四方まで延ばそうとしたら、生地が薄れて、ところどころ、穴が開きそうになったり、テーブルの大きさを超えて伸ばすことになれば、作業上の範囲として手に余ってしまい、均等にならずに、厚いところと薄いところができるなど、ばらつきがでると思います。

粉の量をそのまま、生地を大きくするためには、水を増していけば多少の効果はありますが、その分、弱々しいものになり、コシのないうどんになってしまうでしょう。

そういう現実的な事柄と同じで、「オーラが、本来の範囲を超えて、変にひろがっている状態」というのも、どこかに不調和が生じる、無理のかかった状態なのです。

オーラが大きい人は、影響力を発揮できます。例えて言えば、2m四方の赤色と、1m四方の白色を混ぜると、赤よりのピンク、になるのと同じで、大きなオーラの人は、複数の人の中で影響力が大きくなります。

オーラが変に広がりすぎになっているとき、とは、「本来の自分の責任や影響力の範囲を超えて、主導権を取ろうとしたり、他人をコントロールしようとしたり、自己主張をしたりする気持ちが、過剰になっているとき」です。

主導権を取りたい気持ちや、他人をコントロールして支配したいときに、影響力を強くしたい思いと結びつくのは、イメージがしやすいと思います 。

自己主張は、表面的には、それとはちょっと違うように思えるかもしれませんが、主張をするには、主張を聞いてくれたり、受けとめてくれたり、反応してくれたりする、観衆が必要です。突き詰めていけば、他人を自分の支配下に起きたいという、コントロールの欲求に繋がることになります。

自分はすごくて何でもやれるはず、と、自分の器以上のことをやろうとしていたり、または、「ねばならない」「●●べき」のように、理想を高く持ちすぎたり、完璧主義だったりして、自分の力の及ぶ範囲を超えている状態になると、「オーラが大きくて望ましい状態」とはならず「変に広がって、バランスの悪い状態」になってしまうこともあるのです。

ただし、成長の過程で、さらに一段のぼっていく途中経過では、一段上の場所で自分に負荷を掛けていくことになりますので、つまり、今までよりも難しい学びに取り組みますので、その状態に馴染むまでには、「一時的に」上記のようなオーラになることがあります。

しかしそれは、順調な成長の過程での、一時期の状態に過ぎませんので、いずれ、その学びに見合う自分になっていけば、オーラの広がりは保ったまま、その他の要素のほうが、大きさに追いついていくのであれば、問題はないでしょう。

大きければ良い、多ければ良い、のような基準は、物質的価値観です。表面だけでは計れないのが、動機やプロセスその他、先の成長までをもとらえていく精神的価値観ですので、仕組みを含めた理解をしてくことで、自分の成長のための、さまざまな方向性が見えてくると思います。

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2012年9月 7日 (金)

守護霊に感謝すると、得をするか?

「守護霊に、感謝の気持ちを持っているほうが、たくさん守ってくれて幸せになれますか?」とか、逆に、「守護霊にいつも感謝しているのに、まったく効果が表れないのは何故でしょうか」というご質問をいただくことがあります。

そういう質問がくる時点で、「守護霊とは、魔法のように、自分を助けてくれるもの」とか、「感謝すれば、嬉しくなって守ってくれる存在である」という、曲解があります(^^;)。

前者のほうは、「守護霊は、私たち人間が成長するための導き役であって、何でも望みを叶えたり、災難を取り除いたりしてくれるような、便利な魔法使いではない」こと、後者のほうは、「守護霊は、嬉しいからよく働く、感謝されないから力を貸さない、などのような、損得勘定で動いている存在ではない」ことを、仕組みを含めて理解することが大事です。

守護霊になる存在というのは、好き嫌いとかの個人的感情で動くのではなく、その人に必要な導きをおこなっていく、という、霊的真理に基づき(そうする必要があれば)動くのであり、進化向上した存在ですから、人間的な感情のようなものは超越している存在です。

感謝すればするほどよく守ってくれる、とか、感謝がないと力を貸さない、とか、そんなことはあり得ません。

その理屈でいくなら、スピリチュアリズムに関心がなく、守護霊という概念を持たない人は、意図して感謝をすることは、ほぼないでしょうから、何も導きを得られないことになってしまいます(^^;)。

けれど、では感謝することに、全く何の意味もないのか、してもしなくても変わらないのか、というと、そうではありません。

感謝という「思いのエネルギー」は、本来は、純粋で明るいエネルギーであり、そうした思いを抱いている、発している人は、自分の波長が高くなっていきます。その、状態の変化、自分自身の向上によって、いろんなことが、「波長の法則」で、より望ましいものが引き寄せられたり、シンクロがあるなどの作用が起こって、総合的に考えていけば、よい作用が見られるでしょう。

