« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月の17件の記事

2011年12月30日 (金)

苦難は、感性を磨いていく。

あくまで、私の場合は、という限定の話で、万人に共通するわけではないと思いますが・・・、私は、とても大きな困難の先に、霊感の飛躍的な向上があったと、過去を振り返ってそう思います。

霊感は誰にでもある資質であり、特別なものではありませんが、そのあらわれ方は人の数だけ違いがあり、直観的なものを備えている人もいれば、芸術センスとして備えている人もいれば、見える聞こえるという、いわゆる霊能力的な形として発揮されることもあります。

私の強い霊感も、(数年前まで、全く自覚がありませんでしたが;)今考えてみれば、これは生まれつきのものであり、突然に降ってわいたわけではありません。

けれど、あらゆる形で表れるものである霊感のうち、リーディングを行うのに適している霊感が磨かれていった過程は、いつも、大きな苦難とともにあり・・・、苦難を乗り越えていった先に、ごく自然に高まっていったというか、「リーディング向き」の資質が形造られていったように思えます。

その苦難を経験することや、乗り越えていくという出来事そのものが影響しているということではなく、経験して乗り越えていくにあたり、私が身につけていったさまざまな知識やプロセスを知ることや実践することが、実は間接的に、霊感の伸びに影響していくという形になることが、過去を振り返るととても多いと感じるのです。

ひとつは、以前の仕事を辞めて、今の仕事に踏み切るきっかけになった、腹腔鏡手術という簡易な手術で入院をした経験でした。

病気が見つかり、私は、今までの食事やライフスタイルを見直していくことになりました。誰にそうしろといわれたわけでもなく、その病気も、食事や生活習慣で作られるものというわけでもないのだけれど、ごく自然に、ホリスティックな観点からのこころがけに意識が向いていきました。

ブログでも書いている、食事や健康の知識は、そのときから学びがスタートしたわけです。

その結果、私の食生活は、ヘルシーとは程遠いものだったことが、自覚できました。そのときまで、私は、あまりグルメに興味もなく、食べ歩きもしない、肉食も少なく、とても健康的な食事をとっていると思い込んでいました。

ところが、添加物やミネラルや酵素の働きを知っていくと、その思い込みは大間違いだったことが分かったのです。(といっても、その時の病気は、食事の影響で発生したとは思いませんが)

そこで、できる範囲で、食事を変え、知識をつけ、たくさんの本から理論を学び、実践することでフィードバックを得ていきました。知識を得て、自分も体感することで、ご相談者さまの健康について、透視的に把握できることが増えていきました。

そこは、自分が知っていることで把握できる、つまり、知らない英単語を聞き取りできないように、自分が知らないことは(関連がわからないので把握できないために)見えにくい、知っていると見えやすい、という違いがあることがわかってきました。

そして、何より、私が健康になったと思います。健康になると、それだけ、霊的な活力もみなぎってきて、霊感が全般的にさえてくるようになりました。何より、このことが一番の底上げになりました。

この病気と手術を経験した、という出来事そのもので高まったということではなく、出来事を乗り越えるために身に付けた知識や経験が、間接的に自分の力になっていった、ということです。

そのような繰り返しが幾度もあり・・・、今に至っていると感じます。

今、私は、骨折で手術をして入院していますが、この経験も、(骨折というつらさを経験した、という意味ではなく)きっと、今までの例からすれば、私が身につけていく何かがあって、そして、その経験により、私は、精神的に成長することができるのかもしれません。

私は、今までの人生全般も、そしてこの仕事を始めてからもそうですが、何か関わりをもっていることが、少し軌道にのって、一息つけるようになると、それがすべて根底からひっくり返されるような出来事が起こって・・・、また、別の学びをさせられていくという、ものすごいアップダウンと苦難の連続があったと思います。

今回の出来事もそうです。そして、起こったことはしょうがないし、このような学びをしていくことを、半分くらいは納得して受け入れてもいますけれども、仮に、この後、何かの得るものがあったと実感できるとしても、一連の経験を、こうなってよかった、とは、あまり思わないことでしょう。正直な気持ちを言えば、そんなのは何もいらないから、できるならば、12月4日に戻してほしいくらいです。

でも、時間を戻すことなどできるはずもありませんし、起こったことは必然として受け入れていくしかありません。

今読んでいる本や、病院で経験している医学的なことや知識は、きっと、間接的に、未来の私にとって、役に立っていくのではないかと、そのように前向きに考えるようにして、日々を過ごしているところです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (5)

2011年12月28日 (水)

過去を、「エネルギー」として透視的に読み取る。

私は、それほど霊視や透視力が優れていませんので;、過去の出来事を、すバリその場面を見るようなことは、あまり得意ではありません。できるときと、できないときのバラつきがあります。

なので、過去を読み取るときには、具体的な出来事の透視ではなく、「エネルギーそのものの透視」というか、いつ頃の時期に、(具体的に何があったか、ではなく)とても大きな精神的負荷がかかるような何かがあった、とか、逆に、とても喜びが大きい時期だった、とかの、流れを読み取るようにしています。

たとえていえば、それは、エネルギーの「グラフ」のようなものを、読み取る感覚と近いかもしれません。

ただ、そのエネルギーの流れには、数値のグラフのような基準値がありませんので、便宜上の基準を設けることで、時間の流れを把握するわけです。

以前に、未来を予知することが難しい理由のひとつとして、あちらの世界には、こちらの世界のような時間という感覚がないので、いつ何が起こるかという、こちらの世界の尺度とのすり合わせが難しいためです、という内容で、記事を書いたことがあります。

その際に、便宜上、今このときを「ゼロ」という基準点として、前後左右をはかっていくようなものだと説明したと思います。

今回の、過去についてのエネルギー透視的に把握する際も、それと同じで、今をゼロとした基準を設けたとしたら、という前提で、過去を(エネルギー透視的に)さかのぼっていきます。

そのため、私のリーディングで、それらに触れる場合には、「だいたい、今から何年前くらいに○○・・・?」というような、今を基準とした、今からさかのぼった形式での伝え方になっているのです。

同じようなリーディングを行いたい方がいるかもしれませんので、ちょっと、そのためのコツのようなものをお伝えするとしたら、このときの感覚というのは、今を基準とした、再生の「巻き戻し」ようなものと、ちょっと近いかもしれません。

なので、この感覚を練習するとしたならば、たとえば寝る前に、今日起こった出来事を、朝から順番に・・・ではなく、夜(今)から、巻き戻すかのように、順番に思い出していくようなことも、多少効果があるのではないかと思います。

そのときの、「感覚」を練習して体感しておくと、後で役に立つこともあるかもしれません。私は、そういう練習からできるようになったのではないので、あくまで、私の感覚でしかないのですが、これらのことは「似ている」ことは確かです。

ただ、スピリチュアルリーディングというのは、手順や技法でできるのではなく、その人独自の霊的な資質によってなされていくものなので、方法というのは、一律にはできず、私のやり方は、あくまで、私が、私の資質に合わせて作り上げたものですので、このとおりにやれば、私と同じことができるとは限りませんし、それが正しいとか近道だとかいうことでもありません。

その人独自の、ふさわしいやり方が、人の数だけ存在すると思います。

私もいつかは、この方法を使わなくなるかもしれませんし、・・・すでに、最近はあまり使っていませんが、ふと思い出したので、書いてみました。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年12月25日 (日)

入院記(2)

病院に着くまでの、ほんの数分が、とても長く感じられました。これから、どうなるのだろう・・・と、ぼんやりと考えながら、しかし、私も混乱していたと思います。そして同時に、不思議なくらい落ち着いてもいました。

病院につき、レントゲンを撮ったところ、右足の付け根の、粉砕骨折で、3か所くらいが折れていて、そのまま固めているだけでは骨がつきにくいので、手術になる、ということでした。(それは、その場で説明されたのではなく、後で説明されたのですが)

