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2012年2月14日 (火)

不思議な夢を、不思議に感じない、夢の中の自分。

夜、眠っている間には、私たちのたましいは、あちらの世界に里帰りしていて、いろんな知恵をさずかったり、作戦会議のようなことをしている、と、江原さんの書籍には書かれています。

作戦会議・・・といっても、人が数人集まってテーブルを囲んでいるようなものではなくて;、あくまで、たましいレベルというか、私たち肉体をもった人間の場合は、意識レベルで、という解釈でいいと思います。

寝ている間に、夢を見ることがありますが、「眠ることで、活力がチャージされていく」という仕組みも、そして、「夢を見る」という仕組みも、実はとってもスピリチュアルなことです。

江原さんのおっしゃるように、あちらの世界に戻って、いろんな経験をして、知恵を授かり、その様子の一部を、「夢」として、覚えていることもあると思います。なんとなく、メッセージ性を含んだ夢のような・・・、自分への励ましのような夢を見たりするときは、そういうケースの記憶の一部なのかもしれません。

けれど、私たち人間は、肉体を伴っていますから、いくら意識だけがあちらの世界に戻っても、肉体をもった人間としてのフィルターを通して関知する以上、肉体的な影響を含んだ捉え方になってしまいます。

そのため、体が疲れているときや、重い布団をつかっていると、「体が重くて、動きにくい夢」を見たりするわけです。

気になっていることや、心配事、強い欲望があるときなどは、心がそちらにとらわれてしまうので、その内容にそった夢を見てしまうものですが、それは、私たち肉体を持った人間にとって、霊的な叡智という繊細なエネルギーよりも、自分の肉体の動きや、感情や欲望の動きという、現世的なエネルギーのほうが、馴染みやすく影響されやすいので、そちらの意識が優先してしまいます。

ですので、たとえば、好きな人のことをずっと考えていて、強い気持ちでいっぱいになっているときに、その人と付き合う夢をみたからといって、それが予知夢だとか、霊界からのメッセージということではなく、自分の強い願望の念が、夢に反映しているだけ、ということもあるのです。

中には、意味がまったく分からない、あまりに奇想天外で辻褄が合わないような夢を、見てしまうことがあると思います。

たとえば、夢の中で、お部屋の窓を開けたら、沙漠に繋がっていて、窓からラクダに乗り移って自分が会社に出勤する・・・、などという、意味不明な内容のものって、あると思います。

こういう夢の不思議なところって、夢の中の自分が、そのシチュエーションをまったく不思議に思わず、受け入れているところにもあると思います。朝、目が覚めたときには、「どうして、あんな夢を見たのだろう」という気持ちとともに、「なぜ、あのような現実的でない内容で、途中で、これは夢だ、と、気づかなかったのだろう?」と、思いますよね。

窓を開けたら、そこが沙漠、という時点で、夢だと気づいてもよさそうなものですが、そうならずに、普通に受け入れて、夢の中でストーリーが展開していきます。なぜ、そうなるのか、という点について、仮定ですが、書いてみたいと思います。

ここから先は、江原さんの本の記載ではなくて、私の解釈なので、そのつもりでお読みください。

眠る、という行為は、とてもスピリチュアルなもので、寝ている間は、たましいがあちらの世界に戻っていくので、いわゆる、幽体離脱のような状態になります。肉体を伴っていないので、意識はどこまでも広がっていきます。(実際には、肉体とまったく切り離されてはないので、いくらかの肉体的影響は受けと思われ、本当の意味での、無限、とはならないですが)

夢の中では、肉体的な制約がないので、いろんな要素が同時に起こったり、複数の要素を同時にまたは一瞬にして学んだり、叡智を授かったりすることができます。

しかし、私たちは、そのすべてを、表面的な記憶として、あまり覚えていられません(たましいには、刻まれているのでしょうけれど)。記憶に残るのは、意識がかなり、現世的なほう、肉体のほうに、戻りつつある状態になっているときです。

寝ている間の、あちらの世界での意識の経験が、たとえば、新聞紙のように、きちんと内容が整理され、見やすく分かりやすいものだったとしても、新聞紙のすべてを、私たちは、表面的な記憶として、把握することができません。

肉体という制限された場所の意識での理解ですから・・・、まるで、プリングルスの筒に、新聞紙を無理に押し込めて、理解することになってしまいます。

そうすると、元の新聞紙の状態としては、理路整然としていた内容も、押し込められた筒の中では、ありえないことがおこります。

(本来そうなるはずのない)1面と3面が隣り合ったり、テレビ欄と政治欄が重なり合ったりするわけですから、そして、それらを、くしゃくしゃにして、無理に容器の中へ、入れている状態でもあるので、筒の中を、断面的に、「夢の記憶」として「ある部分のみ」を見てしまうと、その場面は、何だかよく分からない、摩訶不思議なものになるのではないでしょうか。

ですから、「お部屋の窓を開けたら、沙漠に繋がっていて、窓からラクダに乗り移って自分が会社に出勤する」という夢は、目が覚める直前の、意識が肉体に戻ってきつつあり、プリングルスの筒に入った新聞を、断片的に記憶している状態で、ちょっと、混沌としたものであり、実際に、あちらの世界でたましいが経験しているとおりに記憶をしているわけではないのでしょう。

そのため、「夢の中では、シチュエーションに疑問を抱いていない」のに、朝起きると「疑問を抱かない、夢の中の自分が、不思議に思える;」という、認識の差が作られるように思います。全部が、このパターンではないかもしれませんが。

夢に限りませんが、どんなことも、私たち人間にとっては、肉体を伴った人間としての解釈や理解になりますので、スピリチュアル100%には、なれないのです。スピリチュアリズムを学ぶ場合でも、その前提で、受け止めることは大切だと思います。

そして、100%にはなれなくていいのだと思います。そのような、肉体を伴った、制限された経験をするために、自ら望んで、この世で学んでいるのですから。

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★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をしました。現在は退院しましたが、リハビリ通院中のため、通常のリーディングの受付は休止中です。

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09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

夢の話、大変興味深く読ませて頂きました。辻褄の合わない話の展開を「新聞紙とプリングルスの筒」で例えられた所は「なる程!」って思えました。中々そういった視点、切り口の夢関連の本は無いので、面白かったです。
 そして逆に、この文章を入力中に興味本位や実践を伴わない探求に陥らず、しっかり現世を生きなきゃとも思いました。
 ありがとうございました。 

投稿: アユミ | 2012年2月15日 (水) 19時56分

*アユミさま

目に見えない領域のことは、言葉に置き換えるのがなかなか難しいのですが・・・、一つの解釈として参考になりましたら幸いです。

投稿: リカコ | 2012年2月15日 (水) 20時43分

明るい自然の中を、両手を広げゆっくりⅠメートルくらい斜めに浮いて移動するゆめをみました。一年後、トルコのカッパドキアで 丸い飛行せんに 乗った時 がまさしくふわっとそれでした。ある日の夢 黒い長い自動車が迎えにきました。一年後、ハワイで白いリンカーンが、ホテルに迎えにきていました。日記みて びっくりsign01。アルアル ですね、あんまり 驚かないように対応していくちからなのかな。

投稿: ヒロ | 2012年2月19日 (日) 08時43分

*ヒロさま

夢はとてもスピリチュアルなものでもあるので、起こる出来事そのままではないにしろ、雰囲気や一部分を、先に夢でみたりすることもあるかもしれませんね。

投稿: リカコ | 2012年2月19日 (日) 09時22分

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