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2011年9月の10件の記事

2011年9月29日 (木)

相手に尽くしすぎて、消耗する理由。

恋愛のパートナーや、親しい友人に、尽くしすぎてしまい、人間関係がうまくいかなくなるパターンがあります。 相手が依存的で甘えを持ってくるようになったり、自分が消耗したり・・・、お互いの信頼が積み重ねていかず、役割が一方的になってしまいます。

そのパターンに陥りがちな人は、基本的に優しい性格で、人のためになりたい、という奉仕の精神が根底にあります。

けれど、その要素だけでは、「尽くしすぎて、消耗する」「尽くしすぎて、関係が壊れる」ことにはなりません。世の中の出来事すべてが、やさしさが仇となる、というパターンばかりではないからです。そうなるまでに、過剰に尽くしてしまうのは、優しさ以外の、別の要素が、複合的に関係していることが多いです。

そういうタイプの方は、自分自身の価値を信じていません。そして、同様に、相手のことも信じておらず、孤独を恐れています。

相手に、何かを尽くすことで、恩を積み重ねて優位にならなければ、相手に必要とされる自分になれない、という、誤解と恐れがあります。

そして、同様に、相手のことも本当の意味では信じていません。過剰に尽くすという行動をしないと、相手からの関心を買えない、という思いは、相手の人間性を低く見積もっています。何かをしてあげれば感謝をされる、しないのならば感謝されない、という、損得勘定で人をはかっているはず、という思いがあるのです。

お互いの関係が、うまくいかなくなりそうなときに、「でも、私はこんなにしてあげたじゃないの」という、アドバンテージがないと、自分が対等になれない、とか、主張ができない、価値観を(自分に)感じられない、という、自己評価の歪みがあるのです。

そして、その歪みのフィルターを通して、相手を見ているので、「相手も、損得勘定で自分を計っているはず」、という思い込みがあり、(そういう相手と、付き合うために)過剰なまでに、尽くして消耗してしまいます。

相手に対する認識は、自分のフィルターの歪みによる、誤解の場合もあれば、事実の場合もあります。けれど、どちらにしても、尽くしすぎになると、関係はうまくいきません。

自分が誤解して相手を見ていて・・・、本当は、相手は、一方的に尽くしたりしなくても、相手の価値を等身大に計ってくれる感性をもった人で、お互いの信頼を作っていきたい、と思っている場合は、過剰に尽くしアドバンテージを握ろうとされると、その行為が重たいですし、信頼されていない、とも感じ、負担になって離れていきます。

相手が実際に、損得勘定で物事を計っていて、何かをしてあげれば感謝する、そうでなければ感謝しない、という、自己中心的なタイプである場合は、尽くし続けないと関係が終わってしまいますから、自分が消耗して、ついていけなくなったところで、終わりがやってきます。

相手が、前者に当てはまるタイプであれば、自分の接し方を改めれば、本当の意味での(損得勘定ではない)信頼が作られていきますが、相手が後者のタイプであれば、自分が姿勢を変えてしまえば、そこで、需要と供給の関係が絶たれますので、付き合いは終わりを迎えてしまうかもしれません。

人間関係とは、「波長の法則」で、同じ要素を持っている人同士が出会っていくものです。そして、うまくいく関係というのは、どんな場合でも、「自立した人同士の関係」です。依存があると、うまくいきません。

相手が前者のタイプであれば、自分が自立心をもっていけば、(相手はすでに自立心があるので)いい関係が作られていきますが、後者は、依存的な相手ですから、自分もまた、相手に必要とされることで価値を確認したい、という依存を持っていてこそ、関係が成り立つのであり、自分が自立してしまえば、引き合うものがないので、関係が成り立ちません。

先に述べたとおり、尽くしすぎてしまう人は、自分も相手をも、本当の意味では信頼しておらず、そして孤独を恐れている場合が多いのです。

そのため、尽くしすぎになって、消耗している状況から抜け出したい、この状況を変えたい、と思っていても、しかし同時に、孤独を恐れているので、なかなか、抜け出すことができないのです。

