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2012年6月の19件の記事

2012年6月30日 (土)

「いつも、お腹を引っ込めている」人は、過剰な緊張状態を招いていることもある。

私たちの肉体は、必要なときに緊張し、必要なときにリラックスをする、というように、自然にそのコントロールが成されていく仕組みがあります。

それらは、私たちが、意図的に、「こうしよう」と思わなくても働いてくれる、「自律神経」と呼ばれる働きによるものです。

たとえば、内臓の動きだったり、体温調整だったり・・・、それらは、私たちが意識して動かそうとするものではなく、無意識でも動いてくれて、丁度良い加減に調整がなされていきます。 

自律神経は、2つに分けられ、活発&緊張モードの「交感神経」と、リラックスモードの「副交感神経」があります。

これらが作用することにより、私たちは日常の場面に応じて、緊張とリラックスを、必要に応じて、無意識のうちに切り替えながら、過ごしているのです。

ところが、現代の私たちの生活というのは、とにかく刺激が多く、考えなければいけないこと、やらなければいけないことが山ほどあり、緊張にさらされている時間が長いために、どうしても、活発&緊張モードの「交感神経」のほうに、傾きがちで、リラックスモードになりにくいところがあります。

そのため、疲れているのに休めない、リラックスできない、つい、動いてしまう、考えすぎてしまう、という、緊張から解放されない状態で、過ごしてしまい、何かと不調和がでやすいようです。

活発&緊張モードの「交感神経」が優位になると、心臓の動きが早くなり、呼吸も浅くなります。その状態で、日々を過ごしていけば、(適度にリラックスモードに切り替わりながら過ごしていくよりも)消耗しやすくなるのは想像がつきますよね。

交感神経優位の状態が続いてしまうと、常に気持ちが急いていて、思考も止まらなくなり、ネガティブな雑念も多くなります。そして、気力も体力も消耗するので、全体的なエネルギーレベルも、下がってしまいます。

気力はわかるけれども、体力も下がるの?と、思うかもしれませんが、自律神経は、内臓の動きなども司っていますので、交感神経が優位になれば、心臓や肝臓などの、消化器系を除く臓器が、活発になります(消化器系は、リラックスモードのときに、動きます)から、心臓がドキドキしていれば、体力も消耗されますよね。

慢性的に気力も体力も下がっている状態で、ポジティブになれというほうが難しいので・・・、これといって、ネガティブになる原因が現実に存在しなくても、常に緊張にさらされて、エネルギーがさがっているときには、どうしても、ネガティブになってしまう、という仕組みがあるわけです。

ここまでが前置きで、ここからがメインになりますが((^^;)長い)、「交感神経が優位になりすぎて、さまざまな不調和が出ている」女性の中には、「太っていることを気にして、常に、意識して、お腹をひっこめていることが、その状態を招いている」場合が、しばしばみられます。

自律神経というのは、自分が意識しなくても、動いてくれる神経で、そのほとんどは、私たちが、意図的に動かすことはしにくいものばかりです。もっと腸をよく動くようにしよう、とか、今から体温を2度上げよう、などと、意識して行うことは不可能です。

自律神経が関係している作用で、私たちが意図的に、その動きを調整することができるのは、瞬きや呼吸くらいではないでしょうか。

呼吸というのは、最も分かりやすく、意識ができるものです。深呼吸をすると、リラックスに繋がるのは、多くの人が知っていますよね。

実際に、少しお腹を引っ込めた状態にすると分かると思いますが、呼吸が浅くなります。お腹を引っ込めるという緊張の状態をつりながら、深い呼吸を続けていくのは難しく、どうしても、自然に、浅い呼吸が続いてしまいます。

浅い呼吸というのは、活発&緊張モードの、交感神経優位の状態を招きます(深呼吸でリラックス、の逆パターンですね)。

体型を気にして、お腹を引っ込めているという、「ただ、それだけのこと」で、常に緊張を招き、リラックスできにくい、そしてネガティブになりやすい、消耗状態を招いてしまうことも、実は、結構起こっているのです。

そして、そのことに、本人はなかなか気づけません。なぜなら、「ずっと前から、お腹を引っ込めたりはしていても、以前は、ネガティブになったり、気が上がって焦りすぎたり、ということはなかった」という思いがあるからです。

しかし、人の体の機能は、一定の年齢を超えれば、緩やかにその働きは低下していきます。つまり、自律神経のオンオフのコントロールをする、という機能そのものも、年齢につれて、その切り換えが出来にくくなり、呼吸により作られる緊張状態が、ダイレクトに気分に影響してしまう、という状態がつくられてしまうのですね。

こういう場合の解決方法としては、「気にしている人に、気にするな」といっても、それができたら苦労はしないわけで・・・、私は、物理的に、「少し、痩せる」ことを、お勧めします。

超理想的な体型にまではならなくてもいいけれど、お腹をいつも意識して緊張させている状態からは、解放される程度に、少し、体重を絞っていくことが、根本的な解決に繋がると思います。

そうして、呼吸を制限しない状態を作り上げることで、過剰な緊張やネガティブモードに、とらわれない状態をつくっていくのです。

その際、無理なダイエットはやめたほうがいいでしょう。特に、20代後半をすぎたら、痩せさえすればなんでもいい、というような極端な食事制限などは、体への悪影響が大きいからです。

きちんと生活習慣を見直し、改善すべきところに、適切な働きかけをしていく、ということを守って、ゆっくりのペースで取り組むのが一番です。遠回りに思えても、それが一番の堅実な、実は「近い道」になります。 。

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2012年6月29日 (金)

完全主義な人は、すべてを100%でやろうとして、空回りしやすい。

完全主義・完璧主義な人は、とにかく、すべてに手を抜かずに、100%を尽くしていこうと、頑張りすぎます。・・・そして、消耗します。

それでも、結果、上手くいくなら、まだ報われますが、現実には、どこかに歪みが出て、思ったような結果には至らないことも多いものです。

完全主義なタイプの人は、自分に厳しく、向上心も高くて、自分が関わることや、手今日するものの「質」をできるだけ高くしたい、という思いから、そうなることもありますが、しかし、その裏側には、自分が低くみられたくない、という、過剰に他人を意識する気持ちがあったり、他人を信用できないので、自分で何もかもやらないと気が済まなくなっていたり、または、「優先度の判断をしない」ことが、完全主義に拍車を掛けてしまうこともあります。

今回は、「優先度の判断をしない」ために、過剰に消耗しているケースをとりあげてみたいと思います。

完全主義なタイプの人は、特定の要素だけでなく、すべてを一定レベル以上にならないと、出来る範囲での最上でないと気が済まない、と思ってしまう人は多いです。

そのような気持ちで、「すべて」を高いレベルでやっていくなら、優先度の判断って、別に行わなくてもいいこと、でもあります。

優先順位を付けていくのは、労力や時間の掛け方と、その結果について、差がつくためであり、必要性の高いものに、より多くの力を掛けていく、という目的での判断ですから、すべて完璧に「できる」ならば、その判断は不要です。

しかし、実際には、どんなに能力と体力があっても、体はひとつであり、一日は24時間しかないのは同じですから、ひとりで出来ることには限度があります。

なので、「すべてを高いレベルの結果にするから、優先度は意識しないわ」、と思っていても、現実は、抱えすぎても消耗しますし、どこかが抜けてしまい、結果に結びつかないこともあるのです。

上記は、「優先度の判断を、あえて、(必要だと思っていないので)していない」場合です。

それ以外に、「優先度の判断が、できない」人もいます。

そういう考え方をしたことがないので、常に全力で走り回ることでなんとかしよう、という、力わざで前進してきた人は、判断の経験がないから、今ひとつその感覚が分からない、という場合もありますし、逆に、その感覚がわからないために、すべてを頑張らざるを得なくなっている、という場合もあります。

優先度の判断ができない、ということは、「力の抜きどころ」がわからない、ということです。抜きどころがわからないと、力が分散してしまい、中途半端にもなりやすいです。

仕事が出来る人、行動にそつがない人、というのは、「抜きどころを、知っている人」です。すべてを完璧に行っているわけではありません。誰もが、一日24時間なのは同じですから、やれることには限りがあり、何もかもを完璧にした結果のたまもの、というわけではないのです。

たとえば、会社員が、社内にいるときは、社外にいるときと比べて、礼儀やふるまいは、緊張感が薄れていると思います。上着を脱いでいたり、ネクタイを少しゆるめたり、することもあるでしょうし、上司には敬語を使うといっても、その度合いは、外の取引先に対するものよりは、幾分、くだけたものになっていたりもすると思います。

それは、社内と、社外で、振る舞い方や礼儀の発揮の仕方を、調整しているようなもの、ですよね。それが、優先度の判断です。

社内にいるときまで、外にいるときのように、きちんきちんとやり過ぎていても、周囲も疲れてしまいますし、自分も消耗します。

そして何より、社内での振る舞いに力を注ぎすぎて、本来、もっとも礼儀に気をつけなければならない、取引先の前で、緊張感が途切れて、大失敗することもあります。

力の抜きどころが、分かっていれば、逆に、力の掛けどころもわかり、そのために、力を温存しておくことができます。それが、優先度を判断して、労力の配分をしていく目的です。

