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2012年1月の7件の記事

2012年1月29日 (日)

守護霊は、私たちが認識しやすい方法で、働きかけてくる。

私たちと、私たちを導く役割の守護霊は、たましいの繋がりがあるので、あえて、「伝達」や「連絡」をしなくても、私たちのすべてを見通して、すべてを知っています。

私たちにとって、守護霊とは、広い意味でいえば自分自身であり、まったくの別人格として存在しているわけではない、というのは、過去に何度も書いてきたとおりです。

そのため、基本は、思考を通してテレパシーのように、私たちへ、導きが伝えられることが多いですが、それ以外にも、周囲の物理的な出来事を通して、気づかせてくれるという伝え方をすることもあります。

たとえば、困っていたときに、関連する情報が、たまたまつけたラジオから流れてきたとか、悩んでいる事柄の専門家と偶然に知り合ったとか、意味ありげな夢をみるなどして、ヒントが与えられる経験は誰にもあるのではないでしょうか。

守護霊も、もっとも効果的で、かつ、その人が認識しやすい形で、伝える、という工夫をしてきます。

本の内容を通して伝えてくることもあります。文字の伝達は、もっとも分かりやすいですから、本を読む習慣がある人には、本の一文が、その答えになる、という形でのヒントを伝えてくることは多いでしょう。

私は、本が好きなので、本を通して伝えられることはとても多いです。入院中にこんなことがありました。

手術をしてから、2週間は荷重しないリハビリですが、そこから先は、荷重をかける練習をしていきます。

その頃の私は、自力で足を動かすことができない状態でした。痛みのため、ではなく、「足を動かす」という動作の仕方がわからなくなってしまうためと、筋力の低下のためです。

ですから、ベッドに腰掛けるときも、車椅子からベッドへ戻るときも、自分の足を、手で持ち上げて姿勢を移動させている状態でした。

術前もふくめると、3週間近く、歩いていない状態が続いていますから、いくら体重をかけてもいい、といわれても、意思の通りに体は動いてはくらず、ぜんぜん歩けません。

( ̄A ̄)「・・・この状態で、歩けっていわれたってさ~、できるかよ」

( ̄A ̄)「看護師さんとか、リハビリの先生とか、実際に患者がどれだけ痛いかなんてわからないじゃん」

( ̄A ̄)「松葉杖って、難しいんだよ?「もっと、こういう姿勢で」とか簡単に言うけどさ、アタシだって、折れてなかったら言われた通りの動作は簡単にできるわ。それが出来ないから困ってるんだよ」

と、心の中は、不満でいっぱいで・・・、とにかく、「荷重」と、「どんどん歩くべし」という姿勢が納得いかなかったのです。

私は、病室に、一冊だけ本を持ってきていました。整形の入院は、リハビリやら検査やらあるので、自由な時間というのはそれほどなく、それと精神的に活字を追う元気もないので、既に何度も読んだ、バーバラブレナンの「光の手」だけを持ってきてもらいました。

そのときも、自主練をする気にもならず、なんとなく本を手にとって、適当にページを開いて読み始めたところ、そこには、骨の成長についての記載がありました。

ブレナンさんのガイドが告げるところによると、「・・・骨内の電圧効果とは、次のようなものである。歩行などで骨組織に圧力が加えられると、弱い電流が発生して骨の内部に流れる。するとその電流の方向に向かって、骨はより早く成長する」のだそうです。

つまり、歩行による荷重で圧がかかると、その方向に電流が流れて骨が成長していく・・・から、早期の歩行練習は有意義であり、・・・だから、文句言わずに、歩く練習をしろ、と(笑)、これは、本を通して伝えられた、私に対するメッセージだと思いました( ̄w ̄;)。

おかげさまで、ちょっと、リハビリに対する気持ちも変化しました;。理屈で納得すると、やる気にもなれます。

たまたま開いた、ヒーリングの本に、しかもそのページに、骨の成長について載っているって、あー、なんか、すごいなーと、そして、ちゃんと練習を頑張ろうと、そういう気持ちにもなりました。

