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2012年4月の20件の記事

2012年4月29日 (日)

ジムに通っています(2)。

>(1)の続きです。

私は、今まで、ジムに通ったことはありません。運動は嫌いでしたから。ただ、病院の中で筋力を戻すためにマシントレーニングのリハビリがありましたので、だいたい、こういうことをするのだろうな、というのは、分かっている、という程度です。

今回のような怪我でもなければ、たぶん、一生、ジムにいくことは、なかったと思います。

私は、この怪我を通して、得られた学びのひとつに、「運動の大切さを、実感した」という点があります。とても厳しく苦しい出来事ではあったけれども、今ここで、運動の大切さを知ることができたのは、今後にいかされると思っています。

初日に、トレーナーさんに、メニューを組んでもらうために、体力測定をするのですが、体脂肪の厚さを見るために、太ももにエコーを掛けていくと、筋肉や骨が見えないくらいに、脂肪がありました。・・・というか、筋肉が少なくなっていました;。

でも、ここは、私の場合、ちょううど、骨折した箇所なので・・・、筋肉が一番落ちている場所ですからね。それも、当然、だと思いました。

体脂肪率を計ってみると、・・・なんと、30%近くの数値になりまして、ひっくり返りそうになりましたsweat01。が、怪我をしてから約5ヶ月で、最初のうちは、ぜんぜん足を動かすことができませんでしたから、こんなものかもしれません。

そういえば、リハビリの先生が、「低下した筋肉を戻すには、最低、倍の期間はかかると思う」、といっていたな・・・と、遠い目( ̄_ ̄)で考えてしまいました。これから、頑張ろうとしているのに、初日からガックリでした(笑)。

トレーナーさんの中には、理学療法士や柔道整復師の資格をもっている方もいるので、そういう人達から個人的なトレーニングを受けることもできるので(有料ですが;)、そういう面も、良かったな、と思います。いざというときには、教えてもらいたいことも出てくるかもしれませんから。

今の私の状態は、「ここまで戻してくるのも、きっと大変だったと思うけれど(本当に、大変でしたわ;)、元の筋力に戻るまでの、先の道程は、長いですね」、と。

( ̄∀ ̄)「あ-、そうなんですかー、自分では、8合目くらいまで来ているくらいかと、思っていたのですけれど」と、答えたところ、

「うーん、4合目・・・、ってところかも」 と、言いにくそうに言われた・・・ということは、きっと、本当は、3合目くらいなのでしょうね(笑)。まだまだ先は長そうなので、気長に頑張り続けるしかありません。

今は、有酸素運動の、ウオーキングと、自転車こぎをメインに行っています。本来、これらは、脂肪燃焼や心肺機能をUPするためのもので、筋力UPには直結しないのですが、今の私にとっては、筋トレばかりでは、元の支える筋力がないので、逆効果になるかも、ということで、有酸素運動マシーンで、足の筋力をゆっくり戻している状態です。

なので、スタジオレッスンなどは出られないので、一人もくもくと、マシンに向かっています。水中を歩行する訓練も進められたのですが、床がすべると危険なので、止めておくことにしました。すべりそうになったときに、踏ん張って支える、というのも、筋力があってこそ、なんですよね・・・。ま、私には、性格的にもマシントレーニングが合っているように思います。

元々運動嫌い&苦手の私のような人でも、飽きずに取り組めるように、いろんな工夫が為されていて、有酸素マシンにテレビがついているのは病院のリハビリ室でもそうでしたが、日本の名所を回って一周する、というバーチャルなお楽しみメニューがついていたりします。

私は今、自転車bicycleで、桜島からスタートして、20分で種子島を通過し(笑)、その後、一路、沖縄を目指して漕ぎ続けているところです( ̄m ̄*)。こういうのがあると、自分も楽しめますが、私は、「なるほど、こういう工夫の仕組みが、ああなってこうなって・・・」と、考えるのが好きなので、そちらもいろいろ新たな知識になります。

今となってみれば、リハビリが終わったタイミングも、私にとってベストだったようにも思うのです。当初は不満でしたが・・・(笑)、病院でトレーニングをする以上は、鍛えるのは、怪我をしたほうの足だけ、です。怪我をしていないほうの足は、何もしません。

けれど、歩かない期間が続けば、怪我をしていないほうの足も筋力は、低下します。そして、逆に、歩く際には負担が掛かりすぎることもあるので、バランスが乱れてしまいます。そういう点も含めて考えれば、リハビリは卒業して、ジムに行くようになったことは、全体の筋力UPという点からすれば、よかったと思います。ちゃんと、なるようになっている、ということなのかもしれません。

私のような、座っている時間が長い仕事の人は、ジムにいって鍛えたりしておくことは、必要だったかもしれないな・・・、もっと前から、そうしていれば、怪我という経験をしなくて済んだかもしれない、と、思わなくもないですが、今さらそれを考えたところで、過去に戻ることはできませんから、今この時点から前に進み続けるしかないです。

というわけで、ジムは、リハビリの通院と同じサイクルで、月、水、金の、週三回を考えているので、スカイプのリーディングは、今後も、引き続き、火、木、土、になります。

この、運動機能の回復は、今の私にとって、最重要事項のひとつなので、ご了承をいただけますよう、お願い申し上げます。

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2012年4月28日 (土)

ジムに通っています(1)。

少し前に、リハビリのための通院は終わりました。・・・といっても、良くなったから終わった、というよりは、退院と同様、「出された」ような雰囲気があります;。

だんだんとよくなってきてはいますが、まだ、自分としては不十分だと思っていたのですが・・・。リハビリというのは、回復を助けるものであって、どこまでも患者の望むように通えるものではないと思うので、私も、そこまでは元より考えていないのだけど、もうちょっと通うつもりでいた、というのが本音です。

でも、手術をする病院だと、仕方ないかも、という気もします。

リハビリでトレーニングをしていた内容は、筋力のUPと、関節の可動域です。骨の問題ではなくて(ここは、手術をしてくっつけているので、歩行にはあまり関係なし)、筋力が落ちてしまうため、です。

リハビリの先生によると、足を動かさないで1週間たつと、10%くらいは筋力が低下していく、といわれているのだとか;。じゃあ、私は、どれだけ落ちまくっているのか・・・、うまく歩けないことに、とても納得できました;。

膝などの関節の可動域が狭くなってしまうのを、回復させていくトレーニングをするのですが、膝は、何も悪くないし、骨折の箇所とも違うのですが、なぜか、曲がらなくなります。手術直後は、90度にも曲がりませんでした。これは、太ももの前側の筋肉が縮んでしまうためです。

足を伸ばすと太もも前の筋肉は縮み、後側の筋肉は伸びます。曲げると逆に、前側の筋肉は伸び、後側が縮みます。このように、前と後の筋肉は拮抗していて、動作しているのですが、動かさないでいると、筋肉が伸びなくなってくるので、膝そのものに問題はなくても、筋肉の問題で、曲がらなくなるのだとか。

正直、この膝のリハビリが一番きつかったです;。今は、ほぼ曲がるようになってきましたので、正座の姿勢になることは可能です。体重を掛けて座り続けることは出来ませんが・・・。あとは、股関節がイマイチな状態です。

股関節の近くは、骨折しているけれども、ぐりんぐりんと回る部分と、骨折の箇所は無関係なので、骨折の直接の影響というよりは、やはり、筋肉が落ちているのと、手術をしたことで、内部の癒着のような状態が多少あるのではないかと思う、とは、医師の見解です。それは、ストレッチのようなことで、可動域を広げていくのと、筋力を戻していくことだ、と。

で、2月くらいから、股関節の可動域を広げるようなリハビリをしてもらって、それは、先生が、足を持ち上げて、がーっと力を掛けて開いていくので、これもまた、なかなかキツイけれども、今も、まだかなり可動制限がある状態ですが、当初よりはかなり回復してきた・・・、と思ったところで、リハビリはそろそろ卒業、ということになったわけです。

もうちょっと通いたかったけれど・・・、でも、そう決まった以上は、仕方ないので、では、これからどうするか、というのをいろいろ考えました。

筋力のUPについては、ジムにいこう、と、直ぐに決めました。病院内でも、マシントレーニングはしていましたし、それが一番いいな、と思いました。外を歩くのでも筋力は戻るかとは思いますが、北海道の雪解け後は、道路がでこぼこになっている部分もありますし、車や人がたくさん通る道路よりは、施設内のほうが安心です。

それはいいとして、でも、関節を広げるストレッチが問題だよなぁ( ̄~ ̄)、主治医の先生は、自分でストレッチのようなことをして、と言うけれども、膝なら自分の腕で引き寄せたりできるけど、股関節って・・・;。

