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2011年9月29日 (木)

相手に尽くしすぎて、消耗する理由。

恋愛のパートナーや、親しい友人に、尽くしすぎてしまい、人間関係がうまくいかなくなるパターンがあります。 相手が依存的で甘えを持ってくるようになったり、自分が消耗したり・・・、お互いの信頼が積み重ねていかず、役割が一方的になってしまいます。

そのパターンに陥りがちな人は、基本的に優しい性格で、人のためになりたい、という奉仕の精神が根底にあります。

けれど、その要素だけでは、「尽くしすぎて、消耗する」「尽くしすぎて、関係が壊れる」ことにはなりません。世の中の出来事すべてが、やさしさが仇となる、というパターンばかりではないからです。そうなるまでに、過剰に尽くしてしまうのは、優しさ以外の、別の要素が、複合的に関係していることが多いです。

そういうタイプの方は、自分自身の価値を信じていません。そして、同様に、相手のことも信じておらず、孤独を恐れています。

相手に、何かを尽くすことで、恩を積み重ねて優位にならなければ、相手に必要とされる自分になれない、という、誤解と恐れがあります。

そして、同様に、相手のことも本当の意味では信じていません。過剰に尽くすという行動をしないと、相手からの関心を買えない、という思いは、相手の人間性を低く見積もっています。何かをしてあげれば感謝をされる、しないのならば感謝されない、という、損得勘定で人をはかっているはず、という思いがあるのです。

お互いの関係が、うまくいかなくなりそうなときに、「でも、私はこんなにしてあげたじゃないの」という、アドバンテージがないと、自分が対等になれない、とか、主張ができない、価値観を(自分に)感じられない、という、自己評価の歪みがあるのです。

そして、その歪みのフィルターを通して、相手を見ているので、「相手も、損得勘定で自分を計っているはず」、という思い込みがあり、(そういう相手と、付き合うために)過剰なまでに、尽くして消耗してしまいます。

相手に対する認識は、自分のフィルターの歪みによる、誤解の場合もあれば、事実の場合もあります。けれど、どちらにしても、尽くしすぎになると、関係はうまくいきません。

自分が誤解して相手を見ていて・・・、本当は、相手は、一方的に尽くしたりしなくても、相手の価値を等身大に計ってくれる感性をもった人で、お互いの信頼を作っていきたい、と思っている場合は、過剰に尽くしアドバンテージを握ろうとされると、その行為が重たいですし、信頼されていない、とも感じ、負担になって離れていきます。

相手が実際に、損得勘定で物事を計っていて、何かをしてあげれば感謝する、そうでなければ感謝しない、という、自己中心的なタイプである場合は、尽くし続けないと関係が終わってしまいますから、自分が消耗して、ついていけなくなったところで、終わりがやってきます。

相手が、前者に当てはまるタイプであれば、自分の接し方を改めれば、本当の意味での(損得勘定ではない)信頼が作られていきますが、相手が後者のタイプであれば、自分が姿勢を変えてしまえば、そこで、需要と供給の関係が絶たれますので、付き合いは終わりを迎えてしまうかもしれません。

人間関係とは、「波長の法則」で、同じ要素を持っている人同士が出会っていくものです。そして、うまくいく関係というのは、どんな場合でも、「自立した人同士の関係」です。依存があると、うまくいきません。

相手が前者のタイプであれば、自分が自立心をもっていけば、(相手はすでに自立心があるので)いい関係が作られていきますが、後者は、依存的な相手ですから、自分もまた、相手に必要とされることで価値を確認したい、という依存を持っていてこそ、関係が成り立つのであり、自分が自立してしまえば、引き合うものがないので、関係が成り立ちません。

先に述べたとおり、尽くしすぎてしまう人は、自分も相手をも、本当の意味では信頼しておらず、そして孤独を恐れている場合が多いのです。

そのため、尽くしすぎになって、消耗している状況から抜け出したい、この状況を変えたい、と思っていても、しかし同時に、孤独を恐れているので、なかなか、抜け出すことができないのです。

この状況から抜け出す、という意味は、自分が変わる、ということです。相手に負荷をかけ、自分が優位になり、損得勘定で成り立つ関係を変える、・・・ということは、その状況に依存している相手とは、関係が続かない、という意味でもあるからです。

そのため、自分の姿勢を変えていくのは、とても難しく苦しみを伴います。現在、手の中にある関係が、壊れてしまうかもしれないからです。

けれど、一生、自分が全力で、漕ぎ続けなければ倒れてしまう自転車のような、緊張感と負担の伴う関係を維持しても、・・・本当の意味での幸せは、手にできるでしょうか。 注ぐ価値のある関係に力を注ぎ、お互いの信頼という実りを手にするほうが、幸せに近づくのではないでしょうか。

