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2012年5月の18件の記事

2012年5月30日 (水)

好きなことを仕事にしたい人が、つまずく部分。

自分の好きなこと、楽しいことを、仕事に出来たら幸せだ、と、多くの人が考えると思います。

けれど、世の中の大部分の人が、好きでもなく楽しいわけでもない事柄を、仕事として選び、生活しています。

結局それは、「好きなことを仕事に出来たら幸せだ、という気持ちがあっても、実際には、好きなことを仕事にするのは難しい」という現実があるからです。

自分の人生は、自分が作り上げていくものなので、どんな選択をするのも、自己責任の上で、自由があります。もちろん、好きなことを、仕事にするのも、その人の自由であり、誰からも責められるものでも、批判されることでもありません。

けれど、実際のところ、好きだから、という理由「だけ」で、仕事を選んで、うまくいった人の話を、あまりに耳にしたことがありません。

逆に、「好きという気持ちだけでは、仕事はやっていけないものだ」という失敗の話が、きこえてくることのほうが多いものではないでしょうか。

では、どうして、「好きなことを仕事にする」のが、上手くいきにくいか、という点を考えてみます。

好きなことを仕事にして、上手くいかないのは、「好きなことを仕事にする行動そのもの」が原因なのではなくて、「好きなことを仕事に選ぼうとする、その人の考え方や性格」との兼ね合い、であることが多いです。

ここまで読んだだけでは、わかりにくいと思いますので、もう少し詳しく説明していきます。

好きなことを仕事にするか、そうしないか、という、行動だけで決まるのではなく、その人の考え方や性格が、「好き・嫌いを基準とする価値観を重要視しているか」「好き・嫌いという基準だけでは、決めないタイプか」という点との兼ね合いです。

好きなことを、仕事にしたい、と考える人の大部分は、前者の、「好き・嫌いが、判断の基準」となっているタイプです。

仕事関係に限らず、すべての状況において、好き・嫌いが、判断の基準となるタイプの人は、人間関係をそつなくやっていくことを苦手としている人が多いです。

感情的、感覚的な、好きか、嫌いか、が基準なので、「好きではないけれども、意義はある」という考え方そのものが、馴染まなく、頭では分かっていても、自分の感覚や感情が優先するためでしょう。

好きなことを、職業に選んだとしても、その仕事に付随する人間関係まで、好きになれるかどうかは、わかりません。多くの場合、金銭が絡む人間関係は、楽しさよりも苦しさのほうが多いものではないでしょうか。

つまり、「好き・嫌い」が物事を判断する基準という人が、自分の好きなことを仕事にすることで、上手くいかない原因となりうる一番の要素が、「人間関係の不調和」です。

人間関係が嫌だ、苦しい、と、なった瞬間から、そのようなタイプの人は、もう、前にも後にも進めなくなり、どうしていいかわからなくなります。こんなはずではなかった、と思っても、何が悪いのかが、分からなくなってしまいます。

金銭のやりとりがある人間関係で、楽しいだけ、好きなだけ、で、やっていくのは難しく、中には、気が合わない相手も、考え方がまったく違う相手とも、付き合っていかなければならなくなります。

好き・嫌いが判断基準となっている人は、その割り切りが難しいのです。頭では分かっていても、気持ちがついていかなくなります。

つまり、「好きなことを、仕事にして、上手くいかない」多くの場合は、

1)「好き・嫌い」を判断基準にして捉えていく性格の人が(その性格が悪い、ということではありません。性格そのものに、良いも悪いもありません)、

2)好きだから、というだけで仕事を選び、

3)そして、その中での人間関係が何かしらの問題となってしまう、

という、パターンです。

好きなことを仕事にして、うまくいく人も、中にはいると思います。そういうケースは、「好き・嫌いという基準だけでは、決めないタイプ」が、たまたま、選んだ仕事が、好きな種類の仕事だった、とうことなのでしょう。好き・嫌い「だけ」で判断していませんから、嫌なことがあっても、嫌な人間関係でも、なんとか自分に折り合いを付けていけるのでしょう。

性格に、良いも悪いもありませんが、好き・嫌い、という判断基準が優先してしまう人というのは、どちらかといえば、少々、たましいが幼いタイプ、とも言えます。

そのため、「好きなことを仕事にすれば、気持ちも充実するだろうし、うまくいくはず」と、根拠もなく思い込んでしまいます。そして、上記のように、人間関係でつまずくと、「うまくいくはずなのに、好きなことを選んでいるのに、なぜ、こうなるのだろう」と、原因を自覚できずに、迷路にはまり込みます。

本来、仕事というのは、忍耐を伴う学びであって、好きを仕事にするのは、相当に困難です。楽しいだけでは、学びにはなりません。ですから、仕事を選ぶ際には、好きか否かではない、その他のさまざまな要素を考えて選んでいくのが望ましいのです。

けれども、どうしても、好きなことを仕事にしたい、その気持ちが変えられない、と思う、「好き・嫌いの価値基準タイプ」の人も、いることでしょう。

そういう人は、好きな分野を考える前に、その仕事に付随する人間関係が、居心地良くやれそうか、という点から、先に考えていくといいと思います。

ネックになるのは、人間関係ですから、それが滞ると全部が滞るタイプなので、仕事の内容よりも先に、その仕事に関連する人間関係が、自分の価値観に合いそうか、という点から考えて、その上で、仕事の内容を選んでいくという考え方も、一つの方法としてアリかもしれません。

それですべてが丸く収まるわけではないでしょうけれど・・・、苦労は承知の上で、それでも好きなことを仕事にしたい、しかし、何がなんだか分からなくなって失敗する、という状況だけは避けたい、と思うなら、人間関係の居心地のほうを、まずは考えていくという工夫も有効だと思います。

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2012年5月29日 (火)

霊視や透視で見えるものは、その人の波長や霊格に見合うものとなる

スピリチュアリズムに関心がある中の、少なくない人達が、霊視や霊聴などの、いわゆる霊能力に興味を持っていて、もしも自分がそのようなことができるなら、もっと、いろんなことが分かっていくだろうから、霊的世界への理解も深まるに違いない、と、「大きな誤解」をしています(^^;)。

何かが見えることと、その意味が分かることは、同じではありませんし、見えるのと、見分けて解釈することも、同じではありません。

また、霊視的に見えたものが、「正解」であるとも、限りません。なぜなら、どんなことがどのくらい、そして「どのように見えるか」は、その霊視者の波長や霊格、人格によって、変わってきます。

どんなことも、自分と同じものが引き寄せ合うという、「波長の法則」が関係してきます。

つまり、霊視や透視的な視点で何かを捉えることができる人でも、その人の波長が下がっていて、霊格、人格も低ければ、霊眼に映るものは、比例して、波長の低いものになる可能性があります。

好奇心がいっぱいの人は、好奇心というバイアスが掛かりますし、自分は特別の使命を与えられた救世主だ、と思い込めば、思い込みというバイアスが掛かる、というふうに、霊視の視野というのは、とても容易に歪んでいきます。

見えないはずのものが見えることと、それが解釈できることは、関係がありません。

たとえば、肉眼の視力で、1.5の人と、0.7の人がいたとします。その場合、高い視力をもっていて、細部までよく物が見える1.5の人のほうが、見ている出来事の意味するところや、動機となっていること、これから先の予測などが、分かる・・・などという、規則性はありませんよね。

霊視や霊聴なども、基本は同じです。分析力、洞察力などの感性は、たくさん見えること、よく見えることとは、必ずしも比例はしません。

そして、見える内容も、その霊視者の人格によって、変わってきます。すべての霊能力者が、同じ範囲のところを見ているわけではありません。波長の高い霊視者は、波長の高いところを捉えていけますし、波長の低い霊視者は、波長の低い霊と、引き合ってしまいます。

低い霊の伝えてくることは、まったく当てになりません(^^;)。それどころか、わざと、間違ったことを伝えてくる場合もあります。低い霊に、からかわれるのです。

つまり、自分自身のたましいの成長を差し置き、霊視や霊聴を手に入れたいと好奇心でいっぱいになったり、または、そうして仮に、そのような力を手に入れたとしても、自分の霊格が見合っていなければ、曲解と思い込みの世界の中で、生きていくことになってしまいます。

霊能力を獲得することが大事なのではなく、基礎となる、自分自身がもっとも大事です。そうでなければ、霊視力が身につくことで、むしろ、それ以前よりももっと、世の中の大切なことが、見えなくなってしまうこともあるのです。

霊視が出来る人にとっても、「見分ける」ことは、本当に大変で難しいものです。

ひとつ、例をあげて、考えてみます。

過去に何度も取り上げていることですが、「思うこと」も、想念というエネルギーとして実体を持ち、作用していきます。

この、想念も、霊視者には、可視化されて、見えることがあります。たとえば、「私は、将来、医師の●●さんと結婚したいわ」とか、「私の前世は、聖徳太子じゃないかしら」と、思っている人がいるとします。

