« 浮気は、結果。 | トップページ | 情報を精査して、抱えすぎを改善する。 »

2012年8月19日 (日)

なぜ、自殺をしてはいけないのか?

皆様からご相談をいただく内容は、そのときの世相が反映されているものが多くなるもののようです。ここのところ、自殺について、ご相談をいただく機会がとても多くなりましたので、スピリチュアルな観点からの解釈を、書かせていただこうと思います。

あるご相談者さまが、おっしゃっていたことなのですが、江原さんの本を読んだところ、スピリチュアル的には、自殺をするのは殺人をするのと同じくらいに悪いこと、だとか、そのような表現で説明がなされていたそうです。

スピリチュアリズムに興味をお持ちの方は、江原さんの書籍はご覧になっていると思いますので、そのような内容を読んだことがある、という方も、いらっしゃるかもしれません。

自殺と殺人は、比較をするのは難しいですが、たぶん、江原さんは、「そのくらい、しないほうがいいことです」という点を強調して伝えるために、比較の表現をつかって、自殺をしてはいけない、と、伝えていらっしゃるのではないかと、私はそう思っています。

私の記憶でも、「自殺をするくらいなら、石にかじりついてでも、生き抜いたほうがいい」とか、そういう表現を使われていた本もあったような気がします。

では、実際に自殺をすると、どうなるのか、なぜ、自殺をしないほうがいい、してはいけない、ということになるのでしょうか。

それについて、ひと言で表現するならば、「肉体を失っても、たましいは永遠である」という、スピリチュアリズムの基本原則があるからです。自殺をしても、すべてが消えてなくなるわけではありません。

以下は、それらについて、さらに詳しく説明していきます。

今までにも何度も書いてきたことですが、私たち人間という存在は、「肉体という物質を伴っている、霊的な存在」です。実は、私たちは、人間であり、そして霊でもあるのです。

この点の、「私たちは、この時点で、すでに霊である」という理解は大切です。

死を迎えることで、肉体を失って、それから霊になるわけではないのです。 私たち人間は、物質的な肉体を持った存在でもあり、同時に霊でもあり・・・、同時進行で、この世でのさまざまな活動が行われていて、そして、肉体を失う、この世での死により、霊である部分だけが最終的に残っていくことになります。

「私たち人間は、霊的な存在であり、何度もさまざまなシチュエーションで、生まれ変わって、この世という物質的な場所で、あらゆる経験を通して、たましいの向上のために学んでいる」、という前提での哲学が、スピリチュアリズムです。

何度も生まれ変わって学びを繰り返していて・・・、その都度、失われていく、入れ替わっていくのは、物質的な肉体であり、霊、たましいとしての本質は、失われることはなく、引き継がれていきます。その繋がりがあるからこそ、前世というものが存在しますし、たましいの親和性のあるご縁の単位、グループソウル、というものあるわけです。

自殺をして、今回の人生が終わったとしても、同時に、霊、たましいとしての本質のところは、消滅するわけではないので、苦しさや、学びや、さまざまなカルマなど、それらは、残ってしまって、引き継がれてしまいます。

自殺をしたくなるとき、というのは、追い詰められていて、苦しみが大きく、精神的に極限に近い状態になってしまうっていると思います。

そして、死ぬことで人生を終わりにすれば、その大きな大きな苦しみから逃れることができるはず、解放されて楽になれるはず、と思ってしまうのでしょう。

しかし、実際には、死というのは、この世での肉体と、肉体を伴った活動が失われる、とういうだけですので、苦しみや学びやその他から、すべて解放されて楽になれる・・・というふうには、ならないのですね・・・。

では、自殺をすると、スピリチュアルな領域において、どんな影響がでるか、というと、「次の人生で、また、同じ学びを繰り返す」ことになります。

自殺をするというのは、学びが途中の状態で、強制リセットされたことになりますので、修了とはならず、もう一度、次の機会を得て、最初から、やり直すことにもなってしまうのです。(そのまま、まったく同じ人生をなぞる、という意味ではありませんが。学びにおいて、同じ学びをさせられる、という意味です)。

