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2012年3月の11件の記事

2012年3月28日 (水)

優れた性質があるゆえの、裏表。

物事というのは、そんなに簡単に、○か×か、良いか悪いか、というような定義付けはできません。

なので、性質について、これが長所、これが短所、という、はっきりした定義を付けることは難しいものです。その状況や受け取り方次第で、良くも悪くも表れていくものだからです。

つまり性質そのものに、良い悪い、長所短所、という区分けが存在するのではなく、その性質の表れ方により、長所として受けとめられるものもあれば、短所として受けとめられるものもある、という、表れ方、表し方との兼ね合いがあります。

「優しい性格の人は、優柔不断になりがち」「行動力のある人は、やり過ぎになることもある」などのたとえ話も、表し方によって性質の受け止め方は変わるものであり、簡単に○か×かは、付けられないことを示していると思います。

しかし、「優しい人は、優柔不断にもなりがち」というのは、伝えたい意味は理解できても、現実的な事例として、自分に引き寄せて考えにくいところがあると思います。シンプルすぎても、実感としてわかりにくいのです。

今回は、性質の裏表の表れ方として、ちょっと特徴的な例をとりあげてみます。こちらのほうが、上記の例よりも引き寄せて考えやすいと思います。

あるご相談者さまからいただいたご依頼内容の一部に、このような内容がありました。「自分は、平均的な人との交流の中から、平均以上の情報を得ているような気がする」というものと、「外国語を習っても、リスニングだけが上達しない。言葉というより、音にしか思えない。耳が悪いのか、と思ってしまう」という内容でした。(内容は、若干端折ってあります)

この方の性質の特徴として、「言語以外の情報を、平均以上に察知できる」というものがありました。

人との交流で、直接の会話以外の、例えば雰囲気や行動などから、いろんな情報を得て予測を立てるこができるのです。その性質をうまく活用すれば、人間関係や仕事などに、役立たせて行ける性質だと思います。

そして、一見、このこととは関係がなさそうな、「外国語のリスニングだけが、苦手」というのも、実は、この方独自の性質に関係がありました。

「言語以外」を、平均以上に察知できるので・・・、逆に言うと「言語」を察知しにくく、外国語を「音」にとらえてしまうのだと思われます。日本語は、母国語だから問題はないのでしょうけれど。

平均よりも秀でた部分があるゆえの、ちょっとした裏返しが発生してしまうことは、あるものです。

でも、どちらも、同じ性質なのです。同じ性質の、別の表れ方、に過ぎません。

自分の長所に思えることも、それゆえの短所は裏側にあるかもしれませんし、短所に思えることも見方を変えれば、(つまり、表し方、表す場所等を変えれば)秀でた長所になることもあるはずです。

性質「そのもの」に、良い悪いという区分けが、存在するわけではないのです。

そんな考え方で、自分を見つめていくと、新たな気づきに繋がることも、あるかもしれません。

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2012年3月21日 (水)

霊感体質の人、揺らぎやすいオーラの人の、恋愛傾向。

霊感とは、誰にでもある資質で、まったく霊感がゼロの人はいませんが、大小の差、個人差はあります。霊感が平均よりも強く、かつ、オーラがしっかりと肉体に入っていない、揺らぎやすいオーラの人は、周囲の影響をとても受けやすい傾向があります。

人間関係において、人との交流というのは、見えない領域での、オーラの交流、でもあります。近い距離にいれば、お互いのオーラも重なりあいますし、会話をしたり、意識を向けたりすると、それにつれてオーラも動きますので、お互いに影響を与え合う比率が高くなるわけです。

そのため、接触回数が少ない相手と、接触回数が多い相手を比較すると、どちらかといえば、後者のほうに親近感を覚えることは、あってもおかしくないのです。

もちろん、親近感は、回数で計られるものではなく、相手への好意的な気持ちからも作られますので、このたとえは、「好意的な気持ちに差がない、同じくらいの相手であれば」という限定での話です。

上記のたとえは、誰にでも当てはまるのですが・・・、特に、揺らぎやすいオーラで、周囲の影響を受けやすいタイプの方は、その傾向が強く出てしまうことがあります。オーラがしっかりしていなくて影響を受けやすい、ということは、相手のオーラに、容易に感化されてしまう、ことでもあるからです。

具体的には、揺らぎやすいオーラの人は、相手の性格がどうか、というよりも、単純に接触回数(会う回数、会話の回数、接触の頻度)が高い相手を、なんとなく「好きなような、気持ち」に、なりやすいところがあります。

本当にその相手の人間性に惹かれて好きなのか、単に、接触回数が多いので影響されて、好きなような気持ちになっているだけ、なのか、判別は難しいと思いますが・・・、揺らぎやすい自覚がある人は、自分の心を冷静にとらえていく、という習慣が大事だと思います。

最初のきっかけは、接触回数の多さからくる親近感であっても、そこからスタートして、相手の人間性に惹かれるようになるケースもあります。それは何の問題もないのは、揺らぎやすい人に限らず、誰にでも言えることです。