・・・もう、これから書くことの予測はつくと思うのですけれど(^^;)、想念と霊を見分けられない霊視者は、「あなたの将来は、医者と結婚していますね~、そんな様子を守護霊が伝えてきています」とか「あなたの前世は、聖徳太子だったようですよ」などと、捉えてしまうことも、可能性としてはあり得るのです。

想念が可視化できるのって、普通に考えればすごいことです。けれど、それができることによって、むしろ、見る目がくもってしまうこともあるわけです。

一方、江原さんクラスの実力のある霊視者であれば、「あなたは、将来、医師と結婚したいという夢があるんですね?」とか「あなたは、自分の前世が聖徳太子だったらいいな、と、思っているんですね」とか、そちらのほうを、当てることができると思います。そこまで見分けられるというのは、相当の実力者でないと無理ですが・・・。

こういう例をひとつとっても、何かが見えたからといって、それが正しいとも、役立つとも、言えない場合もあると、分かると思います。(本来であれば、一定レベル以上の霊能があれば、「想念」と「霊」との波長の差は、見分けることができるものだと思います)

肉眼で見えることと、物事の本質を見抜くことは違うように、霊視で見えることと、霊的世界を見分けることも、(無関係とはいいませんし、霊視で見えるからこそ把握出来る要素があることも事実とはいえ、しかし)それらは、完全なイコールではありません。

過去にも何度も書いたとおり、とても優秀な霊能者でも、当たる確率は、60%くらいとも、80%くらい、とも言われていて、100%全開になっている人はいないものです。

そして、とても低い霊に操られているような霊能者であっても、まったく当たらないわけでも、低いところ「だけ」に波長があうわけでもなく、少しくらいは、守護霊の意向を反映していたり、役だったりするところも、するかもしれません。

だからこそ、難しいのですが・・・、自分が霊視をされる側であっても、「霊視者を、見分けていく」ことが必要で、なんでも盲信してしまうのは危険です。その人の人格がどうだろうか、という観点から、よくよく考えていくことが大切だと思います。

霊視が万能でもなければ、何かひとつが当たったからといって、すべてが当たるわけでもありません。そして、自分が霊視ができるようになっても、それで楽や得ができるか、といったら、そうでもないのです。

霊視が出来ても、見分けられない人もいれば、霊視できなくても、洞察力や思考力が高く、いろんなことを見分けられる人もいます。

霊視ができようと、できまいと、人格が変わらない以上、本質を把握できる深さについても、平行移動です。

何がもっとも大事なのか、という点を、見失わないようにしましょう。 その上で、過度にならない、適度な関心を持つのはかまわないと思います。関心や興味の気持ちが、探求を深めていく原動力となることはあるからです。

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2012年5月28日 (月)

解決や改善のためには、問題点の、規模・スケールの認識を適切に。

悩んでいること、上手くいかないことを、今より改善したり解決したりするために、多方面から考えているのに、解決策が思い浮かばなかったり、または、取り組んでいるのに現状がまったく前進しないときには、「スケールの認識」が適切ではないため、かもしれません。

たとえば、隣町の美容室に車で出掛けようとしたら、隣町が様子が分かるような地図を確認します。その際に、世界地図を見る人はいないと思います。

逆に、アメリカと日本は、どのくらいの物理的距離があるのかな、と、思ったら、世界地図がふさわしく、隣町の地図は、ふさわしくありません。

世界地図の中には、日本も含まれてはいるけれども、細かい部分が載っているわけではないので、大きすぎるものは、(隣町にいく目的では)使えません。

問題点の解決や改善のためには、その要素が、どのくらいのスケールのものなのか、という、認識を間違えないこと、「大きく捉えすぎないこと」が、とても大切です。

それができないと、自分では頑張っているつもりなのに、隣町にいく目的で、世界地図を広げるようなことになってしまいます。隣町へのルートは、世界地図をどれだけ熱心に眺めても、いつまでも見えてはきません。

このような場合は、大は小を兼ねません。むしろ、範囲を広く捉えてしまうことにより、焦点がどこだか分からなくなっていまい、解決を難しくしてしまいます。

悩みごとの解決に取り組んでいる人の多くが、このような、スケールの捉え違いをしていることにより、解決を難しくしてしまいます。

ひとつ、ありがちな、認識の把握違いという例を出します。

人間関係が上手くこなせない人は、「自分は、社交的なタイプではない」と、悩んでいることが多いのです。一見、もっともだと思えそうですが・・・、しかし、ごく普通の生活を営む中で、「社交的なタイプ」であることは、必須でしょうか。

人間関係がうまくこなせない人が、社交的な性格ではなかった、という事実はあるのでしょう。そこは、認識として、間違っていません。

けれど、「自分は、社交的ではないから、人間関係がうまくこなせない」という認識の仕方や、「どうすれば、社交的になれるのか」と解決策を見出していこうとする認識の仕方は、(スケールの把握、という点で)間違っていると思います。

もう少し、掘り下げて考えてみます。

たとえば、私自身は、まったく社交的な性格ではありません(^^;)。人付き合いは、好きではありません。けれど、普通に生活していくことが出来るし、仕事も行っていくことができるし、集団の中に入っても、(それが、居心地が良いとか、楽しいか、というのは、別ですが)それなりにやっていくことは出来ると思います。

そのように考えると、人間関係をうまくこなせないことと、社交的であるか、ないか、は、そんなに大きな関連は持たない、と思うのです。なぜなら、社交的である、というのは、誰にでも備わっている性質ではなく、ごく一部の人だけが備えている、平均を大きく超えたもの、だからです。

人間関係を、努力によって、最小限のところまでは、うまくやっていくことは、社交的ではない人でも、十分に出来ますし、世の中の大多数は、そうしていると思います。

つまり、人間関係をうまくこなせない人が悩むポイントは、「自分には、社交性が高くない」ところではなくて、「最小限の人間関係が、要領よくやれない」ことや、「その方法がわからない」こと、ではないでしょうか。

社交性のあるなし、というのは、誰もが平均的に備えていることではなくて、平均以上の性質、ですから、誰にでも出来ることではないと思います。けれど、最小限の関係構築を、努力や工夫でなんとかやっていくことは、平均的(多くの人が、実際そうしているわけですから)だと考えれば、後者のほうに焦点を当てていくほうが、現実的ですよね。

自分は社交的ではないから、困った・・・と、悩むのは、たとえば外交官と結婚して海外に駐在し、現地でイベントを取り仕切らなければいけないとか、代々続く由緒ある家柄の長男の嫁になった、とか、そういう人が、悩めばいいことであって、それ以外の(人間関係がうまくこなせない、という悩みをもつ)人は、自分にどうしても関連してくる最小限の人間関係を、うまく乗り切っていけるような工夫することを、考えていくほうが、改善に繋がっていくと思うのです。

社交的という性質を高く備えていれば、おおよその人間関係について、広く網羅出来ることは確かですが、苦手な人が「そこ」を目指しても・・・、解決をより難しくすると思います。

世界地図には日本も載っているけれども、日本国内を知るには日本地図のほうがより詳細が把握できるように、ちいさいスケールのほうが現実に沿っていて、大きいスケールをもってくると、そこにすべてが含まれることは確かだけれど、焦点がいまいちわかりにくくなってしまうことがあるわけです。

問題点の規模を大きくとらえてしまうと、焦点が絞りにくくなり、現実的な解決や改善の方法が見えてこなくなることがありますので、この点は、心掛けて考えていくとよいでしょう。

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2012年5月26日 (土)

男性は、解決思考。

男性の思考回路というのは、物事を解決する、という前提で動いていく比率が、女性と比較して、かなり多いといえます。

女性は、特に意味のないストレス発散のための「おしゃべり」が大好きですが、男性は、そういう会話を嫌う人が多いですよね。そういう会話の中に置かれると、むしろ、ストレスを感じるのが男性です。

なぜなら、男性の受け止め方として、会話とは、必要があるからこそ、するもの、という前提があるのです。話し合うことで、問題が解決するとか、事態が前進するとか、誰かのために役立つとか、相手を理解するため、とか、そのような目的があって、目的を成し遂げるための手段として、会話があります。

一方、女性は、その時々の、自分の思いや感情を動機として、行動する比率は、男性よりもずっと高い、といえるでしょう。

男性は、裏の裏の裏を読んで・・・とか、複雑な解釈の仕方を、あまり好まないし、実際、そういう思考をしない人も多いです。女性は逆で、きっとこう思われているかも、とか、こんな態度をすれば、相手がこのように受けとめるに違いない、などと、複雑に考えていくことが少なくありません。

なぜ、男性が、女性のように、裏の裏の・・・と、複雑に考えたりしないか、というと、男性は、「解決思考」だから、です。深読みを重ねれば重ねるほど、思考がどんどん複雑化され、それにつれて状況も複雑化していく可能性は高いわけで、スムーズな解決を遠のかせること、だからです。

男性が、複雑な裏読みの思考を「できない」わけでは、なくて、思考の習慣として、(わざわざ、解決を遠のかせるようなことを)しないことが多い、のです。

女性が、共感してほしかったり、慰めてほしかったりの目的で、男性に愚痴を言うと、反応が、思っていたものと違って、「そういう場合は、もっとこうしたら?」とアドバイスめいたものになったり、または、不愉快そうな態度をされてしまい、理解を得られないことが多いのは、その感覚の差、なんですね。

男性からすれば、(女性は)解決したくて、その話題を投げかけているのかと受け取るので、その場合は、解決のために、アドバイスをするのが親切であり相手がそうしてほしいのだろう、という考えから、そのような対応になるわけです。

または、「愚痴を言ったところで、問題の解決にはならないし、事態が前進するわけでもないだろうに」と思うと、不愉快そうな態度をされてしまうのでしょうね。

女性が、どうも相手の男性と、会話や、主張したいことがかみ合わない、と思うことがあったら、「男性とは、基本、思考回路が、解決思考である」という前提で、考えてみると、相手が何を主張したいのかが、分かっていくかもしれません。

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2012年5月25日 (金)

世の中のために、自分を活かして役立ちたいが、方法がわからないときには?