その状態とうのは、学校に似ています。途中で退学して、また学校にいこうとおもったら、改めて入学しなおしますよね。

つまり、自殺をして・・・、また次の人生を経験するときに、その途中から、学びを続けていくのではなく、最初からやりなおし、になる要素が多いのです。

その次の人生の機会が与えられたら(それは、簡単なことではありません。望めばすぐにいつでも生まれてこられるわけではありません)、時代や、国や、家族構成その他、いろんな状況は違っていても、「学び」「課題」は、その人のカルマという部分においては、同じ要素に取り組んでいくことになります。

ですから、江原さんは、「苦しくても、石にかじりついてでも、今の人生を、生き抜くことが大事」と、そのようにおっしゃっているのだと思います。

もう、5~6年も前だと思いますが、江原さんが、札幌のホテルでトークショーを行ったことがあって、私は、当時働いていた会社を早退させてもらって(^^;)、お話を聞きにいったのですが、そのときも、自殺についての話題がでました。

江原さんは「(当時、放映されていた)オーラの泉で、ゲストの方の中に、前世で自殺をした人というのは、少なからずいる。それを、はっきりそうと告げることもあれば、ぼかして言わないこともあるけれど・・・、たとえば『あなたの今回の人生は、25歳からが切り替わりで、そこからが本当のスタートですよ』のような表現をしたとしたら、それはほぼ、前世で自殺をしているのだと、思ってもらっていい(それが、はっきりと告げないときのパターン)」というようなことを、おっしゃっていましたね。

つまり、そのケースでいえば、25歳(前世で自殺をした年齢?)までが、前世で途中になっていた学びの要素を、状況や形式は変わっていても、共通の要素をもって学ばされていて、そして、それが終わったところで、本当の意味での、今回の人生の学びがスタートしていく、ということを、示しているのだと思います。

私たちは、前世からも(自殺という形ではなくても、前世からの学びを持ち越すことはありえます)、さまざまな取り組みの課題を持ち越してきたり、今回の人生では、こういうことを成し遂げて向上しよう、というような、大枠のプランを備えて生まれてきます。

そして、それらは、通常は、自殺以外の何らかの死、という形をもって、終わりを迎えて、本来のたましいのふるさとである、あちらの世界へと戻っていくことになります。しかし、自殺だけは、学びの終わり・・・というよりも、イレギュラーな形での強制終了となり、スピリチュアルな観点からは、予定していた学びが、本来のあるべき形で終了しなかった、という問題も出てきます。

ここまで書いてきたことは、自殺をしたらスピリチュアルな観点から、どのような展開があるのか、という、「仕組み」についての説明です。

そしてここからは、霊としての、自分自身の意識についての影響を説明していきます。

自殺をすると、死後の世界で、自分自身はどうなるのか、それは、霊として、たましいとしての(肉体をともなってはいませんが、実体はあります)自分は、どうなるのか、ということですが、相当の長い期間にわたって「苦しみが残る」ことになると思います。

この世でのさまざまな経験は、私たちがたましいを成長させるための学びである、と、スピリチュアリズムではとらえていきます。楽しいだけでは学びになりませんから、誰にとっても、少なからず、辛さ、苦しさは、存在するものです。すべてが楽しく、思い通りになったら、それは学びになりませんからね。

それらの、生きる上での辛さ、苦しさや、この世での経験ですので、本来は、死によって肉体を失うことで、解放されて楽になり、たましいの世界へと戻っていきます。この世というのは、学びの舞台で演じているようなもので、舞台の幕が下りたところで、学びの世界から、本来の霊の世界へと、戻っていくわけです。

しかし、それは、課題をやりおえて死を迎えた場合であって、自殺というのは、その途中で強制終了したようなものですから、苦しみの感情から、抜けられないことが少なくありません。

たとえば、飛び降りて自殺した霊が、自分がすでになくなっていることが分からないまま、まだ死ねていないと思い込んで、何度も飛び降りるという行為を繰り返している、とか、そういう話を、聞いたことがある方もいると思います。

