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2012年8月 2日 (木)

雨男、晴れ女。

その人が、何か行動をしようとすると(行事や外出、旅行など)、決まって天気が雨になる、タイミングの人を、男性の場合は「雨男」、女性の場合は「雨女」などと表現することがありますよね。逆のパターンで、いつも天気が晴れになるタイミングの人を、晴れ男、晴れ女、と言ったりもします。

スピリチュアリズムでは、天候などの自然現象に、自然霊というエネルギーが関与している、というふうに捉えていきます。

この世に姿を現したことのない自然霊、つまり、人間の霊ではない、エネルギーですので、その概念が当てはまる対象は幅広く、妖精だとか天使だとか、姿形を、ある種、擬人化して(私たち人間にとって)イメージしやすいエネルギーもあれば、そういう擬人化がしにくい性質のエネルギーもあります。

雨男、晴れ女、のような現象が起こりやすいのは、その人が、自然のエネルギーと(平均よりも)引き合いやすい性質をもっている、ということは、言えると思います。(平均よりも、と書いているのは、誰もが少なからず自然と影響し合って生きていて、それは、引き合っているからこその現象であり、その性質がまったくゼロの人はいないからです)

現実的に、雨が降る、という物理現象を引き起こすのは、一人の人間の性質、たとえば山田太郎さんという雨男がいたとして、山田さんが、その場所にいったから、というだけの理由で起こる、と捉えるのは、拡大解釈だと思いますし、意識過剰が過ぎるようにも思います。

その人が、仮に、とても強い自然のエネルギーと引き合う力を持っているとしても、その人がその場所にいった、という「だけ」で、何千、何万の人に影響を及ぼす天候というものが左右されてしまうということは、現実的に考えにくいと思います。(少しくらいの影響があるとうことまでは、否定はしませんが)。

雨男の山田さんが出掛ける場所に、雨が降るのは、その人が行くから・・・というよりも、「山田さんが、自然のエネルギーと引き合う力が強いことによって、何かの情報のようなものを察知して、雨のタイミングを無意識に選んでしまって、自らその場所に出掛けている」ため、という面もあると思います。

私自身は、しいて言うならば、「雨のち晴れ、女」かもしれませんsweat02。ざばーっと雨が降って、その後、カラッと晴れる、のような天気にめぐりあいやすいタイプだと思います。

会社で仕事をしていて、この資料を仕上げたら、○○社に持っていって返事を聞いてくる、という用件があるとします。そうすると、資料を作り終わる時間や、私が外に出たタイミングあたりで、大雨になったりするのですね、そして帰るころにはからりと晴れ上がっている、という、そういうタイミングになることは、とても多かったです。

でもこれは、私という存在だけが原因で、雨や晴れを、引き寄せているのではないです。たかが一人の人間ごときが、広大な自然のエネルギーを、自分の都合で左右できるはずはありません。

結局それは、自然のエネルギーと引き合う作用が強い私が、雨のエネルギーや晴れのエネルギーと感化しやすく、「雨のふる少し前のタイミング、と同調している」から、そのタイミングで雨に合ってしまう、という現象に遭遇するのだと思います。

もっと早くやっておけばいいのに、そうせずに、雨の降る時間に仕事を終える、という点が、波長の法則で、引き合っているから起こる、のでしょう。

そういう関連があって、何度も、同じ天候のパターンに巡り会うのが、その人の存在が天候を呼んでいるような感じがして、「雨男」「晴れ女」のような認識が作られたのではないでしょうか。

今回、雨男の話として「山田さん」という名前をだして、たとえを書きました。そうすると、頭の中のイメージとして、山田さんという男性の姿を、なんとなく作り上げて解釈すると思います。名前があると、そういうふうに、イメージしやすいものですよね。

それと同じ仕組みで、自然「霊」という表現も、自然をコントロールする役割の、人物としての霊がいて、その人達が集まって協議して、あちらをこうしよう、次はこうしよう、と、イメージするのが分かりやすいので、「天候をつかさどっている、影響している」ということも、分かりやすいように、自分で擬人化してとらえてしまうものかもしれないのですが、その擬人化が過剰になると、誤解・曲解に繋がってしまうこともあると思います。

天候をつかさどる自然霊の働きというのは、姿をもった霊が、予定を組んだり、その霊の個人的な意思であれこれ都合をつけたり、という捉え方をするよりも、「エネルギーとしての作用の仕組み、そのもの」が、霊的エネルギーである、というふうにとらえていくほうが、本来の様子に近い、と、私はそう思っています。

そうして考えていけば、自然の作用という広大なエネルギーを、自分という人間が、コントロール出来るかのような、思い込みは、あまりに突飛な想像だとわかります。

霊を、過度に擬人化しすぎてしまうと、その「霊」を、自分に配下できるかのような、錯覚が生まれやすいのかもしれません。そういう観点からの解釈で、雨男、晴れ女のような概念を捉えることは、改めたほうがいいでしょう。

雨男、晴れ女の話とは、ちょっとずれてしまいますが、私たち人間と、自然エネルギーとの関わりは、私たちが一方的に受けていくだけ、というものではなく、お互いに影響は少なからず与え合っていくものです。ですから、私たちのいろんな思い、言動のすべてが、広い意味で、自然のエネルギーを動かしてもいる、という解釈は、間違ってはいません。

でも、それは、自分の思い通りに、自然を動かせるという意味ではないのです。たとえば、カルマの法則が、必ず自分に返ってくるという仕組みであるのはわかっていても、どう返ってくるか、いつ返ってくるかまで、把握はできないように、「仕組みとしてのエネルギー」を、(その動きが分かっていたとしても、なお)思い通りに出来るものではないのと同じです。

自然というエネルギーに対して、私たちも、影響を与えていることは確かですが、それぞれ、霊(エネルギー)としての働きと、次元の違いが、複雑に絡み合った中での関与であって、同列に明確に、一方のコントロールの配下になるようなものではない、という、働きの違いを、なんとなくでも理解していくと、私たちがこの世でスピリチュアリズムを学ぶことの意味も、少し、理解が進んでいくのかな、と、そう思います(^^)。

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