以前から、毎月整体に通っていましたが、場所がとっても遠いのです;。普段ならともかく、今は、通うのは厳しいので、まずは、ジムを決めて通うことが先決、とりあえずは筋力UPだけでも、と思い、徒歩で40分以内にある数カ所を見学させてもらい、一番、施設がきれいで、中が歩きやすい、狭くないところに決めました。

>(2)に続きます。。

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2012年4月27日 (金)

現実と、スピリチュアルは、分けられない。

私たち人間は、この世という現実社会、物質社会において、さまざまな経験を通して、霊性の向上に取り組んでいます。この世という場所は、スピリチュアルな観点からみれば、学ぶための場所です。

私たちは、「肉体を伴っている、霊的存在」です。いわゆる、幽霊などとよばれる霊と、私たちの差といえば、肉体を伴っているかどうか、という点で、霊であることは共通です。

そうと意識する機会は少ないかもしれないけれど、私たちは、実は、霊である、という前提で捉えていくことが、スピリチュアリズムのより深い理解に繋がっていきます。

「スピリチュアルが好き」という方に、たまにお会いすることがあるのですが・・・、私たちは、霊的(=スピリチュアル)な存在ですから、自分とかけ離れたところに、独立したスピリチュアル、というものが在るわけではありません。

例えば、呼吸や瞬きは、意識せずとも自然になされていくように、私たちは、霊的存在として、霊性を学んでいますから、好きとか嫌いとか興味のあるなしとは無関係に、誰もが、スピリチュアルな存在であり、スピリチュアルを学んでいるのが、この世という場所における、人間という存在です。

目の前にある現実から逃げていて、(それこそが、本当の、たましいの学びのはずなのですが)、目に見えない事柄「だけ」に夢中になったり、不思議体験にとらわれてしまうことは、本来の目指すべきところである、たましいの学び、霊性の向上から、どんどんかけ離れていくことになります。

そのような、好奇心いっぱいの興味の持ち方をするほどに、実は、私たちがこの世で体現していかなければならない、霊性という意味での「スピリチュアル」からは、どんどんかけ離れていくことになります。

そもそも、「現実」と「スピリチュアル」というものは、きっちり分けられるものではありません。それらが重なり合っている存在が、私たち人間であり、それらを重ねて解釈や理解ができることが、霊的な感性、です。

このふたつは、対極に存在するものではありません。両方が重なり合っている、同時に理解しうるものが、この世という場所において、肉体という現実の物質を伴った私たち人間に可能となる、スピリチュアルな解釈、なのです。

そのことを理解せずに、現実とスピリチュアルがまったく別物で、対極にあると、捉えてしまえば、・・・きっと、スピリチュアルに興味をもつほど、現実を遠ざけていきたくなるでしょう。現実から離れば離れるほどに、自分はスピリチュアルに「なれる」はず、というような、大きな誤解に繋がってしまうのではないでしょうか。

私たち人間は、物質の世界を、霊として(肉体をともなって)生きている存在です。そこに存在している、というだけで、すでに、それは神秘であり、スピリチュアル、なのです。そのことを分かっていくこと、「知らなくても、すでに、そうである」ことを、分かっていき、理解を深めていくことが、スピリチュアルな学び、といえるでしょう。

なので、それらは、好きとか嫌いとかの、移り変わりのある「感情」で判断されるようなものではないですし、スピリチュアルと、現実、というように、線を引いて考えられるようなものでも、ないわけです。

たとえば、味噌と水を混ぜて、一度、「味噌汁」となったものを、いまさら、水と味噌に分けて考えるのって、不自然ですよね。それと同じで、肉体を伴う霊的存在として「人間」となっている私たちは、現実とスピリチュアルを、二分化してとらえていくほうが、むしろ難しい理解ではないでしょうか。

同様に、現実とスピリチュアルを、統合しなればいけない、統合させるべき、という考え方も、ちょっとポイントがずれていると思います。これから「そうする」ものではなく、「すでに、そうなっている(統合はされている)」ものだからです。

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2012年4月25日 (水)

「思う」という行為も、自分がしたことは自分に返ってくる。

思考をすると、想念というエネルギーが作り出されます。行動や発言と違って、思ったことは、外に表れませんので、「なかったこと」になりそうな気がしてしまうのですが・・・、しかし、目には見えなくても、「思うこと」も、行動や発言と並んで、「行為」としてのエネルギーを持ちます。

前向きな思考をすれば、前向きなエネルギーが作られていく、というように、思考という行為を通して、さまざまなエネルギーを、日々、そして都度、放っていることになります。

「カルマの法則」とは、自分のしたことが、何かの形で、必ず自分に返ってくる、という真理の法則です。

行動、発する言葉、思うこと、を通して、自分から放たれたさまざまなエネルギーが、良くも悪くも、必ず自分自身に返ってきて、いろんなことに気づかされたり、学ばされたりする仕組みの中で、私たちは、この世という環境を経験していることになります。

外に表れて、他人と共有されることもある、行動や、発言については、それらの作用が返ってくる、という仕組みを認識しやすいですが、「思うこと」については、自分の中だけで、外に向けて、(実際は、エネルギーは作られて、放たれているのですが)影響を及ぼしているという実感がわきにくいので、それも、自分に返ってくるものに含まれる、という考え方が、抜け落ちてしまいがちです。

けれど、思うことも、認識はしにくいけれども、影響はありますし、・・・認識しにくいからこそ、「野放し」「垂れ流し」になりやすいですから、注意が必要、とも言えます。

上辺の、目につきやすい態度だけを、清く正しくしていても、心の中で、他人を恨んだり僻んだり貶めたりしていれば、・・・なかなか、創造的で建設的な人生には、なりにくくなってしまうでしょう。

その場合でも、たとえ上辺だけでも、態度や発言に気をつけていれば、それはそれで、きちんと、善きものが、自分に返ってきますから、すべてが揃っていないと駄目だ、というわけではありません。

誰もが、完璧ではないですから、心の中に、いろんな思いがあるのは当然で、ときに、ネガティブな思いが渦巻くこともあれば、他人を恨んだり妬んだりしてしまうこともあると思います。完璧にはなれない以上、ある程度は、仕方ないとも思います。

けれど、その、ある程度、というラインを超えて、ネガティブな思いでいっぱいになってしまうと、結局、それらの思いは、自分に返ってきますから、「自分が、自分を苦しくしている」ことにもなるわけです。

「思うこと」も、行為のひとつ、として、さまざまに作用するもので・・・、放ったものは、自分自身に返ってきて、良くも悪くも影響していく、という仕組みを理解した上で日々を過ごしていくと、他人への感情も、(すべて、とはいいませんが)多少は、うまく割り切っていけることもあると思います。

そのような、価値観の入れ替えという、行為もまた、自分に返ってきて、自分を助けることに繋がっていきます。

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2012年4月24日 (火)

カルマという言葉には、行動、発言、思いのすべてが当てはまる。

自分のカルマは何か、今回の人生におけるカルマを知りたい、というご質問を、結構な頻度でいただきます。

その場合、皆様に、ほぼ同じような説明をさせていただいていますので、ブログのほうにも書いておこうと思います。

霊的真理におけるカルマというのは、行為・行いの総称です。そして、「カルマの法則」とは、自分の行いが、自分に良くも悪くも返ってくるという、仕組みのことをいいます。

私たち人間は、たましいが肉体を伴っている「状態」であり、今回の人生がおわっても、たましいは永遠に在り続ける、という前提でスピリチュアリズムがあります。私たちには、前世、というものがあり、そして今回の人生の次には、来世、というものもあるでしょう。生まれ変わりの中でも、自分のしたこと=カルマは、引き継がれて作用していきます。

それらの生まれ変わったいくつもの人生の中で、当然、今回の人生も含めてですが、私たちが重ねていく、行動したこと、発言したこと、思ったことのすべてが、(広い意味でいえば)カルマ、といえるわけです。思うことも、想念というエネルギーを生み出す、創造行為ですから、行動や発言と同じように、行為のひとつ、となります。

つまり、カルマ、というのは、たった一つか二つの、特定の要素のみを狭い範囲では、捉えきれないものなのです。

私たちの今回の人生は、過去に行ったことが、良くも悪くも自分に返ってくる、という、仕組みの中で、さまざまな形で、たましいの学びをしています。

けれど、私たちが学ぶカルマは、過去の人生(前世)で作られたものだけが関わるわけではなく、今回の人生で積み重ねた行為も含まれます。それらの行為は、日々、リアルタイムで増えていくことにもなります。昨日、投げた石が、今日、自分の頭上に落ちてくることだって、あるわけです。

過去の行い、それは今回の人生における、日々の積み重ねも含めて、良いこともそうでないことも自分に返ってくることになり、その行動、発言、思いの「すべて」が、カルマという表現をするならば、カルマ、なのです。