靴はなんとか脱ぐことができましたが、洋服は脱ぐことができずに、すべてハサミで切ってもらいました。レントゲンも激痛でした。

痛みは、骨が折れているから、というよりも、折れた骨が筋肉で引っ張られるために、→← と、圧力がかかって、骨が引き寄せられてずれてしまうことからの痛みだそうで、病室に運ばれてからは、足に(動かないように)おもりをつけて牽引してすごしました。

ほんのちょっとでも動くと激痛、寝返りも打てず・・・、着替えや、体を拭いたり、足に血栓予防の器具をつけたりするたびに、とんでもない痛みが走ります。

「とんでもないことになったな・・・」と、思いました。

そして、手術は、すぐには行わない、とも聞きました。はっきりいって、整形外科の手術は、一刻を争うようなものではないので・・・、5日に入院して、9日に手術になりましたが、それでも、救急の患者としては早いほうだそうで、もっと待つ場合もあるとのことでしたから、そこは仕方がありません。

しかし、私にとっては、長い長い4日間でした。

この4日間が、私にとって、一番つらい時期でした。あらゆる意味で、精神的にも肉体的にも、本当につらかったです。

12月9日、手術の日、ちょっと不安や心配はあったけれど・・・、しかし、これで、多少、この痛みから解放される、というほっとした気持ちのほうが強かったです。

前日に、術前のシャワーを浴びましたが、というか、私は寝たままで、洗っていただいたのですが、この、シャワーようの台に、ベットから移動するのが一苦労、私は大騒ぎをして・・・、看護師さんが4~5人で、やっと移してもらいました。

そして、当日の、術前の麻酔、麻酔そのものは問題ないですが、背中に麻酔をするので、横向きになって、背を丸める体制になる必要があり、これまた激痛で・・・、運ばれた直後のレントゲンを撮る際、そして前日のシャワー、当日の麻酔、この3つが、肉体的な痛みとしては忘れられないくらいの、厳しいものでした。

精神的には、つらく感じたことはたくさんありましたが・・・、それについては、あまり書きたくないのと、その時の気持ちを、どんな言葉で表すことも難しく、どのように書いても、言葉に置き換えた瞬間にそれが別物になってしまう気がするので、控えることにします。

手術は、3時間ほどかかりました。

当日は、家族が来ていましたが、さすが私の家族で?、3時45分に、「あ、今、手術が終わった」「4時10分くらいに、出てくる」と、自然に口から言葉が出てきたそうでsweat02、実際に私は、4時過ぎに手術室から出てきたのだそうです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年12月23日 (金)

オーラの色による、相性は存在するか?

たまに、主に恋愛のご相談などで「オーラの観点からみて、自分と相性がいいオーラの相手とは?」という趣旨のご質問をいただくことがあります。

オーラの観点から、という前提が、オーラの色別で、「あなたのオーラは○○色だから、相性のいい恋愛の相手は、○○色の人」というような内容をさしているのだとすれば、それは、オーラやスピリチュアリズムの解釈が十分でなく、まるで、占いかクイズのように、とらえてしまっているために出てくる質問だと思います。

オーラとは、その人自身の反映です。人の性格や性質は、とても複雑なものなので、その反映であるオーラの様子もまた複雑です。オーラが一色の人はいませんので、血液型や星座や生まれ月のように、唯一無二に定義されるものではありません(星座等の占いを否定しているわけではありません。)

たとえば、オーラの色が「青と赤」の人が二人いたとして、色の濃さや、色の比率や、オーラの形状や明るさなどが違えば、その二人の性格は、あまり似ていないと感じられることもあると思われます。

そのように考えれば、オーラの色別で、何色の相手と相性がいいか、などの定義や区分けは、無理があるとわかると思います。

それに、自分と似た要素のある相手に安心を感じて好意に結び付く場合もあれば、違いに刺激を感じて興味がわくこともあり、とらえ方はそれぞれですから、何をもって「相性がいい」と定義するかも難しいですよね。

色別の区分けで捉えたいという気持ちになるのは、そのほうが簡単だからです。人は、難しいことよりも、簡単なことを選びたいものです。それぞれの相手の個性をそのまま受け止めるよりも、数種類の色で当てはめて定義するほうが、とても簡単ですから苦労しなくてすみます。

つまり、オーラの色別相性などを知りたいと考える人は、相手のことを理解することや、察することが苦手で、人間関係がうまくいかない人に多いのです。それをカバーするために、何かの手がかりとなるものが欲しくなることは理解できます。

しかし、考えてみていただきたいのは、仮に、百歩譲って、オーラの色別相性というものが存在するとして・・・、自分のオーラは、オーラ透視者や霊能者に聞けばわかるでしょうけれども、「あなたのオーラには、赤いオーラの相手がいいでしょう」という場合に、どうやって相手のオーラを知るのか、ということです。

誕生日や血液型は、何かの拍子に知ることができる情報かもしれませんが、他人のオーラの色は、そうはいきませんので、その時点で、「オーラの色別相性」というものが、ほとんど実用的ではない、ということにならないでしょうか。よくよく考えてみれば、なにか辻褄があわないことが分かると思うのです。

人間関係というのは、とても難しい、複雑な学びですから、単純な定義で捉えようとしても、むしろ曲解につながってしまい、前進しません。

人としての器が大きい人は、オーラの色が何色でも、どんな人とでもそれなりに合わせていくことができます。合わせていくことができないのは、オーラの色の相性が悪いから・・・ではなくて、自分の人間関係の構築力やコミュニケーション力が不足しているからです。

まず、そのことを認め、自分の感性を磨く努力をしていけば、人間関係は変わっていきます。そうすれば、オーラの相性、などというものをあえて考える必要もなくなります。

自分自身のことや、スピリチュアリズムを理解するために、オーラは、イメージしやすいので解釈を助けますが、しかし、狭い定義をつけてしまうと曲解につながります。オーラは、その人自身の反映ですから、人の存在が単純ではないように、オーラもまた単純ではありません。

オーラの色別の「特徴」が存在することは確かですが、複雑な特徴を、「相性」という一言にまとめるのは無理があります。

人とは複雑な存在で、相手もまた(人として)複雑な存在で・・・、それが掛け合わされて構築されるのが人間関係なのですから、狭い定義にとらわれずに、自分と相手というオリジナルの関係性を見つめていくようにしましょう。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (1)

2011年12月22日 (木)

先祖霊からの励まし?

私のいる病室は、4人部屋です。お向かいにいるお姉さんと私は、同じ日に、転倒して骨折し、救急車で運ばれてきました。(その日は、この病院が、当番病院だったためです)。

手術前は、私は、全く起きあがることができませんので、その方のお顔もよく見えない状態だったのですが、毎晩、消灯後に、小さな女の子?のような姿の霊が、そのお姉さんに、サンドイッチを手渡そうとしているような様子が見えました。

私も、気持ちに余裕がない状態であり、それが何なのか、何が見えているのか、あまりよくわからなかったのですが・・・、そして、そんなことをいちいち口に出したりしないほうなので、確認しようもなく、何かが見えてはいるけれども、その解釈はわからないままでしたが・・、

ある日、その方が、看護師さんに、「私、朝食はパンのほうがいい」と、おっしゃっているのを聞いて、ああ、この方は、パンが好きなのかぁ〜、ということは、きっと、その方のご先祖霊などのどなたかが、お姉さんを励まそうと、(好物である)サンドイッチを差し出していたのかな・・・、などと、そんなことを思いました。

そのご先祖霊が、お姉さんを励まそうとしていた様子を、私がたまたま、夢うつつで霊視してしまった、ともいえますが、「私に、そのように、(夢うつつの中で、というシチュエーションも含めて)見せてくれた」ようにも、今になって考えれば、そう思います。