この状況から抜け出す、という意味は、自分が変わる、ということです。相手に負荷をかけ、自分が優位になり、損得勘定で成り立つ関係を変える、・・・ということは、その状況に依存している相手とは、関係が続かない、という意味でもあるからです。

そのため、自分の姿勢を変えていくのは、とても難しく苦しみを伴います。現在、手の中にある関係が、壊れてしまうかもしれないからです。

けれど、一生、自分が全力で、漕ぎ続けなければ倒れてしまう自転車のような、緊張感と負担の伴う関係を維持しても、・・・本当の意味での幸せは、手にできるでしょうか。 注ぐ価値のある関係に力を注ぎ、お互いの信頼という実りを手にするほうが、幸せに近づくのではないでしょうか。

そのときは、一時的に苦しみがあっても、自立した関係を作っていくほうが、幸せに近づいていけるように思います。

このケースに当てはまる人は、自分のなかに、依存心があることに、気づかなければなりません。依存は、依存の相手を引き寄せて・・・、自立した相手を遠ざけてしまいます。

まず何事も、状況を分析して、意識していくことが大切だと思います。人に何かをしてあげることは、依存とは逆の要素に思えるので、なかなか、この理由に気づけないことがあります。改めて考える機会がないと、意外とわかりにくいものなのです。

尽くしすぎて疲れてしまう、尽くしているのに相手が思い通りにならない、という不調和を抱えている人は、自分のなかに、依存心がないだろうか、という観点から、内観をしてみると、改善のためのヒントがみつかるかもしれません。

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2011年9月28日 (水)

オーラのシンクロ話 in 美容室。

最近、行きつけの美容室を変えまして、先日、パーマをかけにいってきました。そちらに伺うのは、2回目です。

私は、美容師さんも、ボディーケアの施術家さんも、男性のほうが好みです。ここしばらく通っていた美容室は、担当者が女性だったので、気分を変えたくなり、今のところにお世話になっています。

終わりにさしかかり、ラストの工程であるセットの前に、「今日、これから、どこかに行くの?」と聞かれました。どこかに出かける場合には、しっかり目にセットするけれども、そのまま家に帰る場合は、ナチュラルなセットにしてくれるのが一般的です。

で「このまま家に戻ります」とお伝えしました。なので、あまり手の込まないナチュラルな形でまとめて、終了、となります。

美容師さんが、ヘアケア剤を持ってくるために、ちょっと席を外したところ、少しはなれた場所にいた、別のお客様の会話が、耳に入りました。「オーラが、●●色で・・・」と、聞こえました。「見える人に、見てもらったことがあって」「その人は、札幌の人?」「うん、札幌の人」とか、そんな会話をなさっていました。

オーラ、と聞こえたので、ちょっと反応しましたが(笑)、私は、他人の会話にはあまり関心をもたないほうなので、目の前にあった雑誌を手に取り、適当なページを開きました。そのページは、化粧品の特集で、「メイクで愛されオーラになる」とか、そんな内容が載っていまして、あらら、ここもオーラかい(笑)、と、ちょっとだけ思いました。

そして、担当の美容師さんが、戻ってきました。 「ところで、今日は、会社は休みだったの?」と、聞かれました。で、「あ、私は自営業なので、平日のほうが時間がとれやすいんです」と答えましたところ、「へー、そうなんだ。何の仕事?」と、聞かれました。

私は、あんまり、外で、自分の仕事についてとか、スピリチュアルがなんたら、とか、話しません。別に隠すことはしませんけれども、わざわざ言う必要性のないところで、余計なことは口にしない、というタイプです。それで、美容師さんとかも、話がさらりと終わる、男性のほうが好みなのです。