ここぞ、というタイミングで、力を集中させていくことができるので、結果、ミスがすくなくなって、仕事ができる、そつがない、という評価に結びつくのです。すべてに力いっぱい、常に全力でなにもかもを、手を抜かずにこなしているからミスが少ない、というわけではないのです。

ところが、「優先度の判断を、あえてしない人」も、「優先度の判断が、出来ない人」も、すべてに頑張りすぎになっていて、必要なところに力が注がれないからミスに繋がっているのに、「その状況を、自分が、もっと頑張ることで乗り越えよう」として、空回りをしていることが少なくありません。

押しても開かない仕組みのドアを、もっと力を掛けて押すことで、現状を打開しようと「してしまっている」ことに、気がつかなければなりません。そうしないと、行き過ぎた完全主義から、抜け出すことができません。

質を高めようとすることも、向上しようとすることも、ひとつひとつの出来事に力を込めようとすることも、どれも皆、単体では、望ましい要素です。けれど、それらの「気持ち」が大きくなりすぎると・・・、つまり、全部を頑張ろうとし過ぎると、実際に自分が使うことのできる、備わっている活力を越えた分が、消耗になったり、ミスが発生したり、という結果を招いてしまうこともあるのです。

それらの意欲が悪いということでも、手を抜いたほうがいいと勧めているのでもありません(^^;)。「使い分け」「その意欲を、もっとも効果的に使うための工夫」をしていきましょう、ということです。

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2012年6月28日 (木)

その出来事は、自分が気づくために、用意されたもの(事例)。

この世で起こる出来事には、必ず、何らかの意味があって、自分が関わる出来事は、すべて、「自分が学ぶためや、成長するために」、起こっている、と考えられます。

学ぶ、成長する、という目的に含まれる範囲はとても幅ひろく、自覚できるものもあれば、自覚しにくいものも、あるかもしれません。

また、意味がある、といっても、とりわけ重要な意味を持つものもあれば、それほど重要ではない程度のものもあるので、「そういう仕組みがある」という理解はもっているほうがスムーズに学びが進むと思いますが、しかし、ひとつひとつの意味に、過剰にこだわらないことも大事です。

中には、「その人に、気づかせるための、きっかけ」に、起こる出来事、というのがあります。一見、苦難のような形をとって、そのことをきっかけとして、別の要素を考えてもらうために、展開する場合があるのです。

これは、つい先日の話なのですが、お仕事についてのご相談がありました。

長く働いてきた会社から、今の部署からの異動を求められているのだけれども、それは会社の都合であり、自分の都合としては、今のままの待遇が望ましい。会社からは、返答を迫られているかが、迷っている、ならば今お付き合いをしている相手と結婚しようか、とも思うけれども、踏み切れない気持ちもある。

というような内容でした。ちょっと端折って、内容も変えてありますが。

いつも書いていることですが、「どうしたらいいか、どちらがいいか」という質問に、後の方がズバリの答えを下さることはないので、分かる範囲でお伝えしたのですが、

「今のお仕事をどうするか、ということも大事だけれども、それとともに、結婚についてどうするのかを、ここで考えてほしい、ということなのではないでしょうか、そういうことでもなければ、改めて考えてみないことを、この機会に考えてみてほしい、という点も、含まれていると思われます」、的なことを、お伝えしたと思います。

その後、ご連絡をいただきまして、ご結婚について、パートナーの方とお話をして、少し、状況が前進したのだそうです。

そうしたら、会社から言われていた、お仕事の変更の話がなくなって、「今のままで」ということになったのだそうです(◎_◎)。

結果として、お仕事の形態は、自分にとって望ましいままとなり、結婚の件だけが、少し前進した、と。

これはもう、結婚について改めて考えてほしいための、必要な導きとして、その出来事が起こった、というのが、分かりやすいですよね。

ちなみに、リーディングの時点では、私は、このような結末になることを、まったく分かっていません。私は、その時点で分かることを、お伝えしたのみです。

そんな、ドラマチックな展開は、前もって人から聞くよりも、自分で経験して味わったほうが、インパクトが大きく、気づきに直結しますよね。

だから、私からお伝えする必要がないから、私へは、伝達がなされないのだと思います。私は、単に補助の役割で、メインは、ご本人ですからshine

この場合は、結果を知らないまま、それでも、自分を見つめ直して、今意識するほうがいいこと(この場合は、結婚)を考えていき、取り組んでいく、という一連の思考や行動のすべてが、成長のために、必要だったのでしょう。

そのとおりの行動をしたので、きっかけとなった出来事は、きっかけという役割を果たしたので、そこで消えた、のでしょうね。

こうして、私たちはいつも、導かれて、学ばされていて、そして、生かされているのですね。この世の出来事、そして、人生というのは、本当に、神秘の連続だと思います。

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2012年6月27日 (水)

仕事を続けるか、辞めるか、という二択では決められない。

現在のお仕事を、今後も続けるかどうか、迷っている際に、その「考え方」「選択肢の内容」が、迷いを深くしている場合があります。

「今の仕事を、続けるか、それとも、辞めるか」という二択では、考えても、答えが出しにくいのです。

別の例で考えてみます。昼食のお弁当を、お店で選ぶとします。「カツ丼にしようか、それとも、炒飯にしようか」と、迷って、じゃあ、今回は、カツ丼にしよう、と、選択をする、というのが普通の選び方です。

その際に、「カツ丼にしようか、それとも、カツ丼ではないほうがいいか」という考え方で、選ぶことって、少ないと思います。カツ丼ではない、という選択肢を選んだら、そこから、もう一段階、では、カツ丼ではないならば、何がいいだろうか、と、思考をしなければなりません。そういう複雑な選び方は、普段はあまりしないものではないでしょうか。

「今の仕事を続けるか、それとも、辞めるか」という考え方は、「カツ丼にしようか、それともカツ丼ではないほうがいいか」と考えることと、似ています。

一見、こちらのほうがシンプルな考え方に思えますが、もしも辞めるという選択をした場合、その後に、さらに別の要素が関わってくる、という複雑さを含んでいます。

シンプルに見えるのは、表面だけ、なのです。

日常のちょっとしたこと、大きな責任を伴わないような、どちらでもいいことなら、やるか、やらないか、の二択で考えられても、仕事のような生活に直結する決断は、このような二択では、なかなか決められないと思います。

「今の仕事を、続けるか、辞めるか」ではなく、「今の仕事を続けるか、辞めるならば○○の仕事をするか」のように、もう一方の選択肢を、具体的にしてみると、選びやすくなります。

たとえば、「今の仕事を続けるか、それとも、実家に戻って親の仕事を継ぐか」という迷いならば、どちらの選択肢をとっても、その先の様子に見当を付けることができます。未来は、自分の予想通りになるとは限らず、何が起こるか分からないとはいえ、その時点での想像をすることは可能です。

けれど、「続けるか、辞めるか」と考える場合は、辞めるという選択をしたその後の予想図が、思い描きにくいですよね。

つまり、この二択というのは、具体的な選択肢と、抽象的な選択肢という組み合わせになっていて、責任を伴う決断の場面で、抽象的な選択肢はとりにくいので、いつまでも決まらなくて迷いが続く、という状況を招きやすいのです。

続けるか、それとも辞めるか、辞める場合は何をするか、という具体的な考え方をしていくと、思考が前進していくと思います。

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2012年6月26日 (火)

「誰が」その発言をしているか、により、「重み」が違ってくる。

ある意見や主張があったとして、その内容についての真偽や正当性を、他人が判断する際、「誰が、どんな立場で」その発言をしているか、という要素が、大きな比率を占めていきます。

発言や主張そのものの内容だけで判断されることは、意外と少ないものです。もちろん、内容が先にありきなことは間違いないですが、土台として、その人がどんな立場の誰であるのか、という点との「掛け合わせ」で、判断されていくことが多いです。

これだけではわかりにくいので、例をあげて考えてみます。

たとえば、「○○なんて、無意味で馬鹿げている」という。見下したような発言をした人がいたとします。その人は、ごく普通の会社員で、居酒屋でお酒が入っている場面での、仲間内での発言でした。お酒の勢いがついて、口から出てしまった言葉です。

その仲間内とは、無関係の他人が、近くのテーブルにいて、その発言が耳に入ったとします。けれど、わざわざ、その発言はよろしくないとか、どういうツモリなのか、○○に失礼じゃないか、なんて、注意する人はまずいませんよね。

個人がどんな価値基準をもっていようと自由、とはいえ、他人がいるところで、そういう発言をすること自体に、少々眉をひそめられるようなことは、あるかもしれません。

けれど、お酒の席での、その場に居合わせただけの人の発言を、それほど重く捉える人はほとんどいなくて、むしろ、その発言に対して、わざわざ意見を言う人のほうが、空気が読めない真面目すぎる人と、思われてしまうこともあるでしょう。