けれど、単純に接触回数が多い、というだけで、影響されることで作られた親近感は、時間が立てば、「最初は好きだと思ったけれど、何かが違う」という結果にも、なりやすいものではないでしょうか。

また、揺らぎやすい人は、既婚者との恋愛にも、はまりやすい傾向があります。理性よりも、これから自分の未来よりも、自分の思いが優先されてしまいやすいのです。自分の思い、と思っているものは、「自分の恋愛感情×相手からの影響度」です。影響度が大きいものだから、掛け合わせの数字も大きくなってしまい・・・、感情が優先されてしまいやすい、からです。

恋愛は理屈ではないので、きっかけはどんなものであってもいいと思いますが、長くよい関係を作っていくには、相手への信頼が必要だと思います。揺らぎやすい、ということは、流されやすい、ことでもあるので、自覚がある方は、心掛けて気をつけてくださいね。

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2012年3月19日 (月)

否定的な思考の積み重ねは、正しい思考を妨げる。

心の中で思ったこと、「想念」は、エネルギーとして実体をもちます。言葉や行動だけでなく、思ったことも、何らかの形で、作用する力を持っているのです。

たとえば、口には出さなくても、心の中で「あいつを、いじめてやろう」と思ったとしたら、(実際には、そんな行動をとらなかったとしても)「相手を攻撃したい想念」が、創られてしまいます。それは、言うまでもなく、「重たくてネガティブな波長のエネルギー」となります。

つまり、ネガティブな思考をすればするほど、自分の意識の中に、「自分の想念の力」によって、波長の低いものを、どんどん作り出していることになります。

「あいつを、いじめてやろう」というネガティブな気持ちを抱くことは、想念の力を誤用し、自分の中に低いエネルギーを生み出すわけで・・・、「自分が、自分をいじめている」のと同じになります。

想念はエネルギーです。実体があり、エネルギーとして作用します。口にださなければいい、行動しなければいい、というものでもないのです。そのことを、理解しておくことは大事です。

私たち人間は、「理性」をもっていますから、意識的な思考ができる存在です

人間以外の動物や植物には、それができません。動物は、近いことができることもあるでしょうが、どちらかといえば、本能的な感情や思考によるものです。

思考による、想念というエネルギーを使うことは、一種の「創造行為」です。私たち人間は、創造する力を授かっています。この力を(誤用せずに)活用するためには、「正しい思考」ができる感性が大切です。

私たちは、ひとつの我欲も持たずに生きることはできないし、ときに他人を恨んだり、イライラしたりすることも、もちろんあります。その場合も思考のエネルギーが、自分の意識の中に、作られていきますが、・・・一日中、ネガティブなことばかり考えているわけでもないでしょうから、全体のごく一部と考えれば、影響としては知れた程度なのかな、と思います。

しかし、あまりに極端な低い思考は、やはり問題です。自分自身という倉庫の中に、どんどんと「黒いもの」が運び込まれているようなものです。

それも、作り出しているのも、運んでいるのも、自分自身。そしてそのことにより苦しんでいるのもまた自分であるという、笑えない話になります。

それが習慣になると、恨みや嫉みから離れた、ごく普通の思考が出来にくくなります。

「黒いものでいっぱいの倉庫」を抱えていれば、意識がそちらに引っ張られ、自分自身の波長が下がってしまいますから、中立の思考のつもりが、ネガティブな方向に偏ったものになるなどして、全般的に影響が出てしまいます。

つまり、「ネガティブな思考による作用というのは、その場限りではない」ことを理解していただきたいのです。

落ち込むことも、妬むことも、少しくらいは、誰にでもあります。けれど、どこかで、切り替えていくことが大事で、ずっとそのままで、否定的なエネルギーを生み出し続けてはいけません(自分が苦しみます)。

正しい思考をしなさい、などと言われても、そう簡単には出来ませんが、その前段階として、まずは否定的な思考を止める、もしくは減らすことから取り掛かっていくのが近道です。否定的な思考が認識できれば、相対的に正しい思考という概念がとらえやすくなるからです。

まずは、これらの「仕組み」を理解し、自分が否定的な思考をしていることに気づき、エネルギーの供給をストップする(考え続けることを、止める)ことからスタートしていきましょう。

そして、否定的な思考の代わりに、正しい思考をしていくように心がける、この繰り返しにより、だんだんと波長が安定していき、低い想念には、影響されにくくなっていきます。

波長を高くする、精神的に成長するというのは、すぐにできることではありません。とても時間がかかります。

上記のように、地道すぎる作業、しかも自分自身の思考をコントロールしていくという、難しい課題をこなしていく過程の積み重ねにより、なされるものなのです。

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2012年3月17日 (土)

幼少期の自分を認めてほしい思いが、他人への批判に結びつくこともある。

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小さい子供が、街の中や建物の中で大騒ぎをしていたり、走り回ったりして、うるさいと感じたり、迷惑に思ったりすることは、少しくらいは、誰にもあると思います。