で、「えーと、まあ、わかりやすくいうと、カウンセリングみたいな、相談にお答えするような感じの仕事、ですね~」と、答えました。

私としては、それで、「あー、そうなんだ」と、そこで話は終わるもの、と思っていました。が、美容師さんは、「どんなカウンセリング?」とか、「心理学とか勉強したりして、答えるの?」とか、やけに突っ込まれ・・・。

「いろんなやり方があると思うので、心理学とかで答える方もいるでしょうね~」と、やんわりとかわして答えたところ、「あ、君は違うんだ。どんな方法で?」と、ますます、話が核心に迫り(笑)。

私は、わざわざ、必要のないところで余計なことは言いたくはないけれども、どうしても隠したいわけではないですし、あまりにのらりくらり、になると、嫌がっていると思われることも本意ではないので・・・、 「えーと、その、なんというか・・・、オーラとかね、そういうのが少し見えまして・・・」と、答えたところ、 「えっ、オーラ!オレね、そういう話、全然、抵抗がないよ。普通に信じられるし、納得もできる!」と。

結局、また、オーラ( ̄∀ ̄;)・・・、と思ったのですが、何となく、流れが、「そうなっている」ような気もしまして、そして、話の流れとして、当然、「オレのオーラの様子って・・・?」となりまして、そこから、かなり、ディープな会話が、延々と行われていったのでした。

物事に偶然はないので、きっと、そうする意味があって、出会いとか、会話の流れも、作られている、と思うのですね。なので、お話することは、まったく負担ではないですし、その美容師さんも、とてもいい方で、必然のタイミングで、お伝えすべきことを、お伝えしたのだと思います。

というか、後ろの方が、お伝えしたかったことを、たまたま、私という人間を通して、伝えた、ということなのでしょう。私は、「使われた」だけ、なのだと思います。

まあ、それはいいとして・・・、最初に書いたとおり、最後の工程に入るところで、「この後は、家に戻るだけなので、セットはナチュラルな感じで」という、合意があったはず、なのですが、オーラ談義をしている間、美容師さんも手持ち無沙汰だったのか、それとも、オーラの話に熱中していて、そのことを忘れていたのか、

美容室を出る際の、私の髪型は、いつも以上に、「しっかり巻き髪セット」になっていたのでした( ̄m ̄*)。・・・きっと、これも必然。

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2011年9月24日 (土)

直感力の向上のためには、意識を広げていくことが大切。

直感というのは、一般に、唐突なひらめきがあって、それが何らかの形で自分に有利に働くメッセージ性を含んだもの、という解釈がなされていると思います。

それも間違いではありませんが・・・、直感というのは、本来とても幅広いものであり、ひらめきが当たることだけが、直感のすべてではありません。

直感と、思考と、感情には、明確な境目がありません。ここまでは直感だけれども、ここから先は思考、というような、区切りは付けられないものです。区切りが付けられるのは、物質です。直感も、思考も、感情も、目に見えない領域にあるものですから、物質を扱うような区分けはできません。

思考の中にも、いくらかの直感は含まれます。というより、自分が作りだした意図的な思考だ、と思っていることの中に、実は、授かった直感的要素が含まれている、といった方が正確かもしれません。

私たち人間には、それらを完全に判別することはできないので、自分で考えた、ように認識してしまう、というケースは少なくないでしょう。

実は、そういう部分にこそ、必要な直感が含まれていることが多いので・・・、直感とは何かを言い当てるひらめきである、かのような、狭い解釈をしてしまうと、感性が限定されてしまうので、伸びなくなるのです。

このような関連性がありますので、日常の生活において、思考や感情の動きに留意していくと、間接的に、直感の広がりにも繋がっていきます。

思考力を磨き、意識の幅を広げていくと、直感も広がります。なぜなら、思考力を磨く、ということは、思考を通して伝わる直感もまた磨かれる、ということになるからです。

感情もまた同様です。「感情と直感」の関係性というのは、「思考と直感」に比較すると、薄くはなってしまいますが、無関係ではありません。

つまり、思考、感情、直感、という、目に見えない、感性の動きに関して、それらを発揮したり受け取ったりする「器」は、ほぼ同じもの、なのです。

思考や感情を、よい形で外に向けて発揮してくことは、そのまま、意識の器を広げていくことにもなり、(同じ器を使う)直感の広がりにも、効果が見られていくようになります。