しかし、それが、たとえば、国会議員の発言となれば、受け止め方はまったく違ってきますよね。

不用意な発言や、特定の人を否定するような発言をすると、たちまちメディアに取り上げられて、大騒動となるケースは、枚挙にいとまがありません。

そうなるのは、その発言者の立場の強さ、重さゆえ、です。

国民の代表として活動をする立場の人なのだから、平均と同じでは困ると、責任や影響力を自覚して、節度がある振る舞いをすべきだ、という思いがあるからこそ、その言動が大きく取り上げられるわけですよね。

つまり、相手がどのくらいの重要度で、その発言を受けとめているか、というのは、発言そのものの内容だけではなくて、発言者の立場だったり、人としての「あり方」との、掛け合わせによって、判断されていることになります。

「世の中とは、こうあるべき」という主張そのものは、理想的であり正当性があっても、発言者の生活態度が、とてもだらしなくて、尊敬できるものではない、と思われていたら、その発言は、内容ほどには評価されないことも、あるわけです。その逆もありで、ほんの少しの言葉が、発言者の立場の大きさゆえに、波紋を広げることもあります。

今の日本の社会情勢には、先進国ゆえの行き過ぎが多くあり、混乱が起こっていると感じます。多くの人が、そう思っているのでしょう、政治に対して、国家に対して、震災への対応や原発に対しても、多くの人が、意見を主張しています。

その主張の中には、もっともだと思わせるものや、見習っていこうと思わせるような、有益なものもたくさんあります。

しかし、もし、その人が、とても立派な政治的発言をしていながらも、一方では、選挙に無関心で投票に行かない人ならば、・・・少なくとも私は、その人をまったく評価しませんし(^^;)、その発言への関心も、揺らいでしまいます。

これはひとつの例えですが、発言と行動のベクトル、発言と自分のあり方とのベクトルが一致している人の発言は、他人からも大切に扱われ、評価されていくものだと思います。

もしも、自分の発言が、他人から軽く扱われている、と悩んでいる人がいたら、発言の正当性だけにこだわるのではなく、それ以外の、自分の言動や姿勢を、今一度、見つめ直し、出来るところから向上させていけば、(発言の重みは、内容と、自分との掛け合わせとなるので)、発言に乗るエネルギーの重みが、増していくと思います。

逆に、それなりの立場や地位がある人は、ほんの少しの発言にも、重みが出てしまいますので、その発言がどう受け取られるか、という観点からよく考えて、気をつけていくことも必要となるでしょう。

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2012年6月25日 (月)

改善や向上は、ゆっくりとなされていく。

より成長した自分になるために、たくさんの努力をしても、なかなか思うような成果が見て取れない場合があると思います。

こんなに頑張っているのに、なぜ、成果に繋がらないのだろう、と焦る気持ちが出てきたり、取り組む方法がふさわしくないのか、いや、そもそも目的が自分にあっていないのでは、と、不安になってくることもあるかもしれません。

そんなときに、自分に言い聞かせるとよいのは、「物事は、ゆっくりと進む」ということです。

改善や向上のための努力が、成果に繋がるのも、きっと、ゆっくりなのです。

種をまいても、すぐには花は咲かずに、育てるための手間と時間が掛かります。それと同じで、努力が、はっきりとした成果として実感できるまでには、時間が掛かることもあります。ただでさえ、自分のことは、実感しにくいものですから。

また、成果のあらわれ方は、どこかが伸びれば、他のどこかが引っ込んでいき・・・、その繰り返しにより、耐性がつき、全体が底上げされていくようになっています。

これらの底上げの幅は小さいものだったり、地味なものなので、分かりにくいものでもありますが、全体の耐性や底上げというのは、特定の要素だけにとどまらず、すべてに作用することを考えれば、長い目でみれば、とても大きなものを手に入れていることになります。

自分が注視している要素には目立った変化が現れていなくても、広い視野で考えれば、他のどこかには、予想外の部分で成果は出ていることもあります。そういうことも、楽しみにして、進んでいけばいいのではないでしょうか。

狭い範囲でとらえてしまうと、何も成果がないように誤解してしまい、努力を続けるためのモチベーションが保てなくなります。

成果や結果については、委ねる気持ちを持ち、いつか、花が咲くことを願い、焦らず、こだわりすぎずに、自分を高める努力を続けていきましょう。そして、思わぬ形で実りを得るというサプライズも、楽しんでいきましょう。

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2012年6月23日 (土)

リーディングで把握する際の、未来の出来事についての精度。

私が提供しているリーディングは、未来予知やお告げのようなものではないです。多少の、予知的要素は含まれることもありますが、それを主体としたものではありません。

未来を(ほんの一部の、ヒントのようなものに過ぎませんが)お伝えする場合は、「そうすることが、ご依頼者さまにとって望ましい未来に繋がる場合のみ」、であり、未来を先に知ることで上手く立ち回って得をすることを、目的としたものではありません(そういうことは、後の方が望まれませんし、お許しにもなりません)

私のリーディングでの把握方法は、「私自身の霊能力により、把握したこと(相手の守護霊の方が、告げた内容ではない)」と、「ご依頼者さまに関連する守護霊や先祖霊が、伝えてくること」を、組み合わせた内容になります。

私自身の霊能力・・・といっても、そこには、私自身の守護霊の関与があってこそ、であり、そして、ご依頼者さまの守護霊の言うこと、といっても、それを把握するのは、私自身の霊能力によるのであり、そこをはっきり区分けしようとしても難しいのですが(^^;)、なんとなくでも、理解していただければ、と思います。

未来については、大部分において、私自身の霊能力によって把握している比率が高いです。ご依頼者さまの守護霊が伝えてくることもありますけれど、比率としては多くはありません。

先にも書いたとおり、未来について、お伝えできるのは、ほんの一部の、ヒントのようなもの、です。その理由は、何でもかんでもお伝えするのが、ご本人のためになるとはかぎらず、自主性を高めていくことこそが、この世での私たちの学びですから、それを遮るようなことは、あちらの世界からも伝わってこないためと、

もうひとつは、未来とは、これから作り上げていくものであり、あらかじめ決まったものではないからです。未来のことをお伝えする場合は、あくまで「その時点から見た、未来の可能性のひとつ」に過ぎず・・・、確定したものではなく、流動的なものでしかないので、細部まではっきりとはお伝えできないですし、詳しくお伝えしても、(変化しうるので)あまり意味がないわけです(^^;)。

どのくらいをお伝えできるのか、というのは、ケースにより違いますし、「未来がどうなるか教えてほしい」という、それを目的としたご相談には対応は行っていないのですが、参考までに、一例をあげてみます。

以前、お仕事についてのご相談があって、転職も考えにあり、今後を迷っている、という内容のご質問をいただきました。

未来のことを聞かれたわけではないのですが・・・、参考までにお伝えした中に、「○月先くらいまでは、あまり現状に大きな変化はみられないので、転職しないならば、状況はあまり変わらない可能性が高い。その会社に在籍し続けて、状況が変わるとしたら、少なくても、●月以降になるとのでは」と、そういう内容がありました。

はっきりとは、未来の様子をお伝えはできないのです。たとえば、その方が、未来において、転職という選択をして別の道を歩いているのか、それとも、同じ会社にそのままいるのか、そこまでは分かりません。・・・というより、決まっていないから、把握ができないというか。

その内容に対して、ご相談者さまは、「実は、自分は産休の方のかわりに、今の部署に異動になったので、●月くらいに、産休から戻ってくる可能性はあるかもしれない」と。

ならば、その件が関連しているのかもしれないのですが、しかし、これらは、「たら」「れば」の話であって、産休中の方の意向を、確認できるわけではありませんし、仮に、今はそう思っていたとしても、●月になるまでに、その方の気持ちが変わる可能性もありますし、目安くらいにはなると思いますが、

どちらにしても、リーディングでお伝えでできる可能性とは「現時点では、こうなるかも・・・」程度でしかなく、結局は、自分自身の決断になります。

未来についてお伝え出来るのは、本当にごく一部で、あくまで、ご依頼者さまご自身の自主性を邪魔しない範囲における、ヒントが、伝わるだけなのです。

それを、いくらかの参考とするとして、やはり、ご自身の未来を切り開いていくのはご自身の意欲と行動なのですねsun

意欲と行動により、未来の可能性は、大きく広がっていきますので、「自力」を大事に、明るく前向きに、進んでいくことが大切だと思います。

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2012年6月22日 (金)

人を受け入れられる度量が大きくなるほど、自分に有益な人も集まりやすい(波長の法則)

この世で作られる人間関係は、同じ要素を持つもの同士が引き寄せ合うという、「波長の法則」によって作られていきます。

・・・のはずなのに、なぜ、気が合わない人や、考え方が違いすぎる人、苦手なタイプと出会ったり、関わりをもったりしていくのか、矛盾しているじゃないか、と思う人がいるかもしれません。

しかし、波長の法則とは、同じ要素が「ほんの少しでも」備わっていれば、引き合う仕組みであり、「全面的に同じである必要はない」のです。それが、苦手な人とも、嫌いなタイプとも、関わりが作られてしまう理由です。