しかし、多少のことは大目に見ようと思っても、心の中が、ざわざわとしてきて、落ち着かなくなり、イライラを超えて、怒りや憎しみの感情が出てくる、という人もいるものです。

そう感じる人の多くは、とても真面目で、小さい頃からしっかりしていて、親の手を煩わせることなく、当然、外で騒いで周囲や親に迷惑をかけることなどなく、子供の頃から大人のような感覚で過ごしてきたタイプです。

そういう人が、上記のような場面で抱く、怒りや憎しみとは・・・、

自分の幼少期と比較して、うるさく騒いでいる子供に対して、「もっと、昔の私のように、小さくでも、きちんとすべきなのに、なぜそうしないのか」という、怒り・・・では、ありません。

子供の頃から真面目でしっかりしていたタイプが、大人になったときに、そんな自分の幼少期とは似ても似つかない態度の大騒ぎをしている子供の様子をみて、抱いてしまう、怒りや憎しみの感情とは、「当時の自分の、迷惑を掛けない態度が、もっと認められたかった(のに、そうならなかった)」という、悲しみと悔しさの入り交じった思いです。

ですから、そういう場面を見て、イライラするのは、騒いでいる子供に対して・・・というよりも、どちらかといえば、それを注意しない親、止めさせようとしない親が非常識に感じられるのではないでしょうか。

「そういう常識的なことが分からない大人が多いから、子供の頃の自分の我慢や頑張りが、あまり認められず、騒いでいる子供達がさほど怒られもせず、大目に見られているのは不公平ではないか、自分の我慢がないがしろにされていて、自分だけが割を食って損をしている」、という思いが、出てきてしまうのです。

では、そういう人は、子供のころに、他の子と同じように騒いで遊びたかったか、それを受け入れてほしかったか、というと、そうではありません。そこは、生まれ持った性格もあるので、欲求が満たされない思いとは別です。

周囲の大人や親に、迷惑を掛けないように、我慢して合わせて振る舞っていたこと、「子供なのに、そうまでして頑張っていた」ことが評価されていないという思いが、怒りになり、憎しみにもなってくるのです。

なぜ、評価されていないか、といえば、周囲の大人がそのことを分かっていないから(と、本人は思っている)、洞察力を持っていない、常識のない大人が(と、本人は思っている)多いから、幼少期の自分は認められず、今目の前で騒いでいる子供が許されてしまう、という不公平感をもっています。

だから、怒りは、騒いでいる子供に向かうのではなく、それを止めようともしない親がだらしない、と、親のほうに、向かっていくのが特徴です。

騒いでいる子供と、我慢している子供、それを許している親と、止めようとしている親、どちらが正しいとは、一概には言えません。その点には、明確な答えというものはありません。

見つめていくべきことは、「自分の、幼少期の我慢が、評価されてない」という、満たされない思いが、今もなお存在し、その思いを彷彿とさせる場面に出くわすと、怒りや憎しみの感情が、心を占めてしまう、という事実です。

その感情が癒されていくためには、まずは、自分自身が、そういう感情をもっている、という事実を、認識する必要があります。

人は、原因を外に求め、自分を正当化する傾向があります。

ですから、このような感情を抱いている場合も、自分の癒されない感情のため、とは思っていなくて、「大人の常識が無い親がいる世の中に、常識を持っている大人として、腹が立つ」などというふうに、自分の怒りを正当化していることが多いです。

その理屈は、間違ってはいないかもしれないけれど・・・、それだけが理由ならば、常識がない人に対して、ちょっと不愉快になる、という程度の軽い反応で終わるのではないでしょうか。毎回、大きな怒りや憎しみにまで発展することではないはずです。

そこまでの感情になってしまうのは、やはり、結びつくもの、感情を増幅してしまうものが、自分の中にあるためです。

その思いは、ある意味においては、ここまでの自分を支えてきた大切なもの、ともいえます。しかし、あまりに、その思いにとらわれて、怒りや憎しみの感情が強く出てきてしまうのならば、そろそろ、その思いは、別の価値観へと入れ替えをしていくのがふさわしい時期、なのかもしれません。

周囲で騒いでいる子供がいても、注意しない親がいても、それは自分とは直接関連しないことであり、「そういう人達を認めても、自分の過去の努力が否定されることはない」し、逆にいえば、「そういう人達をいくら否定しても、自分の過去が認められることには、ならない(それとこれとは、別)」、という考え方で、周囲とは無関係に、自分が自分の感情の癒しに取り組むことが大事ではないでしょうか。

怒りの原因は、自分の中にあります。外にあるのは、その感情に火が付くきっかけにすぎず、燃える要素は、自分の中に存在しているものです。

そういう目線で、冷静に自分を見つめ、心を癒していくことが、より自分らしく輝くために、大切だと思います。

過去の感情は、幾重にもベールが掛かっていて・・・、紐解いていくのは苦しみもありますが、しかし、ずっと同じ感情を抱えたままになると、別の意味での苦しみがずっと続いてしまうことになります。

