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2012年5月の8件の記事

2012年5月29日 (火)

霊視や透視で見えるものは、その人の波長や霊格に見合うものとなる

スピリチュアリズムに関心がある中の、少なくない人達が、霊視や霊聴などの、いわゆる霊能力に興味を持っていて、もしも自分がそのようなことができるなら、もっと、いろんなことが分かっていくだろうから、霊的世界への理解も深まるに違いない、と、「大きな誤解」をしています(^^;)。

何かが見えることと、その意味が分かることは、同じではありませんし、見えるのと、見分けて解釈することも、同じではありません。

また、霊視的に見えたものが、「正解」であるとも、限りません。なぜなら、どんなことがどのくらい、そして「どのように見えるか」は、その霊視者の波長や霊格、人格によって、変わってきます。

どんなことも、自分と同じものが引き寄せ合うという、「波長の法則」が関係してきます。

つまり、霊視や透視的な視点で何かを捉えることができる人でも、その人の波長が下がっていて、霊格、人格も低ければ、霊眼に映るものは、比例して、波長の低いものになる可能性があります。

好奇心がいっぱいの人は、好奇心というバイアスが掛かりますし、自分は特別の使命を与えられた救世主だ、と思い込めば、思い込みというバイアスが掛かる、というふうに、霊視の視野というのは、とても容易に歪んでいきます。

見えないはずのものが見えることと、それが解釈できることは、関係がありません。

たとえば、肉眼の視力で、1.5の人と、0.7の人がいたとします。その場合、高い視力をもっていて、細部までよく物が見える1.5の人のほうが、見ている出来事の意味するところや、動機となっていること、これから先の予測などが、分かる・・・などという、規則性はありませんよね。

霊視や霊聴なども、基本は同じです。分析力、洞察力などの感性は、たくさん見えること、よく見えることとは、必ずしも比例はしません。

そして、見える内容も、その霊視者の人格によって、変わってきます。すべての霊能力者が、同じ範囲のところを見ているわけではありません。波長の高い霊視者は、波長の高いところを捉えていけますし、波長の低い霊視者は、波長の低い霊と、引き合ってしまいます。

低い霊の伝えてくることは、まったく当てになりません(^^;)。それどころか、わざと、間違ったことを伝えてくる場合もあります。低い霊に、からかわれるのです。

つまり、自分自身のたましいの成長を差し置き、霊視や霊聴を手に入れたいと好奇心でいっぱいになったり、または、そうして仮に、そのような力を手に入れたとしても、自分の霊格が見合っていなければ、曲解と思い込みの世界の中で、生きていくことになってしまいます。

霊能力を獲得することが大事なのではなく、基礎となる、自分自身がもっとも大事です。そうでなければ、霊視力が身につくことで、むしろ、それ以前よりももっと、世の中の大切なことが、見えなくなってしまうこともあるのです。

霊視が出来る人にとっても、「見分ける」ことは、本当に大変で難しいものです。

ひとつ、例をあげて、考えてみます。

過去に何度も取り上げていることですが、「思うこと」も、想念というエネルギーとして実体を持ち、作用していきます。

この、想念も、霊視者には、可視化されて、見えることがあります。たとえば、「私は、将来、医師の●●さんと結婚したいわ」とか、「私の前世は、聖徳太子じゃないかしら」と、思っている人がいるとします。

・・・もう、これから書くことの予測はつくと思うのですけれど(^^;)、想念と霊を見分けられない霊視者は、「あなたの将来は、医者と結婚していますね~、そんな様子を守護霊が伝えてきています」とか「あなたの前世は、聖徳太子だったようですよ」などと、捉えてしまうことも、可能性としてはあり得るのです。

想念が可視化できるのって、普通に考えればすごいことです。けれど、それができることによって、むしろ、見る目がくもってしまうこともあるわけです。

一方、江原さんクラスの実力のある霊視者であれば、「あなたは、将来、医師と結婚したいという夢があるんですね?」とか「あなたは、自分の前世が聖徳太子だったらいいな、と、思っているんですね」とか、そちらのほうを、当てることができると思います。そこまで見分けられるというのは、相当の実力者でないと無理ですが・・・。

