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2011年11月の19件の記事

2011年11月30日 (水)

「相手の得意分野」と、「自分の苦手分野」を、同列に並べていないか。

私たちは、たましいの存在で、この世で肉体を伴って生きるという経験をとおして、たましいの学びをしていますので、各自の学びにふさわしい今回の人生における個性を備えています。

「人間は、たましいの存在であり、この世で肉体を伴った人生を通して学びをしている」という点は誰もが同じですが、各自の学びが違う以上、個性には違いがあります。

そのことを頭では理解していても、「あの人は恵まれている」、「私には、あんな才能がない」、「不公平だ」と、つい思ってしまうものではないでしょうか。

誰もが同じとはいっても、備えている資質も性格も違う以上、「すべての要素が、もれなく同じ」ではないのだから、差がつくことはあるでしょう。

けれど、その差というのは、「ある一部分のみを抜き出して、比較した場合の差」でしかないことを、きちんと踏まえておく必要があります。

たとえば、「東大卒の弁護士」と、「プロ野球選手」がいるとします。この二人を、学問の出来だけで比較するなら、東大卒で司法試験をも突破した弁護士さんが勝ると思われます。逆に、この二人を、運動神経だけで比較するなら、プロ野球の選手が勝つでしょう。仮に、弁護士さんも運動神経がいいとしても、プロの選手と比較すると、差は出ることと思います。

こういう比較の仕方は、・・・あまり意味がないですよね。たった一つの要素「だけ」を比較すれば、その要素の専門家が高い評価になるのは、当然だからです。

一般に、「あの人が、羨ましい」という比較の仕方は、それと同じで、「相手の得意分野」と、「自分の苦手分野」を比較しています。

つまり、「差がつくのが当然のことに、実際に差がついて、落ち込んでいる」ことになります。なぜ、分かりきったことをあえて比較して、わざわざ、そのような、自分を苦しめるようなことを、「自分で」するのでしょうか。

自分と相手は、「違う個性をもった、違う人間」であり、「一部分と一部分を比較すれば、なんらかの差がつくのは当然」で、しかし「誰もが、独自な資質を備えているという点では、同じ」だと考えていけば、冷静になることができます。

そして、自分の個性を活かした生き方をしていこう、という意欲を持つことも、できるようになるでしょう。

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2011年11月26日 (土)

自分が当事者ではない問題についての、取り組み方。

悩み事や心配事は、自分の考え方や行動による影響で改善や解決ができるものと、そうでないものとがあります。

何でも、一生懸命になれば変えられるわけではありません。自分の努力という働きかけが及ぶ範囲と、そうでない範囲のものがあります。

とても大きな努力をしたとしても、必ずしもその働きかけの結果が、思い通りになるとは限りませんが、少なくとも、何らかの影響を与えられる問題と、そうではない問題とがあるのです。

その違いというのは、悩み事や心配事の当事者が誰なのか、という点です。もっと言えば、「その件の当事者に、自分が含まれているか」、そうでないかの違いです。

たとえば、上司の人間性に悩んでいる、とします。それは、自分の認識の上では「上司の問題」という表現になるかもしれませんが、実際には、「上司個人の問題」ではないので、「上司と自分との、人間関係の問題」になります。

上司と自分の人間関係では、当事者となるのは、上司と自分で、自分も構成要素の半分なので、自分が考え方を変えたり、工夫をしたりすることで、改善をさせることは可能です。相手のあることですから、自分の望むそのままにはならないとしても、多少の影響は与えることはできるでしょう。

しかし、自分の親友が、ご主人との関係がうまくいかずに揉めていて不機嫌になり、ストレスから、自分に八つ当たりをされて辟易している、という場合には、問題の当事者が誰なのか、という点を、間違えないように捉えて行く必要があります。

親友の悩みは、夫婦仲ですから、当事者は「親友とご主人」です。ここには、他人である自分の努力により、改善を図ることはできない領域になります。

自分が当事者となるのは、「親友と自分」という人間関係において、です。つまり、八つ当たりをされて困っている、という二人の関係については、当事者になることができます。この問題には、半分は自分が関係しているので、働きかけにより、改善をはかることもできるでしょう。しかし、親友の心の問題となっている、夫婦仲については、当事者ではない自分の影響は及ばない領域になります。

自分の母親が、義妹との関係で揉めている、という場合も同じです。「自分と、母親」「自分と義妹」の関係においては当事者となれますが、「母親と義妹の人間関係」では、自分は直接の当事者ではありません。

それらの問題に、自分が関わってはいけない、という意味ではありません。それは、近しい関係であれば、便宜を図ることが求められる場合、そうしたほうが望ましい場合はあるでしょう。

けれど、当事者ではない自分が、出来ること、影響を与えられることというのは、自分が当事者であるケースと比較すれば、相当に限られた範囲のものでしかなく、影響の度合いも思うようなものにはならないこともありますし、ときに、よかれと思って手を出したことが、むしろ問題を複雑にしてしまうこともあるかもしれません。

これらのケースの解決のために、関わりをもつならば、それは自分が当事者となる問題と比較すると、相当に上級編・応用編の、取り組み方が難しい問題となってしまいます。

自分に近い間柄の人の悩みを、何とかしてあげたいという思いは尊いものですが、基本、解決や改善のためには、当事者がそうしようとする意欲が大切ですし、当事者が解決や改善を望んでいることが前提です。その前提があって、サポートすることはできても、当事者の役割を丸ごと引き受けることは、実質不可能です。

この違いを、理解しておく必要があります。他人の問題(つまり、当事者が自分ではない問題、という意味であり、身内か否かとか、親しさの度合い等を指しているのではありません)を、自分の問題(自分が、当事者となっている問題)と、同列に扱ってしまうと、どうすれば解決や改善に繋がるのか、まったく見えてこなくなり、悩みが深くなってしまいます。

近い関係の人ほど、距離感が難しく、割り切りができないので、あれもこれも、自分に関わりの深い問題であるかのように、捉えてしまうことがありますが、これらは、分けてかんがえていくことが大切です。

そして、当事者が自分ではないが、という前提をしっかりと認識した上での、サポートとして、関わりを持つ、というスタンスをしっかりと作っていき、「自分が、この件を何とかしなくては」という思い入れから、自分を離していくことも、大切だと思います。

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2011年11月25日 (金)

動物のオーラ。

動物にも、体をとりまくようにオーラが存在しています。

この様子は、人間のオーラと共通する部分もあれば、少し違いが見られる部分もあります。

動物のオーラは、人間のオーラほどには複雑ではありません。やはり、人間の思考や感情、霊性といった複雑さは、人間ならではのものであり、人間以外の動物のオーラは、それよりは少しシンプルなものとなっています。

動物は、本能的な感情はあっても、理性的な(人間のような)思考はあまりもっていないので、その分、邪念のようなものも少ないためでしょうか、オーラは透明感があり、ふんわりとしている感じです。

犬や猫など、お家でペットとして飼われている動物は、おとなしい子もいれば、元気で活動的な子もいて、性格に違いがありますよね。

人間と一緒にいることで、思考や感情が発達していくのと、そもそも、ペットとして飼われる動物は、生活環境に馴染むことができるだけの知能を備えている種類が選ばれているのだと思いますが、知能が高い種類の動物ほど、オーラにも性格上の「個体差」「個人差」のようなものが表れやすくなります。

それらと比較して、たとえば虫などの場合は、犬や猫などのような、性格上の個体差、個人差のようなものは少ないと言えます。

体力面などで、エネルギッシュか、そうでないか、というような差もオーラには表れることもあると思いますが、ここで取り上げているのは、性格的な要素の反映に限ってのことです。そちらの場合は、オーラの個人差、個体差の幅は、その動物の知能の高さと関連していると思います。

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2011年11月24日 (木)

うまくいかない可能性を理解した上で、新しい行動に踏み出せば、迷いから抜けられる。

あくまで、可能性の話ですが・・・、自分の得意なことや、経験のあることは、うまくいく可能性が高く、得意ではないことや、経験のないこと(得意か否かが、分からないこと)は、うまくいく可能性が、得意なことと比較すれば、低くなります。

