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2011年12月の8件の記事

2011年12月30日 (金)

苦難は、感性を磨いていく。

あくまで、私の場合は、という限定の話で、万人に共通するわけではないと思いますが・・・、私は、とても大きな困難の先に、霊感の飛躍的な向上があったと、過去を振り返ってそう思います。

霊感は誰にでもある資質であり、特別なものではありませんが、そのあらわれ方は人の数だけ違いがあり、直観的なものを備えている人もいれば、芸術センスとして備えている人もいれば、見える聞こえるという、いわゆる霊能力的な形として発揮されることもあります。

私の強い霊感も、(数年前まで、全く自覚がありませんでしたが;)今考えてみれば、これは生まれつきのものであり、突然に降ってわいたわけではありません。

けれど、あらゆる形で表れるものである霊感のうち、リーディングを行うのに適している霊感が磨かれていった過程は、いつも、大きな苦難とともにあり・・・、苦難を乗り越えていった先に、ごく自然に高まっていったというか、「リーディング向き」の資質が形造られていったように思えます。

その苦難を経験することや、乗り越えていくという出来事そのものが影響しているということではなく、経験して乗り越えていくにあたり、私が身につけていったさまざまな知識やプロセスを知ることや実践することが、実は間接的に、霊感の伸びに影響していくという形になることが、過去を振り返るととても多いと感じるのです。

ひとつは、以前の仕事を辞めて、今の仕事に踏み切るきっかけになった、腹腔鏡手術という簡易な手術で入院をした経験でした。

病気が見つかり、私は、今までの食事やライフスタイルを見直していくことになりました。誰にそうしろといわれたわけでもなく、その病気も、食事や生活習慣で作られるものというわけでもないのだけれど、ごく自然に、ホリスティックな観点からのこころがけに意識が向いていきました。

ブログでも書いている、食事や健康の知識は、そのときから学びがスタートしたわけです。

その結果、私の食生活は、ヘルシーとは程遠いものだったことが、自覚できました。そのときまで、私は、あまりグルメに興味もなく、食べ歩きもしない、肉食も少なく、とても健康的な食事をとっていると思い込んでいました。

ところが、添加物やミネラルや酵素の働きを知っていくと、その思い込みは大間違いだったことが分かったのです。(といっても、その時の病気は、食事の影響で発生したとは思いませんが)

そこで、できる範囲で、食事を変え、知識をつけ、たくさんの本から理論を学び、実践することでフィードバックを得ていきました。知識を得て、自分も体感することで、ご相談者さまの健康について、透視的に把握できることが増えていきました。

そこは、自分が知っていることで把握できる、つまり、知らない英単語を聞き取りできないように、自分が知らないことは(関連がわからないので把握できないために)見えにくい、知っていると見えやすい、という違いがあることがわかってきました。

そして、何より、私が健康になったと思います。健康になると、それだけ、霊的な活力もみなぎってきて、霊感が全般的にさえてくるようになりました。何より、このことが一番の底上げになりました。

この病気と手術を経験した、という出来事そのもので高まったということではなく、出来事を乗り越えるために身に付けた知識や経験が、間接的に自分の力になっていった、ということです。

そのような繰り返しが幾度もあり・・・、今に至っていると感じます。

今、私は、骨折で手術をして入院していますが、この経験も、(骨折というつらさを経験した、という意味ではなく)きっと、今までの例からすれば、私が身につけていく何かがあって、そして、その経験により、私は、精神的に成長することができるのかもしれません。

私は、今までの人生全般も、そしてこの仕事を始めてからもそうですが、何か関わりをもっていることが、少し軌道にのって、一息つけるようになると、それがすべて根底からひっくり返されるような出来事が起こって・・・、また、別の学びをさせられていくという、ものすごいアップダウンと苦難の連続があったと思います。

今回の出来事もそうです。そして、起こったことはしょうがないし、このような学びをしていくことを、半分くらいは納得して受け入れてもいますけれども、仮に、この後、何かの得るものがあったと実感できるとしても、一連の経験を、こうなってよかった、とは、あまり思わないことでしょう。正直な気持ちを言えば、そんなのは何もいらないから、できるならば、12月4日に戻してほしいくらいです。