こういう例をひとつとっても、何かが見えたからといって、それが正しいとも、役立つとも、言えない場合もあると、分かると思います。(本来であれば、一定レベル以上の霊能があれば、「想念」と「霊」との波長の差は、見分けることができるものだと思います)

肉眼で見えることと、物事の本質を見抜くことは違うように、霊視で見えることと、霊的世界を見分けることも、(無関係とはいいませんし、霊視で見えるからこそ把握出来る要素があることも事実とはいえ、しかし)それらは、完全なイコールではありません。

過去にも何度も書いたとおり、とても優秀な霊能者でも、当たる確率は、60%くらいとも、80%くらい、とも言われていて、100%全開になっている人はいないものです。

そして、とても低い霊に操られているような霊能者であっても、まったく当たらないわけでも、低いところ「だけ」に波長があうわけでもなく、少しくらいは、守護霊の意向を反映していたり、役だったりするところも、するかもしれません。

だからこそ、難しいのですが・・・、自分が霊視をされる側であっても、「霊視者を、見分けていく」ことが必要で、なんでも盲信してしまうのは危険です。その人の人格がどうだろうか、という観点から、よくよく考えていくことが大切だと思います。

霊視が万能でもなければ、何かひとつが当たったからといって、すべてが当たるわけでもありません。そして、自分が霊視ができるようになっても、それで楽や得ができるか、といったら、そうでもないのです。

霊視が出来ても、見分けられない人もいれば、霊視できなくても、洞察力や思考力が高く、いろんなことを見分けられる人もいます。

霊視ができようと、できまいと、人格が変わらない以上、本質を把握できる深さについても、平行移動です。

何がもっとも大事なのか、という点を、見失わないようにしましょう。 その上で、過度にならない、適度な関心を持つのはかまわないと思います。関心や興味の気持ちが、探求を深めていく原動力となることはあるからです。

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2012年5月26日 (土)

男性は、解決思考。

男性の思考回路というのは、物事を解決する、という前提で動いていく比率が、女性と比較して、かなり多いといえます。

女性は、特に意味のないストレス発散のための「おしゃべり」が大好きですが、男性は、そういう会話を嫌う人が多いですよね。そういう会話の中に置かれると、むしろ、ストレスを感じるのが男性です。

なぜなら、男性の受け止め方として、会話とは、必要があるからこそ、するもの、という前提があるのです。話し合うことで、問題が解決するとか、事態が前進するとか、誰かのために役立つとか、相手を理解するため、とか、そのような目的があって、目的を成し遂げるための手段として、会話があります。

一方、女性は、その時々の、自分の思いや感情を動機として、行動する比率は、男性よりもずっと高い、といえるでしょう。

男性は、裏の裏の裏を読んで・・・とか、複雑な解釈の仕方を、あまり好まないし、実際、そういう思考をしない人も多いです。女性は逆で、きっとこう思われているかも、とか、こんな態度をすれば、相手がこのように受けとめるに違いない、などと、複雑に考えていくことが少なくありません。

なぜ、男性が、女性のように、裏の裏の・・・と、複雑に考えたりしないか、というと、男性は、「解決思考」だから、です。深読みを重ねれば重ねるほど、思考がどんどん複雑化され、それにつれて状況も複雑化していく可能性は高いわけで、スムーズな解決を遠のかせること、だからです。

男性が、複雑な裏読みの思考を「できない」わけでは、なくて、思考の習慣として、(わざわざ、解決を遠のかせるようなことを)しないことが多い、のです。

女性が、共感してほしかったり、慰めてほしかったりの目的で、男性に愚痴を言うと、反応が、思っていたものと違って、「そういう場合は、もっとこうしたら?」とアドバイスめいたものになったり、または、不愉快そうな態度をされてしまい、理解を得られないことが多いのは、その感覚の差、なんですね。

男性からすれば、(女性は)解決したくて、その話題を投げかけているのかと受け取るので、その場合は、解決のために、アドバイスをするのが親切であり相手がそうしてほしいのだろう、という考えから、そのような対応になるわけです。

または、「愚痴を言ったところで、問題の解決にはならないし、事態が前進するわけでもないだろうに」と思うと、不愉快そうな態度をされてしまうのでしょうね。

女性が、どうも相手の男性と、会話や、主張したいことがかみ合わない、と思うことがあったら、「男性とは、基本、思考回路が、解決思考である」という前提で、考えてみると、相手が何を主張したいのかが、分かっていくかもしれません。

