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2012年4月 3日 (火)

自発的に行動しなくても、同じ結論に行き着くこともある。

自分から、能動的に行動していく姿勢と、そのときに起こったことを受け入れていく、他からの影響により動いていく、という受動的な姿勢とでは、どちらかといえば、前者のほうが良しとされ、推奨されることが多いと思います。

もちろん、それぞれ、ふさわしい場面と状況があり、能動的であるほうが適している場合もあれば、受動的であるほうが適している場合もありますが、(個別のケースではなく)総合的にすべてをとらえていくとしたら、能動性が必要とされる場面は多いためでしょう。

けれど、何でも、自分からどんどん動いて、すべての判断や選択を自分が自ら下さなければならない、そのほうが素晴らしい未来が繋がるはず、という捉え方は極端すぎます。

10リットルの器に入る水は、どう一生懸命になっても10リットルより増えることはなく、それ以上を注ぎ続けたら、器から水があふれて無駄になってしまうように、物事には、「やれば、やるほどに成果に繋がる」ものもあれば、「ある一定の段階を超えれば、それ以上やっても、成果にはさほど大きな差はつかない」ものもあるからです。

しかし、「能動的であることが大切であり、価値がある」、という思いが強すぎると、器以上には入らないと分かっていても、注ぎ続けてしまったり、または、あふれていることに気づかずに、「注ぐ、という行為」に一生懸命になってしまったりして、結果、自分が大きく消耗してしまうことがあります。

それは、結果や成果との兼ね合い、という視点よりも、「行動すること」により高い価値を置いてしまっていることから起こる不調和だといえるでしょう。

受動よりも能動を優先する心理としては、「能動的、自発的であるほうが、少なくとも、他人のせいで自分が割を食う、という影響を避けることができる、仮に、うまくいかなくても、思い通りにならなくても、自分が選んだことは、自分が納得しやすいし、また、自分の努力と忍耐により、上手くできる可能性は高いはずだから」、という思いがあるためでしょう。

その考え方も一理あるのですが・・・、しかし、10リットルの器に、それ以上の水を注いでも入る量が増えるわけではないように、やればやるほど、成果に繋がるとは言い切れない部分もあります。

そこは、ある一定のところまで努力をしたら(この点は、大切な前提です)、それ以上の部分には、委ねる気持ちを持つことも、大切だと思いますし、そのほうが、より調和された結果に繋がる場合もあると思います。

現実に、自発的に行動しても、しなくても、結果として行き着くところは、ほぼ、変わらない、という場合があります。それなのに、自分の力で頑張ってしまうのは、自分のこだわりです。過度なこだわりは、自分を消耗させてしまいます。

それでもいい、消耗してもいいから、実感と手応えを得たいから、何でも自分で過剰なまでにやりたい、というのなら、それはご自分の自由ですが・・・、そのような気持ちから行動しているのではなく、少しでもやっていけば、よりよい未来に繋がるはず、という思い込みがあるために、手を抜けなくなっているのならば、「現実に、自発的に行動しても、しなくても、結果として行き着くところは、ほぼ、変わらない、という場合もある」ことを理解して、委ねる気持ちをもつことも、大事ではないでしょうか。

ひとつ、能動的でも、受動的でも、結果はほぼ同じになったであろう、例え話を、私の経験から書いてみます。

去年、私は、雪道で転倒して骨折し、救急車で運ばれたことは、過去にお伝えしたとおりです。その病院は、家からとても近い病院だったのですが、そこに運ばれたのは、私の意思によるものでは、ありません。たまたま、その日の、救急当番病院が、その病院だったから、という理由です。これは、私の意思によるものではなく、自分以外の状況によってもたらされた「受動的」な要素で、そうなりました。

もし、救急車で運ばれるほどではない、自分で歩けるくらいの怪我だったら・・・、私は多分、同じ病院に行ったと思います。こちらの過去記事で書いたとおり、私は、この病院に何度もいったことがありますし、家からも近いし、そして、親戚が骨折で入院&手術をしたこともありますから、そういう流れもあって、きっと、同じ病院に、自ら行ったと思うのです。

つまり、この件に関して、救急車で運ばれる、という受動的な形式であっても、もしも、という仮定の話でしかありませんが・・・、自分で選んでいく能動的なケースを想定しても、きっと、同じ病院になっていた、と思うのです。

世の中には、そういうことが、多々あります。なるようになっている、なるべくしてなる、ということが、あります。

私自身も、どちらかといえば、自発的、能動的に、どんどん頑張って動いていくタイプなのですが、いくつもの経験を通して、「現実に、自発的に行動しても、しなくても、結果として行き着くところは、ほぼ、変わらない、という場合もある」ことを理解していき、それにつれて、委ねる気持ちを、持てるようになっていきました。

一生懸命になりすぎるタイプの人は、どこかで力を抜くことの大切だ、力を抜いても、結果は実はそれほど変わらなかったり、むしろ、力を抜くほうが上手くいく場合もある、ことを、知っていくことも、学びだと思います。

どんなに素晴らしいことも、やり過ぎになったら、バランスが崩れることは共通です。

能動性が悪いということではないのですが、やり過ぎていないか、という観点から、自分を見つめていくことも、時には必要ではないでしょうか。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

りかこさんて、おれの今日の迷いが分かるの…?みんな迷いは同じって事かな~。毎回開くのが楽しみです

投稿: あきです | 2012年4月 4日 (水) 13時26分

*あきです さま

多分、迷いの根本となることは、皆同じ・・・とまではいかなくても、それほど差がないもので、そこに個人的な要素(個人の考え方、感情、状況等)が掛け合わされて、いるのだと思います。

なので、表面だけ見れば個別差は必ずあり、根本だけを見れば、共通点も意外と多いものではないか、と。

投稿: リカコ | 2012年4月 4日 (水) 13時44分

なるほど 最近色々気付く事が多いです りかこさんの話は実に参考になります

投稿: あきです | 2012年4月 4日 (水) 16時46分

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