そのことから、肉体はなくなっても、霊、たましいとしての意識は残っていて、だから気づくことができない、その人は、たぶん、死んだらすべてゼロで無になる、と思っていたので、無にならない自分はまだ生きている、と思って、飛び降りを繰り替えしているのだろうことが、想像できますよね。

自殺した霊の全員が、そのような行為を取るとは限らないですが、ここで理解しておいていただきたいのは、結局、死んでも、「意識は、そのまま」になっている、という点です。

つまり、辛さや苦しさから逃れようとしての行為のはずが、失うのは肉体だけであって、苦しみが消滅するわけではないのです。

自殺をしたいくらいの辛さ、苦しさというのは、相当だと思います。普通は、どんなに辛くても、そこまでは考えない人のほうが大多数です。なのでそれほどに辛いという気持ちは、分からないではないけれど・・・、しかし、生きていれば、何か、楽しいことがあって苦しさが薄れて行く時期もくるかもしれませんし、何かしら、苦しさを補うための機会というのは、与えられるものではないでしょうか。

けれど、その前に、自殺を選んでしまえば、その機会さえも、放棄してしまうことになり、苦しさから逃れようとしての行為のはずが、逆に、その行為をとることで、苦しさを固定してしまうことになりかねません。

自殺をした霊は、肉体を失っている事に気づかずに、延々と死のうとしている、上記のようなケースもありますが、気づいている霊もいて、その人達は皆、とても苦しんで、後悔しているといいます。

生きていれば挽回のチャンスもあるだろうに、死を選んでしまえば、そこで苦しさが固定されたり、または、死んだらゼロになると思っていたのに、死んでも自分の意識はあって、霊、たましいとしての自分は存在し続ける、とわかったら、それは、後悔も大きいでしょう。

けれども、自殺も、死の一形態であることには変わりませんので、自殺をすると、いつまでも苦しんで浄化できない、というわけではありません。いつかは、浄化をしていくことになりますが、その過程はスムーズにはいかず、とても長い時間が掛かることが多いと思われます。いろんなケースがありますから、すべてがそうだとは言えませんが・・・。

長々書いてきましたが、しかし、とても深いことなので、これだけ書いても、ほんの少ししかおつたえできていないような気がしてしまうのですが、上記のような仕組みを理解して、いろんな辛さも苦しさもあっても、それでも、この人生という経験のチャンスを与えられたことを感謝して、今のこの人生を、いかにして生きるか、そういう姿勢で自分の人生をクリエイトしていくことが大事だと思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

|

« 浮気は、結果。 | トップページ | 情報を精査して、抱えすぎを改善する。 »

09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

リカコさん、こんばんは。いちいち納得です。でも、この世は、生きづらい…。でも頑張らねば!

投稿: スカイハイ | 2014年9月14日 (日) 20時51分

・スカイハイ様

この世は学びの場所ですから、やりにくいこと、思い通りにいかないこと、いろいろありますよね・・・。でも、切り換えて、明るくいきましょう!

投稿: リカコ | 2014年9月15日 (月) 09時07分

見て来たような嘘を言う。

投稿: はな | 2017年3月10日 (金) 19時46分

はな様

この説明は、標題の件について、「スピリチュアリズムでは、こうした見解になっている」という主旨で書いたものとなります。

既に存在する見解を、私の解釈で説明しているものであることは、文章の中に、都度、記載してあると思います。そうした前提がないまま、たとえばあたかも、自分がそれを実際に目撃したかのような書き方はしていないつもりです。

スピリチュアルなことは、物のように形がないですから、状況から鑑みてこうだと言える、というような規則性を提示して、そのことをうけた実際の解釈は、それぞれがご自身に当てはめて、可否を考えていくしかないものです。

しかし、この記事のような、実際の経験を行いようがないこと(^_^;)は、「お読みになっている皆さんの経験から、ご自身で判断をしてください」とはできないので(^_^;)、既に示されている見解を元にして、解釈を加えてみた、というのがこの記事です。

はなさんが言いたいことは、これが嘘かどうか、という点ではなく、「見てこられるものではないのに、見てきたような」という点だと推察しますが、これは先に書いたとおり、「既にある見解」について、私のスピリチュアルな知識や、または、私がセッションを通して把握できることを一部、裏付けとして、あわせて解釈をしたものとなります。このようになっていることを、私が何もかもを見てきたように書いたものではないです(^_^)。