でも、時間を戻すことなどできるはずもありませんし、起こったことは必然として受け入れていくしかありません。

今読んでいる本や、病院で経験している医学的なことや知識は、きっと、間接的に、未来の私にとって、役に立っていくのではないかと、そのように前向きに考えるようにして、日々を過ごしているところです。

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2011年12月28日 (水)

過去を、「エネルギー」として透視的に読み取る。

私は、それほど霊視や透視力が優れていませんので;、過去の出来事を、すバリその場面を見るようなことは、あまり得意ではありません。できるときと、できないときのバラつきがあります。

なので、過去を読み取るときには、具体的な出来事の透視ではなく、「エネルギーそのものの透視」というか、いつ頃の時期に、(具体的に何があったか、ではなく)とても大きな精神的負荷がかかるような何かがあった、とか、逆に、とても喜びが大きい時期だった、とかの、流れを読み取るようにしています。

たとえていえば、それは、エネルギーの「グラフ」のようなものを、読み取る感覚と近いかもしれません。

ただ、そのエネルギーの流れには、数値のグラフのような基準値がありませんので、便宜上の基準を設けることで、時間の流れを把握するわけです。

以前に、未来を予知することが難しい理由のひとつとして、あちらの世界には、こちらの世界のような時間という感覚がないので、いつ何が起こるかという、こちらの世界の尺度とのすり合わせが難しいためです、という内容で、記事を書いたことがあります。

その際に、便宜上、今このときを「ゼロ」という基準点として、前後左右をはかっていくようなものだと説明したと思います。

今回の、過去についてのエネルギー透視的に把握する際も、それと同じで、今をゼロとした基準を設けたとしたら、という前提で、過去を(エネルギー透視的に)さかのぼっていきます。

そのため、私のリーディングで、それらに触れる場合には、「だいたい、今から何年前くらいに○○・・・?」というような、今を基準とした、今からさかのぼった形式での伝え方になっているのです。

同じようなリーディングを行いたい方がいるかもしれませんので、ちょっと、そのためのコツのようなものをお伝えするとしたら、このときの感覚というのは、今を基準とした、再生の「巻き戻し」ようなものと、ちょっと近いかもしれません。

なので、この感覚を練習するとしたならば、たとえば寝る前に、今日起こった出来事を、朝から順番に・・・ではなく、夜(今)から、巻き戻すかのように、順番に思い出していくようなことも、多少効果があるのではないかと思います。

そのときの、「感覚」を練習して体感しておくと、後で役に立つこともあるかもしれません。私は、そういう練習からできるようになったのではないので、あくまで、私の感覚でしかないのですが、これらのことは「似ている」ことは確かです。

ただ、スピリチュアルリーディングというのは、手順や技法でできるのではなく、その人独自の霊的な資質によってなされていくものなので、方法というのは、一律にはできず、私のやり方は、あくまで、私が、私の資質に合わせて作り上げたものですので、このとおりにやれば、私と同じことができるとは限りませんし、それが正しいとか近道だとかいうことでもありません。

その人独自の、ふさわしいやり方が、人の数だけ存在すると思います。

私もいつかは、この方法を使わなくなるかもしれませんし、・・・すでに、最近はあまり使っていませんが、ふと思い出したので、書いてみました。

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2011年12月23日 (金)

オーラの色による、相性は存在するか?

たまに、主に恋愛のご相談などで「オーラの観点からみて、自分と相性がいいオーラの相手とは?」という趣旨のご質問をいただくことがあります。

オーラの観点から、という前提が、オーラの色別で、「あなたのオーラは○○色だから、相性のいい恋愛の相手は、○○色の人」というような内容をさしているのだとすれば、それは、オーラやスピリチュアリズムの解釈が十分でなく、まるで、占いかクイズのように、とらえてしまっているために出てくる質問だと思います。

オーラとは、その人自身の反映です。人の性格や性質は、とても複雑なものなので、その反映であるオーラの様子もまた複雑です。オーラが一色の人はいませんので、血液型や星座や生まれ月のように、唯一無二に定義されるものではありません(星座等の占いを否定しているわけではありません。)