自分に備わっている資質や才能を発揮して、世の中の役にたっていくような活動をしたいい、という、奉仕のお気持ちをお持ちの方はたくさんいます。

そのような気持ちはありながらも、具体的に、どうしたらいいのか分からないために、行動をすることができず、立ち止まっている方も少なくありません。

どうしたらいいのか分からなくなってしまう方の多くは、内向的なタイプなので、「どうしたらいいか」という考え方の中に、自分からその役割に至る道をきりひらいていく、という選択肢は含まれずに、外の要因を引き寄せる(自分は、受け身になって、そのチャンスを待っていられる)状況を求めている場合が多いようです。

数年前に、「タイガーマスク」の名前で、施設に寄付をする行為が社会現象になったことがありました。「タイガーマスクになった人達」は、自分の意思で、その行動をしたわけで、他人が、「誰か、タイガーマスクになりたい人はいますか?やる気のある人はいますか?」と、募集を掛けてくれたのではありませんよね。

世の中のために、役だっていきたいという気持ちは、尊いものですが、それを現実にするためには、自主的な行動が必要で、受け身になっていては、なかなか、その役割になるチャンスは、巡ってこないものではないでしょうか。

「どうしたらいいか、わからない」人達にアドバイスをするとしたら、まずひとつは、「受け身になっていては、そのチャンスは作られない」という点です。

きっかけが外からやってくることも、たまには、あるかもしれませんが、自分から動く前提で準備をすでにしている人が、タイミングよく、そのチャンスをつかんで活用できるのであり、チャンスがきてから、立ち上がるのでは、遅すぎますから、どちらにしても、自分がその気になって、動く前提になっていないと、事態は展開していかない可能性が高いのです。

そして、もうひとつは、思考の進め方です。

多くの人は、「何をしたらいいのか、わからない」と、「何を」という点で迷っています。もっといえば、「自分」が、「何を」したらいいのか、わからないので困っているわけです。

この、考え方の視点を変えていくのです。

他人のために、自分が何かをしたい、という気持ちでの行動ならば、「誰に対して」「(自分が)何を」という考え方にするほうがスムーズでしょう。「自分」が、「何を」するか、ではなく。

他人のために行動するときには、「誰に」「何を」という考え方は、セットになっているはずです。たとえば、「ピアノを、自分の子どもにプレゼントにする」とか、「姪に、洋服を作ってあげる」とか。

「私、ピアノを買って、プレゼントにしようと思っているの」「ああそうなのね、誰に贈るの?」「それはまだ、決まっていないわ」・・・という会話って、普通は、ないですよね。

「誰に」を定めないまま、「何か」の部分だけを考えているのは、上記の例えのように、贈る相手がわからないのに、贈り物の中身だけを決めようとしているのと同じで、・・・それは、考えても、答えがでないのも、当然といえるのではないでしょうか。

世の中のために、役立ちたい、けれども、具体的に何をどうしたらいいのかわからない、という方は、「何を」の前に、「誰に対して」働きかけをしたいのか、という点から、決めてみてはどうでしょうか。

つまり、どんな状況な立場に置かれている人に、役立つ活動をしたいのか、自分の心の中を、そのような観点で整理してみるのです。小さい子どもに対して、とか、悩んでいる女性に対して、とか、家族内でトラブルを抱えている人に対して、などです。

誰に、という、働きかける対象の範囲を決めていけば、まず、空白のマスの、ひとつが埋まります。

ふたつのマス、「誰に」「何を」のうち、「誰に」が決まった上で、「(自分が)何を」したらいいのかを、考えるほうが、ずっとスムーズに、絞り込んでいけると思います。

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2012年5月23日 (水)

上部に、浮き上がったオーラになっていると、雑念が止まらなくなる。

本来、オーラとは、体をとりまくように位置していますが、何かの不調和があるとき、たとえば、過度の疲労があるときや、心の状態がとても乱れているときなどに、一時的に、オーラと肉体の繋ぎ目が緩くなってしまい、オーラが上部に浮き上がったかのような状態に、なってしまうことがあります。

少しくらいは、誰でもなりうることであり、そして、自然に(その、不調和の原因が解消されていけば)元に戻っていくので、心配はいらないのですが、その状態が、長期間にわたってしまうと、ネガティブなエネルギーに干渉されやすくなるなどの、影響が出やすくなります。

本来、体の周りを取り巻いている位置に存在しているオーラが、上部にずれている様子を思い浮かべると、それはつまり、オーラ全体の面積のうち、頭の周囲や上部にあるオーラの面積の比率が高くなることが、分かると思います。

以前にも何度も書いているとおり、性格や精神の状態などの内面に関することは、頭の周囲のオーラに、よく表れていきます。

そのことを考え合わせていけば、オーラが上部にずれることで、頭の周囲に位置するオーラが広くなるわけですから、・・・ということは、その状態における「結果」として、内面に注がれるエネルギーが「過剰」になってしまうことが起こり得る、という関連性が、想像できるかと思います。

その状態が、もっとも顕著に表れるのが、「思考」の度合いです。必要な思考であればいいのですが、過剰になると、多くの場合それは、「雑念」へと変わっていきます。

変に集中しすぎ、気が上がりすぎ、になったり、頭の中が忙しく働き、休まらなくなってしまうことがあります。

オーラの状態に関していえば、多少のことは、誰にでも起こりうることで、そして自然に回復するので、あまり気にしなくていいですし、気が上がって、思考や雑念がいっぱいになってしまうことも、ときにはあるのが、一般的、だと思います。

なので、普段から思考力が高い人や、分析の習慣がある人は、比較となる、平常値が大きいので、そのときの自分の思考の量が「適度」なのか、「過度」なのかが、判断がつきにくいかもしれません。

その場合は、朝起きた瞬間から、雑念が止まらなくなっているか、という点が、目安になると思います。

朝一から、そうなっていたら・・・、それは、寝ている間も、実は頭が休まっていない証拠です。

「朝、眠りから意識が戻ってきたのと同時に、雑念がどんどんわいて」きて、今考えなくてもいいような、昨日見たテレビの台詞、もしも友達に合ったらこういう会話をしようかな、と思ったこと、あの人ならきっとこう言うだろう、という想像、過去の出来事の会話の一部を頭の中で反芻する・・・、というように、次々と雑念が浮かんでとまらなくなっていたら、その状態は、オーラの浮き上がりの状態は、「過度」と、とらえていいと思います。

「今日の、仕事の段取りは・・・」とか、「出社したら、まずあの仕事を忘れないようにしないと・・・」などのような、実際のこれからの行動に関連性のあるものは、このケースには該当しません。

「朝一から過剰な雑念」に該当する場合は、浮き上がっている状態を、「下に引き下げて、元に戻す」ことを心掛ける必要があります。

不調和を作っている原因を除けば、オーラは自然に元に戻っていくようになります。原因が思い当たるなら、そちらの改善や解決にとりくんでいくといいでしょう。

雑念が止まらなくなっている自分に気づいたら、深呼吸をするか、(頭の中のおしゃべりを止めるために、頭の中で思い浮かべるのではなく)誰かと、会話をして言葉を口から発する、ようにすると、その瞬間だけでも、リセットされるので、意外と効果があります。

そして、普段から雑念が多い人は、「オーラが浮き上がりやすいであろう、自分自身」という性質にも気づいていき、アンバランスにならないように心掛けるほうがいいでしょう。

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2012年5月22日 (火)

意味ありげな、解釈が難しい「夢」を見た場合は、どう捉えていくべき?