自分の内面を、深く掘り下げていく分析的思考をする効果は、直感に対する理解の深まりにも繋がります。

外に向かって能動的であろうとする姿勢、人のために何かをしよう、とか、自分を発揮していこう、という意識の広がりは、直感受け取る器の広がりにも繋がります。

直感をどれだけキャッチできるか、というのは、その人の人間力としての器、感性の器が、どれくらい深くて広いか、という要素と、ほぼ比例していきます。

自分自身を磨くこと、意識を向上させることは、そのまま、直感力を磨くことにも置き換えられるのです。

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2011年9月17日 (土)

直感は、狭い解釈では伸びないので、広い解釈を。

直感には、広い意味と解釈があります。正解を言い当てることや、自分にとって有利な展開に繋がるひらめきを得ることだけが直感ではありません。それらは、とても広い現れ方をする直感のうちの、ごく狭い範囲の一部分にすぎない、という理解は大切だと思います。

どんなことにも言えますが、「意識しないよりは、意識したほうが向上しやすい」ものです。たとえば、筋肉の動きを意識しながらストレッチをするほうが、何も考えずに形だけ行うよりも、効果に繋がりやすいですよね。

「思うこと」も、想念というエネルギーなので、意識をすることで、エネルギーが創造され、それは作用していく仕組みがあります。

その仕組みのとおり、当てる系の直感を意識すると、実際に、ある意味においては「当たる力は、伸びる」とも言えるのです。けれど、その分野「だけ」に限定された直感の伸びには、限界があり・・・、どこまでも伸び続けるわけではありません。ある位置まできたら、それ以上には、進めなくなります。

当てる系の直感に、強い興味が出る気持ちは、理解できなくはないですが・・・、しかし、そういう意識の仕方は、短期的な伸びには(一見)有効に感じるかもしれませんが、中長期的にみれば、当て物にこだわり続けることは、むしろ遠回りになります。

直感という、幅広く深い意味があるものを、何かを言い当てることこそ直感、というように、狭い範囲に限定して解釈すると、それ以外の直感が、すり抜けてしまいます。

先にも書いたとおり、意識することは、向上のために有効なのですが、狭く考えてしまうと、意識ができませんので、キャッチもしにくくなるわけです。

直感について、幅広い解釈と理解をしていくと、意識がまんべんなく注がれますので、広く底上げがなされていき、受け取る器が大きくなっていきます。

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2011年9月14日 (水)

誰もが持っている、「失うことへの恐れ」と、関連する感情。

私たち人間は、肉体をもった霊的な存在で、この世という、制限のある物質社会の中で、たましいを成長させるための学びを行っています。

本来は霊的な存在なのですが、この世で生きていると、自然に、物質に価値をおく感覚になってしまい、所有欲が出てきます。

所有欲が出てくる、ということは、同時に「失う恐れ」の気持ちも出てきます。

この世で生きている以上、誰もが、少しくらいの所有欲はあるもので、それは、生きるための目的意識として適度に必要なものであり、悪いことではないですが、所有欲がある以上、表裏一体ので、同時に「(所有しているものを)失うことへの、恐れ」も、抱えることになります。

誰もが持っているこの感覚ですが、中には、過剰なまでに、失う恐れの不安を抱え、とても極端な行動に出て、自分の人生を混乱させてしまう人がいます。

その行動の代表的なパターンは、2つあります。

ひとつめは、失う恐れを無くそうと、「もっとたくさん得ようとする」という行動です。もっとたくさん得ることできれば、失うことが怖くなくなり、気持ちに余裕がでるはず、という考えからです。

