« 「他人の言動に敏感で、困っている」、という2通りのケース。 | トップページ | 憑依は、(原因ではなく)結果です。 »

2012年8月25日 (土)

精神的理解が深まるゆえの、違う苦しみがある。

私たちは、この世という世界で生きている以上、どれほどに霊的な知識や感覚を身に付けたところで、物質的・現世的な悩みと無縁になることはできません。

人としての成長を遂げると、現世的な悩み事へのこだわりが「薄れる」ことは確かですが、・・・それは、すべての物事に、何らかの意義を見出せるようになるから、起こることに納得がいく、というだけであって、悩みや不満そのものが、一切なくなるという意味ではありません。

しかし、それでも、学びがすすんでいけば、かなり(意義が見出せることから)今までとは違った世界(観)で、生きられるようにはなります。

物質的、現世的な価値観につかっているときは、たくさんの不満がうまれ、それれはすべて外からやってくる要因で、自分は悪くないのに他人が悪いと思いこんで、とても大きな苦しみの中にとらわれてしまいますが、スピリチュアルな理解が進んでいけば、そういう、物質的・現世的な価値観から抜け出しいくことができます。

精神的な成長があって、かつその成長度合いが高まっていくほど、どんなことも、(一見、他人が悪いと思うことも)カルマの法則から外れる事象はなく、すべては、自分が備えている何らかの要因が引き起こしたと納得ができるので、楽になっていけます。

けれど、それは、あくまで、理解や気づきの、ある段階を超えた先の話です。

「気づくまでには、物質的・現世的価値観特有の苦しみ」があり、そして「気づいた後は、精神的な価値観に、移行する過程での,特有の苦しみ」があります。

楽になるのは、移行期間特有の苦しみを、抜け出した、その先、になるでしょう。(・・・といっても、現世的な悩みが何もなくなる、という意味ではありませんが)

物質的価値観につかっている状態では、原因を外にもとめることから、他者を批判する傾向があります。

しかし、精神的価値観に「移行していく過程」では、現状への不満からの感情が、(以前の他者への批判から)自分への批判に代わっていきます。

先に「ある段階を超えたら」と書きましたが、そこまでいければ、批判そのものから、自然に遠ざかっていきます。

けれど、「移行しつつある段階」では、批判そのものから抜け出すまでにはいかないのです。批判という概念は、まだ抱えている状態です。

けれど、他者に向ける批判は、正しいものではない、という考えになり、今までのように周りのせいにできなくなるので、批判が「自分」に向かってしまうのですね。「こんな考えをしている自分はダメだ」とか、「この何もしていない状態が、情けない」とか・・・。

優しくてまじめな性格の人ほど、そうなる傾向があります。

この状態も、不満を他人のせいにしている状態とは、また別の辛さがあります。理想とほど遠い自分の現状が、情けなくて、辛くて・・・。テレビや新聞の向こうの惨状を思っては、家があって、仕事があって、毎日暖かいご飯を食べていられる環境にある、自分を責めてしまうこともあるでしょう。

批判などしなくてもいいような些細なことでも、自分を責めてしまって、自分が欠点だらけのように思えて、苦しさが出てきます。

人を思いやる気持ちは、尊く、世の中のさまざまな出来事に思いを馳せ、共感していこうとする姿勢は素晴らしいと思います。

しかし、人を思いやる、という、「人」というくくりから、自分を除外しないこともまた大切です。

焦る気持ちがあっても、・・・物事は、順番にしか進まないものだと思うのです。自分以外の周りの人たちのために、力になる生き方をしたいと思ったら、自分を責めすぎずに、自分をしっかりと打ち立てて、揺らがない意思をつくっていきましょう。

移行期間特有の、自責の気持ちというのは、さらに大きくなるための、プロセスを経験している、と考えていけばいいと思います。そして、いつかは、抜け出していき、自責の念に捕らわれたその経験すらも、貴重な学びとして、いかしていくことが出来るときが、きっとやってきます。

苦しさという「感情」に浸っている場合ではない、「愛」という「本質」を、自分が体現していく、それこそが、成長であり、学びであり、そして、世の中のためであり、結果として自分のためでもある、と、はっと気づく、「そのとき」が、必ずやってくるのです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

|

« 「他人の言動に敏感で、困っている」、という2通りのケース。 | トップページ | 憑依は、(原因ではなく)結果です。 »

09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

初めまして。
いつも拝見させて頂き、勉強しています。

毎回思うんですが、今の自分にタイミングの良い記事ばかりです。

仕事がら「愛」を持って接しているつもりですが、家族などには甘えている自分が居ます。
イケナイなぁ~って思うんですが。(笑)

仕事も家族も区別なく、「愛」を体現出来る様に頑張りたいです♪

これからも素敵な記事を楽しみにしています!

投稿: びらすろ☆ | 2012年8月25日 (土) 14時41分

人を思いやる、という「人」というくくりから
自分を除外しないことも大切。

このことに、どうして今まで
その「人」に自分を含めていなかったのだろうと愕然としました。
怪我をしてる人に、重いものを持たせることなんてしないのに
相手が自分となると、どれだけ拷問みたいなことしてたのだろうと今になって思います(^^;)
人にだったら強いないのに…。

いつかほんとにひとつに思える日が来ますように。

素敵な気付きをありがとうございます。

投稿: すみれ | 2012年8月25日 (土) 17時06分

*びらすろ☆さま

>毎回思うんですが、今の自分にタイミングの良い記事ばかりです。

それは、ご覧になっている多くの方が、思うことのようです(笑)。自分のために書いているのではないか、というくらいに、内容が当てはまる、と(^^;)。ある意味、それらも、波長の法則、なのでしょうね、その内容を必要な人が、引き寄せられて、ご覧になる、という必然なのだと思います。

投稿: リカコ | 2012年8月25日 (土) 18時31分

*すみれさま

「人」=他人、と思ってしまいますからね・・・。自分もまた、他人からみれば、その他の人、であり、お互いの思いを共有しあっているのがこの世ですので、とても大きなくくりでいえば、すべてはひとつ、なのでしょうね。ただし、なかなか、そうは思えない、個別の感情をもっているのが人間、とも言えますけれども(^^)。

投稿: リカコ | 2012年8月25日 (土) 18時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「他人の言動に敏感で、困っている」、という2通りのケース。 | トップページ | 憑依は、(原因ではなく)結果です。 »