投稿: リカコ | 2017年3月11日 (土) 10時57分

自死・自殺は一つの選択肢だと思われます。

病死であろうが、事故死であろうが、自然死であろうが、自死であろうが、死ぬ時の心境がとても大事です。
心境によりそれほど大きな差はないように感じます。

病気などで切羽詰まって、反省して、自分を含めて誰も責めないで自死を選ぶ人がいれば、健康なまま憎しみの念をもって自殺する人もいます。
「死にたい!」と思う人がいれば、「もうこの肉体に宿っていなくてもいいかなー」と思う人もいます。

良い悪いを言うべきでないと思っています。善悪の問題ではないです。「死」そのものは「悪」ではないでしょう。

生まれた時からどの疾患でこの世を去るか決まっているようです。自死・自殺もそうかもしれません。場合によって自死は病死に近いと思われます。

もちろん自然死がいちばん望ましいですが、明らかな病気が見当たらず死亡する人は殆どいないです。過去世の影響もありますので理想をいつも求めなくてもいいです。

自由意思がとても大事なので、自死を選ぶことができます。

自死を含めてこの世を去る時は避けて欲しいのは誰かに対して悪い想いを持つことです。誰かのせいにするとか、誰かを恨むとか、誰かに仕返しをするといったような想いです。

すべてを許して、そして自分をも許すことが出来ればいいですね。
やさしさ、謙虚さと寛容さの精神を持って次の転生を目指せばいいです。

(^_^)


投稿: 和也 | 2017年3月25日 (土) 08時54分

和也さま

>自死・自殺は一つの選択肢だと思われます。

この世において、誰にも必ず(どんな形であれ)命のおわりは訪れますから、「自殺も、多様性のあるあらゆる死の形の、一つにすぎない」という意味であるなら、そうだと思います。

しかし、自分が、自発的に「この形を選ぼう」というように、選択できるのは「自死」のみであり、他の形を、この世でいきる自分が選ぶことはできませんよね。(うまれる前に決めていることは、この人生で選んでいるのとは違いますから別扱いとします)

ですから、自死は、他の形の死とは、同列のうちのひとつ、という扱いにならない、という観点からの見解です。

それ自体が、良いとか悪いとかの話をしているのではないです。

他の死の形は、ある程度、「与えられているもの」であり、または「生まれる前に自分が決めてきたカリキュラムである」というのがスピリチュアリズムの見解となります。

和也さんのおっしゃっていることは、自死ということに結びつけずに、それとわけたとして、文章のひとつひとつを、単体でみれば、全般的に人の生きる姿勢として、望ましいものが多々あります。

しかし書かれていることのほとんどが「思い」とか「感情」に基づいたものとなっています。感情というのは、とてもこの世的なものとなります。この世で人としていきる時間が、個人という感覚や個性を備えながら経験をして学ぶ時間です。

あちらの世界は、時間という感覚がないので、時間の経過が引き起こす変化(年齢経過や死なども含めた)の出来事に関連する感情も、この世特有のものとなります。

この記事で書いているのは、「スピリチュアリズムという、霊的なしくみについて」の説明です。何がどうなってそうなるという、構造を書いているものです。

その事柄に対する、この世にいる間の私たちが抱く「思い」とは、別のことを書いています。思いが不要とか悪いとかではなく、「しくみそのものの説明」だということです。

こうすべき、ああすべきという理想もまた「思い」です。感情とは違うけれども、心の中の精神活動です。

私がここで書いているのは、何がどうなっているかという「しくみ」のことですので。

良いとか悪いとか、そうすべきとかではなく、「自死という形を選ぶと、次の生でもやはり、同じような学びを結局は繰り返すこととなります」という前提から (このことが、しくみの説明)