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2012年5月23日 (水)

上部に、浮き上がったオーラになっていると、雑念が止まらなくなる。

本来、オーラとは、体をとりまくように位置していますが、何かの不調和があるとき、たとえば、過度の疲労があるときや、心の状態がとても乱れているときなどに、一時的に、オーラと肉体の繋ぎ目が緩くなってしまい、オーラが上部に浮き上がったかのような状態に、なってしまうことがあります。

少しくらいは、誰でもなりうることであり、そして、自然に(その、不調和の原因が解消されていけば)元に戻っていくので、心配はいらないのですが、その状態が、長期間にわたってしまうと、ネガティブなエネルギーに干渉されやすくなるなどの、影響が出やすくなります。

本来、体の周りを取り巻いている位置に存在しているオーラが、上部にずれている様子を思い浮かべると、それはつまり、オーラ全体の面積のうち、頭の周囲や上部にあるオーラの面積の比率が高くなることが、分かると思います。

以前にも何度も書いているとおり、性格や精神の状態などの内面に関することは、頭の周囲のオーラに、よく表れていきます。

そのことを考え合わせていけば、オーラが上部にずれることで、頭の周囲に位置するオーラが広くなるわけですから、・・・ということは、その状態における「結果」として、内面に注がれるエネルギーが「過剰」になってしまうことが起こり得る、という関連性が、想像できるかと思います。

その状態が、もっとも顕著に表れるのが、「思考」の度合いです。必要な思考であればいいのですが、過剰になると、多くの場合それは、「雑念」へと変わっていきます。

変に集中しすぎ、気が上がりすぎ、になったり、頭の中が忙しく働き、休まらなくなってしまうことがあります。

オーラの状態に関していえば、多少のことは、誰にでも起こりうることで、そして自然に回復するので、あまり気にしなくていいですし、気が上がって、思考や雑念がいっぱいになってしまうことも、ときにはあるのが、一般的、だと思います。

なので、普段から思考力が高い人や、分析の習慣がある人は、比較となる、平常値が大きいので、そのときの自分の思考の量が「適度」なのか、「過度」なのかが、判断がつきにくいかもしれません。

その場合は、朝起きた瞬間から、雑念が止まらなくなっているか、という点が、目安になると思います。

朝一から、そうなっていたら・・・、それは、寝ている間も、実は頭が休まっていない証拠です。

「朝、眠りから意識が戻ってきたのと同時に、雑念がどんどんわいて」きて、今考えなくてもいいような、昨日見たテレビの台詞、もしも友達に合ったらこういう会話をしようかな、と思ったこと、あの人ならきっとこう言うだろう、という想像、過去の出来事の会話の一部を頭の中で反芻する・・・、というように、次々と雑念が浮かんでとまらなくなっていたら、その状態は、オーラの浮き上がりの状態は、「過度」と、とらえていいと思います。

「今日の、仕事の段取りは・・・」とか、「出社したら、まずあの仕事を忘れないようにしないと・・・」などのような、実際のこれからの行動に関連性のあるものは、このケースには該当しません。

「朝一から過剰な雑念」に該当する場合は、浮き上がっている状態を、「下に引き下げて、元に戻す」ことを心掛ける必要があります。

不調和を作っている原因を除けば、オーラは自然に元に戻っていくようになります。原因が思い当たるなら、そちらの改善や解決にとりくんでいくといいでしょう。

雑念が止まらなくなっている自分に気づいたら、深呼吸をするか、(頭の中のおしゃべりを止めるために、頭の中で思い浮かべるのではなく)誰かと、会話をして言葉を口から発する、ようにすると、その瞬間だけでも、リセットされるので、意外と効果があります。

そして、普段から雑念が多い人は、「オーラが浮き上がりやすいであろう、自分自身」という性質にも気づいていき、アンバランスにならないように心掛けるほうがいいでしょう。

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2012年5月22日 (火)

意味ありげな、解釈が難しい「夢」を見た場合は、どう捉えていくべき?