いきなり、これらの感情に切り込むのは難しいですが、少し、自分の癒しが進んで来たと感じる方には、(そして、この件に該当する感情がある方には)、自分に対するいたわりと愛の気持ちをもって、取り組んでみていただきたい部分です。

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目標を立てるのは、「スタートをするため」

物事をスタートさせるには、まずは、目的や目標をはっきりさせることで、そのための手段が見つかりやすくなりますし、取り組みやすくもなっていきます。

目的や目標があいまいなままだと、なかなか取り掛かることができません。やりたいことがあるのに、取り掛かれない人の多くは、手段ばかりを先に考えていて、その先にある目的が明確になっていないことも多いです。

このことは、過去にも何度も取り上げているテーマです。 だから、目的・目標を明確にしていきましょう、と、お伝えしてきました。

今回お伝えするのは、それらの応用編です。

目的・目標をはっきりさせるのは、そのことを成し遂げるため、ではありません。

目的をはっきりさせて、努力をしても、そのことが成し遂げられないケースは、世の中にいくらでもあります。

目的・目標をはっきりさせることで、メリットがあるのは、「スタートを切りやすくなる」という点です。目的を定め、そして手段が見えてくれば、取り掛かっていくことが難しくなくなります。

考えすぎて、なかなかスタートを切れない人は、目的がはっきりしていないか、または、「成功」「成果」を考えすぎだから、だと思います。そのため、先のことが心配になり、あれこれ頭で複雑に考えることで、(本当は、スタート前に考えてもしょうがないような)問題点を見つけては、スタートできなくなるのです。複雑に考えすぎると、だんだんと目的も、ぼやけてきてしまい、また、そこから目的探し、をしてしまうこともあります。

過去の、さまざまな出来事を思い返してみれば、分かると思うのですが・・・、「このように取り組んでいき、そして、こんな結果を得よう」と、計画を立てたことが、そのとおりに進むことはまれで、実際は、思ったとおりにはならなかったケースがほとんど、ではないでしょうか。

ですから、自力で何らかの目的・目標を明確にして、それに取り組んだ経験が十分にある人は、そのこと(思ったとおりにならないこと)を、知っていますから、「でも、思い通りにならなかったらどうしよう、という不安から、取り組めない」という悩み方をしません。思い通りにいくわけがない、ということが、想定内だから、です。

思い通りにいかなければ、その時点で工夫をすればいい、物事とはそうして変化させながら構築されていくものだ、という前提で、動いています。

つまり、「自力で何らかの目的・目標を明確にして、それに取り組んだ経験」が不十分な人ほど、失敗したらどうしよう、とか、もっといい方法が見つかるのではないか、とか、複雑に考えすぎては、スタートが遠いてしまいます。

経験者は、物事は計画どおりにはならないと、分かっているけれども、たとえそうでも、目的や目標をはっきりさせて、計画と手段を駆使しながらうごいていくほうが、やりやすいから、そうしているのであって、決して「成し遂げられる確信があるから、動いているのではない」、ということです。

そういう全体像が見えている人は、極端な話、目的や目標がはっきりしなくても、手段も見えていなくても、なんとなく物事を進めていくこともできるし、それなりになんとかなっていったりもします。でも、それは無計画とは違います。あらかじめ、「わかっている」部分を、柔軟にしているだけ、です。

そういう、経験上のコツも、まずは、スタートを切って、経験を積んでいかないことには、身についていきません。スタートを切って、経験を重ねていくことは、とても大事です。

まず、スタートをしないと、文字通り、始まりませんから・・・、そのためには、目的・目標をはっきりさせて、意識の向かう先をつくっていくことが、「取り組みやすい方法」なのです。決して、目的をはっきりさせて、力を注げば、それで、成し遂げられる、というわけではありません。

多くの「スタート出来ない人」は、その点を取り違えていて、「成し遂げられるか、分からないから、スタートができな」く、なってしまっているように思います。

まず、スタート地点に、自らの意思で立つことが大事です。そのために、目的・目標を定めて、そのための手段を見つけ、計画をたて、そして、世の中とは計画どおりには進みはしないのだ、という前提で(笑)、心の余裕を持って考え、歩き出すことで、経験は作られていきます。

計画どおりにならなくて、苦しむこともあるけれど、計画(予想)を超えて、思わぬ成果が手に入ることもあります。だからこそ、学びがあるし、感動も得られるのです。

「目的・目標」というものの、捉え方を、少し、違う角度で解釈してみると、また、見えるものが違ってきますね。

「目的・目標を明確にして、それを成し遂げよう」という考え方から少し離れて、「目的・目標を明確にすることで、まずはスタートを切っていこう」という、受け止め方、解釈の応用編について書いてみました。

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2012年3月14日 (水)

真面目な人が、「他人を見る目が、厳しくなりがち」なのは何故?