私たちは、夜眠っている間に、「夢」を見ることがあります。

スピリチュアルな観点から、睡眠をとらえていくと、私たちが眠っている間は、たましいが、いわゆる幽体離脱のような形で、あちらの世界に帰っている、といわれています。

そこで、守護霊から導きを得るなどしているらしく、江原さんの書籍では、夜寝ているときに、たましいが霊界に里帰りをしていて、今後についての作戦会議をしている、などという表現で分かりやすく説明されています。

それらの大半は、私たちは覚えることが出来ません。その理由は、霊界での作戦会議というのは、通常の、私たち人間のこの世での波長を超えたところで展開しているためです。

しかし、そのうちの、ごくごく一部が、「印象的な夢の一場面」として、断片的に記憶に残されている場合があります。

はっきりとは(前後の関連が記憶にないので)分からないけれども、何か、意味ありげなような、メッセージ性があるような、そんな夢を見たけれども、自分の守護霊が、何かを伝えたいのだろうか?と、判断に迷ってしまうことがあると思います。

夢は、大きく分けると、いくつかの種類があり、ひとつは、「肉体の機能への負荷が影響して見てしまう夢」があります。

たとえば、掛け布団が重かったり、寝ている間に、ペットが上に乗っていたりすると(笑)、夢の中で、「とても狭いところに、無理矢理押し込められる」とか「自由に動けなくなり、追い詰められる」などの夢を見たりすることがあると思います。

このような物理的な原因に影響されてみてしまう夢は、すぐに理由が思いつくので、メッセージ性を含んでいる夢と、分けることは容易だと思います。

ふたつめとして、そのときの自分の、現実の生活上のストレスや、願望が見せてしまう、「現実に関わる、自分の思いを反映した夢」があります。

たとえば、資格試験の勉強で忙しいときに、電車に乗り遅れて会議に間に合わない、などの夢を見ることがあります。現実に、勉強の忙しさがあり、「時間に余裕がない」という焦りが、別の状況を伴って、表れた夢、となります。

それなら、試験勉強で忙しい夢を見るほうが、ストレートで分かりやすいのですが(^^;)、そうはならないところが、夢の結びつきの不思議さ、といえるかもしれません。

3つめとして、最初に書いたとおりの、スピリチュアルな、メッセージ性を含んだ夢、があります。

霊界で、守護霊から授かってきた、導きの一部を、表面の記憶に残している場合です。内容が明確ならいいのですが、遠回しなような?、含みがあるような?、結局それは、どう受け取っていいのか解釈が難しい、となってしまうことが多いので、「この夢は、守護霊からのメッセージなのか、それとも考えすぎなのか」と、分からなくなってしまうこともあるでしょう。

1つめのケースは簡単に除外できますが、2つめと3つめは、簡単には判断しにくいもの、かもしれません。

その判断をするにあたり、守護霊からのメッセージが含まれていて、その夢を見たことから、自分が何かに気づいて行動していく必要があるというケースは、「そのことが必要なとき」に見せられるものであり、それほど頻繁に起こるものではない、という前提で考えていくといいでしょう。

なので、1週間前の夢も、昨日の夢も、今日の夢も、守護霊からのメッセージに違いない、などと拡大解釈をしてしまうと、本来、守護霊が伝えたいこととは、ずれてしまう場合もあるかもしれません。

その上で、意味ありげな夢の内容が、どういうメッセージを含んでいるのかを、分析してみます。

それらの夢は、「伝える必要があって、分かってもらいたいから」見るのですから、本来、その人が、自分で分かるはず、なのです。

分からなければ、別の形を取ってでも(夢以外の方法なども)、何度でも、分かるまで伝えてくるでしょう。それが目的なのだから。

ですから、考えても、よく分からない、何を意味しているのかまったく不明だ、という場合は、あえて、考えすぎなくてもいいのです。そのまま、気にしないで、受け流していいと思います。

そういう場合は、「それは、強いメッセージ性を含んだ夢ではない」か、もしくは、「メッセージ性がゼロではないが、それはあえて、本人が詳細を自覚しなくてもいいこと」なのかもしれません。

また、少し時間が経過してから、その意味が分かることもあるので、気になる場合は、書き留めておくなどして、たまに、振り返ってみる習慣を付けていくのもいいと思います。

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2012年5月21日 (月)

資質・性質の活用は、他の要素との掛け合わせで、広く捉えていくことが大事。

誰もが、それぞれの、独自の性質を備えています。その人が、どんな考え方や価値観を持っているか、という、行動や思考の動機になる「性質」という特徴は、個性をつかさどる要素のひとつ、であり、それ自体に、良いも悪いも、ありません。

性質は、性質、です。 短所、長所、などといわれる解釈の仕方は、その性質が、「どのように発揮されるか」というバランスの問題であり、性質そのものに優劣があるわけではないです。

たとえば、同じ性質でも、それを発揮する相手が違えば、受け取られ方も違うでしょうし、発揮する場所や環境がふさわしいか、という点も、考慮する必要もあるでしょうし、ある性質のみが、その人の中で、飛び抜けて突出している場合も、その他の要素とのバランスが取れずに、トラブルが引き起こされてしまう場合もあります。

誰もが、少なからず、自分探しをしながら人生を過ごしている、という、同時進行をしているわけですが・・・、その過程において、自分の特徴となる資質や性質、才能などを、把握することで、少しでも、その後の道程を有利にできれば、と、考えることがあると思います。

それらを、便宜上、ひとまとめに「性質」と扱ってしまいますが、性質そのものを把握するだけでは、有利にいかすことは難しいでしょう。

性質は、発揮する対象となる相手や、発揮するにふさわしい場所や、その他の要素とのバランスなどを、総合的に考えていくことで、意図的に活用することができるようになるのです。

それらのいくつもの要素を、まったく考慮しないまま、「性質のみを、向上させよう」としても、その努力の方法が思い浮かばないことも多いですし、または、とってもアンバランスで現実的ではない思考や行動をしていて、そのことを自覚できない場合も出てきてしまいます。

具体的な例として、以下のようなことを考えてみます。

『ある人が、販売職についていたとします。その人は、自分の、「お客様にとても似合うものを見抜くセンス」に、とても自信を持っていました。これこそが、自分に備わっている、もっとも優れた性質だ、と思っていたので、そのセンスを磨くことに余念がありません。

その人は、毎日、どうしたら、より自分のセンスが向上するか、を、考えています。その人は、自分のセンスが向上することが、よりよい仕事に繋がっていく、という考え方に、まったく疑いがありません。それこそが、お客様のためになる、と思っていたからです。

あるとき、上司に呼び出されて注意を受けました。「もっと、お客様に、愛想のよい接客態度はできないものか」というのが、その用件でした。

その人は、びっくりして・・・、上司が自分のセンスを正当に認めてくれていないことに、ショックを受けました。そして、「もっと、自分のセンスを認めてくれる会社に、転職したほうが、自分を活かせるのではないか」と、考え始めます。

けれども、「でも、この会社で一番センスがいいのは私なのだから」と、転職は思いとどまりました。上司にも、そのことを分かってもらえるように、もっとセンスを磨いていかなくては、と、気持ちを切り替えました。

今月の自分の成績は、まだひとつも売上げが上がっていなくて、社内で最下位なのですが・・・、今もなお、自分のセンスだけにこだわり続けています。』

・・・というような、ちょっと極端な例を考えてみます。

この人は、「似合うものを見抜くセンス」が、自分の優れた性質だと、自信があって、それをますます磨いて伸ばしていこう、という、向上心をもっている人、といえます。しかし、上記の内容を読めば、上司からの評価は低く、お客様からもあまり支持を受けていないことが想像できると思います。

この人は、「ひとつの性質だけ」に、こだわっていて、他のことが目に入っていません。実際に、その人のセンスが、際だっていて素晴らしいものだとしても、・・・これでは、うまく活かされませんよね。活かされない理由は、上司が認めてくれていないから、ではなく、自分の考え方が、偏っているから、です。

会社というのは、売上げを上げることで、成立しています。そうでなければ、社員に給料が払えません。お客様に商品を買ってもらうことが会社としての目的で、そのために、「似合うものを提示して、喜んでもらう」接客、という手段があります。似合うものを提示するのは、お客様に喜んでもらって、買ってもらうため、であり、似合うものを見抜くことだけが、最終目的ではないですよね。

その性質をうまく活用するには、どのように、誰に対して、どんな場面で発揮されていくのが適切か、という考え方が大事です。一つの性質だけを磨けば良い、とはならず、その他の要素との「掛け合わせ」が大事です。

上記のたとえは、決して珍しくない、実際によくある思い違いです。

世の中の多くの人が、自分の優れた性質を把握したい、と思っています。それができれば、有利になる部分が出てくるだろう、と。

けれども、性質「だけ」を把握して、そして向上させたとしても、その使い方とか、使うにふさわしい場面だとかの、付随する要素を、合わせて考慮しなければ、上記のたとえのような、自分目線だけに凝り固まってしまうことが起こり得ます。

どんなことにも言えますが、「●●だけをやれば、うまくいく」ような、便利な魔法はありません。広く、さまざまなことを捉えていき、多方面から捉えていける人が、「うまくいかせる」ことができる人、なのです。