その霊が、私に学びを与えてくれた、というよりは、それらの状況をある意味利用して、私の守護霊が、私の学びを構成してくれているのではないかな、と。

具体的に、その件が、私にとって、どんな学びにつながっているのか、というのは、現時点では、わかるようなわからないような?なのですが・・・、しかし、サンドイッチを差し出している様子があり、その後、お姉さんと看護師さんとのやりとりで、パンに意味があったらしい、という解説が間接的になされているわけで・・・、

それがどんな意味があるのか、というのは、何度も書いているように、いちいち、その場で、守護霊が教えてくれたりはしないので(それは、さまざまな経験を通して、自分が気づいて学ぶことです。誤解、曲解があり、正しい解釈になっていないとしても、それも含めての学び、ですから)、現時点では、私なりの考えでしかないのですが、

今、思い当たることといえば、私は、今まで、あまり先祖霊のリーディングというのは、行ってきませんでした。

守護霊というのは、進化向上したスピリットが担ので、守護霊の何かにより、私に負荷が掛かるようなことはないですが、(霊査をする際の、霊的活力の消耗は別にすれば、という意味です)、先祖霊の場合は、浄化の度合いはまちまちですので・・・、場合によっては、私が、ひどく影響されて消耗することがあります。

なので、先祖霊のリーディングは、今まで、試みることがほとんどありませんでしたし、どちらかといえば避けてきました。経験が少ないので、正直、私は、先祖霊の霊視が、できるのか、できないのかも、あまりよくわかりませんsweat02

もちろん少しくらいは、できるでしょうけれど・・・、ここでいう先祖霊のリーディングとは、容姿や特徴を含めて、ご相談者さまに証明できる形で、私のほうから一方的に伝える形式のものを指します。

で、もしかすると、今、先祖霊のリーディングの、方法とか、そういうものを、みなさんの状況をお借りして、私自身が、構築している最中なのかな、と。そんなふうにも、少し思いました。そういう状況になったのは、現時点で、私が認識しているものは、そのとき一回だけなのですが・・・。今後、何かの意味を持つのかもしれません。

追記〜この手の霊的な内容を書くと、いろーんなかたたちが集まってきてしまうものです。題材に取り上げて書くだけでも、相応に影響はうけます。ここは病院ということもあり、また私の体力も低下していますので、退院まで、霊な話題はやめておきます。今回うっかり書いてしまいましたが、当分書きませんsweat02

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (1)

2011年12月21日 (水)

入院記(1)

推敲せずに書くので、かなり内容が前後してしまうと思われますが、現時点で少し、転倒から今までを振り返ってみようと思います。

実は、半年くらい前から、なんとなく、根拠もなく・・・、手か指を怪我するのではないか、という強烈な不安が、たびたび押し寄せてきていて、刃物を使うときなど、背筋がゾクっとするような感覚を味わっていました。

それは、今にして思えば、ある種の予知のようなものだったのかもしれません。そういうことって、起こってからわかることなので、あくまで、自分なりに「すぎてみて、今の観点から振り返れば」でしかないわけで、実際のところは、わかりません。

そして、こういうことには、後ろの方は、イエスかノーか、なんて答えません。

また、今回の件のようなことがあれば、後ろの方は、災難を除いて守ってくれるような、魔法使いのような存在ではないこともわかると思います。過去に何度も書いていることですが、霊感があったからといって、苦難を除いて面白おかしく過ごせるわけではないのです。それができるならば、私は、こんな目にあうこともないでしょう。まず、この点を、しっかりとお伝えしたいと思います。

その日、道路は、前日の雨で溶けた雪が氷になり、つるつるの状態でした。しかし、まさか自分が転んで骨折するなどと、夢にも思っていませんでした。

いつもいく近所のお店の、駐車スペースとつながっている歩道もまた、つるつるの状態でした。

前日に買った、滑りにくい底の靴を履いていた私は、どこか油断していたのでしょうか、足を取られて、おもいっきりひっくり返りました。頭を打たなかったのが奇跡だというくらいの派手な転び方をしたと思います。

通りかかった数人の男性が、私を抱えて起こそうとしてくれたのですが、まったく立ち上がることができないので、すぐに救急車が呼ばれました。

私の住んでいるところは、札幌医大のすぐそばですので、病院がたくさんあつまっていて、救急車もほどなく到着し、整形外科のある病院に搬送されました。

その時の私は、足の痛みと、やっちゃったな・・・という気持ちと、これからどうしたらいいんだろう、という、いろんな感情が頭の99%を占めていましたが、そのうち、1%だけ、別のことを考えていました。

数か月前から、中国では、救急車が有料のため、けが人を見かけても第三者が勝手に呼ぶと、支払いをめぐってトラブルになってしまうことがあるとかなんとか、そんなニュースがいくつか流れていたと思います。

そのことを思い出して・・・、「日本という国は、なんていい国なんだろう、こうして、見ず知らずの人たちが、たくさん集まってくれて、救急車を呼んでくれて、そして、すぐに救急車が来てくれる・・・。」

車に乗せられ、救急隊員の方が、集まってくださった市民の方たちに、「みなさん、ご協力ありがとうございました」と頭を下げてくださり、皆が、自然にその場から去っていく様子を、ぼんやりと見ながら、この日本という国の秩序と国民性に、「美」を、感じて、涙しました。

救急車にのり、当初、伊藤整形に行くから、と、電話で連絡をとりました。場所がら、病院が密集している場所で、伊藤整形は、かなり有名な病院です。しかし、女性用のベッドの空きがないから、ということで断られてしまい、その日の救急の当番病院に行くことになりました。

そちらは、奇しくも、私が、以前の仕事を辞めて、この仕事に踏み切るきっかけとなった、腹腔鏡手術を受けた、同じ病院でした。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (1)

2011年12月18日 (日)

手術が終わりました。

12月9日に、3時間に及ぶ手術が終わりました。今も入院し、治療とリハビリの毎日です。少なくとも、術後8週間は入院になりそうですので、1月中は、リーディングはお休みをさせていただきます。

たくさんのコメントありがとうござます。個別のお返事はできませんが、コメント内容はケータイからよませていただいています。ありがとうございます。PCメールにいただいたメールは、チェックできていないので、お返事を出せないことをご了承くださいませ。

もう少し元気になれたら、病室から、たまに、近況その他をご報告できるかもしれません。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★12月5日に、雪道で転倒し骨折、救急車で運ばれ、手術をして、現在も入院中のため、リーディングの受付は休止中です。

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。(休業中ですが、投票にご協力いただけましたら幸いです)

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (13)

2011年12月 6日 (火)

重要:休業のお知らせ

昨日、雪道で転倒しまして、救急車で運ばれ、そのまま入院しました、

足の付け根を骨折しており、位置的に、そのままではくっつきにくい場所なので、手術になるそうです。

今のところ、予定では、年内の退院は無理そうで、1月になりそうです

それまで、すべての業務をお休みさせていただきます。メールも拝見できません。今は、パソコンを持ち込んでとりあえず連絡の記事を載せていますが、HPの更新もできませんので、おしらせは、この記事のみとなります。

とつぜんのことで、私もまだ気持ちが落ち着いていませんが、

これもまた、学びだと気持ちを切り替えて前を向いていこうと思います。・・・が、なかなか、それもつらいのですけれども・・・・、起こってしまったことは受け止めるしかないので、これから手術とリハビリをがんばっていきます。

次回、退院するまで更新できませんので、よろしくお願いいたします。

皆様、よいお年をお迎えください。

リカコ

| | コメント (39)

スピリチュアルな考え方、スピリチュアルな生き方、とは。

スピリチュアル、というのは、「霊的な」「精神的な」という意味を表す単語です。

物事をスピリチュアルな観点から考える、ということは、霊的、精神的な意味を含めて、その場限りの限定された意味だけではない、個人的な欲を超えた「愛」で理解し、たましいの成長につなげていく考え方になります。