苦手な相手を、好きになる必要はなくても、苦手なままでも、(完全拒否ではなく)できるだけ受け入れていく、という形をとっていくと、人間関係が広がっていきます。

受け入れる、というのは、全許容することではなく、「相手には相手の価値観が在るのだろう(自分とは、違うが)」という点を、尊重することです。大賛成しなくても、別に全否定はしない、というスタンスでも十分です。

そうすると、自分の器が、大きくなっていきます。

苦手な人を排除して、自分を正当化するだけでは、「今の自分」の、器の範囲内で、(自分を正当化することの積み重ねによって)頑固になっていってしまい、外へ向かう広がりの力が働きません。

自分の器が広がらないわけですから、比例して、自分の波長の幅も広がらないことになります。

波長の幅が広がらなければ、新しい人との出会い、今まで関わったことのないような新しいタイプの人とも、出会う機会が少なくなっていきます。

逆に言えば、いろんな経験を通して、価値観の違う相手も、好きになるとはいわないまでも否定はしないという態度で、相手の個性を尊重していくようにすると、自分の人格という器が広がり、それにつれて、波長の幅も広がっていきますので、出会う人、引き合う人も、今までよりも、広がっていく可能性が出てくるのです。

自分にも、個性があり、好みがありますから、自分にとっての、ど真ん中の直球ストレートの位置、というのは、そうは変化しません。

けれど、「ストライクゾーン」というもう少し広い範囲で考えていけば、そのゾーンは、広げることはできると思うのです。それは、自分の受けとめられる度量と、比例していきます。

嫌いな人を受け入れたくないのは、そうすると、自分が我慢という損をして、相手が得をするじゃないか、という思いがあるため、だと思います。相手を受けいれれば、自分の価値観が正当化させず、相手の価値観を認めることになる、という思いもあるかもしれません。

しかし、広く他人を受け入れることで、得をするのは、相手だけではなく、自分も当てはまるのです。自分の波長の幅が広がり、今までとは違うタイプの人と知り合い、刺激を受けるための、器作りの準備だと考えてみてはどうでしょうか。

そして、相手を尊重したからといって、自分が正当化されない、などということはありません。価値観とは、個別のものであり、優劣が付けられるものではないですし、どちらかが正しく、もう一方が間違い、などという区分けはできないものだからです。

「器を一回り大きくする」というイメージを考えるとき、今ある器を、中心を固定したまま、上下左右に、一回り大きくするようなイメージで捉える人は多いと思います。

それはつまり、器を広げるというのは、特定の方向だけに広がるのではなく、全体的に大きくなるイメージですよね。それを、波長に当てはめて考えてみてください。

一部の方向を受け入れれば、例えば左側を今までよりも広くとっていくと、器全体として(左だけでなく)前後左右に、一回りの広がりが出るわけですから、今まで知り合うことがなかったタイプの人とも、知り合える可能性が広がります。

苦手な人を尊重する、受け入れる、というのは、言葉では簡単ですが、実際には感情が絡んでくるので、とてもとても大変です。

その、大変なことに取り組もうとする意欲をもっていき、成し遂げていけば、当然のことながら、自分が成長しますので、成長した分だけのメリットも、必ず与えられることになります。自分が一方的に我慢をするという、デメリットだけの関係はありません。

そういう考え方を持っていくと、苦手な関係にも、取り組んでみようという意欲をもつことができるのではないでしょうか。難しいことですが、少しずつ、自分のために、「広がり」を持たせていくように努力をしてみましょう。

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2012年6月21日 (木)

自分だけが苦労していて、他人が楽をしているように思えるときには。

世の中を見渡した際に、自分の年齢や立場が同じくらいの人と比較して、自分はとても苦労をしていて、他人はもっと楽に生きている、焦ることなく喜びや楽しさを味わいながら過ごしているように、感じてしまうことがあると思います。

特に、年齢が若いうち、人生の折り返し前では、そのような気持ちは大きくなるものです。

人生の後半になれば、苦労の経験が助けになることを、あらゆる場面で実感していくので、そのような気持ちは薄れていくものですが、若いうちは、なぜ、自分だけが、こんな目にあうのだろうか、という気持ちが、出てきてしまうもの、かもしれません。

しかし、実際には、世の中の誰もが、その人なりの苦労をしているわけで・・・、何の苦労もなく、楽しみだけの人生をおくっている人はいないものです。

他人のことは、そういう視点で考えにくいものですが、それが実情だと思います。

自分のしてきた苦労は、細部まで、もれなく知っています。

どんな小さな苦しみも、他人からは計り知れない深い部分も、陰で泣いていたことも、悔しさで眠れない日々も、自分が一番よく分かっています。

しかし、自分が、他人について知っているのは、ごく一部にすぎません。

他人が楽をしているように思えても、それは、「自分の目線で、相手をみたとき」に、そう感じる、ということであり、その人が、内心、どのくらいの比重で苦しいと感じているかは、本人にしか、分かりません。

そういう前提で、自分の苦労と、他人の苦労を比較すると、自分だけが大きな苦労をしていて、他人はそれほど苦労をしていないように思えても、実際のところは分からず・・・、「自分が苦労をしている」のは、そのとおりだとしても、「他人が楽をしている」とは、言い切れないものだと思います。

表面だけでは、分からないことがたくさんあります。華やかで楽しそうに見える人の心の内に、大きな苦しみが存在することもあるのです。

また、長い人生の、ほんの一時期は、苦労もなくて楽しみだけで過ごすことも出来るとしても、その時期を過ぎてから、苦難の学びをする場合もあります。

「部分」だけでは、なかなか計ることはできず、「全体」を見なければなりません。

そして、全体と全体で考えていけば、誰もが、その人の器においての学びをしているのが、この世という経験をしている、私たち人間の姿なのです。

そのように、スピリチュアリズムの仕組みを踏まえてとらえていくと、自分だけが割を食っている、という認識は薄れ、悔しさは、幾分、薄れていくのではないでしょうか。

人生の前半で、苦労をしておく、という経験は、それほど悪いことではありません。精神が鍛えられ、忍耐力を身につけ、自分が苦しい経験をすることで、他人の身になって思いやりを持つことができる、という、メリットもあるからです。

苦労の裏側には、必ず成長があります。逆に言えば、精神が成熟している人とは、その裏側に、苦労を糧とした経験がある、ということになります。

つまり、苦労というのは、自分のため、なのです。

苦労という経験を通して、大きく成長していくことができるからです。

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必然のタイミングが、幾つも重なる ~ご相談者さまの事例。

世の中には、いくつもの出来事が、まるで、あるべき場所にはまっていくかのように、必然のタイミングで起こっていくことがあります。

今回の記事は、私のご相談者さまが経験なさった出来事です。ブログをご覧になる皆様に、何かの参考になれば、ということで、ご連絡をいただきました。ありがとうございます。

この方は、会社員のMさんという、男性です。

実は、少し前に、Mさんから、不定期で受付をしている「ガイドスピリットのリーディング」という企画に、お申し込みをいただいていました。

ところが、そのときは、後の方からの反応が鈍く・・・、時間をおいて、何度か試みても、まったく、手応えがなくて(^^;)、どうやら、今回は、後の方が、お伝えしたいことが「特になし」なのではないか、ということで、「受付できず」という形で、お断りをさせていただきました。

手応えが薄くて、反応があまりない、というケースは、まれにありますけれども、ここまで無反応に近いくらいの手応えのなさは、私も、はじめてだったかもしれません。

その後、Mさんに起こったこと、そして、不思議なくらいの、必然が重なったという内容は、以下のとおりです。

Mさんは、ある日、突然、目が見えにくくなり、そして頭痛もしてきました。

だんだんひどくなり・・・、仕事どころではない、という状態にまでなったので、病院で検査を受けたところ、免疫不全の「原田病」の疑いがある、ということで、北大病院に緊急入院をなさったそうです。

その後、3週間も入院なさって、今は、自宅で療養中、これからお仕事に復帰されるところだそうです\(^o^)/。

普通であれば、これだけの長期間、引き継ぎもなしに、お仕事を休まれるのは、いろいろ大変なしわ寄せが社内であったり、取引先ともトラブルがでたりしてしまうことが多いものですが・・・、

いくつもの奇跡的な必然が重なり、お仕事への影響も最小限、そしてMさんご本人にも、大変な中にも、不思議な助けのようなタイミングがありました。

Mさんのお仕事は、札幌市内の病院に出入りする、営業職です。

それで、今回の不調の際にも、Mさんがよくご存じの、取引のある病院に診察にいったそうです。

そして、検査の結果、原田病の疑い、ということで、北大病院への紹介や検査の予約も直ぐに行ってもらえて、その日のうちに、入院の手配をしてもらうことができました。

これは、Mさんが、この最初にいった病院のことを、お仕事柄よくしっていたので、よいところを選ぶことができて、そして、すぐに病名がわかり、北大への連絡をスムーズにしてもらうことができた、という、Mさんの、お仕事ならでは、という部分があると思います。