特定の目立った要素「だけ」が、カルマとなって、それ以外は、カルマではない、というような区分けはありませんので、「今回の人生の、自分のカルマは?」とういような観点から、ひとつかふたつを抜き出してとらえるようなことは、実質できない、というか・・・、広い意味でとらえれば全部、が当てはまってしまいます。

狭い意味で捉えるならば、「どのように、狭い範囲を捉えるか」という前提が必要で、その前提なくして、「あなたのカルマは、●●です」という表現は、曲解に繋がると思いますので、私は、そういう表現はつかいません。

ご相談の中で、自分の今生でのカルマは?と、尋ねられた場合のみ、上記の説明をした上で、「特定の物だけが当てはまるわけではないけれど・・・、今から直近の関わりの中では、●●と○○の要素が、学びとして関わりが出てくると思われます」というような「狭い範囲」を限定して、お伝えすることにしています。

なので、その場合は、本来とても難しくて複雑で・・・、言葉には表しきれない、人生そのものについて、意図的に分かりやすさのためにそう表現しています。

そのひとつか二つの要素の中に、今回の人生における、カルマのすべてが集約および限定されているわけではありません。

カルマの法則という、仕組みを知ることは、生きる上で、大きな助けとなりますので、理解することは大事ですが、カルマのひとつひとつにこだわっても、・・・実質、全容を把握することはできませんから、そういう狭い捉え方から抜け出していくことも大切です。

自分に関わりを持ってくるすべての出来事が、今回の人生で自分が経験して学んでいくことであり、それらのすべてが、カルマの法則によるものだ、という理解で、カルマをとらえていくことをお勧めしています。

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2012年4月23日 (月)

お子さんが、お友達と馴染めない場合。

お子さんが、周囲のお友達との輪に入れない、どうも浮いてしまうようだ、いじめにあっているのではないか、という悩みを、多くのお母様から、いただきます。

いじめが、本当にあるとして、「いじめられる側」と「いじめる側」と、どちらが悪いかといえば、それは、いじめるほうが悪いに決まっています。

いじめが悪いことは明白ですが、しかし、ではなぜ、いじめられてしまうのか、浮いてしまうのか、と、深く掘り下げて考えていけば、いじめられる側にも、何らかの要因があると思います。

それは、要因があるから、いじめられるのは仕方がない、という意味ではないです。何があろうと、いじめる側が正当化されることはありませんが、しかし、そうなりがちな要因が、いじめられる側にもあるならば、そこは、改善に取り組んでいくことも、必要なのではないか、という話です。

それで本人がよりよい状態になるのならば、取り組む価値は在ると思います。

原因は、個人差があり、一概にはまとめられないのですが・・・、多くのケースに当てはまる、男女の差、という観点からのヒントを書いておきたいと思います。

過去の記事でも、いくつも取り上げてきたように、男性と女性では、同性同士の人間関係の作られ方が、まったく違います。

男性同士の人間関係というのは、縦の序列が関係する場合が多いです。

女性同士は、横並びの繋がり、共感や連帯感などで作られていくことが多いです。

子ども同士の場合も、(大人ほどには顕著ではありませんが)その傾向は見られます。

男の子同士の関係で、浮いてしまう子は、縦の序列に馴染みきれない、その場その場で、他の子がリーダーシップを取った場合に、それに従って皆で動いていく、という縦の序列ありきの仲間意識の感覚がうすい子が、浮いてしまうことがあります。

女の子同士では、横の繋がりで関係が作られていきますので、共感、連帯感、同じ、という要素からはみだしてしまうと、仲間に入りにくい場合があります。精神的に成熟していて、子ども同士よりも大人といることを好むような子は、同年代の子と共感が持てないので、それが言動に出てしまい、お友達からすれば共感、連帯感が感じられないので、だんだん、誘われなくなってしまうこともあるでしょう。

このようなケースの改善方法としては、男の子には、縦の序列の感覚を、経験出来る環境をつくってあげる、女の子には、横並びの感覚を経験できる環境を、作ってあげることです。

女の子の場合は、お母さんと同性ですから、それは自然に為されていく部分はあるので、あとは、同年代の子たちと、共通で楽しめる話題や体験を見つけていくようにする、などの工夫もできると思います。

男の子の場合は、一番最初の、縦の序列の関係はお父さんとの親子関係なのですが、お父さんが仕事が忙しく、関わりが少なくて、また、他の男の兄弟もいない、という環境になると、上下の序列の感覚が身につかないうちは、友達関係が上手くいかないことも、あるかと思います。

学校にいくようになれば、先生との縦の関係が作られるかもしれませんし、上級生との関わりもあるでしょうし、だんだんと身についていくと思いますが、年齢がいろいろの集団の中を経験するのもよいでしょう。

または、いつも上下関係の「下」になり、いじめられてしまうような場合は、何か得意なことをより伸ばせるような環境をつくったり、習い事などをさせるなどして、その子が、他の子よりも「上」になれるものを見つけてあげると、本人も自信がつきますし、周囲からも一目置かれて、うまくやっていけるようになることもあります。

すべてのケースに当てはまるわけでは、ありませんが、お子さんが、同性の人間関係を作るのが苦手だけれども、何をどうしたらいいのか分からない、という場合に、まずは、上記の、男性特有の関係、女性特有の関係というものを考慮して、そこから紐解いてみることも、良いと思います。

そして、分析の結果、どうも、それとは違う理由である、となれば、また別の観点からも分析が必要となりますが、すでに一段階の分析が終わっていることで、範囲を絞り込みやすくなりますので、上記のような観点からの分析は、いかなる場合でも、無駄にはならないと思います。

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2012年4月22日 (日)

恋愛の縁は、自分から動いてつかみ取る。

恋愛を望んでいる方、出会いを求めている方から、「自分から行動することの大切さはわかるが・・・、しかし、何もしないで待っていても、相手が現れてくれる可能性だってあるのでは?」と、聞かれることがあります。

未来は決まっていませんから、・・・そういう可能性も、ゼロではありません。

けれど、その「ゼロではない可能性」が、1%なのか、それとも10%なのかは、把握しようがありません。

さらに言えば、「待っていても現れる可能性」と、「自分から行動することで得られる可能性」と、どちらが高いかも、事前には分かりません。

なので、その問いに、はっきりとした「正解の答え」は出来ません。

けれど、これだけは確実に言えます。

何もしないで待っていて、実際に期待どおりに相手が現れてくれたらよいですが、仮に、待っていても何もなかった場合、「あのとき、行動していれば・・・」と、行動を起こさずに時間を消費したことを後悔してしまうのではないでしょうか。

しかし、自分から行動したことで相手が現れた場合に「行動しなくても、現れたのじゃないかなー、行動して損したわ~」とかは、普通は考えないと思います(笑)。

自分ができる最善を尽くせば、後悔はありませんが(それ以上、やりようがないので)、しかし、省エネをしてしまうと、「あのとき、もっと頑張れたのに・・・」という「たら」「れば」の余地があるため、うまくいったときはいいですが、そうでないときの残念感も大きくなってしまいます。

異性とのご縁を作りたいと思ったら、「毎週、3人の男性(または女性)と会話をする」とか、「男性の好きそうなファッションを取り入れる」とか、自分なりにルールを決めたり、新しい行動をしたりして、現実的に取り組んでみることです。そういう、意欲的な姿勢が、必要なご縁を引き寄せることにも、反映されていくからです。

「目の前のドアが、向こうから開く可能性はあるだろうか」と、はっきりしないことを期待して時間を費やすよりは、自分からドアまで歩いて、自分でドアを開けて、その向こうの景色を確かめてみたほうが確実です。そのほうが、結果がどうあれ、自分的に納得もいくでしょう。

恋愛に臆病になってしまう気持ちは、きっと、誰の中にもあると思います。誰の中にもある気持ちだかららこそ、仮に、言動に臆病さが多少にじみ出たって、自分が思うほどには、周囲の人は気にしていないものです。

恋愛を望む気持ちに素直になって、必要な行動をとり、可能性の範囲を、広げていくと、きっと、「そうして、よかった」と、思う日がくると思います。

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2012年4月20日 (金)

外からの刺激のみでは、変わることはできない。

過去の積み重ねで、「今」が作られています。

今の自分の在り方や、置かれている環境や、周囲の人間関係等を、変えたいと思うなら、変えるための行動や意思の変革を行う必要があります。

同じままでいては、同じような未来が繰り返されてしまうこともあります。過去の積み重ねにより、今の自分を取り巻く環境を作っているのも自分であり(カルマの法則)、今の自分に関わりがあるものを引き寄せているのも自分(波長の法則)だからです。

世の中の、少なくない人数の人が、「何か、きっかけさえあれば変われるのに」とか、「このように変化したらいい、という答えがあれば動けるのに」と、外からの刺激や情報がないから、自分が動くことができないのだ、という、受け身な考え方を持っていて、・・・それは言うなれば、動かない自分を(きっかけがないからできないのだ、と、理由を外に求めて)正当化する考え方をしているわけです。