江原さんがおっしゃる「石にかじりついてでも・・・」という表現となっているものと思われるという、解説をしているにすぎません。


そして、和也さん個人が、どのような解釈と人生観をお持ちになるかは、和也さん自身の自由意思があり、そこは選択肢として選べる領域です。そういう個人の見解について、良い悪いを述べている記事ではないことをご理解ください(^_^)。


おっしゃるとおり、自然または病死の延長上の、グラデーションの先に、自死が位置づけられるような、微妙なカテゴライズのものも、あることはありますね。

そうしたケースと、「決まってきたカリキュラムがそうではないのに、自分が自発的に選択をしたくなったケース」とは、別になると考えてください。この記事は後者についての見解ととらえていただければ(^_^)。

投稿: リカコ | 2017年3月25日 (土) 13時43分

ご返事ありがとうございます。

「スピリチュアリズム」に関して知識がなく申し訳ありません。あの世について様々な説がありますがそれはそれでいいと思います。
だが、今までのいわゆる精神世界の多くの情報がウソ(商売)だと思われます。特にテレビ番組で紹介される情報とかですね。

僕が言ったことは感情に基づいたのではなく、意識の観点から分かってきたことにすぎません。

身体は意識を向上させる器です。確かに私たち自分で選んで生まれてきました。「決まっているカリキュラム」があったとしても、自由意思もあります。意識が成長すればするほど、自由意思がどれほど大事なこと、気づくと思います。

なので、自殺/自死は絶対にしていけないこと、断言できません。ケースバイケースだとしか言おうがないです。

(*^_^*)

投稿: 和也 | 2017年3月26日 (日) 13時27分

和也様

おっしゃていることのひとつひとつは、スピリチュアル的な解釈としては、そのとおり、あてはまることであり、わかるのですが、

しかし、ひとつ前のコメントに書いたとおりで、自死という限定された事柄について、絶対だめとか、良い悪いとかの意見をいっているのではない、とそのようにお伝えしていますよ。

この記事の主旨としては、1つ前のコメントで書いているとおりとなり、

そして、今回いただいたコメントの件は、テレビだとかの、精神世界全体についての見解を、私という一個人が運営しているブログのコメント欄にいただきましても、それは私が対応すべき題材ではないと思います。

主張の内容自体は(商売による誇張、その他が含まれていることなど)、私個人の意見としても賛同できる部分もありますので、理解はできますけれど、しかし、

そうした主張すべき先は、別のところではないでしょうか。私という一個人に対して行うことには適していないと思います。

そちらの件は、そうした大局的な議論にふさわしい(一個人ではない)対象に行うか、または、和也さんご自身が、ご自身の主張を伝えるブログなりの媒体をもって、そちらで行っていくことをお勧めいたします。

重ねて申しあげますが、和也さんがどのような主張をお持ちであるのも、自由意思です。

そして、私がどのような立場からこのブログを運営するかも自由意思で、「それぞれ」で問題ないはずです。

私のコメントは、和也さんの個人的意見が違うということではなく、私が書いている記事内容の解釈が、主旨と違うという点のみですので、そこは誤解のないようにお願いいたします。

投稿: リカコ | 2017年3月26日 (日) 13時58分

ご返事ありがとうございました。

その通りです。
失礼しました。_(._.)_

投稿: 和也 | 2017年3月26日 (日) 21時33分

魂はなぜ学びを必要とするのでしょうか。

投稿: オキスミ | 2017年4月 5日 (水) 18時01分

オキスミ さま

その質問のテーマは、「スケールが壮大なテーマ」なので、コメント欄で、「それは、○○だからです」というふうに、簡潔に説明をまとめるのがとても難しいです(^_^;)。

コメント欄では、私のわかる範囲で回答できるものはさせていただいていますが、

今回いただいているコメントは、ご質問として扱っているテーマが、あまりに範囲が広すぎるため、

「なぜ」というひと言に対して、「その質問については、理由は、○○だからですよ」というような、端的なまとめとして、見解をのべることができません。

あまりに大きくて、簡単にはまとめきれないテーマですので。。。

もうちょっと範囲の狭いテーマのご質問なら、わかる範囲で回答できることもありますが、

とても広い範囲のものを、無理に簡潔にまとめてしまうと、本質がつたわりにくくなると思うので、こちらのコメント欄でのズバリの回答は控えさせていただきます。

私としては、そうしたスピリチュアリズムの根本ともいえるテーマについては、ブログの記事の全部に、欠片のようにそれが関わっていると思っています。具体的に、あれがこうなって、こういう理由だからという記載にはなっていませんが、そこは、それぞれの読み手さんが、「ご自身の感性にフィットする、ご自身の言葉」を、見つけるなり、表現するなりしていくことが一番いいのではないかと思っています(^_^)。