先に書いたとおり、性質そのものに、良い、悪い、という区分けはありません。良い性質、悪い性質、というものが、最初から存在するのではなく、他の要素との兼ね合いで、(同じものが)良くなったり、悪くなったりという、「表れ方」が出てくるだけです。

ですから、この例でいえば、この人の「似合うものを見抜くセンス」というのは、良いも悪いもありません。それを、良い形で発揮するには、「似合うものを見抜くセンスを、良い形で発揮するための、ふさわしい場面や方法や、活用の仕方を、考えていく」ことが必要だったのです。

そこを、「自分の、似合うものを見抜くセンスは、素晴らしい」というふうに、「長所」「短所」のような、極端な定義付けをして捉えてしまうと、そこで思考が完結して応用がなされていかないこともあります。

捉え方に、深みを持たせていけると、そういう思い違いによる、遠回りもしなくてすみます。

「自分探し」の捉え方の目線として、参考になればと思います。

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2012年5月19日 (土)

家族という縁。

人間関係についての悩みは、少しくらいは、誰もが持っていると思います。相手への不満があったり、どのような対応をしたらいいのか迷ったり・・・。

それらの人間関係の中でも、「家族」の関係は、血縁という、特殊で深い繋がりがありますので、うまくいかないときの、関係のこじれ具合もまた、深く複雑になってしまうことが多いものです。

他人であれば、受け止め方の基本的なところに、「他人だから、分かり合えない部分も出てきてもおかしくはない」という前提を持っていると思います。 けれど、家族の場合は、深い繋がりゆえに、お互いに、家族なのだから、相手が自分を理解してくれて当然、とか、家族なのだから通じ合うのが普通で、言わなくてもわかるはず、という前提で考えてしまうところがあり、お互いの気質の違いが、クローズアップされやすいために、不満が大きくなってしまいます。

スピリチュアリズムの観点でいえば、家族といえども、たましいは、それぞれ違う、個別の存在です。 家族とは、今回の人生において、血縁という繋がりをもって生まれてきた、違う個性を備えているたましいの集まり、でもあるのです。それぞれ違う個性をもったたましいが、学びのために、同じ学校に入学した状態が、家族、という関係になります。

そういう繋がりなので、家族といえども、性格がまったく違っていて、どうしても気が合わないとか、価値観の差でぶつかることなどが、出てきてしまうこともあります。血縁だからといって、無条件で分かり合えるとは限らず、とても仲が良い家族もいれば、そうでない家族もいるでしょう。

私たち人間は、たましいのために「自ら、望んで」生まれてきて、今回の人生を、あらゆる形で学んでいる存在です。自分からそうしたいと望んでいるのに、なぜ、わざわざ、気持ちの通じ合いにくい家族を選んでいるのか、と、不思議に思うかもしれませんが、その答えは、「目的は、(楽をして、面白おかしく暮らすため、ではなく)学びのため」だから、です。

先ほど、「学びのために、同じ学校の入学した状態」と書きました。これを、現実の学校に当てはめてみれば、わかります。たとえば、工業高校という特性をもった学校に、入学してきた生徒達は、当然のことながら、性格はそれぞれで、同じ価値観を持っているわけではありませんよね。家族の関係も同様で、「田中さんの家族」「山田さんの家族」という、家系の特徴をもった場所で、学ぼうと入学してきた状態が、家族、というご縁ですから、性格に違いがあって、ぶつかり合うことだって、あるわけです。

テレビCMのような、何も悩みがなくて明るく幸せそうに、楽しいことだけ考えていられるような、そんな家族というのは、現実には、まず、存在しません(^^;)。どこの家庭でも、何かしら、問題や悩みは、少しくらいはあるものではないでしょうか。

この世という場所は、たましいの学びのための場所であり、私たち人間は、たましいを成長させる経験を積むために、望んで、今回の人生を生きている存在なので、この世での基本の繋がりとなる家族という関係に、何かしらの学びの要素が存在してしまうのは、ある意味、当然、なのかもしれません。

それでも、いろいろあっても、お互いに、家族同士には、「情」というものがあって、だからこそ、(分かり合うのが難しい現状でも)なんとかして分かり合おうとしますし、分かり合えないと不満が出てきます。他人には、簡単にあきらめがつくことも、家族となったら、そういう割り切りはなかなかできませんよね。それは、良い意味でも、そうでない意味でも、となってしまいますが・・・。

けれど、それでも、長い時間をかけて、成長をしていき、お互いを思いやっていけるのが家族、という関係です。愛情があるからこそ、相手に不満が募ってくるわけで、まったく愛情がないなら、お互いになにをやろうと無関心になるはずです。

深い繋がりがあるからこそ、その問題点や不満なども、複雑で深い感情が絡んできてしまいますが、その解決や改善のために、十分に取り組めるための時間が、たくさん与えられているのが、家族という関係です。

いろいろ、それぞれのご家庭で、苦しみも不満もあるでしょうけれども、しかし、すべては学びのための経験であり、自分が、この家族を自ら選んで生まれてきたのだ、という理解をしていくことは、その苦しみや不満の軽減になっていったり、改善のための努力をしていく原動力になっていくこともあるのではないでしょうか。

この家族という縁は、たましいの観点からみれば、数十年間の関係という、一瞬のような短さです。

その中で、出来ることを尽くしていく、という、前向きな気持ちで、必要以上にとらわれることなく、明るく穏やかに過ごしていきましょう。

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2012年5月18日 (金)

転換期の少し前

昔の友人や、知り合いに、思いがけなく出会う、向こうは気づかなくても、自分は見つけてしまう、という経験、偶然(必然?)の再会が、短期間に何度も重なることがあります。

そういう時期は、「転換期に入る、少し前」であることも多いようです。

過去の話を懐かしく楽しんだり、その中で、忘れていた記憶がよみがえってきたりして、会話が刺激になり、過去の自分を思い出したりして、新鮮な気持ちになることもできるでしょう。

私たちは、常に成長という変化を遂げているのですが、昨日と今日の差、先週と今週の差は、とても小さいので、私たちは、なかなか、自分自身の成長や変化について、(改めて、考える機会を持つ以外には)意識しないものです。

長い期間という、時間の経過が大きいものであれば、違いには気づきやすいですが、時間が経ちすぎると、今度は記憶が薄れて忘れてしまいますし、誰もが、日々を忙しく生きていて、目の前の出来事の対処で精一杯となりがちで、過去を振り返る機会そのものが少ないのが現状ではないでしょうか。

そんなときに、思いがけない懐かしい再開があれば、意識が自然に過去へと向かい、今と過去との比較が自然にできますよね。

「あの頃、こう思っていたよね~」とか「昔と変わらないね」「ずいぶんと変わったね」などと、お互いに思い出を語ったり、今との比較を話したりすることで、過去から、(日々の変化は、小さすぎて分からなくても)今に至るまでの、長期間の変化が、より認識しやすくなっていきます。

複数回、短期間にそれらのようなことが、繰り返されれば・・・、意識する度合いも大きくなっていきます。

それが、必然で、懐かしい人に再会する機会が、何度も出てくる、という、「意味」であることも多いのです。

過去を振り返り・・・、そして、過去と比較した今の立ち位置を改めて認識して、そして、今から続く未来へ向けて、次の段階へ入っていく、という、気持ちの準備のようなものが、作られていき、そして次の段階へと導かれていくのでしょう。

それらは、自然に行われていきますから、再会が続いたら意識しなくては!、などというようには、改めて考えなくても何も問題はありませんが、転換期に入っていく、物事が移り変わっていくタイミングの、目安として、心掛けをすることはできると思います。

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2012年5月16日 (水)

友達や、恋愛のご縁を探すための場所。

親しい相手を作りたい、と思ったら、そのための行動を起こすことが大切です。けれど、具体的に、どのように行動していいのかわからない、行動のための考え方がいまいち分からない、という方も多いと思います。今回は、その考え方のヒントとなりそうなことを書いてみたいと思います。

自分が親しくなりやすい相手は、「どんな場所に、居ると思うか」を考えることと、「どんな場所なら、親しくなりやすいか」の、両方を、まずは考えてみることです。「場所」という「環境」を考えてみるのです。

たとえば、コーヒーショップと、和菓子屋さんと、どちらに、若い人が集まりやすいか、といえば前者であることは容易に想像がつきますよね。そのように、場所を想定していくことは、確率を幾分底上げしてくれます。

友達を作ろうと思った場所で、実際には作ることが出来ない場合もあるでしょうし、逆に、その場所で作ろうと思っていなかったのに、予想外に、いい相手が見つかることも、もちろんあると思います。必ずしも、予測して、思ったとおりになるとは、限りません。

けれど、行動する前にそのことを考えていたら、どこにも動けなくなります。取り掛かる際、行動を起こす際には、友達をつくりやすい場所、ふさわしい場所とは、と、考えていくほうが、自分が行動をしやすくなります。

私は今、スポーツクラブに通っています。骨折の後の、リハビリ代わりというのが目的なので、私はここで、友達をつくりたいとは一切思っていませんが、この環境を例にとって、考えていきます。

