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2011年12月の4件の記事

2011年12月28日 (水)

過去を、「エネルギー」として透視的に読み取る。

私は、それほど霊視や透視力が優れていませんので;、過去の出来事を、すバリその場面を見るようなことは、あまり得意ではありません。できるときと、できないときのバラつきがあります。

なので、過去を読み取るときには、具体的な出来事の透視ではなく、「エネルギーそのものの透視」というか、いつ頃の時期に、(具体的に何があったか、ではなく)とても大きな精神的負荷がかかるような何かがあった、とか、逆に、とても喜びが大きい時期だった、とかの、流れを読み取るようにしています。

たとえていえば、それは、エネルギーの「グラフ」のようなものを、読み取る感覚と近いかもしれません。

ただ、そのエネルギーの流れには、数値のグラフのような基準値がありませんので、便宜上の基準を設けることで、時間の流れを把握するわけです。

以前に、未来を予知することが難しい理由のひとつとして、あちらの世界には、こちらの世界のような時間という感覚がないので、いつ何が起こるかという、こちらの世界の尺度とのすり合わせが難しいためです、という内容で、記事を書いたことがあります。

その際に、便宜上、今このときを「ゼロ」という基準点として、前後左右をはかっていくようなものだと説明したと思います。

今回の、過去についてのエネルギー透視的に把握する際も、それと同じで、今をゼロとした基準を設けたとしたら、という前提で、過去を(エネルギー透視的に)さかのぼっていきます。

そのため、私のリーディングで、それらに触れる場合には、「だいたい、今から何年前くらいに○○・・・?」というような、今を基準とした、今からさかのぼった形式での伝え方になっているのです。

同じようなリーディングを行いたい方がいるかもしれませんので、ちょっと、そのためのコツのようなものをお伝えするとしたら、このときの感覚というのは、今を基準とした、再生の「巻き戻し」ようなものと、ちょっと近いかもしれません。

なので、この感覚を練習するとしたならば、たとえば寝る前に、今日起こった出来事を、朝から順番に・・・ではなく、夜(今)から、巻き戻すかのように、順番に思い出していくようなことも、多少効果があるのではないかと思います。

そのときの、「感覚」を練習して体感しておくと、後で役に立つこともあるかもしれません。私は、そういう練習からできるようになったのではないので、あくまで、私の感覚でしかないのですが、これらのことは「似ている」ことは確かです。

ただ、スピリチュアルリーディングというのは、手順や技法でできるのではなく、その人独自の霊的な資質によってなされていくものなので、方法というのは、一律にはできず、私のやり方は、あくまで、私が、私の資質に合わせて作り上げたものですので、このとおりにやれば、私と同じことができるとは限りませんし、それが正しいとか近道だとかいうことでもありません。

その人独自の、ふさわしいやり方が、人の数だけ存在すると思います。

私もいつかは、この方法を使わなくなるかもしれませんし、・・・すでに、最近はあまり使っていませんが、ふと思い出したので、書いてみました。

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2011年12月 6日 (火)

スピリチュアルな考え方、スピリチュアルな生き方、とは。

スピリチュアル、というのは、「霊的な」「精神的な」という意味を表す単語です。

物事をスピリチュアルな観点から考える、ということは、霊的、精神的な意味を含めて、その場限りの限定された意味だけではない、個人的な欲を超えた「愛」で理解し、たましいの成長につなげていく考え方になります。

狭くとらえ過ぎると、(スピリチュアルを深く理解しようとしているはずなのに)、逆に、解釈に乖離が生じますので、気をつけなければなりません。

たとえば、苦しいことがあったときに、「今は苦しくても、この努力が今の自分には必要であり、学びになるのだろう」という考え方で、取り組んでいくことが、スピリチュアルな観点を含めたとらえ方になると思います。

仮に、苦労や努力の結果、表面だけを捉えれば、必ずしも、自分の望むとおりにはならなくても、努力の過程でさまざまな技能が身につくこともあれば、人間関係が増えることもあれば、得られたものは、自分が注いだ労力と同じかそれ以上のものがあるはずなのです。霊的な考え方、スピリチュアルなとらえ方というのは、そういうことを指します。

目に見えないことを題材にすれば、それがイコール=スピリチュアル、なのではありません。

スピリチュアリズムに興味がある方の中にも、「霊のことや、守護霊や前世やオーラといった、通常、目に見えないことを絡めて考えれば、それガスピリチュアルだ」、というふうに、思い込んでいる方が少なくありません。