しかし、実施には、不安を解消しようと、たくさん得るのですが、手に入れれば入れるほど、それらが失われる恐れも付随してくるので・・・、品物の「数」が増えても、不安の「比率」は変わらず、この方法で、恐れは解消されません。

が、考え方としては、分かりやすい「直球」のパターンです。

もうひとつ、失う恐れを抱え続けているプレッシャーから解放されようと、「潔く、失ってしまおうとする」という行動パターンがあります。

いつか失うかもしれない、きっと失うに違いない、と、不安を抱え続けるのが苦しいのでならばいっそ、自分から先に、それを捨てて身軽になってしまおう、と、せっかく作り上げたものを、自分で壊してしまうタイプです。

確かに、そうすると、失うことの恐れは発生しないけれど、失うことの恐れと、同時に存在する、所有欲は満たされないので・・・、結局また、何かを手に入れて積み上げていき、そしてまたいずれ、抱えているのが怖くなって壊す、という繰り返しの、落ち着かない生き方になります。

こちらは、入り組んでいる、「変化球」な、失う恐れの、表れ方のパターンです。自分が、そうしていることに、なかなか気づきにくいです。

これらの、恐れの気持ちを、どのように受け止めていくか、というのは、ここでは書きませんが、誰にも、「所有欲」がある以上、「失う恐れ」もあり、この思いと、感情が結びついた場合の、行動パターンについて書いたのが今回の記事です。

自己分析をする際の参考になれば、と思い、書いてみました。

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2011年9月13日 (火)

「社交的な女性」の友人を作る。

男性との出会いを求めている方で、「仕事柄、もしくは趣味を通して、女性と知り合う機会は多いが、男性と知りあう機会が少ない」方に、よくお話させていただくことがあります。

女性客を相手にするお仕事をしていたり、趣味で料理教室に通っている方などが該当すると思うのですが、そういう場合は、「社交的なタイプの方(女性)と、友達になる、親しくなる」ことを、まずは心がけてみてはいかがでしょう。

同性の友達がたくさん欲しい人にも当てはまりますが、「社交的な人と、まずはお友達になって、その人から誘われる側になる」といいと思います。

相手の人のよさを利用するようで、気が引ける、とおっしゃる方が少なくありませんが、根っから社交的な人というのは、人を集めてワイワイやっているのが好きなのです。

ですからお互いに需要(誘って欲しい、あなた)と、供給(人を集めたい、彼女)が、釣り合ってのことなので、相手を利用することになるのでは?などという受け止め方をしなくてもいいと思います。

もちろん、誘われてありがたいという気持ちがあれば、お礼をするなり感謝を示すなりは、した方がいいとは思いますが。

人付き合いがあまり得意でない方にとって、たとえば、新しい知り合いを20人作ることは、なかなか難しいことだと思いますが、社交的な性格の人と1人か2人知り合うことは、仕事上や生活上の行動範囲で人と関わる人数が多ければ、それほど難しくない場合もあるでしょう。

そうして、付き合いを広げていった先のどこかで、男性と知り合う機会が、作られていくこともあるものです。

また、社交的なタイプの女性の、受け答えの仕方や、人に対する気さくでノリのよい会話のリズムを、参考にすることもできますので、身近なところで、まずは、そういう方と知り合い、いい刺激をいただきながら、輪の中に参加させていただくとよいと思います。

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2011年9月10日 (土)

複数から選べない場合は、数値化すると比較しやすい。

表面の結果だけをとらえて、数値や品物などの、目に見えて分かりやすい基準のみを判断材料とし、より大きいもの、よりたくさん所持することなどに価値をおく考え方を、「物質主義的価値観」と表現されることがあります。

その逆に、表面の結果や数値の大きさや、肩書の高さや、品物をたくさん持っていることとだけにとらわれずに、プロセスや動機までも含めて、包括してとらえていき、どんな経験にも成長につながる要素がある、という考え方をしてくことが「スピリチュアルな価値観」「霊的な価値観」です。