投稿: リカコ | 2017年4月 5日 (水) 19時10分

早速のご返事ありがとうございます。おざなりなお答えではなく、正直な、真摯なお答えをいただありがとうございます。また、重要なテーマに対して簡単な言葉で質問したことをお詫びいたします。

投稿: オキスミ | 2017年4月 5日 (水) 21時58分

ご丁寧に、再度のコメントをいただきましてありがとうございます。
ご自身の人生経験を通して、ご自身での答えが、きっと見つかっていくと思いますので、その参考資料として、ブログの記事が間接的にでもお役にたてば幸いです!

投稿: リカコ | 2017年4月 8日 (土) 10時15分

異性問題で何人も騙したり泣かせたりしたら死後は地獄へ落ちるのでしょうか?非常に気になります。ご教示戴けると幸いです。

投稿: なみのり | 2017年5月18日 (木) 16時41分

なみのり様

コメント欄の質問としtれ、私が、お答えできるのは、①「私が記事内で述べていることへのご質問」か、②「広い意味での、スピリチュアリズムに関するご質問(私が記事内でとりあげていなことでも)」の、どちらかとなります(^_^)。

死後に地獄・・・というのは、「仏教の世界観」ですので仏教に詳しい方におたずねになってみるのがいいと思います。

地獄にいくかどうかは、ひとまずおいて(^_^;)、異性問題で泣かせて・・・という件についても、一方だけが悪いのか、双方に原因があるのか、責任の所在もいろいろでしょうから、一律の○×をつけてとらえることはできず、騙したほうだけが一方的に悪いのかもわかりませんし、、、どんな結果に結びつくのかは、ケースバイケースになると思います。スピリチュアリズムでは、「自分がしたことは、自分に返る=カルマの法則」という法則がありますから、騙した人は、騙した分だけ何かが降りかかるのでしょうけれども、しかし、騙された人も、そういう結果になるような原因が、それ以前にあったかもしれませんし、そこは、ひとつの事柄だけでは判断ができず、前後のいろんなことを長い目でとらえていく解釈が必要となるでしょうね。

何か少しでも参考になれば幸いです。

投稿: リカコ | 2017年5月18日 (木) 17時15分

本当に魂は学びを求めているのでしょうか?
我々は日頃の生活に手いっぱいであり学びという苦しみを課されたら誰だって死にたくなります。
そこまで考える余裕は誰のもないのに同意なしで理不尽な苦しみ(いわゆる試練とか学び)を押し付けるのはあまりにも残酷ではないでしょうか?
しかも詩を選ぶほど傷ついて追い込まれた人が来世でまた苦しむのは納得がいきません。
残酷すぎます。

投稿: ねっしー | 2017年5月27日 (土) 13時11分

ねっしー様

「たましいが学びを求めている」という表現で、スピリチュアリズムを語る場合があるとしたら、

それは、たとえとして、人間の感情的な感覚に置き換えたものとなります。

たましいという、私たち人間が内包している大元のものは、人間的な感情とは別の次元にあるエネルギーなので、私たち人間が、日常的に思う感情としての「熱望している」とか「強く得たいという気持ちがある」などの感覚とは、同列のものではないと思います。

よって、たましいが求めるものと、人としての自分が抱く感情や感覚は、同じものとはならないこともあります。

この記事で説明していることは、そのうちの前者のほうの、たましいの観点からの見解を述べたものとなります(^_^)。

投稿: リカコ | 2017年5月27日 (土) 18時06分

この記事へのコメントは終了しました。

« 浮気は、結果。 | トップページ | 情報を精査して、抱えすぎを改善する。 »