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2012年6月18日 (月)

自問自答が、抽象的になっていないか。

物事を、狭い範囲で捉えすぎると、「木を見て森を見ず」という言葉もあるように、全体的な視野がないので、偏った見方になったり、大事なところを見落としたりすることがあります。

広い視野をもって、全体を眺めていくことにより、「森の中にある、木」という立ち位置を含めて考えていくことができ、木だけを、じーっと眺めているよりも、そのほうが、木についてよく分かるようになります。

けれど、あまりに、広く考えすぎても、思考が抽象的になり・・・、そうなると、具体的な解決策や改善策が、思い浮かびにくくなります。「森」だけを見ていても、個別の「木」については、焦点があわないからです。

どんな場合でも、具体的な対象があることについて思考するほどに、具体的な解決策や改善策が、見つけやすくなるものです。

たとえば、他者から「美味しいランチは、どこで食べられるか?」という質問をされたとしたら、・・・これにズバリ答えるのは、難しいですよね(^^;)。

美味しい、といっても、その人の好みはどういう分野なのかが分からないと、答えられません。質問が、「(質問者本人ではなく)あなたが、美味しいと思うランチのお店を教えて」という内容ならば、答えることはできますけれど、その前提がないと、「美味しいランチ」というだけでは、「森」だけ見ているようなもので、抽象的すぎるのです。

その質問の前に、「この付近のお店で」というひと言が加われば、答えやすいですよね。または、「1000円以内で」とか、「喫煙できるお店で」とか、何かしら条件がないと、明確な答えは返せないと思います。

そういう前提条件がないまま、「美味しいランチは、どこで食べられるか?」とだけ聞いてくる相手がいるという場面に、実際に直面するとしたら、「・・・この人は、ずいぶんと唐突な発言をするなぁ・・・。その聞き方では、答えが難しいが・・・、どんなランチのことを想定して話しているだろうか?」と、思ってしまわないでしょうか。

自問自答の場合も、本来は同じで・・・、範囲の広すぎる質問に対する回答は、難しいものになります。

ところが、自分と自分とのやりとりでは、嗜好や判断基準が共通していて、その部分のすりあわせをお互いにする、という手順がはぶけてしまうので、逆に、「美味しいランチは、どこで食べられるか」という質問が、範囲が広すぎて考えにくい想定の仕方であることに、なかなか気づけません。

同じ思考を繰り返しながらも、まったく前進しない場合は、このケースに当てはまることが多いと思われます。

自分の思考、自問自答が、「木を見て、森を見ず」ならぬ、「森を見て、木を見ず」になっていないか、その点を分析してみましょう。

それで、気づけたら一番よいのですが、なかなか、自分では、どこが「木」になるのかが、見えてきにくいものでもあるので、そういうときには、自分以外の誰かに、話してみるのもよいと思います。

「美味しいランチは、どこで食べられるか?」と考えているのだけれど、あなたはどう思う?と、意見を聞いてみるのです。

そうすると、たとえば、「それは、誰といく場合?」などと、不明な点のヒントを与えてくれることがあります。

確かに、友達といくのと、義理のご両親と行くのとでは、選ぶお店も違ってきますよね。「どこが、美味しいか」だけでは、答えが見つけにくいのだ、と、そこで気づくことができるかもしれません。

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