細かいことまでよく気がつく真面目できちんとした性格の人ほど、他人を見る目がとても厳しくなってしまうことがあります。

真面目できちとしないと気が済まない人ほど、日頃から抱えるプレッシャーも大きく、自分に課すハードルも高いので、その分、苦労も努力も人一倍していることになります。

そういう性格の人は、わりと自己完結タイプで、他人からの評価をそれほど強くは求めていないものだったりしますが、しかし、心のどこかには、「自分は、他人の評価をあまり必要としていない自立心がある、という点も含めて」理解してもらいたい、認めてもらいたい、という思いが、少しくらいはあるわけです。

そういう気持ちが、「他人を見る目が、厳しくなる」という言動に表れてしまうことがあります。

自分は、こんなに努力をして我慢をして、ここまでになったのだから、あなたも同じくらいのことをして、最低限のレベル(と、その人が思うレベル)までは、達してよね、という思いで、相手を見てしまうのです。

自分に課すものを高くして向上を目指して頑張ることも、他人の成長を望む気持ちも、どちらも、それ自体はネガティブなものではないので・・・、そういう、自分の思考のクセのようなものには、なかなか気づきにくく、自分を正当化してしまい、改めることが出来にくい感情のひとつ、のようにも思います。

それ自体はネガティブではなくても、どうなると、ネガティブになってしまうか、というと、「自分が認められたい気持ち」または、「自分が認められていない、と感じる気持ち」と、掛け合わせになった場合、です。

それらが掛け合わされてしまうと、一生懸命にやらない人の様子を見てしまうと、心のどこかで、自分の一生懸命さが否定されたような気分になってしまいます。

または、自分がものすごい努力をして到達したことを、それほどの努力もなくあっさりと成し遂げてしまう相手に対して、大きな嫉妬心がわいてきます。理由は同じで、自分の一生懸命さが否定されたように感じてしまうからです。

「(自分がこれほどまでに努力を為て成し遂げたことを)あっさりと成し遂げるのならば、それをもっと深めて解釈すべき、とか、さらに上を目指さないなんておかしい」というように、こじつけの批判的目線を持つようになることもあります。

その理由は、先にも書いたように、自分の今までの努力を認められたい気持ちゆえ、です。または、それほどに努力をしている自分が、正当に扱われていない、という不満があるためです。

つまり、見つめて行くべき点は、世の中の人々の至らなさ・・・ではなく、自分の思い、なのです。自分の中で、解消されない思いを、努力をしていない周囲の人に投影していることになります。

こういう感情の解消をしていくのは、かなりの上級編で・・・、向上心そのものは、決して悪いものではないだけに、自分の感情を見つめるのも、それを相手に期待しないことも、いろんな要素が入り乱れて、難しいのですが、ここを乗り越えないことには、他人を信頼することができなくなります。

他人を信頼できないと、ますます自分が頑張るしかなくなり、その努力が過剰になれば消耗してしまうでしょう。

真面目で努力家な人の中には、他人を信頼することができないから、過剰に自分が頑張っているという、場合もあるわけです。「自己完結タイプ」なのは、自立心からそうできている場合もあれば、他人を信頼できないからそうせざるを得ない、という場合もあるのですね。

このあたりまでの自己分析は、とても深く、痛いところに切り込んでいくので、とても難しいものですが・・・、ここを乗り越えていくと、いつも張り詰めて過ごしている人も、心の安らぎが得られるようになります。

他人の自己責任の自由を認めても、(それは、その人個人の領域で行われるものなのだから)、自分の過去の努力が全否定されるわけではありません。

他人が自分を否定しているのではなく、自分の感情の持ち方ゆえに、否定されるのではいか、という恐怖心に繋がっている(他人を信頼していないから)、と、気づくことです。

気づいて、すぐにすべてが解消されるわけではありません。長い時間がかかると思います。それは多分、年単位になるでしょう。しかし、それだけの時間をかけて取り組む価値があると思います。他人を信頼できない、というのは、とても苦しいことだからです。

この記事に自分が該当する方は、多分、記事を読み進めることすらキツイと思います。でも、大事なことだから、書いてみました。

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2012年3月13日 (火)

揺らぎやすい人は、過剰なまでの「自分探し」をしてしまうことがある。

自分は何者であるのか、と、自分を探求したい欲求は、少なからず誰もが持っていて、人生の一時期、その思いが強くなり、「自分が生きる道は、これだ!」といえるものを見つけたくなることがあります。

とくに、思春期から青年期のあたりでは、その思いが強くなり、過剰なまでの自分探しをしてしまい、ときに揶揄の対象になってしまうこともあるでしょう。

それほどまでに強い気持ちで、自分探しをするのは、思慮深い熱心さと向上心を持っている人・・・に思えるかもしれませんが、(中には、そういう人もいますが)、とても影響されやすくて、揺らぎやすい、自分という軸がしっかりしていない人が、「打ち込める何か」を求めた行動が、過剰な自分探しになっているケースも少なくありません。

とにかく、何でもいいので自分が熱中出来る対象がほしい、力を注ぎ込める何かを見つけたい、という思いが、自分探しになるのです。

なぜなら、影響されやすく揺らぎやすい人は、「自分を基準とした考え方」がとても苦手です。 誰でも、苦手なことは避けたいので、自分を基準とした深い考え方を避けることができる、それらをすべて覆ってくれるような、派手で分かりやすい熱中できる何かを、求めてしまうのです。