結論を言ってしまうと、外からの刺激があろうと、なかろうと、変わる人は変わるし、変わらない人は、変わりません。

ここでの話は、受動的な変化は除き、能動的な変化をする場合に限ってですが、変わるための条件というのは、「自分の中に、変わろうという意思があるか」という点が、一番の基本です。

そこに、「外からの刺激」というきっかけがあって、その二つが掛け合わされることにより、数値が大きくなり、変化への自発的な行動へと繋がっていきます。

外側に、どれほどに大きな刺激となる出来事があろうと、自分の中に、変わろうという意思がまったくゼロであれば、・・・掛け合わせた結果の数値は、ゼロとなりますよね。タイトルのとおり、外からの刺激「のみ」では、変われない、ということなのです。

自分の中に、変化への意思が大きく備わっている人は、ほんの少しの外側の刺激でも、数値が掛け合わされて大きくなりますから、動き出すことができます。そして、意思が小さくても(少しでもあるならば)、大きな刺激があれば、掛け合わせの数値が大きくなりますから、刺激を取り入れ、力にして、動き出すことはできるでしょう。

しかし、自分の中に、意思がゼロであれば、どれほどに大きな刺激があっても、掛け合わせた数値がゼロになりますから、動くことができません。

以前、阪神大震災があったとき、私は、きっと、自分の一生のうちで、これほどの出来事が再び日本で起こることはないだろう、と思いました。高速道路が倒壊している様子は、信じられなかったです。

けれど、昨年、それを超える、「3.11」が起こりました。

これほどの、滅多にない出来事を、直接ではない場合も含めて、私たちは経験して・・・、それでもなお、変わることができないならば、外からのきっかけを待っていても、いつまでも変わることはできないと思います。

私が言いたいのは、こんな大きなインパクトの出来事で、変われないのがおかしい、とか、ここまでの出来事があったら変わるべきだ、とか、そういうことではありません。何をどう受けとめるかは、自分次第であり、他人が決めることではないからです。

お伝えしたいのは、「自分は、きっかけがないから変わりたいのに変われない。きっかけさえあれば、変われるのに」と、受け身になっている人に、これほどまでのインパクトの出来事を経験してなお、変われないのならば・・・、原因は、自分自身にあるのではないか、と、考えてみてほしい、ということです。

自分を見つめていくには、苦しみがあるかもしれませんが、苦しさを避けていては、変わることはできません。

自分の中に、「変化をするんだ」、という強い意思を、まずは育てていくことです。

変わる、ということは、成長すること、でもあります。変わる=成長するためには、自分の中の間違った思い込みを正していくことも、大切です。

外に変わるきっかけを求めていては、いつまでも変われない、ということに気づき、自分から能動的に変化をしていく、という意思を持っていきましょう。

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2012年4月18日 (水)

頭の付近のオーラは、密度?が高いので把握しやすい。

以前に、ご自分のお写真を見ると、頭の上のほうに、強い雰囲気がするように感じるが、それは、オーラが浮き上がりやすいためだろうか、というご相談をいただいたことがあります。

そのご相談をいただいたことで、私も、「あ、そうだ、この件も書いておこうか」と気づいたのですが( ̄m ̄*)・・・、体全体のオーラを眺めたときに、その表れ方というのは、均等ではなく差があります。

その人により、弱いところ、強いところ、という個人差もありますが、「体全体」と「頭の付近」とでは、強さというか、密度というか・・・、表れ方の差があり、後者のほうがエネルギーの動きも大きいため、表れ方も強くなります。

心の状態、思考している様子、精神性、霊性などは、主に、頭の周囲のオーラによく表れます。そのため、心のエネルギーが豊かな方、思考力が高い方、霊感が平均よりも強い方ほど、頭の周囲のオーラが発達しています。それらは、頭の付近のオーラの、大きさ(体全体、ではなく)としても表れますが、密度?としても、表れるのです。

上記の要素が平均的な人でも、心や精神の要素が頭の付近のオーラに反映するのは同じ原理ですから、一般的にも、「体全体と比較して、頭の付近のほうが、オーラを感じ取りやすい」ものだと思います。それにも増して、上記が該当するならば、より、密度が感じられるでしょう。

そのため、お写真を見て「頭の上のほうに、強い雰囲気がするように感じる」という、印象になったのかと思われます。

それは、オーラが浮き上がっているためではないのですが、頭の付近のオーラの密度のようなものを、雰囲気としてキャッチできていることになりますね。

頭の周囲に表れる、さまざまな内的な要素を、「詳細に見分けていく」のは、容易ではありません。

けれど、詳細の把握を別として、オーラそのもの、エネルギーそのもの、として雰囲気を捉えていくならば、体全体のオーラと比較して、頭の付近のオーラは密度があるため、感じ取りやすい、と言えると思います。

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2012年4月15日 (日)

軽い憑依は、日常、誰にもで起こっていて、そして、いつの間にか、解消もされている。

霊に取りつかれることを、「憑依」といいます。恐ろしい言葉に思えてしまうかもしれませんが、実は、誰にでも、日常、よくあることだったりします。

憑依現象にも幅がありますので、かなり重い憑依もあれば、軽い憑依もあります。そのため、憑依という言葉の解釈に、誤解が生じているところがあるように思います。

軽い憑依は、日常、誰にでもあることで、気づかないところで普通に起こっていて・・・、そして、自然に解消されていきます。

憑依現象も、同じ要素が引き合うという、「波長の法則」ですから、波長が下がれば、未浄化霊と引き合って憑依が起こりますし、波長が整っていけば、引き合わなくなるので、解消されます。

重い憑依現象になると別ですが、プチな憑依現象に関しては、誰にでも、ありうることなので、それほど気にする必要もないですし、自覚もしにくいケースがほとんどだと思います。

自覚がしにくいので、意識もしにくいのですが・・・、好ましいことではないにしろ、普通によくあることだという「知識」を持っていれば、普段から心掛けができますし、実際に、憑依があると思われるときに、対処や工夫をすることもできますので、知識はないよりは、あったほうがいいのではないかと、私は思っています。

未浄化な霊と引き合ってしまうのは、自分の波長が下がっているときに起こります。未浄化霊が、一方的に悪さをする・・・などということはないので、何でも霊のせいにして、自分がまったく落ち度のない全面的な被害者だ、というような考え方は正しくありません。

憑依現象も、(軽いものも、深刻なものも)、「波長の法則」により、引き合って起こる現象なので、悩んで暗くなっていたり、他人を妬んだり恨んだり、怒ったりしていると、その状態とおなじ波長をもった未浄化な霊が寄ってきて、憑依という現象が起こるのです。

そして、その現象の大部分は、上記のとおり、軽い程度の憑依なので、自分の心掛け次第で、解消していくことができます。下がった波長が、元に戻っていけば、自然に離れていきます。

何か特定の技法や儀式をしないと、解消できない、という解釈は間違いで、「波長の法則」で、自分が引き寄せているわけですから、逆にいえば、引き寄せない自分(の波長)になれば、解消されることになります。

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2012年4月13日 (金)

行動の動機を、「楽しさ」にする必要はない。

自分が何をしたいのかわからない、楽しいという感情がわかない、何をすれば楽しくなるのか、見つけられないので、行動ができない、という悩みを抱えている方は、少なくないようです。

そうなる理由は、さまざまで、ひとまとめにすることはできませんが・・・、この方達の悩みを作り出しているのは、「何をしたいかわからないから」でもなく、「楽しいという感情がわからないから」でもなく、「行動の動機を、楽しさに限定して考えている」ため、という「考え方」からきている部分もあります。

行動をするにあたり、「楽しいから、それをする」というのは、動機として自然です。

けれど、楽しくないことでも、やらなければならないことはあるでしょうし、楽しくても、やってみたらうまくできない、ということも、世の中にはたくさんありますし、最初は気が乗らなくても、やっていくうちに、だんだん楽しくなっていくこともあると思います。

行動の動機となることは、楽しみ以外にもたくさんあります。何に対して、楽しい感情を抱くことができるかわからないので、行動ができない(と、思っている)人は、逆に「楽しさを、行動の動機にする」ことに、こだわりすぎていないでしょうか。

行動の動機は、ワクワクと楽しい気持ちこそがふさわしい・・・はず、という、思い込みにとらわれていないでしょうか。

そうなってしまうと、楽しいことが見つからないうちは、行動ができなくなってしまいます;。

しかし、そうなってしまう気持ちも、理解できます。何をしたらいいのか決められない人は、楽しくなることを何でもやってみましょう、的な解釈が一般的になっているところもあるからです(それが間違っているわけでもないですが)。

