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2012年8月30日 (木)

「察する」という感覚。

察するというのは、物事の状況や前後の関わりなどを、推し量って知ることです。察知する、推察する、見通す、気づく、想像する、などは、広い意味では、察することの類義語として当てはまる場合が多いでしょう。

日本という国で、生活していくためには、この、察する感覚を備えていることが、求められるし、必要となって来ることが多いです。

なぜなら、日本語というのは、主語がなくても成立する文法形式ですので、主語がなくても、そのときの物事の状況を把握して、何を指しているのかを理解しながら話の内容も理解する、という感性がないと、コミュニケーションが取りにくいからです。

たとえば、道を歩いている人が、ハンカチを落としたとします。日本語ならば、「ハンカチを、落としましたよ!」と、声を掛けますよね。でも、英語になれば、「主語」が入って、「あなたが、ハンカチを落としましたよ」と、形式上はなりますね。英語の場合は、IとかYOUとかITとかが、その単語に深い意味はなくても、形式として入っていきます。

しかし、日本語では、その部分は、特に強調させたいなどの理由がない限り、なくても意味が通じれば省かれる言葉も多いので、その都度、話を聞いている人が、脳内補完して、会話が進んでいきます。

生まれたときから、この会話をする世界にいるわけですから、自然に、主語の部分を、自分の想像力で補いながら、相手の言っていることを理解する感覚は、養われていきます。 察する感覚の得意度には、個人差はあるとしても、自然に誰もが分かるもの、とされているところがあるので、わざわざ親や学校で、「このように省かれている部分は、自分が察するのが普通なのよ」とは、教えられることはまずありません。

そのため、察する感覚がどのくらいあるか、弱いかもしれない、という点を、大人になって誰かに指摘されるまで、気がつかないことも少なくありません。よほど極端に察することができない場合を除き、周囲もあまり気にしなかったり、または気づいていても、他人のことですから、そこまで指摘はしてくれないのが大人の世界では普通だからです。

そのため、相手を察することが出来ない、いわゆる、空気が読めない言動をしてしまい、気が利かないとか、話をきちんと聞いていない、などと、怠けのように捉えられてしまうこともあります。

または、別のパターンとして、前後の状況や説明があってこその、省略しても伝わる、という関係性があるのに、何も察する前提のないところから唐突に、「あれ」とか「それ」とかの表現をしてしまい、混乱を招く事もあります(この場合は、相手が察することができない、のではなく、発言者側が、前後の状況や材料がなにもなければ、察することが難しい、という仕組みを理解していないために起こります)

どちらにしても、コミュニケーションがうまくいかない、深い人間関係を築けない原因となりうるのです。

私たち人間は、たましいの存在で、何度も生まれ変わって経験を重ねていくことで、さまざまな感性も磨かれていき、今回の人生で生まれた瞬間から、ゼロからのスタートをするわけではないので、生まれ持ったものとして、そういうことがとても得意な人もいれば、苦手な人もいます。

しかし、この時代の、この国に生まれて、生活していることは、偶然ではありません。自分のたましいが、自分の学びにふさわしい状況をえらんで、生まれてきている、という必然です。 察する感覚が苦手な人は、その感覚を磨いていくために、この日本という国に、縁があって生活しているのだと思います。

ですから、察することが苦手で、人間関係がうまくいかない人も、そこで悩んで、とじこもってしまわずに、「だからこそ、今回の人生で、学びをしているのだ」ということを、思い出して、自分に言い聞かせて、出来ることから、工夫をしていく姿勢をもっていきましょう。

察することが苦手、という点に気づいてしまえば、何かしら、改善のために努力できる方法は見つかっていくものです。意識の仕方、意識の焦点の当て方を変えていくだけでも、相当に効果的です。そのヒントとなることは、過去にたくさん書いてきました。

しかし、察することが上手くできていないために、人間関係がうまくいっていない、という関係性を、自覚するまでが容易ではありません。なぜなら、そういう気づきも、察することの一種、といえますので、そこを苦手としている人が、自分の分析だけで自覚していくのは、かなり難しいことでもあるでしょう。

そのため、察することが上手く出来ずに、人生が混乱しているのに、自分はコミュニケーションは得意で、それ以外の何かにうまくいかない原因がある、と思い込んでいる人も、少なくないので、「自覚」をするまでが大変で、自覚ができたら、越えなければならない山の、何割かはすでに登った状態にある、とも言えます。

そこから、少し、苦労はあるかもしれませんが、すべては自分を成長させていくため、そして、今回の人生も、より豊かで充実したものとするため、という目的意識をもって、くじけずに、そして、自分の成長を楽しみながら、少しずつでも、努力をして取り組んでいくのがベストだと思います。

察することが苦手な人は、そういう性質を生まれ持って、今回の人生で、成長のための学びをしていこう、としているたましいである、というケースもありますが、中には、親が過干渉で、判断して察するという自主性を発揮させずに育ててしまい、大人になって苦労してしまう、というケースも中にはあるようです。

たましいの引き継いでいる要素と、そして今回の人生でさまざまに経験した要素との「掛け合わせ」で現状がつくられていくので、どちらか一つだけが唯一無二の理由、というわけではないので、その理由、原因というのは、参考程度に捉えるとして、

大切なのは、現状が、自分にとって望ましいものではないならば、そしてそれが自分の努力や工夫という取り組みで、成長することができるものならば、自分のために、意欲をもっていく、という姿勢だと思います。

過去記事に、そのためのヒントとなることを、今までもたくさん書いてきましたので、参考になさっていただければ、と思います。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

私よく誤解をうける事が沢山です。
そんな見方もひとつはあるんですね。今までの参考記事よく読んでみます…たまに、そんな事を私言わないし思わないしっどうしてそうとった!?と相手の被害妄想感に疲れる事がしばしばあって、しかもそういう過敏な方によく出会ってました…被害妄想感は私の決め付けです^^;それで、相手と揉める事は無いんですが、相手の発言にえ!?と思う事がしばしば…色々な要因はあるとして、参考記事読んでみます(^_^;)…疲れて、もう誤解するならしてくれ…と思ってました。
今日もありがとうございました。

投稿: はすち | 2012年8月30日 (木) 13時35分

*はすちさま

誤解を頻繁にうけるのは、相手に理解力がないのか、自分の伝え方がわかりにくいのか、もしくはその両方か、だと思いますが、

特定の相手との間のみで、その問題が起こるなら、相手の受け止め方なのでしょうし(他の方とは、そうならないのならば、その人だけ、ということですから)、

特定の相手だけでなく、何人もの人から誤解を受けてしまうのであれば、自分の伝え方の原因があるかもしれない、と、おおよその判断の基準を付けることができるかと思います。

投稿: リカコ | 2012年8月30日 (木) 18時02分

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