そういう対象を見つけて、そちらに自分を合わせていけば、自分の基準を構築しなくてもすむ(と、本人は思う)からです。

もちろん、本人は、一生懸命に何とかしたいという気持ちがあってのことで、苦手なことを避けたいゆえの行動だとは、通常、自覚はできないでしょう。 しかし、心の深い部分を見ていくと、自分の揺らぎやすさをふくめたさまざまな不安定なものすべてを、覆ってくれるような、派手でインパクトの強いものを得たい気持ちあるわけです。

けれど、実際には、それほどのインパクトがあって、情熱を注げるものって、そう簡単には見つかりませんので、いつまでも、見つからないものを探し続けてさまようことになります。

結局、そういう人は、自分の軸という、自分の内側に作り上げていくものを、自分の外に求めて探し回っているわけです。

どこかの時点で、そのことに気づく必要があります。気づいたところが、本当の、「自分の内に向かう、自分探し」のスタートになり、そこから先の思考や行動のすべてが、自分自身を、自分の内側から構築していくプロセスとなって、軸がつくられていくんですね 。

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2012年3月12日 (月)

考えても答えが出ないことを、なぜ、考え続けてしまうのか。

同じことをぐるぐると考え続けて、時間だけが過ぎていき、そしてそれ以上に考え続けても、直ぐには答えがでることはないと、分かっているのに、考えることを止められないことがあると思います。

考え続けても、答えがでないときには、「その問題に答えを出すことを、保留する」と決めて、いったん、そのことから思考を切り離してしまうことが一番です。

そうするほうがいいと、分かっていても、つい考え続けてしまう場合もあるでしょう。それが分からなくて考え続けているのではない、保留するほうが望ましいと分かっているのに、考えを止められない、という人もいると思います。

そういう人は、「では、なぜ、(考えても、答えがでないと)分かっているのに、考え続けてしまうのか」という点の理解が大切です。

まず、その前に、論点を整理すると「考えても、答えがでないことは、それ以上時間を掛けて考えても、答えに至らないことが多い」のは、多くの人が経験上分かっていると思います。

そして、何故そうしてしまうのか、という点の考察になりますが、「しかし、考え続ければ、答えは出ないまでも、別の切り口が見えてくるのではないか」と、思うからではないでしょうか。

その問題を考えることで、答えが出るとは思っていなくても、考え続けていけば、答えに関連する、何かの糸口が見えてくるような気がするから、だと思います。

考え続けることで、別の糸口が見えてくることも、あるかもしれませんが・・・、しかし、考え続けるのを止めて、違うことをしていても、ふとしたひらめきから、別の糸口が見えてくることもあると思うのです。

つまり、新しい視点を得るきっかけとなるのは、考え続けるという行為に限りません。他の行為から関連して広がりを見せることもあるわけです。

お風呂に入ったときとか、気持ちがリラックスしたときに、ふと、アイデアがひらめくことってありますよね。まったく別のことをしているときに、意外なひらめきがもたらされることは珍しくありません。

考え続けることを止めると、その問題に対して自分が注ぐエネルギーが減ってしまい、解決が遠のくように感じるかもしれませんが、「同じ方向からの思考を重ねても、多くの場合、同じ結論にしかたどり着けない」ものではないでしょうか。

同じ要素の積み重ねは、足し算で、数字が増えるのは地道ですが、違う要素を組み合わせると、掛け算になり、大きな数字に結びつくこともあります。視野を広げることで、アイデアの範囲もまた、一気に広がっていくこともあるのです。

同じことを考え続けることで、(直接の答えではなくても)解決のための糸口となるアイデアを得たい、という解釈を、「同じことを考え続けず保留として、別の行動をしていく方が、良いひらめきが得られることもある」という解釈に、入れ替えてみてはどうでしょう。

「考えても答えがでないことは、いったん保留として、それ以上考え続けず、他のことをする」、という習慣を付けましょう。 アイデアを得るためと、自分がそれ以上消耗しないために。

容量のきまったバケツに、どれだけ水を注いでも、一定量しか入らないのは決まっているのですから、いったん水を止めて、別の容器に注いで行くことで、自分の視点が切り替わっていき、同じバケツを違う視点で見られるようになれば、答えを導き出すこともできると思います。

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2012年3月 9日 (金)

他人と一緒にいると、疲れてしまう?