そういう広い解釈でとらえていくなら、感謝の思いをもつのは、(その対象が、守護霊のみに限定されず、誰であっても)よいことですし、自分が発したものは、自分に返ってくる、という「カルマの法則」もありますので、感謝の思いをもつこと、感謝できる自分でいられることは、とても大事であり、望ましい状態でもあります。

しかし、感謝という行為を行っているのに、

>「守護霊にいつも感謝しているのに、まったく効果が表れないのは何故でしょうか」

というような状態になるのは、どうしてか、というと、

それは、このようなケースは、純粋に相手に対してお礼の気持ちがわき上がるような感謝ではなく、「感謝すれば、自分にメリットがあるから」という、損得勘定の動機に基づく、表面的な形だけの感謝だから、でしょう。

現実的な人間関係に置き換えると、頂き物をしたときに、「お礼を言っておけば、また次も、何かくれるだろうから、お礼を言うほうが得をする」という損得勘定での、発言のようなものです。それは、純粋で明るい思い、とは、言えないですよね。

損得勘定が悪いということではなくて、この物質社会で生きる以上、そういう考え方が必要な場面も多々ありますが、しかし、その考え方が、何でも当てはまるわけではありません。

霊的真理における考え方としては、あまり極端になっても、たましいの観点からは望ましくない、ということを、「守護霊に感謝しているのに、思い通りにならない」という結果を伴って、教えられている、学びを与えられている、と、受けとめることもできるのではないでしょうか。

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2012年9月 4日 (火)

適性「だけ」で、職業を選ぶのは現実的ではない(こともある)。

仕事についてのご相談で、この職業は自分に向いているか、適性はあるか、という、その点「だけ」に、こだわり過ぎている人が多いと感じます。

適性があれば、すべてが上手くいく、その職業につけば成功する、・・・などということはなく、自分の向き不向き以外の、さまざまな外的要素が関係してきます。

なぜなら、仕事というのは自分ひとりでやるものではなく、必ずそこには、他人との関わりがあり、環境・状況との兼ね合いもあるからです。

趣味ならば、自分に向いているものを選べば、上手くできることは多いでしょう。しかし、仕事は、向いているか否か、だけでなく、さまざまな付随する要素が強く関連をもっています。そのことについて、例をあげて考えてみます。

以前にいただいたことのある相談で、「バイヤーになりたいが、適性はあるか」というものがありました。実は、しばしばいただくご相談のひとつだったりします。

バイヤーというのは、流通業での仕入担当、買い付け担当で、お店に並ぶ商品を仕入れたり、交渉したりする、センスを要求される仕事ですね。

なので、このようなお考えを持っている方というのは、自分のセンスを生かした仕事がしたい、とか、自分の選んだ商品を、お客様に届けるような仕事をしたい、という、アーティスティックな感性をお持ちの方が多く、そのセンスをいかせる職業という認識があるため、なのでしょう。

しかし、その人に、大きなセンスがあるとしても、それ「だけ」では、バイヤーになることは、現実的には難しいと思います。

そもそも、バイヤーという単独の職種の求人を、しかも、(経験者ならともかく)未経験者に対しておこなう会社は、まずない、といっていいでしょう。

仕入れる、買い付ける、って、ものすごく大きなお金の動くことですからね。「売れるとおもったのに、売れませんでした~」では、お話になりません。その損害はどうするの?と、なってしまいますから。

仕入担当、買い付け担当というのは、高額の代金を決済できるような権限のある人がおこなうのが普通なので、商品を選ぶセンスがあるとかないとかの要素だけでは、その立場になることは難しいものだと思います。

そういう現実的なことにも、目を向ける必要があります。バイヤーになるためには、バイヤーという職種が存在する会社を選んで、まずは入社して、内部の移動でそれを目指していく、などのように、長期戦で考えていくことが現実的であるように思います。

私の知り合いの方が、食品メーカーで営業をしていて、その方から、こんな話をきいたことがあります。

系列の店舗が何店もあるような大手のスーパーの仕入担当、バイヤーというのは、社内では、課長クラスの人になるそうです。課長クラス、というのは、人事異動があって、本部から、店舗に異動になる際には、店長になるくらいの立場の人だそうです。

それくらいの権限のある立場にならないと、会社の売上げを左右するような、仕入担当、買い付け担当には、なれない、ということですよね。

会社の規模によって例外はあるでしょうけれども、商品セレクトのセンスだけ、良い物を見分ける感覚というだけでない、経験から身につく感覚なども、必要になってくるため、だと思います。