たとえば、オーラの色が「青と赤」の人が二人いたとして、色の濃さや、色の比率や、オーラの形状や明るさなどが違えば、その二人の性格は、あまり似ていないと感じられることもあると思われます。

そのように考えれば、オーラの色別で、何色の相手と相性がいいか、などの定義や区分けは、無理があるとわかると思います。

それに、自分と似た要素のある相手に安心を感じて好意に結び付く場合もあれば、違いに刺激を感じて興味がわくこともあり、とらえ方はそれぞれですから、何をもって「相性がいい」と定義するかも難しいですよね。

色別の区分けで捉えたいという気持ちになるのは、そのほうが簡単だからです。人は、難しいことよりも、簡単なことを選びたいものです。それぞれの相手の個性をそのまま受け止めるよりも、数種類の色で当てはめて定義するほうが、とても簡単ですから苦労しなくてすみます。

つまり、オーラの色別相性などを知りたいと考える人は、相手のことを理解することや、察することが苦手で、人間関係がうまくいかない人に多いのです。それをカバーするために、何かの手がかりとなるものが欲しくなることは理解できます。

しかし、考えてみていただきたいのは、仮に、百歩譲って、オーラの色別相性というものが存在するとして・・・、自分のオーラは、オーラ透視者や霊能者に聞けばわかるでしょうけれども、「あなたのオーラには、赤いオーラの相手がいいでしょう」という場合に、どうやって相手のオーラを知るのか、ということです。

誕生日や血液型は、何かの拍子に知ることができる情報かもしれませんが、他人のオーラの色は、そうはいきませんので、その時点で、「オーラの色別相性」というものが、ほとんど実用的ではない、ということにならないでしょうか。よくよく考えてみれば、なにか辻褄があわないことが分かると思うのです。

人間関係というのは、とても難しい、複雑な学びですから、単純な定義で捉えようとしても、むしろ曲解につながってしまい、前進しません。

人としての器が大きい人は、オーラの色が何色でも、どんな人とでもそれなりに合わせていくことができます。合わせていくことができないのは、オーラの色の相性が悪いから・・・ではなくて、自分の人間関係の構築力やコミュニケーション力が不足しているからです。

まず、そのことを認め、自分の感性を磨く努力をしていけば、人間関係は変わっていきます。そうすれば、オーラの相性、などというものをあえて考える必要もなくなります。

自分自身のことや、スピリチュアリズムを理解するために、オーラは、イメージしやすいので解釈を助けますが、しかし、狭い定義をつけてしまうと曲解につながります。オーラは、その人自身の反映ですから、人の存在が単純ではないように、オーラもまた単純ではありません。

オーラの色別の「特徴」が存在することは確かですが、複雑な特徴を、「相性」という一言にまとめるのは無理があります。

人とは複雑な存在で、相手もまた(人として)複雑な存在で・・・、それが掛け合わされて構築されるのが人間関係なのですから、狭い定義にとらわれずに、自分と相手というオリジナルの関係性を見つめていくようにしましょう。

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2011年12月 6日 (火)

スピリチュアルな考え方、スピリチュアルな生き方、とは。

スピリチュアル、というのは、「霊的な」「精神的な」という意味を表す単語です。

物事をスピリチュアルな観点から考える、ということは、霊的、精神的な意味を含めて、その場限りの限定された意味だけではない、個人的な欲を超えた「愛」で理解し、たましいの成長につなげていく考え方になります。

狭くとらえ過ぎると、(スピリチュアルを深く理解しようとしているはずなのに)、逆に、解釈に乖離が生じますので、気をつけなければなりません。

たとえば、苦しいことがあったときに、「今は苦しくても、この努力が今の自分には必要であり、学びになるのだろう」という考え方で、取り組んでいくことが、スピリチュアルな観点を含めたとらえ方になると思います。

仮に、苦労や努力の結果、表面だけを捉えれば、必ずしも、自分の望むとおりにはならなくても、努力の過程でさまざまな技能が身につくこともあれば、人間関係が増えることもあれば、得られたものは、自分が注いだ労力と同じかそれ以上のものがあるはずなのです。霊的な考え方、スピリチュアルなとらえ方というのは、そういうことを指します。