その思考方法は、感情が抑圧されていて、自分の気持ちを外に出せないタイプの方には有効だと思います。

けれど、何をしたらいいのか分からない人の全員が、その状態にあるとは限りません。強い感情が表面化していない理由が、感情が押さえ込まれていること、とは限らないからです。

元からの性質として、感情が薄い人もいれば、感情の発達途中、という人もいます。それでも、行動をしてみて、何かの楽しみや手応えを得られるようになり、行動を「継続していくモチベーション」となるのは、やはり、楽しさという感覚は大切な要素です。

が、取り掛かる時点で、動機を「楽しさ」に限定して、こだわってしまうと、感情が(抑えられて出せないのではなく、備わっている性格として)薄い人には、敷居が高くなって、逆に、行動を起こせなくなります。

そういうときは、スピリチュアリズムの観点から、「何をするのが、自分のためになるか」とか「どちらが、よりたましいの成長に繋がるか」というふうに、考えてみてはどうでしょうか。この考え方が絶対だ、というのではないですが、まったく基準がないところからは、なかなか前進できないので、まず、行動を前提とした動機付けをしていくほうが、取り組みやすいタイプの人もいると思います。

そうして、行動を起こしていき、経験が積み重なる中で、楽しさ、という感情がわいてきたり、手応えに繋がっていったりすることもあると思います。

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2012年4月11日 (水)

霊の姿は、どのように霊視されるか。

これは、人により違うと思うのですけれど・・・、また、説明も難しいのですが、だいたい、こういう感じ、という雰囲気で捉えていただければ、と思います。

私の場合は、「肉体の目(肉眼)で、見える」場合と、「霊的な内側のスクリーンに映し出されて見える」場合とがあります。

霊的な内側のスクリーンに映し出されている場合は、私は、主に、後頭部の裏側のほうで、見ているような感覚?です。

以前に、あるテレビ番組で、有名な霊能者の方が、どのように見えるか質問されていて、頭のてっぺんのほうで見える、とおっしゃっていたように記憶しています。私も、そういう感じで見えることもあります。頭のてっぺんの裏側?のほうで、映像化、可視化が為される感じ、というか。

見え方は、人により違うと思うのですが・・・、だいたい、後頭部や頭の上のほうの、内側に見える、という方や、または、まぶたの裏側に映ってくるか、そういうパターンが多いようです。

ご相談者さまの中に、平均よりも強い霊感を持っている方もいて、お話をお聞きすることがあるのですが、映り込んでくる位置としては、同じようにおっしゃる方が多いですね。

霊能者が霊視する場面で、目を閉じることがありますが、それは、肉眼で見ているわけではないので、目を開けていようと、閉じていようと、内側のスクリーンに浮かんでくるのは同じだからです。その際、目を閉じている方が、物質的な要素が視界に入るのを防げるので、集中しやすいためだと思います。

しかし、霊を見るすべてが、そのように内側のスクリーンに映し出されるわけではなく、肉眼で見るように、見えてしまう場合もあります。

いつのまにか、波長があってしまって、いきなり姿が見えてしまうこともあれば、これから霊が見えてしまう・・・という、前触れ?のようなプロセスがある場合もあります。

私の場合は、その位置に、かげろうのように、ゆらゆらとしたエネルギーの流れが見えてきて、そこだけ、何かの時空が動いているような感覚になり・・・、しばらくすると、霊の姿に変わっていきます。

なので、ゆらゆらが見えてきたら・・・、すばやく、頭の中で( ̄A ̄)<る~~る~~、ら~~ら~ら~♪と、歌を歌って、意識を「そこ」から切り離すようにします。これは、冗談ではなく、実際にそうしています。

波長を切り替えるために、他のことを考えて、意識を向けないようにしています。

姿が見えるのが怖いためではなく、見える、ということは、波長があってしまう(から、見える)、わけですから、波長を合わせないように、意識を切り替えていくためです。波長が合うと、影響されてしまうこともあるからです。

努力(=頭の中の、歌)のかいなく、波長が合わされてしまう;こともありますが・・・、しかし、うまく切り替えられたときには、「よし!」と、達成感があります(笑)。

霊が見える人でも、いつでも、ひっきりなしに霊が見えているわけではないです。少なくとも、私はそうです。

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2012年4月10日 (火)

相手が間違っている、と思いがちな、「完璧主義・完全主義」の人。

Img_22752

完璧主義・完全主義の人は、人間関係におけるトラブルがあったり、自分の思い通りにいかなくて停滞する状況になっても、「自分が、正しくない(可能性も、ある)」ことを、なかなか、受け入れられずに、頑固になってしまうことがあります。

自分は、とにかくできるだけのことを突き詰めて努力をしている、という自負があるので、・・・そして実際に、それだけの努力や行動を積み重ねていますから、「自分には、これ以上に、努力や改善をするだけの余地はないはず。そのくらいに、やり尽くしている。ならば、悪いのは自分ではないことは明白だ、悪いことがあるとすれば、それは少なくとも自分ではないのだから、自分以外の外側にあるはず」という前提で、解釈をしてしまいます。

自分以外の外側、とは、環境や状況だったり、または、人間関係での「相手」です。

何かトラブルになったり、思い通りにいかないことがあったら、反省も分析もしないうちから、原因が、相手にあると、決めつけてしまいます。

しかし、世の中に、自分は1ミリも悪くなくて、相手が何もかも悪い、なとどいう、一方的な出来事があるでしょうか。仮に、大部分は相手に非がある場合でも、少しくらいは、自分にも改めるべき点はあるはずです。

「これほどまでに、極限にまでやっている」という実績をもとに、自分に非はないと主張をするのですが・・・、「やり過ぎているから、バランスが悪くなって、うまくいかない」場合だってあるわけですよね、実際には。

または、積極的で真面目な姿勢や行動力はすばらしくても、力を注いでいる内容や対象や、採用している方法が、適切ではない、という場合もあるでしょう。

以前にも何度か書いていますが、完璧主義・完全主義の人は、他人を信用することができない性格の人が多いのです。そもそも、「そこ」からスタートしていますから・・・、そして、多大な努力により、頑張っている自分=他人を信用しない自分を、正当化してしまいますので、結局、いきつくところは、「悪いのは、(自分ではなく)相手」と、なってしまうのですね。

それでは、物事を客観視することはできないし、相手を否定して自分を正当化してばかりいれば、人間関係もうまくいかなくなります。

そんな状態をも、自分には落ち度はなく、相手がすべて悪いと思っていたら、内面の成長も、そこで止まってしまいます。

どんな場合でも、まったく自分に原因がないことが、自分に降りかかるはずがありません。この世は、カルマの法則、波長の法則で、出来事が展開しているのですから、少しくらいは、自分にも責任があるはずなのです。そういう前提でとらえていくのが、スピリチュアルな解釈の仕方、だと思います。

けれど、長い時間を掛けて作られた価値観や考え方を、変えるのって、そんなに簡単にはできません。こうすればいい、こうすれば直る、というようなお手軽な「方法」もありません。無理に何とかしようとしても、それもまた、大きなストレスや不調和を呼び起こしてしまうこともあります。

いきなり、変えようとしなくてもいいと思います。それよりもまずは、「知る」ことです。自分の考え方、受け止め方に、そのような傾向があって、自分が正しくて相手が間違っている、という前提で見てしまうところがある、と、分かっているだけでも、分からないでいるときよりも、ずっと冷静な視点を持っていくことができます。

取り組むべき点は、完全主義・完璧主義な自分を何とかすること・・・ではなく、他人を信用出来ない自分を見つめていくこと、なのですが、それは、とっても根深いところからスタートしている問題なので、そう簡単には、改善はできません。

完全主義・完璧主義になって、過剰なまでに頑張りすぎて、そして、そんな自分を全面的に正当化し、相手を全否定するような考え方は、むしろ自分を追い詰めてしまうと、理解することからはじめてみましょう。

そして、ほんの少しでもいいから、今よりも、自分を緩めることができれば、緩んだ分だけ視野が広がり、受け止め方も、変わっていくようになるでしょう。

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2012年4月 9日 (月)

感受性だけが強すぎる人は、会話が苦手になることがある(2)。

>(1)より続きます。

感受性が強い人の全員が、(1)で書いた仕組みにより、会話が苦手になる・・・というわけではありません。感受性が強くて、会話力も優れている人は、世の中にたくさんいます。

感じ取る力「だけ」が極端に高くて、それ以外の、思考の力や、言語に結びつける力が十分に発達していない人が、会話が苦手になってしまうのです。

そして、そうなりがちな理由として、感じる力が高いと、「感じる」と「思う」の境目がくっきり際だってしまい、自然に言葉での表現へと移行しにくくなるから、適切な言葉が瞬時に思い浮かばず、言葉につまってしまう、という説明が(1)の内容になります。