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敏感な性質をお持ちの方は、人付き合いをすると、ぐったりと疲れてしまう、大勢の人が集まっている場所は、エネルギーが渦巻いているような気がして苦手、と感じることがあると思います。

私たちの体の周囲には、オーラと呼ばれるエネルギーがあり、いろんな情報が、見えない領域でやりとりされています。人との交流とは、エネルギーの交流でもあるので、その、「エネルギーレベルでのやりとり」が、重たく感じられたり、疲労感に繋がることもあるのです。

たとえば、ひとりで考え事をしているときでも、意識があっちにいったり、こっちにいったりしていると、オーラの状態も(思考を表す部分においては)あっちにいったり、こっちにいったり、という動きを示します。そうすると、肉体は動いていなくても、意識の部分は動いていくことになるので、精神面が疲弊してしまいます。体が動いていなくても、考え事って、結構疲れることもありますよね。

つまり、肉体が動かなくても、意識の部分が動かされると、疲労感に繋がることは、ごく一般的な日常生活でも、ありうることだとわかります。

自分にとって、一番馴染んでいるエネルギーは、当然のことながら、自分が発するエネルギーです。ひとりで考え事をしているケースでも、疲れてしまう、というのは、「馴染んでいるエネルギーであっても、あちらこちらと、動きが大きくなると、消耗に繋がる」ことになります。

他人と一緒にいて、疲れてしまうのは、他人のエネルギーや、集団のエネルギーが、自分に干渉してくるからです。

馴染みのある自分自身のエネルギーの動きですら、自分が疲労を感じることもあるのですから、それが他人のエネルギーとなったら、馴染みがない分、違和感も大きくなってもおかしくはありません。

そのように、「他人と一緒にいると、影響を受けて疲れる」ことは、エネルギーの観点からして、ありうることです。敏感な人にとっては、とても辛いことだと思います。

どのくらい、他人からの影響を受けやすいか、というのは、その人が持っている性質の敏感さにより変わってきます。また、そのときの状態にもよります。「性質としての敏感さ」と、「そのときの自分の状態(そのときの波長)」により、変わってきます。この二つの要素の掛け合わせで決まる、といえるでしょう。

性質が敏感であっても、状態が整っているときには、それほどネガティブな影響は受けないものですし、状態が高く保たれているときには、どんな場所にいっても、それほどの大きな影響はうけませんし、そもそも、ひどいエネルギーの場所には、行くようにならないものです。

なぜなら、すべては波長の法則で、同程度のものと引き合いますので、ネガティブなエネルギーの多い場所に行くことになってしまうのは、自分にも引き合うものが少しくらいはあることになります。

ですから、敏感であっても、ネガティブな影響を必ず受ける、とは限らず、そのときの自分の状態にもよるわけで・・・、ましてや、影響を与えた相手が悪くて、自分は一方的に被害を受けているかのような解釈は、スピリチュアルな視点でみれば、理屈にあいません。

ちなみに、他人から「元気をもらえる」のも、仕組みとしては、同じです。相手から、ポジティブなエネルギーの影響をうけて、自分も感化されることもあるからです。人からどんな影響をどのくらいうけるかは、相手の状態にもよるけれども、自分の状態が決めている部分もあるのです。

敏感で影響されやすいタイプの人は、「他人と一緒にいると、ネガティブな影響を受けてしまう」という、恐れを持っていて(そうなってしまうことがあるのは、事実なのでしょうが)、そのため、自分が「防御したい気持ちを反映した、トゲトゲオーラ」になってしまい、

その結果、人付き合いとは、オーラの交流でもあるので、(トゲトゲオーラを感じた)相手をなんとなく居心地悪くさせてしまい、相手の状態が悪くなっていき・・・、その相手のエネルギーを、自分がもらってしまう=ネガティブな影響を受けてしまう、というような、ループになることもあります。

恐れの気持ちと思い込みから、わざわざ、自分に負荷が掛かることを仕掛けている、ことになってしまうのです。

人間関係とは、お互いに、いろんな刺激や影響を与え合うこと、です。自分だけでは分からないことを、他人の行動や発言を通して、理解できることはたくさんあります。

他人といると、疲れてしまう、という敏感な体質の人は、実際に存在するわけで、それは気のせいではないとしても、そこを、なんとか自分の状態を維持することで、うまくバランスをとっていき、人を遠ざけないようにする姿勢も、大事ではないかと思うのです。

疲れるから、その環境を避ける、というのでは、人を通して学ぶ機会を全面的に放棄してしまうことになります。

「自分」と「他人」という、違う要素の掛け合わせは、お互いにとって大きな刺激と学びになります。

恐れの気持ちよりも、自分への刺激があり、学びを与えてもらえるという、期待と喜びを、抱いていくほうが、人生が豊かになっていきますよね。

そのためには、まずは、自分の受け止め方、考え方から変えることです。意図的に、そう解釈をしてみる、ことからスタートしてみましょう。

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2012年3月 2日 (金)

特定のオーラの色になる方法は、ある?