私たちは、夜眠っている間に、「夢」を見ることがあります。

スピリチュアルな観点から、睡眠をとらえていくと、私たちが眠っている間は、たましいが、いわゆる幽体離脱のような形で、あちらの世界に帰っている、といわれています。

そこで、守護霊から導きを得るなどしているらしく、江原さんの書籍では、夜寝ているときに、たましいが霊界に里帰りをしていて、今後についての作戦会議をしている、などという表現で分かりやすく説明されています。

それらの大半は、私たちは覚えることが出来ません。その理由は、霊界での作戦会議というのは、通常の、私たち人間のこの世での波長を超えたところで展開しているためです。

しかし、そのうちの、ごくごく一部が、「印象的な夢の一場面」として、断片的に記憶に残されている場合があります。

はっきりとは(前後の関連が記憶にないので)分からないけれども、何か、意味ありげなような、メッセージ性があるような、そんな夢を見たけれども、自分の守護霊が、何かを伝えたいのだろうか?と、判断に迷ってしまうことがあると思います。

夢は、大きく分けると、いくつかの種類があり、ひとつは、「肉体の機能への負荷が影響して見てしまう夢」があります。

たとえば、掛け布団が重かったり、寝ている間に、ペットが上に乗っていたりすると(笑)、夢の中で、「とても狭いところに、無理矢理押し込められる」とか「自由に動けなくなり、追い詰められる」などの夢を見たりすることがあると思います。

このような物理的な原因に影響されてみてしまう夢は、すぐに理由が思いつくので、メッセージ性を含んでいる夢と、分けることは容易だと思います。

ふたつめとして、そのときの自分の、現実の生活上のストレスや、願望が見せてしまう、「現実に関わる、自分の思いを反映した夢」があります。

たとえば、資格試験の勉強で忙しいときに、電車に乗り遅れて会議に間に合わない、などの夢を見ることがあります。現実に、勉強の忙しさがあり、「時間に余裕がない」という焦りが、別の状況を伴って、表れた夢、となります。

それなら、試験勉強で忙しい夢を見るほうが、ストレートで分かりやすいのですが(^^;)、そうはならないところが、夢の結びつきの不思議さ、といえるかもしれません。

3つめとして、最初に書いたとおりの、スピリチュアルな、メッセージ性を含んだ夢、があります。

霊界で、守護霊から授かってきた、導きの一部を、表面の記憶に残している場合です。内容が明確ならいいのですが、遠回しなような?、含みがあるような?、結局それは、どう受け取っていいのか解釈が難しい、となってしまうことが多いので、「この夢は、守護霊からのメッセージなのか、それとも考えすぎなのか」と、分からなくなってしまうこともあるでしょう。

1つめのケースは簡単に除外できますが、2つめと3つめは、簡単には判断しにくいもの、かもしれません。

その判断をするにあたり、守護霊からのメッセージが含まれていて、その夢を見たことから、自分が何かに気づいて行動していく必要があるというケースは、「そのことが必要なとき」に見せられるものであり、それほど頻繁に起こるものではない、という前提で考えていくといいでしょう。

なので、1週間前の夢も、昨日の夢も、今日の夢も、守護霊からのメッセージに違いない、などと拡大解釈をしてしまうと、本来、守護霊が伝えたいこととは、ずれてしまう場合もあるかもしれません。

その上で、意味ありげな夢の内容が、どういうメッセージを含んでいるのかを、分析してみます。

それらの夢は、「伝える必要があって、分かってもらいたいから」見るのですから、本来、その人が、自分で分かるはず、なのです。

分からなければ、別の形を取ってでも(夢以外の方法なども)、何度でも、分かるまで伝えてくるでしょう。それが目的なのだから。

ですから、考えても、よく分からない、何を意味しているのかまったく不明だ、という場合は、あえて、考えすぎなくてもいいのです。そのまま、気にしないで、受け流していいと思います。

そういう場合は、「それは、強いメッセージ性を含んだ夢ではない」か、もしくは、「メッセージ性がゼロではないが、それはあえて、本人が詳細を自覚しなくてもいいこと」なのかもしれません。

また、少し時間が経過してから、その意味が分かることもあるので、気になる場合は、書き留めておくなどして、たまに、振り返ってみる習慣を付けていくのもいいと思います。

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2012年5月19日 (土)