スピリチュアリズムというのは、私たち人間もまた、(肉体を持った)霊的存在であり、霊的存在だからこそ、霊的要素の関与を受ける、という前提があっての哲学です。

自分もまた霊なのですから・・・、「霊的な=スピリチュアルな考え方、とらえ方」というのは、自分自身の「霊性」のあり方、とも言えます。

たとえ、話題にしていることが、霊のことや、目に見えないことであっても、○か×か、という狭い範囲の、限定された定義の付け方で考えていたり、守護霊は自分に楽をさせてくれる便利な存在だと思っていたり、というような、短絡的なとらえ方をしていて、自分の霊性を考慮しないのならば、その考え方は、スピリチュアルな考え方とは言えないでしょう。

私たち人間は、本質は霊なのですが、肉体という物質をもって、この物質界に生きて、学びのための経験をしています。

ですから、人間とは、霊でもあり、肉体でもあり・・・、それらの要素が相互に作用しあって、人間として成立しています。

肉体を伴っている私たち人間という存在は、スピリチュアルに物事をとらえて生きていこう、としても、それは、肉体を伴った上でのことなので、どうやっても、霊だけ100%になることはできません。

私たちは、霊的な感性をもちながら、この世という物質界で、肉体という物質を伴って生きているのですから、「この有限の物質界の中で、無限の霊的叡智を活かすこと」、これこそが、私たちにとっての、スピリチュアルな生き方、だと思います。

目の前のこと、日常のこと、この物質界で展開する、さまざまな出来事について、霊的な解釈で立ち向かっていくその姿勢こそが、たましいの成長につながることであり、私たちが心掛けていかなければならない、スピリチュアルな生き方、なのです。

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瞑想をすると、雑念だらけになってしまう?

瞑想をしようと、静かな環境で目を閉じ、リラックスして、頭の中から思考を離して・・・となるはずが、次々に雑念が浮かんできて、止まらなくなってしまうことがありますよね。

今日の夕飯のメニューは何にしようか、あと少しで買い物に出かけないと・・・、子供が帰って来る時間がそろそろで・・・、ああそうだ、昨日みたドラマはおもしろかったな、あの俳優さんの名前は何だったかな・・・、そういえば、学生時代にあのドラマと似たようなことがあったな・・・、○○子は今どうしているだろう?、

と、今考えなくてもいいことが、次々に思い浮かび、目を閉じてはいるけれども、頭の中が、忙しくおしゃべりをはじめてしまい、瞑想どころではなくなります。

このような状態になったときに、「瞑想をしようとすると、雑念が次々に思い浮かぶ」と、認識してしまいがちですが、しかし、この状況は、瞑想するからそうなっているのではなくて、普段から(瞑想をしていなくても)同じように雑念だらけになっているのだと思います。

いつもは、いろんなことを同時進行で行っているので、頭の中の雑念も、それほど意識は向けられずに、頭の中に浮かんでは流れていきます。そのため、あまり(雑念に)気づきません。

けれど、改まって、瞑想をしようと、静かに座って目を閉じることで、視覚の情報が遮断されるので、頭の中というか心の中というか、そちらの要素だけに意識が向けられていくので、当然、「雑念が、クローズアップされてしまう」ことになるのです。

ですから、「瞑想をしようとすると、雑念が次々浮かぶ」ように思える体験を通して、「瞑想をしようとしてみたことで、いかに、自分が普段からどれだけ雑念だらけで過ごしているのかに気づいた」ことになります。

思考と雑念を、イコールのように考えている方もいるかもしれませんが、思考とは幅広いものであり、自分の毎日のため、成長のために必要な分析としての思考もあれば、ただ気が散っているだけの、あまり重要ではない雑念もあります。

昨日見たドラマとか、俳優の名前とか、学生時代の思い出とか・・・、それぞれ、無意味とはいいませんが、今ここで、特に考えなくても困らないことばかりです。日々、そうして、あちらこちらと気が散って、自分の想念というエネルギーを、消耗していることになります。

まず、「そうなっている自分の状態に気づく」ことが、大切だと思います。 その上で、(瞑想時に限らず)いかにして、雑念から意識を離していくか、または、なぜ自分は、雑念がいっぱいになっているのか、という点を、思考して分析してみることです。そういう場合の思考=分析は、成長のために意義のあるものであり、雑念とは違います。