狭くとらえ過ぎると、(スピリチュアルを深く理解しようとしているはずなのに)、逆に、解釈に乖離が生じますので、気をつけなければなりません。

たとえば、苦しいことがあったときに、「今は苦しくても、この努力が今の自分には必要であり、学びになるのだろう」という考え方で、取り組んでいくことが、スピリチュアルな観点を含めたとらえ方になると思います。

仮に、苦労や努力の結果、表面だけを捉えれば、必ずしも、自分の望むとおりにはならなくても、努力の過程でさまざまな技能が身につくこともあれば、人間関係が増えることもあれば、得られたものは、自分が注いだ労力と同じかそれ以上のものがあるはずなのです。霊的な考え方、スピリチュアルなとらえ方というのは、そういうことを指します。

目に見えないことを題材にすれば、それがイコール=スピリチュアル、なのではありません。

スピリチュアリズムに興味がある方の中にも、「霊のことや、守護霊や前世やオーラといった、通常、目に見えないことを絡めて考えれば、それガスピリチュアルだ」、というふうに、思い込んでいる方が少なくありません。

スピリチュアリズムというのは、私たち人間もまた、(肉体を持った)霊的存在であり、霊的存在だからこそ、霊的要素の関与を受ける、という前提があっての哲学です。

自分もまた霊なのですから・・・、「霊的な=スピリチュアルな考え方、とらえ方」というのは、自分自身の「霊性」のあり方、とも言えます。

たとえ、話題にしていることが、霊のことや、目に見えないことであっても、○か×か、という狭い範囲の、限定された定義の付け方で考えていたり、守護霊は自分に楽をさせてくれる便利な存在だと思っていたり、というような、短絡的なとらえ方をしていて、自分の霊性を考慮しないのならば、その考え方は、スピリチュアルな考え方とは言えないでしょう。

私たち人間は、本質は霊なのですが、肉体という物質をもって、この物質界に生きて、学びのための経験をしています。

ですから、人間とは、霊でもあり、肉体でもあり・・・、それらの要素が相互に作用しあって、人間として成立しています。

肉体を伴っている私たち人間という存在は、スピリチュアルに物事をとらえて生きていこう、としても、それは、肉体を伴った上でのことなので、どうやっても、霊だけ100%になることはできません。

私たちは、霊的な感性をもちながら、この世という物質界で、肉体という物質を伴って生きているのですから、「この有限の物質界の中で、無限の霊的叡智を活かすこと」、これこそが、私たちにとっての、スピリチュアルな生き方、だと思います。

目の前のこと、日常のこと、この物質界で展開する、さまざまな出来事について、霊的な解釈で立ち向かっていくその姿勢こそが、たましいの成長につながることであり、私たちが心掛けていかなければならない、スピリチュアルな生き方、なのです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

瞑想をすると、雑念だらけになってしまう?

瞑想をしようと、静かな環境で目を閉じ、リラックスして、頭の中から思考を離して・・・となるはずが、次々に雑念が浮かんできて、止まらなくなってしまうことがありますよね。

今日の夕飯のメニューは何にしようか、あと少しで買い物に出かけないと・・・、子供が帰って来る時間がそろそろで・・・、ああそうだ、昨日みたドラマはおもしろかったな、あの俳優さんの名前は何だったかな・・・、そういえば、学生時代にあのドラマと似たようなことがあったな・・・、○○子は今どうしているだろう?、

と、今考えなくてもいいことが、次々に思い浮かび、目を閉じてはいるけれども、頭の中が、忙しくおしゃべりをはじめてしまい、瞑想どころではなくなります。

このような状態になったときに、「瞑想をしようとすると、雑念が次々に思い浮かぶ」と、認識してしまいがちですが、しかし、この状況は、瞑想するからそうなっているのではなくて、普段から(瞑想をしていなくても)同じように雑念だらけになっているのだと思います。

いつもは、いろんなことを同時進行で行っているので、頭の中の雑念も、それほど意識は向けられずに、頭の中に浮かんでは流れていきます。そのため、あまり(雑念に)気づきません。

けれど、改まって、瞑想をしようと、静かに座って目を閉じることで、視覚の情報が遮断されるので、頭の中というか心の中というか、そちらの要素だけに意識が向けられていくので、当然、「雑念が、クローズアップされてしまう」ことになるのです。

ですから、「瞑想をしようとすると、雑念が次々浮かぶ」ように思える体験を通して、「瞑想をしようとしてみたことで、いかに、自分が普段からどれだけ雑念だらけで過ごしているのかに気づいた」ことになります。

思考と雑念を、イコールのように考えている方もいるかもしれませんが、思考とは幅広いものであり、自分の毎日のため、成長のために必要な分析としての思考もあれば、ただ気が散っているだけの、あまり重要ではない雑念もあります。

昨日見たドラマとか、俳優の名前とか、学生時代の思い出とか・・・、それぞれ、無意味とはいいませんが、今ここで、特に考えなくても困らないことばかりです。日々、そうして、あちらこちらと気が散って、自分の想念というエネルギーを、消耗していることになります。

まず、「そうなっている自分の状態に気づく」ことが、大切だと思います。 その上で、(瞑想時に限らず)いかにして、雑念から意識を離していくか、または、なぜ自分は、雑念がいっぱいになっているのか、という点を、思考して分析してみることです。そういう場合の思考=分析は、成長のために意義のあるものであり、雑念とは違います。

私たちは、英語を話しながら、同時にフランス語を話すことはできないように、思考もまた、必要な思考をしながら、雑念だらけになることは難しいものです。自分にとって重要な思考をすることで、相対的に、あまり重要ではない雑念を減らして行くことにも繋がるでしょう。

まず、普段から、(意識していないだけで)実は雑念でいっぱいになっている、という状況に気づくことや、仕組みを理解することだけでも、意識が、ワンクッション置かれることになるので、雑念から遠ざかることが、しやすくなる場合も多いようです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

今一度、「適職」と「天職」の違いを考えてみる

仕事に対する考え方の、スピリチュアルな解釈として、「適職」と「天職」がある、という表現が使われることがあります。私も、この表現を使って記事を書いています。

これらの表現は、江原さんの本に書かれていて、スピリチュアルに興味のある方は、江原さんの本を読んでいる方が多いと思われることと、「適職」「天職」という表現でご相談をいただく場合は、江原さんの言われる解釈によるものを指していると思われるので、わかりやすさのために、私も、表現をそろえて使っています。

その、適職と天職の違いについて、今一度、説明をさせていただきます。江原さんの本に書かれている内容を元に、一部補足を加えながら、まとめさせていただくと、以下のようになります。

***

天職と適職は、混同されがちだけれども、違いをハッキリさせておくことが大切。

天職というのは、天から授かった職業で、自分が好きで仕方がないこと、利益度外視でもやりたいこと、それは自分のたましいが求めている仕事であり、自分のたましいを満たすことができる。あるいは、人に喜んでもらえること。けれど、これらの、自分が好きで楽しみを得られて、人のためにもなること、というのは、通常、お金にはなりにくいもの。

適職とは、広い意味で、自分の得意な資質や肉体的な能力などを活用して、生活の手段となるような仕事。あくまで、この現世で生きていくための手段であり、自分が好きだとか、喜びがあるとかの要素とは、一致しないことが多い。自分がそれをこなすことができて、金銭を得られるならば、多くのものが該当し、これこそが適職、という狭い範囲のものとは限らない。

通常、天職と適職が同じという人はほとんどいない。同じなのは、ほんの一部の人たちであり、まれなケースとなる。

多くの場合、天職と適職をひとつにして、つまり好きなことや、喜びや、人のためになるから、という要素を優先して、金銭を得る仕事を選んでしまうと、うまくいかないことが多いもの。なぜなら、自分の喜びの要素に、利害が絡んだり営業の要素がついてまわると、別の苦労や生まれたり、矛盾を感じることも多くなる。