このように(?)、守護霊は、伝えたいことがあれば、その人が認識しやすい方法で、伝えてきますから、本をたくさん読む人ならば、本の一文を通して、仕事が忙しい人ならば、仕事上での関わりや資料ややりとりを通して、家の中で家事や育児をしている人なら、子供の行動や、家族間の会話を通して、必要なことが、伝えられていくものだと思います。

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2012年1月26日 (木)

「深める」「極める」ことを習慣化すると、直感の受け皿が作られていく。

直感には、さまざまな形がありますが、一般的には、「ふと、アイデアが、自分の思考の外側からもたらされたかのような、ひらめき」のことを、指す場合が多いと思います。

しかし、唐突なひらめきだけが直感、という受け止め方は、とても狭い範囲の解釈であり、それ以外の形でもたらされる霊的な叡智があることも、理解しておくことは大切です。

たとえば、同じことをひたすら積み重ねていき、コツを身につけ応用力がついた先に、「経験値の上昇により、感性が底上げされていき、手が届くようになった直感の領域」というものが存在します。私の経験としては、以下のようなことがあります。

私は昔から本を読むのが好きでした。読む速度もとても速いです。読書の経験を何十年もしていくうちに、書店で、本を見ていると、背表紙がなんとなく光っているような?、何かを発しているような?雰囲気のものをたまに見つけることがあり、それは、ほぼ例外なく、私にとって学びが多い、必要な内容が書かれているものとなっています。

これは、私が、読書量により培ってきた、何かの感覚が発達しているための現象だと、自分では思っています。

これをお読みになった方の中には、「リカコさんは、霊感や霊視力で、必要なものを把握しているだけでは?」と、思われる方もいるかもしれません。

けれど、私は、そうではないと思うのです。もちろん、その光っているかのような感覚を、視覚的に捉えている点などは、いくらかの霊感的なものは関係していると思われますし、その全部を否定するわけではありません。

しかし、それならば、自分に合うものを、もっと他の分野でも、同様に、それが光って見えるなどして、把握できてもおかしくはないですが、食品とか洋服とか、そういう分野では、少なくとも「商品が光って見えることで把握した」という経験は、あまり思い浮かびません。

自分に合うものを選ぶという感覚は、食べ物などでも、それなりに発揮されていると思いますが、それはあくまで体感的なもの、ひらめき的なものであって、「商品自体が光って見える」という感覚は、本に対して働くことがとても多いのです。

これはあくまで、私の場合であり、私の勝手な推察でしかありませんが・・・、単純に霊感の強さによる把握なのであれば、本と他のものとの落差はなく、いろんなものに対して一律感じ取れてもいいはずです。

しかし、その中で、本に対する伝達のキャッチが、とりわけよくなっているのは、私の、過去の読書量や本を読むことが好きという性質が、積み重ねられた、経験値による底上げが成されているからだと思うのです。

視覚力で、本と同じような方法?で、食品を把握することができないのは、私が食の分野に関心が深くなったのはここ数年のことで、まだまだ、そこまでの経験値が、積み重ねられていないため、なのかもしれません。

きっと、どなたにとっても、自分が関心をもっていたり経験を重ねてきた事柄については、その他の事柄以上に、直感的に分かる、という感覚が働きやすい、という傾向は見られるのではないでしょうか。それは、唐突なひらめきのようでいて・・・、しかし、自分の知識や経験という底上げがあるからこそ、受け取ることができる、相互の作用によるもの、だと思います。

このような感覚は、普段から、特定のことを継続して深めていく、という経験をすることにより、磨かれていきます。それが習慣化されていくと、その事柄以外にも、同じように、深い受け皿による深い洞察を行うことが、自然となされていきます。

私の場合は、この感覚と、そして個性として備えている視覚とが、さらに結びついて、光って見える、という現象に繋がっているのだと思います。それと同じように、その人の個性による、さらなる結びつき=プラスアルファは、さまざまな形で、応用編として表れていくこともあるようです。

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2012年1月24日 (火)

「感情」と「思考」と「インスピレーション」は、「感性」という同じ装置から発揮される。

感情は、大きく極端なものになると、自分がそれに振りまわされて、消耗してしまうことがあります。しかし、極端になるとバランスが悪い、というのは、感情そのものが悪いのとは違います。