原田病というのは、自己免疫不全の、めずらしい病気だそうで、全国でも、研究をしている病院が一桁しかなく、そのうちのひとつが、北大病院だったそうです。

もしも、他の土地で発症していても、札幌までこないと治療ができなかったかもしれない、と。

そして、Mさんのお仕事のほうですが、ちょうど、営業担当となるの病院が、年度替わりで、変更になり、Mさんが4月から受け持つ、新しい病院は、3月までの担当者がそのまま、入院期間中は受け持ってくれたので、先方の病院に迷惑をかけることもなく、その方も、以前の自分の担当エリアなので、問題なく仕事をこなしてくれたそうです。

そして、前年度から引き続いて担当していた病院についても、同じ営業チーム内のひとりが、たまたま、その時期、仕事に余裕があって、Mさんの担当を全面的に引き受けてくれたのだそうです。その方は、ベテランで、お仕事をよく知っているので、こちらも、先方の病院にはまったく迷惑をかけることなく、軽々と仕事をこなしてくれた、と。

Mさんは、こうおっしゃっています。

「もしも、自分の人生で、いつか、この病気を発症しなければいけないなら、今回ほどベストなタイミングはなかった」、と。

最初にいった病院(北大を紹介してくれた、別の病院)も、Mさんが、今のお仕事についているからこそ、そこを選ぶことができたわけで、そうでなければ、直ぐに、原田病が判明して北大へ、という流れがつくられなかったかもしれないですよね。とても珍しい病気だそうなので。

私は、Mさんが、この会社にお勤めになる以前から、ご縁をいただいておりますが、数年前の前職の在職中であれば、このスムーズな流れは、なかったかもしれませんよね・・・。

そして、札幌市民だったこと、北大が市内にある、コレが一番のベストな状態だったと思います。

さらには、お仕事の担当割りについても、たまたま、そのとき、ベテランの営業職の手があいていたので、お願いすることができたけれども、もしも、ちょっと時期がずれていたら、その人には、別の仕事が割り振られていて、余裕がない状態だったかもしれません。

新しい担当エリアについても、Mさんが引き継いでから時間が経ってしまえば、以前の担当だった方も、スムーズにはフォローでいないところもあったかもしれないですよね。

そう考えると、本当に、いろんな要素が、Mさんにとって、望ましいものになっていたのだと思います。病気そのものは、ありがたいものではないかもしれませんが(^^;)・・・、Mさんがおっっしゃっているように、「いずれ、どこかで病気を発症しなければいけないのならば、今がベストだった」というその言葉が、本当に当てはまっていると思います。

こういう必然の重なりを経験すると、本当に、自分だけの力で生きているわけではない、「生かされている」のだ、ということが、実感として分かるものです。

実は、私自身も、このご連絡をいただいて、学びを得ました。なぜ、ご依頼をお引き受けできなかったのかが、なんとなくですが、こういうことが理由かな、というのが、分かったような気がしました。

それは、私にとって、まったく新しい視点の気づきでした。その内容を、今回の記事煮含めると、あまりに長くなってしまうので(^^;)、それはまた、機会を改めて書くことにさせていただきます。

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2012年6月20日 (水)

「このままでは、いけない」と思ったときは。

今のまま、このままの自分ではいけない、と思ったら、そのときが、「変わり時」です。ふさわしい方向、あるべき方向へと、自分を前進させていきましょう。

今のまま、このままでは、望ましくない、とは思っていても、具体的にどんな行動をとればいいのか分からない方も多いかもしれません。 そういうときは、以下のような考え方をしてみるといいでしょう。

まず、変わるためには、「どこを」変えていくのか、をはっきりさせる必要があります。上記のように悩んでしまう人は、「どこ」という範囲の狭め方が分からないのだと思います。

変えるべきところは、自分が「今のまま、このままでは、いけない」と思っている、「今のまま」「このまま」に、当てはまる部分です。

自分は、「何に」対して、今のまま、このまま、という表現を使っているでしょうか。

親しい友人やパートナーがいないことでしょうか、それとも、ずっと実家暮らしをしていることでしょうか、人間関係を避けていることでしょうか。

「そこ」が、あなたが、行動するポイントです。

親しい友人やパートナーがいないまま、毎日を過ごしていることについて、このままではいけない、と思うならば、親しい人を見つけるか作るためには、どうしたらいいのか考えましょう。

ずっと実家暮らしで、自分に自立心がないのでは、と心配ならば、ひとり暮らしを検討するか、または、ひとり旅にでも出てみて、いつもと違う環境に身を置いてみてはどうでしょうか。

人間関係が苦手で、付き合いを避けてしまう性格ならば、なぜ、自分は、人付き合いが苦手と感じるのか、どんな部分が嫌なのか、という分析をしてみましょう。

中には、今のまま、このままではいけない、という、漠然とした思いはあるけれども・・・、しかし、「今のまま」「このまま」が、何を指しているのか、思い浮かぶ具体的範囲がなくて、何もわからない、という人もいるかもしれません。

そんなあなたが、今、取り組むべきことは、「自分を知ること」です。

今の自分を知らなければ、変えようにも、今自分が立っているスタート地点がわからないので、ゴールの方向の見当がつけられないので、進むことが出来にくいし、わかりにくくなります。

自分を知るために、自己分析を開始しましょう。それも、「今のまま」から、「先」へ前進するためのプロセスとなっていきます。

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2012年6月19日 (火)

理想と現実が違う、と悩んでいる状態のオーラ

人生というのは、往々にして、自分が思うとおりにはいかないもの、だと思います。理想のとおりには、現実が展開してくれない、という気持ちは、少なからず誰もが抱いていることでしょう。

何でも自分の思い通りになったら、そこから学べることは少ないわけで、思い通りにいかないからこそ、さまざまな工夫を考えたり、忍耐を学んだり、人付き合いの大切さがわかったりしていくので、それもまた、意味のあること、だと思います。

自分の思い描く理想と、現実が違うことは、ある意味、当然といえば当然です。この世は、自分の願いが、何でも叶う、魔法の世界ではないですから・・・、そして、そのことは、多くの人が、分かった上で、生活していると思います。

しかし、中には、今の生活に大きなストレスがあるとか、行動を制限されているかのような状況にあり、理想と現実との間に、あまりに開きがあると、深刻に悩んでしまうケースもあります。

そういう状態にある人のオーラは、頭の付近のオーラが、「内側」と「外側」のような形で、色味がわかれていて、そして、くすんでいます。そのはっきりと、色味が別れているような差が、その人にとっての、理想と、現実との、差を表しています。

理想どおりにいかない自分自身に葛藤があるときは、どちらかといえば、内側のほうがくすみがつよくなり、自分が正当に認められていない、理解のない周囲や世の中が悪い、と思っているときには、どちらかといえば、外側のくすみが強くなっていることが多いように思います。

このような状態になると、本人は、とても閉塞感を感じて、どこにも打開策がないような、行き詰まりを覚え、とても苦しくなります。

この状態になるのは、「理想と、現実とに、落差があるから」・・・ではなく、「その人が、理想と現実とに、落差がある、と、思っている」ことから起こります。

たとえば、100人が、その状況を見たときに、99人が、理想と現実にそれほど大きな開きはないだろう、と思うような場合でも、その本人が思っていれば、自分の思い、感じ方が、オーラに表れていくわけです。

つまり、現実の、置かれている環境がそうなっているから・・・ではなく、(客観的な)現実はどうあれ、本人がそう思っていれば、オーラにくすみをつくりだし、自分を苦しくしてしまうことにも繋がるのです。

なので、自分の考えすぎや、思い込みで、苦しくなっている人には、まずは、自分のその思考のクセというか、特定のことにこだわっているとか、悲観的になりすぎていることに、気づいてもらうことが必要となります。

この状況にある方からのご相談は、「どんな行動をすれば、今を変えられるのか」つまり、理想から離れている状況を変えるために、どんな行動が、理想どおりになることに直結するのか、という観点から、いただくものが多いです。

けれど、まずは、自分の考え方が、その苦しみを作りだしている、実際にどうなっているか、よりも、それを、自分がどう受けとめているかにより、今(の、自分)が作られている、という点に、気づいていただくことを優先したほうが、改善に繋がるように思われます。

具体的な行動は、その後で考えていくほうが効果的となるでしょう。

「思い」も、エネルギーであり、自分に作用しますので、思いが自分の今を作りだしているという面もありますから、思考がこだわりになったり、偏ったりしていないか、という点を見つめていくことは大切です。

世の中は、自分の思い通りになるわけではないことに、気づく必要がある人もいれば、自分が思っているほどには、理想と現実に開きはなく、取り組み方や考え方の焦点がずれているから上手くいかないだけ、という場合もあれば、そもそも、思い描いている理想が、自分から遠すぎるために、落差が作られている場合もあります。

頭の付近がくすんでしまうと、インスピレーションも遮られるので、本来の判断力や思考力も鈍ってしまって、ますます、ひとつの考えにとらわれてしまうものでもありますが、そのあたりを理性で判断していき、自分を見つめ直す姿勢が、自分を助け、よりよい未来へと向かっていける力になっていくと思います。

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2012年6月18日 (月)