1階が、筋トレや有酸素運動を目的とした、マシンジムフロアで、2階が、ヨガなどのダンススタジオとなっている作りです。

私は、怪我から今までに、足を動かさなかったことで、筋肉が落ちてしまったことを回復するのが目的なので、常に1階にいます。

筋トレをしている人は、皆、それぞれの個人的理由はあるにしろ、目的は「体を鍛えたい」のだと思います。そうでなければ、お金を払ってまで、わざわざ、苦しい?ことをやろうとしないです。なので、皆、とても熱心に、もくもくと、トレーニングをしている雰囲気です。 挨拶を交わしたり、会話をするような親しさというのは、フロアの中を見渡しても、ほとんど見受けられません。

一方、2階のスタジオレッスンに出ている人達は、1階と比較すれば、お互いの顔を覚えていたり、会話をするなどして、親しさがありそうです。

スタジオレッスンに出るのが目的で来ている人は、きっと性格的にも、自分が楽しむことが好きで、開放的なタイプ、陽気なタイプの人が、多いのではないでしょうか。それに加えて、毎週同じレッスンに出ていけば、自然に顔を覚えるでしょうし、皆でおなじ振り付けで動くと、一体感が作られますし、共通の話題も持てますから、親しく会話をする雰囲気が、作られやすいのだと思います。

一緒にレッスンがスタートし、一緒に終われば、では、このあと、お茶でもどう?などという会話になることも、あるかもしれません。筋トレゾーンでは、終わりの時間は、人それぞれなので、そういう会話にもなりにくいでしょう。

このような雰囲気の差がありますから、スポーツジムで、親しく会話する相手を見つけたいと思ったら、マシンジムだけをするよりは、スタジオレッスンに出るほうが、相手は見つかりやすいと思われます。

その場所の雰囲気や特徴をつかむには、その場所に参加している人達が、個人的な取り組みとしてその場にいるのか、複数で一緒に取り組む形式になっているかの差だったり、その場所に参加する人の、目的や性格を考えたりすることで、だいたいの予測を付けることができると思います。

それらは、事前の知識からの予想で把握出来る部分もあれば、実際に経験してみてはじめて分かる部分もあると思います。

経験してみて、思っていたのと違った場合は、単に「ここは違う」と思うだけでなく、その状況が、なぜ、どんな理由から、その雰囲気を作りだしているのか、という分析をして、ご自分なりの解釈をしていくことで、経験が、次の機会にいかされていくと思います。同じ理由と雰囲気のある場所ではない、別の場所を選択する、という工夫を取ることができるからです。

それらの分析がなく、なぜそうなのか、が、分かっていなければ、何度でも、同じ要素の含まれる選択を繰り返し、その都度、うまくいかないと、悩み続けることにもなるかもしれません。

そういう目線を持っていくことは、人とのご縁だけでなく、幅広くいろんなことに役立っていくでしょう。

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2012年5月15日 (火)

「相手から、自分がどう見られているか」を、気にしないほうがいいのか?

人間関係がうまくいかないのは、相手の立場や意向を察する感覚が磨かれていないため、という理由であることが、少なくありません。相手が、自分についてどう思っているかを、想像しながら振る舞っていくことは、スムーズな付き合いのために有効な方法である、といえるでしょう。

人間関係とは、自分と相手との「間」に作られるものですから、自分だけの一方的な目線でとらえるよりも、相手の目線も想像して、双方から捉えていくほうが、よい関係をつくっていくことができます。

「相手から、自分がどう見られるかを、気にしすぎるのはよくない」、とは、よく耳にする考え方のひとつですが、このことの捉え方を、拡大解釈をして、何でも一律当てはめてしまわないように、注意が必要です。

たとえば、「相手のことを察することが出来る人」が、自分の主張を差し置き、相手からどう見られるか「だけ」を気にしてしまう場合には、確かに、気にしすぎはよくない、と思います。

または、まったく自分の考え方がなくて、相手の意向で自分のすべてを計ろうとするような、主体性のないタイプには、自分の考えを持ちなさい、という意味では、当てはまることもあるでしょう。

けれど、そのような、両極端に当てはまる人は、ごく少数だと思います。実際には、その中間に位置する人達がほとんどです。

どんなことにも言えますが、極端になるのは良くない場合でも、適度にそれを身につけることまでが悪いとか、不都合、ということではないはずです。

相手からどう見られるか「だけ」を気にしすぎるのは良くないとしても、まったく相手のことを気にしないとか、自分の目線だけでいい、とは、なりません。

とくに、「相手の意向を想像したり、察したりすることが苦手な人」は、ある程度は、相手のことを想像して、相手が自分をどう思っているか、という、相手目線の感覚を身につけることも、人間関係をスムーズにしていき、自分が助かると思います。

つまり、察することが出来ていない人に対して、「相手からどう見られているかを気にするな」というアドバイスは、ズバリとは当てはまらないこともあるのです。

言葉や文字の表現というのは、受け取り方次第で、どのようにでも受け取れてしまいます。その意味するところが、正しいものであっても、極端な受け取り方をしたり、自分を正当化するための一方的な自分目線での解釈は、成長を妨げてしまうこともあります。解釈の仕方というのは、どんな前提があるか、により、幾らでも変わってきてしまいます。

前提というのは、この場合でいえば、「相手がどう見ているかを、気にする」以前に、そもそも、自分は、相手を察することができているか、という点です。それができていてこそ、自分を差し置き、相手の意向だけを過剰に意識することはやめる、という、ちょうどよいバランスを保つための、アドバイスと成り得ます。

相手を察することが出来ていない場合は、まずは、そこから意識していくことが、人間関係をうまくやっていくには大切で・・・、そのためには、相手がどう思っているか、という、考え方そのものを、自分に取り入れていくほうが、良い関係をつくっていくための助けとなることもあるのです。

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2012年5月14日 (月)

「自分には、霊感があるか?」、という質問の前に、まず理解しておいてほしいこと。

自分には、霊感があるだろうか?という、ご質問をしばしばいただきます。

霊感という、「感性」は、体重や身長を測るように、明確な数値で定義できないものなので、平均的な程度と比較して、どのくらいか、という答え方をしています。

その理解のために、まずは、「平均的」とは、どういうことなのかを知識として分かっておくことが必要となります。

私たち人間は、肉体を備えている霊的存在です。私たちは、実は、霊でもあるので、誰もが、霊感を持っています。ただし、肉体という限定された器にはいっている間は、備えている霊感も、やはり、限定されてしまうので、霊感が100%全開になることはありません。

霊などが見える、聞こえるというだけが霊感ではありません。霊が見えなくても、霊感が強い人はたくさんいます。いろんな表れ方をするので・・・、視覚では見えなくても、予知的感覚が強いという形で表れる場合もありますし、芸術センスとして表れる場合などもあります。

ですから、霊感があるか、という質問に対する答えとしては、広い意味でいえば、全員に対して「ある」と、答えることになります。

私たち人間も、霊である以上、まったく少しの霊感もない人は、いないものだからです。 ただし、誰にでもある霊感といはいえ、備わり方が大きい人、小さい人、という、個人差はあります。そして、備わっているものが、どのくらい発揮されているか、という活性度も違いがあります。

私たちは、霊でもあるので、誰にでも霊感があり、まったくのゼロの人はいませんが、同時に、限定された肉体を備えている以上、霊感が100%全開になることもなく、ゼロでも100でもない、その中間に、それぞれの個性としての発揮のされ方が存在することになります。

以上を前提とした上で、だいたいの平均的なところ(といっても、その定義の取り方もはっきりとはしていない、あいまいなものではありますが(^^;))、と、比較して、その人個人の備わり方や、発揮のされ方を、「便宜上の、答え」として、差し上げています。

大手小町>

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2012年5月13日 (日)

付き合いが浅い相手から、誤解を受けやすい、青緑のオーラ。

青緑のオーラを備えている人は、「本当の自分(と、本人が思っていること)とは違う印象を、もたれてしまう」とか、「誤解されてしまうことが多い」などの、悩みを抱えている方が少なくありません。

それは、気のせいではなく、実際に、青緑のオーラは、付き合いが浅くて、それほど分かりあってない相手から誤解されやすい傾向はあるようなのです。

その理由は、おもに2つあります。 ひとつは、青緑のオーラの人は、緑色の表す優しさと、青の表すクールさの両方を併せ持っていることからくる、ギャップです。

その時々の、場面にあわせて、優しくなったり、クールになったりしていくのですが、相手からみれば、落差が大きく感じられ、どちらが本当なのかわからない、つかみ所のない人、と、思われてしまうこともあります。

もうひとつは、青緑のオーラの人は、公私をきちんと分けてメリハリがついた状態を好む点が、誤解に繋がることがあります。

冷淡なわけではなく、単に、「公私を混ぜてしまわずに、一線を引いてとらえていきたい」だけなのですが、中には、そのような態度を、拒否に感じたり、付き合いが悪いとか、堅い、と思われて、特に女性同士の間で、「心を閉ざしている、付き合いの悪い人」のように、思われてしまうこともあるでしょう。