そして、天職に分類される、たましいの喜びとなる資質や活動は、人に提供して対価として金銭を得ることができる、という性質を、持ちにくいところがある。

これらの二つを混ぜてしまわず、それぞれ分けて、両立させていくことが大切。たとえば、会社員としての仕事を持ちながら、余暇で、得意なスポーツや芸術を指導するような活動を楽しみながら行う、などのように。

生活のための仕事は、金銭を得るため、そして、好きなことは、それで生活しようと考えずに、お金を度外視して、割り切って行っていくことが、バランスのために大切となる。

たとえば、アロマテラピーなど、好きな習い事をして、これが天職だと思えたなら、どんどん極めたらいい。結果的にそれでお金をいただけるようになれるかもしれない。しかし、そこで会社を辞めてお店を開業したりすると、営業や経営などが大きく関わってきて、次第に、当初の天職の喜びとは、違うことをしなければならなくなる。

この、適職と天職との定義を、理解して生きていくのと、あいまいなまま、または混ぜて悩み続けるのとでは、人生に差が出てきてしまう。

***

と、だいたい、このようなまとめになると思います。お仕事で悩んでいる方の、考え方の一助となれば幸いです。

ちなみに、このまとめは、「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック: 江原啓之」のP167 の内容をもとに、補足を加えてまとめたものとなります。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (1)

2011年12月 5日 (月)

スピリチュアル的な問題なのか、それとも自分の中身の問題なのか

「現在、ある状況で困っているのだけれども、これは、何かスピリチュアル的な要素が関連している問題なのか、それとも自分自身の問題なのか」という、ご相談をいただくことが、しばしばあります。

このブログをご覧いただいている人の中にも、そのようなとらえ方で、今自分が立ち向かっている悩みは、どちらに分類されるのかが分からない、スピリチュアル的なのか、それとも、そうではないのか、それらを区分するためのヒントを得たい、という目的でお読みいただいている方もいらっしゃるかもしれません。

スピリチュアリズムでは、私たち人間は、肉体を伴った霊的存在であり、つまり、私たちも霊であり・・・、私たちは、その霊性を向上させるために、この世という物質界において、肉体を伴い、あらゆる経験を通して学んでいる、という前提があります。

私たちは、霊ですから・・・、そして、この世は、霊を向上させるための場所でもあるので、この世で自分が経験することは、広い意味でいえば、すべて霊的であり、すべてスピリチュアルなこと、でもあるのです。

物質界において、物質的なやりとりや出来事を通して、目に見えない霊性をも学んでいるのが、この世での、私たちの日常ですから、どんなことも、すべては広い意味でいえば、スピリチュアルな意味はあって、そして、どんなことも、相応の、物質的な意味も、あります。

もちろん、その中には、とりわけ、スピリチュアル=霊的な意味合いの大きい出来事と、それほどでもない出来事、という、程度の差は存在します。けれど、スピリチュアルな要素がまったく関連しない出来事、というものはありません。

ですから、「これは、スピリチュアル的で、あちらは、スピリチュアル的ではなくて自分の問題」という区分けは、厳密にはつけられません。

スピリチュアルか、そうでないか、という区分けの表現をあえてするならば、それは、「スピリチュアル=霊的な意味合いが、とても大きい出来事か、それとも、意味合いの大きくない出来事か」という区分けを、わかりやすさのために端折って使う場合だと思います。

私たちもまた、霊的存在である、という前提で考えていけば、このことの理解は難しくはないと思うのです。スピリチュアリズムは、その前提ありきの哲学であり、この物質界を楽で得をするためのマニュアルやハウツーではないことを、きちんと理解しておくことは大切です。

前世や、守護霊や憑依霊、家系の因縁が関連していることならスピリチュアル的な原因、そうでないことは、自分自身の問題、とでもいうような区分けは、明らかな間違いです。

私たちは霊ですが、肉体を伴って、この世を生きています。霊と肉体を明確にわけることはできません。私たち人間は、霊でもあり、肉体をも持っている、わけです。

この世で起こることは、すべて学びのためなので広い意味で、自分の成長に繋がっていきます。それは、スピリチュアルなこと、でもあり、自分のこと、でもあるのです。

これからが、複雑に混じり合い、組み合わされて、私たちは日常から学ぶ経験をしています。

この仕組みを、どちらか一方に分けるというのは、例えば、バケツに海水を汲んできて、これを、「水」と「塩」に、ハッキリと分けようとしているようなものです。

どちらに当てはまるのか悩む状況とは、バケツを目の前に、これは水なのだろうか、それとも塩なのだろうか、と、悩んでいるのと同じです。

両方が含まれているものを、どちらか一方「だけ」にしようとするのは、海水に対して、これは塩である、とか、これは水である、とだけ定義をつけるようなもの。

すべての出来事や悩みにおいても同じで、これはスピリチュアルが原因なのか、それとも自分自身の問題なのか、という考え方も、海水を水と塩のどちらかに分け用としているのと同じになります。どちらも混ざっているからこその、海水であるように、どちらも含まれいるのが、肉体をともなった霊的存在である私たち人間であり、霊の学びを、物質界で行っている、この世の出来事なのです。

スピリチュアルを理解するためには、そのような、包括的な視点で捉えて行くことが大切です。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年12月 4日 (日)

霊からのメッセージは、どのように聞こえるか。

私たち人間には、誰にでも、たましいの導き役である、守護霊と呼ばれる存在がいます。守護霊とは、とても大きなくくりでまとめた名称で、そのうちの一つに、指導霊と呼ばれる、資質や才能をつかさどっている役割の守護霊がいます。

スピリチュアルリーディングを行う場合には、こちらの、指導霊に焦点を合わせていくのが一般的、とされています。

指導霊からのメッセージが、どのように聞こえてくるのか、私の場合を書いてみます。

霊との会話というのは、人間の会話のように、たとえば一問一答のような、明確なものではありません。あちらの伝えたいことを(必要があれば)伝えてくるという、どちらかというと受け身で行われるのが霊とのやりとりであり、人間の側が、聞きたいと思っていることに、何でも答えてくれるわけではありません。

指導霊は、私たち人間の成長を望んでいますので、自力を後押しすることならばヒントをくださることもありますが、依存を増長するようなことはしませんし、ああしろ、こうしろ、と、命令のようなことは、あまり伝えてくることはありません。

指導霊が伝えてくるメッセージというのは、本当にひと言か、ふた言であることが多いです。たとえば、「それは、自分だけの都合で相手を振りまわしている」とか、「あなたに、トラブルの原因がある」とか。

明らかに「聞こえる」のは、上記のように、ほんとうに、短い文章のようなものだったり、単語のようなもの、なのですが・・・、しかし、同時に、その短い言葉の意味するところが、伝達されてきます。

私は、その様子を、例えていえば、頭にメモリスティックが差し込まれるように、データが伝わってくるような感じ、と表現したりしますが、テレパシーのようなものでもあり、音声や言語ではない、意識と意識の通信のような・・・、そんな伝達が同時になされてくることが多いです。

なので、上記の例でいえば、「それは、自分だけの都合で相手を振りまわしている」、というのは、どういう感情が発端となっているか、何を守ろうとして振りまわしているのか、ということも含めて、だいたい把握が可能となるので、それらをあわせてお伝えできるのです。

ただそれは、何でもすべて魔法のように分かる、という意味ではありません。細かいことは、まったくわかっていません(笑)。その一言を解釈するために最低限必要な補足事項として、ご相談者様の解釈のために、伝わってくるのだと思われます。

この伝達の時間は、一瞬です。一瞬というのは、ちょっと大げさかもしれませんが・・・、データの通信のようなもの、ダウンロードのようなもの、なのでしょう、それほど長い時間が関わるわけではありません。