自問自答が、抽象的になっていないか。

物事を、狭い範囲で捉えすぎると、「木を見て森を見ず」という言葉もあるように、全体的な視野がないので、偏った見方になったり、大事なところを見落としたりすることがあります。

広い視野をもって、全体を眺めていくことにより、「森の中にある、木」という立ち位置を含めて考えていくことができ、木だけを、じーっと眺めているよりも、そのほうが、木についてよく分かるようになります。

けれど、あまりに、広く考えすぎても、思考が抽象的になり・・・、そうなると、具体的な解決策や改善策が、思い浮かびにくくなります。「森」だけを見ていても、個別の「木」については、焦点があわないからです。

どんな場合でも、具体的な対象があることについて思考するほどに、具体的な解決策や改善策が、見つけやすくなるものです。

たとえば、他者から「美味しいランチは、どこで食べられるか?」という質問をされたとしたら、・・・これにズバリ答えるのは、難しいですよね(^^;)。

美味しい、といっても、その人の好みはどういう分野なのかが分からないと、答えられません。質問が、「(質問者本人ではなく)あなたが、美味しいと思うランチのお店を教えて」という内容ならば、答えることはできますけれど、その前提がないと、「美味しいランチ」というだけでは、「森」だけ見ているようなもので、抽象的すぎるのです。

その質問の前に、「この付近のお店で」というひと言が加われば、答えやすいですよね。または、「1000円以内で」とか、「喫煙できるお店で」とか、何かしら条件がないと、明確な答えは返せないと思います。

そういう前提条件がないまま、「美味しいランチは、どこで食べられるか?」とだけ聞いてくる相手がいるという場面に、実際に直面するとしたら、「・・・この人は、ずいぶんと唐突な発言をするなぁ・・・。その聞き方では、答えが難しいが・・・、どんなランチのことを想定して話しているだろうか?」と、思ってしまわないでしょうか。

自問自答の場合も、本来は同じで・・・、範囲の広すぎる質問に対する回答は、難しいものになります。

ところが、自分と自分とのやりとりでは、嗜好や判断基準が共通していて、その部分のすりあわせをお互いにする、という手順がはぶけてしまうので、逆に、「美味しいランチは、どこで食べられるか」という質問が、範囲が広すぎて考えにくい想定の仕方であることに、なかなか気づけません。

同じ思考を繰り返しながらも、まったく前進しない場合は、このケースに当てはまることが多いと思われます。

自分の思考、自問自答が、「木を見て、森を見ず」ならぬ、「森を見て、木を見ず」になっていないか、その点を分析してみましょう。

それで、気づけたら一番よいのですが、なかなか、自分では、どこが「木」になるのかが、見えてきにくいものでもあるので、そういうときには、自分以外の誰かに、話してみるのもよいと思います。

「美味しいランチは、どこで食べられるか?」と考えているのだけれど、あなたはどう思う?と、意見を聞いてみるのです。

そうすると、たとえば、「それは、誰といく場合?」などと、不明な点のヒントを与えてくれることがあります。

確かに、友達といくのと、義理のご両親と行くのとでは、選ぶお店も違ってきますよね。「どこが、美味しいか」だけでは、答えが見つけにくいのだ、と、そこで気づくことができるかもしれません。

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2012年6月17日 (日)

この不思議な出来事は、守護霊の働きかけかも?

私たちには、それぞれ、成長を見守り導いてくださる役割の、守護霊と呼ばれる存在がいます。

その方達は、基本、私たち人間の自主性を尊重して、成長を望んでいらっしゃいますので、何でもかんでも、私たちの願望を叶えたり、満たしたりするような手助けはしませんし、私たちに向けて、自分(守護霊)の存在を、ことさらにアピールするようなことも、通常はしないものです。

アピールをするとしたら、それは、「そうする必要性が高いとき」です。それはつまり、守護霊が働きかけをしていることを、自覚してもらうほうが、その人のこれからの成長に有意義になるケースです。

たとえば、危機を回避したときに、たまたま助かった、と思うよりも、これは不思議な巡り合わせで助かったとしか思えない、という認識のほうが、その人が、今後、さまざまなものに感謝して過ごしていけるようになることがあります。そういう場合には、意図的に、守護霊が、何らかの不思議な力が作用した、としか思えない、という状況を作り出すことで、存在をアピールしてくることもあります。

先日、ご相談者さまから、このようなお話をお聞きしました。

過去に、あるメール企画のオマケ?として、過去にペルーに生きていた、という霊からのメッセージを、全員共通のものとして差し上げたことがあります。

この方は、その内容がとても気に入って下さって、「とても役に立ったので、ペルーさんにも、リカコさんのほうから、お礼を伝えてくださいheart04」というメールをいただだきました。

それに対して私は、「あなたがご自分で、心の中でお礼をいえば、それはきっと伝わると思いますので、ご自分で、お伝えになってみてください」と、そのようなお返事を出したと思います。

実際に、あちらの世界は物理的な距離は関係がないので、心のエネルギーの伝達で伝わっていくものだからです。

それで、その当日に、寝ながら、心の中で、思いを伝える、という行動をとってみたそうです。

そしたら、そのお礼を言い終わった1~2分後に、寝室に、ビョイ~~ンnote と、ギターの音が鳴り響いたのだそうです\(◎o◎)/。

ベッドのそばには、ご主人のギターが、弦にピックをさしたままで、飾ってあったそうです。

ご主人も、その音で目を覚まし、電気を付けて確認したら、ピックが下に落ちていた、と。

「でも、ピックが下に落ちるという動作で、あんなに綺麗に音が鳴り響くものだろうか?」と、二人で、何度も、ピックを弦に挟んだままの状態から落としてみても、結果は、先ほど耳にしたような音とはほど遠いものだったそうです。

そのときは、意識していなかったのだけれども、後で考えてみると、それは、ペルーの方が、「ちゃんと、届いたよ~shine」と、合図をしてくれたのではないかと思った、と。

ペルーにも、ギターのような弦楽器で有名なものがあるらしいので、そのアピールをしてくれたのではないかと思った、と、ご連絡をくださいました(^^)。

きっと、ペルーの霊か、または、その方の守護霊かのどちらかが、「あなたの真摯な思いは伝わったよ」、という合図bellを、してくださったのだと、私もそう思います。

守護霊の方達は、必要のあるときには、そうとわかるようなアピールをしてくださることもあります。しかし、通常は、私たち人間の自主性を尊重してくださっていますので、過剰な働きかけをしてこないことが普通ですし、それが逆に、愛の深さを現しています。

上記のような出来事は、いつでもは起こりません。守護霊やスピリチュアルに依存せず、自立心をもった上で、自分のやるべきことをきちんとやっている、そういうときに、もたらされる、後押しの合図だと思います。

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2012年6月14日 (木)

「影響を受けやすいタイプ」の、影響を受ける「仕組み」。

スピリチュアリズムに関心が高い人の中には、他人の感情に同調してしまう、エネルギー的影響を受けやすい、霊に感化しやすいなどの、繊細で敏感なタイプ、いわゆる憑依体質タイプの方が、少なくないものです。

そういう方達は、「自分が影響を受けやすい」という点に意識が過剰に向いてしまうために、おなじ要素のもの同士が引き寄せ合うという、「波長の法則」を、軽く捉えていて、自分の中にもおなじ要素があるからこそ、影響を受けてしまう、という仕組みを、忘れがちになります。

どんな場合でも、(影響を受けやすいタイプであろうと、そうでなかろうと)、波長の法則は、関係します。 自分の中に備えている要素が、外からの同様の要素を引き寄せる原因になるのであり、自分の中にないものが、外から一方的に加えられることはありません。

「影響を受けやすい性質の人」が存在することは確かなのですが、しかし、影響を受けやすければ、何の規則性の法則性もなく、どんどん一方的に影響を受けまくるかのような理解は、正しくありません。

自分には思い当たるところがないのに、影響を受けてしまったら、これは自分が影響を受けやすい性質であるせいだ、と思いたくなりますが、しかし、実際には、自分の中にも、気づかないところで、少しくらいは、それを引き寄せてしまう、おなじ要素が存在しています。

影響を受ける、というのは、「自分の持っている、味噌汁が入った鍋の中に、外から、同様に味噌汁が足されてしまう」ようなもので、「空の鍋の中に、一方的に味噌汁を入れられてしまう」ことはありません。

性質的に、影響を受けやすい、というのは、おなじものが引き合うという、波長の法則とは無関係の要素として作用するという意味ではありません。どんな場合でも、必ず、波長の法則は基本原則として作用します。

理解しやすさのために、数値化してみると、仮に、自分の味噌汁の鍋に、もとから入っている量と、同量が足されることが、平均だとしましょう。20mlあれば、外からも20ml引き寄せてしまうものだとします。

そうすると、影響を受けやすい人は、20mlのところに、外から50mlが、足されてしまうことがある、とか、自分でも気づかないくらいの、5mlしかないところに、20mlの影響を受けてしまいます。

それらの、影響のされやすいさの「度合い」が大きいことを、影響を受けやすいタイプである、などと表現するのであり、その性質を持っている人は、波長の法則を無視して、空の鍋に味噌汁が足されてしまう、ということではありません。この点を、誤解しないことは大切です。