目に見えないことを題材にすれば、それがイコール=スピリチュアル、なのではありません。

スピリチュアリズムに興味がある方の中にも、「霊のことや、守護霊や前世やオーラといった、通常、目に見えないことを絡めて考えれば、それガスピリチュアルだ」、というふうに、思い込んでいる方が少なくありません。

スピリチュアリズムというのは、私たち人間もまた、(肉体を持った)霊的存在であり、霊的存在だからこそ、霊的要素の関与を受ける、という前提があっての哲学です。

自分もまた霊なのですから・・・、「霊的な=スピリチュアルな考え方、とらえ方」というのは、自分自身の「霊性」のあり方、とも言えます。

たとえ、話題にしていることが、霊のことや、目に見えないことであっても、○か×か、という狭い範囲の、限定された定義の付け方で考えていたり、守護霊は自分に楽をさせてくれる便利な存在だと思っていたり、というような、短絡的なとらえ方をしていて、自分の霊性を考慮しないのならば、その考え方は、スピリチュアルな考え方とは言えないでしょう。

私たち人間は、本質は霊なのですが、肉体という物質をもって、この物質界に生きて、学びのための経験をしています。

ですから、人間とは、霊でもあり、肉体でもあり・・・、それらの要素が相互に作用しあって、人間として成立しています。

肉体を伴っている私たち人間という存在は、スピリチュアルに物事をとらえて生きていこう、としても、それは、肉体を伴った上でのことなので、どうやっても、霊だけ100%になることはできません。

私たちは、霊的な感性をもちながら、この世という物質界で、肉体という物質を伴って生きているのですから、「この有限の物質界の中で、無限の霊的叡智を活かすこと」、これこそが、私たちにとっての、スピリチュアルな生き方、だと思います。

目の前のこと、日常のこと、この物質界で展開する、さまざまな出来事について、霊的な解釈で立ち向かっていくその姿勢こそが、たましいの成長につながることであり、私たちが心掛けていかなければならない、スピリチュアルな生き方、なのです。

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瞑想をすると、雑念だらけになってしまう?

瞑想をしようと、静かな環境で目を閉じ、リラックスして、頭の中から思考を離して・・・となるはずが、次々に雑念が浮かんできて、止まらなくなってしまうことがありますよね。

今日の夕飯のメニューは何にしようか、あと少しで買い物に出かけないと・・・、子供が帰って来る時間がそろそろで・・・、ああそうだ、昨日みたドラマはおもしろかったな、あの俳優さんの名前は何だったかな・・・、そういえば、学生時代にあのドラマと似たようなことがあったな・・・、○○子は今どうしているだろう?、

と、今考えなくてもいいことが、次々に思い浮かび、目を閉じてはいるけれども、頭の中が、忙しくおしゃべりをはじめてしまい、瞑想どころではなくなります。

このような状態になったときに、「瞑想をしようとすると、雑念が次々に思い浮かぶ」と、認識してしまいがちですが、しかし、この状況は、瞑想するからそうなっているのではなくて、普段から(瞑想をしていなくても)同じように雑念だらけになっているのだと思います。

いつもは、いろんなことを同時進行で行っているので、頭の中の雑念も、それほど意識は向けられずに、頭の中に浮かんでは流れていきます。そのため、あまり(雑念に)気づきません。

けれど、改まって、瞑想をしようと、静かに座って目を閉じることで、視覚の情報が遮断されるので、頭の中というか心の中というか、そちらの要素だけに意識が向けられていくので、当然、「雑念が、クローズアップされてしまう」ことになるのです。

ですから、「瞑想をしようとすると、雑念が次々浮かぶ」ように思える体験を通して、「瞑想をしようとしてみたことで、いかに、自分が普段からどれだけ雑念だらけで過ごしているのかに気づいた」ことになります。

思考と雑念を、イコールのように考えている方もいるかもしれませんが、思考とは幅広いものであり、自分の毎日のため、成長のために必要な分析としての思考もあれば、ただ気が散っているだけの、あまり重要ではない雑念もあります。

昨日見たドラマとか、俳優の名前とか、学生時代の思い出とか・・・、それぞれ、無意味とはいいませんが、今ここで、特に考えなくても困らないことばかりです。日々、そうして、あちらこちらと気が散って、自分の想念というエネルギーを、消耗していることになります。