自分が、これから、どんな行動をしようか、と考える際に、どうしても失敗したくない、なんとしてもうまくいかせたい、と思うのならば、自分の得意なことや経験のあることを選んでいけば、あくまで確率としては、うまくいく可能性が高くなります。

逆に、苦手なことを選べば、可能性は(得意なものと比較すれば)下がってしまうことはしょうがないです。

新しい行動や、今とは違う選択を取ろうかと迷いがある場合、「うまくいくか、そうでないのか不安で、迷ってしまう」と訴える方は多いのですが、可能性という数字の面からすれば、「得意なことや、経験のあることは、うまくいく可能性が高く、得意ではないことや、経験のないことは、うまくいく可能性が、得意なことと比較すれば、低くなり得る」という、このことは、分かりきっています。

「新しいことに踏み出したいが、うまくいくか不安だ」という悩みは、「うまくいくかどうか、わからないから、悩んでいる」ように思えますが、実は、「あくまで数字上の可能性からいえば、ほぼ分かっていることを、悩んでいる」ことになります。

誤解のないようにお願いしたいのですが、うまくいく可能性の高いことをやるべき、可能性が低いことはしないほうがいい、と言っているのではありません。実際にどうなるかは、やってみなければわからないですし、成功することが正解で失敗が間違いとも言い切れず、経験の価値は、成果だけでは判断できません。

ここで大切なのは、「分かりきっていることで悩むよりも、分かった上で、その前提で心がけて行動すればいい」ということです。

たとえば、目の前にケーキがあって、「自分は甘い味は苦手だが、しかしケーキは食べてみたいと思っている人がいるとします。

その際「・・・これは、甘い味がするのではないかな?」と、食べるのを躊躇するよりも、ケーキは可能性としては甘いことがほとんどなのだから、「多分、甘いのだろうな(できれば、甘くないケーキが食べたいのだが)」と思いながら、食べればいいのです。

この場合は、あくまで、「自分が、食べたいのならば」です。どうしても、絶対に甘いものを口に入れたくない、と思うならば、甘いかもしれない、というリスクを負えないので、ならば、「一切、食べない」という選択をするしかないです。中には、甘くないケーキも存在するかもしれないけれど、何としてもハズレをひきたくないなら、食べない、という選択をすれば、防げます。

新しいことや、得意分野ではないことに踏み出す際には、うまくいかないかもしれないという前提で、それでもやりたいならばやる、という行動をするしかありません。

実際に、行動した結果や成果がどうなるか、というのは、やってみなければわからないのです。可能性の高低は分析できても、その確率は100%ではない以上、未経験でもうまくいくこともあれば、経験済みでも失敗することもあります。

しかし、前もって100%の予測はできない以上、どれほどに時間をかけて考えても、未確定の可能性の話にしかならず、そして、可能性を基準にするならば、「得意なことや、経験のあることは、うまくいく可能性が高く、得意ではないことや、経験のないことは、うまくいく可能性が、得意なことと比較すれば、低くなり得る」という分析に至ります。

そのことを前提とした上で、あとは、「(それでも)やるのか、やらないのか」その点だけ、という、とてもシンプルな問題です。考えすぎて複雑にしているのは、自分自身の解釈のし方であり、現状や選択肢が複雑なのではありません。

もちろん、その決定をする際に、さまざまな要素を考慮しなければならないことは確かです。けれど、それは、「分析の材料となる要素」であり「決断の選択肢」ではありません。ここを混ぜると、複雑になり、答えが出なくなります。

そして、絶対に失敗したくない、必ずうまくいくことをやりたい、と思っていては、新しい行動や経験に踏み出すことができませんので、今の自分の器や現状は、どのくらいのリスクを負うのが限度なのか、という点を見極めながら動いていくことも大切だと思います。

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2011年11月23日 (水)

口呼吸を改善して、正しい鼻呼吸を。

自分の呼吸を意識してみてください。きちんと、鼻で呼吸ができているでしょうか。多くの方が、特に女性は、口呼吸になっていることが多いのではないでしょうか。

呼吸は無意識でなされていくので、自分にとって「楽な方法で」呼吸をしているものです。

通常、私たちは、鼻と口の両方をつかって呼吸をしていますが、会話をしているときは、口呼吸が多くなります。鼻で吸うと時間が掛かるためです。

また、運動をしているときにも、一度に大量の空気を吸う必要があり、スピードの早い口呼吸になることが多いようです。

しかし、それ以外の場面でも、意外と、口呼吸になっている人は少なくないようです。私自身も、その傾向があります( ̄_ ̄;)。

口呼吸の問題のひとつに、呼吸が浅くなりがち、という点があります。

最近、このブログでもたびたび、自律神経について書いていますが、普段から口呼吸をしていると、活発モードである「交感神経」が優位になり、リラックスしにくくなります。常に体と心が休まらない状態を、作りだしてしまうことにもなります。

運動時や会話時は、口呼吸が多くなりますが、それらの行動は、精神が活発モードである「交感神経優位」になっているのが、ふさわしい状態ですから、それはいいとして、特に何もしていない平時にまで、活発モードにしておく必要はないですよね。

しかし、普段から、口呼吸が習慣になっている人は、何もなくても、肉体の機能と心の状態が、休まらなくなりがち、ということになります。

私たち現代人の生活は、さまざまなプレシャーや慌ただしさなどにより、自律神経が常に(本来、活発とリラックスが適度に切り替わっていくはずが)活発モードのみに偏りやすいですから、口呼吸になると、ますます、その状態を後押しすることにもなってしまいます。

この状態を改善して、なるべく鼻呼吸にしていくのが望ましいのですが、口呼吸に慣れていると、なかなか、すぐには鼻呼吸に切り替えにくいものです。意図的に、「鼻呼吸をする練習」を積み重ねていくことが効果的だと思います。

【送料無料】呼吸美メソッド

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こちらの、「呼吸美メソッド」という本が、とてもお勧めです。

方法や、仕組み、体への呼吸の作用などが、マンガでわかりやすく説明されていて、イラストもたくさん、カラーの写真付きで、ストレッチなども紹介されています。

呼吸の本を何冊も読みましたが、わかりやすさでいえば、この本が一番お勧めです。

この本の中では、吸うのも吐くのも鼻呼吸を進めています。出来れば、それが望ましいと思いますが、苦しくて息が続かない人は、吐くときを口呼吸にして、鼻で吸う、という練習をまずは行っていくのがいいと思います。

今まで、多くのご相談者様に、ご紹介しましたが、とてもわかりやすい本だと好評です。

私も、なかなか、鼻呼吸ができなくて、リラックスしにくいのですが、この記事を書いたことを機会に、また、取り組んでいきたいと思います。

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2011年11月22日 (火)

分かり合うためには、張り合うのではなく、認め合うことが大切。

ご夫婦仲がうまくいかない、ご主人が自分を理解してくれない、という、奥様からのご相談をいただくことがあります。

そのケースのすべてが該当するわけではありませんが、中には、「奥様が、ご主人と競争をしてしまっている」ことから、溝が作られている場合があります。

性格がしっかりしていて強いタイプの奥様は、ご主人様と分かり合いたいのに、なぜか張り合ってしまい、それが、ますます、理解されない原因となってしまうのです。

張り合ってしまう理由とは、ご主人様を打ち負かしたいのではなく、自分が競争に勝つことで、自分の正当性を認めさせたい、そうすれば、相対的に(自分が勝者になれば、もう一方の相手は敗者となり)ご主人の間違いも、証明されることになるはず、と、思ってしまうためです。

つまり、自分が正しい(競争に勝つ)ことを証明して、相手の間違いを認めさせたい、という気持ちから、張り合ってしまうのです。

けれど、一般に、許容の態度を取る人と、挑戦的な態度の人と、どちらに親しみがわき、分かり合おうとする気持ちが生まれるかといえば、それは前者のほうで・・・、仮に、競争して奥様が勝ったとしても、奥様が望むようなものは、得られないことがほとんどです。

自分の正当性は思ったほどには証明されず、もちろん連動してご主人の間違いも思ったほどには認められず、自分を理解してもらいたい、という根幹の願いも、満たされないままとなります。

ご夫婦間で、分かり合う、というのは、お互いに相手を理解することです。つまり、自分のことを理解して欲しい、という気持ちがあるように、自分もまた、相手のことを理解しようとすることが大切だ、と両面から捉えていき、なされていくものです。

自分の不満を、自分が競争に勝つことで正当化し、負けた相手に認めさせよう、という考え方には、相手を思いやるとか理解するとかの思いやりがなく、自分の主張だけが存在しています。

「自分が正しくて、相手が間違っている、からうまくいかない」、という気持ちは、少なからず誰もが持っているものです。それもまた、お互い様だから、その感情をゼロにしなくても、相手を尊重する気持ちも、持ち合わせていけば、それなりに分かり合うことは可能です。

しかし、張り合って自分が勝つことで、ご主人様に自分を認めてもらおうとする態度は、自分が正しい、あなたはまちがっている、という主張を、前面に掲げて戦っているのと同じですから、分かり合うどころか、むしろ対立を深めてしまいます。

自分を分かってほしいなら、素直になることと、そして、自分もまた、相手を理解して、一方的な理解ではなく、相互の理解、お互いに分かり合う、という関係を目指していくことが大切です。

目的は、お互いの関係をよいものにしてくことであり、張り合って自分が勝利することではありませんよね。

主張が強いタイプ、もしくは、忍耐力があって自分が努力していくパワーを持っているタイプの人は、ほんの少しのボタンの掛け違いで、目的が置き換わってしまうことがありますので、心がけていきましょう。

分かり合うための手段に、張り合って相手を負かす、という方法は、本当にふさわしいのか、と冷静に考えてみれば、本当に自分が求めているものが見えてきて、そのために、もっとふさわしい手段があることが、分かるでしょう。

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2011年11月20日 (日)

オーラの浮き上がりと、「記憶」の関係。

体と心のバランスが悪くなると、その状態を表すかのように、肉体からオーラがずれて、浮きあがっているような状態が見られます。

(通常は、しっかりと、肉体を覆うようにオーラが存在しているのですが)肉体の中心と、オーラの中心が一致しないかのようなズレが見られ、多くの場合、それは、オーラが上へ浮き上がっているような、一部肉体から抜け出ているかのような位置になります。

オーラの位置がほんの少しずれてしまうのは、日常よくあることで、たとえば、疲れが大きいときや、風邪を引いたりして調子が悪いときなども、若干のズレがでるのは珍しくはなく、そして調子がいつもの状態に戻れば、オーラの位置も、元の状態へと戻っていく、という、変化を繰り返していますので、その程度は、あまり気にする必要もありません。

しかし、このズレた状態が、習慣化してしまい、「常に、浮き上がっている」ような状態になってしまっている人も、中にはいらっしゃいます。

オーラが肉体から大きくずれると、その隙間に、いろんなネガティブなエネルギーが入り込みやすくなり、また、オーラがずれることで、本来、肉体のほうに巡るはずのエネルギーもうまく流れなくなることもあります。

そのため、ズレが習慣化してしまうと、さまざまな影響が複合的にからみあい、(平均的な、ズレが自然に戻っていく、という時間と比較すれば)戻りにくくもなってしまうのです。

このような状態になると、記憶力がうまく働かなくなることが多いようです。

精神のバランスが乱れて、精神を安定させるお薬を飲んでいるような人のオーラは、このような、「オーラがずれて浮き上がっているような状態」になっていることが、少なくありません。お薬を飲むからそうなる、というのではなくて、お薬を飲むような精神状態にある人のオーラが、浮き上がっていることが多い、という意味です。

精神のバランスが乱れている人は、軽い、記憶障害のような状態になることがあるようですが、これらは、オーラがきちんと肉体に入っておらずに、浮き上がってずれていることも、少なからず関係しているのではないかと私は思っています。

私たちは、夜寝ている間は、肉体からたましいが離れて、あちらの世界へ里帰りしている、ということが、江原さんの著書などを読むと書かれています。寝ている間は、いわゆる幽体離脱のような状態になり、たましいが体から抜けて(切り離されているわけでは、ない)、あちらの世界へ戻っていく、と。

私たちは、寝ている間に見ている「夢」を、一部は覚えていることができても、鮮明には覚えていられません。一般的な日常のことなら、昨日のご飯の内容や、テレビ番組の内容は思い出すことはできても、昨日の夢のことは記憶が薄れていき、思い出すことが難しいものです。

これらのことからも分かるように、オーラが、肉体にしっかり入っていないとき、というのは、私たちの表面の意識に上る、この世的な感覚の「記憶」が、はっきりしなくなる、といえるのではないでしょうか。

また、霊能者が、セッションを終えると、その最中のことをあまり覚えていない、という話を見聞きすることがあると思うのですが、それも、セッションの最中は、意識状態が普通と違っていて、自分以外の霊の作用というか、霊的な要素を媒介するので、自分の本来のオーラと違った状態になることから、この、記憶の薄れのようなものが起こるのだと思います。

実際、セッションが終わった際の、記憶の薄れ方、というのは、朝起きた直後は、見た夢を鮮明に覚えていても、その後、時間とともに、内容を忘れていく感覚と、とてもよく似ています。

このセッションの事例は、特殊なものですが、それ以外のさまざまな事例を考慮しても、オーラがしっかりと肉体と結びつきがなされていて、あるべき状態にある時と、そうでない時との差のひとつとして、記憶という感覚への影響は「ある」と、私は感じています。

オーラが、きちんとあるべき状態にある、ということは、この世という日常生活からたくさんの出来事を学ぶにあたり、あらゆる面を踏まえて、とても大切です。自分の状態を整えていき、より充実して過ごしていけるように努力していきましょう。

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2011年11月19日 (土)

友達を見つける場所。

友人関係が上手くいかないとお悩みの方で、友人をつくる場所が適当でないために、いらぬトラブルやストレスを抱えている場合があります。

仕事に対する考え方で、「生活の手段である適職」と、「たましいの求める天職」を混ぜてしまわず、分けて考えるほうがいいとよく言われます(江原さんの本には、そう書かれています)。

このような考え方は、友達づきあいにも言えます。「仕事上の関係(業務上不可欠なもの)」と、「プライベートな友人関係」は、分けて考えるほうが、バランスが取れる場合が多いと思います。

会社内で友人をつくると、いつでも話ができるし、出かける予定も合いやすい、世間話で気晴らしもできますので、便利ではあります。

けれど、上手くいかなくなりトラブルが起こってしまったら、一転、辛い状況になります;。仕事の進捗にも支障がでそうですよね;。会社にいても目についてイライラ、家に戻っても思い出してイライラ・・・となります。

社外の友人ならば、仮にイザコザがあっても、仕事中は忘れることができます。逆に仕事がとても大変なときには、社外の友人と出かけることが気分転換になるでしょう。二つのフィールドが分かれているほうが、ちょうどよい距離感が保ちやすいのです。

お子さんがいらっしゃる主婦の方は、子育てが仕事のようなものですから、上記の考え方を当てはめると、やはり「ママ友」と「プライベートな友人」は、出来れば分けたほうがいいでしょうね。

女性は、両方を重ねてしまうため(社内で友人を作ろうとするので)、ストレスを抱えやすいです。トラブルになったときの逃げ場所がなくなってしまうからです。

男性は社内で友人を作ろうと考える人は少数です。部署内でゴルフに出かけることなどがあっても、それは、仕事の延長の付き合いであり、プライベートの付き合いとは分けているものです。

男性は、女性と違って、友達とうまくいかない、などの悩み方をあまりしません。男性と女性では、友達という存在の必要度が違うためでもありますが、公私を分けるのでトラブルになりにくいため、でもあるでしょう。

社内の人付き合いや、ママ友さんが、プライベートの友人と重なっていても上手くいっている人はそれでよいと思いますが(うまくいっているなら、重なっていても問題はないです)、上手くいかない自覚がある方は、この点を考えてみるといいと思います。

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2011年11月18日 (金)

「自立心」持って、他人の手を借りるのは、依存ではありません。

私たちの人生は、スピリチュアリズムの観点でいえば、「すべては、自己責任」となります。カルマの法則という、自分がまいた種が花開くという仕組みの中で、私たちは、「自分の力で、人生を切り拓いていく」経験をして、学んでいるわけです。

しかし、それは、他人の手を借りてはいけない、何でも自分だけで頑張りなさい、という意味ではありません。

世の中で、まったく他人の手を借りずに生きていくなど無理な話ですし、あらゆる人間関係なくして、たましいの成長はありません。

自分がいて、他人がいるからこそ、そこに感動が生まれ、・・・ときには、摩擦も生まれますが;、多くの「経験」ができるといえます。人間関係の中でしか得られない学びがあります。

「自分の力で」というのは、自分ひとりで生きていきなさい、という意味ではなく、自立心を大切にしていきましょう、自分に備わっているものを、活用することにより、磨いてきましょう、ということです。

私たちは、この世に生まれてから、親の(金銭的な面も含めて)世話になり、公的制度によって学校で勉強させてもらい、友人関係を築き、お店で買い物をして・・・、あらゆることで人と関わり、人の手を(お互いに)借りて、生活しています。

この世の中を生きていくには、どんなに無理をしたって、他人の手を借りずに生きることなどできないですよね。そして、自分が逆の立場になって手を貸すこともあり、お互い様で、支え合いながら生きています。

そして、すべての事柄に言えますが、どこまでが「自力」で、どこからが「他力」なのかという、明確な区分けはありません。

他人の手を借りるか否かの問題ではなくて「依存心」から他人をあてにしているのか、それとも、「自立心」をもって他人の手を借りるのかそこが大切なのです。

見た目の行動で判断できるものではありません。考えるべきポイントは、その行動に至るまでの動機ですから、「人様の手を借りる経験」からも、学んでいければそれでいいと思います。

もちろん感謝することは必要ですが、助けられることをネガティブにとらえすぎないようにしましょう。

それでも、手を借りることに罪悪感が出てしまう人は、まずは、自分が手を貸す立場になってみてください。そして、その上で、お互いに助け合う形の表れとして、貸した代わりに、自分も手を借りよう、という順番で取り組んでみてはどうでしょう。

やりとりが積み重ねられていくと、そのような構える気持ちは薄れていき、手を貸す喜び、借りることができるありがたさが、心を満たし、自然に振る舞えるようになるでしょう。

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2011年11月16日 (水)

本質という、たましいの要素があると認識することで、解消できる感情がある。

人の性格、性質、霊性などは、その人が、たましいの領域で備えている生まれ持った部分と、親の育て方や環境の影響などを受けて培われる後天的な部分との、両方が作用して発揮されていきます。

自分の性格や性質に満足していない人の多くは、「親から、そういう育てられ方をしたから」と思っていることが多いようです。

確かに、育てられ方等、親から受ける影響は大きいけれど、すべてが「生まれた後」の作用ではないことも、考え合わせていく必要があります。

本質とう生まれ持ったものを、どのように、どんな形で、表面化させていき、発揮させていくか、という学びを、私たちは、この人生を通して行っているのだと思います。

現状に対して、少しの不満もない人はいなくて、誰もが、少しくらいは、満たされない部分を抱えながら生きているものではないでしょうか。

しかし、その感情を、自分の中で納得をして折り合いをつけていける人と、不満を抱えたまま、「なぜ、私ばかりがこんな目に・・・」と考えてしまう人がいて、その差というのは、「本人と親との関係が、良好であるか否か」と、「本質であるたましいに対する理解度(=スピリチュアリズムへの理解)」により、作られてしまうように思います。

幼少期の親の対応が、とても辛いものだった場合、親に対する感情があまりに大きく・・・、すべてがそれに巻き込まれてしまい、それ以外の要素や感情を、自分の中で分離できなくなります。そして、それらをすべて、同じもののように認識してしまうのです。

「すべて、親のせいだと言いたくなるくらい辛かった」気持ちになってしまうことは分かります。親との関係がうまくいかないというのは、本当に、一つか二つの言葉では表し切れない苦しさを伴います。

しかし、自分のたましいの本質は、生まれた瞬間にゼロから作られるものではなく、自分のたましいが持っているものです。それがどのように育ち発揮されていくか、というのは、生まれてからの状況が左右することは確かですが、備わっている「本質」と、それが発揮される度合いという、移り変わりのある「状況」とは、同じではないので、そこは、分けて考えることが大切です。

そのように分析する視点をもつと、自分の思考と感情を整理することになり、冷静になっていけます。自分の、親に対する不満と、自分が自分に抱いている不満が、分離されていきます。

自分が、自分自身に抱いている不満(親に対して、ではなく)に、気づくことができれば、親に対する不満が、ほんの少しだけ、薄れていきます。・・・それは、本当は、ありがたいことのはずですが、そうと気づく本人にとっては辛いことです。親のせいだ、と思うことで、自分を支えていた部分があるので、気づいて認めてしまうと、その支えが揺らぐことでもあるからです。

それが苦しいから、人は、なかなか、気づくことができないし、気づきたくないから自分を見つめるのは嫌だと感じてしまいます。

しかし、自分の人生は、自分のものであり、親の所有物ではありません。所有権を、自分の手の中にしっかりと取り戻していくためにも、不満の感情を、学びに替えていくためにも、「本質というのは、生まれもっているもの」という、スピリチュアルな理解をしていき、苦しいけれども、その部分と、親にいだく感情とは、分けて考えていくことが大切です。

そうすると、少なくとも半分は、自分が自分を輝かせることができていない、という自分が理由の不満であり、親や周囲からの影響がすべてではないことがわかります。そうと分かることは、苦しいけれど・・・、しかしその苦しみは、未来の喜びに繋がるものとなります。

さらに、その理解が進むと、親への感情も、ゆっくりとですが、薄れて行くことが多いのです。

今まで、親の育て方に影響されていた、と思っていた自分の人生が、実は、「親に影響されていた」のではなく、「親に抱く、自分の感情に、自分が影響されていた」ことがわかるからです。

この点を認めるのは、並大抵ではないでしょう。とても辛いことだと思います。なぜなら、先にも書いたとおり、支えを一時的になくしてしまうかのような不安定さに繋がるからです。

ネガティブな要素の含まれた思いであっても、それは、一種のエネルギーです。エネルギーで自分を支えているわけです。しかし、ネガティブなエネルギーというのは、ネガティブさを注ぎ続けなければ、つまり、同じことを思い続けて、その柱を強固にしないと、支えられなくなってしまいます。ネガティブさ、というのは、本質ではなく、移り変わりのある「状態」だからです。状態は、維持し続けないと、変化してしまいます(だから、ネガティブな思いから、なかなか抜けられない、という現象が起こります)

ポジティブな思いというのは、私たちの本質なので、それは、(見失うことはあっても)消えてなくなることはありません。しかし、それは、とても繊細な領域にあるエネルギーなので、自分の感性を磨き、ネガティブさに向けるエネルギーを、こちらへ振り替えていかないことには、その存在を、感じ取ることができないものです。

つまり、この、自分を支えている柱の、質の入れ替えをしなければならないのですが、この作業が苦しいのです。

しかし、その苦しさを、超えてあまりあるだけの実りを、得ることができます。

自分の人生の主導権を手にしっかりともち、その柱となる要素を、感情というあいまいなものではなく、「本質」という揺るぎないものに入れ替えたときの、たましいが満たされる感覚とは、何より大きな安心が得られます。

誰もが、それぞれ独自の才能や資質を備えてこの世に生まれてきます。親の育て方その他で、備えているものを発揮しにくい状況にあった人や、才能を制限されたと感じている人も、「今から、自分自身の手で、未だ眠ったままになっている才能を掘り起こし、活用していく」と、考え方を入れ替えることで、より充実した未来を手にすることもできるでしょう。

生まれ持った、本質の部分と、その発揮のされ方という、後天的な部分を、まぜてしまって、とらえにくくしてしまうのは、ほとんどの場合「感情」です。それも、かなり昔に作られた感情の、積み重なった状態の柱です。

それらの、既に自分には不要になった、古い感情に気づき、取り組むことで、本質に気づきやすくなります。また、本質を理解することで、手放せる感情を見つけられるようにもなります。

自分が自分を支えている柱は、どんな要素で作られているか、見つめ直しながら、これらのことを考えてみると、見えてくるものがあるかもしれません。

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2011年11月15日 (火)

時期をリーディングすることの難しさ。

リーディングにおいて、過去を言い当てることと、未来についてお伝えすることの、どちらが難しいかといえば、それは断然、「未来」について、です。

「事実が、すでに確定している過去」を読み取ることと、まだ決まってはいない、「流動的な未来」を読み取ることは、同じようにはいきません。

そして、未来のついてのリーディングが難しい理由のひとつに、「時間」「時期」を把握することの困難さがあります。

あちらの世界には、私たちの感覚でいうところの、時間という概念が薄いので、時期を読み取るのは、本当に難しいものです。

「未来」と、「あちらの世界」とが、なぜ同列にならぶのか、と思われる方がいるかもしれません。それは、未来と、霊界が同じ、といっているのではなく(笑)、現時点では、「この世」と呼ばれる場所にない、これからの未来は、この世ならではの時間という感覚では計れない、という解釈において、ここでは同列としています。

時間というものが存在するかしないか、という議論はさておき・・・、この世においては、私たちは、時間を認識することができます。

なぜ、時間が認識できるか、というと、この世は、「比較=相対」の世界だからです。あちらの世界のことを、「絶対の世界」などと表現することがありますが、「絶対」は比較がありません。「相対」は比較があります。

たとえば、5分前の出来事と、3年前の出来事を、区別して記憶ができるのは、それぞれを比較する感覚があるからです。比較から時間を認識することができます。

これは、この世が比較(=相対)の世界だからこそできるものです。この世ではない部分、・・・それをまとめて「あちらの世界」と私は表現していますが、あちらの世界をリーディングして、この世の物差しに当てはめた、時期や時間の特定というのは、本当に難しく、5分前と3年前の記憶を、私たちが日常、用意に比較して区別ができるのと、同じようにはいきません。

実際に、それらを、どのように行っているのか、というと、私の場合ですが「もしも、○○ならば・・・」という、置き換えと仮定をして、無理矢理、決まった枠の中に(本来、枠には入りきらないものを)当てはめて、解釈しているようなものです。

時間は、比較の概念から認識しますので、まずは、比較対象を何か作らなければなりません。私の場合は、「今を、とりあえず、ゼロとして」そこから、比較をして、・・・無理矢理ですが、時間をだいたい逆算するような形でリーディングをしています。

・・・と、文章で読むと、何を言っているのか意味不明だと思うので( ̄∀ ̄;)、別の例えに置き換えてみます。

用紙の上に、長さ5cmの直線を引くとします。紙の上に、鉛筆で基点となるところをきめ、そこに定規を当てて、右に5cmの線を書きます。

目的は、「5cmの線を引く」ことですから、それを用紙のどこに書こうと自由です。なので、自分で、基点となるところを適当にきめて、そこに鉛筆を置き、書き始めます。

リーディングでの時期の把握として、「今を、とりあえず、ゼロとして」そこから比較をして把握する、というのは、「適当に、基点となるところをきめて、そこに鉛筆を当てる」ことです。

そして、「この世の時間や時期」という定規を当てて、基点を中心として、本来、時間という枠組みには収まらないものを、なんとか一部だけでも、枠に当てはめて、意図的に時系列化?するような、そんな感じです。

リーディングで把握する未来の情報とは、このように、比較の世界に生きている私たちが、比較の世界の物差しである時間に(本来収まりきらないものを)当てはめて解釈している、という、何重ものフィルターを通しているものにすぎません。

ですから、何か、予言やお告げのように、未来を知って得をしたい、という好奇心は抜け出して(完全なものなど、ないのですから)、自分が自分の手で、未来を作って行くという姿勢で、日々を生きていくことが大切だと思います。

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2011年11月14日 (月)

自分らしさを活かすためには、まずは「自分が自分を知る」こと。

自分らしさをいかして世の中の役に立ちたい思いを持っている方は、少なくありません。そして、同時に、そういう思いはあるけれども実際にどんなことすればいいのか、よくわからない、見つけるための考え方もわからない、という方も、少なくないようです。

世の中の役に立ちたい、という思いは、とても貴重であり素晴らしいものです。そのような思いがある方は、ぜひ、お気持ちを行動と結びつけていき、ご活躍なさっていただければ、と思います。

どんなことをすればいいのか、分からない方が、まず取り組むべきことは、自己分析です。自分が自分をよく知っていることが大切です。

自分は、何が得意で、何が苦手なのか、何が好きで、何がそうではないのか、今まで、どんな経験をしてきたか、さまざまな観点から、自分をみつめてみましょう。

「自分がやりたい行動をする」というのなら、得意分野や経験などの分析は、それほど重要ではないこともあるかもしれませんが、「自分らしさを活かして、役に立てる行動をする」のならば、自分らしさを発揮出来る分野はどんなことか、分からないと行動ができませんよね。

普段から、自己分析をするとか、自分をみつめていくという思考を習慣にしている人は、何をしたらいいのかと、迷うことはほとんどありません。想定したものが出来るか否か、という迷いはあっても、何をしたらいいのかわからなくはならないものです。

つまり、何をしたらいいのかわからない、それを見つけるにはどうしたらいいのかもわからない、という悩みは、自己分析の視点がつくられていないために、出て来てしまう悩み方なのです。

日常のことに置き換えて考えてみると、理解がしやすいと思うのですが、たとえば、使用方法のはっきりしない道具を、器用に使いこなすことは、難しいですよね。用途がわからなければ、コツもつかめませんし、応用もしにくいです。

道具が、どのような用途に向いているのか、という点を知っていれば、とても役に立つものになるでしょうし、「役に立つ使い方ができる」のではないでしょうか。

道具を「自分」に置き換えてみれば、さまざまな観点から自分を「知る」ことの大切さが理解できますよね。知っているのと、知らないのとでは、スタートダッシュにも、そして成果にも差がついてしまいます。

道具を使って効率を上げる場合と違って、自分の経験においては、時間を余分にかけることも、失敗して回り道をすることも、無駄にはならず、意味を持つものではありますが、しかし、自分が手応えを得られるまでに、あまりに時間を要するものは、だんだんと、気持ちも保てなくなることもあると思います。自分を知っていれば、そういう意味でのロスを、最小限にできます。

「自分らしさを活かす活動のためには」と考えるにあたり、自己分析をする、というプロセスは、答えに直結しない遠回りに感じるかもしれませんが、とても大切な、自分の思考の習慣をつけていくことになりますので、ぜひ、とりくんでみてください。

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2011年11月13日 (日)

感受性が高い人は、「自分の感情をコントロールする学び」がある。

オーラが大きくて、質感が細かい人は、感受性がいいので、いろいろなものを感じ取ります。

その資質自体は、ありがたい才能でもありますが、「いろいろなもの」の中には、望ましいものもあれば、そうでないものもあるでしょう。

直感的なものをキャッチするのは、とても役立っていきますが、ネガティブなエネルギーに反応したり、干渉されたりする傾向も、同時に持ち合わせるので、バランスを取っていかなければなりません。

また、感情の上下も大きくなりやすいので、コントロールをしていく必要もでてきます。大きなオーラを備えているということは、大型車のハンドルを握るようなもので、たくさんのものを運べる変わりに、運転が難しくなるのですね。どんなことにも、裏表、一長一短はあるものです。

自分の生み出した感情に、自分が振りまわされてしまうことがあります。大型車は小型車よりも安定しているように思えますが、それは、荷台の中身と、運転手である自分自身とのバランスが取られている場合であって、重すぎる荷物を積み、自分の運転も定まらない状態になれば、車の大きさが逆に、不安定さの要素になってしまう場合もありますよね。

それと同じで、感受性が高い人、敏感な人は、自分の感情を見つめ直していき、自分自身を高め、その経験の中で不要となったものを手放し、「軽く」なっていくことが大切です。

感受性の高さゆえ、得られるものもあれば、担うものもあり・・・、そして、自分をコントロールしていくことを含めての「学び」が与えられている、とも言えるでしょう。

ここで勘違いしないように気をつけたい点があります。感情をコントロール、自分をコントロールというのは、感情や自分を抑え込むことではない、という点です。ここを誤解している人が少なくありませんが・・・、感情の発生する源をみつめていき、(それは、自分自身、ということになりますが)過剰なまでの感情の原因となる要素を、認め、そして、改善してくことこそが、コントロールです。

感情の「きっかけ」となる出来事は、通常、自分以外の外側で起こる出来事ですが、その出来事に「自分の感情を、反応させている自分がいる」わけで・・・、つまり、感情の発生源というのは、常に「自分」の中に存在するわけです。

そういう、動機を含めて捉えていき、理解とともに、出てきたものに揺り動かされずに受け流していくことこそが、コントロールであり、怒りでいっぱいになりながらも、ひたすら我慢してイライラ&カッカしているのは、コントロールとはいいません。

周囲に当たり散らすよりは、幾分はまし、かもしれませんが・・・、自分を見つめ直していかにないことには、いつまでも、同じ状況に遭遇する都度、同じ感情が出てきて、同じ反応を繰り返すことになります。

感受性の高さが、よい方向に発揮されたり、自分の生活に活かされたりする部分については、より磨きをかけて伸ばしていき、ネガティブな影響などを受けやすい部分は、改善していくように、両面から考えて行くことが大切だと思います。

取り組み方は両面から、となっても、取り組む要素は、結局は「同じ」です。「感受性がいい」という資質が、どちらの方向に発揮されるかという違いがあるだけで、資質そのものは「同じ」であり「ひとつ」だからです。

よい方向に発揮されるよう、日々明るく前向きに、自分らしく生きていくことを心がけていきましょう。

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2011年11月12日 (土)

人間関係で大切なのは、定義があいまいな「相性」ではなく、お互いに自立していること。

「この彼との相性をみてほしい」とか、「私と、相性が合う人はどんなタイプか」というご相談をいただくことがあります。

けれど、スピリチュアリズムにおいて、統計学のような意味での相性、というものはありません。たましいの性質は独自のものですから、きまったパターンはありませんし、多少、性質により傾向はあるとしても、その複雑な組み合わせを、相性の善し悪し、という二択には振り分けられないものだと思います。

ご相談者さまの知りたい相性というのは、たとえば馴染みやすさだったり、共感しやすいさだったり、価値観が近いとかの要素だと思いますが、「どんな点に馴染みやすさを感じるか」は、それぞれ違いますよね。ある人は、自分と同じ要素にそう感じることもあれば、また別の人は、自分が目指したいことに近い位置の人にそう感じるかもしれません。

似ているタイプだからこそ、ぶつかる関係もあれば、違うからこそ補い合ってうまくいくこともあります。性格が強すぎる人同士だと、似ている要素がたくさんあるのに、違う要素が少しでもあると喧嘩になることもあります。おとなしすぎる人同士だと、似ている要素がたくさんあるのに、言葉や行動の表現が不足してすれ違うこともあります。

そのような複雑な個性がある人同士の、お互いの間に作られるのが人間関係ですから、「あなたに合うのは、こんな人」というような単純な表現には、なりようがないものではないでしょうか。

といっても、人間関係において、うまくいくパターンが何もないかというと、そうではありません。むしろ、誰にでも共通する、うまくいく組み合わせのパターンは存在します。

それは、優しいとか、頼りになるとか、馴染みやすいとか、似ているとかの、狭い範囲の要素による組み合わせによるパターンではありません。

うまくいく人間関係というのは、どんなものでも、「自立した人同士の関係」です。多少の紆余曲折があろうとも、精神的に、(その人の、年齢や立場や経験なりに)自立している人同士であれば、相応に分かり合うことはできるものです。依存がある関係は、一時的にはよくても、長くは続きません。

お互いに依存しあって補い合う、共依存という関係が成り立つこともありますが、これは、うまくいっている、というくくりには、本当の意味ではならないと思います。

どんな性格の組み合わせであろうと、自分と似ていようと、違いがあろうと、お互いに自立心が備わっていれば、相手に期待しすぎない、距離感が保てるので、よい関係を作っていくことができるのです。

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2011年11月11日 (金)

個性の発揮のつもりが、「ワガママ」にならないように。

人にはそれぞれ、独自の資質、「個性」というものがあります。

個性は、その人に備わっている資質・要素で、それぞれ違いがあるからこその「個」性なので、比較することは難しく優劣も付けられません。どんな個性も、等しく素晴らしいものです。

個性を発揮して、創造的に生きていくことは、自分自身にとっても、周囲の人々にとっても、望ましいことだと思いますし、世の中のために、自分の個性を発揮して活用することは(他者の役に立つので)、ある意味、「奉仕」であるとも言えます。

けれど、「個性を、過剰なまでに発揮」したなら、それは、個性の枠を超えて、単にわがまま、になる場合もありますので、注意しなければなりません。

「私って、○○な人だから・・・」と、前置きをして自分を主張する人がいます。けれど、それは、自分の視点で見たときにそうなのであって、「私は○○なのだから、私をそのように認めてください」と相手に望むのは、場合によってはわがままになると思います。

自分がこうだ、と思っても、それを相手がどう解釈するのかは、相手の(解釈の仕方という)個性の領域でなされるものであり、強要することはできません。自分は個性を主張しながら、相手の個性は認めない、という、矛盾したことになります。

お互い様だと思えば、「私は・・・」「私は・・・」と、主張しすぎる必要もないでしょう。

「私は、○○なのに、周りが理解してくれません」という気持ちを持っている場合も、ご自分が過剰に、自分自身を押し付けようとして、わがままになっていないか、省みるほうがいいと思います。

違う人間である以上、(理解の仕方に関する感覚も違うのだから)そう簡単に分かってくれないのが当然で・・・、理解されたいのならば、そのために努力をして、人間関係を構築していく必要があります。

強く主張することが大事なのではなく、「受け止めてもらえる関係」になるのが大事で、そのためには、自分も相手を受け入れていく必要が出てきます。

「私は○○だから、この資質を活かして、あなたの役立ちたい」のと、「私は○○だから、あなたたち、私を理解してちょうだい」というのは、前半の文字だけみると同じなのですが、主張していることが、「人のため」と、「自分のため」との差があります。

個性は、適度に発揮されるうちは、素晴らしいことですが、過度に主張したり、相手に押し付けようとすると、その行為は「わがまま」にもなりえます。この点は、気をつけなければならないと思います。

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2011年11月 9日 (水)

日常の出来事から学ぶための、意識の向け方。

子供の頃は、特定の勉強に限らず、常識や思考の仕方、物事の受け止め方など、学校や家族から、「与えてもらう」「教えてもらう」ことができるので、相対的に自分が学ぶことができます。

けれど、大人になると、教えてもらう機会は減っていきますので、子供の頃のように誰かにわかりやすく教えてもらわなくても、出来事や人との関わりの中から、自分で気づいて、自分に取り入れていくことが必要となります。

私の経験では、このようなことがありました。

私は、今の仕事を始める前の会社員時代は、上司にかわいがられていたほうだと思います。おかげさまで、たくさん学ばせていただきましたが、ほぼ、どの上司からも、目をかけていだきました。

その理由のひとつとして、私は「余計なことは口にしない」という姿勢で仕事に臨んでいたことがあげられると思います。

「おしゃべりな人は信用されない、余計なことを口にしない人は信用される」ことを、仕事をスタートさせた初期のほうで、学ぶことができた経験は、私にとって幸いでした。

あるとき、まだ新人の私と、同じく新人の男性がいるところで、上司が取引先のかたと「マル秘」な話を始めました。業務上の重な秘密といえる内容でもあり、しかし、それは、少々、おもしろおかしく解釈もできるような部分も含まれている話でした。

私は、事務なので、日中は常に仕事がありますから、耳からその話は入ってきていましたけれども、目の前の仕事を、当たり前のように行っていました。しかし、事務職ではない男性は、席にいるのが手持ち無沙汰でもあったのでしょう、落ち着かない態度で、上司のほうをチラチラみたり、話に反応したりしていました。

上司は、その場で、その話をしたくなかったと思うのですが、取引先の方が、話を始めてしまったので、仕方なく付き合っている、という感じだったと思います。

お客様が帰った後に、上司は、新人の男性に、「今の話は、他では口にしてはいけない。好奇心でとらえるようなことじゃない。」などと、半分説教っぽい話を始めました。男性は、そんなことを言われるのが不満そうな様子でした。

そして、話が終わった後、上司は、私の方に向き直り、「君は、・・・まあいいか。君は、余計なことは言わないだろうから」と、言いました。そして、その日から、私に対する上司の接し方が変化していき、重要なことを任されるようになりました。

私は、上司から、「余計なことを言わないタイプだ、と見なされ、そして、信用された」のでしょう。

私は、この出来事から大いに学びました。私も、上司とお客様の話は、新人の男性と同じように聞いてはいたのです。ただ、自分の仕事があるからそちらに取り掛かっていて、仕事をしながら聞いていた、というか耳に入っていたのです。

ただそれだけなのですが・・・、会話に意識を向けていない態度が、「わざと、聞こえていないフリをしてくれている」ように、上司には感じられたのではないかと思います。

私は、ここから学びました。とても当たり前のことなのだけれど、「余計なことを言うと軽いと思われ信用されず、余計なことを言わない人が信用される」ということを、です。

新人の男性の態度と、それに対する上司の態度が、私に、間接的に、このことを教えてくれたと思っています。

その後、上司が替わっても、仕事が変わっても、このことを忘れずに接した結果、ありがたいことに、私は、仕事上、信用されないとか軽く扱われる、という経験が、ほとんどなかったです。

子供の頃は、具体的に、「こういう場合は、○○をして・・、そして、別の場合は、××をしていくのが正しいのですよ」とか、「○○をしてはいけません。なぜなら、○○をすると、他人が不愉快になるからです」と、そのように教えてもらえることが多いです。

けれど、大人になったら、そういうふうに、具体的には教えてもらえません。当然分かっているものと見なされますし、自分から得る努力をするか、日常の出来事の中から、「気づいて、取り入れる」という学び方をする必要があります。

小学校や中学校では、私たちには学ぶ権利がありますので、教えてもらえます。高校や大学でも、私たちは学ぶことができます。なぜなら、生徒は「学ぶために、お金を払っている」からです。

けれど、会社は、それらと同じではありません。会社は、「私たちが、お金をいただく場所」です。私たちが労力を提供して、その対価としてお金をいただくところであり、だまっていても、教えられる、与えられるという場所ではありません。

このことが、きちんと認識されず、ただ何となく過ごしている人が多いように感じます。受け身で、「指示待ち」をしていては、なかなか学べないし、気づくこともできないのが、大人の世界、ではないでしょうか。

学校は、直接指示をして教えてもらえるけれども、限られた範囲の狭い世界での学びです。大人の世の中は、直接指示をしてもらえることは少ないけれども、間接的に、自分が気づくことができるならば、範囲が限定されることはなく、どこまでも深く広く学んで行くことが可能となる場所です。

範囲が限定されないかわりに、直接的な言葉で教えてもらえる機会は少なくなります。そのために、子供から大人になるまでの間に、十分な経験が積めるような「時間」があり、感性と想像力を磨き、自力の準備がなされていきます。

日常から学ぶ、ということは、自分が、出来事の中に、学びや気づきを見いだすことです。大人の世界には、「コレこそが、学びですよ」というわかりやすい形のものは少なく、一見、自分には無関係に思えることの中に、自分のためになることが、たくさん含まれています。

この世で起こる出来事は、すべて何らかの意味を持つ必然であり、無作為に展開するものはないのですから、自分がその気になって、学びを見いだしていこうという視点をもてば、いくらでもそれに値する要素が存在するはずです。

日常から学びを見いだすことができるか、一見、何の変哲もないことを学びにすることができるか、というのは、自分の感性が決めているのです。

私の、昔の経験も、そのときは、ここまでの分析をしていたわけではありません。今、より多くの経験を重ねて、当時よりも大人になった自分が、今の感性で振り返ったときに、はじめてそう思えることです。

過去に学んだ、という経験からもさらに、分析や洞察を加えていけば、新たな学びと気づきが見つけられます。終わりなく、どこまでも学べます。

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2011年11月 8日 (火)

霊感は、自分の思い通りに、オン/オフの切り替えはできない。

(霊感が強い人は)霊感を、思い通りに、オンにしたり、オフにしたりという切り替えは、できるものなのか、というご質問をいただくことがあります。

あくまで私の感覚でしかありませんが・・・、自分の意図で、多少は、オンやオフが出来ることもありますが、その範囲は、あくまでも「ある程度は、出来ることもある」という、不完全なものであり、完全にコントロールすることはできないと思います。

(このケースは、かなり強い霊感がある、たとえば私のような人、という前提での解釈となります。)

なぜなら、霊感の発揮というのは、とても「受け身的に起こるもの」だと感じられるからです。

見たいと思って見えるものでもなし、見たくないと思って見えないわけでもなく、いくつかの条件がそろったときに、(意図的というよりも、かなり受け身的に)発揮される比率のほうが高いと思います。

霊感がとても強い人が、「霊感のスイッチの切り替えができるようになった」という表現をする場合は、「完全ではないが、ある程度のところまでは、コントロールが出来るようになった」ことを、詳細を端折って、分かりやすい表現をしているのだと思います。

霊感をコントロールして、オン/オフの切り替えはできるか、

この質問への回答は、「ある程度までは、可能になることもある」、となるでしょう。

その理由は、先にも書いたとおり、霊感というのは、受け身的な部分が大きく、自分の意思で能動的にすべてをコントロールできるような性質のものではないからです。

自分の「こうしよう」という意図というのは、オン/オフを切り替える際の、いくつかの必要な条件の「ひとつ」であって、それだけで、すべてをコントロールはできないのです。

自分のコンディションにもよりますし、後押しをする守護霊の意向もあるでしょうし、必要性の高さもあるでしょうし・・・、いくつも条件がそろったときに「オン」となり、発揮されるものなですから、それらの条件すべてを、自分の意図でどうにかすることはできませんからね。

そして、「オフ」にするのは、もっと難しいです。たとえていえば、「体力を付けるために努力をする」ならば、何かしら方法は思い浮かびますが、「体力を付けないように努力をする」のは、何をすればいいのか方法が難しいように;、「○○をしない」工夫というのは、意外と難しいものです。

また、霊的な作用は、とても受け身な要素が大きく、ある程度までしかコントロールできない、と書きましたが、その「ある程度のコントロールに至るまで」でさえも、並大抵ではない努力が必要になるわけで・・・、何とか、感覚をぼやかして過ごせるようになるには、かなりの苦労が伴うもののように思います。

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2011年11月 6日 (日)

ガイドスピリット(指導霊)の性別について

指導霊について「女性の自分に、男性の指導霊がつくことはあるのか?(または、その逆)」、というご質問を、いただくことがあります。

指導霊は、自分と関わりのあるグループソウルの中でも、博識な霊が、その役割を担うものです。この世で生きる私たちを教え導くためには、さまざまな知識や洞察力という霊性の高さが必要だからです。

以前にも、取り上げましたが、指導霊になる霊は、霊として進化・向上している存在ですので、今と違って、昔は、誰もが平等の学びの機会を得られたわけではないため、たとえば、農民よりも、武士や武家の奥方などが指導霊となっているケースが、今の私たちには当てはまるのです。

(けれど、現代は、誰もが平等に学ぶことができ、農業を営む方にリーダー的資質を持ち環境問題に取り組んでいるような知識人が増えていることから、これから先の時代は、そういう方達が指導霊になるケースが増えていくだろう、という話が、江原さんの書籍に載っていました。)

この内容と共通する部分があるのですが、女性の権利が向上してきたのはごく近年です。昔は、どの国も封建的でかつ男性社会でもあり、女性と男性が同じように学ぶことができなかった時代もあります。

つまり、日本でいえば武家の人や貴族や宗教家などに知識人が多かった時代があるのと、同じような意味合いで、女性よりも男性のほうに、知識人が多かった時代もあります。

そのため、女性に、男性の指導霊がついている比率は、少なくない、といえるでしょう。

もちろん逆も当てはまり、男性に女性の指導霊がついている場合もありますが、あくまで、私の経験上ですが、「男性に、武家の奥方の指導霊がいる」ケースよりも、「女性に、武士の指導霊がいる」ケースのほうが、ずっと多いと感じます。

また、本来、たましいには性別はありません。

性別というのは、この世を生きている間だけの、限定された一時的なものです。たましいそのものには、そのような区分けはありませんし、あちらの世界では、性別は関係がありません。

指導霊とは、(・・・っていうか、指導霊に限りませんが、霊は)たましいの存在ですから、本来、性別がどちらであろうとあまり関係はないのです。この世で生きていたときの姿で、便宜上、出てきているだけなのでしょうから。

大切なのは、職業でも、性別でもなく、その霊がもつ「霊性」です。

また、守護霊には、生涯変わらない「主護霊」、才能や資質をつかさどり、その時々で入れ替わりのある「指導霊」、「支配霊」「補助霊」、と、役割によってこちらの便宜上の区分けがあります。

江原さんの書籍によると、生涯変わることのない「主護霊」については、女性には女性の霊が、男性には男性の霊、というふうに、性別がそろっていることが多いのだとか。

一般には、スピリチュアルリーディングで、守護霊をお伝えする場合には、このうちの、才能や資質をつかさどっている指導霊をお伝えする場合が多いと思います。こちらは、入れ替わりもありますし、性別も、本人とそろっていないこともあります。

人数?も、複数なので、そのとき必要な霊が、より前面に出てくる、という形だと思われますので、そのときお伝えした内容がすべてではなく、他にもいらっしゃるでしょうし、また、その状態が固定されているわけでもありません。

どんなことにも言えますが、そのすべてを限定された言葉や文章というもので表現し尽くせるものではないので、お伝えできるのは全体のうちの、ほんの一部分、そのときに関わりの深いと思われる、ごくごく限られた要素でしかないのです。

大切なのは、霊の性別や職業ではなく、さらに、自分を差し置いて、守護霊や前世だけを重要視することでもないので、知識として知っておくと、理解が深まることもある、という程度の話で、さほどこだわりを持つ必要はありません。

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2011年11月 4日 (金)

察することが苦手な相手には、「理由」と「取るべき行動」を省略せずに説明する。

たましいの経験が浅い人は、想像力を働かせることが苦手です。想像とは、自分の知っている範囲内の知識や経験を掛け合わせて生み出されることが多いものだからです。

たくさんのケースを知っている、経験が豊富な人は、はじめての場面でも、過去の経験を応用して、うまくこなしていくことができますが、経験が浅い人は、そもそも、応用できるだけの過去を持ち合わせていないので、はじめてのことに戸惑います。

そして、この場面には何が適しているか、というような、最適を選ぶ感覚も十分ではありません。経験値が少ないですから、当てはめる選択肢や比較対象もまた少ないからです。

通常、会話というのは、教科書に載っているような文章のように、隙のない組み立てがなされたものになることはなく、当然分かっている、前提がある、と思われる部分は、省略して会話が始まります。

たとえば、「昨日の件は、どうなった?予定は決まった?」という問いかけに、「三日後になりました」という会話があるとします。

より正確にするならば、「昨日、話題にしていた○○会社との商談の件、昨日は未定の状態だったけれど、話は進んだの?予定は決まった?」という質問に対して、「はい、話しは進みまして、三日後になりました」という答えになっています。

でも、「昨日の件は、どうなった?予定は決まった?」という、この文章で、だいたい言いたいことは分かりますし、また、「三日後になりました」という返答があれば、それ以外の文章はなくても、話しは進んで決定したことが分かります。それがなければ、決まるわけがないですから、決まったということは、話し合いが行われたことを意味します。

そのように、お互いに、会話の中で、言葉にして語られていないところを、想像力で補足して理解していくのが、一般的な大人同士の会話だと思います。

ところが、経験値が少ない人は、想像力も少ないので、明確な言葉で語られていない部分を、うまく、想像して補うことができず、相手が何をいっているのか、ちんぷんかんぷんになることがあります。

誰にも、そういう相手とやりとりをして、イライラしたり、何故これが分からないのか?と不思議に感じたりする経験は、あるのではないでしょうか。

人の理解力はそれぞれなので、自分のほうが、相手よりも、理解力が勝っている場合もあります。その相手に、自分と同じ感覚を当てはめても・・・、相手との温度差が生まれるだけとなります。

そういう場合は、相手が理解しやすいような説明の仕方を工夫することも、大切だと思います。

理解力が十分でなく、想像力で補うことができない相手に、端折った説明の仕方では、誤解を招くだけで、うまく伝わりませんので、省略せずに、「原因」と「取るべき行動(対象法や、改善法など)」を、セットで伝えていくことです。特に、指摘したり、指示をしたりする場合には、そうするほうがいいでしょう。

たとえば、書類を提出する際に、期限内には出してもらったけれども、報告結果が思わしいものではない場合があるとします。

管理する側としては、その状況に手を打つ時間も必要なのだから、(思わしくないならば)もっと早く伝えるべきだろう、なぜ、それが分からないのか、こんなぎりぎりになって出してくるというのは、どういうことなのか、と、感じます。

しかし、提出した相手は、これがはじめてのケースだったので、そのような点まで踏まえて期限を考えるべきだとは分かりませんでした。期限を守ればそれでいいと思っていました。

そのとき、相手に対して、「思わしくない内容であることが、前もって分かっているのに、どうして、こんなに、期限ぎりぎりになってから・・・」と、不満げに伝えたとしたら、普通は、その一言と態度から、「ああそうか、こういうケースでは、期限があるからといって、間に合わせて出せばいいわけではないのだな。その前に、予測の連絡をしておくほうがいいのだな、だから不機嫌になっているのだな」と、想像して、学んでいくことができます。

けれど、想像力で察することができないタイプは、言われたことを、そのまま受け止めるところがあり、語られていない部分を想像力で補うことができません。

なので、 「思わしくない内容であることが、前もって分かっているのに、どうして、こんなに、期限ぎりぎりになってから・・・」と、言わただけでは、ならば、自分がどうすればよかったのか、これからどうすればいいのかを、考えることができません。

そういうときは、「書類を提出すれば終わり、というわけではない。作業には、その先がある。スムーズに進む場合はかまわないが、そうではない予測がついているならば、前もって伝えておくほうが親切であり、普通はそうする。ぎりぎりになって結果が出るのは、対処法が限られてしまう。このような場合は、もう少し余裕をもって伝えるのが一般的であり、あなたの取った行動は、その先を考えていない。このような話は、事前には伝えなかったけれども、そこは、各自が察して気を利かせるべき部分であり、他の人はそうしている。次からは、あなたも心がけてほしい」と、そこまで告げることです。

何故、この出来事が起こっているのか、それがどうして問題となるのか、では、どうすればよかったのか(次から、どうすればいいのか)を、省略せずに伝えることが有効です。

このようなケースは、理解力が十分でない相手に対して、「あの人は、鈍い!」と、イライラしてしまうことが多いようですが、しかし、その相手にもわかるように、自分が説明を工夫することも大切だと思います。それも、学びではないでしょうか。

なぜなら、あの人は鈍い!と、定義を付けただけでは、状況も、そして相手も、何も変わらないからです。

相手に理解してもらうためには、どう工夫をすればいいのか、相手はどんな部分がわからないのか、という、違う方向からの学びを、自分自身も与えられているのだ、と考えてみてはどうでしょう。

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