感情が豊かであることは、それだけ感性に深みが在るとも言えるわけで、発揮の仕方がふさわしいか否かは、その感情の「質」と「量」によるでしょう。適切な形で、感情を味わっていくほうが、人生を創造的に生きることができると思います。

しかし、過去に、自分の感情の大きさや不安定さにより、人間関係で失敗したとか、自分が消耗して調子を崩したなどの経験がある場合には、「感情が大きくなると、また同じようなことが起こって、苦しい立場になってしまう」という恐れの気持ちから、感情が出てくることを抑え込む意識が働きます。

誰でも、苦しいことからは、自分を守りたいですから、そういう意識が働くことは、ある意味自然なことと言えます。

しかし、感情を極端に抑え込んでしまうと、人生がとても平坦なものになり、無難ではあるけれども、メリハリやアップダウンがなにもない状態にもなりがちです。なぜなら、そうすると、抑え込まれるのは、感情だけに留まらず、必要な思考や、インスピレーションまでも、一緒に、抑え込まれて、発揮されにくくなるためです。

感情と思考とインスピレーションは、「感性」という、同じ装置を通して創造されていくものです。または、その装置を通して、受け止めるもの、でもあります。

そのため、感情と思考の分かれ目は判断しにくいですし、思考とインスピレーションを分けるのも難しく、ときに、これは自分の考えだろうか、それともインスピレーションといえるだろうかと、悩んでしまったりもするわけです。

「直感を受け止めるために、感情に振りまわされない自分になること」などと、直感が冴えるための状態を、表現することがあります。

それは、感情を抑えることで直感が発揮される・・・というのではなく、「感性の器」は、大きく広げて保ちながらも、器の中身として、感情に占有される比率を下げて、直感が入ってくる余地を確保しておきましょう、という意味であり、この方法は、実は結構難しい、上級編となります。

言葉だけ追えばもっともだと感じるとしても、よくよく考えてみると、「感性の器の広がりは保ちながら、その中身として、感情、思考、直感、その他があるうち、容積を取りがちとなる感情のみをコントロールして抑えていき、直感が入って来る余地をつくりあげる」って、難しいですよね;。

このようなコントロールが上手に出来る人も、もちろんたくさんいます。けれど、それができる感性がある人は、そもそも、「感情とは・・・直感とは・・・」という、仕組みの分析をあまり必要としないものです。すでにそれを感性で理解している人が、コントロールが出来るからです。

つまり、この説明が必要な人とは、現時点で、コントロールがうまく出来ない人、になります(通常、それが普通であり、コントロール出来ないから劣っている、というわけではないです)。

その状態の人にとって、「直感を受け止めるために、感情に振りまわされない自分になる」という取り組み方は、かなり敷居は高く・・・、感情を抑え込んでしまえばそれでいい、と解釈しがちになり、結果、先に書いたような、感情を悪いもののようにとらえて抑え込むことで、それと一緒に思考やインスピレーションも抑え込まれてしまうわけです。

自分を成長させようと取り組む際に、ここで、曲解による迷路に入り込んでしまう方は、少なくありません。

感情に振りまわされることは望ましくないとはいえ、過剰にならない適度に、適切な「質」と「量」で発揮されることは大切です。

そうすることで、「感性」という装置が活性されていき、同じ装置で創造されていく、思考やインスピレーションも、同様に活性されていくようになります。

そして、ある程度のレベルで、感性の装置が確立された状態になれば、そこからは、感性の器の中身を、感情の占める率を(必要があるならば)下げていき、理性的な思考(これは、雑念のことではありません)と、インスピレーションの比率を上げていく、という上級編の取り組み方が、出来るようになっていくでしょう。

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2012年1月16日 (月)

自分目線が強くなりすぎると、余計なお世話の押しつけになることもある。

窓から、たまに、近所のお宅で飼われている猫catを見かけます。しょっちゅう私のすんでいるマンションの敷地内で昼寝をしたりしているので、なんとなく気になって、外で猫の声がすると、窓辺にいって様子を見てしまいます。

何年も見ていますが、いつも警戒心&敵意いっぱいの目でこちらを見てきて、お世辞にも可愛げが在るとは言えない猫です;。

そのお宅は、どういう飼い方をしているのかよく分からないのですが・・・、かなり自由に行動させているようで、早朝(朝の4時、とか;)に、すでに外にいるのを窓から見かけることもありますし、夜の遅い時間にも、外で猫の声がしていることもあります。