家族という縁。

人間関係についての悩みは、少しくらいは、誰もが持っていると思います。相手への不満があったり、どのような対応をしたらいいのか迷ったり・・・。

それらの人間関係の中でも、「家族」の関係は、血縁という、特殊で深い繋がりがありますので、うまくいかないときの、関係のこじれ具合もまた、深く複雑になってしまうことが多いものです。

他人であれば、受け止め方の基本的なところに、「他人だから、分かり合えない部分も出てきてもおかしくはない」という前提を持っていると思います。 けれど、家族の場合は、深い繋がりゆえに、お互いに、家族なのだから、相手が自分を理解してくれて当然、とか、家族なのだから通じ合うのが普通で、言わなくてもわかるはず、という前提で考えてしまうところがあり、お互いの気質の違いが、クローズアップされやすいために、不満が大きくなってしまいます。

スピリチュアリズムの観点でいえば、家族といえども、たましいは、それぞれ違う、個別の存在です。 家族とは、今回の人生において、血縁という繋がりをもって生まれてきた、違う個性を備えているたましいの集まり、でもあるのです。それぞれ違う個性をもったたましいが、学びのために、同じ学校に入学した状態が、家族、という関係になります。

そういう繋がりなので、家族といえども、性格がまったく違っていて、どうしても気が合わないとか、価値観の差でぶつかることなどが、出てきてしまうこともあります。血縁だからといって、無条件で分かり合えるとは限らず、とても仲が良い家族もいれば、そうでない家族もいるでしょう。

私たち人間は、たましいのために「自ら、望んで」生まれてきて、今回の人生を、あらゆる形で学んでいる存在です。自分からそうしたいと望んでいるのに、なぜ、わざわざ、気持ちの通じ合いにくい家族を選んでいるのか、と、不思議に思うかもしれませんが、その答えは、「目的は、(楽をして、面白おかしく暮らすため、ではなく)学びのため」だから、です。

先ほど、「学びのために、同じ学校の入学した状態」と書きました。これを、現実の学校に当てはめてみれば、わかります。たとえば、工業高校という特性をもった学校に、入学してきた生徒達は、当然のことながら、性格はそれぞれで、同じ価値観を持っているわけではありませんよね。家族の関係も同様で、「田中さんの家族」「山田さんの家族」という、家系の特徴をもった場所で、学ぼうと入学してきた状態が、家族、というご縁ですから、性格に違いがあって、ぶつかり合うことだって、あるわけです。

テレビCMのような、何も悩みがなくて明るく幸せそうに、楽しいことだけ考えていられるような、そんな家族というのは、現実には、まず、存在しません(^^;)。どこの家庭でも、何かしら、問題や悩みは、少しくらいはあるものではないでしょうか。

この世という場所は、たましいの学びのための場所であり、私たち人間は、たましいを成長させる経験を積むために、望んで、今回の人生を生きている存在なので、この世での基本の繋がりとなる家族という関係に、何かしらの学びの要素が存在してしまうのは、ある意味、当然、なのかもしれません。

それでも、いろいろあっても、お互いに、家族同士には、「情」というものがあって、だからこそ、(分かり合うのが難しい現状でも)なんとかして分かり合おうとしますし、分かり合えないと不満が出てきます。他人には、簡単にあきらめがつくことも、家族となったら、そういう割り切りはなかなかできませんよね。それは、良い意味でも、そうでない意味でも、となってしまいますが・・・。

けれど、それでも、長い時間をかけて、成長をしていき、お互いを思いやっていけるのが家族、という関係です。愛情があるからこそ、相手に不満が募ってくるわけで、まったく愛情がないなら、お互いになにをやろうと無関心になるはずです。

深い繋がりがあるからこそ、その問題点や不満なども、複雑で深い感情が絡んできてしまいますが、その解決や改善のために、十分に取り組めるための時間が、たくさん与えられているのが、家族という関係です。

いろいろ、それぞれのご家庭で、苦しみも不満もあるでしょうけれども、しかし、すべては学びのための経験であり、自分が、この家族を自ら選んで生まれてきたのだ、という理解をしていくことは、その苦しみや不満の軽減になっていったり、改善のための努力をしていく原動力になっていくこともあるのではないでしょうか。

この家族という縁は、たましいの観点からみれば、数十年間の関係という、一瞬のような短さです。

その中で、出来ることを尽くしていく、という、前向きな気持ちで、必要以上にとらわれることなく、明るく穏やかに過ごしていきましょう。

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2012年5月15日 (火)

「相手から、自分がどう見られているか」を、気にしないほうがいいのか?