まず、「そうなっている自分の状態に気づく」ことが、大切だと思います。 その上で、(瞑想時に限らず)いかにして、雑念から意識を離していくか、または、なぜ自分は、雑念がいっぱいになっているのか、という点を、思考して分析してみることです。そういう場合の思考=分析は、成長のために意義のあるものであり、雑念とは違います。

私たちは、英語を話しながら、同時にフランス語を話すことはできないように、思考もまた、必要な思考をしながら、雑念だらけになることは難しいものです。自分にとって重要な思考をすることで、相対的に、あまり重要ではない雑念を減らして行くことにも繋がるでしょう。

まず、普段から、(意識していないだけで)実は雑念でいっぱいになっている、という状況に気づくことや、仕組みを理解することだけでも、意識が、ワンクッション置かれることになるので、雑念から遠ざかることが、しやすくなる場合も多いようです。

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今一度、「適職」と「天職」の違いを考えてみる

仕事に対する考え方の、スピリチュアルな解釈として、「適職」と「天職」がある、という表現が使われることがあります。私も、この表現を使って記事を書いています。

これらの表現は、江原さんの本に書かれていて、スピリチュアルに興味のある方は、江原さんの本を読んでいる方が多いと思われることと、「適職」「天職」という表現でご相談をいただく場合は、江原さんの言われる解釈によるものを指していると思われるので、わかりやすさのために、私も、表現をそろえて使っています。

その、適職と天職の違いについて、今一度、説明をさせていただきます。江原さんの本に書かれている内容を元に、一部補足を加えながら、まとめさせていただくと、以下のようになります。

***

天職と適職は、混同されがちだけれども、違いをハッキリさせておくことが大切。

天職というのは、天から授かった職業で、自分が好きで仕方がないこと、利益度外視でもやりたいこと、それは自分のたましいが求めている仕事であり、自分のたましいを満たすことができる。あるいは、人に喜んでもらえること。けれど、これらの、自分が好きで楽しみを得られて、人のためにもなること、というのは、通常、お金にはなりにくいもの。

適職とは、広い意味で、自分の得意な資質や肉体的な能力などを活用して、生活の手段となるような仕事。あくまで、この現世で生きていくための手段であり、自分が好きだとか、喜びがあるとかの要素とは、一致しないことが多い。自分がそれをこなすことができて、金銭を得られるならば、多くのものが該当し、これこそが適職、という狭い範囲のものとは限らない。

通常、天職と適職が同じという人はほとんどいない。同じなのは、ほんの一部の人たちであり、まれなケースとなる。

多くの場合、天職と適職をひとつにして、つまり好きなことや、喜びや、人のためになるから、という要素を優先して、金銭を得る仕事を選んでしまうと、うまくいかないことが多いもの。なぜなら、自分の喜びの要素に、利害が絡んだり営業の要素がついてまわると、別の苦労や生まれたり、矛盾を感じることも多くなる。

そして、天職に分類される、たましいの喜びとなる資質や活動は、人に提供して対価として金銭を得ることができる、という性質を、持ちにくいところがある。

これらの二つを混ぜてしまわず、それぞれ分けて、両立させていくことが大切。たとえば、会社員としての仕事を持ちながら、余暇で、得意なスポーツや芸術を指導するような活動を楽しみながら行う、などのように。

生活のための仕事は、金銭を得るため、そして、好きなことは、それで生活しようと考えずに、お金を度外視して、割り切って行っていくことが、バランスのために大切となる。

たとえば、アロマテラピーなど、好きな習い事をして、これが天職だと思えたなら、どんどん極めたらいい。結果的にそれでお金をいただけるようになれるかもしれない。しかし、そこで会社を辞めてお店を開業したりすると、営業や経営などが大きく関わってきて、次第に、当初の天職の喜びとは、違うことをしなければならなくなる。

この、適職と天職との定義を、理解して生きていくのと、あいまいなまま、または混ぜて悩み続けるのとでは、人生に差が出てきてしまう。

***

と、だいたい、このようなまとめになると思います。お仕事で悩んでいる方の、考え方の一助となれば幸いです。

ちなみに、このまとめは、「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック: 江原啓之」のP167 の内容をもとに、補足を加えてまとめたものとなります。