そのときは、一時的に苦しみがあっても、自立した関係を作っていくほうが、幸せに近づいていけるように思います。

このケースに当てはまる人は、自分のなかに、依存心があることに、気づかなければなりません。依存は、依存の相手を引き寄せて・・・、自立した相手を遠ざけてしまいます。

まず何事も、状況を分析して、意識していくことが大切だと思います。人に何かをしてあげることは、依存とは逆の要素に思えるので、なかなか、この理由に気づけないことがあります。改めて考える機会がないと、意外とわかりにくいものなのです。

尽くしすぎて疲れてしまう、尽くしているのに相手が思い通りにならない、という不調和を抱えている人は、自分のなかに、依存心がないだろうか、という観点から、内観をしてみると、改善のためのヒントがみつかるかもしれません。

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11.家族、恋愛、人間関係」カテゴリの記事

コメント

私の場合、尽くすというよりもパートナーに気を使っていると思います。これをやっておかないと怒られるとか、常に相手の顔色をうかがっています。地雷を落とされないためにはどうしたら良いか試行錯誤です。今、自立に向けて準備を進めています。それで関係が終るなら仕方ないことですが…
波長の法則で誰かと出会うことでしょう。ありがとうございます。

投稿: キョロちゃん | 2011年9月29日 (木) 08時58分

今回の内容、深いです。

と言いますのも、先ほど、彼からメールが来ました。

この彼は、ワガママで忙しいので、デートもドタキャンあれば、当日呼び出しもあり、頻繁に会う日を求められれば、暫く会えない日もありで、振り回されていました。

今月、会えていないので、今後どうなるのか、ある程度の覚悟を決めていたところ、こちらのブログを拝見しました。

と、覚悟決めたら、彼からのメール・・・。

本当の意味での信頼関係を築く、チャンスが来ているのだと確信して前に進みたいです。

感謝


投稿: risa | 2011年9月29日 (木) 11時01分

どちらかと言うと世話好きな自分だからなのか パートナーになる人は、世話をやかれたい人か 最初は違ったのに 段々と甘えられているなあ と感じるようになってくるのです。自分に原因があることには 気付いていましたが、それで困ったと思ったこともなかったので 気にも留めていませんでした。そのくせ、出会ってもいない理想の人がいつも心の中にいて、現実に出会えたらいいなあと思い続けていたら、なんと 小説みたいに出会ってしまって、今までとは、全く違う幸福感を感じています。私の波長が変わったのでしょうか?よくわかりませんが、彼と出会えたことにとても感謝しています。

投稿: たんぽぽ | 2011年9月29日 (木) 11時02分

すみません、私には難しくて質問させてください。自立心があるのに依存をするという定義が理解できず、そもそも自立心と依存心を2つ持ち合わせていて、依存心が強くでてきている状態、という感じでしょうか。また、自立心を持ち始めると関係がうまくいきだすというのは、重たいと感じて離れたいと思う過程で既に自立心が表れだしていて、波長が違ってきているという事ですか…?だけれど、もともと自立心を持ち合わせている人なので、2人が気付き合えば関係はうまくいき、例えば、自立心を持ち合わせていて依存心を持っている方の方が依存心がずっと強いままだと関係はうまくはいかず、やはり離れてしまう事になる…という解釈で大丈夫でしょうか…すみません長々と…。

投稿: くみ | 2011年9月29日 (木) 12時26分

*キョロちゃんさま

人間関係において、円滑にするためには、相手に対して気配りをすることは大切だと思います。自立した人同士、というのは、相手のために何もしなくてもいい、ということではないですから。それが、許容範囲内ならば、何も問題はないと思います。それぞれの個性があるのだから、何もしなくても円滑になる、というわけではないですよね。スピリチュアルな解釈というのは、物事を広くとらえていくことですので、コレは依存、コレは自立、というように、表面の行動のみを抜き出し、○×を付けるかのように定義は付けられないもの、だと思いますので、解釈が極端にならないように、広く捉えてみることをオススメします。

私は、こうすれば、関係が壊れる、とか、こうすれば、出会う、という、規則的なハウツーをお伝えしているのではないつもりです。

投稿: リカコ | 2011年9月29日 (木) 12時42分

*risa さま

>と、覚悟決めたら、彼からのメール・・・。

なるほど、自分の意思を明確にしたところ、その呼応のような反応があった、ということですね。

すべての出来事は、このように、呼応していて、私達の自力を、促してくれますね。

投稿: リカコ | 2011年9月29日 (木) 12時44分

*たんぽぽさま

人の個性はそれぞれなので、世話をするタイプと、世話を焼かれるタイプ、とが、お互いを必要とする関係になるのは、自然なことであり、それが依存だとは思いません。

それが、お互いの関係を円滑にするための手段であるうちはいいけれども、「尽くすことが目的」となったら、そこには必ず、過剰さが生まれ、ということは、依存が隠されていることが多いですよ、というのが今回の記事の趣旨となります。