ただ、それをお伝えするために、文章化されていないものを文章化するのは、時間が掛かって、ちょっと私が考え込んでしまったりすることがあります。私のボキャブラリーの不足だったり、私にまったく知識がないことについて、(私がうまく解釈できないので)まとまりにくくなったり、ということは、どうしても出てきます。

あちらの世界には、時間というものはないので、データ通信も一瞬のようなものですが、それを受け止めて解釈するのは、時間のあるこの世で生きている人間なので、受信はスムーズにはいかないことも多いのです。

もともと、私は、霊の声をきく霊聴という資質が、それほど高くはないので、(霊視も、それほど高くはありませんが(笑))、私にとってもっともスムーズに進む、このスタイルになっているのだと思われます。

この場合の、「聞こえる」という状態とは、「耳の機能で音声として聞こえる」のと「頭の中に、声らしきものが響いて聞こえる」のとの、中間のような感じ、でしょうか。

頭の中に響く場合は、自分の思考との区分けをどうやってつけるか、不思議に思われるかもしれませんが、自分の思考というのは、音声を伴わないか、または自分が話している音声に近いものと思い浮かべるのではないでしょうか。霊聴の場合は、それぞれ声の個別差があると重います。

また、これらの霊聴の場合と、自分の思考とは、私の場合は、あきらかに違いますので、どちらなのかと迷う場面そのものが、ほとんどありません。迷うとしたら、自分の思考か否か、ではなく、その声が、「どこから」という源について、ならばあるかもしれません。

でも、不思議と、それも、「分かる」というか・・・、音声とともに伝達されてくる情報のようなもので、把握ができるところが、霊感たる所以、ということになるのでしょう。

・・・これらのについて、言葉で説明するのは難しく、あえてわかりやすく説明するとしたら、という前提での内容となります。なんとなくでも理解し、何かの参考になれば、と思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

皮膚から吸収されてしまう、有害化学物質を防ぐ(後編)

前編でも書いたように、水と油を混ぜる成分は、マヨネーズなどの食品でも植物由来のレシチンなどが使われています。洗浄成分としての乳化剤も、働きが強すぎないものであれば、それほど問題はないけれども、強いものになると皮膚のバリア機能が弱くなり、そこから化学物質が取り込まれることが問題とされています。

クレンジングや乳液やクリームの乳化剤も、良心的?なブランドだと、レシチンやミツロウなどで頑張って乳化させている商品もあります。しかし、一般的な乳化剤を使っている商品と比較すると、クレンジングは落ちにくく、クリームのテクスチャーもちょっと持ったりしている感じでもあります。

水と油を混ぜて乳化させる成分を、界面活性剤といいます。これらには、天然のものもありますし、化学的に合成されたものもあります。この化学的に合成されたものを「合成界面活性剤」と言います。安価で安定した作用を発揮しますが、作用が強すぎるものがあることが、問題となっているようです。(種類はたくさんありますし、これらが含まれている商品であっても、使いすぎていない、作用の強すぎない商品もあります)

本来ならば混じり合わない水と油を混ぜて、乳化させる界面活性剤の働きをもつもののひとつに、「石けん」があります。

私たちのイメージの中では、固形物を石けんと呼び、液体を洗剤と呼んでいることが多いですが、固形のものでも、この界面活性剤である【石けん成分】のみで作られているものと、さまざまな化学物質を加えてつくられているものがあります。それらを区分けするために、前者を「純石けん」とか「無添加石けん」などとしている場合も多いようです。

歯磨き粉や、食器洗い用の液体洗浄の名称で、「石けん歯磨き粉」とか「食器洗い石けん」のようなものをみたことがあるかもしれません。つまり、洗浄する成分=水と油を混ぜる作用を、「石けん成分」で作っている歯磨き粉、その他、というわけですね。

本来の石けん成分で作られているものは、合成界面活性剤と比較して、洗浄力が強すぎないので、皮膚のバリアを緩めたりしない、ということで、健康に気を配っている方は、それらの製品を選んで使っている場合も多いようです。

スーパーの売り場で、布巾などを洗うための、固形の「台所石けん」のラベルを見ると、とてもわかりやすいです。多分、「石けん素地」と一言書いてあるだけでしょう。石けん素地、または「脂肪酸ナトリウム」などと書いてあるのが、本来の純粋な石けん、ということになります。

手作りの石けんの作り方を見るとわかると思います。だいたい、オリーブオイルなどの油と苛性ソーダと、精油などが材料となると思いますが、「オイルと苛性ソーダ」のソーダ石けんの名称が、脂肪酸ナトリウムになります。なので、脂肪酸ナトリウムは、(石けんと同意なので)合成界面活性剤ではありません。

そして、コスメ売り場などの、高価でおしゃれな固形の化粧石けんのラベルを見ると、違いが歴然です。

「石けん素地、水、酸化チタン、香料、ラウレス硫酸Na、ラウリル硫酸Na・・・」などと、いろいろなものが加えられていたりします。この記載順は、比率の高いもの順になりますが、石けん素地だけがよくて、他が全部悪いということではありませんが、汚れ落ちの性能や、安価という理由で、あまりにいろんなものが大量に使われている製品は、・・・私は、できればあまり使いたくありません;。

あまり深く考えずに、軽い気持ちで買ってしまう石けんですが、このように、ラベルを見ると、いろんなことが分かるわけです。以前の自分は何もしらなくて、こういう過剰なものを素晴らしいと思っていたことが、今では遠い日のようです(笑)。私は、今では、固形石けんに関しては、純石けんしか買いません。

すべてを除くことはできないけれど、日常から、できるだけ、合成界面活性剤を減らそうと、心がけて生活しています。・・・出来る範囲、無理のない範囲で、ですけれど( ̄m ̄*)。この記事が、同じような思いがある方の、参考になればと思います。

これらの影響が、もっとも大きいもののひとつに、クレンジング剤があります。

強力な洗浄成分を持つ、例えば住宅用洗剤などにも、たくさん合成界面活性剤が入っていても、それを直接肌にふれさせることは少ないと思いますが、しかし、化粧品のクレンジングは直接肌に触れます。そして、どんどん、肌のバリアは緩んでしまうわけです。

クレンジングに強力な洗浄成分を持たせる必要があるのは、今のメイク用品が落ちにくく肌にぴったり張り付くものだからです。それでなければ落ちませんからね。

つまり、合成界面活性剤を避けようと、クレンジングを、洗浄力の弱い物に変えて、しかしメイク用品は同じ物を使い続ける、ということは難しいわけです(たぶん、完全には落ちないでしょう)。なので、ここを変えようとすると、セットで変えていかなければなりません。

経皮吸収を避けたいという思いが強い人は、それもいいと思いますが、通常は、なかなか、すべてを一度に変えるのは難しいと思うので、私は、簡単に変えられるものからまずは変えてみることを、提案したいです。

たとえば、「歯磨き粉」「ハンドソープ」「食器洗い用石けん」くらいは、石けん素地のものに変えても、それほど大きな違いはなく、スムーズに転換できると思います。

そして、それ以上に、変えたいと思う人は、体を洗う石けんだとか、化粧品などに範囲を広げてみてはどうでしょうか。

私が使っている歯磨き粉は、こちらの商品です。 普通の味にあきると、塩味をつかったりしています。普通の物と比較して、泡立ちは悪いですし、泡の粘度が低いので、ぼーっとしていると、泡が口からたれたりしますが・・・。それだけ、不要なものが入っていないのだろう、と思うことにしています。

シャボン玉石けんハミガキ

シャボン玉石けんハミガキ
価格:359円(税込、送料別)

食器洗い用は、石けん成分のものは、一般的な合成の物と比較して泡立ちにくいのですが、中でも、一番泡立ちがよくて、切り替えがしやすいのは、こちらだと思います。

体を洗う石けんは、私は、こちらの「ねば塾:白雪の詩」を使っています。こちらは、ドラッグストア」などでも、よく見かけますね。安くて、使いやすいです。

私は、さっぱりした洗い上がりが好きなのですが、しっとりのほうがいい方は、アレッポの石けんなども、いいかと思います。香りはちょっと独特ですけれど、わりとしっとりしますね。

