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2012年3月17日 (土)

幼少期の自分を認めてほしい思いが、他人への批判に結びつくこともある。

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小さい子供が、街の中や建物の中で大騒ぎをしていたり、走り回ったりして、うるさいと感じたり、迷惑に思ったりすることは、少しくらいは、誰にもあると思います。

しかし、多少のことは大目に見ようと思っても、心の中が、ざわざわとしてきて、落ち着かなくなり、イライラを超えて、怒りや憎しみの感情が出てくる、という人もいるものです。

そう感じる人の多くは、とても真面目で、小さい頃からしっかりしていて、親の手を煩わせることなく、当然、外で騒いで周囲や親に迷惑をかけることなどなく、子供の頃から大人のような感覚で過ごしてきたタイプです。

そういう人が、上記のような場面で抱く、怒りや憎しみとは・・・、

自分の幼少期と比較して、うるさく騒いでいる子供に対して、「もっと、昔の私のように、小さくでも、きちんとすべきなのに、なぜそうしないのか」という、怒り・・・では、ありません。

子供の頃から真面目でしっかりしていたタイプが、大人になったときに、そんな自分の幼少期とは似ても似つかない態度の大騒ぎをしている子供の様子をみて、抱いてしまう、怒りや憎しみの感情とは、「当時の自分の、迷惑を掛けない態度が、もっと認められたかった(のに、そうならなかった)」という、悲しみと悔しさの入り交じった思いです。

ですから、そういう場面を見て、イライラするのは、騒いでいる子供に対して・・・というよりも、どちらかといえば、それを注意しない親、止めさせようとしない親が非常識に感じられるのではないでしょうか。

「そういう常識的なことが分からない大人が多いから、子供の頃の自分の我慢や頑張りが、あまり認められず、騒いでいる子供達がさほど怒られもせず、大目に見られているのは不公平ではないか、自分の我慢がないがしろにされていて、自分だけが割を食って損をしている」、という思いが、出てきてしまうのです。

では、そういう人は、子供のころに、他の子と同じように騒いで遊びたかったか、それを受け入れてほしかったか、というと、そうではありません。そこは、生まれ持った性格もあるので、欲求が満たされない思いとは別です。

周囲の大人や親に、迷惑を掛けないように、我慢して合わせて振る舞っていたこと、「子供なのに、そうまでして頑張っていた」ことが評価されていないという思いが、怒りになり、憎しみにもなってくるのです。

なぜ、評価されていないか、といえば、周囲の大人がそのことを分かっていないから(と、本人は思っている)、洞察力を持っていない、常識のない大人が(と、本人は思っている)多いから、幼少期の自分は認められず、今目の前で騒いでいる子供が許されてしまう、という不公平感をもっています。

だから、怒りは、騒いでいる子供に向かうのではなく、それを止めようともしない親がだらしない、と、親のほうに、向かっていくのが特徴です。

騒いでいる子供と、我慢している子供、それを許している親と、止めようとしている親、どちらが正しいとは、一概には言えません。その点には、明確な答えというものはありません。

見つめていくべきことは、「自分の、幼少期の我慢が、評価されてない」という、満たされない思いが、今もなお存在し、その思いを彷彿とさせる場面に出くわすと、怒りや憎しみの感情が、心を占めてしまう、という事実です。

その感情が癒されていくためには、まずは、自分自身が、そういう感情をもっている、という事実を、認識する必要があります。

人は、原因を外に求め、自分を正当化する傾向があります。

ですから、このような感情を抱いている場合も、自分の癒されない感情のため、とは思っていなくて、「大人の常識が無い親がいる世の中に、常識を持っている大人として、腹が立つ」などというふうに、自分の怒りを正当化していることが多いです。

その理屈は、間違ってはいないかもしれないけれど・・・、それだけが理由ならば、常識がない人に対して、ちょっと不愉快になる、という程度の軽い反応で終わるのではないでしょうか。毎回、大きな怒りや憎しみにまで発展することではないはずです。

そこまでの感情になってしまうのは、やはり、結びつくもの、感情を増幅してしまうものが、自分の中にあるためです。

その思いは、ある意味においては、ここまでの自分を支えてきた大切なもの、ともいえます。しかし、あまりに、その思いにとらわれて、怒りや憎しみの感情が強く出てきてしまうのならば、そろそろ、その思いは、別の価値観へと入れ替えをしていくのがふさわしい時期、なのかもしれません。

周囲で騒いでいる子供がいても、注意しない親がいても、それは自分とは直接関連しないことであり、「そういう人達を認めても、自分の過去の努力が否定されることはない」し、逆にいえば、「そういう人達をいくら否定しても、自分の過去が認められることには、ならない(それとこれとは、別)」、という考え方で、周囲とは無関係に、自分が自分の感情の癒しに取り組むことが大事ではないでしょうか。

怒りの原因は、自分の中にあります。外にあるのは、その感情に火が付くきっかけにすぎず、燃える要素は、自分の中に存在しているものです。

そういう目線で、冷静に自分を見つめ、心を癒していくことが、より自分らしく輝くために、大切だと思います。

過去の感情は、幾重にもベールが掛かっていて・・・、紐解いていくのは苦しみもありますが、しかし、ずっと同じ感情を抱えたままになると、別の意味での苦しみがずっと続いてしまうことになります。

いきなり、これらの感情に切り込むのは難しいですが、少し、自分の癒しが進んで来たと感じる方には、(そして、この件に該当する感情がある方には)、自分に対するいたわりと愛の気持ちをもって、取り組んでみていただきたい部分です。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

「自分に対するいたわりと愛」・・・納得。これは大事だと思います。自分を癒せるのは、結局自分自身。

投稿: さちこ | 2012年3月17日 (土) 22時55分

*さちこさま

自分を癒せるのも、向上させるのも、改善させるのも、基本は、自分自身の力、ですね。

投稿: リカコ | 2012年3月17日 (土) 23時06分

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