長く付き合っていき、内面を分かってもらえれば、そのような印象のギャップも埋まっていくというか、本当のところが理解されていくようになるのですが、初対面や、付き合いの初期のうちは、意図と違う受け取られ方をされてしまうことも、少なくないのが、青緑のオーラ、なのです。

しかし、その優しさと、冷静でクールな思考が両立されているという、本当のところが理解されていけば、深い信頼関係を築くこともできるでしょう。一度獲得した信頼が、崩れることが少ないのも、青緑のオーラの特徴なのです。

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2012年5月10日 (木)

自分に向かない仕事をしている、と思うとき。

企業に雇われて働く場合は、雇い主や上司、人事担当者が、どんな業務を担当するかを決めることが多いと思います。

自分の資質や個性に合っている業務を任されるのが、一番、やりやすく、成果もあげることができるとは思うけれども、そのマッチングは、通常、自分の思い通りにはならず、雇う側の意向により決まっていきます。

与えられた仕事が、自分の資質や個性に合わない、やりにくい、と思っても、雇われて働く以上は、与えられた仕事をこなしていかなければならない、というのが現実だと思います。

理想をいえば、それぞれの従業員の性格や個性から、どんなことが向いているか、どんな仕事を本人が望んでいるか、取り組みやすい形態は、というような考慮をしてくれれば、トラブルもストレスも減るでしょうし、成果も上がっていくかもしれませんが、しかし、そこまでの配慮はなされないのが普通です。

ときに、適性が合わない仕事を与えられてしまうこともあるかもしれませんが、そこは、自分が得意ではないことを学ぶための機会だ、と思って、切り替えていくことも必要ではないでしょうか。

仕事をすることから、学べることは多いものです。けれど、それは、結果として、たましいの成長という観点からみればそうだ、ということであって、企業が従業員を雇い入れるのは、従業員に学ばせることが目的、ではありません。企業は、労働力を提供してもらうために、雇用をするのです。その対価として、賃金が支払われます。

そのような形態での需要と供給で結びつきにおいて、自分はもっと、別の仕事が向いている、とか、こんなことでは自分を活かせない、といっても、それは、個人的な都合であって、雇う側が、必ず考慮してくれるとは限りません。

理想と現実は、違うものです。だからこそ、私たちは、すべてが自分の思い通りにはならない、という世の中で生きていくという経験を通して、さまざまなことを学んでいくわけです。

企業に、こうあるべき、という理想どおりにしてもらいたい、と思うならば、その前に、自分自身が、理想通りに過ごすことができているか、を、考えてみる必要があると思います。

たとえば日常生活において、食生活を整えることや、夜遅くまで起きていないで睡眠をしっかりとることや、ストレスを軽減するほうがいいことは、誰もが知識として分かっていても、実際には、なかなか、その通りに過ごすことは出来ず、仕事や家事や雑事をこなしていくだけで精一杯、という人も多いと思います。そうしたほうがいいと分かっていても、なかなかやれないことは、たくさんあります。

自分ができないことを、他人に求めることには矛盾があると思います。自分の裁量でできることでも、ましてや、それが自分にとって望ましいと分かっていても、やれないことは少なくないのですから、自分以外の大勢が関係する、会社や世の中に対して、もっと自分の性格や個性を考慮して、仕事を与えるべきだ、という要求は、そう簡単には通るものではないというのは、自明の理、ではないでしょうか。

上記は、世の中の仕組みという現実の観点からの解釈ですが、スピリチュアリズムの観点からみれば、この世で起こることはすべて必然で、無駄なものはなく、自分の学びという経験です。

その役割が与えられた、ということは、その学びが(形式としては、会社を通して、けれども、スピリチュアルな観点からみれば、自分の学びのために自分が自分に)与えられたのだと受けとめて、取り組んでみるという意欲を持つことが大事だと思います。

ただし、何でもかんでも、無理をして我慢するべき、とは思いません。どうしても自分に合わないと思ったら、そのことを申し出て改善や異動をお願いしたり、ときには、職場を変わるという選択をとるのがベターな場合もあるでしょう。

世の中の仕組みや、理想どおりにいかないことや、すべてが学びで在ることを理解していてもなお、自分には難しいと感じる場合には、そのほうが望ましい結果になる場合もあると思います。

どちらにしても、まずは、自分の要求が、思い込みや自分目線が強すぎる一方的な要求になっていないか、という観点からの、自己分析をしてみることが大切です。その上で、自分がとるべき行動を、決めていくのがよいでしょう。

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2012年5月 9日 (水)

人づきあいが苦手な人は、まずは、「察する力」の向上を心掛ける。

人づきあいをうまく出来ない、どんな会話や態度をとったらいいのか分からない、という方の多くは、「察する」ことを苦手としています。

相手が何を求めているか、どんな会話をすると喜んでもらえるか、という、予測をすることがうまくできないので、ふさわしい振る舞い方が分からずに、浮いてしまいます。または、一度そういう経験をしてしまうと、また浮いてしまうのでは、という恐れが出てきて、人づきあいそのものが、怖くなってしまうこともあります。

察するためには、想像力という感性が必要となります。「自分が、自分目線で想像をする」のは、簡単ですが、「自分が、相手の身になって、つまり他人目線で想像をする」のは、人づきあいを苦手としている方にとっては、簡単にはできないことでしょう。

他人目線になるためには、実際に人と関わる経験がたくさん必要となりますが、そこが苦手となっていれば、経験値が増えていかないからです。

経験値が少なく、そして、察する感性が、まだ発達途上にある人が、いきなり、特定の個人を対象に、相手が何を考えているのかを、想像する、というのは難しすぎます。最初から、ハードルをあげすぎると、(当然、うまくできるわけがないので)ますます、自信喪失になり、苦手意識だけが増してしまうでしょう。

特定の個人を対象にして、察するようになるのは、応用編、上級編、だと思ってください。その前に、「一般的には、どう思うか」という段階から、取り掛かっていくほうがスムーズです。「このような場合、広く一般的には、どう解釈されるものか」、という感覚を、「知識」として身につけていくのです。

一般に、普通に、といっても、人はそれぞれ違う個性がありますから、物事の解釈の仕方、受け止め方は、一律ではありません。けれど、多くの人がそう思う、平均値や、傾向というものは、存在します。

一般に、という範囲では、広すぎて分かりにくさもあると思いますので、少しだけ範囲を狭くして、「一般に、男性は」「一般に、女性は」という、男女の差として、とらえていくのが分かりやすいと思います。

今まで、このブログでも、男女の物事の捉え方の差について、いくつも書いてきました。男性同士の付き合い、女性同士の付き合い、という、同性との付き合い方にも、会話をすることの目的にも、性別による捉え方の差があります。

ひとつ例をあげると、女性同士の付き合いは、横並びの共感をもとにつくられていくので、似ている、とか、共通点がある、とか、自分を分かってくれている、と思うと、親しみが生まれていくケースが多いのです。

それらの知識を身につけて、「一般的には、女性というのは、賛同されない場合、自分が否定された、と感じるケースが多いのだろうな(実際には、否定したつもりはないが)」などと、相手にあてはめていくようにすれば、知識が底上げとなって、察するという、想像ができます。

そうすると、相手の思いに合わせた、自分の言動が取りやすくなります。その場から浮くこともないし、会話のやりとりも、活発になっていくでしょう。

これは、一般に、ということであり、目の前にいる相手が、そっくりそのまま当てはまる、という意味ではありません。相手が、とても個性的で、平均の範疇に当てはまらない場合も多々あるでしょうから、それが必ず該当するとは限りません。

ですから、この、一般的な感覚を当てはめて相手を想像する、というのは、絶対間違いのない正解を得る方法ではありません。けれど、まったく何の手がかりもなく、相手を想像しようとするよりは、一般的な感覚を当てはめていくことが、理解の底上げには、なっていくと思います。

そうして、人と関わるという経験値、そして、相手を想像するという、察する行為の経験値を、少しずつでも上げていけば、一般には、男性は、女性は、という、前置きがなくても、相手個人のことが、自然に想像できるように「なっていく」でしょう。

感性の底上げがなされていくと、プロセスが一部省略できて、瞬間的にいろんなことが分かるようになっていくのは、すべての物事に共通しています。

まとめると、人づきあいが苦手だと自覚がある人は、まずは、「自分は、察する力が、どのくらいあるだろうか」と、分析をしてみてください。多くの人は、そういう考え方をしたこともない、と思います。・・・ということは、察する力を、活用せずに、人間関係をうまくやろうとしてきた、ということになります。

人間関係というのは、自分と相手との「間」に、やりとりがあって作られていくものですから、その空間を、相手と共有しているわけで、察するという相手目線になることができず、自分目線だけで、空間を認識し、やりとりをしようとすれば、それは、うまくいかなくもなるでしょう。