さらには、「よそのお宅の玄関フード」の中で、よく見かけます。とくに、雨の日などには、雨宿りをしていたりします。玄関フードというのは、北海道ではおなじみですが、雪国で、玄関につけるガラス張りの風除室です。

自分の家は、すぐそこなのだから、家に帰ればいいのに、よそのお宅で雨宿りをするのはなぜなのか・・・、猫って自己中で気ままだなぁ;、と、そんなふうに思っていました。

あるとき、雨が降り出して・・・、窓の外から猫の鳴き声が聞こえました。その猫は、自分の家の窓に向かって鳴いていて、飼い主を呼んでいるのではないかと思えました。しかし、しばらくして、猫は、よそのお宅のほうへと歩いていきました。きっとまた、玄関フードに入っていくのだろうな、と思いました。まあ、雨の日でなくても、入っているのですけれど(笑)。

私はいつも、その猫の勝手きままブリに、びっくりさせられるのですが( ̄∀ ̄;)、このときは、ちょっとだけ、猫が気の毒になりました。もしかして、いつもこのように、雨が降って、家に入りたいと思っているのに、家族が気づいてくれないときに、しょうがなく、よそのお宅に入っているのかもしれません。・・・でも、雨でなくても、入っていますけれど(笑)。

その様子を見て、「私だったら、飼い猫が外に出ているときには、外の天気とかに敏感になって気にしているだろうな、雨が降ったら、呼ばれなくても探しに出るかもしれない。そもそも、あまり一人で外にださないだろう、早朝とか夜に、猫を外に出すのも(多分、猫が出たがるのでしょうけれども)、私ならしないのに」と、そんなことをふと思いました。

しかし、次の瞬間には、思い直しました。そんな考えは、飼い主にとっても、そしてなにより、猫にとっても、「余計なお世話」に違いない、と。

猫は、いじめられているわけでも、邪険に扱われているのでもありません。窓から見える様子では、とても家族にかわいがられて大切にされているように感じます。たまに、大声で怒られていますが、・・・そういうときは、あの猫がとんでもないいたずらをしているときだけです。

猫が、それを不満に思っているのならばともかく、その状態を含めて、受け入れているのかもしれないですし、雨に打たれることがあっても、自由に外に出してもらえる今の状況のほうが、好ましいのかもしれません。だとしたら、それを、他人が外からどうこうと批評する必要はありませんよね。・・・それに、避難場所も見つけてあるわけですし(笑)。

このような、自分目線での思いによる、相手への気遣いの気持ちから生まれる考え(のつもり)が、実は、余計なお世話になってしまうことって、日常に、よくあるものではないでしょうか。

たとえば、すでに決まったパートナーがいる相手に対して、「あの人を、一番よく分かってあげられるのは、私なのだから、私と付き合った方が、あの人は幸せになれるのに」とか、採用試験の場面で、「私には実力があるのだから、会社は、私を雇うべきなのに、なぜ、実力のない人が選ばれるのか。それは会社のためにならない」などと、思ってしまうことも、あるかもしれません。

その推察が、まちがっているとは言いません。もしかしたら、事実、そうかもしれないわけで、答えは確かめようがないけれども、可能性は否定できないです。

けれど、それを決めるのは、自分ではない、という状況も考慮していく必要があります。最初の猫の話でいえば、今の飼い方が居心地がいいか否か、かわいそうかそうでないか、というのは、無関係の他人である私が判断することではありません。(あきらかに虐待されているとかのケースは、また話が別ですが)

それと同じように、どんなパートナーを選ぶか、という点は、相手の人の意思が関わるのであり、客観的にみて幸せではないタイプを選んでいたとしても、そういうパートナーを選んでいるのは、相手であり、そこは、他人が干渉することは難しいものです。

企業の採用試験でも、どの点を重視して採用基準を設けるかは、企業の自由であり、必ずしも実力が一番の人が選ばれるとは、限りません。仕事はそれほど目立ったものがなくても、平均的であればOK、人間関係で揉めそうもない穏やかな人を採用したい、と思う場合もあるでしょう。