感受性の高さ、というのも、個性のひとつです。個性には、良いも悪いもありません。また、一般に、感受性が豊かである、というのは素晴らしいこととして捉えられます。

なので、感受性の高い状態を改善・・・という表現も、なんだかおかしいのですが・・・、しかし、現実的に、感受性だけが高すぎて、会話が苦手になり、社会の中で人間関係を構築していくことを難しくしている場合が少なくないのも事実です。

そのあたりは、ご本人がどう受けとめるかによると思います。少しでも、会話をスムーズにして、人間関係をより深く、または広く作り上げていき人生を豊かにしたい、と思っている人は、まず、今までに説明した仕組みを理解し、努力で改善(という言い方も変ですが)していける部分はしていく、という姿勢で取り組むのがいいと思います。

感受性そのものは、性質ですから、そう簡単には変えられませんし、変える必要もないと思います。感受性そのものが、悪いわけではないからです。

(1)で説明したとおり、会話が難しくなるのは、感受性「だけ」が高いゆえに、感じたことを、言語へ変換する力のほうへ、エネルギーが伝わりにくく(その理由は、エネルギーの大部分を、感じるために使われているから、です)、「感じる」→「思う」の間がスムーズに連結しないことから起こっています。

この連結を鍛えていくわけです。自分の中に、エネルギーの伝達の「パターン」、言葉への受け渡しのパターンを、構築していくのですね。

そのためには、ひたすら、反復練習をすることが効果的です。最初はうまく出来なくても、回数を重ねるごとにうまく出来ていきます。回数を重ねるごとに、連結が鍛えられていくからです。

私が、指導をする場合に取り入れている方法は、たとえば「感謝」などのシンプルな単語について、解釈を短い文章にして述べる、という練習です。

感受性も思考力もどちらもしっかりしていれば、解釈はすらすらと述べられます。が、感受性だけが高い人は、頭が真っ白になって、ご自分でもびっくりするくらいに、何も話せない、という状況に直面してしまうことがあります。

なぜなら、普段の発する言葉の動機は、無意識レベルで、何かを「感じること」でなされていて・・・、シンプルな単語一個だけがあり、その単語の出てくるバックグラウンドが何もない、という状態では、感受性が作動するための刺激が何もないため、なのでしょう。

「なぜ、これが出来ないのか、わからない」と、呆然とした状態になってしまう人も多いのですが・・・、でも、何度も繰り返し練習をしていけば、誰もが、「必ず」上達していきます。ほんの数十分の練習だけでも、最初と最後では大きな違いがはっきりと出ていきます。

練習の目的の一番は、出来るようになること、上達すること、ですから、私も今まではあまり、このような仕組み、なぜ話せないのか、何が原因となって言葉に繋がらないのか、という部分については、ご相談者さまに、はっきりとは説明してきませんでした。この仕組みのすべてを、何の前提もないところから一から説明して、納得していただくまでとなると、それだけで小一時間も掛かってしまい、肝心な練習が出来なくなるから、です。

でも、本当は、仕組みを理解して、その上で取り組んでいくほうが効果的ではあるので、今回、・・・なかなか、文章化して説明するのは難しさもあったのですが、書いてみたわけです。

私のセッションを受けなくても、ひとりで練習出来るよい方法が、何か思い浮かんだら、後で記事にしていこうと思います。

そして、セッションを受けた方の中で、「頭が真っ白になって、びっくりするほどに言葉が出てこない」経験をなさった方sweat02は、仕組みとしては、今回書いた(1)と(2:この記事)に書いたとおりで、それは、あなたの感受性の強さゆえの現象なわけです。さらなる理解の一助となれば、と思います。

筋力UPの筋トレと同じで、ある段階までは慣れていなければ難しいですが、筋肉がついていけば、スムーズになります。

鍛えられていなかった連結部分を鍛え、言葉への受け渡しのパターンを作っていくことを目的とした練習を、方法は問いませんが、繰り返し行っていければ、効果は表れると思います。

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2012年4月 7日 (土)

感受性だけが強すぎる人は、会話が苦手になることがある(1)。

感受性とは、外からの感覚的、もしくは感情的な要素を、キャッチする力のことです。誰にでも備わっていて、感受性がゼロの人はいませんが、備わり方には個人差があります。

平均よりも、とても強い感受性を持っている人は、ときに、会話や人間関係がうまくいかないという悩みを抱えてしまうことがあります。

一般に、感受性が強い人は、ちょっとしたことで泣き出すなど、皆と温度差ある反応の仕方をしたり、会話がテンポよく弾まないなどの特徴を持つ人が多いことは、なんとなく経験から分かっていても、では、なぜ、感受性が高い人が、会話がうまく繋がらなかったり弾まなかったりするのか、という、仕組みについては、分かっていない人も多いのではないかと思います。もしかしたら、感受性が強いご本人にも、分かってないケースがあるかもしれません。

今回は、そのことについて、書いてみたいと思います。

感じる力が強すぎると、それ(感じ取ったこと)を、どのように言葉に置き換えて伝えるか、という、言語変換力が働きにくくなることがあります

たとえば、とってもとっても嬉しいことがあったとき、その心境を人に伝えようとしても、ぴったりと当てはまる表現が見つからなくて難しい、という場合があると思います。嬉しい場面に限らず、複雑な心境のときなども、この気持ちを、どう言葉にしていいかわからない、という場合もありますよね。

そのような、たまに起こる、感情や思いを、言葉にするのが難しい、というこの状況こそが、感受性が強すぎる人が、うまく言葉を見つけられない状況に近いのです。それが、とても頻繁に、その人の内部では起こっているので、言葉につまってしまったり、はっきりしない表現になってしまい、誤解されたり、否定されたりしてしまうこともでてきてしまいます。

思う、と、感じる、は、あまり厳密に区分けをされずに日常会話で使われることが多いですが、思うとは、「思うこと」、だし、感じるは、「感じること」、です。「そう思った」のと、「そう感じた」の間には、それほど大きな違いはありませんが、「嫌だと思った」のと「嫌だ、と感じた」のでは、なんとなくニュアンスに違いがあり、感情や体感を伴います。

思考というのは、「思」という漢字を使うことから、思いにより為されることであるのがわかります。感じる、だけでは、それがイコール思考には、繋がらないわけです。

多くの人にとって、感じたことを、言葉にするのが難しくないのは、「思う」と「感じる」の境目が、あいまいで、重なり合っているから、だといえるでしょう。

一般的な会話や言葉の意味として、そう思った、そう感じた、というのを、あまり厳密に分けずになんとなく使っていることも、それを示していると思います。

思うこと(思考)と、感じることが、一部重なり合っている感性を持っていれば、ごく自然に、感じたことを、思考につなげて、言葉に表す事は難しくはありません。

つまり、感じる力だけが極端に高いゆえに、「感じる」と「思う(思考)」の境目がくっきり際だっているようなもので・・・、言語への変換に時間が掛かってしまい、直ぐに言葉が浮かばないことがあるのです。

「感じる」ことは、文字通り、「感じる」のであって、それは「思う」こととは(その人にとっては)別であって・・・、感じたことを、思考につなげて、言葉にするのは、自然にはなされず、意図的に、そうしよう、というプロセスがいる場合があるのです。

が、上記のような仕組みの自覚があれば意図はできますが、ふつうは、そこまでは自覚できませんから、なぜ、そうなってしまうのか分からず、自信が持てなくなったり、発言をするのが怖くなったりして、スムーズな表現がますます出来にくくなってしまうのです。

>(2)に続きます。

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2012年4月 6日 (金)

重心が上がりやすいオーラ。

オーラと体の繋ぎ目は、おへその少し下にある、丹田とよばれる位置だと言われています。そのため、丹田がしっかりしていない人のオーラは、上に向かって浮き上がりやすくなります。

肉体とオーラがずれてしまうと、気持ちや体調が不安定になったり、外からの影響を受けやすくなって、自分という軸がしっかりしなくなる、という傾向が見られることがあります。

浮き上がりやすくなる要因として、上記にプラスして、頭の周囲のオーラが、平均よりも発達していると、バランス的に重心が上にくることが影響してしまう場合もあります。

頭の周囲のオーラは、心の状態や感性などの内的な要素が反映していきます。ここのオーラが平均よりも発達している、ということは、心が豊かな人であるとか、聡明で思考力が豊かだとか、霊感が強いとか、そのような要素の大きさを示していることになります。

それらに該当する人が、影響されやすいオーラだ、ということではありません。頭の周囲のオーラが平均より発達していても、しっかりと自分を保っていて影響されにくい人はたくさんいます。中には、そうなりがちな人もいる、ということです。