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2011年12月 5日 (月)

スピリチュアル的な問題なのか、それとも自分の中身の問題なのか

「現在、ある状況で困っているのだけれども、これは、何かスピリチュアル的な要素が関連している問題なのか、それとも自分自身の問題なのか」という、ご相談をいただくことが、しばしばあります。

このブログをご覧いただいている人の中にも、そのようなとらえ方で、今自分が立ち向かっている悩みは、どちらに分類されるのかが分からない、スピリチュアル的なのか、それとも、そうではないのか、それらを区分するためのヒントを得たい、という目的でお読みいただいている方もいらっしゃるかもしれません。

スピリチュアリズムでは、私たち人間は、肉体を伴った霊的存在であり、つまり、私たちも霊であり・・・、私たちは、その霊性を向上させるために、この世という物質界において、肉体を伴い、あらゆる経験を通して学んでいる、という前提があります。

私たちは、霊ですから・・・、そして、この世は、霊を向上させるための場所でもあるので、この世で自分が経験することは、広い意味でいえば、すべて霊的であり、すべてスピリチュアルなこと、でもあるのです。

物質界において、物質的なやりとりや出来事を通して、目に見えない霊性をも学んでいるのが、この世での、私たちの日常ですから、どんなことも、すべては広い意味でいえば、スピリチュアルな意味はあって、そして、どんなことも、相応の、物質的な意味も、あります。

もちろん、その中には、とりわけ、スピリチュアル=霊的な意味合いの大きい出来事と、それほどでもない出来事、という、程度の差は存在します。けれど、スピリチュアルな要素がまったく関連しない出来事、というものはありません。

ですから、「これは、スピリチュアル的で、あちらは、スピリチュアル的ではなくて自分の問題」という区分けは、厳密にはつけられません。

スピリチュアルか、そうでないか、という区分けの表現をあえてするならば、それは、「スピリチュアル=霊的な意味合いが、とても大きい出来事か、それとも、意味合いの大きくない出来事か」という区分けを、わかりやすさのために端折って使う場合だと思います。

私たちもまた、霊的存在である、という前提で考えていけば、このことの理解は難しくはないと思うのです。スピリチュアリズムは、その前提ありきの哲学であり、この物質界を楽で得をするためのマニュアルやハウツーではないことを、きちんと理解しておくことは大切です。

前世や、守護霊や憑依霊、家系の因縁が関連していることならスピリチュアル的な原因、そうでないことは、自分自身の問題、とでもいうような区分けは、明らかな間違いです。

私たちは霊ですが、肉体を伴って、この世を生きています。霊と肉体を明確にわけることはできません。私たち人間は、霊でもあり、肉体をも持っている、わけです。

この世で起こることは、すべて学びのためなので広い意味で、自分の成長に繋がっていきます。それは、スピリチュアルなこと、でもあり、自分のこと、でもあるのです。

これからが、複雑に混じり合い、組み合わされて、私たちは日常から学ぶ経験をしています。

この仕組みを、どちらか一方に分けるというのは、例えば、バケツに海水を汲んできて、これを、「水」と「塩」に、ハッキリと分けようとしているようなものです。

どちらに当てはまるのか悩む状況とは、バケツを目の前に、これは水なのだろうか、それとも塩なのだろうか、と、悩んでいるのと同じです。

両方が含まれているものを、どちらか一方「だけ」にしようとするのは、海水に対して、これは塩である、とか、これは水である、とだけ定義をつけるようなもの。

すべての出来事や悩みにおいても同じで、これはスピリチュアルが原因なのか、それとも自分自身の問題なのか、という考え方も、海水を水と塩のどちらかに分け用としているのと同じになります。どちらも混ざっているからこその、海水であるように、どちらも含まれいるのが、肉体をともなった霊的存在である私たち人間であり、霊の学びを、物質界で行っている、この世の出来事なのです。

スピリチュアルを理解するためには、そのような、包括的な視点で捉えて行くことが大切です。

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2011年12月 4日 (日)

霊からのメッセージは、どのように聞こえるか。

私たち人間には、誰にでも、たましいの導き役である、守護霊と呼ばれる存在がいます。守護霊とは、とても大きなくくりでまとめた名称で、そのうちの一つに、指導霊と呼ばれる、資質や才能をつかさどっている役割の守護霊がいます。