人間関係がうまくいかないのは、相手の立場や意向を察する感覚が磨かれていないため、という理由であることが、少なくありません。相手が、自分についてどう思っているかを、想像しながら振る舞っていくことは、スムーズな付き合いのために有効な方法である、といえるでしょう。

人間関係とは、自分と相手との「間」に作られるものですから、自分だけの一方的な目線でとらえるよりも、相手の目線も想像して、双方から捉えていくほうが、よい関係をつくっていくことができます。

「相手から、自分がどう見られるかを、気にしすぎるのはよくない」、とは、よく耳にする考え方のひとつですが、このことの捉え方を、拡大解釈をして、何でも一律当てはめてしまわないように、注意が必要です。

たとえば、「相手のことを察することが出来る人」が、自分の主張を差し置き、相手からどう見られるか「だけ」を気にしてしまう場合には、確かに、気にしすぎはよくない、と思います。

または、まったく自分の考え方がなくて、相手の意向で自分のすべてを計ろうとするような、主体性のないタイプには、自分の考えを持ちなさい、という意味では、当てはまることもあるでしょう。

けれど、そのような、両極端に当てはまる人は、ごく少数だと思います。実際には、その中間に位置する人達がほとんどです。

どんなことにも言えますが、極端になるのは良くない場合でも、適度にそれを身につけることまでが悪いとか、不都合、ということではないはずです。

相手からどう見られるか「だけ」を気にしすぎるのは良くないとしても、まったく相手のことを気にしないとか、自分の目線だけでいい、とは、なりません。

とくに、「相手の意向を想像したり、察したりすることが苦手な人」は、ある程度は、相手のことを想像して、相手が自分をどう思っているか、という、相手目線の感覚を身につけることも、人間関係をスムーズにしていき、自分が助かると思います。

つまり、察することが出来ていない人に対して、「相手からどう見られているかを気にするな」というアドバイスは、ズバリとは当てはまらないこともあるのです。

言葉や文字の表現というのは、受け取り方次第で、どのようにでも受け取れてしまいます。その意味するところが、正しいものであっても、極端な受け取り方をしたり、自分を正当化するための一方的な自分目線での解釈は、成長を妨げてしまうこともあります。解釈の仕方というのは、どんな前提があるか、により、幾らでも変わってきてしまいます。

前提というのは、この場合でいえば、「相手がどう見ているかを、気にする」以前に、そもそも、自分は、相手を察することができているか、という点です。それができていてこそ、自分を差し置き、相手の意向だけを過剰に意識することはやめる、という、ちょうどよいバランスを保つための、アドバイスと成り得ます。

相手を察することが出来ていない場合は、まずは、そこから意識していくことが、人間関係をうまくやっていくには大切で・・・、そのためには、相手がどう思っているか、という、考え方そのものを、自分に取り入れていくほうが、良い関係をつくっていくための助けとなることもあるのです。

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2012年5月14日 (月)

「自分には、霊感があるか?」、という質問の前に、まず理解しておいてほしいこと。

自分には、霊感があるだろうか?という、ご質問をしばしばいただきます。

霊感という、「感性」は、体重や身長を測るように、明確な数値で定義できないものなので、平均的な程度と比較して、どのくらいか、という答え方をしています。

その理解のために、まずは、「平均的」とは、どういうことなのかを知識として分かっておくことが必要となります。

私たち人間は、肉体を備えている霊的存在です。私たちは、実は、霊でもあるので、誰もが、霊感を持っています。ただし、肉体という限定された器にはいっている間は、備えている霊感も、やはり、限定されてしまうので、霊感が100%全開になることはありません。

霊などが見える、聞こえるというだけが霊感ではありません。霊が見えなくても、霊感が強い人はたくさんいます。いろんな表れ方をするので・・・、視覚では見えなくても、予知的感覚が強いという形で表れる場合もありますし、芸術センスとして表れる場合などもあります。