そして、普段は問題はなくても、大きな疲労があるなどして、肉体とオーラの結びつきが弱くなっていると、バランスの乱れが影響することはあります。

または、楽しみや期待でわくわくし過ぎていたりすると、思考や感情がどんどん作られるわけで、そうなると、それらが反映する頭の周囲にエネルギーがどんどん集まってしまうので、「気が上がる」状態になります。

そうすると、普段以上にバランスの重心が上にくるので、丹田との繋がりが弱くなり、無防備な状態になりますから、その場のエネルギーやら、未浄化な霊やらに、影響されてしまうこともあるのです。

どんなことにも言えますが、全体的なバランスを取ることは大事です。

頭の付近のオーラが発達している人ほど、重心が上にきやすいので、気が上がっている状態も、作られやすくなるものです。

心と体とたましいとが、しっかりとバランスが取られている状態、極端な偏りがない状態を保っていくことが大事です。肉体的な疲労の蓄積や、精神的・霊的な方面への過剰な関心なども、バランスを乱しやすいので注意しましょう。

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2012年4月 3日 (火)

自発的に行動しなくても、同じ結論に行き着くこともある。

自分から、能動的に行動していく姿勢と、そのときに起こったことを受け入れていく、他からの影響により動いていく、という受動的な姿勢とでは、どちらかといえば、前者のほうが良しとされ、推奨されることが多いと思います。

もちろん、それぞれ、ふさわしい場面と状況があり、能動的であるほうが適している場合もあれば、受動的であるほうが適している場合もありますが、(個別のケースではなく)総合的にすべてをとらえていくとしたら、能動性が必要とされる場面は多いためでしょう。

けれど、何でも、自分からどんどん動いて、すべての判断や選択を自分が自ら下さなければならない、そのほうが素晴らしい未来が繋がるはず、という捉え方は極端すぎます。

10リットルの器に入る水は、どう一生懸命になっても10リットルより増えることはなく、それ以上を注ぎ続けたら、器から水があふれて無駄になってしまうように、物事には、「やれば、やるほどに成果に繋がる」ものもあれば、「ある一定の段階を超えれば、それ以上やっても、成果にはさほど大きな差はつかない」ものもあるからです。

しかし、「能動的であることが大切であり、価値がある」、という思いが強すぎると、器以上には入らないと分かっていても、注ぎ続けてしまったり、または、あふれていることに気づかずに、「注ぐ、という行為」に一生懸命になってしまったりして、結果、自分が大きく消耗してしまうことがあります。

それは、結果や成果との兼ね合い、という視点よりも、「行動すること」により高い価値を置いてしまっていることから起こる不調和だといえるでしょう。

受動よりも能動を優先する心理としては、「能動的、自発的であるほうが、少なくとも、他人のせいで自分が割を食う、という影響を避けることができる、仮に、うまくいかなくても、思い通りにならなくても、自分が選んだことは、自分が納得しやすいし、また、自分の努力と忍耐により、上手くできる可能性は高いはずだから」、という思いがあるためでしょう。

その考え方も一理あるのですが・・・、しかし、10リットルの器に、それ以上の水を注いでも入る量が増えるわけではないように、やればやるほど、成果に繋がるとは言い切れない部分もあります。

そこは、ある一定のところまで努力をしたら(この点は、大切な前提です)、それ以上の部分には、委ねる気持ちを持つことも、大切だと思いますし、そのほうが、より調和された結果に繋がる場合もあると思います。

現実に、自発的に行動しても、しなくても、結果として行き着くところは、ほぼ、変わらない、という場合があります。それなのに、自分の力で頑張ってしまうのは、自分のこだわりです。過度なこだわりは、自分を消耗させてしまいます。

それでもいい、消耗してもいいから、実感と手応えを得たいから、何でも自分で過剰なまでにやりたい、というのなら、それはご自分の自由ですが・・・、そのような気持ちから行動しているのではなく、少しでもやっていけば、よりよい未来に繋がるはず、という思い込みがあるために、手を抜けなくなっているのならば、「現実に、自発的に行動しても、しなくても、結果として行き着くところは、ほぼ、変わらない、という場合もある」ことを理解して、委ねる気持ちをもつことも、大事ではないでしょうか。

ひとつ、能動的でも、受動的でも、結果はほぼ同じになったであろう、例え話を、私の経験から書いてみます。

去年、私は、雪道で転倒して骨折し、救急車で運ばれたことは、過去にお伝えしたとおりです。その病院は、家からとても近い病院だったのですが、そこに運ばれたのは、私の意思によるものでは、ありません。たまたま、その日の、救急当番病院が、その病院だったから、という理由です。これは、私の意思によるものではなく、自分以外の状況によってもたらされた「受動的」な要素で、そうなりました。

もし、救急車で運ばれるほどではない、自分で歩けるくらいの怪我だったら・・・、私は多分、同じ病院に行ったと思います。こちらの過去記事で書いたとおり、私は、この病院に何度もいったことがありますし、家からも近いし、そして、親戚が骨折で入院&手術をしたこともありますから、そういう流れもあって、きっと、同じ病院に、自ら行ったと思うのです。

つまり、この件に関して、救急車で運ばれる、という受動的な形式であっても、もしも、という仮定の話でしかありませんが・・・、自分で選んでいく能動的なケースを想定しても、きっと、同じ病院になっていた、と思うのです。

世の中には、そういうことが、多々あります。なるようになっている、なるべくしてなる、ということが、あります。

私自身も、どちらかといえば、自発的、能動的に、どんどん頑張って動いていくタイプなのですが、いくつもの経験を通して、「現実に、自発的に行動しても、しなくても、結果として行き着くところは、ほぼ、変わらない、という場合もある」ことを理解していき、それにつれて、委ねる気持ちを、持てるようになっていきました。

一生懸命になりすぎるタイプの人は、どこかで力を抜くことの大切だ、力を抜いても、結果は実はそれほど変わらなかったり、むしろ、力を抜くほうが上手くいく場合もある、ことを、知っていくことも、学びだと思います。

どんなに素晴らしいことも、やり過ぎになったら、バランスが崩れることは共通です。

能動性が悪いということではないのですが、やり過ぎていないか、という観点から、自分を見つめていくことも、時には必要ではないでしょうか。

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2012年4月 2日 (月)

不調和に繋がる思考のパターンは、変えたほうがいいのか?

完璧な人はいませんので、誰にも、良いところもあれば、悪いところもあります。その人独自の思考のパターンがあったり、感情が大きく揺り動かされるポイントがあったりして、さまざまな不調和がつくられていくことがあります。

それは、自分の内的な部分に影響するものもあれば、外での、人付き合いの中で、トラブルを作ってしまう原因となることもあります。

たとえば、認められたい欲求を、過剰なまでに持っている場合、思うように認められない状況になると、やる気がなくなったり、認めてくれない相手を恨んだり、その気持ちを態度に出してしまうことによって、人付き合いがうまくいかなくなることがあります。

自分の考えが正しい、という思いが強すぎると、人の意見を受け入れず、周囲に対して批判的になり、・・・人を受け入れないのですから、当然、自分も、周囲から受け入れられなくなり、孤独になってしまうこともあります。

そのような思考や感情のクセのようなものは、変えるための努力をするべきか、というのは、難しい問題です。

なぜなら、性質や性格に根ざしているものは、その人の個性でもあるので・・・、一概に良い、悪い、とは定義を付けることはできないからです。

その性質や、思考や感情が反応するパターンそのものが、悪いというよりも、「過剰になったら、歪みがでる」のであり、許容範囲であれば、個性の範疇と(対外的にも)とらえてもらえる場合もあるので・・・、程度による、と思います。

性質に根ざすものを、「変える」「改善する」というのは、とてもとても大きな努力が必要となりますし、苦しみも伴います。その労力と、成果との兼ね合いもあります。

努力をして改善を目指したほうが望ましいケースもあれば、大きな努力を払って改善しようとするよりも、その労力を(改善ではない)別の方向に使っていき、たとえば、長所のほうを伸ばす努力に向けるほうが、その人の生活の質が向上するケースもあると思いますので、一概には言えません。

ただ、ひとつだけ言えるのは、どちらのケースであっても、「自分の思考や感情のパターンを知っているほうが、知らないよりはずっと良い」という点です。知っていることで、防げるトラブルは少なくないからです。認識は、しないよりは、しているほうが、気をつけて振る舞うことができますよね。

ですから、改善に取り組むか否か、の前に、「まず、知る」ことが大事だと思います。

私は、ブログの記事で、よくある思考や感情のパターンと、その改善に繋がる思考の入れ替えについて書いているものもあれば、パターンのみを書いて、その対策について何も書いていないものもあります。その理由は、改善に取り組むのがいい、とも限らず、どうするのがよいかは、その人と状況との兼ね合いによって、違いがでるからです。

知らないよりは、知っているほうがいい、これは確実です。けれど、その改善に取り組むほうがいいか、というのは、不調和の程度にもよりますし、ご自身のキャパシティーにもよると思います。