私たちの生きているこの世は、「物質社会」ですので、自然に生きていれば、どうしても、物質的価値観に流されてしまう傾向があります。そのような(普通にいるだけでも、流されやすくなるという)条件の中で、いかにして、霊的な価値観を持っていけるか、という難しい学びを、私たちは行っているわけです。

なので、霊的な価値観で考えるためには、分かりやすい基準である、数値がおおきければ素晴らしい、たくさん手に入れたい、たくさん手に入らなければ不幸だ、というような考え方からは、抜け出す必要があります。自分にとって本当に価値のあるものは何なのか、というのは、数値だけでは、計れないからです。

けれど、それは、数値が無意味だ、ということではありません。それ「だけ」を基準にしたら、動機やプロセスを考慮する視点が抜け落ちてしまいがちなので、配分に気をつけましょうということであり、やはり、この世の物質社会の中では、(物質的である)数値という基準は、分かりやすく、認識しやすいことは確かなのです。

数値の基準が分かりやすいのは、なぜでしょうか。それは、「比較が容易になる」からです。

5と10は、どちらが大きいか、というのは、一目瞭然です。しかし、Aという品物と、Bという品物は、どちらが優れているか、という問いは、考慮する要素が一律ではないので、回答に幅が出てきますから、難しくなります。

この、比較が容易になる、という性質を利用して、「複数の選択肢があり、決めかねる場合には、それぞれを、数値化してみる」という方法も良いと思います。

たとえば、どちらの会社に入社するか迷っていて、A社と、B社と、C社で、それぞれ良いところがあり、選ぶことができない場合には、A社は、「45点」、B社は、「40点」、C社は、「35点」などと、数値化してみると、比較がしやすくなります。

もちろん、その会社の性質や総合的な要素を、明確な意味のある数値化をすることはできませんので、あくまで、比較のための、便宜上の数字です。

なぜ、選べないか、というのは、通常、(自分ではじっくり時間をかけて考えているように思えても、実施のところは、)きちんと分析をする手順を踏んでいないケースが多いのです。分析ができていれば、選べるはずです。そこがうまくいっていないので、選ぶことができないわけです。

数値化すると、比較をしやすい、というメリットもありますが、それ以前に数値化するために、その会社について、福利厚生はこちらのほうがいい、とか、交通の便からいうと、あちらのほうが通いやすい、と、細部を分析していくことになります。そのプロセスが、選択の際に有効になるのです。

なので、数値化しなくても、分析ができれば一歩前進にはなるのですが、ただそのまま分析するよりも、「数値に置き換える」という、明確で分かりやすい目的のために分析をするほうが、筋道がしっかりした思考になりやすいと思います。

判断基準がよくわからない、どれがいいかわからない、と、迷ってしまう場合には、選択肢を分析し、数値化して比較する、という方法も、試してみるといいかもしれません。

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2011年9月 7日 (水)

手放したいのに、持ち続けてしまう、ネガティブな感情。

相手を強く恨んだり、妬んだり・・・、相手がすべて悪いだと思いこんだり・・・、ネガティブな感情から、なかなか抜け出せないことがあります。

自分に起こることは、すべて自分がそうなる原因を作っているのであり、他人が原因となった迷惑を一方的に被ることにはならないと、スピリチュアルな仕組みを分かっていながらも、相手を恨む感情が消えずに、ネガティブな思いが頭を駆け巡る経験は、誰にでもあることのように思います。

ネガティブな感情を手放したい、と思いながらも、ネガティブな感情や思考を思い浮かべることがとめられない理由は、「実は(嫌だと言いながらも」そのネガティブな感情を、楽しんでいる自分がいる」からです。

ネガティブな思いを抱くに至る、相手の言動を頭の中で反芻しながら、都度、感情を湧き立たせることで、「少々、自虐的な、歪んだヒロイズム」の感情が、同時に持ち上がってきて、ときに、そうして涙することなどを、心のどこかで、味わい楽しんでいる自分がいるのです。