まず、その状態を、つまり察する力を活用していないために、うまくいかなくなっているという状況を自覚して、その次に、先に書いたとおり、「女性の感覚としては」「男性ならば」という、性別の差による、平均的な受け止め方や解釈の仕方を、「知識」として知っておくことからはじめてみてください。

知識は、経験と掛け合わされて、使える知恵となっていきます。まずは、知識を、自分の中に用意しておき、知識を活用するという経験を積むのですね。

知識を仕入れないまま、察する経験だけを、何の前提もないところから働かせても・・・、たまたま、1回2回、当たったところで、理解に結びつかなければ意味がありません。

それらの積み重ねをたくさんしていくと・・・、理屈であれこれ考えなくても、ごく自然に、そして瞬間的、あるいは直感的に、「察する」ことが、スムーズに出来ていくようになるでしょう。しかし、そこまでの道程は、容易ではありません。たくさんの時間が掛かります。地道で遠回りに感じるかもしれませんが、ひとつひとつ、経験を重ね、感性を磨いていくことが大事です。

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2012年5月 8日 (火)

まいた種が、自分の思うように咲かないのはなぜ?(カルマの法則)

スピリチュアリズムの大原則ともいえる、「カルマの法則」とは、自分のしたこと、行動、発言、思いのすべてが、良くも悪くも、すべて自分に返ってくる、という真理の法則です。

比喩を用いて、その仕組みを表現するならば、「自分の投げた石が、頭上に落ちる法則」とも言えますし、「自分のまいた種が、実る法則(結果として起こったことは、すべて、どこかで自分が原因となる種をまいている)」とも言えます。

自分に降りかかる出来事というのは、自分に必ず何かしら学ぶ要素があるため、であり、無作為に降りかかる災難はない、という仕組みがあるからこそ、私たちは、カルマの法則を元に、自分を省みることができます。そうして私たちは、何度も生まれ変わって、学びを続けています。

それがなければ、やりたい放題、やった者勝ち、になってしまい、自分を向上させることも、律することも難しくなってしまうでしょう。

この法則の仕組みを分かった上で、自分に起こった出来事や日常の様子を眺めていくと、無意識のうちに、種をまいていて・・・、それが実って出来事が起こったのだな、と、納得できることがいくつもあり、スピリチュアリズムへの理解を深めていくことができると思います。

けれど、その一方で、自分が意識的に、特定の種をまいたはずなのに、思うように実らない、という経験をすることもあると思います。

「自分は○○になりたいから、○○ができるように、○○に繋がる種をまこう」と、行動したことの成果や結果が、見えて来ない場合、です。

まいた種が、思うように咲かないのは、「土壌との兼ね合い」です。土壌とは、自分自身です。

自分自身という、個性や、そのときのコンディションなどが、大いに関係していますから、思う通りに咲かないことは、あり得るのです。

「あじさい」の花を考えてみればわかります。あじさいは、青くなったり、赤くなったり、いろんな色で咲きますが、あれらは、土壌がアルカリ性か、酸性か、どちらが強いかにより、出てくる色が変わってくる、といわれています。

それと同じで、まいた種が、決まったものであっても、その咲き方は、自分という土壌との掛け合わせですから・・・、思うとおりには咲かない場合もあるわけです。

ですから、カルマの法則とは「まいた種が、思うとおりに、実る」のではなく、「まいた種が、自分という土壌にもっともふさわしい形で、実る」法則、です。そこに、必ず、掛け合わせとなる「自分」、があります。

また、種がまかれて、実るまでの、時間、という問題もあります。すでに土壌が用意されていてこそ、種は成長し、実ることができますが、土壌が十分でなければ、種だけまいても、成長することができません。

そういう場合は、先にまかれた種が、土壌(=自分)の成熟を待っていて、それらのすべてのタイミングが整ったときに、実っていく、というプロセスを経ていくこともあるでしょう。あちらの世界には、こちらの世界のような、時間、というものがありませんから、どちらが先でも後でも、それほど関係はありません。

過去にまいた種が、いくつも先の生まれ変わった人生で、実りを迎えることも、可能性としては、あるのです。

これらを、「今回の人生」という限定された時期のうちの、さらに、「自分が、これくらいあれば実るだろう、と思う、短い時間」だけを抜き出して考えれば、まいた種が、作用しないように、思えてしまうかもしれませんが、

まいた種は、自分という土壌に、もっともふさわしい形で、その準備が整ったタイミングで、実る、という仕組みなのです。

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2012年5月 6日 (日)

改善や解決のために、問題点を「具体的に」分析していく。

ある問題点や不明点を、改善させたり、解決したりしていくためには、その問題を、具体的に掘り下げていくことが大切です。

きちんと焦点を絞って分析していくと、その思考のプロセスも、そこから導き出される解決や改善のための手段も、具体的になっていきます。

ただなんとなく考えているだけ、だったり、問題点のポイントがしぼりきれていない場合は、言葉だけが表面をすべっていくかのように、深い掘り下げが行われず、思考がすべて抽象的になっていきます。

具体的、というのは、直接に知覚や認識がなされる内容を備えている様子を指す言葉ですが、その知覚や認識がどのレベルでなされていくか、というのは、個人差があります。

こうするのが具体的、という基準は、一概には言えないので、意外と、この「具体的」という言葉は、わかりにくさもあると思います。

そのため、「具体的に考える」とか「具体的に、結論を出す」という意味が、感覚つかめずに、「自分では具体的に思考をしているつもり、けれども、実際には抽象的な思考しかできていないので、改善も解決も進まないまま」、となっているケースが少なくないようです。

どのくらいを、具体的、とするか、という認識の基準は個人差があるとはいえ、あきらかに(誰が見ても)抽象的になっている分析を、具体的だと思い込んでいる場合は、自分の思考が具体的になっていない、という状況を、自覚する必要があります。

分析が具体的になっていないと、・・・ということは、解決する問題点が明確になってないことでもあるので、問題点がはっきりしなければ、解決のための働きかけもはっきり決めにくいですから、それが、前に進むことができない一因となりうるのです。

具体的に、という、言葉の認識について、どのくらいの段階を指すか、というのは、個人差がありますが、この場合においては、「問題となっている要素を分析していき、改善や解決のための手段を見つけること」が目的ですから、その前提で考えていけば、「すぐに行動に取りかかれるくらいの具体性」、を、基準にするとよいと思います。

たとえば、料理をする際に、「カレーライスを作ろう」と考えるのが、具体的です。抽象的というのは、「何か美味しいものを作ろう」と考えることです。

前者ならば、まずは冷蔵庫を開けて、カレーをつるくために足りない材料を調べる、という行動が取れます。または、レシピを調べる、という行動をとることもあるかもしれません。

しかし、後者の場合は、直ぐに行動にとり掛かることができません。「美味しいもの」が、どういうものなのか、が、決まっていないからです。何をつくるか決まっていなければ、何を買えば良いのかも分かりませんし、レシピも調べようがありません。

つまり、行動を取ろうと思えば、直ぐにでも取りかかれるくらいに、手段が明確にわかる段階までの分析が、具体的、といえるのです。

具体的に分析をしていき、思いついた手段が、問題点の解決や改善のために、適切であるか、ベストの手段であるか、というのは、また別の話です。

けれど、少なくとも、何かしら、手段を思い浮かべることができるのは、具体的な分析が出来ているから、だといえるでしょう。抽象的な分析では、手段を見つけるのは難しいのです。

たとえば、立派な人になるためには?と考えるのは、美味しいものをつくろう、としているのと同じで、どうすればそれが達成できるのか、方法を見つけるのが難しいです。いろんなことが幅広く当てはまる代わりに、これこそが効果的といえるものも、わかりにくいからです。

このような例えを考えると、具体的な分析をして、問題点を捉えていくことは、大きく一歩前進することに繋がると、分かると思います。

抽象的な分析になると、その結論自体は間違っていなくても、改善や解決のための手段が見つけにくいので動けない、という状況が発生してしまいます。具体的であれば、手段は見つけやすいので(それが、ベストな方法では無い場合でも、とりあえずは)動くことは、できます。

何でも闇雲に動けばいい、というわけではありませんが・・・、自分の思考が、実際に具体的になっているか、それとも、具体的になっているツモリだけれども実際には抽象的になっているかの把握は大事です。そのことと、解決や改善のための手段が思い浮かぶか否かは、セットになっているからです。

自分では、具体的に分析しているつもりでも、実は、その状態を客観的に見れば、具体的になっていない、十分に掘り下げて考えていないために、前に進むことが出来にくくなっているケースは少なくありません。

「自分の考え方は、解決や改善のための手段が思い浮かぶだろうか?」という観点から、具体性の度合いを計ってみると、新たな学びが見えてくることもあるでしょう。または、自分で自分の思考の偏りに気づくことは、難しいものなので、ときには、信頼のできる第三者に、意見を求めてみるのもいいかもしれません。

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