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2012年4月13日 (金)

行動の動機を、「楽しさ」にする必要はない。

自分が何をしたいのかわからない、楽しいという感情がわかない、何をすれば楽しくなるのか、見つけられないので、行動ができない、という悩みを抱えている方は、少なくないようです。

そうなる理由は、さまざまで、ひとまとめにすることはできませんが・・・、この方達の悩みを作り出しているのは、「何をしたいかわからないから」でもなく、「楽しいという感情がわからないから」でもなく、「行動の動機を、楽しさに限定して考えている」ため、という「考え方」からきている部分もあります。

行動をするにあたり、「楽しいから、それをする」というのは、動機として自然です。

けれど、楽しくないことでも、やらなければならないことはあるでしょうし、楽しくても、やってみたらうまくできない、ということも、世の中にはたくさんありますし、最初は気が乗らなくても、やっていくうちに、だんだん楽しくなっていくこともあると思います。

行動の動機となることは、楽しみ以外にもたくさんあります。何に対して、楽しい感情を抱くことができるかわからないので、行動ができない(と、思っている)人は、逆に「楽しさを、行動の動機にする」ことに、こだわりすぎていないでしょうか。

行動の動機は、ワクワクと楽しい気持ちこそがふさわしい・・・はず、という、思い込みにとらわれていないでしょうか。

そうなってしまうと、楽しいことが見つからないうちは、行動ができなくなってしまいます;。

しかし、そうなってしまう気持ちも、理解できます。何をしたらいいのか決められない人は、楽しくなることを何でもやってみましょう、的な解釈が一般的になっているところもあるからです(それが間違っているわけでもないですが)。

その思考方法は、感情が抑圧されていて、自分の気持ちを外に出せないタイプの方には有効だと思います。

けれど、何をしたらいいのか分からない人の全員が、その状態にあるとは限りません。強い感情が表面化していない理由が、感情が押さえ込まれていること、とは限らないからです。

元からの性質として、感情が薄い人もいれば、感情の発達途中、という人もいます。それでも、行動をしてみて、何かの楽しみや手応えを得られるようになり、行動を「継続していくモチベーション」となるのは、やはり、楽しさという感覚は大切な要素です。

が、取り掛かる時点で、動機を「楽しさ」に限定して、こだわってしまうと、感情が(抑えられて出せないのではなく、備わっている性格として)薄い人には、敷居が高くなって、逆に、行動を起こせなくなります。

そういうときは、スピリチュアリズムの観点から、「何をするのが、自分のためになるか」とか「どちらが、よりたましいの成長に繋がるか」というふうに、考えてみてはどうでしょうか。この考え方が絶対だ、というのではないですが、まったく基準がないところからは、なかなか前進できないので、まず、行動を前提とした動機付けをしていくほうが、取り組みやすいタイプの人もいると思います。

そうして、行動を起こしていき、経験が積み重なる中で、楽しさ、という感情がわいてきたり、手応えに繋がっていったりすることもあると思います。

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