ネガティブな感情は、苦しみを作り出しますが、それと同時に、「逆境に耐える自分」という、歪んだヒロイズムが満たされれば、苦しみがあっても、なかなか、手放すことができずに、何度も思い返しては、味わい続けてしまいます。

歪んだヒロイズム、とは、マイナスから成り立っている、感情です。ゼロ以下から、つまり、誰かに攻撃されていたり、虐げられている自分がいて・・・、その上で、「耐える自分」という立場がとれるわけです。

与党と野党の、対立軸のようなもので、立場の差が鮮明であるほど、相手を加害者にすることで、その瞬間、相対する立場である、自分が被害者となり、忍耐をしている勇気ある自分、を演じることができます。

本来、相手がどうであれ、自分の意思がしっかりしていれば、ヒーローになることはできると思います。自立とは、文字通り、自から立つことができる人で、他人の存在がなくても、自分という単独で、存在意義を自己完結することができます。

他人の存在がなければ、相対する自分が主張できない場合、つまり、他人が加害者でなければ、被害者である、耐えている自分、という立ち位置が満たされないというケースは、結局、相手ありきの、依存ではないでしょうか。

このような、自分の立場の満たし方で、自分をヒーローにしようとする考え方では、どこかに歪がでてしまうもので・・・、どこかに「ネガティブさ」や「マイナス」の存在が必要になってしまうのです。

そのような仕組みがあるので、ネガティブな感情を手放さずに、いつまでも何度も味わう行為は、苦しみもあるのだけれど、同時に、とても甘美なものでもあるので・・・、なかなか、手放すことができないわけです。

誰の中にも、少しくらいは、ヒーロー願望はあると思うのです。しかし、その気持ちが満たされず、かつ、物事を自分に引き寄せて考えられず、自分の外に原因があり、他人が悪い、環境が悪い、と考えてしまう人は、自立したヒーローになることができず、このような形で、マイナスから成り立っている、少々歪んだヒロイズムで自分を満たしてしまうのだと思います。

改善のためには、少しずつでも、自立心を養い、そして自分の心の動きを見つめていくことですね。

ネガティブな感情という、重たいものからの解放感は、歪んだヒロイズムから得られる甘美さを超える、清々しさがあります。

そちらの感情を得ていくことに、喜びを感じられれば、抱え続けてきた不要な感情を手放すことができるようになるでしょう。

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2011年9月 6日 (火)

大切なのは、前世を踏まえた「今の自分のあり方」

スピリチュアリズムに関心がある人にとっては、私たちには前世がある、という考え方は、ごく自然なものとして受けとめられていると思います。

また、自分の前世に関心がでるのも、自然なことのようにも思います。

前世と、今回の人生の関わり、それらの仕組みについて理解をしていくと、生きる上での考え方に深まりが生まれ、有意義となることもあるでしょう。

けれど、具体的に、自分の前世がどんな人物だったのか、という詳細を知ることは、必ずしも大切ではない、と思います。

私たちは、たましいの存在で、何度も生まれ変わって学びながら、成長していることや、前世から、さまざまな性質を引き継いで今がある、という「仕組み」を知ることは大切ですが、そのことと、具体的な詳細を知りたいという興味とは、同じではないと思うのです。

前世を具体的に把握しているほうが、改善点を意識できるし、学びがスムーズになる、という考え方もあるかと思います。

けれど、前世から引き継いだ感情や思考の習慣で、改善点が仮にあるとしても、それが具体的にどういう関わりからつくられたのか、前世でどういう生き方をしたのかという点までを知らなくても、改善のための努力は、自分の意思しだいで、いつからでもスタートさせることが可能です。

また、実際、多くの人が、自分の前世を知る機会を持たないわけで・・・、私たちは、前世を(表面的な記憶では)忘れて、生まれてきていることにも、意味があると思います。今の人生を大切にしながら、自分の未来を見据えて、力強く生きていくことのほうが、ずっと大切ではないでしょうか。