適度か、過剰か、どちらかの大きな負担や不満になっているか、という観点から、動機を含めて判断することが大切だと思います。

投稿: リカコ | 2011年9月29日 (木) 12時55分

*くみさま

>自立心があるのに依存をするという定義が理解できず、

自立心があるのに、依存、というのは、このブログの記事の、どのあたりの解釈でしょうか?そのような記載は、あるでしょうか。

投稿: リカコ | 2011年9月29日 (木) 12時59分

私は今までどちらも相手ありきの依存タイプだと思っていました。
損得勘定で他人を見た事がないので、多分内容を理解するのに時間がかかったのかもしれません。自分も優しさと依存タイプを勘違いしてた時期があり、自分なりの解釈をしてましたが、今日のを見て、奥が深すぎて、2タイプとか3タイプとかでは語れないくらい様々な人がいるんだな…と思いました。
先入観で読んでしまい申し訳ありませんでした。

投稿: くみ | 2011年9月29日 (木) 15時36分

*くみさま

では、前回のコメントは、自己解決なさったのでしょうか。私がご質問した以外の、下の部分についても、私からの回答は不要である、という解釈でよいですか?

投稿: リカコ | 2011年9月29日 (木) 17時01分

度々失礼致します。

結論から言いますと、大丈夫になりました。

相手が前者のタイプ…という箇所を、私が、自己中心的なタイプと理解してしまったので、自分でプチパニックになりました。お恥ずかしい限りです。相手が前者のタイプというのは、等身大で人を見れる人という意味ですよね?
それだと、自分が自立すると良い関係が築けますよね…という解釈で間違いないでしょうか。
最初、自己中心的なタイプの人が人を等身大で見れるんだろうか…という勘違いから始まりました…本当に申し訳ありません。

投稿: くみ | 2011年9月29日 (木) 17時48分

*くみさま

>相手が前者のタイプというのは、等身大で人を見れる人という意味ですよね?

そうです!そのとおりです。

>それだと、自分が自立すると良い関係が築けますよね…という解釈で間違いないでしょうか。

そうです!!自分が自立すれば、「する役割/される役割」に、温度差が生まれないので、そういう意味での不調和は、改善されていきますね。



投稿: リカコ | 2011年9月29日 (木) 18時16分

コメント返信ありがとうございました。

胸のつかえが取れました(*^_^*)。

本日はお世話になりました。。。

投稿: くみ | 2011年9月29日 (木) 18時44分

かゆいところに手が届いた気のする内容でした。

身近な方がまさにその通りで(波長の法則で、私にもあるはずデス(>_<))自分の優しさを利用されたと言う「元を取れてない不満と怒り」を聞かされます。

「こんなにも自分は優しいのに」と思ってやってることが「自分だけを愛するための駆け引きの手段である」と気付くことは……今のところ難しいと思われます。

人の心って、自分の都合のよいように、いくらでも形をかえて、まったくの別物にすり変わっているのに、それに気が付かないから、恐いですね。

私自身、日々気を付けたいと思います。

ありがとうございました(^^)

投稿: どすこい | 2011年9月30日 (金) 12時52分

*どすこいさま

そういう考え方は、誰もが少なからず、やってしまうものですよね^^;。きっと、その知り合いのかたも、この先、その方に必要なタイミングで、学ばれて、気づくことになるのでしょうけ。

投稿: リカコ | 2011年9月30日 (金) 13時55分

とても納得いたしました。
与えすぎても良くないといいますか、吊り合う関係が一番なのですね。

投稿: ヨネ | 2014年8月 5日 (火) 21時44分

・ヨネさま

与えたり尽くしたり、「し過ぎてしまう、自分自身」を見つめていくと、そこに気づきがあるように思います(^^)。

投稿: リカコ | 2014年8月 6日 (水) 00時15分

いい記事です。
すごく頑張っているのに報われない、見返りがなくて辛い、親友、のように親しい友達ができない、と悩んでいました。
要するに、重かったのですね。。

投稿: うさ | 2017年1月22日 (日) 23時39分

うさ様

この記事は、既に何かの関係がある相手に対して、自分の立ち位置として、尽くす一方になってしまった場合は・・・という観点から書いたものですが、

その他の人間関係でも、一部分はあてはまるところもあるかもしれませんね。一方だけが負担にならない関係が、望ましい在り方だと思います(^_^)。

投稿: リカコ | 2017年1月23日 (月) 15時45分

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