多くの人が、この点をきちんと理解していなくて、自分が一方的に影響を受ける被害者で、影響を与えた人が加害者であるかのような、捉え方をしてしまうことで、(きちんと問題点を見据えていなくて、焦点がずれているので)出口を見えにくくしてしまっているように思います。

では、自分の中に、ほんの少しでも、その要素が存在すれば、おなじものを引き寄せて、影響されまくるしかないのか、というと、そこも違います。

結局、外から味噌汁が足されてしまうのは、自分の「鍋のフタが、開いているから」です。きちんとフタを閉めていれば、それでも、影響をゼロにすることはできないにしても、振りまわされるほどの強い影響を、受けてしまうことはまずない、と言えるでしょう。

「影響を受けやすい人」というのは、生まれつき備えている鍋が大きいことが理由となっているケースもないわけではないですが・・・、そのほとんどは、鍋のフタが無防備になっていること、無防備になりやすいことが、その受けやすさを底上げしています。

無防備に開きやすいフタになっている、ということは、自分のどこかに不安定さやアンバランスさがあるからこそであり、または、主体性が十分でないことでもあり・・・、だからこそ、波長を上げましょうとか、自分を見つめ直しましょうとかの、基本的な考え方が最も有効な改善方法となっていくわけです。

けれども、それらの理解が十分ではない人は、自分が被害者であり、自分には悪いところはなにもない、と、どこかで思っていて、影響を受けやすい体質である、という、その表現だけにとらわれていて、基本的な考え方からのアドバイスが、上辺のきれい事で、建前で・・・、自分が聞きたいのはそんなことじゃない、とばかりに、軽く扱ってしまうから、いつまでも状況が改善しないまま、振りまわされることになります。

改善するためには、または、その、影響を受けやすい性質を活かして、望ましいものの影響を受けていくなどの工夫をするためにも、仕組みを含めた、正しい理解が大切です。そこがズレてしまうと、解釈も、応用も、工夫も、改善方法の模索も、全部がずれてしまいます。

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2012年6月13日 (水)

過去の行動を取り消したいとき。

過去の自分の行動を、大人になった今、とても後悔して、なぜ、あんな行動をとったのだろう、もっと相手の気持ちを考えて言えばよかった、できることなら、あのときの行動を消し去りたい、と、思うことが、あるかもしれません。

それは、過去と比較して、今の自分が、成長したからこその思いです。成長していなければ、すべての自分の行動を正当化したまま、相手がすべて悪いと思い込み、後悔することはないはずだからです。

それだけ、自分が成長している、という点では、自分を褒めてあげていいでしょう。

しかし、成長していき、感性の器が深くなればなるほどに、過去の幼い自分の言動について、あんなことをしなければよかった、という後悔の思いが、より強く出てきてしまうものでもあります。

自分の過去を振り返り、分析していくという行為は、より成長した自分になるために、とても有意義なプロセスのひとつです。

思い出して、後悔して、傷つくこともあるけれども、それを乗り越えて前進していくときには、「あの経験への後悔があるからこそ、今を大事にできる」という気持ちになることもできますので、過去のすべてが力になっていきます。

自分がとった行動には、自分が責任を持たなければなりません。すべてが、今の自分をつくっている積み重ねとなっているわけで、過去の行動を、なかったことにする、消し去って無にすることは、出来ません。

しかし、「その分を補ってあまりあるほどに、取り返すくらいの気持ちで、これからの毎日の中で努力をする」ことならば出来ます。

さらには、過去を反省して、自分を見つめ直していくことも、良いエネルギーを循環していくことに繋がります。自分の考え方という土台が変わることは、それ以降のすべての言動に、影響を及ぼしていくからです。

ただし、上辺だけ、言葉だけの反省では、あまり意味がありません。心からの反省と、その反省に基づいた、自分の生きる姿勢の変化あがってこそ、よいエネルギーが作られていくようになります。

「過去を消し去ることは出来ないけれども、それを補って余りあるような、新しい行動や努力をすることはできる」のですが、しかし、新しい行動といっても、具体的に何をしたらいいのか、直ぐには思い浮かばない人もいるでしょう。

または、頭では理解できても、心が自分の過去にとらわれて、区切りを付けることが難しく、気持ちを切り換えることが難しい場合もあるかもしれません。

そういうときには、まずは、手っ取り早く、「一般的に、良いとされている行動」「分かりやすい形での、善行」を行っていき、自分の気持ちの上で、一区切りつけていく行動をお勧めします。

たとえば、慈善団体に寄付をするとか、ボランティアをするなどの行為をしていくのです。

誤解していただきたくないのですが、そういう行為をすれば、過去が帳消しになる、という意味ではないです。それさえやっておけば、マイナスが埋まって、補えるからそれでOK,ということでもありません。そういう、浅い理解はしないようにお願いします。

心からの深い思いと、前向きな気持ちをもって、それらの行動に取り組めたらベストなのですが(思いも、エネルギーなので)、しかし、仮に、思いが付いていかない形だけの行動の場合でも、行動をした、というエネルギーは、作られていきます。しないよりは、するほうが、ずっといいのです。

そうすれば、過去を取り消すことはできませんが、少なくとも、プラスを積み重ねる行為にはなっていますので、自分の心のバランスが取りやすくなり、過去にとらわれる思いも軽減し、より、自分を高める努力をしていけるようになると思います。

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2012年6月11日 (月)

質問の仕方によって、否定や威圧感を与えてしまうことがあるので注意。

白黒はっきりさせたい、不明点を、その場で確認して納得しなければ気が済まない性格の人は、相手の言動に、自分が理解出来ない要素がほんの少しでもあると、どうして?どうして?と、質問攻めになる傾向があります。

そして、そのことを、自覚していない人が多いですが、実は、このような思考や行動の習慣は、トラブルになりうるので、注意が必要です。

確認しなければ気が済まない人は、自分が納得するために、その質問をして相手に確認するのは当然であり、正当である、と思っています。

けれど、実際に、どうして?どうして?を、一対一の会話の中で、繰り返し行われたら、ほとんどの人は、圧倒されて不愉快になります。なぜなら、どうして?なぜ?という聞き方には、なんとなく、否定的なニュアンスがあるからです。

発言する側は、相手を否定するために質問しているのではなく、単純に自分が分からないことを聞いているつもり、かもしれません。多分、ほとんどのケースはそうなのでしょう。

しかし、聞かれる側が、どのように感じてしまうものか、という点は、考える必要が在ると思います。相手との関係を良好に保ちたいならば、そういう気配りは大切だと思います。

自分で発言するときには、無意識であり、相手を攻撃したり否定したりする意図などないでしょうから、意外と気づきにくいものですが、文章で読むと分かると思います。

たとえば上司と部下の会話で、

 「今日は、いつもの作業工程を変えて、最初に●●をしてほしい」

 「どうしてですか?」

・・・となったら、不満げなニュアンスが込められているように読めるのではないでしょうか。なぜ、私がそれをしなければならないの?という意味で聞いているような。

実際には、部下は、●●を最初にするのはかまわないけれども、それにどんな意味があるのか?意味を分かって作業したほうが望ましい部分があるのか、そうでないのかを確認しておきたい、という気持ちから、聞いたのかもしれません。

しかし、口から出てきた単語が「どうして?」では、そのような含みは、普通は相手に通じませんよね。

たまたま、その場のノリで、一回くらいなら、それでも問題はないかもしれませんが、複数回繰り返されたらどうでしょう。

 「今日は、いつもの作業工程を変えて、最初に●●をしてほしい」

 「どうしてですか?」

 「そちらを優先してほしいと、取引先からの要望が急に出てきたから」

 「どうしてですか?」

・・・となったら、相手を責めているようにも感じられないでしょうか。なぜ、それを私がしなければならないの?なぜ、取引先が急にそんなことを言い出したの?担当者の管理が悪いからでは?と、実際には、そんなことを思っていないとしても(^^;)、なんとなく、そういうニュアンスで聞いているかのような、威圧感を感じさせてしまいます。

分からない点を質問するのが悪いとはいわないけれど、「聞き方」には注意を払って、相手がどう思うか、という観点から考えてみる姿勢が大切です。

自分が分からないことを質問して、相手が答えるのは当然、などとは思わないことです。同じことを聞くにしても、たとえば、「そうなんですか、何かあったんですか?」とか、「それは今日だけですか(それとも、今後も)?」などのように聞けば、相手の受け止め方も違うと思います。その後の会話も繋がりやすいでしょう。少なくとも、否定っぽいニュアンスは薄まっていきます。

このことに気づかずに、どうして?どうして?を繰り返すと、主に、せっかちなタイプの男性との間で、トラブルになることが少なくありません。

過去にも同様のことを何度も書いていますが、男性というのは、基本、思考回路が「解決思考」です。解決のために前進する前提で思考や行動や発言があります。

そういう前提で考えたときに、「●●をしてほしい」「どうして?」「取引先の要望が出て」「どうして?」では、会話をしても、事態がさっぱり前進していませんよね。これは、せっかちなタイプの男性だと、イライラしてしまうこともあるでしょう。

