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2011年12月 6日 (火)

スピリチュアルな考え方、スピリチュアルな生き方、とは。

スピリチュアル、というのは、「霊的な」「精神的な」という意味を表す単語です。

物事をスピリチュアルな観点から考える、ということは、霊的、精神的な意味を含めて、その場限りの限定された意味だけではない、個人的な欲を超えた「愛」で理解し、たましいの成長につなげていく考え方になります。

狭くとらえ過ぎると、(スピリチュアルを深く理解しようとしているはずなのに)、逆に、解釈に乖離が生じますので、気をつけなければなりません。

たとえば、苦しいことがあったときに、「今は苦しくても、この努力が今の自分には必要であり、学びになるのだろう」という考え方で、取り組んでいくことが、スピリチュアルな観点を含めたとらえ方になると思います。

仮に、苦労や努力の結果、表面だけを捉えれば、必ずしも、自分の望むとおりにはならなくても、努力の過程でさまざまな技能が身につくこともあれば、人間関係が増えることもあれば、得られたものは、自分が注いだ労力と同じかそれ以上のものがあるはずなのです。霊的な考え方、スピリチュアルなとらえ方というのは、そういうことを指します。

目に見えないことを題材にすれば、それがイコール=スピリチュアル、なのではありません。

スピリチュアリズムに興味がある方の中にも、「霊のことや、守護霊や前世やオーラといった、通常、目に見えないことを絡めて考えれば、それガスピリチュアルだ」、というふうに、思い込んでいる方が少なくありません。

スピリチュアリズムというのは、私たち人間もまた、(肉体を持った)霊的存在であり、霊的存在だからこそ、霊的要素の関与を受ける、という前提があっての哲学です。

自分もまた霊なのですから・・・、「霊的な=スピリチュアルな考え方、とらえ方」というのは、自分自身の「霊性」のあり方、とも言えます。

たとえ、話題にしていることが、霊のことや、目に見えないことであっても、○か×か、という狭い範囲の、限定された定義の付け方で考えていたり、守護霊は自分に楽をさせてくれる便利な存在だと思っていたり、というような、短絡的なとらえ方をしていて、自分の霊性を考慮しないのならば、その考え方は、スピリチュアルな考え方とは言えないでしょう。

私たち人間は、本質は霊なのですが、肉体という物質をもって、この物質界に生きて、学びのための経験をしています。

ですから、人間とは、霊でもあり、肉体でもあり・・・、それらの要素が相互に作用しあって、人間として成立しています。

肉体を伴っている私たち人間という存在は、スピリチュアルに物事をとらえて生きていこう、としても、それは、肉体を伴った上でのことなので、どうやっても、霊だけ100%になることはできません。

私たちは、霊的な感性をもちながら、この世という物質界で、肉体という物質を伴って生きているのですから、「この有限の物質界の中で、無限の霊的叡智を活かすこと」、これこそが、私たちにとっての、スピリチュアルな生き方、だと思います。

目の前のこと、日常のこと、この物質界で展開する、さまざまな出来事について、霊的な解釈で立ち向かっていくその姿勢こそが、たましいの成長につながることであり、私たちが心掛けていかなければならない、スピリチュアルな生き方、なのです。

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