他人からどう思われるかを気にしすぎるとよくないですが、何でも大切なのは、ちょうどよいバランスであり、他人目線になることも、ときには必要です。そういう視点を持たずに、自分目線だけになってしまうと、よかれと思っての厚意や気遣いのつもりが、相手にとってみれば、見当違いの「余計なお世話」「厚意の押し売り」になってしまうことも考えられます。

そうすることで、結局、自分が傷つくことにもなります。もっとこうすべきなのに、そのほうがいいのに、という前提があれば、期待してしまいますし、(そのように行動しない)相手に対して憎しみが生まれたりもします。それらはすべて、自分が関わる人間関係に陰を落とすことになります。

自分の意思も大切にしつつも、相手の立場や自由意思にも配慮する、という、バランス感覚がある人が、よい関係を作っていけるし、自分も余計なストレスを抱え込むことから解放されていくと思います。

・・・ちなみに、その猫がよくひなたぼっこをしている、よそのお宅の玄関フードですが、いつも、15cmくらいドアが開いています。もしかすると、そのお宅でも、「あの猫がくるから」、と、わざわざ開けているのかもしれません。だとしたら、私の思い込みは、本当に大きなお世話といわざるを得ません(笑)。

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2012年1月12日 (木)

健康の基本は食事にあり。

こころの状態も含めて、心身のどこかに不健康や不調和がある人は、食事の内容が健康的で調和がとれたものになっているかどうかを顧みることは大切です。

健康の基本は、食べ物から必要な栄養をとることと、必要な栄養をとりいれることを阻害する要素、たとえば、過剰な添加物、過剰な精製による白い砂糖、ジャンクフードの取りすぎなどに気をつけることをまず考えてみてください。

どんなにすばらしい運動やその他の療法を取り入れても、食事が適切でなければ、良い効果はでにくくなるでしょう。

とくに、あきらかな不調を感じている人は、まずは、ご自分の食生活を見直してみることをお勧めします。

よく眠れないとか、不安でいっぱいになる、ネガティブなことばかり考えてしまう、あせりでいっぱいになる、と、悩んでいる方たちの大部分は、食生活が整っていないはずです。(少なくとも、私がいままでご相談を受けた方たちは、そうでした) そういうこころの状態もまた、食事と関連していることが少なくないのです。

ところが、そういう方たちに、食事を見直すことを提案しても、なかなか、その気にになっていただけないこともまた多いです。

こころも含めた心身の不調の改善方法として、食事や生活習慣と絡めて考えることができにくいのは、多くの人たちが、「若いころの感覚」をそのまま、今の自分に当てはめているためです。

なぜなら、以前は、食事に何も気を使わなくても、今よりずっと健康で元気だったのに、という気持ちがあるからです。ならば、食事や生活習慣が原因で、今の不調が生まれたのではないはず(なぜなら、以前と同じ生活を続けているのだから)、きっと、それ以外の、理由がほかに存在するはず、という前提で考えてしまうので、食事や生活習慣という日常のことに、改めて配慮するのが面倒に思えてしまうのです。

そういう日常の習慣などではなくて、もっとインパクトのある、「原因」となる何かが存在するはず、と思ってしまうので、トラウマだ、カルマだ、と、難しい単語を当てはめたくなり、逆に、考えすぎの迷路に入り込んでしまうのでしょう。

しかし、基本となる大切な要素を、まずは考えていくことが大切です。

そこに思い当たる原因がなにもない、となってから、初めて、それ以外の選択肢に可能性を考えてみるという順番で十分であり、基本から目をそらして、面倒で細かいことに気を配るのを避けたい、という考え方では、不調和は改善しないと思います。

若いうちは免疫や基礎代謝も高いので、少しくらい乱れた生活をしていても、体力でなんとかなっていくのですが、その頃がいつまでも続くわけではないので・・・、大人になった今の体力を、同じに考えることはおかしいのです。しかし、同じ感覚で捉えてしまうものなのですよね・・・。

体力の低下は、ゆっくりとなされていくので、「そういう視点で考えてみる」ことを、意図的に行わないと、なかなか、意識を切り替えることができません。

こころの状態も含めて、不調和がある場合は、まずは、基本の食事内容や生活習慣から見直していくことが、改善への一番の近道になっていくと思います。。

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2012年1月 5日 (木)