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2012年4月 1日 (日)

不安から逃れるための、完璧主義

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完璧主義な人とは、真面目で、責任感が強くて、きっちりと何でも自分で成し遂げて、あまり他人の手を煩わせないような、とても自立していて、向上心をもっている人、というような、イメージを抱くのではないでしょうか。

それらの要素は、ひとつひとつは、望ましいものであり、立派でもあり、何も問題となる点はなく、そのままで多くの人の手本となりそうな姿勢にも思えます。

けれど、何事もバランスが大事で、過剰になったら、どこかに負荷が掛かるのは、(それが、一般的にみて、どんなに素晴らしいことであっても)同じです。

行き過ぎた完璧主義、完全主義タイプの人は、実は、心の底に、大きな恐れを抱いていることが多いのです。不安を覆い隠すかのように、とにかく何でも、思いつく限り、自分が動き回って、イレギュラーの可能性の芽を摘むことに、奔走してしまいます。

それをしないまま、後になって、予想外に、自分の手に負えない事態に直面するのが嫌なので、とにかく、何でも(そこまでしなくても、ということまでも)、そのときのできうる限りの手を打っておきたい、と考えます。

そうして、ひとつの行動を終えても、また別の何かを考えつき、自ら行動をしていきます。

本人は、そんな自分を、「よく気がつくから」とか「他人が見落とすところまで目に留まってしまうので、やらざるを得ないから」と、思っていることが多いです。

その解釈も間違ってはいなくて、そのとおり、よく気がつく、気が利くタイプでもあるのですが、「気がついてしまうから、やっている」というよりは、「心の中の不安を見ないようにするために、動き回ることで、自分の気をそらしている」ところもあるのです。

「外のことに、よく気がついてしまう」のは、「自分の心の中(の不安)よりも、外側へ意識を向けているから、起こる」ことでも、あるわけです。この点を差し引いても、平均よりずっと気が利くタイプであることはそのとおりで・・・、そして、実際、動き回ることで、自分も他人も助かるところは大いにあるため、そのような行動を自分の中で正当化してしまい、いつも忙しく動き回っては、心も体も休まらなくなります。

失敗することや、予想外の状況に直面することや、責められることや、尊敬や賞賛を失うことを、心の底で、とてもとても強く恐れている人が、過剰なまでに、何でも自分で、何でもきちんとやらないと気が済まないタイプ、になってしまいやすいのです。

つまり、完璧主義・完全主義で、手を抜けずに、何時も忙しく動き回っているタイプは、「恐れや不安な気持ちを、少しでも行動や準備で補おう」としていたり、または、「恐れや不安な気持ちを、直視したくないので、目をそらすために、忙しく動き回っては、自分を誤魔化そう」としていたり、どちらにしても、根底に、不安や恐れが存在しています。

真面目で、責任感があって、きちんとしているのは、素晴らしいことです。ですが、自分のやれる労力や範囲を超えて、こだわってしまうと、バランスは崩れます。

ところが、完璧主義でいつも忙しく動き回っている人は、そのバランスの崩れを、さらに動き回ることで解決しよう、と考えるところがあります。このタイプの人にとって、動くことは、不安を解消するため、ですから、動かないという選択肢は、不安を増幅させること、のように思ってしまうからです。

このような、思い込みのループに、はまり込んでいる人は、少なくありません。何時も動き回って疲れている人は、このことが原因となっているかもしれませんので、考えてみてください。

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・4月の、スカイプ「個人レッスン」のご案内。

※今月の新規の受付は終了しました。3月~4月にレッスンを受けた方が、2回目以降をお申し込みになるのは可能です。(4/9)

スカイプをつかった、スピリチュアルな学びのメニューです。

来月は、実施の予定がありませんので、ご希望の方は、お早めにお申し込みください。

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★スカイプによる、「スピリチュアル個人レッスン」★

【目的】: 瞑想や簡単なワークを通して、スピリチュアリズムを学び、自己分析を行い、さらなる霊的な成長を目指していく。

【料金】: 1回=90分 12,000円 、または、同日に2回分をまとめて受講する場合は、180分(2回分で) 20,000円 (後払い)

【実施形式】: スカイプの通話で行います。カメラは使いません。

【内容】: (1~2回目は、共通のカリキュラムです) 瞑想の指導、色当てや簡単な透視の練習、直感を高める練習、自己分析の練習、スピリチュアリズム講義、その他

(3~4回目は、共通のカリキュラムです) 1~2回目の応用と、コミュニケーション力を高めるための、「質問力」を鍛える練習、スピリチュアリズムの観点から、自分自身をカウンセリングするための練習、その他

【受講資格】: スピリチュアリズムと自己の成長に関心があり、学びを深めたいという意欲のある方。会話力やコミュニケーション力を磨きたい方。霊能力の獲得と、霊的な成長は比例しない(霊能力を学びの目的としない)ことを、理解できる方。初心者でも問題ありません。

【その他】: 内容は、難しくはありませんので、楽しみながら学んでいただけます。明るく輝くオーラになることを目的のひとつにしていきます。

※以下のリンク先も、ご確認ください。

 スピリチュアル講座のワーク内容

 スピリチュアル講座 FAQ

※2回まとめて受ける場合は、「1~2回目」「3~4回目」という組み合わせでお願いします。「2~3回目」は、内容が違うため、まとめての受講はできません。

※1回のみの受講でもOKです。続けてうけるかどうかは、ご自由です。4回すべてを受けていただく「コース」ではありません。

※以前に、レッスンを受けていた方は、途中からの受講が可能です。2回目や、3回目からスタートすることも可能です。

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瞑想ができるようになると、イメージの力で、オーラを明るい状態に保ちやすくなります(そのための方法を、指導いたします)。

瞑想は、独学は(できているかどうか、わからないので)難しいので、最初は、わかる人に指導してもらうか、オーラが明るい人と一緒にやると、コツがつかみやすいです。また、複数で行うと、より「瞑想ができている感覚」が、体感しやすいようです。

スピリチュアルな感性を高めたい方、直感力を伸ばしたい方、自分を見つめ直したい方、会話力を高めたい方、感情に振り回される自分を変えたい方、依存心から抜け出し自信を持ちたい方などに、オススメいたします。

これらは、結局すべて関連していますので、どこかが改善されると、他の部分にも良い影響が出ていくようになります。

感情や考え方の癖のようなものは、すべてオーラのくすみとなって現れます。それらが除かれていくのと比例して、持ち合わせている本質が発露していきます。中には、スピリチュアルなセンスが伸びていく方もいらっしゃるかもしれません。

その場合でも、開花のスピードは、とてもゆっくりなものであり、自分に最適なペース以上に早く進むことはできないようになっていますし、また、それらは霊性の伸びに比例しておこる副産物であり、メインの目的ではないことを忘れず、広い視点でとらえていきましょう。

こちらで指導できるのは、ご本人様が持ち合わせている中で、それらを伸ばし、開花させていくための「安全な練習方法の提示」です。レッスン終了後は、ご自身で、引き続き、瞑想や思考の練習に取り組んでいただけると効果的です。

レッスンは、とても楽しいと思いますsun。習い事のように、じっくりと、自分を高めていけるようなカリキュラムになっていますので、興味のある方は、ぜひ、お待ちしております。

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レッスンの受講をご希望なさる方は、メールのタイトルを「個人レッスン:申込み」として、以下の内容をお書き添えの上、お申込みください

・お名前をフルネームで

・簡単な住所(○○県、もしくは○○市程度)

・職業(会社員、主婦等)

・念のため、電話番号

・スカイプのアカウント

・1~4回のうち、何回目を受講するか。(1回目、もしくは、3~4回目を同時に、等)

・受講の目的(どんなことを身につけたいか、等)

・スピリチュアル学習歴(簡単に)

・リカコのリーディングを受けたことがあるか(ある、なし)

・ご用意できればお写真を添付してください

・受講日

・その他、何かあればお書きください

「申込例」

・山田花子 

・札幌市

・会社員

・電話 000-0000-0000

・スカイプ(yamada-hanako88)

・目的:瞑想を習慣にしたい。直感力を磨き、スピリチュアリズムの理解を深めたい。セラピストになりたいので、感性を高める練習をしたい、等。

・スピリチュアル学習歴:江原さんの本を読む程度の自己学習で、3年くらい

・リーディングを受けたことは、ある

・受講希望日 :3/20 13:00~

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現在、スカイプの実施日時を限定させていただいており、基本は、火、木、土の週に3回です。そして、通院のスケジュールがずれる場合もあるため、一週間以上先の時期は、受付を行っておりません(ブログのトップページでご案内をしています)お申し込み日より、一週間以内の日程から、ご指定ください。。

内容について、ご不明な点がありましたら、お気軽にお問合せください。

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