たくさんのメーカーや商品がありますので、いろいろ試しながら、自分に合うものを選んでいくのがいいと思います。

これらのことで、知識を得たい方、または、メイク用品も含めて、知りたい方は、以前にも紹介したこちらの本が参考になると思います。食事を含めて参考になるので、この2冊はお勧めです。

【送料無料】アンチエイジングの鬼

【送料無料】アンチエイジングの鬼
価格:1,400円(税込、送料別)

どこまでこだわるか、は、自分の判断になりますね。全部は、私は、こだわりきれないので( ̄∀ ̄;)、無理のない範囲で心がけるようにして、住宅用洗剤とかは、ケミカルな物を使い続けています。いつかは、変えるかもしれませんが、今は、見ないふりをして(笑)保留中なものがたくさんあります。

あと、経皮吸収を避けるという意味で、布ナプキンも使うようにしています。ケミカルな生理用ナプキンの過剰な高機能の成分が、粘膜吸収されてしまうことが、現代増えている、さまざまな女性疾患の要因のひとつだ、という話もあるらしいので・・・。

私は、そもそも、健康に気を配るようになったのは、以前の仕事を辞めて、今の仕事に踏み切るきっかけになった、病気のためです。お腹に穴を開けて行う腹腔鏡手術をしたのですが、その内容は、子宮内膜症からくる卵巣のう腫でした。

当時の私は、食べ物にも気を配っていて(・・・それは、無知の思い込みで、今考えればまったく健康的とは言えない食生活でしたが;)ヘルシーな生活をしているはずなのに何故・・・?という、ショックと疑問が、このような生活習慣の改善と、その仕組みの探求へと向かわせました。

なので、経皮吸収で私が一番こだわりたいのは、布ナプキンを使うことなのです。

慣れると面倒ではないですが、私は自営業だからいいですが、外に出かけて仕事をする方には、難しい部分もあると思います。そういうときは、家に帰宅した後だけ使う、という方法でも、何もしないよりはいいと思います。

また、私がよくやる方法として、普通のケミカルなナプキンの上に、布ナプキンの「パット」だけを重ねて使う方法です。ホルダーをつかいません。そして、汚れたパットだけを交換していき、ケミカルなナプキンは交換せずに一日使います。私は、目的は、使い捨てのゴミを出さない、という点よりも、ケミカルなものが粘膜に触れない、ということを主目的としているので、少しゴミはでますが、このような使い方をしています。

布ナプキンはモレが心配になりますが、この方法だと、ケミカルなナプキンが下にあるので問題ありません。・・・問題となるのは、うっかりと、トイレの際に、布ナプキンのパットの存在を忘れていて、うっかり落としてしまう、という点でしょうか( ̄∀ ̄;)。

布ナプキンは、いろんなメーカーがあり、パット形、一体型などさまざまありますが、定番は、こちらの、メイドインアース、でしょうか。多分、オーガニックショップなどで取り扱いが最も多く、手に入りやすいと思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

皮膚から吸収されてしまう、有害化学物質を防ぐ(前編)

皮膚というのは、汗を出すなどの、排出する作用を持っている器官でもあり、また、体の一番外側の器官で、外部からの刺激や異物を遮断する働きがあります。そのため、皮膚は、いくつもの層が重なり合って出来ています。

つまり、体外から異物を入れない働きと、体内の不要なものを排出する働きをもっているのが、皮膚、ということになります。

数年前から、「経皮毒」という言葉が使われるようになりました。たくさんの書籍が出されましたので、ご存じのかたもいるかもしれません。

経皮毒とは、「皮膚経由で、有害な化学物質が体内に入り、アレルギーやホルモン異常など、体内の本来の作用を撹乱する原因となりうる」、というものです。

皮膚は、本来は、汗などの排泄器官であり、外部の刺激をシャットアウトする防御機能もあるので、それを考えると、外から化学物質が取り込まれるというのは、仕組みと合わないようにも思えます。

しかし、現代の一般的な合成洗剤や洗顔料、化粧品のクレンジングなどに含まれる、過剰な洗浄成分が、本来のバリア機能を弱め、また、化粧品の発色やノリをよくするために、細かいナノ粒子が使われていて、皮膚が本来のバリア機能を発揮することができずに、皮膚から化学物質が取り込まれてしまうのだそうです。

口から取った食べ物の場合、不要なものは、体内で分解され、そのほとんどが体外へ排出されていきます。そのための、分解&排出のための器官が備わっています。けれど、皮膚から吸収された不要なものは、(本来、皮膚は排出器官なので)分解される機能が備わっておらず、経口吸収と比較して、体外に出にくいとされています。

女性は、高い化粧品を使って、肌を潤そうといろんな物質が含まれているクリームを使い、ナノ粒子のメイクを落とすために洗浄力の強いクレンジングを使う、ということを、何の疑いもなく繰り返していますが、実は、これらは、肌のバリア機能を弱めている可能性もあることになります。

メイク用品だけでなく、合成洗剤や、シャンプー&リンスなどもそうです。

本来、水と油は、混じり合うことはありませんが、別の成分を加えることで、乳化させることはできます。この、乳化の作用を使って、油汚れが(水で)落ちる、というのが、石けんや洗剤などの洗浄の仕組みです。

しかし、現代の、一般に売られている合成洗剤やクレンジングは、この乳化力が過剰となっています。

簡単に落ちる、楽に短時間で汚れが落とせることが素晴らしい、とされて、どんどん、乳化力の強いものが売られて一般化していますが、それらが皮膚のバリア機能を緩めてしまい、皮膚から有害物質が取り込まれる危険性を増やしている、とされています。

乳化させる成分のすべてが悪いのではありません。たとえば、マヨネーズも、乳化力のある成分(もちろん、食べても問題のない、食品由来の成分)を加えて作られています。化粧品のクリームや乳液、ジェルなどもそうですし、もっとも分かりやすいものでは、石けんも、乳化剤のひとつです。

ただ、今の時代に一般に使われている乳化力の成分は、皮膚のバリア機能を弱めるほどに過剰になっている可能性があることが、問題のようなのです。

その強さを、例を出して考えてみます。化粧を落とす際に、クレンジングオイルを使う場合、化粧品の油分が、クレンジングのオイルと馴染むことで、汚れを浮かせていきます。油と油が馴染むことは、不思議ではありません。しかし、その後、水洗いでさっぱりとすべてが落とせる、というのは、よく考えたら不思議です。

水と油は、本来は、馴染むものではありません。そこに、水と油を乳化させる成分が入っていてこそ、油汚れが水と混じり合って、水といっしょに落とされていくわけです。一昔前は、クレンジングで汚れを浮かせて、それを水洗いするだけでは完全に落ちずに、もう一度、石けんなどで、ダブル洗顔をするのが一般的な時代もあったのですが、今は、一度で落ちる物のほうが多いのではないでしょうか。

それはつまり、以前は、水と油を馴染ませる性能が(今と比べれば)弱く、今は、より強いものが使われていることになります。

なぜ、強いものが使われているかというと、より簡単で楽なものが消費者に支持されている、ということもありますが、現代の化粧品は、崩れにくさやノリのよさ、発色の良さなどを高めていった結果、(水と油を馴染ませる性能の)強い洗浄成分出なければ落とせないものになっているから、だと思います。

メイク用品の落ちにくさは、クレンジングの落としやすさを高めて行くことで、連動させられますので解消できますが、人間の体の機能は、そのような化学の発展とは、都合よく連動させることはできませんので、過剰な洗浄成分で、必要な皮脂が奪われ、バリア機能が弱まり、外から化学物質が、皮膚経由で取り込まれやすくなっている、ということなのでしょう。