動機(原因)にふさわしい結果が出る~カルマの法則

自己中心的だったり、物質的価値観に偏りすぎた動機から、行動を起こすと、だいたい、そのことは、思うような結果が出ないことが多いものです。

「自己中心的な動機で行動すると、自分が思うような結果がでない」わけですが、これは言いかえれば、「自己中心的な動機で行動すると、自己中心的な動機のとおりに結果が出る(うまくいかない)」ことになります。

原因があって、それに見合った結果が出る、その結果に至る要因が必ず存在する、というカルマの法則に基づけば、それは、わかりきったこと、ともいえるのです。

表面だけみれば、思い通りにならずに、失敗したように思えても・・・、それは失敗でも、思い違いでもなく、方程式にのっとった出るべき答えが出たわけです。

人は、ついつい、自分に甘くなり、本当はとても自己中で物質的価値観に基づいた動機を、理想やきれいごとのオブラートにくるみ、正当化したくなります。対外的に、ではなく、自分自身にたいしても、です。

けれど、カルマの法則は、絶対の法則ですから・・・、動機にふさわしい結果が必ず導きだされる仕組みになっています。

仮に、そのときは、一時的にうまくいっているように見えても、ずっとその状態が続くとは限らず、先の時期になれば、気づかされ、学ばされる出来事が降りかかってきたりすることが多いものです。

自分を見る目は甘くなりがちで、動機を客観視することは、なかなか難しいものですが、その行動の結果がすべてを物語ります。

思い通りになるか否か、ではなく、「動機にふさわしい結果が出る」という観点から、逆算して分析することもできるのです。

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2012年1月 2日 (月)

人づきあいが苦手な場合の、自己分析のしかた。

人付き合いが苦手な人の多くは、たとえば「私は、人と接するのが苦手だから」などのように、かなりあいまいな分析をするにとどまり、その先を考えてみることがないためなかなか改善に至りません。

人付き合いが苦手 → 人と接するのが苦手 これでは、単語を置き換えただけで、ほとんど何も分析がなされていません;。

人と接するにあたり、「何が」苦手なのか を、自分が把握しなければ、分析にならず・・・、分析ができなければ改善のための方法が見つかりにくく・・・、何をどう行動していけばいいのか分からないと思います。

人と接するのが苦手な人は、「相手との距離感が計れない」「自分の立ち位置が分からない」この2点が、うまく出来ないため、苦手意識が生まれてしまうケースが多いです。

つまり、相手のことが分からないか、自分のことがわからないか、もしくはその両方があてはまる人が、このような悩みを抱えます。

自分で自分がわからなければ、相手との距離感もつかめず、そうすると相手の思いを察することもできず、ふさわしい話題を選ぶことも、ふさわしい振る舞いをすることも難しくなります。

分析をするときには、「あれが嫌だ、これが苦手だ、なぜだろう」、という、単純な疑問にせずに、その事柄のどんなことが苦手なのか、どのように(うまくできないので)嫌なのか、という掘り下げをする思考の習慣をつけることが大切です。

まずは、自分が自分をわかっているか、という点を考えてみてください。そこがあいまいになっていれば、最初に取り組むべきことは、自分自身を見つめることです。

自分をわかっているけれども、人付き合いが苦手な人は、相手のことを理解する力、察する力があるか、という観点から考えてみましょう。人を観察する習慣をつけてみてはどうでしょう。

どちらもわかっているけれども、自己表現やアピールが苦手だ、という場合であれば、自分の出し方のさじ加減や、相手に自分のどんな部分を出すのがふさわしいかを計るという、フレキシブルな工夫が必要となるでしょう。

多くの人は、ここまで深くは、なかなか考えないものです。考え方がわからない、というのもあると思いますし、いっぱいいっぱいになってしまって、余裕がなく、視野が狭くなっているからでもあると思います。

人間関係というのは、「自分」と「相手」との、「間」に作られていくものです。

つまり、人間関係が苦手であれば、「自分」か「相手」か「その間(の距離感等)」のどれかを、把握することや察することが苦手だ、ということですから、ひとつひとつ、要素を分析していくと、範囲を絞り込んでいくことができると思います。 。

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