たまにそういう発言があるだけならともかく、どうして?どうして?が口癖のように習慣化されている相手との付き合いは、その都度、否定的な威圧感を感じ、度重なれば、大きな怒りに結びついてしまうこともあるわけです。

発言する側に悪気はなくても、相手がどう受けとめるかを考えていかないと、人間関係を難しくしてしまう場合があるのです。

分からないことがあると、その「分からない、という状態」を、抱え続けていくことができずに、とにかく自分が納得しないと気が済まない人の、「どうして?」「どうして?」は、実は、結構、破壊力があるというか、人間関係のトラブルを引き起こしかねないので、注意したほうがいいと思います。

そういう発言が習慣化している人は、もちろん自分では、否定のつもりなく、分からないから聞いているだけ、なのでしょうけれども、せっかちで強気なタイプの男性との人間関係で、相手がものすごく大きな怒りをぶつけてくる、という形のトラブルを経験している人が少なくありません。

「どうして?」に悪気も否定する気もないまま発言しているのですから、相手の怒りは不当であり、自分は何もしていないのに、相手が一方的に怒りをぶつけてくる、と解釈してしまうものですが、その原因の一端は、自分の発言にもあるわけです。(怒りをぶつける相手は、悪くない、という意味ではありませんが)

相手が怒りっぽくて、一方的であるのは、そのとおりだとしても、怒りの導火線に火を付けてしまったのは、自分の過剰なまでの「どうして?」「どうして?」という発言だった、という場合もあるので、その経験を、自分を見つめ直すきっかけとして活かしていくように、気持ちを切り換えていくことが大切だと思います。

質問をするのが悪い、という意味ではないのです。分からないことを聞くのは、当たり前です。心掛けるべき点は、「聞き方」です。そして、それを相手がどう感じるか、という、想像力を働かせることです。

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2012年6月 2日 (土)

自分から、あまりにかけ離れていることは、達成しにくい。

成し遂げたい夢や希望を持っていることは大事です。その目標に向かっていくプロセスを計画しやすいですし、やる気というのは、毎日の生活にハリを与えてくれるものです。そして、達成したことが、自分のためになったり、世の中のために役立っていくことも、素晴らしく意義のあること、だと思います。

けれど、なんでも夢を抱いて、そのことに向かっていけば達成される、とは限りませんし、また、達成する前に、そもそも、スタートラインにすら立ちにくい目標を掲げてしまっているため、動けなくなってしまう場合もあります。

今回の件は、これから世の中を知っていく、20代前半くらいの人には該当しません。それ以降の年齢の人、特に30代、40代、50代~くらいの方に向けた考え方のひとつです。

これから世の中に出ていく人は、いろんな経験を積み重ねて、その上に、さらなる目標をもっていく生き方でいいと思います。

けれども、大人は、今から新しいことを積み重ねて、その先に目標の達成を、という考え方では、あまりにそのゴールが遠いものとなってしまう場合が多いです。

すでに多少の知識なり経験なりが「在る」ところから、つまりプラスの状態にあるところに、積み上げていくほうが、達成に繋がっていきやすいです。ゼロから、またはマイナスから、というのは、なかなか現実的には難しいものとなってしまうでしょう。

なぜなら、そういう場合は、「スタートに至るまでの、プロセスが、いくつも存在してしまう」からです。

すでに、スタート地点につくまでに、やらなければならない要素、越えなければならない山がありすぎて、スタートそのものを難しくしてしまいます。

たとえば、「ピアノを弾いて、多くの人に癒しを与える活動をしたい」という夢があるとします。

昔、ピアノを習っていた経験があって、今は使うことはないけれども、実家にはピアノがあるから、今からまたレッスンを受けて勘を取り戻していけば、弾けるようになると思う。あとは、ではこれから、どうやって、人に聞いてもらえる場をつくっていくか、どんな形でその活動をしていくかを考えよう、という段階にあるなら、夢は達成できるかもしれません。すでに、一部の条件が満たされている状態で、そこにプラスを積み重ねていけるからです。

けれど、まったくピアノを触ったこともない人が、同じことを目指すとしたら、どうでしょうか。

ピアノを弾くことで、音楽による癒しを提供したい、という意欲はとても素晴らしいものではありますが、「これから、ピアノを買うお金を貯めて・・・、そしてピアノを買ったら、レッスンを受けて・・・」という考え方では、他者の前で披露できて癒しを与えるような技術を身につけるまでに、とほうもない時間と労力が掛かってしまします。

そのような長期戦での考え方が、悪いというわけではないです。けれども、現実に、それが達成することができるか否かよりも前に、自分自身のモチベーションが、そこまで継続しない可能性もあります。

そうすると、途中で止めることになりますから、同じことを繰り返せば、「やりかけ」のことがいくつも散らばって、自信を失ったりすることに繋がるのですが、それは、自分の目標の定め方に問題があるという点に気づかなければいけないと思います。

そして、なぜ、取り掛かるまでのプロセスが多くなってしまうかといえば、それは、今の自分とあまりにかけ離れたものを、成し遂げようとしているからではないでしょうか。

自分とかけ離れていないことは、プラスからスタートできますから、開始の時点で底上げがあります。

30代以降の、ゼロからのスタートが、悪いというわけでも、無理ということでもないのですよ。もちろん、その年代になってからのゼロやマイナスからの積み上げも、前進していける人はたくさんいますが、そういう人は、よほどの行動力と積極性があって、意思がしっかりしている人でしょうから、やろうと思ったら、迷うことなく、直ぐに取り掛かってどんどん前進していきます。

そういうごく一部の人を除けば、やはり、自分の過去の経験とか、得意としていることなどの要素が、プラスとして活かされるような目標を掲げていくほうが、現実的に達成しやすい、といえるでしょう。

その迷いのプロセスにも、その人にとっての学びが何かしらあり、まったくの空振りになることはないと思うので、それが悪いとはいいません。自分が納得できるなら、それはそれでいいでしょう。けれど、ある程度の形にすることで、達成していきたい、という思いがあるならば、すでにプラスが積み上がっているものを、アレンジするなり、さらに加えるなりしていくほうが、現実的なゴールが見えやすいものとなると思います。

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2012年6月 1日 (金)

憑依体質の人は、顔が変わりやすい?

憑依体質、霊媒体質の人は、その時々で、いろんなエネルギーやら霊やらに感化しやすいので、「その時々で、顔が、変わりやすい」という特徴が、表れることがあります。

成長とともに顔が変わっていく度合いが大きい、とかの意味ではなくて、本当にその都度、昨日と今日、とか、さっきと今、のような、瞬間的な変化が出やすいのです。

そういうタイプの人は、自分の状態が整っていくこと、たとえば、エステや整体やカイロプラクティックなどで、(顔のお手入れをされたか、否かとは関係なく)、手入れをされた後の、顔の変化が顕著に表れやすいと思います。

以前にも何度か書いているとおり、体のケアをすると、それにつれて、不要なエネルギーが自分から抜けていく、という二次的な効果があるので、とくに憑依体質の人にとってはその変化というか、使用前、使用後(?)の落差が大きいので、顔が違ってみえる(くらいに、変わる)ことがあるのです。

役者さんなどの芸能人も、平均以上に霊感が強い人は多いものです。霊感と芸術センスというのは、とても似ている資質なので、それも当然、といえるでしょう。

役者さんが、いろんな役柄を演じる都度、その役柄にあった顔になるのは、衣装やメイクで変化を付けているだけが理由ではなく、その役柄に同調していたり、ふさわしいエネルギーに感化していることが、影響していると思われます。

私自身も、とても顔が変わりやすいです。対面セッションの時にご相談者さまから、よく言われたのが、「話をしているうちに、リカコさんの顔が、だんだん、自分の顔に見えてくる」、というようなことです。

セッションのときは、ご相談者さまに同調するというか、波長を合わせていくことで、いろんなことを把握しますし、後の方にも波長を合わせていくので、自然と、その方のエネルギーに、私が感化していきます。そうすると、ある種の憑依状態にもなりますので、その影響が、顔に表れて行くのだと思います。

後の方も、広い意味でいえば、「自分自身」でもありますので、どことなく親近感があるような、似たような雰囲気を持っていますから、そのエネルギーを媒介している私に、「自分と、似ている」ように、感じるのは当然で、そして、私は、とても顔が変わりやすいタイプなので、その影響がわかりやすいのでしょう。

このような影響というのは、ネガティブなほうの感化にも表れます。ご相談いただく方の大部分は、悩んでいて苦しくて苦しくて・・・という状態に置かれていらっしゃいますから、いろんな感情のエネルギーやら、未浄化霊の憑依やらで、いっぱいになっているケースも少なくありません。

そういうエネルギーも、被ってしまいますから・・・、というか、私が一部分、引き受けてしまうような形になっていきますので、そういうセッションの後は、鏡で自分をみると、鏡に映っている人がいったい誰だかわからない、というくらいに(笑)、顔が変わってしまうこともあります(^^;)。

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