その知り合いの方は、スーパーの本部から、「うちの会社に転職して、バイヤーにならないか」と、よく誘われる、と言っていました。結局、売る側になるか、仕入れる側になるかの違いであって、仕事の内容はそれほど大きく変わらないから、やろうと思えばやれるし、実際に、メーカーの営業マンが転職するケースは多いらしく、その方も、「道外に転勤しなくていい、という環境は魅力だから迷う」と、言っていました。

そのように、メーカーでの経験が、商品知識、その業種そのものへの理解として買われて、バイヤーに転職できることも、あるのかもしれません。内部からの異動も、外部からの引き抜きも、どちらにしても、センスだけで選ばれているのではない、というのが、これらの話からも分かると思います。

センスが要求される仕事でも、(自営をするなら別ですが)組織で働くならば、いろんな要素が関わってきます。

学生さんが新卒で就職を考える場合は、世の中の仕組みを何も知らないので、いろんな夢いっぱい,希望いっぱいになるのはいいとして、すでに社会に出ている大人が、改めて、仕事について、転職について考える場合には、そのことが、自分に向いている、向いていない、適性のあるなし、だけではない、広い捉え方も大事だと思います。

適性を考慮しなくていい、という意味ではないです。それももちろん大切だけれども、現実の組織の仕組みや、お金の流れの知識や、いままでの経験を活用できることが、大人としての、社会を経験している人の「強み」なのですから、「備えているセンスや才能」と、「現実的な社会性」との掛け合わせで考えていくことが、仕事の考え方として、大事ではないか、と思うのです。

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2012年9月 2日 (日)

スズメからの恩返し?

私の親戚の、ある女性の話です。その方は、お家の敷地内で、いつもスズメに餌を与えていたそうです。隣接しているお宅の、大きな木に、スズメがたくさんきて、ヒナをつれている様子を見ていて、いつのまにか、餌をあげるのが習慣になり、スズメも餌があることを期待して、毎日同じくらいの時間に集まってくるようになったとか。

その方はとても優しい性格なので、スズメもそれを分かっているのでしょうか、姿を見かけると、そばに寄ってくるのだそうです。犬や猫のようには慣れたりはしないけれども、動物の本能で、優しい雰囲気とか、攻撃的な雰囲気とかを、見分けていたりもするのかもしれないです。

あるとき、その様子を見ていた近所の方が、「スズメのために、そこまでしてあげたら、きっといつか、スズメから恩返しがくるかもね」と、おっしゃって、「そうねぇ、そうなったらいいけれど」と、お互いに、半分冗談の、その場の世間話としての、気にも留めない程度の会話をしたことがあったそうです。

ところが、翌日、お家の外で飼っている犬の、ご飯の容器の中に、きらっshineと光るものが入っているのに気づき、近づいてみると、そこには、「150円」が、入っていたのだそうです。

スズメから、恩返しがくるかも・・・、そうなったらいいね、というような会話を冗談でしていたタイミングだったので、お金が入っていて、びっくりした、と。

たぶん、その恩返しの?150円(笑)は、天から降ってきたのではなく、カラスなどの大きな鳥が、光ってきれいだからと、加えてきたものを、たまたま器のところで落としたのではないか、とのことでしたが、

しかし、ちょうど、そういう話題をしていたときだったので、びっくりしたやら、可笑しいやら、で、でも本当に、自分がしたことを肯定されているのかな、と思えて、ありがたい気持ちになったそうです。

私もその話を聞いて、なんとなく気持ちが、ほっこりしましたね(^^)。

実際の、スズメのえさ代には、全く足りていないでしょうけれども(^^;)。

すべての出来事は必然で・・・、自分の今の状態を計るための、目安になる出来事が、周囲で起こっていき、さまざまな形で気づかされたり、学ばされたりするのがこの世という場所ですので、

優しさや思いやりをもって行動をしている人には、それを見ていますよ、という返事のようなな、「呼応」が、あちらの世界と通じ合うのだろうな、と、そう思わされました。

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2012年9月 1日 (土)

聖地巡り、有名神社巡りは、必要なのか。

スピリチュアルという言葉が一般的になって久しいですが、それにつれて、神社や聖地を巡ることも、ブームになっている一面があります。

今まで、神社などに関心を持っていなかった方が、そういう方面にも意識を向けるようになり、歴史や成り立ちに関心をもつなどして学びを得たり、気持ちをリフレッシュすることができたりするのはよいことですし、

現代での便利な生活の中では薄れがちな、自然や自然霊を敬う感性を、思い出す事にも繋がっていきますので、清らかなエネルギーに触れたり、自然のパワーを感じたりすることも、相応の効果があることと思います。