私たちは、自分がしたことはすべて自分に返ってくるという「カルマの法則」により、経験すべきことを経験するようになっています。学びは、完璧なタイミングで、与えられる仕組みになっていますから、前世という過去の経験ばかりに意識を向けなくとも、「今」に生きていれば、それらは必ず自分の手元にめぐってきて、気付かされるでしょう。

しかし、前世を知ることで自分なりの納得ができて、解消される感情も、気づきが深くなるケースもありますので、前世を知ることのすべてが、無意味だとは思いません。

結局、すべては、自分が何をどうとらえて、気づきにつなげ、成長してくことができるか、今後にいかすことができるか、という点が大切なのだと思います。

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2011年9月 3日 (土)

「白か黒か」、「100かゼロか」、という思考の習慣は、ときに視野を狭くする。

物事に対して、○か×か、白か黒か、100かゼロか、のような、極端な考え方をしてしまったり、定義をつけないと気が済まないタイプの方は、少なくありません。

そのような受け止め方が習慣になってしまうと、両極端の選択肢の間に、無数に存在する価値観を、拾い上げることができにくくなります。受け止め方に、柔軟さがなくなってしまいますので、何でも(そうする必要もないのに)ジャッジしたり、決めつけたりして、視野が狭くなることもあります。

感性が優れている人というのは、この「中間を拾い上げることができる、柔軟さを持っている人」と、言い換えることもできます。

感性が優れていて鋭い人、というと、とても狭い範囲に限定した、ズバリの「答え」を得られる人、のようにイメージしてしまうかもしれませんが、そういう意味での鋭さは、ときに、「刃物」となり、鋭いけれども融通のきかない人、になってしまうこともあるでしょう。

鋭さは、柔軟さを併せ持っていてこそ、有意義に活用されていきます。単独では、逆に、世界を狭くしてしまうこともありますので注意が必要です。

感性の豊かさを磨いていくこととは、「○か×か」「白か黒か」という、結果に定義をつける考え方から、さらに一歩進んでいき、その裏側にある、プロセスや動機を含めて、(もちろん、定義も含めて)包括してとらえていけるようになること、ではないでしょうか。

そのような意味での感性が磨かれていくと、「物事に対して、そう簡単に、○や×や、白や黒、といった、定義をつけられるものではないし、そうすべきでもない」、という受け止め方に、自然に移行していくものだと思います。

○か×か、白か黒か、100かゼロか、という極端な考え方になっている自分を、頭では分かっていながらも、改めることが難しい場合があります。

それは、「白か黒かを、はっきりさせたい考え方を持っている、自分自身」を、本人が実は気に入っている、というケースです。何でも、はっきりしているのが好きで、あいまいなものを好まず、白黒つけられないのは優柔不断、白黒つけることで物事が前に進むのだと考えるタイプの人は、改める気持ちには、なかなかなれないことでしょう。

実際、その考え方が、間違っているわけでも、悪いわけでもありません。世の中には、はっきりさせることが望ましいケースもあります。

しかし、はっきりさせる必要がない、むしろ、はっきりと定義をつけることで、状況を混沌とさせてしまったり、トラブルを生んだりするケースもあります。一方的に、他人を批判したり、決めつけたりを(そうする必要もないのに)行ってしまえば、トラブルの種をまくことにもなってしまいますよね。

○と×の間、白と黒との間、100とゼロとの間に、目盛を刻んで、さまざまな価値観や考え方が存在しているという、柔軟な理解をしていくことは、「その場にふさわしいかあり方を、その都度、よりピンポイントで的確にとらえていくことなのだ」というふうに、置き換えていくと、受け入れやすいと思います。

そういう意味での柔軟さと、優柔不断からくるあいまいさとは、同じではないのだ、と。

そうすると、どうしても、はっきりさせたくなってしまう人の、「分かっているけれども、つい、ジャッジや決めつけをして、世界を狭くしてしまう」習慣から、自分という枠を広げていくこ都ができると思います。

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