スピリチュアルリーディングを行う場合には、こちらの、指導霊に焦点を合わせていくのが一般的、とされています。

指導霊からのメッセージが、どのように聞こえてくるのか、私の場合を書いてみます。

霊との会話というのは、人間の会話のように、たとえば一問一答のような、明確なものではありません。あちらの伝えたいことを(必要があれば)伝えてくるという、どちらかというと受け身で行われるのが霊とのやりとりであり、人間の側が、聞きたいと思っていることに、何でも答えてくれるわけではありません。

指導霊は、私たち人間の成長を望んでいますので、自力を後押しすることならばヒントをくださることもありますが、依存を増長するようなことはしませんし、ああしろ、こうしろ、と、命令のようなことは、あまり伝えてくることはありません。

指導霊が伝えてくるメッセージというのは、本当にひと言か、ふた言であることが多いです。たとえば、「それは、自分だけの都合で相手を振りまわしている」とか、「あなたに、トラブルの原因がある」とか。

明らかに「聞こえる」のは、上記のように、ほんとうに、短い文章のようなものだったり、単語のようなもの、なのですが・・・、しかし、同時に、その短い言葉の意味するところが、伝達されてきます。

私は、その様子を、例えていえば、頭にメモリスティックが差し込まれるように、データが伝わってくるような感じ、と表現したりしますが、テレパシーのようなものでもあり、音声や言語ではない、意識と意識の通信のような・・・、そんな伝達が同時になされてくることが多いです。

なので、上記の例でいえば、「それは、自分だけの都合で相手を振りまわしている」、というのは、どういう感情が発端となっているか、何を守ろうとして振りまわしているのか、ということも含めて、だいたい把握が可能となるので、それらをあわせてお伝えできるのです。

ただそれは、何でもすべて魔法のように分かる、という意味ではありません。細かいことは、まったくわかっていません(笑)。その一言を解釈するために最低限必要な補足事項として、ご相談者様の解釈のために、伝わってくるのだと思われます。

この伝達の時間は、一瞬です。一瞬というのは、ちょっと大げさかもしれませんが・・・、データの通信のようなもの、ダウンロードのようなもの、なのでしょう、それほど長い時間が関わるわけではありません。

ただ、それをお伝えするために、文章化されていないものを文章化するのは、時間が掛かって、ちょっと私が考え込んでしまったりすることがあります。私のボキャブラリーの不足だったり、私にまったく知識がないことについて、(私がうまく解釈できないので)まとまりにくくなったり、ということは、どうしても出てきます。

あちらの世界には、時間というものはないので、データ通信も一瞬のようなものですが、それを受け止めて解釈するのは、時間のあるこの世で生きている人間なので、受信はスムーズにはいかないことも多いのです。

もともと、私は、霊の声をきく霊聴という資質が、それほど高くはないので、(霊視も、それほど高くはありませんが(笑))、私にとってもっともスムーズに進む、このスタイルになっているのだと思われます。

この場合の、「聞こえる」という状態とは、「耳の機能で音声として聞こえる」のと「頭の中に、声らしきものが響いて聞こえる」のとの、中間のような感じ、でしょうか。

頭の中に響く場合は、自分の思考との区分けをどうやってつけるか、不思議に思われるかもしれませんが、自分の思考というのは、音声を伴わないか、または自分が話している音声に近いものと思い浮かべるのではないでしょうか。霊聴の場合は、それぞれ声の個別差があると重います。

また、これらの霊聴の場合と、自分の思考とは、私の場合は、あきらかに違いますので、どちらなのかと迷う場面そのものが、ほとんどありません。迷うとしたら、自分の思考か否か、ではなく、その声が、「どこから」という源について、ならばあるかもしれません。

でも、不思議と、それも、「分かる」というか・・・、音声とともに伝達されてくる情報のようなもので、把握ができるところが、霊感たる所以、ということになるのでしょう。

・・・これらのについて、言葉で説明するのは難しく、あえてわかりやすく説明するとしたら、という前提での内容となります。なんとなくでも理解し、何かの参考になれば、と思います。

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