けれども、・・・当たり前のことなのですが、神社仏閣にいけば願いが叶うとか、崇高な人間になれるとか、パワースポットにいけばいくほど特殊なパワーがつくとか、そんなこと、あるはずもないです。

そういう考え方は、回数さえ多ければいい、出かけて行くという行事だけやればいい、という、内面を置き去りにした、物質的価値観による捉え方ですよね。

出掛けていくのが悪いという意味ではないです。気持ちはどこでも持てる、とはいえ、神社や聖地にいくという行動をとることで、気持ちにメリハリが生まれて、清らかな意識を持ちやすくなることはあるでしょうし、やはり、そういう場所には、実際、高いエネルギーが流れていることも多いので、高いエネルギーに触れることで感化されて、自分がリフレッシュすることも出来るかもしれません。

しかし、形だけ、表面だけ、出掛けていけばいい、お祈りのポーズをすればいい、回数が多いほど良い、有名な場所ほど良い、というような捉え方では、その場所の高いエネルギーと、同調することはできないでしょうし、

「何のためにそうするのか」という動機が、自分の願望を叶えるという欲のため「だけ」にある場合に、高い波長の霊の世界が、その欲を叶えるために動くことがあるかどうか、スピリチュアルな世界に関心を持つなら、その点をよく考えてみることが必要ではないでしょうか。

江原さんの書籍に、以下のような記載があります。そのまま載せると長くなるので、要約をまとめますが

「苦しいときに、神社仏閣などへお参りにいくことは意味があるのでしょうか」と、聞かれることがある。出向くことによって、自分の邪念をとったり、穢れを払ったりするわけで、意味がないことはない。

けれど、自分自身が思考をしていない人が、お参りに出掛けても、波長は届かない。自分の波長が低ければ、自分の守護霊ともプラグが繋がらない、その状態では、とても霊的世界に祈りは届かない。

ではどうするか、といえば、自分で自分の波長を高く変えていくこと。極端なことを言えば、特別な場所へ出掛けていかなくても、波長が高ければ、十分にあちらの世界に伝えることはできる。つまり、神社仏閣に出向かなくても、自分しだいで、自分の居る場所をすべて、聖域にすることはできる。

祈念が通じるとはどういうことか、といえば、自分がやり抜くこと。

こちらは、苦難の乗り越え方という書籍の、P108あたりに書かれているものです。

江原さんは、神主さんでもありましたし、神社へ出向くことそのものを否定しているのではなく、むしろ、聖地を紹介する趣旨の書籍も出版されています。

しかし、大事なのか、物質的価値観から、そういうところに出掛けるのが良い、出掛けさえすればいい、ということではなくて、その動機が大事であり、結局は、自分の行動がすべてであって、出向くことにも相応の意味や効果は得られるとしても、それは根幹に、自力という自主性があってこそ、という内容を、伝えているのだと思います。

受け止め方はそれぞれでしょうけれども、少なくとも私は、そのように(スピリチュアリストとして)理解をしています。興味のある方は、ご自身で書籍をご覧ください。

私は、あまり聖地巡りには興味がないほうで、伊勢には出掛けていったことがありますがとても素晴らしかったし学びはありましたが、出掛けたからどうだ、とか、効果があった、とか、そういうことは特にないと思っています。また行きたいとか、他も見てみたいとかも、それほど思わないほうです。(それが望ましいとか、正しいという意味ではなく、あくまで私個人の捉え方です)

行事やお祭りをすることで、いろんな人の祈りのパワーが集まってくることも、とても素晴らしく神聖なものであるとも、感じていますが、私は、性格が庶民的なタイプだからなのか(^^;)、有名神社の有名行事よりも、地元を大事にする考え方にも、同じくらいの輝きを感じます(^^)。

小さな町のお祭りで、地元の青年達が,一生懸命に寄付を募ったり準備をしたりして、地元を盛り上げようとしている、そんな様子が、とてもキラキラと輝いて見えます。大事なのは、規模じゃなくて、「込めている思い」なのだと、教えられるような気分になります。たまに、そういう場面が、NKHのニュースや番組などで放映されたりすると、見ているだけで、涙がでてきます。

私は、あえて、有名神社巡りや聖地巡りをする気持ちは強くもっていませんが、動機はさまざまですので、自分の中に、神社仏閣に出かけて行きたい気持ちが強くあるなら、それは、その気持ちにしたがって、出掛けていくのはいいと思います。

行動そのものに正しいとか間違いとかがあるのではなく、大事なのは動機と、その目的と、自分自身の在り方、なので、その点を忘れなければ、どこにいても、どんな形でも、崇高なエネルギーに同調していくことは出来るのです。

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