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2012年5月 6日 (日)

改善や解決のために、問題点を「具体的に」分析していく。

ある問題点や不明点を、改善させたり、解決したりしていくためには、その問題を、具体的に掘り下げていくことが大切です。

きちんと焦点を絞って分析していくと、その思考のプロセスも、そこから導き出される解決や改善のための手段も、具体的になっていきます。

ただなんとなく考えているだけ、だったり、問題点のポイントがしぼりきれていない場合は、言葉だけが表面をすべっていくかのように、深い掘り下げが行われず、思考がすべて抽象的になっていきます。

具体的、というのは、直接に知覚や認識がなされる内容を備えている様子を指す言葉ですが、その知覚や認識がどのレベルでなされていくか、というのは、個人差があります。

こうするのが具体的、という基準は、一概には言えないので、意外と、この「具体的」という言葉は、わかりにくさもあると思います。

そのため、「具体的に考える」とか「具体的に、結論を出す」という意味が、感覚つかめずに、「自分では具体的に思考をしているつもり、けれども、実際には抽象的な思考しかできていないので、改善も解決も進まないまま」、となっているケースが少なくないようです。

どのくらいを、具体的、とするか、という認識の基準は個人差があるとはいえ、あきらかに(誰が見ても)抽象的になっている分析を、具体的だと思い込んでいる場合は、自分の思考が具体的になっていない、という状況を、自覚する必要があります。

分析が具体的になっていないと、・・・ということは、解決する問題点が明確になってないことでもあるので、問題点がはっきりしなければ、解決のための働きかけもはっきり決めにくいですから、それが、前に進むことができない一因となりうるのです。

具体的に、という、言葉の認識について、どのくらいの段階を指すか、というのは、個人差がありますが、この場合においては、「問題となっている要素を分析していき、改善や解決のための手段を見つけること」が目的ですから、その前提で考えていけば、「すぐに行動に取りかかれるくらいの具体性」、を、基準にするとよいと思います。

たとえば、料理をする際に、「カレーライスを作ろう」と考えるのが、具体的です。抽象的というのは、「何か美味しいものを作ろう」と考えることです。

前者ならば、まずは冷蔵庫を開けて、カレーをつるくために足りない材料を調べる、という行動が取れます。または、レシピを調べる、という行動をとることもあるかもしれません。

しかし、後者の場合は、直ぐに行動にとり掛かることができません。「美味しいもの」が、どういうものなのか、が、決まっていないからです。何をつくるか決まっていなければ、何を買えば良いのかも分かりませんし、レシピも調べようがありません。

つまり、行動を取ろうと思えば、直ぐにでも取りかかれるくらいに、手段が明確にわかる段階までの分析が、具体的、といえるのです。

具体的に分析をしていき、思いついた手段が、問題点の解決や改善のために、適切であるか、ベストの手段であるか、というのは、また別の話です。

けれど、少なくとも、何かしら、手段を思い浮かべることができるのは、具体的な分析が出来ているから、だといえるでしょう。抽象的な分析では、手段を見つけるのは難しいのです。

たとえば、立派な人になるためには?と考えるのは、美味しいものをつくろう、としているのと同じで、どうすればそれが達成できるのか、方法を見つけるのが難しいです。いろんなことが幅広く当てはまる代わりに、これこそが効果的といえるものも、わかりにくいからです。

このような例えを考えると、具体的な分析をして、問題点を捉えていくことは、大きく一歩前進することに繋がると、分かると思います。

抽象的な分析になると、その結論自体は間違っていなくても、改善や解決のための手段が見つけにくいので動けない、という状況が発生してしまいます。具体的であれば、手段は見つけやすいので(それが、ベストな方法では無い場合でも、とりあえずは)動くことは、できます。

何でも闇雲に動けばいい、というわけではありませんが・・・、自分の思考が、実際に具体的になっているか、それとも、具体的になっているツモリだけれども実際には抽象的になっているかの把握は大事です。そのことと、解決や改善のための手段が思い浮かぶか否かは、セットになっているからです。

自分では、具体的に分析しているつもりでも、実は、その状態を客観的に見れば、具体的になっていない、十分に掘り下げて考えていないために、前に進むことが出来にくくなっているケースは少なくありません。

「自分の考え方は、解決や改善のための手段が思い浮かぶだろうか?」という観点から、具体性の度合いを計ってみると、新たな学びが見えてくることもあるでしょう。または、自分で自分の思考の偏りに気づくことは、難しいものなので、ときには、信頼のできる第三者に、意見を求めてみるのもいいかもしれません。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

リカコさま

先日、リカコさんのスカイプレッスンを受けた時に
自分の思考が「抽象的」であることに気づきました。
レッスン中も、自分では、ある目的を具体的に落とし込んでいるつもりが、それは抽象的でしょ?なぜなら、実際に行動できない内容なら、具体的にとは言えないとご指摘いただいて、やっと腑に落ちましたcoldsweats01
改善のためには第三者からの客観的な意見がとても有効であると実感しました。
また、今回の記事を読むことで更なる理解に繋がりました。ありがとうございましたhappy01

投稿: るみるみ | 2012年5月 7日 (月) 22時12分

*るみるみさま

抽象的な思考を、掘り下げて具体的にしていくだけでも、「取れる行動が増える」ので、前に進みやすくなりますので、この点に気づくことは、とても大きいと思うのですsun
その調子で、より深い理解とともに、ご自身の人生を豊かにすることができますように。

投稿: リカコ | 2012年5月 8日 (火) 09時01分

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