ですから、霊感があるか、という質問に対する答えとしては、広い意味でいえば、全員に対して「ある」と、答えることになります。

私たち人間も、霊である以上、まったく少しの霊感もない人は、いないものだからです。 ただし、誰にでもある霊感といはいえ、備わり方が大きい人、小さい人、という、個人差はあります。そして、備わっているものが、どのくらい発揮されているか、という活性度も違いがあります。

私たちは、霊でもあるので、誰にでも霊感があり、まったくのゼロの人はいませんが、同時に、限定された肉体を備えている以上、霊感が100%全開になることもなく、ゼロでも100でもない、その中間に、それぞれの個性としての発揮のされ方が存在することになります。

以上を前提とした上で、だいたいの平均的なところ(といっても、その定義の取り方もはっきりとはしていない、あいまいなものではありますが(^^;))、と、比較して、その人個人の備わり方や、発揮のされ方を、「便宜上の、答え」として、差し上げています。

大手小町>

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2012年5月 8日 (火)

まいた種が、自分の思うように咲かないのはなぜ?(カルマの法則)

スピリチュアリズムの大原則ともいえる、「カルマの法則」とは、自分のしたこと、行動、発言、思いのすべてが、良くも悪くも、すべて自分に返ってくる、という真理の法則です。

比喩を用いて、その仕組みを表現するならば、「自分の投げた石が、頭上に落ちる法則」とも言えますし、「自分のまいた種が、実る法則(結果として起こったことは、すべて、どこかで自分が原因となる種をまいている)」とも言えます。

自分に降りかかる出来事というのは、自分に必ず何かしら学ぶ要素があるため、であり、無作為に降りかかる災難はない、という仕組みがあるからこそ、私たちは、カルマの法則を元に、自分を省みることができます。そうして私たちは、何度も生まれ変わって、学びを続けています。

それがなければ、やりたい放題、やった者勝ち、になってしまい、自分を向上させることも、律することも難しくなってしまうでしょう。

この法則の仕組みを分かった上で、自分に起こった出来事や日常の様子を眺めていくと、無意識のうちに、種をまいていて・・・、それが実って出来事が起こったのだな、と、納得できることがいくつもあり、スピリチュアリズムへの理解を深めていくことができると思います。

けれど、その一方で、自分が意識的に、特定の種をまいたはずなのに、思うように実らない、という経験をすることもあると思います。

「自分は○○になりたいから、○○ができるように、○○に繋がる種をまこう」と、行動したことの成果や結果が、見えて来ない場合、です。

まいた種が、思うように咲かないのは、「土壌との兼ね合い」です。土壌とは、自分自身です。

自分自身という、個性や、そのときのコンディションなどが、大いに関係していますから、思う通りに咲かないことは、あり得るのです。

「あじさい」の花を考えてみればわかります。あじさいは、青くなったり、赤くなったり、いろんな色で咲きますが、あれらは、土壌がアルカリ性か、酸性か、どちらが強いかにより、出てくる色が変わってくる、といわれています。

それと同じで、まいた種が、決まったものであっても、その咲き方は、自分という土壌との掛け合わせですから・・・、思うとおりには咲かない場合もあるわけです。

ですから、カルマの法則とは「まいた種が、思うとおりに、実る」のではなく、「まいた種が、自分という土壌にもっともふさわしい形で、実る」法則、です。そこに、必ず、掛け合わせとなる「自分」、があります。

また、種がまかれて、実るまでの、時間、という問題もあります。すでに土壌が用意されていてこそ、種は成長し、実ることができますが、土壌が十分でなければ、種だけまいても、成長することができません。

そういう場合は、先にまかれた種が、土壌(=自分)の成熟を待っていて、それらのすべてのタイミングが整ったときに、実っていく、というプロセスを経ていくこともあるでしょう。あちらの世界には、こちらの世界のような、時間、というものがありませんから、どちらが先でも後でも、それほど関係はありません。

過去にまいた種が、いくつも先の生まれ変わった人生で、実りを迎えることも、可能性としては、あるのです。

これらを、「今回の人生」という限定された時期のうちの、さらに、「自分が、これくらいあれば実るだろう、と思う、短い時間」だけを抜き出して考えれば、まいた種が、作用しないように、思えてしまうかもしれませんが、

まいた種は、自分という土壌に、もっともふさわしい形で、その準備が整ったタイミングで、実る、という仕組みなのです。

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