よくあるご質問のひとつです。「金色のオーラになるためには、どうしたらいいですか?」「紫のオーラになる方法を、教えてください」、というように、特定のオーラの色になるには、どうすればいいのか、その方法を知りたい、と。

そういう質問をしてしまうのは、オーラと自分の仕組みについて、きちんと理解をしていないためです。きちんと、といっても、それほど複雑な知識が必要なものではありません。

「オーラとは、自分自身の反映である」ことが理解できていれば、そもそも、求めているものの解釈が間違っていて、そのような質問に繋がっていることがわかるはずです。

たとえば、紫色の、深い愛情を表す要素は、「その人が、とても優しくて、愛情深いからこそ、その要素が、紫色として、オーラに表れている」のであり、

「紫のオーラがあるから、その人が、愛情深くなれている、のではない」のです。

オーラという枠組みが先に存在していて、オーラが決まっているから、その人の性格が決まってくる、というわけではないのです。

いわゆるオーラリーディングで、「あなたのオーラは紫なので、あなたは愛情深いタイプですね」という場合があるとしたら、「紫のオーラの意味する要素は愛情の深さなので、そのオーラが表れているあなたは、愛情深い人であることがわかりますよ」、という意味であって、

「オーラに紫があるから、あなたは愛情深くなれていますよ、オーラの色のおかげです」という意味ではありません。

オーラは、自分自身の反映ですから、オーラと自分は同時進行です。

自分の反映という言葉は、自分が先あって、その後でオーラがある、というようにも受け取れてしまう表現かもしれませんが、厳密にいえば、生まれてくる時点で、過去の(前世等の)オーラを引き継いでいる部分がありますから、反映というのは、わかりやすさのための表現で、「オーラと自分は、イコールであり、同時進行」だと、そのようなイメージでとらえていただくのがいいと思います。

どちらにしても、「オーラを変えれば、自分が変われる」かのような解釈は、正しくありません。

オーラが、自分の望む色になれれば、自分にその性質が加わるはず、ならば、特定のオーラになるための方法が知りたいわ、という趣旨での質問が、「金色のオーラになるためには、どうしたらいいですか?」「紫のオーラになる方法を、教えてください」、というものだと思うのです。

なので、そういう要求に応えられるような、ズバリの方法や手順というものは、存在しないことが、(仕組みを知れば)おわかりになると思います。

繰り返しになりますが、生まれた時点で、(前世等の)引き継いでいる性質がありますので、オーラが先にありき、という解釈も、厳密にいえば、間違いとも言い切れません。けれど、そういう引き継いでくる要素は、生まれた時点で「在る」わけですから・・・、この部分は、この世に生まれてからの自分には、動かせないですよね。

そして、(上記の部分を除く)この世に生まれて、日々のさまざまな経験から培われていく後天的なオーラについては、自分とオーラはイコールであり、同時進行なので・・・、自分自身の成長や変化を伴わずに、オーラだけをなんとかする、便利な方法や手段は、存在しません。

特定のオーラを得ようとすれば、その要素を備えた自分になるように、努力をしていくこと、ですね。そういう、地道な方法しか、ありません。

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2012年3月 1日 (木)

ピンチは、チャンスなのか。

「ピンチは、チャンス」だという表現は、よく目にします。それは、物事を、どのようにとらえるかはすべて自分しだいであり、受け止め方や、気持ちの切り替え方によって、ピンチだと感じることもできるが、チャンスだと発想の転換をすることもできる、という意味だと思います。

ピンチの状況が、必ずチャンスになるから大丈夫、という意味ではないので・・・、ピンチを「チャンスに、変えていく」のは、自らが行っていく必要があります。

私の知り合いで、こんな方がいました。役職について活躍している、有能な女性ですが・・・、以前にいた会社で、自分が所属している部署が、閉鎖することになったそうです。いくつもの商談が途中まで進んでいる状態で・・・、自分も困ったけれども、やりかけになっている仕事も、困ってしまったそうです。

でも、その方は、ピンチをチャンスに変えました。「転職しよう」と決断し、途中まで進んでいる案件を持ち込んで採用面接を受けたところ、その場で採用となったそうです。

それで、やりかけの仕事も、新しい会社で続けていくこともでき、得意先にも迷惑を掛けずにすんで、そして自分も新たな活躍の場を得たわけです。

普通、前職の案件をもって他社へ、というのはいろんな意味で難しいですが、この場合は、会社が部署を閉鎖する、という意向だったので、いろんなことが、パズルのピースのように、上手くはまっていったのでしょう。

でもそれは、次々と、スムーズに展開していったわけではなく、彼女自身がなんとかしようと考えて行動したことが、結果に繋がったわけで、やはり、大事なのは、自力で、チャンスにしていく、姿勢なのだと思います。

私も、今回、骨折で手術で、一月半も入院をするという事態になり・・・、この一連の経験からチャンスにできたことのひとつは、「運動の大切さ」という概念を手にしたこと、があります。

私は、今まで、どうしても、運動だけは生活に取り入れることができていませんでした。・・・自分に甘いので・・・(汗)。

しかし、運動をしないことで、どれほどに筋肉が弱くなるのかを経験して、もう、本当にびっくりして・・・、これからは、リハビリが終わっても、きっと、すごく運動を心掛けるようになると思います。

今、運動の大切さに、ここで気づくことができたのは、私にとって幸いでした。あまりに高い代償ではありましたが・・・、でも、それを超えるくらいものを、つかみ取っていこうと、今この記事を書くことで、改めてそう思いました。

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