クレンジングで汚れをすべて落とした後は、うるおい補給のために、クリームをつかいましょう、ということに、現代の常識ではなっていますが、そのクリームの成分のラベルを見ると、なんだか難しいカタカナの成分が並んでいることに驚かされます。バリアの弱まったところに、そのバリアの成分と同じくらいものが加えられるならいいのですが、カタカナの羅列を見ていると、「それ以上」が在るような気がします。

これらの仕組みを知ると、今まで知らずに、よかれと思って使っていたものが、何だったのだろう( ̄∀ ̄;)、という気持ちになります。(私は、なりました;)。

【送料無料】見てわかる!図解経皮毒

【送料無料】見てわかる!図解経皮毒
価格:1,260円(税込、送料別)

後編に続きます。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年12月 3日 (土)

選択には、痛みが伴う。

人生の中で、どちらがいいか選べない、考えるほどにわからなくなる、という場面にしばしば遭遇するものです。

なぜ、選べないか、というと、「複数のどちらの選択肢を選んでも、苦しいから」、ではないでしょうか。その中に、苦しみのない選択肢があるならば、そちらに向かいたくなるのが一般的だと思います(その選択肢が、もっともふさわしいものであるかは、別として)。

自分のことだけならともかく、その選択をすることで、自分以外にも影響が及んでしまい、他人にも苦しい思いをさせてしまうかもしれない・・・などと考えると、ますます、答えがでにくくなります。

たとえば、安定した企業で働くことを辞めて、起業したい気持ちがあり、踏み切るかどうか悩んでいる場合、「今の仕事を辞めて、夢を叶える喜びはあるとしても、本当に大丈夫だろうか、生活が成り立つだろうか、家族にも迷惑をかけるかも・・・」と思うと、苦しくなることでしょう。

かといって、現状維持という選択肢をとるならば、「夢に向かうことができない、計画してきた労力と時間が無駄になる気がする」、という、気持ちの上での苦しさが出てくると思います。

どちらを選んでも、その選択肢なりの苦しみがあります。だからこそ迷うのであり、苦しみがない選択肢があるならば、迷わずそちらに向かうものであり・・・、それがないからこそ、今の状況に至っているのだ(つまり、苦しみの伴わない選択はない)、という、現状の理解をしていくことは、大いに助けになります。

最初からそういうものだ、とわかっていれば、どうにかして苦しみのない方法はとれないものか、という、遠回りの思考をしなくて済むからです。

選択の場面のすべてが、このように苦しみを伴うものだと言っているのではないです。そうでない場面も、中にはあるでしょうし、多少のリスクを苦しみというには大げさだ、というくらいの、負担が小さいものもあるかもしれません。その場合の考え方は、この限りではありません。

けれど、どちらを選んでも苦しいから選べないのだ、ということが明らかになっているケースでは、その時点ですでに、「まったく何の痛みも苦しみも感じることなく、この問題を解決することは難しいもの」だということを、まず、自分が認識していくことが大切だと思います。

どちらを選ぶにしても、その選択肢から苦しみだけを、取り出して、いいとこ取りをすることはできず、それも含めて考えるしかないのだ、と。

その上で、「苦しみを含めて、選択肢を引き受ける覚悟」をもてるかどうか、そこが考えどころだと思います。

その覚悟ができなければ、一方を選べないので、上記の例でいれば、新しい仕事に踏み出すこともできず、かといって、現状の仕事で納得する気持ちも持てず・・・、結局、「今のまま」つまり、「どちらも選べずに、悩み続ける」という意味での現状維持しかできなくなってしまいます。

言い換えれば、それは、どちらを選んでも苦しみが伴う、という苦しみと、どちらも選べず悩み続ける、という苦しみとの、選択の場面でもあるのかもしれません。

そう考えると、どうなっても(どちらを選んでも、またはどちらも選ばなくても)、多少は苦しいのであって・・・、最初からそう言うものだと分かっていれば、少し気持ちが楽になります。心が落ち着き、余裕も生まれるでしょう。その状態で、選ぶ選択肢が、その時点でのベスト、だと思うのです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年12月 1日 (木)

そんな気はないのに、悪口や批判を言っているかのように誤解されるとき。

自分ではまったくそんなつもりはないのに、言い方がきついとか、悪口や批判を言っているように、受け取られてしまい、人間関係がうまくいかないことがあります。

そのような状況になるのは、その発言をしたら相手がどう思うか、ということを、あまり考えずに何でも口にしてしまう、子供っぽい感性を持っている人か、もしくは、頭の回転が早すぎる人も、ときに、冗談のつもりで口にしたことが、ブラックになりすぎて、相手の気分を害してしまうことがあります。

今回は、後者のケースを取り上げてみます。

頭の回転が早くて気が利くタイプの人は、その場を盛り上げようとか、笑いを取ろうとするサービス精神の気持ちが大きくなるあまり、誰かの揚げ足を取ったりして(それで、皆で笑って和もう、という意図で)、本人にはそのいとがなくても、結果として、発言がきついものになったり、冗談のつもりが、行き過ぎたブラックジョーク、ブラックユーモアになってしまうことがあります。

ある行動や物事を判断する際に、その動機がどこにあるのか、結果はともかくとして、元になっている動機がどんなものなのか、という観点から分析することは、一般的には大切な考え方です。

けれど、そんなつもりではない、動機は皆を楽しませよう、笑わせようとしているだけであり、人をおとしめようとしたわけではない、という、少なくとも不純な動機ではなかったとしても、「動機が、すべての免罪符になるわけではない」という考え方も、合わせて行うことは大事です。

なぜなら、自分の中での反省や、現状を乗り越えて前に進むための原動力として、動機を考えるのはいいけれども、他人に対することに、自分の動機を持ち出しても、それはあくまで、「自分にとってはそうだ」という自分の領域の問題であって、他人に強要できるものではないからです。

お互いに自分の動機を分かち合えるとしたら、それは、相手が受け入れてくれる場合です。相手がノーといっているのであれば、そこに、自分の動機をいくらもちだしても、「それは、私には関係のないことだから」という一言で、却下になってしまいます。

相手を和ませよう、笑わせて元気にしようと考えるのは素晴らしいですし、そのための行動を実際にとっていく機転も価値のあるものです。けれど、その題材となるものが、特定の誰かをおとしめるような、揚げ足をとるような形での笑いにしなければならない、というものでもないはずです。

ひらめきが優れているからこそ、そういう、おもしろい冗談も思い浮かぶのですが・・・、しかし、おもしろければ、または事実であれば何でも言っていいわけではないし、笑えればすべて許される、というものでもないと思います。

相手がどう思っているか、どう受け止められるか、自分の発言は、常識的に適切なものなのか、という観点からも、相互に考えていくことが大切です。

気が利いて、小さいことまで見抜くようなタイプの人は、少しくらいブラックなことを言っても、自分ならば許される、と思い込んでいたり、または、相手にとって気分を害することを言っているという自覚があまりありません。自分はひらめきがいい、という自負があるためでしょう。

しかし、相手の欠点ばかり目について、指摘することばかり思い浮かぶというのであれば、その時点での自分の波長はどうなのか、と、省みることも大切ではないでしょうか。ネガティブなところばかり見ている自分に、気づかなければならない、と思います。

「悪気はない」としても、「それが、実際にそのとおりだ」としても・・・、それをズバリとしてきしてもいいのかどうか、自分が同じことを言われたらどう思うか、という観点からも、広く考えていくことが大切です。

頭の回転のはやさゆえに、先走ってしまうことなく、その早さを、自分の心の余裕として活用していければ、誤解を生むこともなく、コミュニケーションがスムーズになっていくのではないでしょうか。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リーディングのお申込みは、こちら→「メール回答」or「スカイプ通話

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »