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2011年10月12日 (水)

動機やプロセスを含めた考え方が大切。

霊的な価値観で、物事をとらえていくには、表面的なことや、ある一部分のみにとらわれることなく、その出来事の動機やプロセスも含めて、包括してとらえていくことが大切です。

けれど、実際には、このような解釈の仕方を、自分に取り入れていくのは、なかなか難しいことのようです。

多くの人が、特定の物事や、出来事の一場面のみを取り上げて、○か×か、白か黒か、良いか悪いか、と、定義を付けることを、理解であり、解釈だと思いこんでしまいます。というよりも、むしろ、積極的にそのように定義をつけたほうが望ましい、そのほうがスピリチュアルだ、という解釈に偏りがちになる人にもいます。

なぜ、そのような認識のズレが生じるのでしょうか。

大きな理由は、2つ、だと思います。

ひとつは、「言葉」というものの、曖昧さを、理解しないまま、言葉の表現を重要視しているため、だと思います。言葉の表現というのは、曖昧さを含んでいて、同じ表現をつかっていても、複数の人の解釈が一致しているとは限らず、同じ物を表しているとも限りません。

たとえば、「普通」という単語ひとつとっても、何を普通とするかも一定ではありませんし、無難で没個性だね、という意味で、「普通だね」と表現する場合もあれば、特に異状がみられずに平穏で在ることを「普通だね」と、表現することもあります。

つまり、同じ言葉でも、それが使われている状況や、発言者の立場が変われば、意味もまったく違ったものとなる可能性を含んでいるわけです。

言葉を解釈するときにも、「表面的なことや、ある一部分のみにとらわれることなく、その出来事の動機やプロセスも含めて、包括してとらえていく」ようにしていかないと、誤解、曲解に繋がります。

「良い」といっても、その意味するところは、一律ではないのだ、と、しっかりと理解していれば、そう簡単に、一言で定義を付けようなどとはしないものです。というより、そうして、簡単に定義を付けて、もしも間違いだったら、という、慎重さが生まれ、「出来なく」なるものではないでしょうか。

そして、もう一つの理由は、「特定の要素だけを基準にするほうが、楽だから」です。あれもこれもと、多方面から分析するよりも、これは良い、これは悪い、これは○、これは×、と、決めてしまえば、(他の要素を考えなくていいので)、負担が少なく、楽ができるからです。

意図的に手を抜いている、ということではなくて、この世というもの、そしてこの世に生きる私たち人間というのは、いつの間にか、「楽なほうに、流されてしまう」傾向があると思います。単純に○×で判断したい気持ちには、誰もがなってしまうでしょう。

けれど、たとえば、企業の採用試験で、人柄や技能や経験を広く考慮されずに、そのうちのたった一つの要素だけを抜き出し、それも、採用担当者の(多分に個人的な感性による)判断基準をもって、○だ、×だ、と決められたら、理不尽に思わないでしょうか。

ほとんどの人は、自分がそうされたら、「その基準はおかしい」と、不愉快になると思うのです。ならばなぜ、試験や履歴書や面接という、複数の判断材料を提出する手間があるのか?と、思うことでしょう。

そう思うなら、自分も、世の中に対して、または、自分自身のことに対しても、そのように、○か×か、の、狭い見方をして、理不尽なことをしていないか、と、考えてみることが大切ではないでしょうか。自分が他人にされたら不愉快に思うならば、自分の行動もまた、慎重にならないといけません。

○か×か、という判断をするのが悪い、というのではないです。世の中の出来事の、多くの場合、最終的には、その判断を下していくことになるのが普通です。大切なのは、その判断に至るまでの、動機やプロセスをも、深く考慮していくこと、なのです。

それらを包括的にとらえていき、最終判断で、○×、良い悪い、イエスかノーか、になるのは、まったく問題はありません。そして、そういうとらえが出来る人が、ときに、瞬間的・直感的に、○×の判断を下すことも問題ありません。

自分なりの思考パターンが作られ、経験値が増えていけば、以前よりも考慮の時間が短くなり、瞬間的に判断に至る、というケースが、出てきてもおかしくないからです。私がよく、ブログで取り上げる、「経験値に底上げされることによる、直感」とは、そういうことを指します。

ところが、これらの包括的な視点を持たず、経験も十分でないまま、ただなんとなく、誰かの言葉や自分の感覚で、○だ×だ、これは良い、あれは悪い、と、すべてをそのように判断しては、自分の人生を混乱させてしますケースが少なくないのです。

世の中の多くのことは、そう簡単には、一つの決まった表現には当てはめることはできないし、当てはめた自分の基準が絶対的なものではない、ということを考えていくと、「表面的なことや、ある一部分のみにとらわれることなく、その出来事の動機やプロセスも含めて、包括してとらえていく」という、霊的な価値観に至ることになるのです。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

どうしてそう思ったのか?
どうしてそうなったのか?
何事においても そのような事を考えるようにすると、自分の事なのに 新鮮な発見が出来たりします。
出した結論を評価されることは、あってもその動機やプロセスに何か違うんじゃない?という反省が出て来る事もありますね。 

投稿: たんぽぽ | 2011年10月12日 (水) 13時43分

*たんぽぽさま

分析する視点をもつと、理解や解釈が深まって、今までとは違う新たな何かが見えてくることもありますよね。

投稿: リカコ | 2011年10月16日 (日) 21時04分

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