私たちは、英語を話しながら、同時にフランス語を話すことはできないように、思考もまた、必要な思考をしながら、雑念だらけになることは難しいものです。自分にとって重要な思考をすることで、相対的に、あまり重要ではない雑念を減らして行くことにも繋がるでしょう。

まず、普段から、(意識していないだけで)実は雑念でいっぱいになっている、という状況に気づくことや、仕組みを理解することだけでも、意識が、ワンクッション置かれることになるので、雑念から遠ざかることが、しやすくなる場合も多いようです。

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2011年12月 5日 (月)

スピリチュアル的な問題なのか、それとも自分の中身の問題なのか

「現在、ある状況で困っているのだけれども、これは、何かスピリチュアル的な要素が関連している問題なのか、それとも自分自身の問題なのか」という、ご相談をいただくことが、しばしばあります。

このブログをご覧いただいている人の中にも、そのようなとらえ方で、今自分が立ち向かっている悩みは、どちらに分類されるのかが分からない、スピリチュアル的なのか、それとも、そうではないのか、それらを区分するためのヒントを得たい、という目的でお読みいただいている方もいらっしゃるかもしれません。

スピリチュアリズムでは、私たち人間は、肉体を伴った霊的存在であり、つまり、私たちも霊であり・・・、私たちは、その霊性を向上させるために、この世という物質界において、肉体を伴い、あらゆる経験を通して学んでいる、という前提があります。

私たちは、霊ですから・・・、そして、この世は、霊を向上させるための場所でもあるので、この世で自分が経験することは、広い意味でいえば、すべて霊的であり、すべてスピリチュアルなこと、でもあるのです。

物質界において、物質的なやりとりや出来事を通して、目に見えない霊性をも学んでいるのが、この世での、私たちの日常ですから、どんなことも、すべては広い意味でいえば、スピリチュアルな意味はあって、そして、どんなことも、相応の、物質的な意味も、あります。

もちろん、その中には、とりわけ、スピリチュアル=霊的な意味合いの大きい出来事と、それほどでもない出来事、という、程度の差は存在します。けれど、スピリチュアルな要素がまったく関連しない出来事、というものはありません。

ですから、「これは、スピリチュアル的で、あちらは、スピリチュアル的ではなくて自分の問題」という区分けは、厳密にはつけられません。

スピリチュアルか、そうでないか、という区分けの表現をあえてするならば、それは、「スピリチュアル=霊的な意味合いが、とても大きい出来事か、それとも、意味合いの大きくない出来事か」という区分けを、わかりやすさのために端折って使う場合だと思います。

私たちもまた、霊的存在である、という前提で考えていけば、このことの理解は難しくはないと思うのです。スピリチュアリズムは、その前提ありきの哲学であり、この物質界を楽で得をするためのマニュアルやハウツーではないことを、きちんと理解しておくことは大切です。

前世や、守護霊や憑依霊、家系の因縁が関連していることならスピリチュアル的な原因、そうでないことは、自分自身の問題、とでもいうような区分けは、明らかな間違いです。

私たちは霊ですが、肉体を伴って、この世を生きています。霊と肉体を明確にわけることはできません。私たち人間は、霊でもあり、肉体をも持っている、わけです。

この世で起こることは、すべて学びのためなので広い意味で、自分の成長に繋がっていきます。それは、スピリチュアルなこと、でもあり、自分のこと、でもあるのです。

これからが、複雑に混じり合い、組み合わされて、私たちは日常から学ぶ経験をしています。

この仕組みを、どちらか一方に分けるというのは、例えば、バケツに海水を汲んできて、これを、「水」と「塩」に、ハッキリと分けようとしているようなものです。

どちらに当てはまるのか悩む状況とは、バケツを目の前に、これは水なのだろうか、それとも塩なのだろうか、と、悩んでいるのと同じです。

両方が含まれているものを、どちらか一方「だけ」にしようとするのは、海水に対して、これは塩である、とか、これは水である、とだけ定義をつけるようなもの。

すべての出来事や悩みにおいても同じで、これはスピリチュアルが原因なのか、それとも自分自身の問題なのか、という考え方も、海水を水と塩のどちらかに分け用としているのと同じになります。どちらも混ざっているからこその、海水であるように、どちらも含まれいるのが、肉体をともなった霊的存在である私たち人間であり、霊の学びを、物質界で行っている、この世の出来事なのです。

スピリチュアルを理解するためには、そのような、包括的な視点で捉えて行くことが大切です。

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